俺は、米軍と戦った。
 俺は、豪軍と戦った。
 俺は、飢餓と戦った。
 俺は、病気と戦った。
 俺は、自身と戦った。
 
 
 ~第三章 同期の櫻~
 
 
 走る俺。走るSOS団。
 俺たちSOS団を含む歩兵第四十一連隊は、無事にニューギニア島に上陸した。そして、前線に合流するために
絶賛徒競走中ってわけだ。
「伏せろ!」
 中隊長の声が木霊する。脊髄反射で身を屈める。乾いた草があっけなく下敷きになる。
 直後、全身に響く爆音。
「古泉、この爆撃はいつまで続くんだ」
 土に触れないように気をつけながら、顔を左に向けて問う。
「味方の直掩機が飛来するまでの辛抱ですね。
 それに、今はこちらが優勢です。本格的な空襲ではないので、憂慮する必要はありません」
 自信たっぷりに答えてくれる。
「お前の言葉、信じるぞ」
 古泉は、顔についた泥を払いもせず、にっこりと頷いた。
 
 さて、俺たちはニューギニア島に足をつけ、この通り作戦行動を展開している。
 目指すは、島南東の要地ポートモレスビー。攻略目標が、そのまま作戦名になっている。通称はスタンレー作戦だ。
 目的地がどういう場所かは、残念ながら一兵卒の俺には全くわからない。まあ、直接見に行けばいいだけだ。
 
 そんなこんなで前線に辿り着いた俺たちSOS団は、休む間も無く次の指示を出された。
 敵部隊を迂回して、包囲殲滅するとのことだ。
 鬱蒼と生い茂る草木を掻き分け、前へ前へと体を押していく。俺と谷口で先頭を突き進む。
 前面に照りつける太陽が眩しい。暑い。いっそのこと脱いでしまいたい。
 それにしても、どこを見ても草ばかりだな。方向感覚が全く掴めない。
「長門、こっちで合ってるよな?」
 頷きを返答とする長門。
 お前がいなかったら、とっくに迷っていたかもしれない。SOS団発足当時から、感謝しても
しきれないほどの活躍だな。
 
 長門の指示通りに進んでいくと、次第に銃声が大きくなってきた。
「ここから先は戦闘区域。総員戦闘配置」
 淡々と宣言する長門。あれ、それはハルヒの役目じゃないのか?
 少し進んで、適当な叢に隠れる。
「ハルヒ、指示頼むぞ」
「任せなさい!
 ……、今よ! 一斉射撃!」
 引き金をカチリと引く。弾が散らばる。
 敵の姿は微かにしか見えない。まだ近づいてはいないな。
「豪軍が退却を開始した。追撃戦に移行」
 長門の言葉を聞いてから、俺と谷口が同時に飛び出す。
 しかし、えらくあっさりしているな。濠太剌利軍というのは、こうも簡単に逃げるものなのだろうか。
「つい、激戦になっちまったな」
 谷口、言葉の意味がさっぱりわからない。
 
 それから軽い衝突があったものの、これといった被害も無く敵は逃げていった。
 夕陽が空を紅く染めている。
「豪軍も大したこと無いわね!」
 手頃な大きさの岩の上で、夕陽を背に仁王立ちをするハルヒ。
「明日から登山だから、今日はしっかり休んでね」
 登山か、すっかり忘れていた。
 それにしても、こんなところに来て山登りをさせられるとは、何とものんきな話だ。
 俺は、南に連なるいくつもの三角に冷ややかな視線を送った。
 
 登山といっても、俺は大層な覚悟などしていなかった。
 どこの誰が、何日もかけて登る山だと想像しただろうか。実際は、背負っている荷物が重いゆえに、
余計に時間がかかるだけなのだが。
 結局、四日後にようやく峠へと辿り着いた。
 無理のない進軍速度ではあったものの、山の斜面は予想以上に酷なもので、登りきる頃には
足が悲鳴を上げていた。
 さらに、二倍ほどの高さはあろう山が隣に聳え立っているから、達成感も何もあったものじゃない。
 だが、一人だけ疲れを知らない超人がいた。
「見て! すごい景色が広がってるわ。
 みんな早く!」
 お前は子どもか。いや、誰がどう見てもちびっ子だ。性質の悪い餓鬼だ。
 ハルヒに引っ張られて崖に連れられる。
 どこまでも続くような緑と、それをくりぬいたように一部分だけが白くなっていた。
 その先には、群青色が延々と。
「あの辺りがポートモレスビーよ! もうちょっとね」
 どこがもうちょっとだ。
 どれだけの森を越えねばならんか、もう一度見てみるがいい。途中に小高い山があることも、だ。
 
 そこから一週間ほどかけて密林を踏破し、最終目標のポートモレスビーまであと少しのところまで迫っていた。
「これより、豪軍前衛基地のイオリバイワに進軍します!
 敵を捕捉するまでは縦隊で、交戦状態に入ったら散開隊形よ!」
 イオリバイワ? 何が何だかもうわからん。
 こういう風に元気に話すのは我らが団長だけで、俺たちの頭上には見えない雲が覆い被さっていた。
 この疲労感、普段行う訓練の比ではない。谷口に至っては座らせてしまったら最後、
石のように動かなくなりそうだ。
 もしこの場に他の部隊がいたら、だらけることすらできなくなってしまうわけだが。
「みんな構えたわね。全軍前進!」
 ハルヒの叫びが、辺りに虚しく響いた。
 
 それから二日ほどは、南国の木々でつくられた森の中で、ひたすら敵との遭遇戦を繰り返した。
 銃声が響くたびに体が痙攣する。なぜかって?
 どこから敵が来るかがわからない。奇襲されては即座に対処できない。撃たれてしまえば一巻の終わり。
そういうことだ。
 朝比奈さんが縮こまって動かなくなってしまったり、谷口が転んだ瞬間に銃弾がやつの頭上を掠めたりと、
とても日常では味わえそうに無い光景が広がっていた。
 思い出としては愉快なものかもしれないが、直面している間はとても楽しめそうにない。
 
 そうして、明くる日の朝、ようやく前方の視界が開けた。森を抜けたのである。
「本部から連絡! 午前九時より一斉攻撃とのこと!」
 国木田が柄にも無く叫ぶ。ストレスが溜まっているのだろうか。
「みんな、それまでここを死守するわよ!」
 その前に、俺たちの命を死守しなければならんぞ。
 
 敵との衝突も無く、予定時刻を迎えようとしていた。
「五、四、三、二、一……、全軍突撃!」
 ハルヒの掛け声と共に、襤褸を身に纏う俺たちが走り出す。同時に、辺りを包むは突撃ラッパ。
 訓練通りの継続躍進。だが、訓練にこれほどの疲れは無かった、と思う。
 反撃の銃弾をかわしつつ、少しずつ前へ進んでいく。地を這って進む。
 時折、右側から一際大きな衝撃が来る。古泉の迫撃砲だ。いつもは全身を震わせるその響き、
今日は俺たちを奮わせる。
 それを後ろ盾に、俺たちは終わりの見えない終着点へ向かって、一心不乱に歩を進めた。
 
 SOS団が所属する中隊は、一日かけて小高い丘の敵陣を占領した。
 翌日には、他の部隊と協力して全土を占領。
 イオリバイワとやらを手中に収め、ポートモレスビーは手の届く範囲に来ていた。
 そう思っていたときだった。
「大変よ! 倉庫の食料が一つも残ってないわ」
 ハルヒがこちらに走ってきたかと思えば、こんなことを口走った。
 なんだ? そんなに肉が食べたかったのか? お前も食い意地の張るやつだな。
「無いものは仕方ないだろ。おにぎりで我慢しておけ」
「バカなこと言わないで!」
 銃弾のように勢いよく飛ばされたハルヒの怒号が、待った無しに俺を威圧する。
「ここの食料を目当てに進軍してきたの!
 補給だってまともに機能していないのよ! あんたわかってる!?」
 焦りと憤りを思いっきり顔に浮かべて、ハルヒはそう叫んだ。
 ここで初めて、俺は日本軍の実情を知った。
 浅はかだった。
 確かに、ここ最近は弾薬の補充が無いと思っていたさ。しかし、まさかそこまで深刻だったとは、
今まで頭の片隅にも考えなかった。
「落ち着け。まず、これからどうするかを考えよう。な?」
 狼狽しているのは俺だってのに。
「これから? そんなの、さっさとポートモレスビーを獲りに行くしかないでしょ!
 他の部隊にはケガ人だっているんだから、そこで早く治療してあげないと……」
 そう言いかけて、ハルヒは後ろを向いてしまった。小刻みに震えている。
 俺はどうすることもできなかった。
 これまで惰性で進軍して、突然とんでもないことを突きつけられたのだ。
 部隊全体の存続に関わる問題だけに、ある意味結核の発見よりも辛い。
 俺たちは、ここまで文字通り必死にがんばった。それなのに、それなのに。
 容赦なく降りかかってしまったこの仕打ちは、俺たちの戦意を挫くのには十分過ぎた。
 
 翌日から、星印の飛行機が上空を飛び回り始めた。置き土産よろしく爆弾を落としていく。
 しかし、その黒い物体が俺たちに降りかかることは稀だった。どの機体も、俺たちを通り過ぎて
後方を潰しにかかっていくのである。
 おかげで、ただでさえ脆弱な補給線は崩壊寸前だ。
 
 そんな折、国木田からある宣告が下された。
「連隊本部、並びに第十七軍参謀本部から連絡が来たから、その内容を伝えるよ」
 廃墟の横で円陣を組んで座っている中、国木田は細々と語り始めた。
「まず援軍だけど、ラバウル基地の航空隊は全部ガダルカナル方面に回して、こっちにはこないんだって」
 国木田が今にも泣きそうだ。目が潤んでいる。
 その姿を見て、思わず涙をもらいそうになる。
「それで、補給が続かないから僕たちを含む南海支隊は全面撤退、とのこと」
 南海支隊か。久しぶりに聞く名前だな。
 再度補足しておくが、俺たち歩兵第四十一連隊が臨時で所属している部隊だ。
「で、で、で……」
 連絡事項を言い切る前に、国木田は言葉を詰まらせてしまった。
 慌てて駆け寄る俺と谷口、あと古泉。
「国木田、無理しなくてもいいぞ。
 無理のない調子で言えばいい」
「キョンの言うとおりだ。
 それともなんだ? 俺の裸踊りが恋しくなったのか?」
「国木田くん、まずはゆっくり深呼吸から。
 落ち着きました?」
 三人が、それぞれの方法で国木田を宥めようと試みる。
 
「……、うん。ありがとう」
 国木田は、ゆっくりと顔を上げた。
「じゃあ言うよ。みんな驚かないでね」
 一瞬の間が空く。思わず固唾を呑んじまった。
「第〇七〇七小隊、いやSOS団が、最後までここに残れ、だって」
 俺も、他の全員も、一瞬にして言葉を失った。
 溜まった疲れが全身を襲う。何も言えない。
「なんだそれは! 俺たちに死ねって言うのかよ!」
 谷口が立ち上がって声を荒げる。
「谷口くん、冷静になってください。
 暫くの間は盾になれ、としか言われていないでしょう?」
 今にも暴れそうな谷口を、古泉が体を張って引き止める。
「そう! 古泉くんの言うとおりよ!
 こんなところで死んだら、それこそ敵の思うツボだわ。しぶとく生き残ってやるのよ!」
 先ほどの暴露の後にも、少しも動揺することなく話すハルヒ。いつの間にか、お前も大人になったな。
 いや、ここまで平静を保てるのもおかしな話じゃないか?
「わかったよ。隊長様がそういうなら仕方がねえな」
 谷口も、感情をある程度抑えることができるようになったようだ。
「こうしちゃいられないわ。すぐに陣地を立て直すわよ!」
 俺たちが辛うじて団体を維持できるのも、殆どこいつのおかげなんだろうな。涼宮中尉。
 
 せっせと陣地構築を進めて防衛体制を整えたが、暗い森の中から敵が顔を出すことは無かった。
 それからも一週間かけて順調に転進が進み、あとは俺たちを残すのみだ。
 ちなみに、転進とは撤退を美化したものである。負けているという事実を、国民にばらさないための処置らしい。
 現場の俺たちにとっては迷惑なだけだ。
 
「敵が接近している。すぐに撤退するべき」
 この日の昼頃、長門の言葉で俺たちは動き始めた。
 余力を振り絞って準備を進め、夕方までに態勢が整ったわけだが。
「出発するわ! 目的地は、峠の陣地を超えた先にある後方拠点よ!」
 ハルヒは遥か西を指差しながら、張りのある声を響かせた。
 この状態においても、あくまで気丈に振舞うハルヒ。
 その笑顔が見ていられない。泥だらけの俺たちには眩しすぎる。
 
 それから足を引き摺って目的地を目指し、月を跨いで十日ほどで到着した。
 峠を再び越えるとは思っていなかっただけに、この行軍は俺を隅に追い詰めた。ちょっとは休ませてくれよ。
 その後の二週間ほどは、戦いも無く後方の物資輸送に従事していた。
 森の中を歩き、他の部隊に荷物を渡していく作業だ。
 なぜ、さっきまで最前線にいた俺たちがこんなことをしなければならないのか。そんなことを薄闇の中で考えた。
 だが、峠に残っている部隊のことを考えると、それは一瞬にして掻き消された。
 
 十月も終わりに近づいた頃、またしてもムチャな命令が下された。
「SOS団は峠の陣地に移動して、峠の部隊が撤退するまで駐留よ」
 疲労を顔一杯に露出したハルヒが、俺たちに淡々と移動を命じた。
「また山を登るのか?」
 わかっている。こんな質問が何の意味を持たないことぐらい。
「そうよ。みんながんばりましょ」
 声に張りが無い。誰だ、ハルヒから燃料を奪ったやつは。
 
 シレイに抗うこともできず、俺たちは再三の登山を終えた。かかった日数は五日。
 登りきった瞬間に倒れたくなったが、他の部隊がいるため座ることすらままならない。
 結局、到着するとすぐに持ち場に連れて行かれた。
 俺と谷口、長門と朝倉の二手に分かれて、陣地の最前線で哨戒にあたる。
 あとの四人は、すぐ後ろの陣地に隠れているようだ。
 目の前には彩度を失った森が続く。何も知らない空だけが、晴れ色を全面に広げていた。
 
「そこのみんな、夕食よ。監視は一旦止めていいらしいわ」
 ハルヒが、用件を無気力に伝える。
 元の世界だったら、閉鎖空間が世界を支配している頃だろうな。
 とぼとぼと陣地へ歩いていく俺たち。
 焚き火のある広場に足を踏み入れると、後方担当の四人に加えて、普段はいない人物が加わっていた。
「ち、中隊長殿」
 慌てて敬礼する俺たち四人。
「そう固くならんでもいい。まあまあ、こっちに来い」
 微笑を顔に浮かべながら、張りのある右手を上下させて俺たちを招く。
「今日は、お前たちに伝えたいことがあって来た」
 この瞬間、中隊長が真剣な面持ちで俺たちを見据えた。
 誰もが口を噤んでいる。
「余計なことは省くぞ。
 まず、最後まで諦めるな」
 全員、食い入るようにして中隊長を見ている。
「但し、これだけは覚えておいてほしい。
 俺も、前途あるお前たちにこんなことを言いたくないんだが……」
 束の間の後。
「生きて祖国の地を踏めるなんて、甘い考えは今すぐ捨てろ。
 その代わり、何があっても最後まで戦え。命がある限り、精一杯生きるんだ。
 俺もすぐに行く。靖國で会おう」
 誰も、何も言わない。だが、心強い。
 深い深い落とし穴で何年も待ち続け、やっと救い出されたような気分だ。
 みんなの表情が、少しだけ元気づいたのがわかった。
 俺たちは、誰かに激励してもらうのをずっと待っていたのかもしれないな。
 しかし、この台詞、どこかで聞いたことがある。
 
「きっさまっと おーれーとーーはー どうきのさーくーらー」
 何の前触れも無く、谷口が口を大きく開けて歌い始めた。これは軍歌か。
「「おーなじ へいがっこーぉのー にーわーにーさぁくー」」
 続いて歌声を響かせたのは、なんと長門だった。これには驚いた。
「「「「さーいた はーなーなーーらーー ちーるーのーーは かーくーごー」」」」
 俺とハルヒが追従する。
「「「「「「「「みーごと ちーりーまーぁしょー くぅにぃのーたーめー」」」」」」」」
 いつの間にか、みんなで声を張り上げて斉唱していた。
 肩を組んで、体を揺らして、一心不乱に歌い上げた。
 静寂の森の中、八つの歌声が絡み合う。
 
 結局、最後の五番まで歌いきってしまった。体が火照っているのがわかる。
 どの顔も、いつの間にか上陸したばかりの輝きを取り戻している。そんな気がする。
 俺の心を支配していた雲は、眩い光に紛れてしまったようだ。
 無言で敬礼する中隊長。俺も、すっと右手を額に添える。
 中隊長は、回れ右をして、闇に溶けていった。
 
 それから三日間かけて各部隊が撤退し、陣中はいよいよ静寂を露にしていた。
 辺りの木々は、風に揺られながら無知にはしゃいでいる。
 明くる日の朝、貴重な玄米を食べ終えたばかりの席で、煤けた服を纏う長門が口の結び目を解いた。
「今日の未明、敵の捜索隊に発見された。
 今すぐ撤退するべき」
 つまり敵が迫っているってことなんだが、今更これを聞いてうろたえるやつは誰もいなかった。
 俺に至っては、ようやっとこの場を離れて逃げられることに尋常でない喜びを感じていた。
「わかったわ。でもちょっと待って」
 みんなの顔がどことなく綻んだとき、ハルヒが重い口調で喋り始めた。
「いい? よく聞いて。
 みんな、ここまでの行軍で疲れきってるはずよ。だから……、今の内に必要でない武器は全部捨ててちょうだい」
 後ろめたそうに、だがはっきりと、ハルヒはそう言ってのけた。
 なぜこの台詞に抵抗があったのかと言うと、この発言は日本軍として大問題だからだ。
 俺たちが入隊したときから、ハルヒを含む上官たちから散々言われてきたことがある。
 軍靴から戦車まで、今所有している武器その他は天皇陛下から頂いたものだから、如何なるときも
失ってはならない。
 この考えが当たり前だった。そして、俺たちもこれに従順だった。理由はともかく、物資を大切にするのは
何ら間違っていないことだからな。
 つまり、今から実行しようとしていることは、明らかな軍律違反である。
 国木田辺りから反発されるだろう、俺はそう思った。
 だが、俺たちは日本軍である以前に、生粋のSOS団だった。
「よし! じゃあこの迫撃砲はさっさと捨てちまおうぜ!」
 ハルヒが澱ませた空気を真っ先に払いのけたのは、なんとなく予想していたが谷口である。
 それから谷口の言動を皮切りに、他のやつらも大型の武器を捨て始めた。
 俺も、これ見よがしに筒を崖下に投げ捨ててやった。
 
 全員が身軽になった後、俺たちは見慣れた道を下り始めた。
 不自然にできた砂利道を、黙々と進んでいく。
 この木々の先には、一体何があるんだろうな。
 
 翌朝、俺たちは山の中腹にある小さな陣地に到着した。
 穴を掘っただけのものだ。既に人はいない。
 本部からの指示により、俺たちはここに駐留することになった。
「なあキョン」
 俺の左で哨戒に当たる谷口が、こちらを向いて不意に口を開いた。
「なんだ?」
「俺たち、これからどうなるんだろうな」
 真顔でそんな質問をされると、どう返せばいいか迷うのだが。
「天に召されてサヨウナラ、だろうな」
 真面目に返答するのが馬鹿馬鹿しくなった俺は、思いついたことを適当に口にしてしまった。
 谷口は、物言わず俺の首を見つめている。
「元気出せよ谷口。お前らしくないぞ。
 そうなる前に、生きて帰るんだろ?」
 俺は、ひたすら陳腐な言葉を並べることしかできなかった。
 
「第十七軍からの連絡で、後方の一拠点に撤退とのこと」
 翌日、国木田の機械的な口調から、再三の転進が始まった。
 それから十日ほどかけて悪路を進み、溢れ出る感情を押し殺しながらもようやく拠点に到着した。
 だが、そこに人の気配は無かった。
 なんだ、俺たちは味方に騙されたのか? そう思っていたときだった。
「今来た通信によると、この先に川があって、その河口近くにある拠点まで撤退してるんだって」
 本当に騙されていたようだ。
 
 影を引き摺りながら、ひたすら拠点を目指す。だが、まだ川すら見えていないとはどういうことだ。
 陽が沈み始めた頃、俺たちは適当な更地を見つけて転がっていた。
 右を向くと、朝比奈さんが仰向けで伸びていた。髪に土がつきますよ。
 目を瞑り、ほんのりと茶色に焼けた両腕を斜め下に伸ばしている。こんな状況でなかったら、
気を失ったようにしか見えない。
 いつだったか役に立てないと嘆いていたことがあったが、そう思っているのは本人だけだ。
 朝比奈さんは、俺たちが戦っている後ろで食事の準備などの雑用を一通りこなしている。
 国木田と並んで、縁の下の双璧と言うべきか。
 弱音を吐かず懸命に仕事をする姿を思い浮かべつつ、額の汗をそっと拭ってやった。
 
 数日後、俺たちはようやくせせらぎを耳にした。
 目の前には恋い焦がれていた水が、大きな川幅を取って悠々と流れている。
「みんな! 昼間でここで休憩よ!
 泳ぎたい人は好きにしてちょうだい!」
 少し元気を取り戻したハルヒが、俺たちに向かってそう叫んだ。まさに水を得た魚だな。
 俺と谷口は一度視線を合わせた後、迷うことなく軍服を脱ぎ捨て、そして川の中へ足を突っ込んだ。
 冷たい水が、俺の皮膚に心地よく刺さる。
 何の躊躇いも無く水に浸かるなんて、一体いつ以来だろうか。
 水が岩に弾ける音を背景曲に、俺は水にとろけていった。
 
 さて、俺たちは容赦なく降り注ぐ光の下で、額に汗をしてせっせと木を運んでいる。
 これから川を下るために筏をつくろうってわけだ。
 学校の野外活動なんかでありそうな作業だが、そんなお気楽なものではない。
 これまで度重なる無茶な命令を受け、心身ともに底辺スレスレを滑空する日々である。
 こんな肉体労働の、どこに価値を見出せって言うんだ。
 
 結局、半日がかりで筏を完成させた。
 目の前には、茶色の小島が鎮座している。
 その両脇には、これまた木でできた櫂が我が物顔で寝そべっている。
「これなら百人乗っても大丈夫ね!」
 ハルヒは、腕組みをしながらそう頷いた。多く見積もっても二十人分の隙間しかないわけだが。
 まあそんなことを言いたくなるぐらい、大した完成度だった。今の俺たちにとっては、連合艦隊の旗艦ぐらい頼もしい。
 右を向くと、微動だにせず筏を見つめている長門がいた。髪の毛がそよ風になびいている。
 お前もそう思うか、長門。
 
 翌朝から、筏に乗り込んでのんびりと川を下り始め、その日の夕方には目標の対岸に辿り着いた。
 しかし、ここから先の道のりがわからなくなってしまった。てっきり一部の友軍が残っていると思っていたからだ。
 他全員も、俺と同じような考えだったのだろう。ここに来て、目標を完全に失ってしまった。
「長門、本隊がいる場所はわからないか」
 困ったときのなんとやら、俺は長門に頼み込むことしかできなかった。
 だが、俺が掴んだのは幻覚だったようだ。
「この近辺には存在しない。
 統合思念体との交信が断たれている今、遠距離の情報は特定できない」
 俺は、暗闇の中を逆さまに転落してしまった。駄目だ、何も見えない。
 
 先の見えなくなった俺たちは、取り敢えずこの場で一晩を明かした。けれども、これでは何の解決にもならない。
 そう思っていたところ、前方から見知らぬ人物が勇み足で歩いてきた。
 葉っぱの冠を頭に被り、腰には木の皮のようなものを身につけている。これは、間違いない。原住民だ。
 体格が俺よりもひと回り大きい。ここで暮らしていたら、いずれこんな頼もしい肉体になるのだろうか。
 身長ほどの槍を持った黒色の人物は、俺たちを見るや否や突然こちらへ駆けてきた。
 銃を向けるわけにもいかず、思わず右足を一歩退いてしまう。
「そうだわ! この人に道案内をしてもらいましょう!」
 ハルヒは、顔をぱあっと輝かせてそう言った。
 この様子を見て、ちょっとは驚いたらどうだ。
 
「どうやって案内してもらうんだよ」
 俺は、みんなが今考えているであろうことを代弁してやった。
「あたしに任せなさい」
 ハルヒは俺にそう言い残して、臆することなく招いてもいない来客に近づいていった。
 状況がいまいち掴めないが、ハルヒが身振り手振りで何かしている。
 おい! あれは煙草じゃねえか! どこで手に入れたんだよ。
 決着したのだろう、ハルヒは踵を返した。
「みんな! あの人に着いていくわよ!」
 あの間に何が起こったんだ。わかるやつは説明してくれ。
 
 数時間ほど歩いていくと、叢の奥に蠢く人々の塊を発見した。
 みな同じような服を着て、いや、こいつらどこかで見たことがあるぞ。
 偶然に偶然が重なる、俺たちは今まさにこれを体験しているのか。
「中隊長! 第〇七〇七小隊、只今戻りました!」
 元気一杯のハルヒの声で、予想は現実になって俺の前に現れた。
 俺は、もう何も言えなかった。
「今、俺は臨時で連隊長を任されている。
 先任が名誉の――」
 俺たちがいない間に、連隊本部も色々とあったようだ。
 
 思いがけず歩兵第四十一連隊に復帰した後は、二日ほどで海に近い中継陣地に辿りついた。
 そして、駐留を担当された部隊を残して、SOS団を含む連隊主力は舟で海沿いを進むことになった。
 目の前には、陽が暮れて色を失った海が続く。誰かが墨汁でも零したのだろうか。
 その黒に吸い込まれるようにして、俺たちは切り傷のついた大発動艇に乗り込んだ。
 
 敵との接触も無く、海岸沿いに航行して目標の拠点に辿り着いた。
 だが、孤独な旅路を乗り越えた俺たちに与えられたのは、休息ではなく新たな仕事だった。
 そういうわけで、俺たちは哨戒やら運搬やら掃除やら、とにかく雑務に追われているのである。
 
 今日の任務を終え、俺は夕食の席についた。石の椅子に空気の机、天井無しの開放的な空間だ。
 体を起こして待っているのが辛かったので、膝に頬杖をついて食事の時を待つ。
「みんな! 今日は豪勢に野鼠の丸焼きよ!」
 ハルヒの声と共に、どこからか焦げたような香りが漂ってきた。
「野鼠なんていつ捕まえたんだよ」
 黙っているのもなんだ、俺はハルヒに疑問をぶつけた。
「その質問を待っていたわ! 原住民の集落に行って貰ってきたのよ!
 純度完璧の真水だってあるんだから」
 満面の笑みを浮かべながら自慢げに話すハルヒ。
 まさかとは思うが、奪ったんじゃないだろうな。ハルヒのことだ、放っておいたら何をしでかすか。
 ともかく、今日は久しぶりにまともな食事にありつけそうだ。
 
 この会話だけを取り出すと、いかにも賑やかな会食に見えるかもしれない。
 だがこうして騒いでいるのはハルヒだけで、俺たち七人はひたすら聞き手に回るばかりだった。
 俯きながら鼠を齧っている朝比奈さん。激務の連続で疲れが溜まっているのだろう。
 左隣の古泉は、ひたすら無言でニヤけたままだ。喋れよ。
 こんな調子で夕食を取っているうちに、周囲の闇が次第に濃くなっていった。
 
 片付けと団員の安全確認を終えた後、これといってすることも無かったので、俺はさっさと茅葺きの寝床へ向かった。
 軍服を脱ぎ、下着だけの涼しい格好になる。
 その後すぐに男子全員が揃い、俺たちは床に転がった。
 
 おかしい。なかなか寝付けない。
 今日食った野鼠の影響だろうか。いや、いくらまともに食事していないからといって、そんなはずは無いよな。
 もっと概念的なもの、そうだな、第六感ってやつだろうか。俺の脳が危険信号を出している、気がする。
 突然、足先に寒気が走る。風邪でも引いちまったのだろうか。
 寝たいのに寝られない。隣で寝ている谷口でも起こすか? さすがにそれは気が引けるな。
 ああ、体が重くなってきた。これは本格的にまずいぞ。
 そうだ、古泉を呼ぼう。あいつなら、安眠を妨げたところで大した文句も言わないだろう。
「おーい古泉、起きてるか?」
 俺は、まずは様子見で、古泉がいるだろう方向に掠れ声で囁いた。
「起きていますよ」
 返答は、生温かい吐息と共に俺の頭上から降りかかってきた。
 
「古泉、なんだこれは」
 実態の無い木槌で頭を殴られてしまった俺は、先程よりも声量を大きくして、俺の腰の上に座っている
古泉に声をかけた。
「見ての通り、あなたの上に座っています。馬乗りですね」
 古泉は、さも常識を語っているかのように言ってのけた。
「どうして俺の上に座る必要があるんだ」
 駄目だ、思考が上手くまとまらない。俺が本当に訊きたい質問は、もっと他にあるはずなのに。
 だが、俺が新たな問いを吹っかける必要はこの瞬間に無くなった。
「あのですね、あなたを見ていますと、その、何といいますか、気持ちが抑えられなくなったんですよ。
 もう我慢できません。脱ぎます」
 息を荒げながら喋り、古泉は一通り言いたいことを言ったのだろう、上側の下着を勢いよく脱ぎ捨てやがった。
 ここまで俺はわりと平静を保っていたが、ようやく事態が尋常でないことを理解した。おい何のつもりだ。
 まずは逃げなければ……、しまった、両腕の付け根が押さえつけられているじゃねえか!
 古泉の鍛え上げられた筋肉に、俺は抗う術を失ってしまった。
 こうなったら仕方が無い。何やってもいいよな。
 後で上官に怒鳴られるのを覚悟して、俺は大きく息を吸い込んだ。
「んぐ」
 大声を出そうとした矢先、古泉に口を押さえつけられてしまった。
 代わりに左腕が自由になったが、満足に呼吸もできない今、はっきり言ってどうしようもない。
 最後の望みをかけて、俺は左手で古泉の腹を殴りまくった。だが力が入らない。
 四発目を放とうとした瞬間、最後の希望は古泉の右足で踏みにじられてしまった。
「安心してください。大人しくしていれば乱暴しませんから」
 そもそも、両手を押さえられている状態でどうしろってんだ。
 はあ、もうどうでもいい。降参だ。
 よく考えたら、殺されるわけじゃあるまいし古泉に何をされようとも別にいいよな。
 助けてもらえたらツイている、みたいな。その程度のことだ。
 こんな思考をしちまっている時点で、既に古泉の術中に嵌っているのだろうか。
 
 当の古泉は、器用に足だけで俺の下着を脱がそうとしている。足の指がちょっとくすぐったい。
「はい、手を挙げてください。バンザーイ」
 お前が無理やり俺の腕を動かしているじゃねえか。
 おい、布が俺の首にひっかっかっているぞ。苦しい助けて。
 耐え切れず頭を上げると、古泉があまりに力強く引っ張っていたため、下着は勢いよく俺の顔をすり抜けた。
つまり脱げちゃったのである。
 土で茶色くなった俺の下着は古泉の足先を離れ、円弧を描いて宙を舞い、谷口の顔面に着地した。
「くっせー!」
 谷口が、高電圧治療を受けたかのように飛び起きた。それと共に俺の下着が再発進し、二回転に成功した後、
国木田の寝顔に突撃した。
「うわあ!」
 国木田は一度飛び跳ねた後、助けてと言いながら床をのた打ち回っている。俺を助けてくれよ。
「なんなんだよ、ってお前ら何してるんだ?」
 眠そうに目を擦りながら、谷口が能天気な口調で俺たちに問いかけてくる。
 俺、助かったのか。そう思って安心した矢先。
「邪魔しないで下さい! 今いいところなんですよ」
 そう言ってから思いっきり俺に抱きつく古泉。暑苦しい止めてくれ。
 俺は、自由に動かせる首を必死に横に振って、谷口に意思表示をした。ついでに、古泉の肩に
頭突きをかましてやった。
 ようやく事態を理解したのだろう。谷口は国木田を無理やり起こして、二人がかりで古泉を引っぺがしてくれた。
「何するんですか! これからだって言うのに!」
 足をバタつかせながら、古泉は拘束を必死に振りほどこうとしている。
 見苦しいから止めてくれ。
「古泉、話の続きは医務室で聞いてやるって。だからこっちに来い」
 谷口に促され、古泉はトボトボと部屋を出て行く。
 一人部屋に取り残された俺は、一連のできごとに呆気に取られたままだった。
 あれは何だったんだ。夢の続きだろうか。
 俺は、どうしようもなく疲れが溜まっていたので、そのまま横になって目を閉じた。
 
「昨日は申し訳ありませんでした」
 SOS団男性陣で、青々とした海に向かって釣り糸を垂らしているとき、古泉がこちらを向いて不意に口を開いた。
「いいって。精神異常なら、俺も責めようが無いからな」
 振り向きもせず、俺は古泉に本心を晒した。
 少し木の竿を揺らしてみる。なかなか食いついてこないな。
「まさかこんなことをしてしまうとは。油断していました」
 横目で古泉の様子を見る。
 古泉は、力無く頭を垂れて、釣り糸の先を見つめ始めた。
 
 よし、今日の業務も終わりだ。俺と谷口は、海岸から炊事場まで競争した。
 目を輝かせて待っている俺たちに、一つ一つ丁寧に配膳される。
 目の前に現れたのは、黒ずんだ小さなヤモリだった。
 ま、わけのわからん草が出てくるよりはマシか。
 俺は頭から齧り付いた。三口で終わった。
 ハルヒが調達した、随分と透き通った水を口に含んでいると、朝比奈さんが俺の左にさりげなく擦り寄ってきた。
「この後、ちょっと話を聞いてもらってもいいですか?」
 朝比奈さんは、そっと俺の耳元で囁いた。少し寒気がした。
 またハルヒ絡みのことだろう。俺は大した覚悟もせず、朝比奈さんたちが使う部屋へと足を向けた。
 
 俺たちと同じような茅葺きの屋根。その中には、朝比奈さんが一人で鎮座していた。
 俺が光を遮っているので、表情はよく見えない。
「話ってなんです?」
 靴を脱いで正面に座ってから、当たり障りの無い問いで会話を切り出す。
「わたし、もう嫌です」
 朝比奈さんは、俯いたまま呟いた。開口一番、嫌です、か。
 これまでの様子からもなんとなくわかっていたが、やはり限界が来ていたのだろう。
「どうしてこんなに辛いの? ねえ、どうして!?」
 朝比奈さんは、突然俺の両肩を鷲掴みにして、俺の体を強く揺すった。柄にも無く取り乱している。
 そして、そのまま俺の前に崩れ落ち、うつ伏せで啜り泣きを始めてしまった。
 その姿を見かねた俺は、朝比奈さんの顔をそっと俺の膝に乗せた。軍服がじんわりと湿る。
 入り口から漏れる月明かりが、俺たちをぼんやりと映し出す。
「キョンくん、助けて、ここから連れ出して」
 両手で俺のズボンを握り締める朝比奈さん。
 俺は気の利いた言葉もかけてやれず、頭を撫でることしかできなかった。
 
 就寝までの空いた時間を使って、俺たち男四人は部屋の掃除をすることにした。
 しかし、どうしても作業が身に入らない。表面では落ち着いているように振舞っていても、頭は忙しなく
回転しているからだ。
 あんな朝比奈さんを見てしまったんだ。誰だって動揺するのが普通だろう。
 あの後、俺は部屋に入ってきた長門に朝比奈さんを任せ、逃げるようにしてその場を離れた。
 今更だが、もう少し居てやればよかったと強く後悔している。バカだ俺は。
 気晴らしに、外を出て空を見上げてみた。
 無数の星が俺を圧迫する。空との距離感が曖昧になる。
 俺も、いつかは夜空に飾られる存在になるのか。いや、宇宙の塵ぐらいが限界だろう。
 
 深夜、俺は金切り声を目覚ましに飛び起きた。
 こんな甲高い声を出せる人間なんて、SOS団にしかいないじゃねえか。
 寝ぼけている場合じゃない。
 妙に頭が冴えていた俺は、考えるよりも先に足を動かして、急いで靴を履いて部屋を抜け出した。
 
 実を言うと、部屋の中で声を聞いたので、厳密な方向がわかっていなかった。
 そのため、愚かにも俺は直感で走り出していた。
 草を踏み分ける音が、辺りに鈍く響く。
 勢い余って体が前に倒れる。痛い。平坦な場所で転んじまった。
 俺はすぐに体を起こして、砂を払うこともせず、ひたすら闇の中を走り抜けていった。
 空腹が体中に響く。
 
 走っていると、目の前に数人の日本兵を発見した。三人、いや四人か。
 彼らは円陣を組んでおり、その中には……。俺の予想通りだった。
「お前らあ!」
 俺は、誰彼お構い無しに思いっきり怒号を浴びせた。
 俺の声が届いたのだろう。朝比奈さんがこちらを振り向いた。
 ん、その奥にもう一人転がっている。あれは、長門!
「貴様! この徽章が見えんのか!」
 そう叫んだ人物の服には、平行四辺形の襟章が存在を誇示していた。
 黄地に、極太の赤い線が二本。左に寄った位置に、白色の星が一つ輝いている。つまり少尉だ。
 しまった。俺は後先考えずに突っ込んだのだ。
 階級を盾にされてしまっては、たかが一等兵の俺にはどうすることもできない。
「やめてや、ってくれませんか」
 俺は、恥を捨ててそいつに頼み込んだ。無言で腹を蹴られた。
 勢いよく地面に倒れて、その先には縮こまった朝比奈さんがいた。
 こんな画ってありかよ。情けなさ過ぎる。
 ああ、すぐ近くにいるのに。どうして、俺は大事なとき、こんなにも無力なんだろうか。
 俺を蹴った男が、朝比奈さんの釦に手をかける。
 こんなことをするようなやつだ。顔に艶があるところからして、どうせ士官学校を出たばかりの
口だけ野郎なんだろう。
 そんな屑にすら抵抗できないなんて。俺はなんなんだ。
 俺は、這い蹲って様子を見守ることしかできなかった。と思っていたが。
「ちょっとあんたたち! そこで何やってんのよ!」
 鼓膜が破れそうなほどの声を森全体に響かせたのは、俺が一番待ち望んでいたやつだった。
 余力を振り絞って体を回転させると、どっかの銅像みたいに仁王立ちしているハルヒが目に飛び込んだ。
まるで地獄の番人だ。
 対する兵士たちは、ハルヒを前に何も言わなくなった。いや、言えなくなったのだろう。
 単純なこと。ハルヒはやつらよりも階級が上だ。くだらん。
 ただそれだけのことなのに、一瞬にしてしおらしくなってしまった。ざまあみやがれ。
 こいつらは、最後まで口を開かずに帰っていった。カス少尉だけが、しぶとくハルヒを睨みつけていた。
 そして、ハルヒは長門、俺は朝比奈さんを負ぶって、往路を辿って部屋へと戻った。
 
 翌朝、重りがぶら下がった空気の中で朝食が配られる。また変な草かよ。
 俺はさっさと不味そうな草をかき込んで、味を感じる前に水でそれを押し流した。消化に悪いかもな。
 全員が食べ終わって片付けを始めたとき、俺は朝比奈さんに話しかけることにした。
 昨日は何も喋りたく無さそうだったからな。
「朝比奈さん、その、今日の雑草は一段と不味かったですね」
 俺は慎重に言葉を選んだ。核心を突くのはよろしくない思ったからだ。
 けれども、返答は無い。
 聞こえてはいるのだろう。その証拠に、朝比奈さんはこちらを向いている。
 だが、目に活力が無い。表情も、能面のように動かない。
「朝比奈さん?」
 俺はもう一度呼びかけた。やはり返事が来ない。
 朝比奈さんは、何も言わずに俺の前を去ってしまった。後に残ったのは、風で舞う砂埃のみ。
 俺の視界が濁った。
 
 この場で暫く蹲っていた俺だったが、ある大事なことを思い出した。
 長門は? 長門は今どうしているのだろうか。
 俺は駆け足で長門を探し、まだ炊事場に残っている長門を発見した。
「長門、心配してやれなくてごめんな。大丈夫か?」
 長門相手にまどろっこしいのは抜きだ。俺は、単刀直入に尋ねた。
 長門は、真夏なのに冷え切った瞳を俺に向けてこう言った。
「情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない」
 前置きが必要なぐらい、長門にとっても相当嫌なことだったのだろう。当たり前か。
「ああ。聞いてやるよ」
 俺は、微動だにしない長門の目をしっかりと見てから、はっきりと言ってやった。
「情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない」
「情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない」
「情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない」
 いやちょっと待て。これはおかしい。
 長門が、さっきから機械みたいに繰り返し呟くのである。
「情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない」
「もう止めてくれ!」
 耐え切れなくなった俺は、そう叫びながら長門を思いっきり抱きしめた。
「情報の伝達に……」
 ようやく、長門は自力で電源を切った。
「お前も辛かったんだよな」
 長門は、もう宇宙人製インターフェースなんかじゃない。一人の人間だ。
 どうしてそれを忘れていたのか。俺は長門に頼りすぎていたのだ。
 俺は自分の額にできた小汚い川をそのままにして、空いた左手で長門の頭を撫で続けた。
 
 それから一ヶ月ほどは、敵の襲来も内部事件も無く平穏に過ごすことができた。
 とは言うものの、SOS団に立ち込める空気が確実に分厚くなっている。俺に圧し掛かってくる。
 寧ろ、歪んでいると例えるのが適当だろうか。とにかくそんな感じだ。
 
 今更だが、ここには日本のような四季は存在しないようだ。
 雪も降らないまま、俺たちは異国の地で年明けを迎えた。
「みんな、あけましておめでとう!」
 薄闇の中、輪郭だけが浮いたハルヒが何やら叫んでいる。
 どんな状況でも気力十分、それがハルヒである。
 いや、そんなはずないだろ。こいつだって、人並みに悩み、人並みに落ち込むはずだ。
 それなのに、どうしてこんなにも溌剌としているんだ。
「みんな、こんなめでたい日なのにどうしちゃったのよ。
 もっと盛り上がらないと!」
 ハルヒの声が虚しく木霊する。聞いているこっちが辛い。
 
 ハルヒの献身的な働きかけによって、俺たちはどうにか新年を迎えることができた。
 それから二週間ほど経った頃のことである。
「今から重大な発表をする」
 そう切り出したのは、臨時で連隊長になった元中隊長だ。
 歩兵第四十一連隊は、出発前と比べると既に半数以下の人数になっていた。
 さらに、今こうして立っていられるのは、出発前の四分の一程度しかいない。
 俺たちは、文字通り死線を掻い潜ってきたと言えるのかもしれない。まだ終わっていないけどな。
「今朝、連隊本部から第十八軍司令部へ向けて、決別電報を打電した。
 近日中に、我々は敵陣に向けて最後の突撃を敢行する」
 あくまで感情を交えずに、粛々と事の次第を述べる隊長。
 
 ついにこのときが来てしまった。
 ちなみに、第十八軍司令部とあるが、部隊の再編によってニューギニアに派遣された部隊は
第十八軍の管轄下に入った。
 それと、決別電報とは、簡単に言うと部隊が終わることを伝えるものだ。
 つまり、玉砕だ。俺たちは死ぬんだ。
「詳しい予定は各中隊に追って連絡する。では解散」
 連隊の各構成員は何も言わず、散り散りに自分の部屋へと戻っていった。
 心なしか、彼らに元気が湧いているような気がする。まあ、こいつらは根っからの天皇信者だから、
何ら不自然ではない。
 もしかすると、この閉塞状態から早く解放されたいだけなのかもしれんな。それについては俺も同意見だ。
 だが俺たちは、そう簡単には死なない。死ねない。ハルヒがよしと言うまでは。
 
 入れ違いで第十八軍から撤退命令が届いたのは、その三日後のことだった。
 そして、誰もが万歳突撃を覚悟していただけに、当然ながら連隊内で混乱が生じてしまった。
 一番の問題は、傷病者の処遇についてだ。突き詰めて言えば、連れて行くか放棄するかのどちらかになる。
 重症患者の中には、自決したいがそれすらもままならないってやつまでいる。
 当然というべきか、緊急で連隊幹部の会議が始まったようだ。
 残された俺たちは、ひたすら決議を待つことしかできなかった。
 
 翌日、眩い朝陽の中、あちこちで味方の銃声が響いた。
 敵が攻めてきたわけではない。患者が処分を切望したからである。
 こうして、俺たちの撤退準備は厳かに進められた。
 
 その日の夜、重い荷物を担いだ俺は、他の兵士たちと共に指定の場所へ集合した。
 夕方から滝のような豪雨が降り続いているため、ただでさえ狭い視界が余計に心許ない。
 ほぼ全員が揃い、いよいよ動き始めると思ったとき、びしょ濡れの長門が俺に話しかけてきた。
「左前方に米軍集団を発見した。こちらには気付いていない」
 そう言いながら長門が指差す。
 その小さな人差し指に、容赦なく雨が降り注ぐ。
「長門、俺には何も見えないんだが」
 事実、その先には延々と漆黒が続いているだけだった。
「この豪雨なら問題ない。今すぐ撤退するべき」
 瞬きもせずに、じっと俺を見据える長門。
 表情こそ変わらないものの、俺にはそれが悲痛な眼差しに見えて仕方が無かった。
「まあ、もう少し待っていようぜ。すぐに動き出すからさ」
 俺は、無理に笑顔を作ってそう言った。
 このやり取りがあった直後に、連隊長の指示によって俺たちは闇の中を手探りに進み始めた。
 
 そろそろ三十分ほど経ったのだろうか。
 辺りは、依然吸い込まれそうな黒色ばかりだ。
 右手で木を伝いながら、終わりの無い逃避行を続ける。
 そのとき、俺の右手を何者かが掴んだ。いや、何かに引っかかったようだ。
 近づいても何も見えない。触ってみると、細い糸のような物が張られているのがわかる。
この固さ、蜘蛛の糸ではないだろう。
「ちょっと待ってくれハルヒ。ここに何かがあって、上手く進めん」
 俺は、先を行くハルヒをすかさず制止させた。
 俺の声を聞いて、鞄を揺らしながら駆け足で戻ってくるハルヒ。
「だらしないわね」
 
 各士官に支給された懐中電灯を照らしながら、俺への文句を垂れ流している。
 どうせ俺はその程度ですよ。そう言おうとしたが、この台詞はハルヒの言動によって遮られた。
「これ、電話線よ!」
 突然、ハルヒが飛び退いた。
 ぼんやりと映し出された顔は、少し目が泳いでいた。
「誰がここに電話線を架けたか、あんたわかってるの?」
 今の連隊には、電話線なんてものは殆ど残っていない。となると。
「敵の物に決まってるじゃない!
 みんな、いい? 位置がばれるから絶対に触っちゃ駄目よ」
 ハルヒは両手で握り拳を作りながら、俺たちに向かってそう叫んだ。
 こんな雨の中じゃなかったら、速攻で敵が駆けつけてくるだろうな。
 
 それからというものの、道中の至るところに電話線が敷設してあった。
 敵がいかに大規模な軍勢であるかが、一兵卒の俺にもよくわかる。
 ついでに、敵が豊かな物資に囲まれて進軍している、ってこともな。忌々しい。
 
 出発してから二時間が経過した頃、突如として俺たちを腐乱臭が包んだ。
 慌てて鼻を手で覆う。指の間から臭いが漏れる。
 行ったことは無いが、生ゴミの集積場に来た気分だ。
「なんなんだここは」
 鼻を摘んだまま、濁った声で長門に問いかける。
「ここは旧野戦病院の南に位置する。放棄された日本兵の死体が臭いの発生源」
 くぐもった声が返ってくる。見ると、長門も両手で鼻と口を覆っている。
 息が詰まる。吐きそう。早いとこ抜け出したい。俺はそう思うばかりだった。
 だが、我らが団長様は、俺とは全く違った思考回路をお持ちのようで。
「みんな! 死んだ英霊たちが守ってくれてるのよ!
 さ、がんばりましょ」
 ハルヒは顔を覆っていた手を振り解いて、俺たちに向かって必死に声援を送っている。
 どうして、どうしてお前はそう健気なんだ。寧ろハルヒらしくない。
 俺は、一度立ち止まって両手を合わせてから、再び見えない道を進み始めた。
 
 どうにか臭いから抜け出すことができた俺たちは、その後も夜明けまで慎重に歩を進めていった。
 早くこの島を脱出したい。しかし、それまでの道のりが果てしなく長い。腹立たしい。
 陽が昇り、気持ち程度の朝食を終えてから、連隊は少し速力を上げて進み始めた。
 辺りは、背の高い広葉樹が鬱蒼と生い茂っている。
 夜の間にあれほど俺たちを襲った雨は、いつの間にか完全に止んでいた。
 
 それから三時間ほど経ったとき、前方から連続した爆音が聞こえてきた。
 音はそれほど大きくないから、遠めの位置だろう。
 だが、この音は何だろうか。見渡しても、爆弾が炸裂している様子では無さそうだ。
「これは、重機の音ね」
 機関銃を両手に担ぐ朝倉が、前方の俺たちにそう言った。久々に口を利いた気がする。
「重機? どういうことだ?」
 いや、なんとなくわかるんだが、俺はどうしても誰かの説明を仰ぎたくなった。
「そうね、道路の敷設でもやってるんじゃない?」
 朝倉は、真顔のまま淡々と告げた。
 日本軍には重機と呼ばれるものは殆ど存在しない。つまり、敵が近くにいることを意味するのだ。
 そうなると、もう迂闊に動けない。
 先頭の連隊長もそれを察知したのだろう。
「先頭と合流して、円陣で待機しろとのことだ」
 そんな指示が、見知らぬ兵士から伝言形式で届いた。
 
 結局日暮れまで待機状態が続き、再び人工の明かりを頼りにしなければならなくなったときだった。
「これより、連隊を二つに分けて進軍する。第一、第二大隊は出発だ」
 闇の中で、連隊長が少し大きめの声で指示を下した。
 一応説明しておくが、大隊とは、連隊直下に位置する部隊だ。もちろん大隊長という補職も存在する。
 俺たちは第二大隊に所属している。すぐに行かなければ。
 昼間に寝たので、体力面では問題ない。けれども、いつどこで敵と出くわすかわからない夜の行軍は、
俺の精神を確実に蝕んでいる気がする。
 俺たちは斥候として先頭を担当されている。いっそのこと後続を置いていって、森の中を
当ても無く思いっきり走り抜けたい。
 
 薄暮の中を早足で進み、建設中の道路が俺の目に映ったときだった。
「あれ、敵じゃねえか!」
 谷口の声で全員が振り向く。その先には、薄闇に浮かぶ数人の白人が、既にこちらを向いていた。
 まずい、このままでは最悪全滅じゃねえか。
「ハルヒ、どうする?」
 俺は、情けないがハルヒに頼るしかなかった。
 ハルヒは、俺たち一人一人に目を合わせながらこう言った。
「まだよ。まだ動いちゃ駄目。
 有希以外は銃を向けないでね」
 俺が思ったとおりだ。ハルヒは表情一つ変えず、奇妙なぐらい冷静沈着に指令を出した。
 
 暫くの間、SOS団は初対面の外人との睨み合いを続けていた。
 もう一時間ほど経ったような気がする。それは無いか。
 これが夜明けまで続くのだろうか。そう思っていた矢先、星印の連中は静かにその場を去った。
 おいおい、これはどういうことだ。本隊まで連絡しに行ったのだろうか。
「今よ! 全軍前進!」
 待っていましたとばかりに、ハルヒが高らかに進軍を告げた。
 必死に道路を走り抜ける俺たち。後ろから、続々と仲間たちが着いてくる。
 ふと左を向くと、谷口が顔をくしゃくしゃにして走っていた。歯を食い縛る必要は無いだろうに。
 そんなこんなで、幸運にも無傷で敵の道路を横断できた。ここまであっさりと終わるとは、正直拍子抜けだ。
 
 それからも森に身を隠しつつ足を柔軟に動かし続け、敵と遭遇することも無く二日が経過した。
 今、目の前には荒れ放題の道なき道が広がっている。
 これまでは天然の獣道を頼りに行軍していたが、この先には道と呼べる地面が見当たらない。
 地面には大小さまざまな石が転がっており、その間には濃い緑色の雑草が生えまくっている。
さらに、背の高い木々が無造作に立ち並んでいる状況だ。
「なあキョン、あの草食えるかな」
 勝手に食ってろ。谷口の犠牲、無駄にはしないから。
「さあ行くわよ! ここさえ超えれば、後はどうにでもなるわ」
 空を切るハルヒのかけ声で、俺たちは意を決して足を踏み出した。
 
 悪路の中、実態のわからない終着点に向かって、一心不乱に歩き続ける。
 けれども一日では走破できず、ボコボコした地面の上で一泊することになった。
「朝比奈さん、今日の夕食はなんですか?」
 俺の声だけが虚しく風を切る。しまったやっちまった。
 あの暴行未遂事件からというものの、朝比奈さんは誰とも口を利かなくなってしまっていたのだ。
 俺はごめんなさいをしてからその場を去り、ハルヒの背中に声をかけた。
「ハルヒ、今日は何を食べるんだ?」
 返事が無い。あれ、俺の言葉は明後日の方向にでも飛んでいっているのだろうか。
「ハルヒ?」
 語尾を上げてもう一度問いかける。
「ない」
 後ろを向いたまま、ハルヒが呟いた。
「ない」ってなんだ? 俺が聞き取れていなかったのだろうか。
「すまん、もう一度言ってくれ」
「食料なんて無いわよ! 雑草でも食べたらいいじゃない!」
 ハルヒの怒声が俺の耳を劈く。慌てて耳を押さえる。
 直後、ハルヒは悲しげな目を俺に向けてから、俺の横を通り過ぎていった。
 
 翌朝、空気が澱んでいる中で俺たちは進軍を再開した。
 その空気で腹を膨らせながら、荒地を一歩一歩確実に踏みしめていく。
 そして、この日の夕方にようやく難所を突破した。
 達成感? あるわけが無い。
 というのも、この二日間であった被害は甚大なものだった。
 まず、食料が無い。それに加えて急勾配の行軍は困難を極める。実数はわからないが、
他の部隊でかなりの落伍者が出てしまったようだ。
 SOS団にはこれといった被害は無かった。それだけが唯一の救いだ。
 陽が暮れたので、溢れんばかりの窒素を頬張って、さっさと寝ることにした。
 
 翌日、生き地獄を突き進んでいた俺たちに、一筋の光明が刺さった。
「集落よ! 現地人の集落があるわ!」
 藁のような屋根を見て、目を輝かせたハルヒは一目散に走り出した。
 俺たち七人も、それに負けじと追従する。
 先ほど目に映ったあばら家に辿りついた頃には、既にハルヒが現地の黒人と交渉を始めていた。
 その夜俺たちの視界に飛び込んできたのは、丸焼けの野豚一匹だった。
 
 次の日から、俺たちは平坦な道をのろのろと進んでいった。
 なぜ急がないのか。答えはこうだ。急げないのだ。
 食料が無ければ、遅かれ早かれ餓死してしまう。そういうわけで、一人でも多く無事に生き延びるためには、
食料を探しながらの進軍が不可欠となった。
 捜索中に迷う可能性も考慮されたが、川がすぐ傍に流れる道だったため、その心配はすぐに潰された。
 
 そんな生活が始まった翌日のこと、俺たちはまたしても鼻がもげる思いをしてしまった。
 前方の地面を注視すると、蝿が集って見るも無残な兵士の遺骸が、物言わず転がっている。
 直後、強烈な吐き気が俺の脳天を襲う。
 ああ、俺もいつかはあんな風になるのだろうか。
 延々と絶望に苛まれそうになったので、俺は慌てて土から目線を逸らした。
 後からわかったことだが、この辺り一体に敷き詰められていた死体は、独断で撤退した部隊のものらしい。
 敵と戦ったような形跡は無かった。俺たちと行動を共にしていれば、いや、そんなことを考えるのはやめよう。
 
 空になった集落を発見したり、同じ第四十一連隊に所属する者の遺体を発見したりといろいろなことがあった。
 それでもSOS団内にこれといった被害は無く、二日ほどで川の河口に近い拠点に到達した。
 もちろん人はいない。だが、戦闘があった跡も無い。元々ここを利用していた部隊は、米軍に攻められる前に
さっさと退却したのだろう。
 その日はそこで宿を取り、それから二日後、生き残りは河口に集結した。
「第十八軍から連絡で、味方の捜索隊がこっちに向かっているとのこと」
 国木田が、通信機器を使って俺たちに助け舟を渡してくれた。
 ようやく帰れるのか。もう喜ぶ元気も無いけどな。
 他のみんなも、表情が少し緩んだだけだ。声を上げてはしゃぎ回る者はいない。
 上陸したのが八月で今が一月の末だから、半年近くニューギニアにいたことになるな。
 常夏の南国は、もううんざりだ。雪が恋しい。
 勝ち負けなんて、今の俺にとっちゃあ部屋の隅っこにあるホコリのようなものだ。
 
 夜が明け、国木田が言った通り、綺麗な軍服を身につけた友軍が固まってこちらへ歩いてきた。
 土に塗れた俺たちを素通りして、傷病者が集められたところに駆け出していく。
 SOS団を初めとする、正常に機能している各小隊には水と白銀のおにぎりが配られている。
 手渡されたその瞬間、一気に緊張の意図が緩み、俺は力なくその場に座り込んでしまった。
 視界の先には、穏やかな海が気ままに旅をしている姿が映った。
 いつかはわからないが、戦争が全て終わったときも、きっとこんな状態なんだろうなあ。そう思わずには
いられなかった。
 それから一週間かけて海岸沿いを歩き、小さな港に辿り着いてから、俺たちは海に浮かぶ城で順に運ばれていった。
 
 無事にラバウルまで輸送され、それからすぐに治療を受けることになった。
 歩兵第四十一連隊の内訳は、船に乗り込んだのが五百人程度。その内、外傷が無いものはSOS団を含めて
二百人ぐらいしかいなかった。
 出発時には五千人ぐらいいたはずなのに、いつの間にか零細部隊になっちまった。
 
 緊急事態が発生した。俺たち全員、ラバウルの療養所に強制入院させられたのである。
 事の発端は健康調査だった。
 俺たちSOS団は、順にマラリアの検査を受けていた。
 発熱すらないので当然引っかかるはずも無く、無事に検査が終わるかと思っていたのだが。
 先に検査を終えた男四人で待っていると、白衣の軍医にこう伝えられたのだ。
「失語症の患者を一人、言語障害かつ錯乱状態に近い患者を一人、さらに
躁状態の疑いがある患者を一人発見しました。あなたたちにも精神障害の可能性があります。
 早急に治療するため、本日より入院してもらいます。そのつもりで」
 どこかで見たことのあるような、均整のとれた顔立ちで艶やかな黒髪を二本に縛った女性軍医は、
粘土でできた俺たちの足場を潰しやがった。
 
 数時間後、男四人は土色の部屋に押し込められてしまった。畳の匂いが妙に鼻につく。
 八枚の畳が敷かれた和室で、右側には押し入れであろう真っ白の引き戸が立てかけられている。
 奥にある窓から差す西陽が、せっせと部屋を暖めている。
 俺たちは入り口で呆然と突っ立っていたが、それから仕方なく靴を脱いで、部屋の隅に鞄を置いた。
そしてその場に座り込んだ。
 誰も喋らない。何をしようともしない。
 文字通り地獄の戦線を掻い潜って生き延びたと思ったら、途端に病人扱いである。しかも精神病患者かよ。
 毎日忙しく動き回るのはこの上なく辛かったが、こうして窓際に追いやられるのも極端な話だ。
 誰か、早く俺たちを連れ出してくれ。
 そんなことを考えているうちに、陽はあっという間に暮れた。
 
 翌朝、それは唐突に起こった。
「あれ? 俺なんでこんなところで寝てるんだ?」
 眠い目を擦っている谷口がそう言った。どうせまた寝ぼけているんだろう。
 だが、明らかに様子がおかしい。谷口は、しきりに左右を向いてうろたえている。
「おいキョン! ここどこだよ!」
 そう言うや否や、谷口は弾丸の如く俺に飛びかかってきた。
「よせ谷口! 何のマネだ」
 意表を突かれてしまった俺は、碌な応対もできなかった。
「俺ら、昨日は石の上で寝たよな? なあ?」
 俺の腕を掴みながら、必死の形相で訴える谷口。
 何言ってんだお前、とは言えなかった。どう見ても本気で言ってやがる。
 俺が対応にあぐねていると、絶好の折に古泉が助け舟を出してくれた。
「これは、短期記憶障害でしょうか? すぐに診察室に連れて行かなければ」
 古泉が判断を下してから、谷口は俺たち三人がかりで引き摺られていった。
 
 結果から言うと、古泉の予想通りだった。
 短期記憶障害とは、新しいことが覚えづらくなっている状態だ。
 ここ最近の間に、不幸にも発症してしまったのだろう。
 俺は、今まで隣にいた友人が狂っていく過程を見てしまったことに対し、何も言葉をかけてやれなかった。
 焦点の合わない目。異様に噴き出した汗。
 一連の光景は、否応にも俺の脳内に彫刻されてしまった。
 
 谷口が個人部屋に隔離され、部屋で動く塊は三つだけになってしまった。
 やはり、雑談に興じようとする者はいない。かく言う俺も何も話したくない。
 だが、このままではさすがに時間の無駄ってものだ。というわけで、俺はある提案をした。
「古泉、国木田。指相撲でもするか」
 
 部屋の中心で、俺たち三人は右手を組み合っていた。
 三つの拳で作られた土俵に、三匹の力士が立ち並ぶ。
「では行きます。よーいどん」
 あっさりした古泉の掛け声に合わせて、三本の指が一斉にうねり始める。様子見、ってやつだ。
 誰もが指先を凝視して、一瞬の隙を窺っている。
 ふと、古泉の指がこちら側に動いた!
 俺は、すかさずそれを外側から絡め取る。古泉山は油断していたのだろう、脆くも土俵に倒れた。
「よし! 一、二、……」
 確実に固めることに成功した俺は、ゆっくりと数を勘定していく。
 古泉の親指が、見る見るうちに青白くなっていく。
 その時、国木田の小さな親指が俺の上に被さった!
 その外見とは裏腹に、重石のような圧力が俺の指にかかる。
「キョン欧州、敗れたり」
 ニタニタ笑いを浮かべる国木田。くそ、完全に虚を突かれてしまった。
 それから三つの肉塊が動くことは無く、あっさりと国木田の勝利が確定した。
「ああやっちまった」
 思わず声が漏れる。
「横綱昇進おめでとうございます」
 いちいち現実味を持たせるな。
「たまたま運がよかっただけだよ」
 左手で頭を掻きながら、国木田は申し訳無さそうに答えた。勝って甲の緒を締める、ってか。
 その後、汗が流れるほどの熱気は、窓から流れる風によって急速に冷めていった。
 
 次の日、俺たち三人にようやく外出許可が出された。但し建物の中のみだ。
 俺は、せっせと腕立て伏せをしている二人を尻目に、独りで部屋を抜け出した。
 もちろん、目的はSOS団全員に会いに行くことだ。谷口は、まあいいか。
 あの女医の話によると、女性陣は全員が個人部屋を使用しているらしい。
 大っぴらには言えないが、SOS団が入院に至った切欠だ、仕方あるまい。
 
 俺はところどころが黒くなっている木造の階段を登り、誰かは分からないがとりあえず一番手前の部屋に
入ることにした。
 黄色がかった茶色の扉の前で立ち止まってから、間隔を開けて三回叩き、それからゆっくりと押し開けた。
 中では、浅葱色の髪を持つ女性が、窓の桟に手をかけて外を眺めている。
 陽の光が、彼女を優しく包んでいる。
 扉を開ける音に気付いていないのだろうか、こちらを振り向こうともしない。
「朝倉」
 靴を脱ぎながら、軽い調子で朝倉に呼びかけてみた。
 すると、朝倉は体をゆっくりとこちらに向けた。長髪がふわりと揺れる。
「キョンくん」
 目に力の無い朝倉は、俺の足元を見てから数秒後、掠れ声でそう言った。
「どうした。俺が来るのが意外だったか?」
 俺は、いつぞやに言われたような気がする台詞を、そっくりそのまま返してやった。
 
「わたし、なんて駄目なのかしら」
 一緒になって外を見ていると、不意に朝倉が小声でそう言った。
 俺は、余計な返事をして朝倉の喋りを遮らないようにと、何も言わず朝倉の顔を見据えた。
「この世界に来るまで、こんな思いはしなかった。
 それなのに、今はとても自分が憎い。
 復活しただけで何の力にもなれない、そんな自分が嫌」
 朝倉は目線を外に向けたまま、読経のように口を動かし続ける。
 朝比奈さんといい、SOS団では自虐が流行っているのか? もしそうなら、今すぐ打ち止めにしてほしい。
「そんなことは無い。お前は、自分が思ってる以上に俺たちの役に立ってるから」
これは慰めでもなんでもない。
 だが、こんな言い方でいいのかと、後悔が心の端に引っかかった。
 俺は、とにかく傷だらけの朝倉を少しでも癒してあげたかった。そのために本心を口にしたまでだ。
「どうして、そんなに優しいの」
 今日初めて、朝倉は俺の顔を見た。
 
 そっと扉を閉め、俺は隣の部屋へ向かった。
 扉を開けた途端、地響きが俺を襲う。
 どうやら、部屋の奥から何者かが豪快に走ってきたようだ。
「ちょっと! 誰だか知らないけど勝手に部屋に入ってくるな!」
 俺だ、ハルヒ。ついでに言うと、ちゃんと扉をトントンしたぞ。
 
 ハルヒは、部屋の真ん中にドスンと胡坐を掻いた。下に響くぞ。
 俺も、その隣にある隙間にそっと座る。
「で、何の用?」
 右手の人差し指で膝を何度も小突きながら、不愉快そうな表情で俺に問いかけるハルヒ。
「お前のことだから、今頃一人で暇してるんじゃないか、って思ってさ」
「そうよ、その通りよ!
 いきなりこんな部屋に閉じ込められて、一体どういう神経してるのかしら」
 ハルヒはこちらに身を乗り出してきて、勢いよく話し始めた。
 大方予想通りだ。ハルヒが、こんな窮屈なところで満足できるはずが無い。
 ちょっと不満をぶつけ過ぎている気もするが。
「あんたもよ! せっかく部屋に来たんだから、何かしなさい。
 ああイライラするわ」
 お前はどこぞの公爵夫人か。ま、いつも通りなようでよかった。
「それから聞いてよ!
 毎日毎日女医がここに来ては、つまらない話を垂れ流すのよ。
 うっとうしいったらありゃしないわ」
 おいおい、これはちょっと喋り過ぎじゃないか?
「あの太陽だって! 毎日毎日」
「そこまでだハルヒ。俺は愚痴を聞きに来たわけじゃない」
 耐えられなくなった俺は、慌てて機関銃ハルヒを制止させた。
「何よ。ちょっとぐらい、どうってことないじゃない」
 口を家鴨みたいにするハルヒ。
 そう言われると、些か応対に困るのだが。
「よし元気みたいだなそろそろ出るとしようまたな」
 俺は、返答も待たずにそそくさと部屋を飛び出した。すまんハルヒ。
 なぜなら、喋っているときのハルヒの目が、猫のように爛々と輝いていたからである。
 手は、今にも俺を掴みにかかろうとしていたしな。
 思い出して、少し寒気がした。
 
 さて次は誰かな。といっても、二者択一であることに違いないのだが。
 深呼吸をしてから、俺は冷たい取っ手を捻った。畳の床が目に入る。
 部屋の右奥には、朝比奈さんが膝を抱えて蹲っている。体調が悪いわけでは無さそうだ。
「朝比奈さん、どうもこんにちは」
 以前話しかけたときと同じく、下を向いたまま反応しない。
 俺は、靴を揃えてから部屋に入り、すっと隣に座った。
「やっぱり、喋る気分じゃないですか?」
 微動だにしない。肯定と受け取っていいのだろう。
 
 あの女医を含めて、殆どの人間があの事件によって言葉を失ったと解釈しているが、俺はそう思わない。
 傍から見ていても、朝比奈さんは、これまで様々な悩みを抱え込んでいたように映った。
 そして、それぞれの苦痛は自分の存在価値に対する問いかけが根底にあるはずだ。
 これまでの言動から、俺はそう考える。
 自分の存在意義に疑問を感じていた矢先、あのような扱いを受けてしまった。
 詰まるところ、あのできごとは引き金に過ぎなかったのだ。
 そう考えると、矛盾点はどこにも見当たらない。我ながら、的を射た推理だと思う。
 もっとも、こんな議論を展開する必要が無い方が、よっぽど望ましいに決まっている。
 再び朝比奈さんを見る。依然俯いたままだ。俺を受け入れようとも、追い出そうともしない。
 さすがに、黙ったまま居座るのはよろしくないよな。
「もしも今すぐ日本に帰れたら、どうします?」
 こんなときだからこそ、夢のある話をしなければ。俺はそう思った。
「俺は、そうですね、まず家族に会いたいですね。
 家に帰って、妹と遊んで、母さんの手料理を腹いっぱい食べて。
 それから、そうだ、鶴屋さんのところにも顔を出しておきましょうよ。
 鶴屋さんの支援があったからこそ、俺たちはここまで無事に生き残ることができたわけですから。
 みんなに、会いたいですよね……」
 バカ野郎。俺が泣いてどうする。
 俺は、濡れた額を袖で拭ってから、ゆっくりと言葉を続ける。
「だから、絶対にみんなで帰りましょう。朝比奈さん」
 光の無い横顔を見据えてから、少し強めた調子で、俺は語りを締めくくった。
 朝比奈さんの顔が、少しだけ下に動いた気がした。
 
 赤みがかった光が、廊下の奥にある窓から差し込んでいる。
 床には、俺の細長い影がまっすぐに伸びている。
 さて、日が暮れる前に行くか。俺は、意を決して扉に手をかけた。
「おかえりなさい」
 何の前触れも無く出現した長門の囁きが、容赦なく俺の度肝を抜いた。あれ、ここが俺の家だっけ?
 考えすぎるのは止めよう。部屋に足を踏み入れる。
「夕飯の支度をする」
 そう言って、長門は小走りに部屋を出て行こうとした。いやちょっと待て。
 咄嗟の判断で、去りゆく長門の左手を掴んだ。
「長門、夕食なら炊事班が作ってくれるじゃないか。
 それとも、気分転換も兼ねて手伝いに行きたいのか?」
 俺は、思いついた仮定をそのままぶつけた。
 対する長門は、俺の言うことに対して首を傾げるばかりだ。一体どうなってやがる。
「お風呂が先?」
 いやだから風呂も、とは敢えて言わなかった。これ以上事態をややこしくはしないぞ俺は。
「それとも、」
「待った!」
 なんとか暴走を食い止めることに成功した。
 この台詞、どこかで聞いたことがあるかと思えば。
「長門、今のは新婚さんごっこか? お前にしちゃあ、なかなかおもしろい冗談だな」
 いつの間にこんな技術を身につけたんだ。斬新すぎて何も言えない。
 これこそ自立進化の可能性だ。それはないか。
 長門は、未だ俺から視線を逸らさない。遊んでほしいのだろうか。寂しかった、が正しいかな。
「その、まずは俺を部屋に入れてくれないか」
 俺の目の前に立っていた長門は、ようやく道を空けてくれた。
 
 一応座ってはみたものの、さっきまであれほど饒舌だった長門は、喋りだす素振りを見せない。
 辺りを見回してみる。物は何も無く、入り口のすぐ脇に真っ黒の大きな鞄が一つあるだけだ。
 恐らく、あの中に全ての荷物が整頓されて入っているのだろう。俺を含む男連中は、初日で
荷物を散らかしてしまったってのに。
 観察はそろそろ止めよう。
「寂しくなかったか?」
 静かに問いかける。
「寂しい、先日そのような感情を検知した経験はある。
 だけど、ここの女性軍医が頻繁に部屋にやってくる。今ではその心配は無い」
 そうか。そりゃよかった。
 長門のことだから、てっきり誰とも話せていないんじゃないかと思っていただけに、な。
「ところで、さっきのは何だったんだ?」
 俺は、頭の片隅にこびり付いていた疑問を、今の内に解消しておくことにした。
「一般的な夫婦の生活様式」
 じっとこちらを見つめたまま答える長門。いや、俺が訊きたいのはそういうことじゃなくてだな。
 まあ、いいか。ネタをいつまでも引っ張るのは寒いだけだ。
 窓をの外では既に陽が沈みかけており、空が群青色に染まっている。
「長門、夜になるしそろそろ帰るからな」
 特に問題無さそうだし、もう大丈夫だよな。
 俺は、右手を振って部屋を後にした。
 去り際、送り出しの挨拶が微かに俺の耳に入った。
 
 それから一ヶ月ほど、戦闘からはかけ離れた時間を過ごした。
 女性四人は知らんが、俺たちには完全な外出許可が与えられたので、退屈することはあまり無かった。
 週に一度はSOS団会議も行われた。単に顔合わせをするだけの集まりだったが。
 そしてとある朝、部屋に訪れたいつもの軍医から、こんな告知があった。
「まだ完璧とはいえませんが、現時点で全員の精神状態が安定しています。
 明後日、駆逐艦でフィリピンのミンダナオ島に行って、歩兵第四十一連隊と合流してもらいます。
 準備に怠りが無きよう、心構えを」
 そう言って、軍医は二束の髪を揺らしながら部屋を去った。
 もうこの女医さんともお別れか。
「フィリピンかあ。日本に帰らせろって話だぜ」
 いつの間にか復帰していた谷口が漏らした。全くその通りだ。
「前線から離れられるだけでも善しとしましょう。
 さて、早速準備をしなくては」
 古泉ってこんな前向き人間だったか?
 そんなやり取りをしながら、俺たちはのらりくらりと準備を進めた。
 
 予定通り二日後に、SOS団は小さな鉄の塊に身を寄せた。
 何の気なしに、鉄の甲板に上ってみる。
 あの辺がラバウルか。俺の手のひらぐらいに小さくなってやがる。
 右側を向くと、ニューギニア島であろう陸地が薄っすらと見えた。
 俺は、この世の地獄に向かって、静かに手を合わせる。
 太陽が、雲から半分顔を出した。
 
 

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最終更新:2009年08月12日 23:26