古泉との試合も中途半端に終わり、手持無沙汰になった俺は朝比奈さんと新しくオセロをしながら手紙についての議論を進める事にした。
「しっかしなぁ」
これまでは未来からの指示に、多少の不満はあれど大方唯々諾々と従っていた俺だが、今回ばかりは別だぜ、朝比奈さん(大)。
「わたしも、何かそんなことがあったか考えてるんですけど……うーんと、えっと」
朝比奈さんが顎に人差し指を当て、頭の上にいくつかのハテナを飛ばしながら頭を傾げる。思わずまばゆい後光が見えそうな仕草だ。
「とりあえず、長門が来ない事にも関係してるかも知れません。電話してみましょうか」
そう言って、俺はポケットから携帯を取り出すと、すっかりと頭の記憶メモリに叩きこまれちまっている番号を押した。スリーコールぐらいした後、呼び出し音が途絶え、
「…………」
相手を探るような沈黙。なあ長門、ニーハオでもボンジョルノでも何でもいいから、電話に出たときぐらいは何か話してくれないか。朝比奈さんと目配せし、この前のような大変な事態になっていなかった事を安堵しつつ、
「ああ、俺だ。お前、今日部室に来ないのか?」
「そう」
「何かあったのか?」
俺の疑問に、長門は四分の四拍子ほどの間を取ってから、
「用事」
いつもの起伏のない声でそうのたまった。向こうから、車のエンジンや自転車のベルなどの騒音が聞こえる。もしかして、外にいるんだろうか。
「大丈夫なのか?」
「平気」
今度の返事は早かった。そして、俺が言葉を繋ごうとして口を開いたのと同時に、まるでブレーカーが落ちたような唐突さでプツリと電話は切れた。思わず電波障害でも起こったのかと電波を確認したが、画面に映るアンテナはきっちり三本。電話からは、ツーツーと機械音が聞こえるだけだった。
「長門さん、なんて?」
しばらく携帯の通話時間を眺めていた俺に、朝比奈さんが小鳥のさえずりのような声で問う。
「なんか用事らしいです」
携帯電話を仕舞い直し、俺は答える。
「何かあったのかなぁ? 大丈夫かなぁ、長門さん」
朝比奈さんがちらりと長門の特等席に目をやり、そして「ふぅ」と溜息をついた。
去年の冬のように舘に閉じ込められたなら別だが、今回は長門は外にいたようだし、車の音が聞こえたってことは少なからず一般人もいる。またあの時のような情報戦が始まるにしても、宇宙人だって戦闘フィールドぐらいは選んでくれるだろう。少なくとも、車が槍に変わることは無さそうだ。そう判断した俺は、手紙を握りしめながら朝比奈さんに倣って溜息をついた。
ますます分からん。電波障害どころか俺の頭は圏外だ。



そこから朝比奈印のほうじ茶をすすること数十分、突然聞こえた丁寧なノックの音に、俺達は少しびくつきながらもドアを見遣った。ハルヒは早退したし、古泉はおそらく今頃神人と仲良くやってて、長門はそもそもノックなんぞしない。つまり、お客さんが来たってことだ。はぁい、と朝比奈さんが声を掛けてドアを開き、そして「え」と呟きながら固まった。俺も驚いて思わず吹きそうになったお茶を、すんでの所で飲みこむ。それはゴクリと音を立てながら慌てて喉を通過し、消化不良な胃の一員となった。
「失礼します」
そう言ってその来客者はこれまた丁寧に一礼すると、音一つ立てずにドアを閉めた。細見な体にフィットした黒のスーツの爪先から襟元までを目で追い、俺は思わず声を漏らす。
「森さん」
「どうも、お久し振りです」
メイドは休職中なのか、スーツを完璧なまでに着こなした森さんがそう言って頭を下げる。それに朝比奈さんがおずおずと頭を下げ返し、成仏しそこねた幽霊のような足取りで元のイスに座った。
「あの、どうかしたんですか?」
俺の言葉に、森さんは悲痛な顔を覗かせ、重ね合わせた手を強く握りしめた。そしてそのまま、何も告げようとしない。なぜだ。思わず冷や汗が流れる。それほどに緊迫した空気が部室を覆っていた。朝比奈さんという温和材が、意味をなさないほどに。長い沈黙だった。よからぬ想像が次々と湧き出て頭を駆け回るほどのこの沈黙を壊したのは、朝比奈さんの微かな声だった。
「あの、お茶、いれますね」
途切れ途切れの、どこか遠慮がちに掛けられたその言葉を、森さんは首を横に振って制止し、そして顔をうつむかせた。聞きたくない、聞いてしまったらダメだ。そう思っても、研ぎ澄まされた聴覚は、どこか決意めいた森さんの吸う息を、その先の言葉を聞き逃さなかった。


「古泉一樹が、死にました」


悔しさ、虚しさ、悲しみ、消失感。そのすべてを押し殺したような声だった。どこか機械的な音声に、俺は思わず戦慄を覚える。
「先ほどの、閉鎖空間でのことです」
ニュースを読み上げるような、淡々とした声が言葉を繋ぐ。いやだ、やめてくれ、聞きたくない。ちくしょう、リモコンはどこにいったんだ。
「神人が振り上げた手を避け切れず、古泉ははじき飛ばされました。我々が駆け付けた時には既に……」
ああ。もしかして、これは俺を吃驚させるためのドッキリなのかもしれない。古泉は今もドアの前で出番待ちで、森さんはパートタイムの仕掛け人。そんな茶番劇ならいい。森さんは主演女優賞ものだ。ついでに俺からも特別賞をくれてやってもいい。
でも、違うんだ。生々しい表情が、悔しさを押し殺すように握られた箇所にできたスーツの皺が、強く噛みしめたせいか鮮血が見える唇が、そう物語っている。違う。違うだろ。なぁ、だって、あいつは笑っていた。いつかハルヒの能力が無くなる事を、世界の安寧を、誰よりも望んでいた奴なんだ。それなのに、途中退場なんか許さねえぞ。心の中がひどく寒い。俺は怖かった。消失感に震えあがる心の中を、光だけを求めて必死にさまよい、そして俺は何かを掴んだ。
――朝の、手紙。
もしかしたら、だ。間違っているかも知れない。それでも俺はそれを見つけた。一縷の光を見つけたんだ。なら、後はそれを信じるしかない。
突然携帯のバイブが震え、森さんは一言断ってからそれを開くと、大きく溜息をついた。
「お伝えしたかったことはそれだけです。私は機関に戻らなくてはなりません。突然の無礼をお許しください。それでは」
これまた丁寧に一礼すると――最後にほんの一瞬だけ、機関のエージェントという仮面を外した。
「……ごめんなさい」
名残惜しげにドアを開き、廊下からハイヒールの音が響き渡る。そのリズムが茫然とした頭にやけに響いて、俺は、思わず朝比奈さんと顔を見合わせていた。


――朝比奈さん(大)、こういう事ですか?

 

 

 


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