「ねえ、古泉くん。もしかして、有希と付き合ってるの?」
授業終了後、まもなくの部室。
僕が部室を訪れての涼宮さんの第一声が好奇心に満ち満ちたそれだったのには、「彼」は「なんと露骨に…」と呆れたような顔をし、朝比奈さんは顔をうっすら赤らめて俯いている。
団員のプライベートに一々首を突っ込むような真似はしない、というのが涼宮さんの最低限の礼儀を踏まえた信条であったはずで、その彼女がこうも直接的に僕に事を問うというのは、疑問の形を呈しつつも殆ど確信の域にあるとみていいだろう。
長門さんは我関せずといったように読書を続けている。
涼宮さんが長門さんを問い詰め、納得いく回答が得られずに、矛先が此方を向いたといったところだろうか。
元々隠していたのは機関の命令から様子見をしていただけであり、一寸の露見もならない極秘情報というわけでもない。下手に繕うことはしない方がいいだろうと判断して、涼宮さんの疑惑を僕は笑顔で肯定した。
「申し訳ありません、涼宮さん。もっと早くにご報告しようと思っていたのですが」
「おいおい、マジか…!お前ら、いつの間に」
驚きの声を上げたのは、不精不精といった風情で僕と涼宮さんのやりとりを見守っていた「彼」だ。
洞察力に優れた彼といえども、僕と長門さんの見えざる進展の意味までは取り損ねていたらしい。
「やっぱり!最近二人とも仲良いわねってみくるちゃんと話してたのよ」
手を叩いて、したりとばかりに涼宮さんが笑った。
「これで疑問も氷解ってものよ。そんじょそこらの馬の骨相手だったら叩っ切るところだけど、有希と古泉くんならお似合いだしね。古泉くんなら有希の相手として申し分ないわ」
満面笑顔の涼宮さんは、僕と長門さんの交際を素直に祝福してくれるようだ。有り難いことだった。
「実はあたし、土曜日にショッピングに出かけたんです。そこで古泉くんと長門さんが……その……」
相変わらず愛らしいメイド服姿の朝比奈さんが、首筋までを赤く染めて、「はうー」と熱の篭った溜息をつく。
目線はちらちらと長門さんと僕を行き来し、落ち着かない様子だ。僕は概ねを察して苦笑した。
「……なるほど、見られていたんですね」
僕はもう少し周囲に気を配らねばならなかったようだ。内省に励むべきだろう。
長門さんと一緒にいるところを朝比奈さんに見られ、朝比奈さん経由でその情報が涼宮さんに伝わって、事の真偽を確かめるという方向性に落ち着いた、といったところか。
僕と長門さんが急速に親しくし始めたことも、団員の皆からは奇異に思われていたはずだ。
僕らに気を遣ってか、真正面から訊ねられたことは今までなかったのだが……。
「わたしから、告白をした」
密かなささやきが落ちた。
その一声は、何やら僕に対して質問責めを開始しようとしていた涼宮さんの行動を一瞬にして静める効果を持っていた。
裏表紙を丁寧に閉じて。――手持ちのハードカバーを読み終えたらしい、長門さんが視線を持ち上げて、涼宮さんへ細い顎を直ぐに構えた。
「有希……」
涼宮さんの呆然とした声に対するように、長門さんは微笑んだ。それは見惚れるくらいに綺麗な、砂糖菓子のような笑顔だった。
「わたしは、幸福」
耳に残る、色彩があるならきっと暖色であるだろう、優しい声だ。
涼宮さんはふっと強気な笑みを浮かべ、長門さんに歩み寄ると、その肩をいささか乱暴ともいえそうな勢いで抱き寄せた。
長門さんは何も言わない。戸惑っているのか、涼宮さんにされるがままになっている。
眼を一時伏せた涼宮さんは、思い浮かぶ幾つかの言葉のどれを長門さんに与えるべきかを迷っているようだったが、やがて満足の笑みを押し上げて、長門さんに告げた。
「自分で想いを伝えて、それで勝ち取ったんなら、あたしがとやかく言うことはないわ。おめでとう、有希」
「………」
祝福を受け取った長門さんの首肯を見届けると、涼宮さんは今度は母のように微笑んで、
「あ、古泉くんに泣かされたらいつでも呼ぶのよ!古泉くんに限ってそんなことはないと思うけど、万が一のときにはSOS団総出で古泉くんを説教しにいくわ」
情愛に満ちた、実に涼宮さんらしい宣言をしてみせた。
「ふふん。いいわね?古泉くん。神聖なる団長の前で取り交わされた約束は絶対なんだから!」
長門さんから身を離した涼宮さんに誓いを余儀なくされた僕は、「気を引き締めます」と微笑って返した。長門さんが此方を一瞥して、「大丈夫。彼は優しい」と惚気そのものの返答をして、朝比奈さん達の笑みを誘ったのには、さすがの僕も赤面したかったところだ。
「長門が古泉にか……意外だったな。まさかとは思ってたが」
「彼」は信じられないという想いを隠しては居なかったが、最後には肩を竦め、やれやれと笑って長門さんに声を掛ける。その声には、彼を知る者ならば十分過ぎるほど分かるだろう、大切な人に向けられた情愛があった。
「彼」は表層は捻くれたスタンスを崩さないが、その癖、ひどく愛情深い人だ。
「よかったな、長門」
微笑んでの彼の言葉に、長門さんは小さく頷くことで答えの代わりとした。
向かい合った彼らは、こうして見ると年の離れた兄と妹のようだ。「彼」は実際に血の繋がりのある妹がいる、れっきとした「兄」ではあるけれど、僕がSOS団内で殊に家族性を強く意識するのは「彼」と長門さんの関係性に対してだった。
時には父と子のように、時には兄妹のように、時には穏やかに連れ添いあう二人のように。
だからだろうか、長門さんは「彼」に惹かれている節があると、常々僕は思っていた。
雛の刷り込みか、「彼」の父性を愛したのか、その感情に具体的な名前をつけられてはいなくても。限りなく愛や恋に近いような想いを、「彼」との結びつきに抱いているのではないかと思っていた。
そのことは僕自身機関にも度々報告しているし、だからこそ機関は長門さんが涼宮さんと敵対する位置になり得る可能性を憂慮していたのだ。今回の件は、その可能性を潰しつつ、誰にも不幸が芽吹かない最善の道だった。
――そう思っていたのに。
幸せそうな長門さんを見据えているうち、唐突な不安が僕の胸を焼き始めた。
僕は何かとても大事なことを見落としていて――何かを忘れていて、この舞台の土台は実は穴だらけなのではないだろうかと。
少し力を入れて踏み抜けば脆く崩れて落ちてしまうような、すかすかのガラクタを積み上げた舞台の上で、危なっかしいバランスを保ってかろうじて糸で繋がりあい生きている……
どうしてそんな益体もない不安感が押し寄せてきたのか、理由はわからない。
「彼」に頷きを返した長門さんの横顔に、何か感じるものがあったためかもしれないし、何処かでこんな二人を見たような気がするのに、それが思い出せないせいかもしれない。
焦慮はこの一時だけのものだと僕は自身に言い聞かせた。
展望は明るく開けて、余りに何もかもが順調に運んでいるから、その幸先の良さに眼が眩んで立ち竦んでしまっているだけのこと。
恐れるべきことなんて、何もない筈なのだから。
+ + +
デートの頻度は月に二度から三度。
僕は見たこともないような長門さんの表情――仕草や、物怖じのなさを、思想を、一つずつ知っていった。
次のデートもその次のデートも長門さんの到着は約束の時間ぴったりで、遅刻ではないのだから責める理由にはならないのだけれど理由を尋ねてみれば、どの服を着ていけばいいのかを出発間際まで考えるせいで遅れていたらしい。
思いもかけない、恋をする女の子らしさに溢れた、彼女の素顔だった。