我らの根城、SOS団本部である文芸部室の隣の部屋では、今日もキーボードをたたく音が絶え間なくひびいている。
 それは何故かと言うと……なんてわざわざ言う必要はなかろう。そこはコンピ研の部室であり、その部室にはパソコンが何台も連なっているからだ。
 情報社会を生き抜くための修行を毎日欠かさない5人の男たち。その内の1人に、自らの行動によって不運な災難が降りかかる……。
 今日はそんなお話。
 
 
「………………」
 今日の長門はどこかおかしかった。あの三点リーダの中には少しの焦燥が含まれているように思えるのだ。それに加え、いつもの定位置から立ち上がり本棚に向かったと思うと、結局何もせずにまた定位置に戻る。そんな行動を俺が確認した限りではもう4回繰り返している。
 ハルヒはパソコンのディスプレイに釘付けだし、長門の行動はモロ古泉の死角だししかも古泉はオセロ盤に釘付けだし、朝比奈さんはヤカンのお湯の温度に釘付けときた。
 つまりあれに気付いているのは俺だけってことになり、ここで全員に聞こえるように「どうしたんだ」と訊くのもなんかはばかられる気がする。
 そんなもんだから、長門にあの行動の理由を訊こうとした時には、もう太陽が西方へ隠れようとしていた頃だった。
「帰るっ」
 ハルヒがすったかと帰っていくのに古泉も続く。朝比奈さんと俺が最後に部室に残るのはいつも通りだが長門はまだ席を立とうとはしなかった。
「長門さん、どうかしたんですかぁ?」
「……なんでもない」
 そう言った長門はいつも通りの足取りで部室から出て行き、階段とは逆方向――つまりコンピ研部室のほう――へ歩いていった。
「どうしたんでしょう、長門のやつ」
「うーん……」
 俺が長門の行った先を推理していると、
「キョンくん、もし何かあったら長門さんの力になってあげてくださいね」
「ええ、もちろんです」
「……えっと、キョンくん」
「はい?」
 スカートの裾を引っ張りながら、少し頬を赤らめたメイドさんは少し怒ったような口調で言った。
「着替えるから、出て行って」
 
 強制的に部室退去を命じられた俺は、もしやと思いコンピ研部室を覗いてみた。するとそこに、ミクロ単位で眉を八の字にして佇む文芸少女を見つける。
「そのパソコンに興味でもあるのか、長門」
「…………」
 まるで俺が来ることを解かっていたかのように、長門はキーボードに手を添えて、
「あなたの助けを借りたい」
 俺の目に真剣な眼差しを向けてそう言った。
「……俺に何をしろって?」
「このコンピューターを媒体として増殖を続ける電子構造生命体共存型情報生命素子の凍結・及び回収」
 ……つまり、このパソコンからウイルスを取り出せってことか?
「そう」
「そういうことはお前の得意分野じゃないか。第一、そのなんとか素子のせいでどんなことが起こってるんだ?」
「……部員Dが、消失した」
 ……部員D? そんなやつ、いたっけか?
「部員Dが存在していたという事実を他の人間の記憶から抹消させているのもこのコンピューターに巣食うイレギュラー因子」
「な、なるほどな」
「わたしでは増殖を停止させることくらいしかできなかった。このままだとこのコンピューターごとこの部室、またコンピューター研究部が消失してしまう。そして何よりも……」
 長門はもう一度俺の目を見る。
「明日は部員Dの誕生日」
 
 そんなこんなで、俺は長門から色々説明を聞いた。ウイルス発生の原因は部員Dが作成したパソコンゲームだとか、ウイルス駆除にはどうしても他の人の助けが必要だったとか、どうしても明日までにはどうにか解決したいだとか、そんなことをね。
「これから直接コンピューターの電脳空間へわたしたちの体ごと侵入してイレギュラー因子を凍結する」
「なあ、長門。お前にできなかったことが本当に俺にできるのか?」
「……きっと、あなたなら」
 今までに長門ができなくて俺にできた事例があったか、俺が記憶の中を模索していると、
「目を閉じて、力を抜いて」
 長門に手を取られ、俺は長門の言われるがままになった。
 
「……ここが、電脳空間ってやつなのか?」
「そう」
 長門が言うからにはそうなんだろうが、いまいち俺はそれが信用できなかった。なぜかというと、今俺が見ている風景はいつもの日常の風景と何ら変わりがないからだ。
「ここ、俺たちの通学路だよな?」
「そう。ここは部員Dが作成したゲームの中の世界。バグそのものを叩くには、このゲームを攻略していかない限り不可能」
 そう言って長門は北高の方へ歩き出すと、道が真っ直ぐと右へ続くT字路まで辿り着く。
「なあ長門、このゲームは一体どんなことをすればクリアなんだ?」
「それがわたしには解からない。次々と出現するキャラクターを攻撃してみても『BAD END』と表示されるだけ」
 と、そこへ右へ続く道から人が走る足音がどんどん近づいていくるのを感じ取った俺は、もしやと思慮を巡らせる。
「そこから容姿が涼宮ハルヒに限りなく近い誰か――部員Dが作成したキャラクター――が飛び出してくる。ぶつかると危険」
「……ははーん、なるほどね。長門、お前じゃ攻略できない理由が解かったよ」
 俺はわざと曲がり角に近づき、これから出てくるであろう少女とぶつかってみる。
「あいたっ!」
 よろけたまま転んだその容姿がハルヒに限りなく近い少女は、尻もちをついてゆっくりと立ち上がり、
「ごめん、あたし急いでるからっ!!」
 そう行って北高へ走っていってしまった。
「長門、お前今まであいつと会うたび衝突するのを避けてただろ」
 長門は肯定の仕草。
「これはあいつとぶつからなきゃ話が進まないイベントになってたんだよ、多分」
「……イベント?」
「そうさ。部員Dが作成してたゲームってのは、お前が思ってた戦闘ゲームじゃなくて、日常生活を題材としたシミュレーションゲームだったんだよ」
 ……あんまり過度なものじゃないことを望むけどな。
「だから、この世界で言う攻略ってのは、きっと」
 俺は背を向けて走っていくあの少女を指差して、
「あいつと仲良くなればいいんじゃねえかな」
 少し気が進まない部分もあるが。
「……あなたに相談して、良かった」
「おう、じゃあとりあえず北高まで行こうぜ」
 
 いつもの手馴れた手つきで上履きに履き替えた俺らは、同じ教室に入り座席表通りの席に座り、担任岡部が入ってくる朝のSHRの時間まで待っていた。
 と、俺の日々研ぎ澄まされている視覚が、この教室内にある違和感を見い出した。その違和感が何なのか考えるより前に、周りを見渡せばその正体は明らかになった。
 教室内にいる男子生徒が俺だけなのだ。つまり、俺以外全員が女子生徒なんであり、もしかしてここは女子高の設定なのかと考えたが座席表にはちゃんと俺の名前があったからその線はない。
 これは後に解かった話だが、なんとこのクラスどころかこの学校内で男子生徒は俺だけだったのである。なんと身勝手で無理矢理な設定だと思ったが妄想の中では何をしても自由であるので、俺が部員Dにとやかく言える言葉は持ち合わせていないと言っておこう。
 試しに横の席の女子に話しかけてみたが返事は全く返ってこず、まるで俺の声が聞こえていないかのような振る舞いだったので、ここはやはり全てがプログラミングされた電脳空間であることを再認識する。
「朝のホームルームを始める前に話がある。実は今日転入生が来ている!」
 颯爽と入ってきた岡部教諭がそう宣言し、教室がざわめく。
「入っていいぞ!」
 肩まで届く髪を揺らせながら岡部の隣まで歩いてきたその少女は、朝ぶつかったあの少女ととてもよく似ているように見えた。……いや、そうだろうと思ってたけどね。
「はじめまして。涼宮ハルヒです、よろしく」
 姿かたちだけではなく、なんと名前までパクっていた。名前を一字変えるとか、少しはそういった工夫があったほうがいいと思う。
「席は一番後ろのあそこが空いているな。そこに座ってくれ」
 いつもの定位置である俺の後ろの席までクラスの注目を浴びながら歩いてきた涼宮ハルヒは、俺に向かって優しく微笑みながら言った。
「よろしくねっ!」
 
 
 どうも調子が狂う。このハルヒとあのハルヒとの性格の差がありすぎて、なんだかこう、しっくりこない。きっとこいつが攻略対象のキャラなんだろうが、妙に気が進まないぜ。
「それでも、あなたにはこのゲームをクリアしてもらわないと困る」
 昼休み、念を押すように長門が寄ってきた。
「解かってるよ」
「ねえキョンくん、一緒にお昼食べない?」
 ……長門、なぜこのハルヒまで俺のあだ名を知ってるんだ。
「ゲーム開始時にあなたのあだ名を入力した。きっと呼ばれ慣れた名前のほうが良いと判断した」
 そういう配慮はいいんだよ! 俺だってたまにはハルヒに名前で呼んでもらいた……って、何考えてるんだ俺は。
「どうかな、そっちの子も一緒に!」
 突如、俺の目の前に選択肢らしきバーが出現した。立体映像のように浮き上がったそのバーには、『そうしよう』、『今日はこの子と食べるから』、『二人きりで食べよう』と表記されてあった。
 俺は長門をチラ見する。どれを選べばいいんだ?
「…………」
 悩む俺を見かねたのか、長門が無言で『二人きりで食べよう』のバーを押しちまった。すると、ハルヒは少し頬に朱を潜ませて、
「じゃ、行こっか!」
 弁当片手に屋上まで走って行く少女に手を引かれながら、俺は長門の誠実な目をしかと見て教室を後にした。
 解かったよ、長門。
 
 さて、俺は長門のために、正確には部員Dのためにこのハルヒとイイ関係にならねばならんようだ。そういえばどれくらいまでイイ関係になればよいのだろうと俺は考え、そもそもトゥルーエンドは本当にあるのか疑わしい。実はまだゲームが未完成のままです、なんてオチはちっとも笑えねーぜ。
「キョンくんは今付き合ってる子いるの?」
「残念ながらいないな」
「じゃあ、好きな子はいるの?」
 もしかしてこのハルヒはもう俺に好意でも持っているのか? いや、これくらい訊くのは普通なのか?
 ここでまた俺の前に選択肢が出現した。『ああ、いるよ』、『今はいないな』、『…………』の3つらしい。ここは俺の人生観からいくとここは直球勝負が最善の手と言えよう。
「ああ、いるよ」
「本当? それって――」
 ハルヒの言葉を遮るように、屋上の扉が開く音が俺たちの耳に届く。そして2つの見慣れた顔が出てきて、俺の心拍数はなぜか急上昇することになった。
「あ、キョンだ」
「本当だ、女の子と一緒っさね」
 俺が見たのは見間違えようもなく朝比奈さんと鶴屋さんだったのだが、その一方の麗しい方が発した言葉は聞き間違えようもなく男言葉であって、いやきっとこれは俺の耳か目か脳がおかしいんだと頭をぷるぷると振り、もう一度見直してもやっぱりあの朝比奈さんだった。
「キョン、一緒に食べてもいいか?」
 愛らしいピンク色の弁当箱を持った朝比奈さんが俺に言う。部員Dのセンスはどうなっている。朝比奈さんに恨みでも溜まっているのか? 今すぐここに来て俺に謝れ。俺の朝比奈さんに謝れ。
「あ、いいですよ」
 この時何故かハルヒがむすっとした顔をした。
「こっちのはキミの彼女さんかいっ?」
「ま、まさか、違いますよ」
 俺は仮にも朝比奈さんの姿をした人がいる手前、条件反射的にそう答えた。
「なーんだ、でも二人っきりでご飯ってことは何かあるんじゃなーいのー?」
 冷やかさないでください鶴屋さん。本当に何もないんですってば。
「…………」
 っていうかさっきからハルヒがやけに無言だが今は朝比奈さんのショックが大きくて何も考える気になれず、早いとこ昼食を終わらせてしまいたいというのが本音である。
 
 結局先輩二人にいじられて昼食時間は終わってしまった。
「……進展は、あった?」
「いやそれが、その……」
「…………」
 長門の無言の眼差しが怖い。しかし、ハルヒをイイ関係になれと言われても漠然としすぎている。具体的になにをしろって言うんだ?
「……解析不能」
「ううむ、こりゃ困ったな。一度現実世界に戻ったりはできるんだよな?」
「可能。あなたが望めばすぐに、……?」
 どうした?
「……戻れない。ウイルスによってプロテクトがかけられている」
「それって、まずいんじゃないか?」
「まずい。あなたが涼宮ハルヒに限りなく近い誰かをオトさなければ、現実世界には帰れない」
 長門、女の子がオトすとか言うもんじゃありません!
 と、そろそろお手上げ状態の俺たちに、救いの手が天からの声となって現れる。
『キョンくん! 長門さん!』
「この声は……朝比奈さん!?」
「朝比奈みくるが、パソコンのディスプレイの前でわたしたちに話しかけている」
 良かった、やはりあの可憐なメイド様は俺のことを「キョンくん」と呼ぶのだ。たとえヘンテコなあだ名でも、この朝比奈さんからの呼称が何よりの安心材料である。
『着替え終わって、ここに二人の鞄があったからもしかしてと思ったんですけど……一体どうしてこんなことになってるんですかあ?』
「朝比奈さん、事情は色々とややこしいんですが、実はかくかくしかしかで……」
 俺は迅速かつ的確に今のアホな状況を教えた。
『そうだったんですね……あれ、これ、なんでしょう? あ、これこのゲームの説明書ですよ!』
「ゲームの説明書?」
 部員Dのやつ、そんなものまで作っていたのか、ずいぶんな凝り様だな。そうだ、説明書にならゲームクリアの条件くらい書いてるかもしれない。
『あ、書いてます! 『プレイヤーがヒロインに好きと言わせることができたらクリア』なんだそうです』
「好きと言わせる……?」
 なんて単純なんだ。だが、単純ゆえに難しそうでもある。
「朝比奈みくる、オペレートに感謝する。わたしに考えができた」
 長門は自信満々な面持ちでそう言った。それが物凄く頼もしく見えたのは言うまでも無い。
 
 放課後、俺らは長門の考えを実施するべくハルヒの元に出向いた。
「あら、どうしたの?」
「涼宮ハルヒ、わたしは」
 俺の腕に何かが絡みついた。それはカーディガンにつつまれた細い腕で、それが長門のものだと判断するのにはそんなに時間は必要なかった。
「この人が好き」
「なっ!」
「えっ……!?」
 い、いきなり何を言っているんだ長門、そ、それにほらお前には古泉ががが。
「あ、あたしだって好きよっ!」
「な、何だって?」
「朝会ったときから好きだったんだからっ! キョンくんはあたしが貰うのよ!」
 おい長門、なんなんだこの状況は。
「……涼宮ハルヒの性格を考慮した結果、この方法が一番と判断した。作戦は成功」
 その瞬間、周りの学校の風景がみるみる消えていって、何も無い真っ黒な空間が広がった。その一方を、長門が指を指して言う。
「いた。部員D」
 何も無い空間に一人で体育座りをしている人物を見い出す。どうやら、あれが部員Dらしい。
「部員Dにウイルスが寄生している。消失したのはこのせい」
 言いながら俺から腕を離し部員Dに近づいた長門は、静かに部員Dの額に手をかざす。
「……ウイルスの凍結・及び回収を開始する」
 数秒後、空間全てが光で満たされた――
 
 
 翌日。いつもの団長とメイドに安心しながら、やっぱハルヒはこのままでいいなということを脳内で密かに思いつつ、キョンくんという呼び名もあながち悪くなかったなとあのハルヒを思い出しつつ、俺はある男の誕生日会へと出向く長門を見送るのだ。
 そこには、顔はいつもの無表情だが足取りだけはどこか軽い文芸少女の姿があった。
 
 
 彼の名は部員D end
 
 
 
 
……これは、小野友樹さんの誕生日に掲載させていただいたSSです。
他の誕生日作品はこちらでどうぞ。 
 
 
 


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