未来ってーのは柑橘系の香りがするらしい。
きっと纏めてしまえばそれだけの話。

 

 

六月三十日、茹だる様な暑さは夏の到来をこれでもかと声高に俺へ教えてくれる。
季節は初夏。とは言いながらも一週間の内に日本列島のあちこちでは真夏日がちらほら見掛けられたりと中々に季節感溢れる今日この頃である。最近よく耳にする地球温暖化とやらの影響だろうか。
冬の頃こそもっと温暖化を全世界的に進めるべきだなどと下らない事を内心思わないでもなかった俺だが、そのツケとでも言うべきか俺の疚(ヤマ)しい考えに天罰を下そうと空の上の何かが考えたのかは知らないが……シャツが肌に張り付くのは気持ち悪い事この上ないぞ。
ああ、馬鹿な考えは今日を限りで悔い改めますのでどうか太陽さんよ、ここらでのんびり長期休暇でも取ってみたらどうだい?
窓際後方二番目というポジションは、頼んでもいないのに日焼けサロンに通っているような、見事な日当たりでございましたとさ。
そんな見事な日本晴れ。俺はと言うと夏休みを迎える前に学生が避けて通る事の出来ない天敵、一学期末の定期試験への憂鬱さも相まって夏本番を待たずして既に完全夏バテモードである。
ま、いつだって半分ほどバテモードだったりするのだが。そこはほっとけ。

 

さて、幾つになっても死刑はゴメンって事で。
今日も今日とて、誰に命令された訳でもないのにDNAに刻まれた本能がそうさせるのであろうか、せっせと餌を巣穴へ運ぶ働き蟻の様に何も考えず部室へと足を運び……お、今日は俺が一番乗りか。珍しい事も有るモンだ。
部室棟は静かだった。テスト前期間という事でクラブ活動の類は全面的に停止となっている。当然、お隣さんも今日はお休みである。
学校側の配慮なのか……単に教師がテスト問題を創る時間が欲しいだけだと俺は見ているのだが、真実がどうなのかは知らん。
前述の通り部活動は原則全面停止となっている。にも拘らず俺が文芸部室へと来ているのはなぜか。勘の良い方、あるいは涼宮ハルヒという人間の人となりを多少なりとも知っている方なら説明は不要だと思う。
蛇足と知りつつも敢えて説明をするならば、学校側の言う事をはいはいと聞くようなヤツが団長であったりした場合、この学校非公認の活動団体は既に公認となっていた筈で。
テスト期間何するものぞと今日もSOS団の予定表には休みなど書き込まれてはいない。
ま、ハルヒ以外がこんな活動内容不定(不逞?)の組織を作り上げるとは思えないので、そこは致し方が無いのだが。
人の気配の無い静かな室内で一人溜息を吐く。ああ、抵抗せど、抵抗せど、我が暮らし、楽にならざり。
団長サマへの日々の涙ぐましい、常識的と言っても決して語弊は産まないであろう俺の抵抗は、さりとて本日まで一向に実った例(タメシ)が無い。諦めろって事ですか。そうですか。
椅子に座り、せめてもの現実への抵抗として数学のノートと問題集を開いてはみた。
しかし常日頃からきちんとノートを取る様な授業態度であったのならば俺の学業成績は前回の一学期中間試験の結果を引き合いに出すまでも無く、墜落寸前の低空飛行を続けてはいなかったりする訳で。
ノートは真っ白とまではいかなくとも、所々に日々の度重なる睡眠不足を何とか打開しようと試みた痕跡が残っていたり、有り余る時間を無為に過ごしてなるものかと俺なりに努力した結果とも言うべき秀逸なパラパラマンガが隅に蔓延っていたりと使い物にはなりそうにない。
……さりとてこのノートの隅、親の贔屓目を抜きにしても素晴らしい出来である。全国パラパラマンガコンクールとかが有ったら無難に入賞出来るな……と、現実逃避はこの辺りで十分だろう。
恥も外聞も無く言ってしまえば、教科書なり問題集なりを眺めてその内容が手に取るように理解出来る脳味噌の持ち主では、俺はまるでない。
数学に取り掛かるのは解読書(ノート)が無いこの状況下。結論として自己学習を諦めざるを得なかった。後は野となれ山となれ……と言う訳にもいかないのだが。
我が家では成績が小遣いに直接響いてくる制度を採っている為に、最低限赤点だけは回避しないと、俺はこの年齢でもって定期支給金無しといううら悲しい学生生活を送らなければならなくなってしまう。
貯金を切り崩すのには限界が有るんだ。どっかに諭吉さんを入れて上からポンと叩いたら二人に増えているようなポケットは落ちてないものかね。有る訳無いよな。
溜息。世界は今日も俺に厳しい。
仕方がない。明日にでも国木田に頼み込んでノートを借りるとしよう。
朝比奈さんは上級生という事でテストの範囲が違うから参考にはならず。長門は授業中にノートを取っているかどうかも怪しい。
では同じクラスかつ成績もかなり良いハルヒはと言えば、授業とはまるで関連性が感じられない意味不明の公式がかなりの頻度でノート上をのたくっていたりする。
一度無理を言って借りた事が有ったが、三次関数を説明する教科書のどこに第一宇宙速度を求める演算式が有ったのかと一時間近く頭を捻る羽目になってしまった前科がアイツのノートには有るので、これも却下。
古泉は進学クラスという事でやはり俺達とは授業内容が違う。
結論として、下校中に何か適当な食い物を奢る提案をして国木田からノート及びご教授を賜るのが毎回の定期試験における俺の定番であった。
学力如きで人の価値は測れないと言うのが持論では有ったが、だったら何で真価を見せられるのかと問われれば、しがない学生の身、特に何も出来ないのが実情だ。
ああ、学生生活ってのは楽じゃない。只でさえ俺はハルヒのお守りをして世界平和に一役も二役も買っているんだ。自覚は無いがそうらしい。
だったら、その辺りを考慮してテストの結果にも下駄を履かせては貰えないモノかね、まったく。
日本史の教科書を眺めながらそんな下らない事を考えていると、不意に部室の扉がノックされた。世は将(マサ)に下克上真っ盛り。光秀は本能寺の門をノックをしたりはしないだろう。はいはい、開いてますよー?

 

「なんだ、お前か」
これ見よがしに溜息を吐く。マイスウィートエンジェルが勉学に打ち込む俺に対して一服の清涼剤を提供してくれるのを期待していただけに、室内に入ってきた嫌味の無い微笑に肩透かしを感じてしまうのも無理からぬと言えよう。
決して古泉に非が有る訳ではないのだが。気分の問題だな。恨むのなら自分の性別を恨め、優男。
「人が入ってくるなり溜息だなんて、趣味が良いとは言えませんよ?」
「悪いな、朝比奈さんの登場を心待ちにしてたんだ」
古泉が長机の上に広げられた教科書を見つけて小さく頷く。
「なるほど。そう言えば定期考査は来週からでしたか。気分転換を欲するその心境は理解出来ますよ。学生の本分、お疲れ様です」
ソイツが椅子に腰掛けるのを待って、俺は口を開く。
「他人事みたいに言うな。お前だって超能力者である前に学生の筈じゃなかったか?」
それとも定期テストに一々怯える様な頭の持ち主じゃない、とでもこのニヤケ面は言いたいのかね。ああ、クソ。憎らしい、忌々しい。さりとてかなり羨ましい。
「いいえ……」
言いよどむ少年がいつになく焦燥した面持ちをしている事に、俺は気付いた。ニヤケ面がニヤケ面していない。
「いつもならば僕も学生のカテゴリ内で良いかと思われますが、どうも……『いつも』では現在無いらしいんですよ。学生である前に超能力者である事を強制されている様でして」
古泉の言葉に唾を飲む。何だ? また何か面倒事が発生してるってのかよ?
「閉鎖空間が三日前から発生しています」
いつもの回りくどさはどこへやら。単刀直入、徹頭徹尾まで無駄なワードが見当たらない。どうした、古泉。悪い物でも食ったか……って、イヤイヤ、ちょっと待て。
この超能力者の余裕の無さ……マジモンの非常事態?
「……三日前? どういう事だ? なんでそんなに長い事放置しておいたんだよ? お前らが仕事サボったら『ぼくらのちきゅう』がヤバいんじゃなかったのか?」
疑問文四連鎖。次はブレインダムドだな。そんな俺の言葉に、机に肘を突いて小さく息を吐く超能力者。
「いえ、サボっている訳では決して有りません。昨日学校を休んだのはその対策が理由ですし」
そう言や、姿を見なかったな。あんまり気にしてなかったが。
「端的に言いますと……この度出現した閉鎖空間が壊せないので、その対策会議に出席していました」
「そんなにヤバい神人が出現し……」
台詞は途中で止められた。コイツが人の話を遮るなんてそうそう有る事ではない。記憶を探ってみたが、矢張りと言うべきかそんな過去には思い当たらなかった。
「違います。逆です」
「逆?」
今一要領を得ない。何が逆なんだ? ヤバくない神人が可愛くて機関員全員が骨抜きとかそういうオチなら前に誰かがやってたぞ?
「貴方の想像は中々に愉快ですが……今回は本気で余裕が無いのでそういった話題は広げられません。分かり易く言うとですね……居ないんですよ、神人が」
「なっ……!?」
神人が居ないと言われて、いの一番に思い出したのは、いつぞやの橘に連れて行かれた佐々木の閉鎖空間だ。だが、今回の話は佐々木のモノではない。話しているのも橘ではない。
ハルヒの閉鎖空間で、対処を迫られているのは古泉だ。
「通常の閉鎖空間の処理方法は以前に見て頂いたと思います。つまり、涼宮さんの苛々の元を断つか、ないしは苛立ちの具象化である所の神人を僕ら超能力者の手で倒す事です」
一度しか見てはいないし、一年も前の話ではあったがよく覚えている。と言うか、あんなレアで非常識な体験は忘れようとして早々に忘れられるモンじゃないしな。
「その神人が閉鎖空間に居ない。だから閉鎖空間を崩壊させる事が僕達超能力者には出来ない。でありながら拡大を、こうして話している今、現在も続けています。最早、我々機関には打つ手が有りません」
なるほどな。神人を倒すのが仕事のお前らが、その仕事をさせて貰えない、って訳か……いや、全然分からんぞ?
「説明しろ、古泉」
俺の促しに微笑みの貴公子はその二つ名を丁重に返上して、口元に苦笑いすら浮かべず頭を振った。
「説明……したいのは山々なんですけどね。分からないんですよ、理由が」
「……マジか」
言いながらも、古泉の顔が冗談を言っている顔に見えない事だけは平時から鈍い鈍いと言われ続けている俺にも理解出来て。
「エラく、マジです。……分かるのはタイムリミットだけ」
「……タイムリミット?」
俺の問い掛けに頷く古泉。オイオイ、そういうのはあのサンタスティックな十二月でコリコリに懲りまくってるんだぜ。大概にしてくれよ、チクショウ!
「一週間後の七月八日の零時零分……七夕を境に、この世界は消滅するという事だけが機関の全会一致による結論です」
古泉は諦める事に慣れた中間管理職の哀愁を背中に浮かべ、そう言った。

 

七月二日、日曜日。週明けの明日より四日間の期末試験が開始される。当然ながら執行猶予最終日の今日、学生はテスト対策に追われる訳で、昨日今日ばかりはハルヒの奴も俺達の事を鑑みて恒例の不思議探索を取り止めにしてくれた。
何でも……団員から赤点が出たらSOS団の沽券に関わるとか何とか。その手の発言をする時に俺の方ばかりを睨む様に見ていたのは……まぁ、確かに成績がヤバいのはSOS団在籍五人の内、俺一人だけなんだが。
神様というのが確実に不公平であるなんてのは今更俺が言うまでも無いだろう。二物こそ与えないらしいが三物四物なら平気で与えるのは、一体どういう了見だよ。
なんて割に俺なんてのは一物すら怪しいぞ。忌々しい。ああ、忌々しい。忌々しい。

 

さて、世界が五日後に終わるなんて話を聞かされて、それでも試験勉強に集中出来るような奴は恐らく宇宙人な訳で。俺はというとごく一般的な地球人の類に漏れず、一向にノートへとは向かわない手の中でシャーペンをくるくると回していた。
しかしだ。世界の平穏無事の為、いわゆる普通の人間でしかない俺なんかに何が出来るのかと問われればそれこそ頭を捻るしかない。
ハルヒに接触する? いやいや、テスト勉強をしている筈の俺が連絡なんかしたりしたら、それこそ火に油を注ぐ事になりそうだ。
古泉からの連絡待ちか。はたまた何も出来ずに世界改変か。今回も流され体質の俺はひたすらに待ちの姿勢である。
実際そこまで焦ってはいなかったりするのも悠長にならざるを得ない一因だった。
ハルヒが憂鬱になるのは何か有る度の恒例とも言えたし、それに一々振り回される俺達って図もそれこそ今更、って感じだったからな。
ま、有り体に言ってしまえば今回も何とかなるんじゃないか、と少なからず楽観視していた訳で。しかし、それにしたって世界が終わる……ねぇ……。いつもながら、スケールでかいぞ、ハルヒ。
俺みたいな小市民にとってアイツが引き起こす何やかんやは、規模がでか過ぎて現実感に欠けるんだよな。
もう少し……こう、等身大とでも言えば良いのか。ご近所商店街の危機に立ち上がる高校生! みたいなイベントにして頂けたら、などと考えるのは真実俺が小さい人間なんだろう。自覚はしてるから、ほっといてくれ。
ごく普通の学校に行ってごく普通の高校生をやっている(私的には)筈なのに、放課後の部活動で「世界の危機です」なんて言われんのはマンガやアニメじゃないんだよ、全く。
いい加減にしてくれ。
俺は正義のヒーロー変身用のゴーグルもバックルも貰った覚えなんかこれっぽっちも無い。巨大化も出来なきゃ、秘密兵器の一つだって自宅に隠し持っちゃいない。
こんなんで「貴方が鍵です」とか言われても……俺じゃなくったって首を捻る筈さ。
しかし、だからと言って古泉の表情が緊急事態のそれだったのは疑いようは無く。
ああ、そうだ。あのいつも笑っているカーネルサンダース人形みたいな男の、柄にも無い焦燥っぷりも気にならないと言えば嘘になる。アイツは余裕綽々で気持ちの悪い微笑を浮かべているのがデフォルトだ。
そんな変態が……微笑の欠片すら見せなかった。つまる所、真実、非常事態なんだろう。余り考えたくは無い類の案件ではあるものの、頭の片隅を占領して離れない以上それを置いておいたままに勉強なんざ出来る脳味噌の余裕は持っておらず。
「……仕方ねぇなぁ……」
溜息が零れる。俺は元素記号と睨めっこするのを諦めてケータイを手に取った。アドレス帳から目的の名前を探す。
テスト勉強に集中する為だ。小事の前の大事。俺の成績が浮上する素振りすら見せないのはハルヒ他の所為にしてやろう。責任転嫁は言われんでも分かってる。
「……」
ワンコール目すら待たずに電話が繋がった。電話に出たら「もしもし」くらい言うように今度教えておこうと考える。が、取り敢えずそんなのは後回しだ。
「……」
「長門か? 俺だ」
「……何?」
無機質で抑揚の無い声が聞こえてくる。いつだって俺達のピンチを救ってくれたSOS団の万能選手。すまんな、また頼らせて貰う。
「話が有る……今、何時だ?」
「十時二十六分三十二秒」
秒までは要らないが……これも長門の個性だと思い、優しい俺はツッコミを敢えてスルー。
「分かった。なら、十一時に駅前に来てくれ。話が有る」
「……そう」
「悪いな、休日に」
「気にしていない」
だろうとは思っていたが。コイツの休日の過ごし方を聞いた事は無いが、自室でじっとしているか、読書しているか、図書館に行っているかの三択でほぼ間違いはあるまい。
今度……遊びにでも誘ってやるかね。……ま、この事態が終息したら、だけどな。
「昼飯まだだろ? 飯くらいなら奢らせて貰う」
「……そう」
「用件はそれだけだ。それじゃ、後で」
さよならも、またねも無く、通話は切れる。宇宙人は挨拶に必要性を感じない。知ってるさ、そんな事。

そして……アイツはそれだけじゃない事も。
不言実行、宇宙人は背中で語るってか。まったくいつもいつも申し訳無いが……それでも。小さい身体に百万馬力。頼りにさせて貰うぜ、長門。

 

玄関を出ると表にタクシーが停まっていた。その脇に超能力者が佇んでいる。
「張ってたのかよ。趣味が悪いな」
「そう言わないで下さい。これも仕事の内ですので」
「生憎、タクシーを使うような金銭的余裕は無いぞ」
軽口を叩くと、ソイツは苦笑した。
「このタクシーは後払いなんですよ」
古泉は後部座席へと続くドアを俺に向けて開き、迎え入れるように手を広げる。
その流れるような仕草に、ホテルのベルボーイなんかがコイツの天職ではないかと勘違いしそうになった。が、言われるままに車に乗り込む事に抵抗を感じてしまうのは減点だな。
「そうですね……支払いは『この世界の継続』で代えさせて頂くというのはいかがです?」
「ちょっと高く付き過ぎやしないか?」
「いえ、妥当でしょう」
押し問答をしていても埒が明かないし、エアコンの効いた車内は抗い難い誘惑だったのも確かである。俺は車に乗り込んだ。

 

「どこまで行くんだ、古泉?」
「貴方と共に。行ける所まで」
俺達は火遊びを企む中学生の悪ガキみたいに顔を見合わせてニヤリと笑った。
お? ようやく、調子が戻ってきたみたいじゃないか、超能力者。

 

「新川さん、なんか……すいませんね、ハルヒの奴が」
運転席の初老の男性は少しだけ笑った。
「いえ、お気になさらずとも結構ですよ」
車は静かに加速する。揺れが少ないのはドライバーが良いのか、車が良いのか。多分、両方なんだろう。
「先ずは駅前でお願いします。長門……同級生と待ち合わせをしてるんで」
「了解しました」
口をつぐんで流れていく景色を見ていると、古泉が声を掛けてきた。
「長門さん、ですか」
「ああ、この手の事態はアイツ抜きで話す事は出来んだろうと思ってな」
「……確かにそうですね」
言って古泉は顔を俯かせる。何だ? 何か不都合でも有るのか?
「いえ、不都合ではありません……ただ……」
「ただ?」
「既に機関は彼女達に相談したんですよ」
彼女「達」……情報統合思念体の事か。なるほどね。俺が考え付くような事は既に実践済みってか。そうだろうよ。
「貴方を卑下するつもりは有りませんが、仰る通りです」
でありながら、機関が未だ動いている以上、対処はおろか有益な情報すら引き出せなかった、って事か。……まぁ、いい。
「現場百回、って言うしな。取り敢えずは心当たりを回って見ようぜ、古泉」
「ですね……僕らが気付けなかった事にも、貴方なら気付けるかも知れません」
それは無いな、と思いながらも口にはしなかった。言った所で、何がどうなる訳でもないと考えたからだ。

 

駅前に着くと、既にそこには長門の姿があった。広場の片隅の日陰で座るでもなく佇む、その姿は今日も今日とて制服である。
「よ、待ったか?」
「……そうでもない」
「そっか。腹とか、減ってないか?」
「平気」
うーん、確かに空腹宇宙人とかはちょいと想像が付かないが……でも、コイツ普通に食事するしな……要らないってんなら別に無理強いはしないが。
「用件は?」
「あ……ああ、そうだったな……っつっても具体的にどうするかとかは考えてないんだが」
とは言え、こういった事は俺が考えるよりも他に適任が居る。俺は振り返った。
「古泉、どうする?」
「……そうですね……取り敢えずは閉鎖空間にご案内しようかと考えていますが」
閉鎖空間……ね。コイツ等超能力者のフィールドか。ま、現場百回と言った以上、妥当な選択では有る。
「実物を見ても何が分かるとは思えませんし、長門さんは三日前にに引き続きという事になりますが……申し訳有りません」
「構わない」
液体ヘリウムばりに冷たい瞳を揺らす事無く言う長門。三日前……古泉が学校を休んだ日か。二十九日だったな。
「お前……俺に相談するより先に、長門にはちゃっかり相談してたのかよ」
「先程も言いました通り、僕達に分からない事でも情報統合思念体ならば分かると思いまして」
抜け目の無い奴だ。しかして、確かに俺よりも数段この宇宙人少女の方が頼りになるという事は認めないでもないさ。どうせ俺は普通人ですよー。
「いえ、貴方も頼りにしてるんですよ?」
どうだか。お世辞は程々にしておけ、古泉。
「世辞ではありません。ただ、貴方に頼るのは出来れば最後にしたいんですよ。言わば切り札(ジョーカー)ですね。……超常現象への対応は、超常現象の顕現……僕らの様な人間がやるのが筋だと思いますし」
ちらりと古泉の視線が俺の隣へ刺さる。その先に居るのは宇宙人製有機アンドロイド。……僕ら……つまりは超能力者や宇宙人、未来人の領分って事かい。
「貴方は……ご自分でも仰られた様に普通の人ですから」
そう言って古泉は踵を返す。俺は長門を連れてその後を追った。
新川さんの待つタクシーへと歩を進める男の背中に声を掛ける。
「朝比奈さんは? この件に巻き込まなくても良いのか?」
「その必要を認めたら、巻き込みますよ」
こちらを振り向く事も無く、悪びれもせず、ソイツは呟いた。

 

車から降り立った場所は、どこにでもありそうな学校の校門前だった。
「……ここ、か」
「まるで最初からここに来るのが分かっていたような口振りですね」
「ちょっとした縁が有ってな」
日曜でありながらグラウンドには部活動をする学生の姿がちらほらと見受けられる。
流れる汗。若人はこの灼熱の太陽の下であっても元気だ。俺だったら三千円積まれてもそんな苦行は御免被る。そんな枯れ果てたお兄さんの分まで駆け抜けろ、青春!
……五千円なら考えるな。どうやら俺はスポーツマンにはなれそうにも無い。なりたい訳じゃないが。
「ちょっとした縁、ですか。いえ、涼宮さんに関連しているのは知っていましたが、貴方も何かお有りで?」
東中学と書かれた表札を見て溜息を吐く。……さて、お気付きの方も多いと思う。俺達が降り立ったここは言うまでも無くハルヒの出身校、その校門前だ。
ちなみに谷口の出身校でも有るが……そっちはどうでもいいか。まかり間違ってもアイツが世界の危機に関係している事は無いと言い切れる。
普通人、一般ピーポー……なんか、懐かしい響きだと思ってしまう自分に自己嫌悪。どこで道を違えたのか。高一の春か。後悔先に立たずとは金言だな、全く。
「まぁな」
ハルヒの出身校。憂鬱な少女。七月二日。リミットは五日後の二十四時。七夕。うーん、何と言おうか……厄介事の臭いがぷんぷんするのは気のせいじゃ無いだろうな。
「これで何も気付かない奴は頭がどうかしてるだろ?」
「ふむ……どうやら、キョン君は僕達が知らない情報をお持ちのようだ。……貴方が動くと考えて僕を張らせた機関の見解は当たりですか」
少年が笑う。久方振りにコイツの安堵の表情を見た気がするが、残念ながら同性のそれには興味無いぞ、古泉。
「そうでもないな。肝心な事はまるで分からん。なんっつーか……『ああ、あの事件絡みか』って程度が分かっただけだ」
「十分かと」
「……そんだけ切羽詰ってる、って事か?」
「残念ながら、キョン君が仰られる通りです。どんな小さな手掛かりであっても……藁をも掴む、といった所ですよ」
古泉が俺と、俺の隣の長門に向かって手を伸ばした。
……欧米人なお前はどうか知らんが、純粋培養の日本人な俺にはシェイクハンドの趣味は無い。知ってるか? ここは日本だ。郷に入りては郷に従え。握手がしたいならヨーロッパにでも行って来い。
「いえ、閉鎖空間にご案内しようと思いまして」
「分かってる。冗談だ。流せ」
隣を見れば既に長門は古泉の手に手を重ねている。役得だな、超能力者。なんだか腹が立つから握る手に力を入れてやろう。喰らえ、ヘルズクロー!
「……怖がる必要は、有りませんよ?」
怯えて力を入れてるんじゃねぇっつの。……この野郎、渾身の握撃に眉一つ動かしやがらない。……クソ、今だけで良い。俺の右手に宿れ、花山薫!
「あ、目は閉じていて下さいね。網膜が引っ掛かってはコトですから」
……ハイ、無言の戦闘行為は端から勝負にならず俺の完敗である。なんだよ、握力なんてモンまで鍛えてやがるのか、秘密機関の構成員。
しっかし、網膜が引っ掛かるとか……脅しだよな、古泉? 若干眼を閉じる眉に力が篭っちまったのは……こ、怖いわけじゃ……ないんだからねっ。
そんなツンデレは男がやっても気色悪いだけか。うん。正直、すまんかった。反省してる。

 

トンネルを抜けると、そこは灰色だった。って感じだろうか。実際はトンネルなんか潜っちゃいないし、雪国に比べたら情緒もへったくれも無いのがうら悲しいね。
「現実と閉鎖空間の間をトンネルと言えなくも無いかと考えますが」
そんなフォローは要らん。
「これは失礼しました」
はてさて、何度目ましての閉鎖空間は過去数回の記憶に漏れずやはり灰色で、気温なんてものが最初から存在していないみたいに暑くも寒くも無かった。
先程までじりじりと鉄板の上に置かれた牛肉みたいに惜し気も無く降り注ぐ陽光に焼かれていた俺としては……しかしちっとも涼しいと感じないのは真実この世界に温度が無いからだろうか?
その辺は後で古泉にでも聞いてみれば良いな。
「で? この閉鎖空間がどうしたって?」
「いえ、一昨日説明した通り、どうもしないから問題なんですよ」
「どうもしない……ねぇ。長門、何か分かるか?」
長門は茫洋とした瞳で辺りを見回した後で、俺を振り向いた。
「……何かって何?」
いや、俺に振られてもそれはそれで困る。俺だって何がなんだかさっぱり分からんしな。
勉強が分からない子にどこが分からないのかを聞いても、どこが分からないのかすら分からないのだから分からないのだと言われる感じによく似ていた。
で、あるからして。この場で唯一何が分からないのかを分かっている奴に司会を頼むしか無い。
「古泉……俺はこの場合、長門に何を聞けば良いんだろうな?」
「そうですね……長門さん、彼にこの空間がいつ産まれたのかと、どの様な状態に有るのかを説明して頂けますか?」
「了承した」
古泉は近場に有った植え込みの段差に座り込んだ。真似て俺も座る。長門も俺達に追従した。三人並んで縁石に座り込む……場所さえ違えば青春のワンシーンとかタイトルを付けて写真を撮りたくなりそうだ。
「この空間は五日前、六月二十七日の二十時二十六分八秒に発生した」
だから、秒までは要らんって。
「現在は二十七次関数の速度で拡大を続けている。拡大速度から演算した結果、七月七日の二十三時時六分十一秒をもってこの星を内包。後、拡大速度を爆発的に加速させ、地球時間の七月八日零時零分零秒をもってこの宇宙を飲み込むと考えられる」
……二十七次関数?
「すまん、三次関数ですらキビしい俺に分かり易く説明してくれ」
「二次関数と同じだと思って頂いて宜しいかと。二次関数は分かりますね? ただ、時間に対しての侵食の速度がその比ではないと考えて下さい」
古泉が補足する。……いや、流石に二次関数なら分かるが。
「ある一定の大きさを越えた時点で拡大速度は手を付けられなくなる。そうなってからでは何をしても結末は変えられない可能性が有る」
まるでコンピュータに論文の朗読をさせているように抑揚無く淡々と喋る長門。あーっと……つまり、何が言いたいんだ?
「涼宮さんが世界の変革を望まなくなったとしても、変革が行われてしまう時間的なリミットが今回は有るんですよ。
少しづつ傾斜角度がキツくなっていく下り坂をスキー……スノーボードでも構いませんが。そのどちらかで滑り降りる事を想像してみて下さい」
古泉に言われて目を閉じて空想する。初心者用のコースを滑っていた筈がいつの間にか上級者用を滑っていて、にも関わらず俺自身は別にスキーの腕前が上手くなっている訳でもない……となると。
「……途中でコケるな」
「そこまでリアルな想像は要りませんよ」
分かってる。冗談だ。
「停まろうとしても停まれなくなってしまう、ある一点が存在するのはお気付きですか?」
コケてそのまんま転がって雪玉になって転げ落ちていくのなら、なぜかリアルに想像出来るんだが。昔の漫画は偉大だな。
「それで構いません。現在、閉鎖空間は我々の感覚ではまるで拡大してはいないのです。拡大を続けていると分かったのは長門さんをここにお招きした、三日前」
拡大していないのにしてるってどういう事だよ?
「つまりですね」
古泉は手近な木の枝を使って植え込みにグラフを書き始めた。
「二次関数……キョン君も授業で放物線を描くグラフくらいは見た事が有りますよね?」
まぁな。あれだろ? 横線に対して直線じゃない奴だろ? ぐわっ、って上に伸びてく奴だろ? ぐわっ、って。
「はい。『Y=AX27+B (Y>1、X>0)』と考えてください。X軸が時間、Y軸がこの空間の体積。AとBは正の定数です。少々細かくなりますので具体的な数字は置換させて頂きました。この関数の特徴としましてはX=1を越えた後で一気にY正方向へと伸びていきます」
「それがどうした?」
「この、X=1が今回のタイムリミットになる訳です。これ以降、どれだけ涼宮さんにアプローチをした所で、改変能力が涼宮さんの手を離れ暴走してしまっているので意味は無いのではないか。
というのが機関と情報統合思念体の共通認識です」
……って事は……えっと。タイムリミットが七月八日の午前零時零分きっかりじゃない、って……そういう事かよ、古泉?
「察しが早くて助かります。……長門さん、具体的な時間を彼に教えて頂けますか?」
「試算の結果、タイムリミットは七日の二十一時三十二分十七秒。プラスマイナスの誤差は1,51秒以内」
「と、こういう事なんですよ」
それまでに何とかしないといけないんだな。
「ええ。原因が分からない現在、対処のしようが無い……というのは先日申し上げた通りです」
古泉の言葉を裏付けるように、結構長々と会話をしていた筈なのだが一向に神人とやらが出てくる気配は無い。無音。サイレント。大声で叫んだら山彦が返ってきそうだ。
「唯一つ言えるのは、涼宮さんは苛立ちを抱えているのではないという事ですね。もしその様な精神状態であるのならば僕らが感知しない訳はありませんし、また、神人が発生するでしょうから」
長門を見る。何を考えているのか分からないが、やはり茫洋とした眼で何も無い空間の一点を見つめていた。猫か、お前は。怖いから止めなさい。
「しかし、涼宮さんは現実に世界を作り変えようとしている以上、何かを抱え込んでいると見るのが妥当でしょう。僕にはそれが何なのかは分かりません……が」
超能力者がウインクする。顔近いぞ、お前。
「貴方は少なくとも糸口を掴んだようです」
「さてね……頭の中で超展開を繰り広げる他称神様の思考回路なんか、俺にはちっとも読めんよ」
言いながらも、俺には一つの確信が有った訳だが。秘すれば華。もう少し俺の中で確信が持てるまでは黙っておくとしよう。

 

七月三日、月曜日。世界改変まであと四日。古文と科学と世界史のテストをどうにかこうにか相手にし終えた俺は、頭の片隅でこれからどうすっかなー、などと適当に考えていた。
後ろで早々に帰り支度をしているハルヒ。お前の事で俺は頭を悩ませているんだが? 自覚してるか? してる訳なんざ無いよなぁ。溜息。
……はぁ、ここ三日で幸せが両手からだだ漏れしちまってる気がするよ。
「今日は団活動は無し! その代わり、あんたは絶対に赤点を回避しなさい? 夏休み中に補習なんて手間でしか無いんだから!」
なら、変な閉鎖空間を産み出して世界を人知れず危機に陥れるのをどうか止めて頂きたい。いや、マジで。
今回のテストで赤点を取ったら集中出来なかったって事で……あれ? どこに届け出を出せば良いんだ、コレ?
世界の終焉と戦ってました。だから点数に色を付けて下さい、とか岡部に言っても無理だろうなぁ。いや、赤い色なら望まずとも付けて貰えるかも知れんが。
ああ、これじゃ幾ら世界が救われてもまるで俺が救われない。くそっ、忌々しい。
「なんだ? また、夏休みを遊び尽くすつもりか?」
「当然じゃない。三年になったら受験勉強でそんな事言ってられないでしょ?」
ハイ、受験生真っ盛りの朝比奈さんの事は完全に無視である。本当にハルヒの頭の中は自分中心にしか回ってないらしい。いっそ清々しいね。
「分かったらしっかり勉強しときなさい? 一夜漬けでも何でも良いわ。とにかく赤点さえ回避すれば当面は問題無いのよ。そんじゃ、おーばー!」
「……なら、変なイベントを無意識に企画すんじゃねぇっつの」
教室から走り去っていくハルヒの後ろ姿はいつも通りで、正直アレが世界の滅亡を企む背中だとは俺にはとても思えん。だが、長門と古泉が共謀して嘘を吐いているとも思えない訳で。
しかも実際にアイツが創り出した、閉鎖空間を見せ付けられちまったしな。
さて、どうするか。決まっている。俺も早々に帰って試験勉強をせねばならんのだ。取り敢えずは世界の改変云々よりも手近の平穏、ってね。全く、学力社会なんてモノを作り出した先人が憎い。
俺達が何の手も打てずに世界が変革しちまったら、間違い無く学力至上主義者達の責任である。今決めた。異論は言わせん。
とか何とか考えていると、胸ポケットに入れた侭だったケータイが震えた。うおっ? 誰だ? 何だ?
また、どーせ迷惑メールの類だろうと画面を見る。結論から言うとそれは確かに見る人が見れば迷惑メールに違いない意味不明の代物だった。
「from」に続いているアドレスがドメインも何も無く「future」である。ちょいとSPAMメールにしちゃ夢に溢れ過ぎちゃいないか? どこの業者が未来からメールを送ってくるってんだよ?
ドクか? ドクなのかい? 俺はマーフィーじゃないし、過去に取り残されたりも今年はまだ味わっちゃいないぜ?
……バックトゥザフューチャーは大好物だ。2のラストとかな。

 

七月三日午後四時、駅前の喫茶店「夢」。

 

タイトルは無題で本文はこれだけ。無味乾燥にも程が有る。
事務的を通り越して嫌々やらされてるんじゃないかとも邪推するが、色々と禁則事項も多いあの人の事だからな。
このメールも規定の内容をそのままなぞっただけなのかも知れないし、それを非難するのは酷と言えるだろう。
しかし、タイミングがばっちりだ。俺が行動に迷っちまった時を見越しているんじゃないかと思えるほどの適切さ。
未来人は時間に煩い。だから時節は外さない、ってか?
……朝比奈さん(小)はアドレス帳に登録してある以上……俺を呼び出したのはあの人だろう、きっと。こんなお茶目なアドレスを使いそうな人は……ちょいと他には心当たりが無い。
彼女に会うのも久しぶりだ。
溢れ出る特盛への期待を膨らませちまったのは……思春期なんだ。仕方ないよな? ああ、どうか大目に見て貰いたい。
朝比奈さん(大)の成熟した色香は、ちょっとした劇物だと考える次第。

 

「……ふざけんな」
開口一番この台詞が飛び出す俺は我ながら漢だと思う。ああ、三時間分のドキドキを返せ。今すぐ返せ。利子付けて返せ。
「……座ったらどうだ?」
ソイツは悪びれもせずにコーヒーに口を付けた。ああ、確かに「future」だ。未来人だよ。だが……俺としちゃ断固としてこの展開を認める訳にはいかない。
「チェンジ」
悔しいから小さく口にしてやる。くそ、未来人デリバリーサービスの電話番号を知らなかったのが今ほど口惜しく思った事は無い。
「確か……藤原、だったな」
藤原。下の名前は知らない上に恐らくはそれすら偽名。佐々木の側の未来人。
俺を呼び出したのはソイツだった。終始機嫌が悪そうに、居心地悪そうにしている男。「Out of Place Artifact」、オーパーツみたいにどこに居ても場違いな印象を受ける少年。
「呼び方は何でも良い。もとより、そんな物に意味は無い。只の識別記号だ」
面倒臭そうにそう呟く。いや、コイツの場合はその表情が、口振りがデフォルトだったなと記憶を掘り起こす。
「何の用だよ?」
少年の口調に釣られて少し喧嘩腰になっちまうが、まぁ構うものか。コイツは未遂とは言え朝比奈さん誘拐犯であり、そして朝比奈さん(大)の名を騙って俺をのこのことこんな場所に誘い出した張本人だ。
騙った事実は無い? それはスルーだ。事実は違えども誤解させ期待させた時点で十分に罪である。
俺のワクワクを見事に瓦解させたこの罪に対して何の罰も無いなんてのは天が許してもこの俺が許さないぜ、割りとマジで。
「何の用か? ふん、そんな事も分からないのか、現地人?」
決めた、コイツ今日から俺の敵だ。一々口調と発言内容が癇に障る。
「禅問答をする気は無い。俺はこれでも忙しい身なんだ。テストなんて未来人には関係無いのかも知れないけどな。この時間を生きる俺達みたいなのにとっちゃ結構な重大案件だ」
暗に「聞いてやるからさっさと言え」と皮肉ってやる。
だが、期末試験の点数いかんで俺の先三ヶ月の財布事情が決まるんだから、存外に嘘は言ってない。ごく個人的には世界と天秤に掛けれるレベルで重大だ。
「テスト……か。ふん。五日後以降が断絶している状態では意味の無い話だ」
分かってるさ、そんな事。だからと言って俺に何をやれって言うんだ。何が出来るって言うんだ。いや、それを伝えに来たのだろうが。
だがしかし、お前は俺達SOS団の敵じゃなかったか?
「敵か味方か。そんな二元論で世界を計るのは哀れで、滑稽だな、現地人。単純な思考回路しか持っていないのは進化の途中故(ユエ)か? こんな連中がこの先で僕達に繋がっているのかと思うと虫唾が走る」
そりゃ奇遇だな。俺もお前が何か言う度に頬の筋肉がぴくぴく動いちまうよ。
「今回の件に関してのみ言えば僕はそちら側だ。どちら側か……ふん、そんなものにさしたる意味は無いがな」
ああ、そうかい。だが、ちょっと待て。
「何だ?」
「お前は朝比奈さんとは別の未来から来ているんだよな」
「禁則事項だ」
言いながらも眼は「そうだ」と語っていた。それを受けて俺は話を続ける。
「だったら、俺は勘繰らざるを得ない。ここでお前の助言を受けたとして、その先に朝比奈さんの未来が繋がっていない可能性ってのを」
注文したコーヒーを口に含みつつ、藤原の表情を注意深く観察する。ぼろを出すような奴だと軽視している訳では無いが、しかし、もしもそういった何かを見出す事が出来たら儲け物だと思ったからだ。
果たして、藤原は表情を変える事は無かった。ただ、ムスッとした顔のままで言を紡ぐ。
「注意深い点だけは褒めてやっても良い。腐っても鍵、と言った所か。安心しろ。分岐点は未だ先に有る」
「そう言われて俺が『はい、そうですか』と信じると思うか?」
「信じようが信じまいが好きにしろ。元よりそんな事に興味は無い。僕は与えられた仕事を果たすだけだ」
「使いっ走りか。哀れだな、未来人。俺でよければ同情してやっても良い」
同時のタイミングでコーヒーを飲み、そしてカップ越しに視線が交錯する。覗い、覗われる。まるで将棋を指しているような緊張感が俺達の間に走った気がした。
「唯一つ言っておく事が有るとすれば」
カツリとカップがソーサーを叩く。王手飛車取り、会心の一手を放った時のような音が店内に響く。
「僕がお前に接触する事をあちら側が良く思わない場合、なんらかの妨害が有ってしかるべきだろうという事だ。それが無いのは、つまりあちら側にとってもこの接触が既定事項なのだろう。僕はそう考えている」
一理有る。だが、そんな話で煙に巻けると思って貰っちゃ困るぜ、未来人。
「なるほどな……だが、お前らが朝比奈さん達を妨害してこの場に乱入させないようにしているって可能性は捨て切れないだろ?」
「可能性だけは無限大だ。だからこそ、複数の未来が存在する」
へぇ、言うじゃないか。既定事項ってので可能性を束縛するのが趣味のくせに、言うに事欠いて「可能性は無限大」と来るかい。笑わせる。
良いね。面白くない事も無いぜ、未来人。一流の道化の才能が有るな。俺が保証してやる。
「こちら側があちら側を牽制しているのかどうか、そんな事は僕には聞かされていない。知らない以上は答えられない。それが結論だ」
「口を割るつもりは無い、ってか」
「末端に行動以上の作戦内容を知らせる組織は愚かだと言っている。駒は何も知る必要は無い。自分に与えられる命令の先に自分達の未来が有る事さえ確約されていれば、それで十分だ」
自分の事を駒と言い切るか。益々持って哀れだな、未来人。
「矛盾するね」
「何?」
藤原が眉を顰める。カップを口元に持っていく手が中空で停止した。
「お前は『分岐点は未だ先に有る』と言った。つまり、何らかを知らされているって事だ。違うか?」
「……禁則事項だ」
また「禁則事項」かよ。まぁ、いい。話を続けさせて貰う。
「話は聞く。だが、信じる信じないはそれこそ勝手にさせて貰う。お前の話には信じられない点が少しばかり見受けられるからな」
「好きにすると良い」
ああ、そうさせて貰うさ。
「……先に言っておくぞ。俺は未来がどうなるとかは正直知ったこっちゃねぇ」
すいません、朝比奈さん。でも、俺は未来に生きている訳じゃないんです。
「未来ってのは今のその先に有るモノだからな。お前や朝比奈さんにとっちゃ複数有る内の『過去の一ページ』かも知れんが、俺にとっちゃ今が唯一の……お前達の言う所の『時間軸』なんだ」
俺達が生きている今。その先に有るモノを未来人は取り合っている。それは知っているさ。でも。
未来人がそんな事の為に『過去』に干渉してこようと何だろうと、今を生きる俺達には、それこそ関係の無い話なんだ。未来がどうなろうと、そこに生きているのは俺達ではない以上。
「だから、俺はお前らの思惑には乗らない。俺は俺が考えて俺が選んだ選択肢をお前らの未来とは関係無しに生きる」
それは今を生きる俺達の矜持。「今」は「今」を生きる俺達のものだという表明。
「お前や朝比奈さんが何を言おうが何をしようが、それは選択肢の提案でしかない。選ぶのは俺達……いや、俺だ」

 

World is mine. I can live only now.
だからこそ。

 

「どんな話を持ってきたのかは知らないが。話せよ。それを聞いて、判断するのはお前じゃない。未来じゃない」
そう。まるで、このテーブルに置かれたコーヒーの様に。飲み干すかどうかは俺次第だ。
「理解しろよ。選択するのは『今を生きる人間』だ」
未来人提供舞台装置。踊るのは俺達。今、ここに生きている俺達。
「今」はつまり、「俺達自身」だ。

 

「因果という言葉が有る。原因が有るから結果が存在するという、元を糺(タダ)せば宗教用語だ」
未来人は語る。
「これはつまり、原因から結果を推察出来るという意味でも有る。事実、歴史を学ぶのは『温故知新』の精神から来る」
故(フル)きを温(タズ)ね新しきを知る。未来人が言うと少しばかり説得力の有る言葉には違いなかった。
「僕達は未来について話す事は出来ない。その様な発言は未来を変化させかねないからだ。だが、それは『この時代の人間が知り得ない情報を提供してはならない』というのとは少しばかり隔たりがある」
俺達と変わらない姿で、まるで俺達と変わらずにコーヒーを嗜んではいても。
「話しても良い未来という例外が存在する。この時間軸から続かない未来。端的に言ってしまえば、五日後までにあの女の世界改変を止められなかった場合に始まる新しい世界の事だ」
それでも、ソイツは未来からやってきた。
「未来でありながら未来ではない。この先にこそ有れ決して続いてはいない。だからそれについて話しても禁則には触れない。どうやってその世界を知る事が出来たのかは禁則に該当するが」
コイツはコイツで自分の未来を守る為に動いているのは知っている。
「先ほど僕は原因から結果を推察する事が出来ると話した。覚えているか?」
「ああ」
「逆もまた正だ。結果から原因を推察する事は決して不可能ではない。改変後の世界がどんなものなのか分かれば、改変に至る理由も見えてくるのは道理」
俺達の今はどんな未来に繋がっているのか、俺には知る由も無い。
分からないからこそ、手探りで進んでいけるんだろう。
「改変後の世界には、未来人、超能力者、宇宙人、及びその類が一切存在していない。僕からの話はそれだけだ、現地人」
未来人にとって未来は未だ「今」で在り続けているのだろうか、なんて不毛な事を考えた。
先が見えている世界なんて、俺には生きていけそうに無いから。

 

その夜、俺は試験勉強をやりながら(実際は机の上に教科書を広げていただけだったが)ハルヒの事を考えた。
定期試験の終了日は六日。世界の終焉は七日。
七夕。世界改変。改変後の世界には、未来人、超能力者、宇宙人、及びその類が一切存在していない。
不思議の存在しない世界を望んだ少女。
そうか……そういう事かよ。
ハルヒ。
お前は。
望んだんだな。
望まない事を。
望みが。
叶わない世界を。
それは成長?
それは諦め?
違うだろ、団長サマ。
お前はそんな簡単に諦めちまえる人間じゃないだろ。
宇宙人がいない世界。未来人がいない世界。超能力者がいない世界。
この世に何の不思議も無い世界。
なぜ、望んだ?
叶わないことを知ったから?
追い続ける事に疲れたから?
なぁ、ハルヒ。
お前が信じられないってんなら、さ。
俺が、信じさせてやるよ。

 

俺達が、信じさせてやる。

 

七月四日。定期試験二日目終了。
ハルヒを除くSOS団は昨日藤原と会談した喫茶店に集まっていた。
「……って訳だ」
俺の話を聞いて黙り込む朝比奈さんと古泉。長門は常に沈黙をしている様な奴だから特に変化は無いな。
「世界改変が行なわれる理由はなんとなくでは有りますが理解したつもりです」
古泉の言葉を朝比奈さんが次ぐ。
「つまり、涼宮さんが未来人、宇宙人、超能力者その他を疑問視してしまった事が原因なんですね?」
俺はストローで残ったアイスコーヒーを音を立てて吸い込むと、その言葉に頷いた。
「恐らくは。なぜ七夕のタイミングなのかは未だ良く分かりませんが、藤原の言葉を鵜呑みにすると、そうとしか考えられません」
藤原に関して二、三補足を加えつつ説明する。
「虚偽の情報を掴ませて自分達に都合の良い未来を選択させようとしている可能性は有りませんか、キョン君?」
ああ、俺もそれは考えたさ。
「だが、この情報を俺に与えた所でアイツ等の未来に繋がる、あるいは朝比奈さんの未来に繋がらない分岐点が発生するとはどうも考えにくいんだよな」
朝比奈さんがおずおずと手を挙げる。はい、発言どうぞ。
「私もそう思います。今回の件に関しては昨日の夜に初めて古泉君に聞いたのですけど……」
あ、結局自分達じゃどうしようも無くなって未来人まで巻き込んだか、超能力者。
「それに関して未来に問い合わせても返答が無いんです。通信を妨害されているとかは無い様なので、私達の勢力争いとは無関係なんだと思います」
そうですか。……長門、今の朝比奈さんの発言は真実か?
「朝比奈みくるのTPDDに何者かが介入している痕跡は今の所見られない」
「長門さんが言うならば、確かなのでしょうね」
……藤原の言っていた分岐点は未だ先、ってのは真実なのかも知れんが……まぁ、いい。今はそれよりも目先の危機だ。
「それで、えっと、キョン君? どうするんですか?」
朝比奈さんがストローでグラスを掻き回しながら聞いてくる。アイスキャラメルラテ、だったか。黄土色の液体の中を氷が踊る。
「はい、それなんですけど……要はハルヒに宇宙人と未来人と超能力者の実在を少しでも再び信じさせれば良いんじゃないかと思うんですよ」
俺の言葉にギョッとする古泉と朝比奈さん。いや、まぁ……気持ちは分かりますが。
「それは……ちょっと、リスクが高くないですか?」
「えっと、未来人を信じさせるっていうのは……実際に私達の様な未来人を涼宮さんに接触させるという事でしょうか……」
予想通りの反応に少し嬉しくなってしまう。残念ですが、俺だってそんな一歩間違えれば世界がバランスを失うような荒業はゴメンですよ、朝比奈さん。
「だったら、何を……?」
朝比奈さんが机に身を乗り出す。俺はテーブルに肘を突いて悪事を企む代官の様に笑って見せた。
「一緒に夢を、見せませんか、アイツに」

 

超七夕宴会部長の腕章は、今年だけ俺が貰って行くぜ? 悪いな、ハルヒ。

 

七月六日。本日をもってテスト終了。結果は聞くな。察しろ。
一つだけ言える事が有るなら、ベストは尽くした。以上だ。
さて、ハルヒはと言うと今日も授業終了と共にクラスを飛び出して行く。まるでロケットみたいなスピードだが、廊下は走るなよー? って、これは今更か。
何か私用でも有るのだろうか。……ふむ。
ま、何でもいいさ。俺も帰ってテスト終了をポテチでも摘みつつ祝う事にしますかね、と立ち上がった所で古泉から入電。最近、このタイミング多いぞ。誰か知らんが手抜きしてるんじゃないのか?
メール内容は至ってシンプルだった。
七夕に台風直撃。以上七文字。そっかそっか……って、なにぃ!?
……ちょ、おま……これって絶体絶命?

 

そんな訳で喫茶店にて今日も秘密会合。そわそわしてる朝比奈さんにいつも通りの長門。古泉は……あれ? そんなに憔悴してない?
「どうしますか? 一応、貴方に言われた通りの準備は済ませましたが」
台風は予想外でしたと、両掌を上に翳してお手上げ侍を気取る古泉。
「うーん……だが、八方塞がりって程でも無いよな?」
……いざとなれば長門に天候を操作して貰って……未来の生態系には申し訳無いが、こっちは世界が続くかどうかの瀬戸際だしな。ちょっとくらいは大目に見て貰えるだろう。
「無理」
「ほえ?」
あ、この可愛い台詞は朝比奈さんな。俺の口から「ほえ」とか出ても気色悪いだけだろ? それとも、そういう需要が有ったりするか?
「この台風の進路は涼宮ハルヒの願望。わたしには干渉出来ない」
「七夕に暴風雨を望むなんざ……今回はあの馬鹿本気らしいな……」
本気で願いが叶わない七夕を力技で創りだす気……なのか。……お前らしくないんじゃないか、ハルヒさんよ。
「ああ、それでですか。台風の進路は今回どうもオカしいらしいんですが……涼宮さんが望まれた結果であれば説明は付きますね」
落ち着き払って言う古泉。だが、気象予報士の今後を心配なんかしてる場合じゃないだろ?
「雨は今回の計画の天敵ですよね……困りました……」
いや、朝比奈さん。困ってるお姿も麗しいのですが……出来ればそれだけじゃなくて、未来的な超絶アイテムとかはその可愛いピンクのポシェットから出て来ませんか? このままじゃ俺達のプランが……ん? おや?

 

台 風 直 撃 、だと?

 

「なぁ、明日の台風って完全完璧にこの街を通るのか?」
長門に問い掛ける。少女の口からは期待通りの言葉が出て来た。
「そう。中心は明日の二十時四十二分四十秒に北高上を通過」
そっか……それなら……あるいは……いや……最初から……そのつもりで……なら、あの馬鹿は。
「古泉、明日は予定通り実行するぞ」
「了承しました」
「何も聞かないんだな?」
「何を考えられたのかは理解したつもりです。それに……言いましたよね、貴方は鬼札(ジョーカー)だと」
古泉はテーブルの隅に置かれている伝票を嫌味の無い仕草で手に取った。
「切り札を出した以上、我々に出来る事はそう無いんです。僕だけでなく機関員全員が貴方の手際に期待し、また、安堵しているんですよ、ジョーカー?」
そう言って伝票を人差し指と中指の間でヒラリとさせる。その仕草はまるでディーラー。債は投げられたとでも言いたげだな、カエサル。
「ええ。そんな気分です。未来は貴方に託しました、ブルータス」
「あ、それ知ってます。息子よ、お前もか、ですよね!」
朝比奈さんが楽しそうに言う。俺も、古泉も結構切羽詰った状況である事を理解していながらも笑っていた。
世界の命運なんざ肩に背負ったつもりは、きっとここに居る誰一人持ってないんだろう。俺だって只、あの馬鹿が柄にも無く賢(サカ)しい事を考えてやがるもんだから、それに「らしくないだろ」って一言言ってやりたいだけなのさ。
そう。それだけ。だったら、何を怖がる必要が有る?
機嫌を損ねてる奴が他称神様? ああ、ソイツは残念だったな。俺は無神論者なんだよ。
「ふふっ、キョン君は本当に涼宮さんを大切にしてるんですね」
止して下さい、朝比奈さん。そんなんじゃありませんから、マジで。
「ちょっと……妬けちゃうな」
「ん? 何か言いましたか?」
俺の問い掛けに何でも無いと首をテーブルと平行に振る少女。小動物っぽくて愛らしい。
少しばっかり赤みがかったそのエンジェリックスマイルに見とれていると、俺のシャツの袖が引っ張られた。振り向けば長門があのブラックホールの瞳でこちらを見つめている。
「明日の情報操作は任せて欲しい」
ああ、改めて言うまでも無くお前にも期待してるさ、SOS団の超万能選手。そっちは頼んだぜ、長門。

 

満場一致で話は決まり。明日は七月七日。
さぁ、SOS団主催、七夕祭りと洒落込もうか。
仕掛ける側も嵌められる側も、皆して楽しめる超常的なヤツを一つ、でっち上げるとしようぜ? なぁ?

 


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