何も無い晴れた土曜とはなんと清々しいものだろう。
 暇を持て余している一般ピープルどもには土曜日に予定が入っていないなどつまらないと思うかもしれないが、俺にとっちゃこの平穏な一日がパラダイスなのさ。
 いつもパトロールと称して俺や長門、朝比奈さんに古泉、そして我が団長様の涼宮ハルヒが揃ってぞろぞろとUMA探しをしていることに比べたら、この何も無い土曜日をパラダイスと呼んでも大袈裟ではないだろ。
 ここ暫らくはハルヒも落ち着いていて古泉曰く神人狩りの召集もないらしく、まったく何よりだ。
 何も無い日がパラダイスとはいえ、家にじっとしていても我が妹に古くなったビニールテープを剥いだ後のようにベタベタとされるだけなので、俺はブラリと散歩ついでにコンビニに非難しに来たというわけさ。
 別に買いたい物や読みたい本が有る訳では無いのだが、金を使わずに暇をつぶすにはもってこいな場所だ。
 しかしながら、たまに週刊誌なんぞに目を通すと結構面白いもので、俺が熱心に週間誌に目を走らせていると、後ろから視線をジッと送られている事に気付いた。
 振り返ると、そこには学校がとうの昔に終わったというのに我が北高の制服に身を包んだ154センチの小柄な体格にシュートヘアーをさらに短くした髪、淡雪のように白い肌、意外と整った顔立ちをし黒曜石のような目を持つ少女が微動だにせず立っていた。
 「長門、お前か…こんな所で何やってんだ」
 「買い物」と、凝固した表情で口だけが動く。
 そりゃそうだろ、一応コンビニってもんは買い物目的で来る客が大半だろうからな。
 「そうか、じゃぁ何を買いに来たんだ」
 「…夕食」
 「まさか、夕食はいつもコンビニ弁当なのか?」
 十四秒の沈黙ののち、一言「…そう。」と言った。
長門よ放送事故ギリギリのタイムだぞ。
 「それじゃ体に悪いだろ。自分で作ったりしないのか?」
 「一人分を作ると、不経済。お弁当の方が経済的」
 そう言って何か言いたげに俺をじっと見つめる長門。
 そうだよな、一人の部屋で一人分を作り自分で食べる。どんなに美味しく作っても一緒に食べる相手が居ないんじゃ味気ないか。
 「長門、暇なら俺と飯でも食いに行かないか。まだ、弁当買ってないんだろ。たまには外で晩飯ってのもいいもんだぞ。」
 そういう俺を更に見つめコクンと顔を前に三ミリ倒した。
 「でも、まだ晩飯まではちょっと時間があるな。その辺ぶらついてから食いに行こうぜ」
 そう言って俺は週刊誌を棚に戻し雑誌コーナーを後にした。
 それにしても、見てたのが隣の大人の魅惑コーナーじゃなくて助かったね。別に長門なら何も言わないだろうが、俺の心は純真無垢…かは分からないが、イチ高校生なのだ。
見ている現場を誰かに見られたら恥ずかしいという気持ちくらい持ち合わせている。その反面興味も勿論ある。
 などと思ってたら、長門の目が俺や雑誌コーナーではなく、隣の魅惑コーナーに向けられていた。
 「こういうの好き?」
 何てこった、このトンデモ娘はいきなり答え辛い事をサラっと聞いてきやがった!
しかも周りには他の立読み客も居てチラチラとこっちを見てやがる。
 長門よ勘弁してくれ。それに情報統合思念体はエロ本なんて物に興味は無いと思うぞ。
それとも何か?お前個人として興味があるのか?それはそれで結構だが、その本は長門にはまだ早いと思うぞ…。って、手に取ってるし!
 「これ、購入。」と言ってレジに向かおうとする長門の制服の後ろを捕また。
 「な、長門それはな、十八歳未満は買えないんだ。」
 「なぜ?」といって不思議そうな目をして首を横に傾ける。
 「説明は後でしてやる、だから今はそれを置いて移動しよう。」
 「わかった」
 俺は長門の手を掴むと、立読み客の意味あり気な視線を一身に浴びながら、そそくさとコンビニを後にした。
長門は手を引っ張られ、いつもより少し早足で後ろをついて来る。

 SOS団のたまり場の喫茶店から少し離れた喫茶店でやっと一息ついた。
 何故いつもの喫茶店じゃないかって、そりゃ朝比奈さんや古泉に会う可能性だってあることだし、あのハルヒに会う可能性だって大いにあるわけだ。
いや、こういう状況下なら、何故か会ってしまう事の方が可能性大であろう。
 そりゃやましい事など何も無いのだから、ハルヒに会ってもかまわんのだが、いちいち説明をせにゃならんのが面倒だし、ハルヒが俺の説明を素直に聞くとも思えん。
なにせあの団長様の頭の中には俺の意見は自動的に却下されるようプログラムされているらしいからな。忌々しい!
 兎にも角にもだ、喫茶店の奥の席に座り俺はコーヒー、長門はハーブティーを飲みながら、さっきの大人の魅惑本について当らず触らずの説明を長門にしてやった。
本当なら「アレがどんな本か知っているのか?」や「興味があるのか?」「見たことがあるのか?」など色々と聞いてみたかったが、ただのセクハラ親父になりそうだったので、これらの質問をするのはパスした。
長門は時折、首を数ミリ横に傾けていたが最終的には納得してくれたようだ。

 黄昏色に染められた喫茶店の横をいそいそと帰路へつくサラリーマンが増える中、俺と長門は図書館に向かった。
 やっぱり長門を安全に時間つぶしさせるなら図書館が一番だろうと考えたのだが、それが甘かった。俺の学習能力の欠如だ。
時間をつぶすどころか、ハルヒ達と初めて駅前パトロールをした時のように、床に根をはやした長門はその場から動きゃしねー。
 そろそろ、飯にも良い頃合だと思い長門に声をかけても、無言…。いつものように分厚いハードカバーの文字に目を走らせ時折ページをめくる為に手を動かす。
こいつは分厚いハードカバーしか読まんのか。と思っちまうぜ。たまには漫画や絵本なんかを読んでみてはどうだと薦めたくもなるね。
 そんな事を考えているとフッと頭に浮かんだのが、長門に官能小説を薦めたらどうなるだろうか?と興味が湧いた。もちろん市民図書館にそんなものは置いてあろうはずもなかったが、珍しく文字本ではなく写真本と言っていいのだろうか?とにかくエロ本には興味を示したのだ。官能小説にだって興味をもっても可笑しくは無い。というより、こっそり読んでたりしてな。
長門よ、宇宙人製有機アンドロイドも一人身体をもてあます事もあるのか?あのハルヒでさえたまに身体をもてあます事もあると言っていたように…。
 長門の自慰行為…だめだ、想像できねー。
 “ハッ!”長門のブラックホールのような目がいつの間にか本から俺へと突き刺すように向けられていた。
 「自慰行為?」
 しまった、いつの間にか声に出しちまったか!
 「いや、なんでも無いんだ。気にするな。独り言だ、妄言だ。」
 長門の眼が俺の瞳孔の奥のさらに奥を捉えて放さない。
 俺が取り繕っていると蛍の光が俺を救うかのように広々とした図書館に流れ始めた。助かった…
長門は読みかけのハードカバーを両手で抱えている。「それ借りるのか?」と聞くとコクンと頷いた。
閉館間際の人のまばらになった図書館内をテトテトとした足取りで貸し出しカウンターへ向かう。
カウンターに向かう途中で、長門が一言「たまに…」と言った。
気のせいか色白の長門の耳がほんのり色付いている様に見える。
それにしても何が『たまに…』なんだ、長門よ。

 図書館を出ればもう、夜の九時を回ろうとしていた。俺はまず自宅へ電話をし、帰りが遅くなる事を伝えた。
 「長門、そろそろ腹も減っただろ?俺はもう腹と背中がくっ付いちまいそうだ。飯食いに行こうぜ」
そう言って歩き出す俺に長門もハードカバーの入った貸し出し袋を片手に持ち俺の横を歩き出す。
 少し歩いたところで、俺の手にちょんちょんと軟らかいものが当る気がしてスッと目をやると長門の手が不自然に宙を漂いながら俺の手に触れていた。
俺が気付いた事に長門が気が付くとサッと手を引っ込め両手で貸し出し袋を抱えた。表情はやや俯き加減でよく見えない。
 「なんだ長門、俺と手を繋ぎたいのか?」
 横をひょこひょこ歩いている長門は肩をピクンとさせ、貸し出し袋を持つ手にやや力がはいった。
ただし、俺にしか分からないナノ単位の動作だったが。そして俯き加減の長門は顔を左右に振った。
滅多に見れない無感情長門の感情。しかも女の子としての反応である。こんな長門を見るのはあの世界改変後の長門有希以来か?
ハルヒや古泉の前では見せない反応。俺だけに見せてくれる反応。それはそれで得した気分だが、普段でも見せてもらえれば俺も部室に行く楽しみが増えるってもんなのだが…
そんな事を考えつつ、俺は貸し出し袋を抱える長門の手をギュっと掴んだ。長門は微かに本当に微かに「あっ」と声を漏らした。
夜の街を照らす外灯下を手を繋ぎゆっくりと歩く二人。長門も繋いだ手を少し握り返していた。
 それなりにムードがあったとしてもそこはそれ、二人とも金銭乏しい高校生であることに変わりは無く、しかも長門は制服姿である。
入れる所といえば必然的にファミレスとなるのを誰が咎められよう。
 ファミレスに入った俺と長門は店員に中央の席に案内された。
 「店中央の席かぁ、なんだか目立っちまうな」
 「見られるの嫌?」と、少し寂しげに長門が言う。
 「長門が気にしなければ、俺はかまわないさ」と言ったものの、本当は団員や顔見知りに見つかるんじゃないかと内心ヒヤヒヤものだった。
 「大丈夫、私は気にしない」と言って長門は案内された席にちょこんと腰を下ろした。
 メニューをじっと見つめる長門…
 「今日は俺のおごりだから好きなもの頼めよ」
 というより、いつもハルヒに何だかんだと言われSOS団全員の食事代を肩代わりしているようにも思えるが、今日は遠慮ってものを知らないハルヒやあのニヤケ野郎の古泉が居るわけではないので心の苦痛ってものは無い。ただし朝比奈さんなら、いつでも、おごりオッケー!
 今日は長門一人だから出費もたいしたこと無いな。
 この時、俺は予想外出費になることなど露ほどにも思っていなかった。
 五分ほどメニューと格闘し、俺は店員をベルならぬプッシュボタンで呼んだ。
 「お待たせしました。ご注文をどうぞ。」と言う店員に俺は、ハッシュドビーフハンバーグのAセットを頼み、長門はミックスグリルCセットとミックスピザと季節野菜のサラダと鶏の唐揚げを指差す。
 「おいおい、長門そんなに頼んで大丈夫か?食えるのかよ。」
 「育ち盛り」
 今のは、長門なりのジョークなんだろうか?それにしても見誤ってたな、長門をただの小柄な女子高生だと勘違いしていた。
そういえば孤島でも結構食ってたな。宇宙人製有機ブラックホール恐るべし!!
 注文した食事を待っている間、長門はゴソゴソとさっき図書館から借りてきた分厚い本を取り出した。
 「長門よぉ、飯食いに来た時くらい読書は止めたらどうだ。何か話そうぜ。」俺はやれやれといった表情で長門を見つめる。
 取り出した本をまた元に戻し、長門もブラックホールのような吸い込む眼差しで俺を見つめる。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 緊迫した状態でも無いのに凍りついた時間が二人の間に流れる。
正直、たまらない…。
俺は凍りついた海を進む砕氷船の船長の如く、この状況を打破すべく話しをきりだした。
 「長門はテレビとかは見ないのか」
 「あまり」
 「クラスで仲の良い友達とか居るのか」
 「とくに」
 「あー…、最近体調は~」
 「悪くない」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「悪かった、本を読んでて良いぞ」
 「そう。」
我が砕氷船はタイタニック号の如く氷山に沈没させられてしまった。
だめだ、会話が続かん。さすがは文芸部付属の置物的存在だ。
どうやったら会話が続くのか…というより、どうやったら一行以上喋らせる事ができるのか誰かご教授願いたい。
 長門は借りてきたハードカバーの文字を部室と変わらず目で追う。俺はそんな長門をぼーっと見ていた。
 暫らくすると、次々と料理が運ばれテーブルを埋めるように並べられていく。ほとんどが長門の食い物だがな。
 「腹減っただろ。食おうぜ。」
 長門は頷くと小さな声で「いただきます。」といって、食事を始めた。
 淡々と一定のリズムで食材を口に運ぶ長門。みるみるうちに料理の下から白い皿が姿を現す。もちろん会話は無い。
無表情娘も会話をしながらゆっくり食べれば、それはそれは可愛い娘なのだが。
 しかし、周りから見ると俺達二人はどう映っているのだろうか?
無言に食事をする姿は、やっぱり別れ間際のカップルに見えてもおかしくは無いだろう。何か残念に思えるのは何故だ。
 俺が完食するちょっと前には、長門は既に皿を綺麗に空けていた。そして俺の皿を見つめている。その瞳は、まだ何か食べたそうな目である。
 「長門、もういいのか?食べたい物があれば頼んでいいぞ。」という俺に、長門は少し躊躇しメニューの後ろの方に書かれていたチョコレートパフェを指差し「これ良い?」と聞いてきた。
食後にチョコパフェ。なんとも女の子らしいデザートじゃないか。
長門のチョコパフェを食べる姿なんて、そうそう見れるものじゃないからな。
おそらくSOS団メンバーの前では絶対に食わんだろ。俺だけの役得ってやつだ。
これだけでも今日おごったかいがあったってもんだぜ。
 長門はチョコパフェを食べ、俺はコーヒーをまったりとして喉に流し込む。驚いた事にチョコパフェを食べる長門は先程の淡々とした食べっぷりとは一転して会話は無いもののゆっくりと細いスプーンで小さな口に運んでいる。
 「パフェ美味いか?」
 「とても」
 俺は長門を見ながら、こいつもこうしてれば普通の女子高生と変わらないな。などと思いチョコパフェを食べる姿をじっと見つめていた。
 長門は見つめる俺に気付き「なに?」と顔を上げた。
 クスっと笑い「長門、口の周りにクリーム付いてるぞ」とハンカチで拭いてやる。すると長門は一般人が見逃すくらいの照れた表情で、下を向き「ありがとう」と言うと残りのパフェをゆっくり口に運んだ。
 食事も終わり長門と何かを話すわけでもなく、ただ時間だけが流れて行く。
水の減っていないグラスに店員が水を汲みに来る、つまり“帰れ”という意思表示だ。
 「長門、そろそろ帰るか。」と言って俺はレジへと向かい、長門は本を貸出し袋に入れて俺の直ぐ後ろを付いてきた。
 食事代は嵩んだが、長門のパフェを食べる姿は食事代以上の価値があるように思うね。

 ファミレスと出ると、もう行きかう人々はまばらとなっていた。
 「早えーな、もう十一時過ぎてんのかよ。悪かったな長門、遅くなっちまって」
 長門はいつものように無言で顔を左右に振る。
 電車に乗り、ちょっと遠回りになるが長門を家まで送った。
 長門を一人で帰しても襲われる心配はないだろうが、というより襲ったヤツの命の方が危険なのだが…
兎に角、見た目はか弱そうな女子高生なのだ、何も知らない男が欲望に任せて自分の命を危険に晒さない様に俺が送り届けると言う事がマナー(人命救助)ってもんだろ。
 幾度も足を運んでいる高級分譲マンションの前まで送り届けると長門は「今日はありがとう。とても嬉しかった。私はあなたにとても感謝している。あなたに何かお礼がしたい。」
単語を並べたような言葉。しかし今回の言葉は長門にしては珍しく長文の部類に入るものだった。
 「お茶…飲んでいって…約束だから」
 「でも今日はもう遅いからな。」…約束してたっけ?
 「だめ?」
 俺の二十センチ側で見上げる長門。その見つめる瞳は全てを取り込んでしまいそうで、それでいて儚い眼差し…長門、その技はあまりに反則だぞ!
もちろん、こんな魅惑的技をかけられた俺が招待を断る術も理由も持ち合わせてなどいるわけもなく、お茶だけならと招かれる事にした。これまでも長門の部屋には何度も押しかけているしな。
 708号室の扉を開け「上がって」と長門が俺を招き入れる。
長門のほうから家に招かれたのは、出会って間もない頃に栞で公園に呼び出されたのちにココに連れて来られて、情報なんちゃら体だの対有機なんちゃらヒューマノイド・インターフェースだの永遠とデンパ話しをされて以来だな。
今では平然と宇宙人・未来人・超能力者と付き合っているが、あの頃の俺は無垢な一般ピープルな高校生だったのさ。

 何度来てもあいかわらず殺風景な部屋だな。リビングルームに冬にはコタツとなるテーブルが一つポツンと置いてあり、隣には俺と朝比奈さんが三年間眠り続けた客間。大きなガラス戸にはカーテンも無く無用心この上ない。
 「長門…、カーテン付けないのか?」
 ガラス戸をじっと見つめ「この方が良い」と一言言うだけだった。
 カーテンを付けない事には何か理由があるのだろうか?
 「なぁ長門、夜景でも眺めているのか?」窓辺に立ち俺が質問すると、一言「ユキ…」と言った。
 「ユキ?」
 「そう雪。冬には雪が降ってくる」そう言うと長門は俺の横に立ち今から暑くなっていく空を見つめた。
 俺は「そうか…」としかあいづちを打ってやれなかった。
 長門は俺の方に向き直すと「お茶入れるから、座ってて」と言い台所へと向かった。
 テーブルに座る俺にほうじ茶を入れる用意をしてくれる無駄な動作の無い小さな後姿。見れば見るほど、人形のように思えてくる。
 コンロにケトルをかけ、一旦テーブルに戻ってきた長門は俺の目の前に座った。
 音の無い時間が一秒一秒過ぎていく。
 俺を見つめる長門は何か言いたげだった。こういう場合俺の方から何か話しかけた方がよかったのだろうが、話題がまったく浮かんでこない自分が嘆かわしい。
 止まっていた時間を再始動させるが如く“ピ―――”っとケトルが沸騰の合図を送り、蒸気を三次元空間へと放出する。
 それを合図に長門はスッと立ち上がり音も無く台所へ足を滑らせ、ケトルからポットへお湯を移しテーブルへと戻ってくる。その動きには、やはり無駄というものが無く、端麗ささえ漂っている。
 お茶の葉を急須に移し、お盆の上に乗った口の広い御客様用湯飲みに熱々のお茶が注がれた。
 初めて来た時は駆けつけ三杯、俺の向かいに座った状態からお茶を勧められたが、今日はお茶を入れた後一旦立って俺の横まで来て「はい、飲んで」と勧められた。
 SOS団の麗しのエンジェル朝比奈さんが入れてくれるお茶は当然の如く格別なものだが、SOS団…いや文芸部のアンティークドールたる長門有希が俺のために入れてくれるほうじ茶も香ばしくかなり美味だと思うね。谷口に話したら卒倒してしまうほど悔しがるだろうな。
 俺は、差し出された熱々のお茶をズズッと少しづつ口の中へと流し込む。
 「おいしい?」
 以前にも同じセリフを聞いた様な気がするが…
 「ああ……」
 そして、その時もこう答えた気がする…
 「部室で飲むお茶より、おいしい?」
 “ぶっ!”
 「うわっ、熱ち熱ちち!」長門の思いもよらない言葉に俺はお茶を溢してしまった。上半身も、ズボンも共にビチョビチョだ!しかも今し方湧いたばかりの熱湯でたまったもんじゃない。
 「うお~!熱つ、熱つ!長門、何か拭く物貸してくれ。」
 長門は慌てて別室へ行き、タオルを持って小走りに帰ってきた。
 「大丈夫?」そう言って濡れた服とズボンをタオルでパタパタと拭いてくれた。
 パタパタ…
 パタパタ…
 パタパタパタパタパタパタパタパタパタ…
 あぁ長門、そんなにパタパタと刺激されたら俺の元気印が…
て、やべっ!本当に勃ってきた。
そう思った次の瞬間には俺の股間に突貫工事でエッフェル塔が建築されていた。
 パタ…長門の拭く手がエッフェル塔を押さえつけるように止まった。その部分をじっと見つめると、ゆっくり無機質な瞳が俺を覗き込んできた。俺はとっさに顔を背ける。
 また、時間が止まり静寂という時が流れる。
 長門の手が俺自身に触れているという思考(おもい)と伝わって来る感触が陶器の硬度からダイアモンドの硬度へと一気に変えていく。
俺は顔に大量の血液が激流のごとく巡って行くのがよくわかった。
 「す、すまん長門。手をどけてもらってもいいかな?」
 「陰茎海綿体内への大量の血液流入による膨大硬化状態。一般的用語で言うところの“勃起”を確認。あなたは今、性的興奮状態にあると考察する…違った?」そう言いながら長門は手を退けた。
 俺は長門の言葉に無言のまま、情けない体勢を元に戻せず顔を背けたままのどうする事も出来ずにいた。
 静寂な時間は、気まずい時間へとかわり二人をべっとりと包んでいく。
 ゆっくりと体勢を元に戻し「俺、そろそろ帰るわ。お茶溢して、すまなかった…」
そういうと、まともに長門の顔を見れないまま逃げるように俺はビチョビチョのまま玄関へ向かった。長門も俺のすぐ後ろをついて来る。
 玄関まで来て、靴を履こうとすると、長門がズボンの後ろを引っ張った。
 “びちゃ”…つめてぇ~「何すんだ長門」
 「待って、あなたの服はびしょ濡れ。原因は私にある。お風呂すぐ沸くから入っていって。明日になれば服も乾く。」
 「それって、泊まっていけって事か?いくらなんでも、それはマズイだろ。」
 「マズイ?」
 「ほら俺達まだ高校生だし、誰もいない部屋に男女二人っきりってのはやっぱり…」俺は、なんだか初々しいカップルの様な答えをしてしまった。
 「私はかまわない。ダメ?」
 …いや、長門よ、お前がかまわなくても俺がかまうんだ。わかるだろ。
 「スマン。やっぱ、帰るわ」
 長門はこの答えに無言だった。ズボンの後ろを掴んでいた手が力無しげに外される。背中から伝わってくる寂しい雰囲気は長門の顔を見なくても、痛いほど伝わってくる。
 俺は男として、このまま帰ってもいいものだろうか?何も無いにしろ(いやある筈も無いのだが)誰かに知られては、ただでは済みそうに無い。
 学校に知られれば停学くらいはくらうかもしれん、ハルヒになんぞ知られた日にゃどんな事になるか想像もつかん。
 俺もこんな時間に女の子一人の家に上がってしまった時点で何かある事も予測すべきだったのかもしれん。でも、せっかくのチャンス…いや好意を無下にする必要もないのでは?ばれなきゃいい事だし、長門なら情報操作だのなんだので上手くやってくれるかもしれん。
 俺は泊まるべきか、帰るべきか脳内では一進一退の攻防が行われていた。
 そして振り向きながら俺の口から出た言葉は。
 「やっぱり。泊まっていってもいいか?」きっとその時の俺は何かを期待していたに違いない。
 長門は消えてしまいそうなトーンで「いい。」と一言発した。しかし、その顔からは寂しいという雰囲気は消え恥じらいの表情さえ伺えて見えたような気がした。

 いくらなんでも無断外泊というのは後々面倒になりそうだったので、家に連絡を入れ国木田の家に泊まるような嘘を言った。幸いな事に妹は既に夢の中だったらしく、あれこれ詮索されずにすんだ。
 嘘をつく事に後ろめたい気持ちが無いわけでは無いが、面倒を背負い込むよりはマシだろう。
  「今、お風呂を入れてるから、少し待って」
 そう言った長門を見ていると、部屋を右から左へ、左から右へさっきまでの長門とは別人のように無駄な動作をしている。
いったい何をあたふたやってるんだろうね、この娘は…
 「おい、いつものお前らしくないぞ。座って本でも読んで落ち着いたらどうだ?」
 ゼンマイが切れたロボットのように、はたっと動きを止めたかと思うと、スムーズかつ静かに首から上を俺に向けた。俺を見つめる液体ヘリウムのような目をした長門を見て安心した。いつもの長門に戻ったようだ。
 実はこの時の“元に戻った”という俺の考えはハズレていたのだが…
 俺の意見に同調したのか、ひょこひょことテーブルの前まで来るとちょこんと正座をしてテーブルの上に置いてあった本の栞を挟んだページを開いた。
 長門が本を読み出すと、必然的に俺は一人放置プレイとなるわけで、風呂にお湯が溜まるまでのこの無音な空間は俺には絶えがたい。
 「長門、何か雑誌とかあると助かるんだが…」
 長門は本から目を放さず、ただいつものように指を指すだけだった。指した先には長門の勉強机がありその上にいくつかの雑誌が積み重ねてあった。雑誌は女性ファッション誌であり見ても俺には面白そうにも無い。
 驚きなのはいつも制服姿の長門もファッション雑誌に興味があるということだ。
 長門の私服姿を見れるのは休日にSOS団のイベント事で呼び出された時位だけみたいだからな。普通の休みの日でも、もっとオシャレする事でも勧めてみるか。
 ふっと前を見ると整理整頓され、きっちりと並べた辞書や参考書の中に赤い背表紙のアルバムらしき物を見つけた。長門のアルバム?4年余の人生…いや入学するまでは待機モードで一人この部屋に閉じこもっていたはずだ。
いや正確に言うと隣の客室には俺と朝日奈さんが寝てたわけだが…それは、どうでもいいか。
 すると、入学してからの写真なのか?それともSOS団の写真か?
そう考えていると中の写真が気になって仕方がなくなってしまった。
 「よう、長門。このアルバム見せてもらっていいか。」
 アルバムを手にとって言う俺に、長門は“ハッ”とした表情で俺を見ると、読んでいた本を床に放り出しパタパタと駆け寄ってきた。
 「だめ。それ、見ちゃだめ。」
 突然の長門の振る舞いに、俺はアルバムを待った手を上に上げてしまい、身長154センチしかない長門はぴょんぴょんと飛び跳ねてアルバムを取ろうとする。
 焦りと恥かしさと切なさが入り混じったような複雑な表情がまた可愛らしい。
 「わかった!わかったから、長門飛びつくな。おわっ!」
 “ズダーーーン”
 俺と長門は大きな音を立てて倒れこんでしまった。
 「痛てててて…、長門怪我は無いか?」
 「大丈夫。あなたが咄嗟にかばってくれたから、怪我は無い。」
 身を起こした俺の顔の真下に整った長門の顔があった。それは互いの息が感じられるくらいの短い距離。長門の薄い唇が軽く開き息がもれ、俺の鼓動は一気に加速していく。こうなってしまえばブレーキを踏んでも、そうやすやすとは止まれそうにもない。
 しかし、なんの偶然かそれとも神様の悪戯なのか、床に落ちページを開いたアルバムがチラリと目に入ってしまった。その事に長門も気付いたのか、次の瞬間俺は何故か天井を見ていた。
 ・・・長門は何処だ???どうやら俺は急ブレーキではなく、事故停車したらしい。
 首を上げるとそこには床にぺたんと座りアルバムを抱えている上下さかさまの長門の後姿があった。
 よいしょと身を起こし長門の側へ行く。
 「すまなかったな長門…」そう言う俺に、長門は顔を振り向かせ「これはダメ。秘密。」とちょっと怒った感じに言う。…でもスマン長門。アルバム見ちまった。
 アルバムにはハルヒの命令で写真係りとなった朝比奈さんの撮ったSOS団の活動記録なるものと、それとは別にいつの間に撮ったのか俺の写真のページがあった。
あれは、ハルヒや朝比奈さんが撮ったものとは違ったように思えたが、やはり長門… お前が撮った写真なのか。でも、いつの間に…。
それにしても何故俺なんだ?他のページにはハルヒコーナーや朝比奈コーナー、古泉コーナーなんかもあるのだろうか?
 長門はアルバムを胸に抱き、机の引き出しに大事にしまい込む。と、同時に『オフロガ ハイリマシタ』と電子音声がリビングに流れた。俺は追い立てられるように風呂場へと向かわされる。

 脱衣所には洗面台と洗濯機に乾燥機、二段式脱衣籠などが置いてある、何の変哲も無い脱衣所だ。
 俺を追い立てて後ろからやってきた長門は脱衣籠の上の段を指した。
 「男性用下着は家には無い。これで我慢して。それと歯ブラシも置いておく」
 指を指した先にはバスタオルと見覚えのある北高マーク入りの紺のジャージのみが綺麗に畳んで置いてあった。
つまり俺はノーパンでジャージを着て一夜を過ごす事が決定された。
 「わるいな長門。シャージ有り難く使わせてもらうよ。」
 「かまわない」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 二人の間に沈黙が流れる…
 「あのー長門さん、俺今から風呂に入るんですけど…」
 「どうぞ」
 そう言って、直立不動に立っている長門を俺は肩を落とし困り果てた顔で見た。
 「どうぞって…服を脱ぐから出て行ってもらっていいか…」
 長門は俺を数秒凝視してツーっと脱衣所を後にしてくれた。
 体温を奪っていく濡れた服を脱ぎ捨て、風呂場に入ると入口正面には水垢のついていない大きな鏡があり俺の身体を映している、浴槽はこれまた普段使ってるのか?と思うくらいピカピカだし、シャンプーやコンディショナー、ボディソープのラベルが全てこちらを向き整然と並べられていた。
 それにしても風呂の自動の湯張り機能ってのはいいもんだな。湯沸しタイプの風呂なんか、ちょうどいい温度と思って入れば下は真水だったりするからな。湯張り機能とまではいかなくとも温度管理くらいはどうにかならないものかね。そうすれば俺は生温い風呂で体を丸めてお湯が沸くまで耐えしのぐ事もなくなるんだがな。
 体が温まったところで浴槽を出てボディソープをスポンジに取り、泡立ててから体を擦る。
 “ゴシゴシゴシゴシ…”
 家ではナイロンタオル型のヤツだから、スポンジってのはイマイチ洗った気がしない。しかも背中が届かない。
 洋画なんかでは柄のついたブラシで背中を洗っているシーンがあるが、ここにはそんなものは見当たらなかった。
 背中はあきらめて、体からそのまま顔を洗っていると、突然後ろのドアがガチャと音を立てて開いた。
 誰だ!!。って、この家には俺と長門しかいないじゃないか。長門以外に誰が来る。
 朝比奈さんなら絶対入ってこないな。ハルヒなら蹴り入れられそうだし、朝倉涼子なら何の躊躇も無く背中にナイフを振り下ろすだろう…考えただけでも恐ろしい。古泉だったら…それは別の意味で身の危険を感じる。などと現実逃避してる場合か俺!
 待て待て、なぜ長門が入ってくる必要がある。そこまでこの風呂はデカくないぜ。それともお前も朝倉のように俺を殺りに来たのか?ってこれも現実逃避だ。
 風呂場に入ってくるって事は、やっぱり俺同様一糸纏わぬ姿だよな。その気があるのか長門よ。理性が飛んじまったら俺は止まる自信がないぜ。
 顔を洗っていた事を後悔するね。これじゃ長門の姿を確認できん。
 とにかく男である象徴を隠さなければならず、タオルなどは無いので両手で隠すしか方法が無かった。しかも両手を使った事で俺は完全に自由を封じられてしまう形になった。
 本来なら叱咤するところなんだろうが、俺は動転しまくったあげく「な、長門か、どうした?何の用だ?」と素っ頓狂な事を平然を装いながら言っていた。
きっと声は裏返り相当マヌケ野郎だったに違いない。
 長門は俺の後ろまで来ると「背中流してあげる、あと頭も」と言いスポンジを手に取り、ボディソープを垂らして背中を擦り始めた。
 上下する長門の手がいい感じの力加減で、やたらと気持ちいい。
 「背中を洗ってくれるのは、ひじょーに有り難い事なんだが…」
 「なに」
 「いや、その…俺だって健全な男なんだぜ、その風呂場に裸で入ってくるって事がどういう事か分かってるのか?長門、お前だからと言って手を出さないとは限らんぜ」
 「大丈夫、私は衣服を着用している。あなたが考えているような姿ではない。あなたは、そのままにしていればいい。」
 「ああ、そうかい…」ちょっと期待していた分、安心40%、残念60%だぜ。
 そのうちに洗っている場所が背中から頭に移っていた。
 うっすらと目を開けて湯気で曇った鏡を見てみると、北高制服の色は確認されなかったように思えた。
 痛たたたた。目に石鹸が入っちまった!
 俺の頭を丁寧に洗い上げると、「後は、あなたが自分でやって」長門は、そう告げ風呂場から立ち去っていった。
 俺は視界を邪魔していた忌々しい石鹸をシャワーで洗い流し、コンディショナーで短い髪をツヤツヤにして風呂に肩まで浸かった。
 今日の長門の行動は何なんだ。またエラーの蓄積か?それとも、また世界を改変したのか?しかし俺の周りの奴らに変わったところはなかったぞ。長門は自分だけを改変した?それもノーだ。行動さえ大胆極まりないものだが基本的には無表情・無感動・無口の三拍子揃った長門有希だ。
 考えを色々と巡らせ落ち着く事の出来ない風呂を堪能しすぎてしまい、ちょっと逆上せた。うっぷ…。
 ふらつく頭で風呂を上がり、脱衣所でしゃがみ込んだ。あー、目眩がする。脱衣籠に目をやると下の段に一枚の白いバスタオルが軽く畳んであり触るとしっとりと濡れていた。
 俺はその濡れたバスタオルを使ってもよかったが、せっかく長門が用意してくれた洗立ての香りのいいバスタオルを使用し頭のてっぺんから爪先まで気持ちよく拭きあげると、悪いと思いつつも下着もつけずにジャージを拝借する事にした。
が、途中まで着ようとして、ある事を再確認させられた。長門と俺の体格差がありすぎてジャージが入らない…
無理やり着たとしても、血流を止めて手足を真紫にして壊死させてしまうか、8歳児の洋服を着るビックリ人間さながらにテレビ出演するかのどちらかだ。
どちらも御免被りたいので、結局は濡れた自分の服を着る羽目になるようだ。
せっかく風呂に入ったっていうのに…
 その内乾きもするだろうと、あきらめて自分の服を着ようと思うと、Why?脱いだはずの服がどこにも無い!
 そして、目に入ってきたのは洗濯機。
 まさかと思いつつも恐る恐る開けてみると、俺の服がポカプカと洗濯機の中で水泳の授業中だった。あまりにもベタだが、泊まらせる為の効果的な手段だ。
しかも俺の服と共に、明らかに男には必要の無い興味をそそられるもの達も一緒に水泳の授業を受けていた。今日の水泳の授業はは男女混合らしい。
 良くも悪くも、これでSOS団全ての女性陣の下着を拝んだ事になるわけだ。…やっぱり良いのだろうな。
 洗濯機からそれらを引き上げて拝ましてもらいたいという衝動にも駆られたが、そこまで愚行を行ってしまうと、ただの変質者であり、谷口と同レベルに落ちてしまうのでそれだけは避けた。
 兎にも角にも現状況を打破するには長門に頼る他はないであろう。元を正せば長門が原因なんだし。
 俺は脱衣場から顔だけを出して長門を呼び、長門は返事も無くいつもより歩幅狭くテチテチと歩いてきた長門をドア直前で静止させた。そうしないと脱衣所まで入って来ないともかぎらないからな。
 「すまんがジャージが小さくて入らないんだ、他に何か無いか?」そういってジャージを差し出すと、長門はジャージを手に取り久々に聞く超高速早口呪文を唱えた。
 「これで大丈夫」そういってジャージを戻された。
 「着衣の繊維収縮情報を変更した。オールサイズモード。」
 「分かりやすい説明ありがとう。助かる。」
 「どういたしまして。」そういい残してまたテチテチとリビングへと長門は戻っていった。
 俺は長門の歩き方の不自然さになど、その時は一切気にならなかった。なんせ着る服を調達するのと長門の大胆行動を防ぐのに頭がいっぱいだったからな。
 さすがは長門マジックの賜物と言うべきか。今し方までまったく入らなかったジャージが俺の体型に合わせるように伸び、伸びたからといってビロンビロンになったり生地が透けたりはしなかった。

 脱衣場を後にしリビングルームに戻ると、小さな背中を向けてページをめくる時にしか動かない凝固体がちょこんと座っていた。
 「先に入らせてもらって悪かったな。それと背中サンキュー」と、照れながら言うと。
 長門は本からは目を離さずに「かまわない。次は私がお風呂に入る番」そう言って本に栞を挟み制服のスカートを押さえながらぎこちなく垂直に立つ。
 俺はここにきて、やっと長門の不自然な動きに気が付いた。
さっきから、やたらとスカートを押さえたりソワソワしているような動きが目立つ。
それに俺の背中や髪を洗ってくれたはずなのに制服に濡れた後や石鹸が付いた後が全く無いのである。
 左手に着替えを持ち右手を腰に当て長門が風呂へと向かう。そして足取りはやはり歩幅小さくテチテチと歩いていく。
 不自然な長門の動きに俺は「腰でも痛めたのか?」と訊いてみると、「なんでもない。ここから先は進入禁止」と言って風呂へと通じる廊下の曇りガラス戸をパタンと閉めた。
“進入禁止”って自分は堂々と俺の入浴現場に無断進入してきたくせに…
 俺は名探偵の如く不自然な動きをする長門の現段階の情報をまとめてみた。


 ①俺が風呂に入るまでは通常の長門だった。
 ②洗顔中に長門の襲来。その時長門は衣服着用と言ったが俺は確認していない。
 ③薄目を開けて曇った鏡を着た限りでは制服らしきものは映っていなかった。
 ④脱衣籠にあった湿ったバスタオル。(あれって俺が風呂に入る時から置いてあったか?)
 ⑤洗濯機に浮んだ俺の服と長門の・・・
 ⑥濡れていない長門の制服
 ⑦長門のスカートを押さえる仕草とソワソワした感じ


 これらの事から導き出される答えは…
 「うおぉぉぉ、俺はなんて勿体無い事をしちまったんだ!」俺なりに導き出された答えに俺はすぐさま頭を抱え悶絶してしまった。
 長門はあの時“衣服着用”とは言ったが制服なんて一言も言ってなかったじゃないか。つまりあの時の長門は白いバスタオル一枚…これなら鏡に制服が映らなくてあたり前だし湿ったタオルの説明もつく。
そうなると洗濯機に入っていた下着はそれまで長門が着用していたものに間違いないだろう。って事は、今までここにいた長門の制服の下は…
 だめだ想像しただけで、鼻血が出ちまいそうだ!
焦るな焦るな俺!本当にそんな事が起こり得るだろうか?
 しかし乏しい俺の脳味噌が導き出した答えだとはいえ、確率的には高いんじゃないか!?
 “ここから先は進入禁止”と言っていたが、本当に進入禁止なのだろうか。実は密かに俺が来るのを待っているんじゃないか?そもそも先に入ってきたのは長門の方なんだし。
 いやいや、待て待て。俺の推理が間違っていたらとんでもない事だぞ。
停学どころか退学か?下手をしたら犯罪者Aって事もありえるな。
ハルヒに嫌われるより、長門に嫌われる方がショックもでかいし、また何かあった時に今度は助けてくれないかもしれん。
それどころか朝倉涼子にやったように情報連結の解除とか言ってこの世から消されでもしたらたまったもんじゃない。
 俺は悶々とした気分の中、頭の中では肯定派と否定派の鬩ぎ合いバトルが行われていた。廊下に通じる曇りガラス戸の前で俺は顎に手をあて檻のなかの熊のようにグルグル回っていた。
 “!!!”
 気が付くと、長門がガラス戸の前に立っておりグルグル回る俺をジッと見ていた。
 「長門さん、いつからそこに…」
 「三分四二秒前から」
 「ずっと見ていたのか?」
 長門は乾ききっていない前髪が少し動くくらいの頷きをした。
 「そ、そうか…声をかけてくれればよかったのに…」
 口元が引き攣りぎみに言う俺に、長門は無言無動のままアメジストのような瞳で俺を見つめ続けた。
 長門の全身を見るとグリーンのチェックの前止めシャツに、同じ柄のズボンでシンプルだが可愛らしいパジャマ姿だった。
 いや~透けてはいないものの腕や胸元近くまで開き長さは膝丈、首周りやスカート部の裾にピンクの縁取りとリボンがついた薄ピンクのネグリジェじゃなくてよかった。
もし、そんな妖艶な姿だったら間違いなく俺の理性は海王星くらいまで吹っ飛んでいただろうからな。
 バツが悪くテーブルに戻り座りなおす。長門も定位置に座ると新しくほうじ茶を入れてくれた。
 「あなたは、まだお茶を飲んでいない。飲んで。」
 何が何でもお茶を飲ませたいのか?律儀なやつだ。
 今度は噴出すことも溢すことも無く、二人向かい合いお茶をすすった。無論、会話は無い…
ただ、長門のうつむきお茶を飲む顔が湯上りのせいだろうか、ほんのり色付いていたのが印象的だった。

 夜も更け、お茶で気分も落ち着いたせいもあってか俺はうつらうつらとし始めていた。
 長門が俺の肩を揺らして「起きて」と現実へと引き戻す。
 「あぁ、すまん。寝ちまってたのか。」
 「寝具を用意した。そっちで寝た方がいい。」
 そう言い客間の方を指差した。
 俺は眠い目を擦りながらうな垂れて客間へと案内される。
 客間の引き戸を開けると、見覚えのある和室に見覚えのある布団が見覚えのある形で二組並べてあった。
 懐かしい光景だ、朝比奈さんと三年間時間を止められた時もちょうどこんな風に二人して寝かされたんだったな・・・・・
って、「ちょっと待て長門!なんで布団が二組並べてあるんだ!」俺の思考能力が夢遊域から一気に覚醒域へと瞬間移動し、そのままパニック域まで猛ダッシュした。
 「あなたの分と私の分」
 宇宙人製有機アンドロイドは無機質な声質で平然と言ってのけた。
 「そうじゃなくて、なんで俺とお前が同じ部屋で布団並べて寝なきゃならんのだ。」
 「あなたは以前、朝比奈みくるとこの部屋で共に寝ている。今日は朝比奈みくると私の違いだけ。問題ない」
 「問題ある。あの時は寝ていたんじゃなく、お前が時間を止めていたんだろ。それに一緒に寝てお前に手を出さないという自信が俺には無い。兎に角、俺はリビングにでも寝させてもらうよ。」
 そう言った俺の腕に長門はしがみ付き、顔を左右に大きく振った。
 「大丈夫。あなたはそんな事しない。私には分かる。だからお願い…」
 “だからお願い…”って懇願されちゃったよ。どうするよ俺!
 「よし、なら布団をもっと離して敷こう。それなら俺もOKだ。」
 「了解した」そう言って長門は布団をズズズ…と動かした。
 「朝比奈みくるの時より1メートル離した。まだだめ?」と更に懇願する眼差しで俺の事を見てきやがる。
なんでそんな目で俺を見るんだ。いつもの液体ヘリウムの眼差しはどうした!?
 「わかった、わかった。それだけでも十分だ。」
 やれやれとばかりに頭を掻きながら、どうなっても知らんぞと考えながら長門を見ていた。
 今夜は俺の理性に全てがかかっているのである。いったいこんな我慢大会に俺を推薦しやがったのは何処のどいつだ!見つけたらタコ殴りにしてやる。
 「長門、悪いが早々に寝させてもらうぞ」
 兎に角、早く夢の住人へとなってしまうことが最善の策だと考え、布団を頭から被った。
寝ようとするが、何故か長門に抱かれているような感覚に陥る。
 「あの…それ、私が寝ている布団…」
 俺は跳ね起き、隣の布団へと飛び移る。
 「それを早く言え。」
 長門は手を前で組みもじもじしながら、顔を赤らめていた。
 ちくしょう、なんでこんな時にそんな可愛い仕草をしやがる。何処で覚えてきた!
宇宙人製アンドロイドというより普通の女の子じゃねーか。
 長門に背を向け目をつぶり火の輪くぐりをする羊でも数えるしか俺には自分を抑える手段が残されていなかった。
 ドアや窓の施錠が確認され、リビングの電気が消され、客間の扉が閉められ、最後に客間の電気が消された。
長門が背を向けた俺の横にちょこんと座り「寝た?…おやすみ」という。
それに対して俺は起きてはいたが無言でいた。今言葉をかけてしまえば、その場の雰囲気に流されてしまいそうに思えたからだ。
 施錠によって外界と隔離された家に無音と闇が支配する静寂な時が流れ、二人を包み込む。どれだけの時間が過ぎたのだろうか、俺は天井を見つめていた。
 俺は横に寝ている長門に声をかけてみた。
 「長門…起きてるか?」
 「・・・・・」
 長門は動く気配が無かった。寝ちまったか…
 「…起きてる」
 「今日のお前は、いつものお前らしくなかったぞ。何かあったんじゃないのか?俺でよければ遠慮なんかせずに言ってくれよ。」
 -沈黙-
 「…上手く言語化できない。」
 「そうか。」
 「そう。」
 「いつでも話は聞くからな。それと早く寝たほうがいいぞ。」
 「了解した。」 
 その言葉を最後に俺の意識は闇の中えと落ちていった。


* * * * *

 私は『彼』の側に立って、寝ている彼の顔を覗き込んでいる。
 優しい顔…
 私は『彼』の事を固有名詞で呼ぶ事が出来ない。何故?
 涼宮ハルヒも朝比奈みくるも朝倉涼子だって『彼』の事をニックネームで呼んでいる。
 私もあなたの事をあの名前で呼んでみたい。
 「キョ…」
 やっぱり何かが言葉を詰まらせる。この言葉は私の心拍数を急激に上昇させる。
 何故?
 
 私は『彼』の側に立って、寝ている彼の顔を覗き込んでいる。
 私に表情は無い…
 そういうふうに作られたから。私は目立ってはいけない存在。
 涼宮ハルヒも朝比奈みくるも朝倉涼子だって『彼』の前で笑っていた。
 私だって『彼』の前で笑ってみたい。怒ってみたい。泣いてみたい。
 でも、それは観察者にとって邪魔なもの?目立つもの?
 そんな私の乏しい表情を気持ちを『彼』は読み取ってくれる。分かってくれる。
 大事な存在。


 彼女は『彼』の側に座って、寝ている彼の顔を覗き込んでいる。
 部屋の闇の中に、彼女の小柄ながらも整えられたスタイル、透明な肌が浮かび上がる。
 寝る前まで来ていた着衣は彼女が寝ていた布団の上に脱ぎ捨てられている。
 「一体私は何をやっているの」
   > error_
 「情報の修正が必要」
   > error_
 「こんな事をしてはいけない」
   > error_
 「だめ、『彼』に嫌われてしまう」
   > error_
 「また処分を検討されてしまう」
   > error_
 「その時は、またあなたが守ってくれる?」
   > [yes/no]?_
 「私という存在は、あなたの事がダイス…」

 長門の薄い唇が眠っているキョンのザラついた唇に触れた…
 刹那にして永遠とも思える時間が長門の中に流れていく。
 そして長門の右目からユキ解けの水が一筋頬を伝っていった。
 止まっていた時間は動き出す。 

 少しだけ、少しの間だけ『彼』を感じたい。その衝動が長門有希を突き動かす。

 彼女は『彼』の布団に潜り込んみ、そっと腕の中に抱きつく。今まで感じたことの無いやすらぎが彼女の中に広がっていく。

* * * * *


 “うんん…”俺は息苦しさというか、胸部圧迫感とでも言うべきだろうか。兎に角、寝苦しさに目が覚めた。
 天井を見つめ、今 自分が長門の家で寝ていることを思い出させる。
 俺の身体に何かがまとわりついていた。ショートヘアをさらに短くした見慣れたパープルグレイの髪の毛でスースーと寝息を立てている少女。
って、長門、何やってるんだ!暗い部屋でも長門の白い肌が艶かしく背中まで見えている。
 「長門!おいっ長門!」ダメだ起きやしねぇ
 密着した身体に感じられるこの柔らく気持ちいい感触はなんだ。
 長門に寝ていた布団の上にはグリーンのパジャマと白い下着が散乱している。
 今度は間違いなく裸だ。見えているのは背中までで、その下や抱きついている身体前面は見えないものの100%誰がなんと言おうと天地がひっくり返らない限り、今の長門有希は一糸纏わぬあられもない姿だ。
 俺は一気に汗が噴出す感じがした。それが緊張なのか焦りなのか期待なのかはまったく分からん。

 体と手に触れる長門の素肌の感触。稚拙な頭で妄想する長門の全裸姿…俺の理性という鎖はまるでゴムで出来ていたように呆気なく弾け飛んだ。
 「長門ー!!!!!・・・・・へっ!?」

 体がまったく動かない。首から上は動くものの首から下は指先一本動きゃしねー。

 そういえば以前も似たような事があった。忘れもしない、いや忘れられる訳がない。
あの朝倉涼子に殺されかけた時だ。あの時は首すらも動かなかったが…。
つまりこんな事ができるのは対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースたる長門、お前の仕業か!
これはセキュリティーモードとかボディーガードモードとでも言うのか?
 俺はただただ、長門の香りと寝息、そして首をもたげて確認できる範囲の長門の白い肌。そして体に伝わってくる長門の素肌の感触だけで我慢するしかなかった。
これじゃヘビの生殺しじゃないか!
 まさか寝る前の我慢大会が予選で、ここに来て我慢大会決勝になるとは思いもよらなかったぜ。
 長門に借りたこのジャージを汚してしまわないか、それが心配だ…
 こんな悶々ギンギンとした状況下でも、俺はいつしか眠りについていた。俺ってスゲー

 朝起きると、隣に長門の姿は既に無く、長門の寝具とパジャマが綺麗に畳まれていた。

あれは夢だったのか?にしては、あまりにリアルすぎる。いまだに長門の感触がこう…
 俺は“ハッ”として布団を捲り我が親友を確認した。助かった…ジャージは汚さずにすんだ。

ただ、まだ背伸びをしている親友が元に戻るまでは布団から出れそうにない。

 突然客間の扉が開き長門が入ってきた。
 「起きた?」
 俺はとっさに布団を引き寄せた。
 「ああ、おはよう」

 なんと今日は制服ではなく、白と青のボーダー柄のVネックTシャツに、カーキ色のハーフパンツ姿というラフな格好だった。

 長門が俺を見下ろす。俺は長門を見上げる。いつもと逆のパターンだ。

 「長門、お前昨日の夜…その…覚えてるか?」
 長門は三秒沈黙した後五ミリ首を横に傾けた。
 「いや、何でもないんだ。忘れてくれ。」

 「そう……。これ、昨日汚れた服。洗って乾かしておいた。」
 長門はそういうと手に持っていた服を俺の枕元に置き、その瞬間俺は長門の手を掴み引き寄せる。
 体重を感じさせない長門の体は事も無げに俺の胸元に倒れこんできて、俺はそのまま長門を抱きしめた。
昨夜の出来事がどうしても夢とは思えず確認したかった。
 この香り、服の上からだがこの感触、疑惑は確信へと変わった。
 「長門…、お前やっぱり…」

 長門は最初目を丸くしてパニクッていたようだが、すぐに顔を埋め俺の背中に手を回した。
 長門の小さな体が小刻みに震えていた。

 「泣いてるのか?」

 「泣いて…ない。」
 「そうか…」

 「そう…」

 長門の小さな嘘。俺は長門の震えを止めるように抱きしめた腕に力を込めた。
 長門を幾時間か抱き締め、俺は長門の洗ってくれた服に着替えた。

 リビングに行くとキッチンから長門がテーブルに朝食を出してくれる。
 ハルヒについでなんでもこなすスーパーユーティリティプレイヤー長門有希。

 その長門が作る飯が不味いわけがない。
 昨夜と同じく二人で食べる食事なのに、今日の朝食は昨日の夕食より美味く感じられた。

ちなみに会話はやっぱり無い…

 時計を見ると午前十一時過ぎを差していて思った以上に寝ていた事に気付かされた。
 「それじゃそろそろ帰るよ」

 長門は今回は首を縦に振って後ろを付いて来た。

 「安心して、あなたが泊まった事は秘密にしておく。今はそれがベスト。特に涼宮ハルヒに知られれば世界改変の引金にならないとも限らない。」
 「そうか。恋愛禁止なんて事もほざいていたしな。黙っていた方がいいか。」

 長門を見ると、みるみる耳が赤く染まっていった。
 「どうした長門、耳が赤いぞ???」
 「なんでもない。あなたが気にする事ではない。」
 「もし情報統合思念体が何か言ってきたら俺に言って来い!俺がまた守ってやる。」
 「大丈夫。情報統合思念体は何も言って来ていない。」
 「そうか。」
 長門はコクリと頷く。
 俺は靴を履き、長門の頭をクシャクシャと撫でて「それじゃまた明日。部室でな」そう言って、長門の家を後にしようとした。
 すると長門は俺の袖口を引っ張って「よければ、また来て」と目を合わせずに言った。
 「おう、今度はお前の手料理でも食わせてくれ。それと、休日くらい今日のように私服でいたらどうだ。その方が似合うと思うぞ」

 「わかった、そうする。」
 そう答えた長門は、微かに笑ったように見えた。
 長門のマンションを後にし、雲のまばら青空を見上げた。何故だろうな、こんなにも清々しく感じるのは?
 以前、鶴屋さんに“未来人か宇宙人だったら、どっちがいい? ”と聞かれたが、今日俺は“宇宙人を選んだ”という事になるんだろうな。

 玄関のドアが閉じた後、長門は暫らくその場に立っていた。

 「恋愛…」
 自分でつぶやく言葉で、長門はまた耳が真っ赤になっていた…


* * * * *

 『観察対象を追加。パーソナルネーム・長門有希。彼女を観察者から観察対象者に変更。
ただし当該対象者には極秘。長門有希には引き続き涼宮ハルヒの観察を行ってもらう。』
「あらあら、長門さん大変な事になっちゃたわね。これから私があなたを監視する役目になっちゃうみたいね。」そこには長門の家を見つめる喜緑江美里のクスリと笑う姿があった。 


~ fin ~

 
 

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