最終章『ただいまっ!』
冷たい雨の雫があたしの身体から体温と血の気を奪っていく。
この雨じゃベガとアルタイルのラブシーンも一年繰り越しになりそうね。
「キョン、ただいま」
右手には黒い傘。
左手には白い花。
日本の伝統に沿った墓参りルックで、墓石に話しかけた。
あの悪夢のような世界から生還を果たした後、あたしはキョンのアパートで目を覚ました。
悪夢だけに夢オチなんて都合の良い展開を期待していなかったと言えば嘘になる。
だが、そんな陳腐でチープな映画のエンドロール流されるようなありきたりな三流ハッピーエンドへの期待は、目が覚めて三秒で崩れ落ちた。
キョンは硬く冷たいフローリングの木目の上で、しっかりと「死んでいた」。
判決は裁判官と裁判員、満場一致で当然有罪。
ま、ここまで来たら逃げも隠れもしないわよ。あたしについた国選弁護士の忠告には耳を貸さず、法廷で最初に受けた勧告を素直に受け入れ、直ちに刑務所で獄中生活を送ることとなった。
不謹慎な話だけど、獄中生活は思ったよりも平和で、他の受刑者とは奇妙な友情意識みたいな物も感じ、決して辛いだけの生活ではなかった。
そして数年後、自首したことと模範囚だったことが考慮されたのか、あたしの懲役は実際に勧告された刑期よりも約半分ほどの短さで済み、仮釈放とされた。やっぱり人間は人柄ね。うんうん、良く頑張った。あたし!
職探し。住居探し。これから先やることはいっぱいあるが、まずこれだけはやっておかないと先には進めない。
「あたしが遅れたのはこれで三度目ね。でも、あんたなんかこの何十倍も不思議探索に遅刻したんだからね。遅刻については謝らないわよ」
ま、加害者だし、これで今までの遅刻はチャラにしてあげるわ。
「……ごめんね。キョン」
雨が降っていて良かった。じゃなきゃ、キョンに涙と鼻水でぐっちゃぐっちゃになっている顔をごまかす理由が思いつかない。
「……あたしがあんたを好きになったばっかりに……」
そこが限界だった。傘を投げ捨て、キョンの眠る墓石にすがり、かんしゃくを起こした赤ちゃんよりも数百倍はうるさく喚き声を上げてしまった。
雨が身体を伝うかのように、キョンとの思い出がよぎり続ける。
ずっとずっと大好きだった。
そのキョンをあたしが殺した。
罪を認め、その上で生き続けることを選んだが、「キョンの殺害」という事実を改めて認識することで、現実が水増しした鉛のように、あたしに重くのしかかる。
どれくらい泣き続けただろうか。不意にあたしを責めたてるように突き刺さっていた冷たい雫が止んだ。
「風邪引くよ?」
凛とした中にも、どこかあどけなさと暖かさ、それでいて優しさに包まれているような声が投げかけられた。
「ね?ハルにゃん」
ニコッと極上の微笑みを浮かべる超絶巨乳美人……って!?
そのミス銀河系と言われても遜色無い超絶美人が誰かわかるには時間がかかったが、彼女が誰かわかった瞬間、反射的に目前の墓石に身を潜めてしまった。
「どうしたの?かくれんぼ?」
墓石の横から顔をひょこっと覗かせって再確認。そして再認識。
どうやら長い獄中生活の後だけど、あたしの五感は鋭敏に活性化しているようだ。
「……妹ちゃん」
なんで?キョンの命日は三日前よ?命日に来なかったのは、七夕があたしの思い入れが深い日だからと言う言い訳であり、今日ならキョンの家族には再会しないとタカをくくっていたのに!
……悪い?殺人鬼が、どの面下げて会えって言うのよ。
「そうだよ。あたしの顔を忘れちゃイヤだよ?」
無邪気に語りかける妹ちゃんの言葉が痛い。
「……イヤ……やめて、見ないで」
力なく呟き、墓石の裏に背中を預ける。
妹ちゃんはキョンにベッタリだった。一人っ子だったあたしには妹のいるキョンが羨ましくて、すっごく可愛がったいたし、妹ちゃんの方も、あたしには懐いてくれていたと思う。
でも自分のせいとは言え、そんな妹ちゃんから罵声を浴びせられたくないのが本音なわけで。
しかしそのあどけなさが残る笑顔から、どんな罵詈雑言を突き付けられるか覚悟していたが、そんなあたしに届いた言葉は、予想の範疇を軽くK点越えするものだった。
「大丈夫だよ。あたしは今でもハルにゃんが大好きだからね」
「……え……?」
墓石から身を乗り出したあたしの顔は、きっとマヌケ面の金メダリストに選ばれるはずだ。
「……嘘よ……だってあたしは……」
妹ちゃんが大好きだったキョンを殺した犯罪者なわけで、妹ちゃんに好かれる要素が残っているわけが無い。絶対に。
「うん。あたしもハルにゃんがしたことは許せなかったし、許すつもりもなかった。今日だって、本当はハルにゃんに辛く当たるつもりだったんだよ?」
「……じゃあなんで……」
何を言われても反論できない。それこそ殺されたって文句は言えない。あたしが妹ちゃんの立場なら、絶対にボコボコにして一生恨み続けるだろう。
「でもね、キョンくんの前で大泣きしていたハルにゃんを見たら「あ、やっぱりあたしはハルにゃんが好きなんだ」って思っちゃたんだ」
そして「てへっ」と可愛く舌を出して微笑む妹ちゃん。
「おかえり。ハルにゃん」
頭の中が真っ白になった。気がつくと、あたしは妹ちゃんを腕に抱きしめ、涙を流していた。
「……ごめんね。……本当にごめんね。あたし……」
「辛かったでしょ?もういいんだよ。だってハルにゃんはしっかり「ごめんなさい」が言えたじゃない。だからあたしはハルにゃんを責めたりしないよ」
思えばキョンとケンカした時も、あいつはよくこんな感じで許してくれた。本当にそっくり。
「だからさ、笑ってよ。キョンくんに「ただいま」って笑顔で言ってあげて」
既に身体を冷えさせ、濡らす雫は止んでおり、雲の隙間からキレイな光が差し込んでいる。どうやらベガとアルタイルのラブシーンは来年に繰り越さないで済みそうね。
顔に残った水泡を払い、大きく息を吸い込む。
「ただいまっ!」
犯罪者として、あたしはこれから何度でも辛い現実と対峙するはずだ。
でも大丈夫。あたしにはこの素直で優しい妹ちゃんがいてくれる。この子がいる限り、どんな目にあっても生き抜くことができる。
そうだよね。キョン!
完