☆立場(理・)の続きです。
☆・・解となっているのはわざとです。文字化けではありません。
その日は曇りだった。そら色の絵の具で描いた絵の上に黒インクをこぼしたあとのような、どす黒い空だった。
まったく、曇りっていうが、もう少し明るくなってもいいのではないかね。
朝なのに暗いとどうも鬱になる。こんな天気だから古泉のやつが鬱になるんだ。ああ忌々しい忌々しい。
「具体的には?」
太陽が出てるぐらいに明るければいいだろ…二回も同じ手は通用せんぞ、長門。
「けち。引っかかってくれてもいい」
どうもお前の冗談には笑いのティストというモノがないからな。
引っかかってやってもいいんだが、ハルヒにボコボコにされるのだけは堪忍してほしい。
「了解した。うなぁ~」
おおぉ、長門がぼこぼこ俺をたたいてきやがる。ええと…ながとさん?あなたは何がしたいのでしょうか。
長門は冷たい声質に暖かい笑いを込めたような、そんな声でささやいた。
「涼宮ハルヒでないなら良い、という意味で理解した」
お前最近、少しひねくれてないか!?それにいつまでもこんなことをしてると…
「あ~ん~た~た~ちぃ~」
あぁあ~…また規定事項が来た、来てしまった。
バン、という軽快な音が鳴り響く。
地獄、再び。
これについては、これ以上語る必要はないな。
え?今日の色?もうこれ以上聞くな!
ハルヒの蹴りによる血の味をかみしめつつ、俺は安心していた。
長門が空気を読まない冗談全開でいる。あの反感に満ちた目は、だから俺の見間違いだと思えるのだ。
朝比奈さんはやっぱりお茶を立てていた。そのにこやかな表情を拝んでいると、何もかも忘れられた。
朝比奈さん、あなたすごいです。あなたのお茶飲むたびに麻薬みたいなのが体中をどばどば駆け巡りますから。
古泉は今日もハルヒのご機嫌取りに終始していた。まったく調子がいいものだぜ。
昨日長門に向って怒鳴ってたやつだとは思えないぐらい朗らかに調子に乗りあがっていた。
本当に、いつもの古泉だった。なぜか空虚な感じもしたが、それも気のせいかもしれなかった。
俺は俺で、異世界人・涼宮ナツミ…違和感があるので、涼宮(異)が…提案した幾何学的な謎のゲームを団長様に進言し、それで何故か古泉が圧勝。
珍しくコテンパンにされた。
ルンルン顔の団長様一同は、俺から金を巻き上げると、俺以外の皆で学食のプリンを買いに行った。
特に古泉のやつが得意げだった。忌々しい。ああ忌々しい。
そう、俺たちの放課後の活動はこんな感じだった。
ああ、楽しかったさ。楽しかったとも。文句あるか。
そしてこれからも楽しくなるはずだったんだよ。トイレから戻ってきたときに、部室に九曜なんていなければ、な。
…
…
……
ここがどこだって?
せめてここが鶴屋さんの家だったらよかったのかもしれない。
もしそうならば、こんな異常な空間でも少しは落ち着けただろう。
寝転がった先、
耳に入るのは、ハルヒ自身が圏となった位相理論。
目に入るには、『溶けた』長門の視線。
わかったこと、その回答は「長門が溶けつつある」ということである。それも、自分の意志で。
そりゃ俺に理解できるわけがない。異世界人・涼宮ハルヒが解説中の位相理論と同じぐらいわかりっこない。
お前の家はほかでもないSOS団の、あの部室だ。そのはずなんだ。なんでこんなところに居なきゃならないんだよ。
「私は…恐れない。怖くない」
『溶けた』長門が答える。
こいつはみじめな『超能力者』である。
回りを犠牲にするのはもうたくさんだったから、自分を捨てて、世界を捨てた。
だが、そんなことをしたら、悲しむやつが確実にここに一人いるんだ。
本当に、もうやめてくれ、もう。
……
…
…
部室で寡黙に本を読んでいたのは、九曜だった。長門はいない。
なぜか長門の立場にいる九曜は、ぼーっと俺を眺めると、例のセリフを吐いた。
「"あなたの瞳はとてもきれい"」
違和感のある、とてもはっきりした声で言った。
…いや、待て。この状況は何だ。
ためしに頬を抓(つね)ってみた。イテ。
そして前を見ると…
モップとしか思えない髪の塊にあいた穴が、やっぱり俺を見ていた。
これは九曜だ。長門はいない。
そして、その九曜は間延びしたテープのような声で、こう呟いた。
「また…………図書館に――――行…く――私…希望…す―――る――――――?」
本当に、凍りつくしかなかった。訪れた無限とも思える沈黙。
この沈黙を破ったのは、鶴屋家にいるはずの異世界人・涼宮だった。
息を切らして、叫ぶように九曜に語りかける。
「長門さん、あなたのいる場所に、私たちを連れていける?」
なぜか長門、と呼ばれた九曜はかすかに頷く。
「了解――――座標変換…………続いて――――位相…変換――」
一瞬、幾何学模様が周りを埋め尽くした後…
冬合宿の時に閉じ込められた、あの館の扉が目の前にそびえたっていた。
…
…
……
こうして俺から見た時間は冒頭に戻る。
異世界人・涼宮のやつは解説をあきらめたらしく、ただ黙っている。
お前の能力とやらで長門は救えるのか…
そう問いかけると、迷ったような眼で長門と俺を見やり、また黙ってしまった。
『溶けた』長門とは、すなわち、見た目は九曜、中身は1/4ぐらいが俺の長門で、1/4ぐらいがこっちの涼宮のほうの長門、その他は九曜とかいう、人間のツギハギのようなものだ。
長門はこの世界で、自分の意志、というより、俺を含めたSOS団全員の総意によってこんな化け物になっちまった。
そして、そうなっちまった理由を聞いても、俺は全然納得できなかった。全く理解できなかった。
そんなこと信じられるか。長門を怪物にしようだなんて、何で俺達、諸手を挙げて賛成してたんだよ。
俺が長門を化け物にしただなんて…誰か俺を思いっきり殴ってくれ。
形が変わって化け物になっちまうぐらいめちゃくちゃに殴り倒してくれ。
それで長門が救われるなら、喜んでそうされようじゃないか。
「大丈夫………あなたに―――迷惑は…かけない…だから―――忘れて……」
すぐにかかる強い衝撃。落下する感覚。反転、そして…
……
…
…
目を開いた。恐ろしい悪夢。俺は部室で居眠りをしていたようである。
一回、瞬きをして、周りを見回している間に、俺はさっき見た夢の内容をほとんど記憶から欠落させていた。あれ?
今、ものすごく重要なせりふを聞いたような気がするんだが。九曜と長門が出てきたのは覚えているのだが、会話の内容がどうもはっきりしない。
俺は自分のこめかみにデコピンを与える。イテ。
ここは現実だ。
まあ確かに、俺はよく眠っていた。ここ数年をふりかえっても、こんなによく眠ったことはないだろう。
窓から外を眺める。風が吹いている。白い雲、灰色の雲、丸い雲が陽射しの中で戯れていた。
雲のことだから、もしかしたらこのあと何が起こるか知れない。
もしかすると、散り散りになってしまうかもしれない―――なにしろ、たいした早さで動いていたからな―――、それでももしかしたら、一カ所に集まって雨になって頭上から落ちてくるかもしれない。
どちらでもいい。
「うかつ」
そこで振り向いて部屋の中に目をやると、長門が本を読んでいた。
俺の財布の中身は軽くなっている。あそこまで夢だったらもっと良かった。
まあ、涼宮ハルヒはこの世で『ただ一人』…なぜかこの言葉にも違和感を感じたが…しかいない。
そんなあいつをちゃんと理解してやってるのは、『俺だけ』…なぜかこの言葉にも違和感を感じるが…だ。
だから、あいつのわがままに出費してやるのは俺の義務みたいなものさ。
長門だってそうだ。
こいつの存在は俺にとってかけがえのないものである。
俺の精神安定剤はもはやずっと依存しきりで、現在ちょっとした中毒を起こしているってところだ。
もしも長門がいなくなって、記憶から消えてしまっても、強い違和感は残るだろう。
万が一、破壊されるような事があればなんとしてでも修復してやる。
これまでも、これからも。
『
私は全力を尽くすわ。あなたのために、責任を果たさなきゃいけない。
たぶん、そちらの世界には戻ってこれないと思う。
××
×ジョン、さようなら…
』
終・長編・沼男へ続く…