私の名前は長門有希。情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース。
 私の役目は涼宮ハルヒを観察し情報統合思念体に報告する事。
特別な行動や接触は許可されていない。
だから、いつもこの文芸部で一人本を読んでいた。
彼女。そう涼宮ハルヒの方から接触してくるまでは…
 4年前『彼』との接触で、涼宮ハルヒと彼が文芸部のドアを開ける事は分かっていた。
そして文芸部部室がSOS団と呼称が変わることも、そして私のエラーデータの蓄積によってこの世界を改変してしまう事も…
その事により、私は情報統合思念体によって処分される筈だった。
私が朝倉涼子の有機情報結合を解除したように。
でも彼が助けてくれた。
彼により私は延命することが出来た。
でも彼は私の事をいったいどう思っているの?
彼は改変された世界より元の世界を選んだ、それなのに私に有機生命体のような感情を求めている。改変された世界では笑いも泣きもできる普通の女の子だったのに。

 今日も涼宮ハルヒが団長机で何か思案し、彼と古泉一樹がボードゲームをやって、朝比奈みくるがお茶をいれ、私はいつもの場所で本を読んでいる。いつもと変わらない、なんの変哲もない放課後…
窓から吹き込む風が気持ちいい。私は空を見上げ彼の気持ちを考えた。
どうして…ダメだったの?

 キンコンカンコーン…『下校の時間です。校内に残っている生徒は…』
 既に日も傾き、SOS団部室を紅く染めている。
 「なに?どうしたの」
 そこにはSOS団の部室は無かった。あるのは板張りの床と長机、それにスチール製の本棚。
 涼宮ハルヒの団長机も朝比奈みくるのコスプレ衣装も壁の飾りもお茶セットも無い。彼がいつも座っていた椅子も何も無い。
ただあるのはSOS団部室ではなく、文芸部としての部室。
 情報統合思念体に確認を…
 「!!」
 存在が確認できない。というよりもアクセス方法が分からない。いったいどうなってしまったの?
 長門有希は何もできず、ただそこに立ち竦むしかなかった。今、自分が置かれている状況が把握できなかった。
 部室に鍵をかけると、長門は文芸部のお隣さんのコンピュータ研に行ってみた。
鍵が閉まっていて誰もいないようだ。
ついでに校舎内も見て回ったが誰とも会わなかったし、変わったところは無いように思えた。
今日は一旦家に帰ろう、考えるのはそれから。現段階では情報が少なすぎる。
 長門は職員室に部室の鍵を返しに行った。
 職員室にいたのは、ハンドボール部顧問であり、キョンと涼宮ハルヒのクラス担任(涼宮ハルヒ曰く、ハンドボール馬鹿)の岡部先生だった。
 「先生、これ…」
 長門は、岡部先生に部室の鍵を渡たすと「なんだ長門。お前まだ校内にいたのか。放送聞こえただろ!まったく。文芸部部員はお前だけなんだから、ちゃんとしてもらわんと困るんだがな。まったく、さっさと辞めてもらった方が学校としては楽なんだがなぁ」
 長門は黙っていた。
 「けっ、先生の話も無視かよ。お前のその暗い性格どうにかした方がいいぞ」
 長門は普段はこんな事を言わない岡部先生に驚いていた。
 長門は頭を下げ、振り向き出口へ向かおうとすると、後ろに風が舞うのを感じた。
 「がはははは…長門、今日は縞パンかぁ?」
 岡部が長門のスカートを捲ったのだ。
長門は慌ててスカートを抑え「やめて」と言うと、岡部の顔が目の前まで近づいてきて「やめて下さい。だろうが!」と言い、タバコの煙を長門の顔にフゥと吹きかけた。
 兎に角職員室出入口で一礼をし、家まで走って帰った。何故だろう、走ると息が切れる、スピードが出ない、体が重い。家に帰り着くと、玄関の鍵をすぐにかけた。
 家の中は何も変わらない、いつものままだ。でも何かがおかしい。まるで世界が改変されてしまったようだ。
…世界が改変された!?
いったい誰によって…私ではない。私には以前の記憶がある。改変できるとすれば涼宮ハルヒだけだ。
でも、いったい何故?分からない。
長門は今日は外へ出る気にならなった為、冷蔵庫にある物で夕食をとった。
一人で食べる食事は好きになれない。料理も味気ない…
 翌朝になり、布団から身を起こす。いつものような目覚めではなかった。頭が痛く熱っぽい。
 エラーの蓄積?わからない。どういう状態がエラーなのかさえ分からなくなっている。
対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースたる長門には病気ということがほとんど皆無な為、自宅には薬や体温計などは常備されてはいない。
よって、そのまま学校へと足を向けるしかなかった。

 教室に「おはよう」といつもの通り入りるとクラスのみんなの視線が何か冷たく感じる。もともと会話自体多くはしないのだが、今日のクラスメートは、いつものそれとは違っていた。長門と目を合わそうとさえしないのだ。
 「あら長門さん、珍しいじゃない朝の挨拶なんて」そういって近づいて来たのは、黒々としたストレートヘアーをまるで巫女の様に後ろで束ねキリリとした眉と切れ長の目、凛とした表情のクラスのリーダー的存在“大山陽子”だった。
 「私はいつもしている。特別な事はしていない。」と長門がいうと、クラスが一瞬ざわついた。
 「何、私に口答えする気?長門さん未だに自分の立場が分かってないのかしら」と身長のある大山陽子が背の小さな長門を見下ろす。
 「言ってる意味が分からない。私は、いたって普通」
 更にクラスがざわめき立つ。“長門がたてついたぞ”“長門のくせに生意気よね”“根暗女が調子づいてんじゃないわよ”“いつものように調教が必要なんじゃない”クラスメートの口々が囁く。
 「いいわ、もうすぐホームルームが始まるから、長門さん後でゆっくりお話しましょう」そういうと大山陽子は自分の席へと戻った。
クラスメートの長門を見る目が露骨に冷たくなる。
長門は自分の席に着くと、今までに無い異変に気付いた。
“根暗”“死ね”“学校に来るな”など文字が机一面に書かれていたのである。長門はクラスを無機質に睨みつける。クラスの誰が書いたのではなくクラス全員が書いたように思えた。それは睨みつけたクラスメート全員が嘲笑していたのを目の当たりにしたからだ。
 この世界での長門の立場、それは“虐められっ子”であった。
 長門は恐怖を覚えた、それはクラスメートへの恐怖などではなく、改変された世界にとり残された状況への恐怖だった。
 “何も分からない…私はこの世界の事が何も分からない。情報統合思念体との連絡も取れない。私は完全に孤立している。SOS団のメンバーに会わなくては…”
 長門は、SOS団メンバーに会えば何とかなる。と単純に思った。通常ならば長門が単純に物事を考える事など無いだろうが、全ての情報を絶たれた今の長門には普通に単純な思考が受け入れられた。
 長門がクラスを出ようとすると男子のクラスメートが長門の行く手を塞いだ。
 「あれれ~、長門ちゃん何処行くの?もうすぐ授業始まるよぉ」
 「オイオイ、あれだけ大山に盾突いといて、今更逃げんなよ」
 長門が教室を出れずに立っていると、一人の女子が長門の腕を掴み無理やり席まで引き摺り席に突き飛ばす。
 「あんたの席はここでしょ。たく、いい加減にしてよ迷惑なのよね!」
 授業が始まったが、長門の耳に教師の声は届かない。それどころか登校してからの短い時間にあった出来事に考えが追いつかず、その上、今朝からの体調不良もあって授業中に世界が回り始め、長門は椅子から倒れた落ちた。
 「おい、長門君大丈夫か?」先生の声が遠くで聞こえる。その声に混じって舌打ちする音や罵倒する言葉もあったような気がしたがよく分からなかった。

 「・・・・・」
 気が付くと白い間仕切りカーテンで区切られたベットの上にいた。
 「ここ何処?」そう言いながら虚ろに天井を見つめていた。
 ボーとしている所へ岡部先生が間仕切りを開いて入ってきた。
 「おぅ長門ぉ、倒れたんだってな。先生心配で見に来てやったぞ。」
 昨日の態度とは一転して優しく接してくる。
 「どこも怪我は無いか?先生が体調べてやるから、こっちへ来い。」
 そう言って岡部先生は鼻の下をいやらしく伸ばし、長門を意味なく触ってきた。
 長門は身をすくめベッドの端へと追い詰められる。
 「岡部先生、何をなさってるんですか!」そう言って岡部先生の後ろによく知った顔立ちの女生徒が腕を組み仁王立ちしていた。
 「何でもねーよ。生徒の様子を見に来ただけだ。」そう言うと悔しそうに岡部先生は保健室から出て行った。
 ベットの端で身をすくめている長門に女生徒は「あなた、長門有希さんね。大丈夫?何もされなかった?」と声をかけた。
 長門はコクンと頷き「大丈夫、何もされてはいない。」と緊張気味に言った。
 「あの先生、あまり良い噂を聞かないから、気をつけた方が良いわよ。」そう言って立ち去ろうとする女生徒に長門は声をかけた。
 「待って…あなたに聞きたい事がある。」
 「なぁに?でも『あなた』って言うのは止めて貰えないかしら。私には喜緑江美里っていう名前もあるし、それに上級生よ。」
 「喜緑江美里…さん。私の事、知ってる?分かる?」
 喜緑江美里は、足を交差させてスゥっと立ち、考えるような仕草で右手を顎に当てる。
 「分かるって程じゃないけど、ある意味あなた有名だからね。」そう言うと、クスッと意味深な笑いを添えた。
 「有名?」長門は何故自分が有名なのかがまったく分からなかった。
 「私が言ってる訳じゃないから怒らないでよ…」そう前置きし、喜緑江美里は話を始めた。
 「長門さん、あなたいつも本ばかり読んでいてクラスメートと交わろうとしないらしいじゃない。休み時間はすぐ何処かへ行っちゃうって言うのも噂で聞いたわ。それでいつも虐められてるんでしょ。虐められっ子・長門有希。北高じゃ有名よ。」
 「分からない。今まで虐められた事は無かった…」
 「あらぁ、虐められてるって意識が無かったのかしら。長門さんってもしかしてマゾ?虐められて快感なんですね。みんなに教えてあげた方がいいかしら…」そういうと喜緑江美里は背中を向けてクスクスと笑い出した。
 違う、世界が変わるまでは虐めなんて無かった。長門は、そう言いたかった。
 「もう一つ質問に答えて。上との連絡が取れずに困っている。あなたはどう?」
 「上って何?」
 「情報統合思念体…」
 「情報が…何?」
 喜緑江美里は垂れた目をパチクリさせて、頭の上に『?』マークが踊り跳ねてるようだった。どうやら、この喜緑江美里は何も覚えていないようだ。長門は喜緑江美里を見つめたまま言葉を失ってしまった。
 「長門さん、あなたが何を言ってるのかまったく分からないわ。それに保健室で居合わせたのは偶然だし、声をかけたのは私が生徒会だから。友達みたいに勘違いしないでね。」
 味方と思った喜緑江美里もどうやら違ったらしい。長門はまた一人になってしまった。

 その日の昼休み、教室では「長門のヤツ、保健室でエロい事してたらしいぜ」「聞いた聞いた、玩具使って一人でエッチしてたんだろ。」「ええ~、私は岡部を全裸で誘ったって聞いたけど」
ありもしない噂が教室中に蔓延していた。噂の出所は、岡部先生か喜緑江美里のどちらかだが、岡部先生が下手をすれば自分の不祥事になる噂を流すとは考えられない。そうすると必然的に喜緑江美里しか考えられない。長門は、なぜ喜緑江美里がそんなデマを流したのかが分からなかったし、理由の無いあまりの仕打ちに悲しくてたまらなくなった。
そんな中また、大山陽子がちょっかいを出してくる。
 「長門さ~ん。保健室で岡部先生とどんなプレイしてきたの?あなたがそんな痴女だなんて知らなかったわ。」
 「私は何もやましい事などしてはいない。あなたが仕入れた情報は全て嘘。」
 「隠さなくったっていいじゃない。あなたのスタイルだから、きっとロリコンプレーよね。アハハハハ」
 「そんな事を考え付くあなたの方こそ、卑猥」そういって長門は大山陽子を睨みつけた。
 その言葉と態度に大山陽子の怒りが一気に頂点に達した。
 「あたしが優しくしてげれば、調子に乗ってこの女!」
 どうやら大山陽子は優しいという言葉の意味を知らないらしい。
 大山陽子は長門を髪を掴んで男子の方へ突き飛ばし叫んだ。
 「長門がさぁ、まだエロい事し足りないらしいから、みんなにやって欲しいんだって!」
 教室がざわめきだった…が、それは嫌がるのではなくショーを心待ちする観客のようであった。
 男子がニヤニヤと笑いながら長門ににじり寄る、女子が教室のカーテンと扉を閉める、教室が一瞬にしてクラスメートの手による閉鎖空間へと変わった。
本来の長門ならこのような状況など取るに足らない事だが、今は情報操作も何も出来ない上、身体能力も低下している。
だからと言って、ただ言いなりになるつもりなど毛頭無い。
 まず、一番近くにいた男子に回し蹴りを喰らわす。長門が攻撃してくるなど考えもしていなかった男子生徒Aの脇腹にヒットし、男子生徒Aは悶絶し倒れこむ。
周りに居た男子生徒Bも長門の漆黒の目を見てたじろぐ。
おそらく彼らが虐めていた長門有希はこのような目をした事が無かったのだろう。
そして一気に出入り口へ詰寄り扉の前まで来ると、さっきまで虐められる長門を見て笑っていた女子生徒Cの首を鷲掴みにする。
 長門の鋭い視線に、首を鷲掴みされた女子生徒Cは、ガタガタと震え出す。
震える女子生徒Cに長門は一言「扉を開けて」と囁いた。
女子生徒Cは、無抵抗と思っていた人間が見せた思いもよらない行動に、恐怖を覚え扉を開放した。
 教室で声を発する者など居なかった。みんな何が起きているのか理解出来ていないようだった。
教室を出て扉をピシャリと閉めると長門は走って教室を後にした。実は長門もパニック寸前だった。
 もう学校内には自分の居場所が無い。回し蹴りをした足もズキズキと痛む。息が苦しい。
 長門は気付いていた、自分は対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースでは無くただの人間になったことを。記憶はそのままに…
現時点で人間であるという事は好ましくない状況だ。
 自分にとってあまりに不利な事が多すぎる。おそらく学校に来る事はもう出来ないし、生活していけるかも分からない。

 長門にはもう時間が残されていない、でも何処へ行けば…何も分からず長門はただ廊下を走った。そして、廊下の角に差し掛かった時、人にぶつかってしまった。
 「痛~い、誰にょろ?」
 「鶴屋さん、大丈夫ですか?」
 そこに居たのは、鶴屋さんと朝比奈みくるであった。
 「君~、廊下を走っちゃダメさ。危うく大怪我にょろ」
 「ちょっとあなた2年生ね。先輩にぶつかっておいて謝りもしないの?」
 長門は朝比奈みくるの態度に驚いていた。そこにSOS団のか弱いマスコットキャラクターのイメージはまるで無かった。
 「みくる、そんなに怒らなくても大丈夫っさ。怪我もないし」
 ちょっと困った顔で鶴屋さんが朝比奈みくるをなだめてる。
 「ダメですよ。鶴屋さんは本当にあまいんだから。こういう事はビシッと言っておかないと!」
 朝比奈みくるは両手を腰に当てて、まだ倒れたまんまの長門に詰寄る。
 「あなたね、2年生にもなって廊下を走っちゃいけないって事くらい分からないの?転んで怪我をしたら責任取れるわけ?だいたいココは3年生の棟よ。2年生が理由も無くうろついていい場所じゃないのよ!」
 立続けの責め苦に何も言えず、長門はただ朝比奈みくるを見上げるだけだった。
 「あなた口がきけないわけ?頭に来るわね~」
 長門は咄嗟に顔を横に振った。
 「ごめんなさい。私、急いでいてつい…」
 「急いでたら、走っていいって校則はないのよ!」
 「みくる、みくる。その娘怯えてるっさ、そろそろ許してやんなよ。君もほらちゃんと謝って。」
 鶴屋さんは優しく言ってくれた。
 「鶴屋さん、本当にごめんなさい。」
 「おろ?君は、あたしの事を知ってるにょろか?」
 そう言ってくる鶴屋さんの前にまたしても朝比奈みくるが怒りの形相で間に割って入った。
 「あんた!先輩にむかって『さん』とは、どういうこと!『鶴屋先輩』でしょ『せ・ん・ぱ・い!』分かってんの?それになんで私には謝罪が無いのよ。引っ叩いてやろうかしら。」朝比奈みくるは怒り心頭で両腕を組み立っている。どう見ても朝比奈みくるの言い様ではなかった。誰かに似てるとすれば涼宮ハルヒに似ている。
 長門はもう一度二人に謝り直した。
 「鶴屋先輩、朝比奈先輩、すみませんでした。」
 その言葉に朝比奈みくるもキョトンとした。
 「なんで、あなた私の名前も知ってるの?あなた名前は?」
 「長門有希…あの…先輩達に聞きたい事があります。」
 長門は出来る限り丁寧にいう。言葉を選んで話すという事は今までにあまり無い経験だった。
 「長門有希。聞いた事ある名前にょろね。長門…長門…2年のながと…」と鶴屋さんは考え込んで、「あー!」と手をポンと叩いた。
 「君が“長門っち”かぁ~。」
 朝比奈みくるはキョトンとしたまま鶴屋さんを見つめる。
 「鶴屋さ~ん、彼女の事知ってるんですかぁ~?」
 鶴屋さんと話す時にはどうやら通常の朝比奈みくるになるようだ。
 「みくる、ほら…あの…ちょいっと有名な…」
 「あー!あなたが虐められっ子の長門さんね。どおりで口の利き方が失礼なわけだわ。」
 「みくる、人をそんな風に言うもんじゃないっさ。あたしは、そんなみくるは嫌いさぁね。」
 「そんなぁ~。もう、あなたのせいだからね」そう言うと朝比奈みくるは長門を睨みつける。
 鶴屋さんは、朝比奈みくるから長門へ向きなおすと「その前に、あたしから質問してもいいっかな?」とにこやかに言った。
 「どうぞ…」
 「保健室でエッチしてたって噂、あれは本当かい?」さっきとは打って変わってまじめな顔で、周りには誰も居なかったが、小さな声で聞いてきた。やっぱり、鶴屋さんも噂が気になってるらしい。
 「ええ~!彼女、学校でそんな事までしちゃてるんですか?変態じゃ…」朝比奈みくるの方は逆に大声で言った。
 「こぉらっ、みくる。」鶴屋さんが厳しい顔をして朝比奈みくるを制止する。
 長門はココまで、そんな噂が広まっている事に恐怖した。この分じゃ学校全体に広がっているに違いない。誰も本当の事を信じてくれない悲しさに俯いてしまう。
ただ、何も言わなければ、嘘は事実となってしまう。それだけは嫌だった。嘘が真実として『彼』に伝わる事がたまらなく嫌だった。
 長門は声を絞り出すように否定した。
 「違う…私、そんな…そんな事しない。あれは全くのデタラメ。信じて欲しい。私は…嘘など言っていない。あれは、喜緑江美里…先輩が嘘の情報を流した。理由は分からない…」
 「そうか、やっぱりね。どうも怪しい話しとは思ってたけど、情報発信源は喜緑さんかぁ。あたし、あの人いまいち信用ならないっさね。長門っち、分かったから涙を拭くにょろ」
そういって鶴屋さんはハンカチを出してくれた。長門は知らないうちに頬に涙が伝って床にポトリポトリと落ちていた。
 「鶴屋さん、その喜緑さんってどんな人なんですか?」朝比奈みくるが鶴屋さんに尋ねる。
 「あたしも親しくは無いんだけどさ、生徒会書記やってて、生徒会長と、なにやら裏でコソコソ動いてるらしいさ。そのうち尻尾を捕まえてやるにょろよ。」
 鶴屋さんは拳を握り締め何も無い壁を見上げた。
 「鶴屋さんがそういうなら、私も信じます。長門さん、さっきは酷い事ばかり言ってごめんなさいね。でも先輩は先輩だから」そこには懐かしいSOS団で見せていた朝比奈みくるの笑顔があった。
 「いっけない、長門っちの質問だったね。いや~ゴメン、ゴメン。で、何だっけ?」
 鶴屋さんは、頭をポリポリ掻きながら、笑っていた。
 「やっぱり、私の方はいい。きっと先輩達が知らない事…」
 「長門っち、それは聞いてみないと分からない事さ。一人で溜め込んでも何も解決しないっしょ。」
 長門は、戸惑っていた。話しをしたところで、改変前の事を覚えている確率は、ほぼ0%。
それよりまた変な噂や頭がおかしいと思われるのが怖かった。
 「長門さん、私達誰にも言わないから。信じて。」そういって朝比奈みくるがそっと肩を抱いてくれた。
 「SOS団のこと覚えて…知ってます?宇宙人や未来人や超能力者って居ると思います?」
 鶴屋さんと朝比奈みくるは互いに顔を見合わせ首をかしげた。
 やっぱりダメだった。誰も何も覚えていない。
もしかして、おかしいのは私の方?そんな考えにも囚われ始める。
 「まぁまぁ、そのSOS団ってのはテレビ番組か何かかい。宇宙人や未来人や超能力者ってのは居たら楽しそうだけどね~…」鶴屋さんはちょっと困った感じに笑う。
 朝比奈みくるの方は「そうですね。宇宙人や未来人や超能力者がいて、そんな人たちを束ねる人が居て、しかもその束ねる人は何も知らなくて、色んな事件に巻き込まれたり、旅行したり、遊んだり…そんな世界があったら楽しいでしょうね。」
 「アハハハ、アハハハハハハ…そりゃいいね、みくる。そんな世界なら、あたしも仲間に入れておくれよ。アハハハハハハ…」
 鶴屋さんは大笑いをしている。が、長門は朝比奈みくるの言葉にまだ元に戻れるチャンスがあるかもしれないと淡い期待を持つことが出来た。
 「ありがとう。朝比奈先輩…」
 「そんな、『ありがとう』なんて、恥ずかしいですよ。力になれなくてゴメンね。長門さん」
 「大丈夫。先輩達のお陰で元気が出ました。」
 長門は、そういって一礼すると「それでは、失礼します。」とその場を去ろうとした。
 すると鶴屋さんが「おっと、ちょいっと待ちな。もう一人聞いてみるにょろ!」と言って長門を呼び止めた。
 「ん~?鶴屋さん、もう一人ってココには私達三人しかいませんよ。誰に聞くんですか?」
 「彼さ~!」鶴屋さんが指を指した先には古泉一樹が女子生徒を三人ばかり引き連れてこちらへ歩いてきた。

 「これは、これは、朝比奈さんに鶴屋先輩ではないですか。お二人とも廊下でどうなされました?」
 朝比奈みくるは、長門には先輩と言えといっていたが、古泉はさん付けで構わない様だった。
 「一樹君、丁度いい所に来てくれたねぇ。ちょいと相談というか聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
 「鶴屋先輩のお頼み事ならお断りはできませんね」と、古泉一樹はいつものスマイルで髪をかき上げた。
 古泉一樹と鶴屋さんが話していると取り巻きの女子生徒が長門を睨み付けている。
 「ねぇねぇ、あの髪の短い娘って…」「え~マジで!キモ~イ」「なんでココに居るのよ。ムカつくぅ」
 女生徒たちは、口々に長門の悪口を聞こえるように言い、それを聞く度に長門の表情が強張る…
 「ちょいっと君達、一樹君と大事な話があるんだけど、席外してもらえっかな~」と大きな声で鶴屋さんが女生徒達にいった。
 「えぇ~、鶴屋先輩…だって、ねぇ」と女子生徒が長門を見る。
 「まさか、そこのゴミが古泉君にコクろうとか、そんなんじゃないですよねぇ~」
 長門とは面識の無い女子生徒達は、平然と長門を罵倒して更に睨み付ける。
先程、長門の逆鱗に触れたクラスメートならこんな事は言わないだろうが、他のクラスの生徒から見れば長門は、まだ無抵抗の虐められっ子でしかなかった。
 「ごめんね~、実はあたしが用があるんだ。だからオネガイ☆」朝比奈みくるがすかさず女生徒達に向かって言った。
 「なんだぁ、用があるのって朝比奈先輩かぁ。なら太刀打ち出来ないよね。古泉君、またお話しの相手してね。」
 そう言って朝比奈みくるに一礼すると女生徒達は帰って行った。
どうやら朝比奈みくるは男子生徒のみならず女子生徒からも絶大な人気を誇っているようである。
 「お話っていうのは、鶴屋先輩ではなく朝比奈さんの方でしたか。」そう言う古泉に対して鶴屋さんは手を合わせた。
 「ごめんよ、一樹君。実は用があるってのは、あたしやみくるじゃなくて、そこに居る長門っちなのさ。怒こんないでおくれよ」
 古泉はにこやかスマイルのまま「そうでしたか」と言って長門を見た。
しかしその声のトーンは少し低くなっていた事に長門だけが気付いた。
 鶴屋さんと朝比奈みくるによって、それまでの説明がなされた。
 「SOS団に宇宙人と未来人と超能力者…ですか、長門さんとやらには失礼ながら、僕にはまったく分かりかねますね。」そう言って手と肩をすくっと上げた。
 長門は古泉一樹に対して、もう一つ質問を付け加えた。
 「“機関”って言葉に聞き覚えある?」
 「“キカン”ですか?そのキカンって言葉にどのような文字を当てるかは知りませんが、僕には聞き覚えはありません。」
 腕を組み、明らかに鶴屋さんや朝比奈みくるとは違う言葉のトーンで長門に眼をやらず答え、更に「質問っていうのは、以上でしょうか?これ以上なければ僕はこの辺で…」と言い話しを切り上げた。
 「悪かったね一樹君。今の話しはナイショって事でよろしくにょろ」
 古泉一樹は鶴屋さんの言葉にちょっと考え「分かりました。お二人に逆らっては後が怖そうだ。」と二人にはにこやかに答えた。
 そして「僕は長門さんの質問のおかげで、お昼休みが暇になってしまいました。しかも話しの事は内密にと言う制限まで付けられましたし。どうです鶴屋先輩、朝日奈さん、残りの時間僕とお話しでもしていただけませんか?無論、コーヒーくらいは僕がおごらさせて頂きます。」
 鶴屋さんは腰に手をあて、古泉一樹を覗き込む。
 「なにかい。それは交換条件ってやつなのかい?」
 「さて、どうでしょう?」

 鶴屋さんの問いに古泉一樹は、スマイルフェイスでかわす。
 「みくるは、どうする?」と言い、鶴屋さんは朝比奈みくるの方を向くと、朝比奈みくるは頬を色付かせてモジモジしていた。
 「はい。私は古泉君とお話しするのは全然かまいませんけど…」
 鶴屋さんはヤレヤレといった表情で「しょうがないっさね。それじゃ一樹君に付き合う事にするにょろ。みくるもその方がいいだろ?」
 「決まりですね。それでは参りましょうか。」そういって古泉一樹が朝比奈みくるをエスコートする。
 「長門っち、すまないね力になれなくてっさ。それじゃ、そういう訳だから、じゃあね!」
 鶴屋さんは、片手を挙げ先に行く古泉一樹と朝比奈みくるを追いかけていった。
 廊下には長門一人が残されたが、長門もそこにジッとしているわけにはいかない。
昼休み中に合っておかなければならないSOS団メンバーがまだいる事に気付いたからだ。
しかも、一番重要と思われる彼と涼宮ハルヒに…
『何故、こんな重要な人のことを忘れていたのだろう。自分が嫌になる…』

 長門は彼等の教室に急いだ。すれ違う生徒の中には、ヒソヒソと話している者がいる。話しの内容は聞かなくても分かるし、何より今は見知らぬ生徒にかまっている余裕など無い。
 階段を駆け下り廊下を小走りに急ぐ、そんな些細な運動でさえ心拍数が上昇する。
 “着いた!彼と涼宮ハルヒの教室だ。”教室を覗いたが二人を姿を見つける事が出来ない。
 長門にとって、今、二人に会えないという事が最悪の状態にも思えた。何とか二人に…せめて彼に会えないだろうか?
 すると教室の中に見覚えのある二人を見つけた。
それはSOS団製作映画や野球大会のイベントに参加させられた国木田と谷口であった。
 彼等なら面識が無いわけでもないし(これは世界改変前の話しだが)、彼や涼宮ハルヒの居場所を知っている可能性が高い。
現段階では彼等から情報を得るのが一番の得策と長門は考えた。
あとは、彼等が自分に対して敵対意識を持ってないこ事を祈るばかりであった。
 「あの…、ちょっと話しがある…いい?」
 長門は意を決して、国木田と谷口に話しかけた。
 「何?僕達に何か用?」そう言って、先に口を開いたのは国木田だった。
 「教えて欲しい事があるの…」
 長門は彼と涼宮ハルヒが今何処に居るかを尋ねてみると、国木田は「キョンと涼宮さん?二人で居る事は確かだろうけど、居場所まではね…」と言い、少し考えて「もしかしたら、屋上かもね。たまに昼休みに二人で居る所を見かけるよ。」と教えてくれた。
 「ところで、キミ誰?」
 国木田は改変前と改変されたと思われる今と、あまり変わりが無いようだったが、長門の事は知らないようだった。
 「なんだお前、知らないのかよ」と、今まで黙っていた谷口が口を開いた。
 「谷口、この人の事知ってんの?」と国木田が不思議そうに聞く。
 「あったりめーじゃん。あんた長門有希さんだよな。」と周りには聞こえないように長門に尋ねた。長門は自分の名前を伏せておくべきか迷ったが、騒がれては厄介な事になると思いコクリと頷いた。
 「キョンと涼宮ハルヒが何処にいるか、一緒に探してやってもいいぜ」と言って、長門の肩を抱き耳元に囁きかける。
 「いい。一人で探せる。」と断り谷口を振りほどこうとすると、「一人で探しても見つかるとは限んないぜ」と言い肩を抱いていた手が肩甲骨をすべり脇へと進入してくる。
 長門は谷口を睨み付けると、谷口の顔はニヤニヤと笑っていた。まるで保健室での岡部先生のようだ。
 それを見ていた国木田は驚き「何やってんの!」と谷口を止めようとした。
 「なんだ国木田、知らねーのかよ。長門有希さんは、こういう事をされるのが好きなんだよな。なんたって保健室で…」そう言うと、今度は大胆にも腰の方に手を落としていった。
 長門は滑り落ちていく谷口の腕を掴み、その腕を捻りながら冷やかな眼差しを添えて答える「誤解しないで…」
 「ぐわぁ!」腕を捻られた谷口は、腕が変な方向へ曲がり、言葉にならない痛みが肩と肘に走る。谷口は痛みから逃げるように床に膝を着いた。
 思ってもいなかった長門の行動と眼差し、そして平坦な物言いに谷口は膝を着いたまま、言葉を無くし、あっけにとられていた。
 長門は国木田だけに「ありがとう。」と言い残し、教室から屋上へと足を向かわせた。
 国木田は長門の礼に「どういたしまして。」とだけ言い。教室から去っていく長門の後姿を見送った後、谷口に目をやり一言「自業自得」と言って、情けない物を見るような顔をしていた。

 長門は心の中で『お願い。屋上にいて。』と祈りながら屋上へと通じる階段を登っていく。
 もう少しで屋上に着くというところで、上から「キョン、早く来なさいよ。」と懐かしい元気溢れる声が長門に降り注いだ。
 足を止め、階段の上に目をやると、黄色いカチューシャがトレードマークの笑顔満天の女子生徒と、ポケットに手を突っ込み気だるそうな中にも優しい笑みを含ませた男子生徒が階段を下りてきた。
 涼宮ハルヒと皆からはキョンと呼ばれている『彼』だ。“もしかしたら何とかなるかもしれない”と思い、長門は嬉しくなった。
 「おい、ハルヒ。そんなにはしゃぐ事はないだろ。映画なんていつでも行けるんだから」キョンが珍しく涼宮ハルヒに対して笑って話しかけていた。
 「べ…別に、はしゃいでなんか無いわよ!でも二人で映画に行くなんて久しぶりじゃない。それにね、映画館にはいつでも行けても、今上映している映画はいつでも見れないのよ。分かってるの?」
 涼宮ハルヒが、キョンに顔を近づけて鼻先に人差し指をちょんちょんと当てながら説教をするように言っている。
 三人の距離はどんどん近付いて来る。
 十メートル…、八メートル…、五メートル…、涼宮ハルヒとキョンは長門に気付いた。
 三メートル…、二メートル…、一メートル…、涼宮ハルヒとキョンは長門に会釈をして擦れ違う。
 長門は一瞬固まってしまった。二人は長門有希の事を覚えていなかった。
でも、この世界では仕方の無い事かもしれない。他のSOSメンバーも長門の事は知らなかったのだから…
 二人が長門を通り過ぎ五メートルほど離れた時、長門は振り向き涼宮ハルヒとキョンを呼び止めた。
 「あの…待って!」
 その言葉に、涼宮ハルヒはキョトンとして振り向き、キョンは不思議そうな表情で振り向く。
 「今、呼び止めた相手って、もしかしてあたし達の事?」そういって涼宮ハルヒは自分の顔を指差した。
 「あなたと彼に、どうしても話がしたい。お願い…」
 涼宮ハルヒは長門を暫らく観察するように睨みつけると「いいわ!」と一言いった。キョンの方に目をやると、いつものように少し気だるそうにしていた。
 「その前に、自己紹介しとかないとね。あたしは涼宮ハルヒ。そして、そいつは…キョンでいいわ。あなたは?」
 「おい、ハルヒ!そいつって言い方はないだろ。それにキョンっていう呼び方は、そろそろ止めないか?」
 「うっさいわね。いいじゃない、赤の他人じゃあるまいし。」涼宮ハルヒは口ではぶっきら棒に言いながらも、顔は少し笑いキョンを肘で突いていた。
 「私は長門有希…その、色々噂を聞いてるかもしれないけど…」長門は涼宮ハルヒとキョンには戸惑い無く自分の名前を言えた。
 「噂?そんなのに興味は無いわね。噂なんてものは火の無い所からいくらでも立つものなのよ。いちいち気にしてられないわ。」
 「ありがとう…」
 長門は涼宮ハルヒの変わらない捌けた性格に救われた気がした。 
 「私は、これから私の知ってる事の全てをあなたに話す。理解に苦しむかもしれない、情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない、私を異常と思うかも知れない。でも聞いて。お願い…」
 キョンは少し真剣な顔になり「なんか込み入った事情がありそうだな。ここより屋上の方が話しを聞きやすくないか」そうキョンが言うと、涼宮ハルヒも「そうね。」と同調して話しの場を屋上へ移した。
 屋上に着くと、長門は二人を前にして、改めて話しを始めた。
 「まずは私の事を話しておく。私は情報統合思念体によって作られた、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース。あなた達人類からすれば宇宙人に該当する存在。私の役目は涼宮ハルヒ、つまりあなたを観察し情報統合思念体に報告する事。その為に四年前に作られた。」
 「なんで、あたしが夏休みの記録みたいに観察されなきゃいけないのよ!」長門の観察話しに涼宮ハルヒは気分を害した。
 「次にあなたの事。涼宮ハルヒ、あなたには意識的にしろ無意識的にしろ、周囲の情報を自分の求めるように変化させる力を有している。それは情報統合思念体にとって自立進化へのヒントを備えていると考える。だから私は今まであなたを観察してきた。」
 「なにそれってストーカーじゃない」
 「違う。ストーカーとは特定の人物に対して恋愛感情を一方的に押し付け、自分の物にしようと考え行動を起こす行為。私はただあなたを観測し情報統合思念体に報告するのみ。それが私がここにいる理由。…の筈だった」
 涼宮ハルヒはおびえ始めていた。擦れ違いざまに声をかけてきた小さな女生徒が、話があるというので場所を変えてまで聞いてみれば、その女生徒が自分に対してストーカー紛いの事を行っているという、とんでもない告白にしか聞こえなかったからだ。
 さすがにこの状況にキョンが口を挟んできた。
 「長門さんとやら、そんな危ないSFストーリーを話したいなら、他のところで勝手にやってくれ!はっきり言って、俺達はあんたの空想話しに付いていけない。」
 「最初に言ったとおり、上手く伝えられないし、異常と思われるのを覚悟で話している。もう少し話をさせて。お願い…」
 キョンは長門の訴えに、仕方なく話を聞くことにした。
 「今話したのは、以前の話し。世界が改変される前の話し。そこでは涼宮ハルヒがSOS団というクラブを作り、団員として私が居て、あなたが居て、超能力者の古泉一樹、未来人の朝比奈みくるが居た。私にとって大切な時間だった。それが昨日を境に世界が変わってしまった。私の記憶はそのままに、他の人の記憶や生活は一変してしまったし、SOS団も情報統合思念体も無くなってしまった。私は以前の世界に戻りたい。だけど、どうしていいのかが分からないの。」
 「つまり、なんだ…要するに今はSFオタクってだけで、ハルヒを観察とか情報なんたらとかとは関係ないんだな。」
 「今の私には何の力も残されてはいない。」悲しげに長門は答える。
 涼宮ハルヒはキョンの腕を引っ張り「なんだか気味が悪いわ。もう行きましょうよ。」と不安げに言う。
 長門もキョンに対して「お願い。あなたはエラーを起こした私が改変した世界から元の世界に戻してくれた。そして処分されかかった私を助けてもくれた…。あなた達しか頼れる人が居ないの。お願い助けて…」とキョンの腕にすがる。
 キョンにすがった長門の手の中でカサッと何かが音をたてた。
 長門の手には何か白い紙が握られていた。長門は何も持ってなかったはずなのに、突然“それ”は現れたかのようだった。
 「長門さん、これは俺にかい?」そう言ってキョンが長門の手からそれを取る。長門にしてみれば身に覚えのない紙だった。
 キョンが紙を広げると「長門さん、これはどういう意味なんだ?」
 キョンが手にした紙には『文芸部入部届け』と書かれていた。
 「長門さん、今までの話は、つまり俺をこの文芸部とやらに入部させる為の嘘か口実だったのか」キョンの顔色が変わっていた。
 「違う、そんな紙は私は知らない。話しも嘘じゃない。信じて…」
 「何をどう信じろって言うんだ!この紙は今あんたが俺に渡したものじゃないか!はっきり言っておくが俺は、あんたの部活に興味はない。」
 長門はキョンという最大の理解者を失うことになってしまった。それに、どこから入部届けが現れたのかもわからない。長門はパニックになりそうだった。
 涼宮ハルヒはキョンの後ろに隠れるようにしてくっ付いて、さっきから「キョン、キョンったら」とキョンの制服の裾を引っ張っている。
 パニックになりそうな長門、怒りに顔色を変えるキョンの怒り、不安がる涼宮ハルヒ、そんな混沌となりかけたムードの中へ思わぬ人物が乱入してきた。

 「長門さん、文芸部って部員あなた一人なんでしょう。そこへ大好きなキョン君を誘うなんて大胆よね。キョン君はね、涼宮さんとお付き合いしてるのよ。知らなかったの?」
 そこへ現れたのは藍色のロングヘアーでキョンと涼宮ハルヒのクラスメート、更に付け加えるならば谷口曰くAAランクプラスの美人、そして長門有希がもっとも知るべき存在。朝倉涼子の姿だった。
 長門は驚きと同時に無意識のうちに身構えていた。
 「何故?何故あなたがここに居るの。あなたは有機情報連結を解除したはず。再構成されたなんて聞いていない。」
 「長門さん、何の話し?」朝倉涼子が腕を後ろで組み、頭を少し傾ける。
 「おい朝倉、こいつの事知ってるのか?」キョンが朝倉涼子に尋ねると、朝倉は「うん、同じマンションに住んでるのよ。この子ちょっと変わってるのよね。」とキョンに言う。
 更にキョンは「さっきの話本当か?文芸部部員はこいつだけって話しは。」
 「ええ、本当よ。なんなら長門さんに聞いてみれば。私としては涼宮さんからキョン君を奪って二人っきりの部室で何をするつもりだったのかを長門さんに聞いてみたいな。」
 「今の話し本当なのか?やっぱり全部お前の嘘だったんだな…」キョンの声が怒りに震えていた。
 長門は悲しい目で顔を左右に振るだけだった。
 涼宮ハルヒはキョンが持っていた入部届けを奪い取りグシャグシャに丸めると長門に投げつけた。丸められた入部届けは長門の右頬辺りにヒットする。
 「この、泥棒猫!一瞬でもあんたの話しに乗ったあたしが馬鹿だったわ!キョンはあんたなんかに絶対渡さないんだから。」
 キョンも長門を険しい表情で睨みつけている。
 朝倉涼子が長門の肩を掴むと、長門は咄嗟に朝倉涼子の手を払いのけて再度身構える。
 「何の目的で再構成されたの?情報統合思念体は存在しているの?答えて!」長門は、顔に笑みを浮かべ立っている朝倉涼子の姿に、あの時の勝負を思い出していた。
 そして緊迫した状況を打ち破るように屋上に乾いた音が鳴り響いた。
 長門の頬が一気に熱を帯びる。そこに見たのは、朝倉涼子の姿ではなく、怒りというより無表情で腕を振りきったキョンの姿だった。
 「おい、もう嘘は止めようぜ。それに俺のクラスメートを悪く言うやつは許さない。」
 「・・・・・」長門の心は真っ暗な谷底へと叩き落されてしまい、焦点が合わないままキョンを見つめていた。
 「ハルヒ、朝倉、教室に戻ろうぜ。」キョンはそう言って足早に屋上を後にする。
 「こんな最っ低な女、始めて見たわ。虐められて当然よ!」涼宮ハルヒが悪態を浴びせ立ち去る。
 「長門さん、またね。」朝倉涼子は何事もなかったようにキョンと涼宮ハルヒの後を追う。

 全てが終わってしまった。長門はそう確信した。もう救いの手は伸びない。
 屋上から飛び降りてしまえば楽になれるのかとさえ思ったが、それは出来なかった。全ての居場所を失った長門は、今日で最後となるであろう高校生活を文芸部の部室で過ごしたくなり、教室には戻らず旧校舎部室棟へと向う事にした。
 昼間の部室棟へ訪れる人などは居ない、それは長門自身よく知っていた。だからこそ、いつも昼休みには文芸部へと足を運び誰にも邪魔されることなく本を読んだ。
 今も誰にも会うことなく文芸部までやってくると、ノブを回し、いつも慣れ親しんだ扉を開ける。
 そこには慣れ親しんだSOS団部室はやっぱりなく、昔の何もない文芸部部室があるだけだった。
 部室に入ると長門は部室の鍵を閉めた。この世界では、誰が虐めに来るとも限らないと思い、不安からの行動だった。
 鍵を閉め、振り返り長門は部室を見渡した。
本棚と長机、それに長門専用のパイプ椅子があるだけで他には何も無い昔の部室。広くは無いはずの部室も今は、やけに広く感じる。
 「私の部室…こんなに寂しい場所だったの?」
 長門は小さな歩幅で中央まで進むと右の壁を見つめる。
あそこにはパイプハンガーがあり朝比奈みくるのコスプレ衣装があって、その横には簡易給湯設備があった。部室は火気厳禁なのに…
 壁には変なお面やドライフラワーなんかが飾っていて、黒板には“次回ミーティング”とか“○○について”とか書いてあったりしたな。
 正面を向き直すとこの場所には、涼宮ハルヒの団長机がいつのまにか運び込まれていたりして、いつも椅子の上に胡座をかいてアヒル口をしていたSOS団団長涼宮ハルヒの顔が思い出される。
 そして、この場所にはよく彼が座っていた。長門は自分の足元を見つめた。
 いつも文句を言いながらも団活をし、私にも、いつも気を使ってくれた。見ていてくれた。それなのに私は一度彼を試した。涼宮ハルヒの力を使い、彼の記憶だけを残して世界を変えてしまった。
 エラー蓄積の結果だったとはいえ、私は彼の気持ちを考えていなかった。
 あの時、彼も今の私同様に困惑し恐怖したに違いない。
彼に普通の女の子として接したい。気に入ってもらいたい。その思いだけが先行して、彼の気持ちを考えなかった。
それなのに彼は私を許してくれた。それどころか自分を責めていた。
情報統合思念体からも私を救ってくれた。
 今の私の置かれている状況は、きっとその報いなのだろう。
それは涼宮ハルヒの力なのか?もっと別の力なのか?それすらも分からない。
 全ての力を無くしてしまった私には、知ることは出来ない。知ったところで、どうする事も出来ない。
 「ごめんなさい…ごめんなさい。」
 長門の目から涙が溢れる。彼に謝罪する気持ちと、自分の身勝手な行為を悔いるように。彼が座っていた場所に向かい「ごめんなさい」と言う言葉しか出てこなかった。
 しばらく長門がその場に佇んでいると、校内放送が各教室、廊下のスピーカーから発せられた。
 「長門有希、至急生徒指導室まで来なさい。繰り返す、長門有希、至急生徒指導室まで来なさい。」
 スピーカーから流れる声は、放送部員でもなければ、良い事を期待させる呼び掛けでもなかった。呼び出しの内容は容易に想像がつく。今校内で持ちきりの噂についてに違いない。
本当の事を話して信じてもらえる確率はどれ程のものだろう。それどころか自分が悪者にされる確率のほうが、どれだけ高い確率なのだろうか。
容易に結果が想像つくのに、わざわざ生徒指導室などに出向くつもりなど長門には無かった。
 どれ程時間が経過しただろう?当に授業は始まっているはずである。その証拠に校庭に生徒たちの賑わいは消え、ホイッスルの音や掛け声が響いてくる。
 長門は窓辺に置いてあるパイプ椅子を中央付近にまで移動させ、腰を下ろした。場所とすれば、彼がいつも座っていた場所か椅子一つ分隣といったところか。そして懐かしい本「ハイペリオン」をひざの上に置いた。しかし本のページを捲る事はしなかった。
 本を見つめ彼の事を思い出していた。彼に始めて貸した本。栞で公園まで呼び出して、夜中に彼を家に上げた。あの時には何も思わなかったけど、今考えると大胆なことしたのかな?
 水滴がぽたりぽたりと本の上に落ちた。
 私これからどうなるんだろ?何も考え付かない…
 長門が俯き落胆し傷心していると、いきなりドアが“ドン・ドン・ドン・ドン・ドン!”と大きな音を立てて部室内に響き渡る。
 「長門有希、ここに居るのか?返事をしなさい!」“ドン・ドン・ドン・ドン・ドン!”
 どうやら呼び出しを無視した事と、授業中に教室にも居ない事で、教師達が捜しに来たらしい。
 鍵のかかったドアノブがガチャガチャと壊れそうな勢いで回される。長門は押入られると思いパイプ椅子から立ち上がる。
 「逃げなきゃ…」長門の頭に“逃げる”と言う選択肢しか思いつかなかった。でも何処へ?この部室は、3階で窓から逃げる事は無理。かといって他にドアも窓も無い…
 長門は恐怖から本棚の角に身を隠した。正確に言えば隠れたなんて言えない代物だ。入ってくれば本棚の隅にちょこんと身を小さくして震えながら座っているのが丸分かりなのだから。
 それでも何かに少しでも身を隠したつもりにならないと、長門の心は壊れてしまいそうだった。
 しばらく教師の怒鳴り声とドアを叩く音、ノブを回す音に耐えていると、ドア外から教師達の話しが聞こえてきた。
 「部室には居ないみたいですね。」
 「長門有希は校内に居るのか?」
 「他を探してみましょう。」
 その会話を耳にした長門は全身の力が抜けていく気がした。
 暫くしたら学校を出よう。鞄や荷物は、もう必要ない。もう学校に来る事は無いのだから。
 ただ、今後どうやって生活していけばいいのか、分からない。不安ばかりが頭を支配する。

 そうこう考えていると、今度は小さくコンコンとドアをノックする音がした。長門は反射的に本棚の隅で丸くなる。
 「長門さん、居るんでしょ。私よ朝倉涼子、分かるでしょ。私の他には誰も居ないから鍵を開けてくれない?」
 長門はそっと扉の前までやってきた。朝倉涼子の言う事を信用してもいいのだろうか?
 「・・・・・」長門はドアの前で無言だった。
 「長門さん、今ドアの前に居るわよね。感じるわ。だって私達って姉妹みたいなものでしょ」
 長門は迷いつつも鍵を解除し扉を開けると、朝倉涼子が手をスカートの前で組んで立っていた。
 「長門さん、信じてくれてありがとう。入ってもいいかしら?」
 長門も部室前に立たれていられても困るので、朝倉涼子を部室に招き入れ、また鍵をかけた。
 長門は朝倉の後姿をぼんやりと見つめ、力無く「何の用?」と聞く。
 朝倉涼子の方は振り返らず「ちょっとお話ししようと思って…」
 「話しって何?あなたと話す事は無いはず。」
 長門の言葉には返答せず朝倉涼子は文芸部室を見渡した。
 「へぇここが文芸部かぁ。始めて来たわ。本当に何も無い部屋ね。涼宮さんに占領されてSOS団になってからは、もっと賑やかな部屋だった?」
 そう言うと、朝倉涼子は笑みを浮かべながら振り返った。
 長門は目を丸くした。
 「どうしたの長門さん。キョン君を殺そうとしなければ、SOS団の部屋も見れたのに…残念だわ。」
 「どうして、その事を知っているの?」
 「どうしてって、私の有機情報連結を解除したの、長門さん自身じゃない。」

 「あなたは覚えてるの?」
 「覚えてるって何を?私達を生み出してくれた情報統合思念体の事や、私や長門さん、それに喜緑さんの事。それともSOS団や涼宮さんの力の事やキョン君の事かな。」
 朝倉涼子は改変前の世界の事を覚えていた。その事に長門は嬉しくなった。
 「なぜ、あなたは覚えていたのに、さっきはあんな酷い事を言ったの?」
 「あら、酷いわね。敵意むき出しにしていたのは長門さんの方じゃない。」
 長門はその言葉に反省した。確かに突然の朝倉涼子の出現にパニックを起こし、敵意を示したのは自分のミスだった。
 「ごめんなさい。お願い、元の世界に戻す方法を一緒に探して。」
 「珍しいわね。長門さんが素直に謝るなんて。でも、それ無理。だって元の世界に戻れば私はまた消えてしまうわ。それに、私だって今はただの人間なのよ。どっちにしたって無理ね。」
 その言葉に長門はまた悲しい表情になってしまう。
 「長門さん、これからどうするつもり?情報統合思念体は消えちゃったし、私達も普通の人間になっちゃた。元の世界の事なんて覚えている人なんて居ないわ。虐められっ子の長門有希さんは、これからどうやって生きていくのかしら?長門さんはヒューマノイド・インターフェースとしては優秀だったかもしれないけれど、人間としては協調性にかけるものね。表情や感情ってものは私達に比べて極端に劣っているわ。」
 「お願い、あなたまで私を虐めないで…」
 「嫌よ。この世界で長門さんが頼れるものってある?SOS団だったメンバーは力にはなってくれないわよ。この後みんなに長門さんは妄想癖のある変な子って吹き込んでおいてあげるわ。」
 「お願い。もう止めて…何故、私ばっかり虐めるの?私は何も悪いことして無いのに?」
 長門はその場に座り込み大粒の涙を流し始めた。
 長門は朝倉涼子の言葉が悲しくて苦しくて、そして怖かった。
 「あらあら大変、長門さんが泣いちゃったわ。長門さん何故あなたを虐めるかっていう理由なんだけどね、理由は………ないわ。ただ面白いからよ。」
 そう言うと、朝倉涼子は手を口にやりクスっと笑った。
 「長門さんは明日から学校に来ないつもりだろけど、そうわさせないわ。私が無理やりにでも来させてあげる。なんなら岡部先生と二人っきりになれるようにセッティングしてあげましょうか?そういえば、キョン君には叩かれてたわね。もしかしたら長門さんの事が大嫌いになっちゃたかもね。なんなら、もっと変な噂を吹き込んであげようかしら。そうすればキョン君は、あなたを憎むまで嫌っちゃうかもね。」
 「止めて、止めて、止めて!そんなの嫌。彼に嫌われくない。」
 長門は耳を塞ぎ、頭を振って、泣き叫ぶ。

 「何故、彼に嫌われたくないの?彼は涼宮さんのものなのよ。長門さんには彼に嫌われたって関係ないでしょ」
 「彼が好きなの。これ以上彼に嫌われたら私…うわぁぁぁん」
 長門には、もうヒューマノイド・インターフェースの心は残っていなかった。そこに居るのはただの小さな女子高校生、長門有希でしかなかった。
 声を上げ、嗚咽し、感情をむき出しにして大泣きする長門。その瞳からは、これまで我慢していた分の全ての涙が溢れ出てくるようだった。
 朝倉涼子は、そんな長門有希を見下ろし「ちゃんと言えるじゃない…」と言って口元を綻ばせた。
 
 「・・・」
 「・・・キ・・」
 「・・・ユ・・・キ・・・」
 「ユ・・・キ・・・有・希・・・有希ったら」
 顔を上げると、ハルヒが眉をひそめて、心配そうに長門の顔を覗き込んでいた。
 「有希、どうしちゃったの?凄くうなされていたわよ。」
 周りを見渡すと、さっきまでの文芸部部室ではなく、いつものSOS団の部屋に戻っていた。
 ハルヒは、まだ心配そうに長門を見つめ、みくるは胸の前で手を握りオロオロしている。
古泉を見るといつものニヤケ顔で手をフイっと肩まであげる。
そして、キョンは驚きと心配の表情で長門を一心に見つめていた。
 「ちょっと、有希ったら!」
 ハルヒが出した大声に我に返る。
 長門はアメジストのような瞳でハルヒをジッと見つめた。
 「有希、ビックリさせないでよね。いきなり大きな声でうなされるんだもん。心配しちゃったじゃない。」
 「心配…」
 「そうよ!まったくSOS団の活動中に居眠りなんてキョンじゃあるまいし、有希だらけてるわよ。」
 ハルヒは照れ隠しのように腕を組み胸を張って窓の外へ顔を逸らした。
 “おい!ハルヒ。忘れちゃいまいが、長門は文芸部部員だ!”などと心の中でツッコミを入れながらキョンも窓際の長門の指定席へと近寄っていく。
 長門は、そっぽを向くハルヒを見つめ一言「ありがとう。」と言った。
 「『ありがとう』って…別にお礼を言われるような事なんてしてないわよ。そ・それより、みんなを驚かせた罰として今日は部室の戸締りをして帰ること!わかった有希。これは、団長命令なんだからね。」
 ハルヒは、心配していたかと思えば、照れて、最終的にはいつもの団長ぶりを発揮している。そんなハルヒに対して長門は、なぜか嬉しそうにコクンと頷いた。
 「長門、お前が居眠りなんて珍しいこともあるもんだな。本当に大丈夫か?」そう言いながらキョンが長門の横に立つ。
 長門は横に来たキョンの顔を一瞬見ると俯き、そして儚い声で「ごめんなさい。」と謝った。
 それを聞いたハルヒは、キョンに向かってきて「ちょっとキョン、いったいどういう事?あんた有希に何かしたの?」
 ハルヒが獲物に狙いを定めたメスライオンのごとく、キョンににじり寄る。
 「ちょっと待て、ハルヒ。俺も何故謝られたのかがわからん!」
 「何言ってんのよ。有希があんなにか細い声で、あんたに謝るなんて、尋常な事じゃないわ。まさか有希に変なことを要求したんじゃないでしょうね。」
 「馬鹿を言うな!俺は長門に謝られるような事をした覚えも無いし、された覚えも無い。大体お前の言う変な事って何だよ!」
 「変な事って言ったら変な事よ。エロキョンが考えそうな事に決まってるじゃない。」
 「お前なぁ~…」
 二人のいつもの掛け合いに、長門が割り込んできた。
 「彼は悪くない。以前、私が彼に対して迷惑をかけた。それに対して謝っただけ。」
 キョンの方は、助かったとばかりにホッと胸を撫で下ろして長門を見つめる。
 珍しい長門の訴えに、ハルヒはキョンへの責苦を止めざる得なくなった。
 「まぁ有希がそう言うなら…、信じてあげる。」
 ハルヒはキョンの方を向きなおすと、今にも食い付いてきそうな表情で「でもキョン、有希を泣かしたり虐めたりしたら許さないからね。」
 「だから、そんな事しないって…」ハルヒが消失した時のあの長門なら、泣かせてしまったかもしれんが…
 長門はハルヒに向かい、もう一度「ありがとう」と言った。その時の長門の顔は微かに笑っていたような気がした。
 アヒル口だったハルヒは、そんな長門を見て安心したように笑う。
 「何だかお腹がすいたわ。今日は少し早いけど解散しましょっ!」とハルヒが宣言すると、鞄をサッと肩に掛け足取り軽やかに出入り口まで行き、くるりと振り返って「諸君、また明日ー!有希、戸締りヨロシクね。」と言って帰って行ってしまった。まったく気分屋もここまで来ると大した物だ。
 「それでは、僕もお先に失礼します。」と言って古泉が礼儀正しく出て行き、キョンも古泉に続いて鞄を肩に掛け部室を出て行った。
 朝比奈みくるも、いそいそといつものメイド服から制服に着替え「それじゃ、後よろしくお願いしますね。」と言って、長門に一礼をして部室を後にした。
 長門は本を鞄に入れ、窓を背にしてドアを見つめた。彼が戻ってくると分かっていたように…

 ドアのノブが回り、扉が開く。もちろん入ってきたのは、彼だった。
 「今回は、お前が俺を待つ事になったな…長門。」
 長門はキョンの顔をまともに直視できず、また俯いてしまった。
 「どうした長門。本当に大丈夫か?何かあったんじゃないのか。」
 そう尋ねるキョンに長門は先程と同じように「ごめんなさい」と言うだけだった。
 「なぁ長門、俺はお前に謝れるような事をされた覚えが無いんだが…」
 キョンが困った表情をしていると、長門は答え始めた。
 「私のエラー蓄積によるものだけど、世界改変という身勝手な行為により、私はあなたに対して酷い事をした。」
 それに対しキョンは「長門、その事は終わった事だし、あれはどちらかと言うと、お前に頼りっきりだった俺の責任だ。」
 「違う。あの時のあなたの辛さが、今の私にはよく分かる。あなたの気持ちを考えれば、あんな事を出来なかったはず…」
 そう言って長門は、唇を噛み締めた。
 「やっぱり何かあったんだな…。よければ俺に話してみちゃくれないか。」
 キョンは何かを我慢する長門を見つめ、安心させるように肩に手を添えた。長門はそのキョンの手を取ると両手で握り締めキョンの顔を見上げる。
 「わかった。聞いて…」そう切り出すと長門が見た夢の内容をキョンに語り始めた。それは、辛くて、悲しくて、怖い夢。そして、その時の長門の気持ちは、長門が改変した世界でキョンが感じたであろう気持ちに違いないと。
 その夢の話を聞いたキョンは「ムカつくな…」と言った。
 長門はその言葉に硬直する。恐怖が蘇る思いだ。
 更にキョンは言葉を付け加える。
 「その夢の中の俺は、長門を叩いたのか。ゆるせん野郎だ!そんな奴は俺じゃない。安心しろ、今度その野郎が夢に出てきたら、俺がお前の夢の中に乱入してぶっ飛ばしてやる。しかもその時の分と今回の分のまとめてだ!」
 どうやらキョンは、長門の夢に出てきた自分に怒っているようで、長門は安心した。
 「それは無理。人間は他人の夢に干渉できない。」まっすぐな眼差しで淡々と言ってくる長門に対し、キョンは…
 「そうかい。なら、お前がぶっ飛ばす事を許可する。やっちまえ」そう言ってキョンは長門に微笑みかける。
 「…そう。」と、一言だけいう長門に、キョンは微かに笑みがこぼれた気がした。
 「長門よ、そんなにお前のやった事を気にしているなら、そのお詫びにいつかまた俺だけをお前の家に招いてくれ。そして、お前の入れてくれた、お茶をご馳走してくれ。それでチャラだ!」
 キョンは冗談交じりに世界改変をやらかしたお詫びを要求した。そうする事で長門が気にしないようにという心遣いからであった。
 「わかった。あなたの条件を受け入れる。…ありがとう。」
 長門もキョンの心遣いを理解したのか、安心した表情でキョンに答えた。
 そろそろ俺は帰るが、長門も一緒に帰るか?
 そう誘うキョンと長門の間に窓から一陣の風が吹き込み、長門の髪を乱した。
 長門は髪を手で押さえ、窓を見つめる。そしてキョンの方に振り返り答えた。
 「今日はあなた一人で帰って。私はもう少しここに居る。」
 キョンは優しい眼差しで長門を見ると、おもむろに頭をクシャクシャと撫でながら「そうか。それじゃ、また明日な。」と言い、部室を出ようとして立ち止まる。
 おもむろに服の内ポケットからメモ帳とペンを出すと机で何やらサラサラと書き始めた。
 「長門、二度も断って悪かったな。三度目の正直ってやつだ。これ受け取ってくれるか?」
 そう言われ、差し出されたのは、キョンのクラスと本名が書かれた“文芸部入部届け”だった。
 「あの…これ…」
 長門はキョンを見つめながら、メモ紙に書かれた入部届けをそっと手に取る。
 「お前だけの文芸部だが、良ければ俺も混ぜてくれないか?ダメか?」
 「ダメじゃない…」
 「そうか、良かった。」キョンは笑ってそう言った。
 長門は入部届けを大切に手に持ち、嬉しそうにしていた。心成しか頬が紅く染まっているようにも見える。
 「それじゃ部長、先に失礼します。」ワザとそう言ってキョンは一礼し部室を後にした。
 部室に残った長門のもとに、また風が舞い込む。長門は窓を見つめ風に耳を傾けた。風の中に混ざって時に優しく、時に意地悪な、声が長門には聞こえる。
 
 ―――朝倉涼子。
 風の中の朝倉の声は、今までで一番優しい声だった。
 『長門さん、夢の世界はどうだった?でも、あの世界は本当に夢だったのかしらね。』
 「………」長門は答えない。
 『折角のチャンスだったのに、何故キョン君に告白しなかったの?あなたは、もう自分の気持ちを十分理解しているはずよ。』
 「………」長門は、まだ答えない。
 『本当に強情なんだから。長門さんは無理しすぎなのよ。もっと素直になるべきだと私は思うな。』
 「…我々は観察者。些細な感情で動いてはならない…はず」
 『キョン君に対する想いは些細な事?』
 「それは…」長門は複雑な顔をする。
 『私達は、人形じゃないのよ。感情だってあるんだから。だから、あんなにも泣けたんでしょ。キョン君の事を好きだって言えたじゃない。』
 「…でも、今の私には出来ない。」
 『本当に困ったちゃんね。長門さん…本当は怖いんでしょ。彼に嫌われる事が…彼と別れる事が…』
 その言葉に長門はピクンと反応し、目頭が熱くなる。
 『このままでは、涼宮さんや朝比奈さんのものになっちゃうわよ。』
 「かまわ…」
 『嘘ね。』朝倉は長門の言葉を遮る。
 「………」
 『大丈夫よ。彼だってあなたの事を想っているはず。だからあんなにも心配してくれたんでしょ。長門さんの手にあるものは彼の気持ちの表れ、ラブレターみたいなものじゃない。』
 長門はキョンからの文芸部入部届けを見つめる。
 「そう…かな?」
 『長門さん、もっと自分に自信を持ちなさい。それと、感情を爆発させたかったら、夢の中で思いっきり、泣いたり、笑ったり、怒ったりするといいわ。長門さんの性格ならそっちの方が良いかもね。もしかしたら、私も長門さんの夢に、またお邪魔させてもらうわ。』という朝倉に、「かまわない、いつでも来て。でも、もう虐めないで…」と、長門は答える。
 朝倉がクスッと笑った気がした。
 『それじゃ長門さん、彼とお幸せにね……』
 風が長門を優しく包み込むと、その後、何も無かったように風は止んだ。
 長門は外を見つめ一言「ありがとう…」と呟いた。

 生徒手帳を取り出しキョンが書いてくれた入部届けを大事に挟むと、長門も戸締りを確認して部室に鍵をかけ職員室に鍵を返しに行く。
 職員室にいたのは、ハンドボール部顧問であり、キョンと涼宮ハルヒのクラス担任(涼宮ハルヒ曰く、ハンドボール馬鹿)の岡部先生だった。
 「先生、これ…」
 長門は、緊張気味に岡部先生に鍵を渡すと、岡部先生が「おい長門!」と声を掛けて来たので長門は更に緊張度が増した。
 「涼宮が迷惑掛けていないか?文芸部部員はお前一人だから迷惑掛けてたら、俺からも涼宮に言っておくぞ。」と、その言葉を聞いて長門の緊張は解ける。
 「迷惑じゃない。それに文芸部も私一人じゃない…」
 「ん?お前の他に文芸部っていたのか?…まぁいいか。長門、涼宮と仲良くしてやってくれないか、あいつ友達少ないみたいだしな。よろしく頼む。」
 「大丈夫。涼宮ハルヒとは仲良し。」
 「そうか、安心した。それじゃ気を付けて帰れよ。」
 岡部先生は爽やかに笑うと、ハンドボールで鍛え上げられた腕をひょいと上げて長門を送り出した。
 長門は頭を下げ出口へ向いう。
 元に戻ったいつもの世界をいつものように、静かに歩いていく。


 ~fin~
 
 
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