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 謎の少女――橘京子の襲撃から二週間が経ったが、あれから命に障る事件は起きなかっ
た。一方、不可思議な現象等は、端に涼宮の精神状態が安定している為か、はたまたその
力の発生自体が稀有な為か、涼宮は垣間見せる事は無かった。
だが、古泉曰く。
「涼宮さんは発言や行動こそ奇天烈ですが、彼女が悪戯に世界の秩序や構成を乱さないの
は、彼女が現実と空想の類の境界線を明瞭に把握し、理解しているからですよ。でなけれ
ば、今頃世界は酷い有り様になっているはずです」
などと、豪語したからであり、しかし信憑性の薄い話でもあった。贔屓目で見ても、あ
いつ――涼宮が人格者であるとはとても思えない。しかし、涼宮の精神や心理と少なから
ずともリンク出来ると言っていた能力者である古泉が言うのであれば、あながち間違いで
はないのかもしれない。現に涼宮は悪戯に世界の法則を覆す事象は起こさなかったが、相
変わらず閉鎖空間は発生させているらしい。その辺りも、北高に入学前と比べれば比較に
もならない程、発生の頻度が著しく低下しているとの事だ。
それはさて置き、俺の日常は取り敢えず平穏さを取り戻し始めてたのは間違いなく、穏
やかな日々が――涼宮の我が儘を除けば――続いていたのは、誰憚る事の出来ない事実で
ある。
しかし、平穏な日々などそう長くは続かない訳で。俺の平凡で穏やかな日常は瞬く間に
終焉を迎えたのである。一体何があったのか――俺にも未だに信じ難いのだが、とある人
物がSOS団に入団希望を出したのが事の発端になったのだ。

そう、あれはほんの数日前の事だ――。

断章『心、通わせて』


放課後になれば文芸部室に足げなく通っていた俺だが、相変わらず特に何もする事は無
く、朝比奈さんの煎れてくれた緑茶に舌づつみを打ちつつ、古泉相手にトレーディングカ
ードゲームに暇を潰している時だった。
コンコン、とSOS団が占拠している文芸部室の扉が叩かれたのは。
「みくるちゃん、お客さんよ」
偉そうに椅子の背もたれにふんぞり反りながら涼宮が言った。
「あ、はいはい」
朝比奈さんはそれに応えると、愛らしい仕草で愛読している茶葉に関する専門書を椅子
に置き、小走りに扉に向かい、「どうぞ」と扉を開いた。
誰かのお陰ですっかりと痛んでしまった木製の扉が、キィ……と耳障りな音を起てて開
く。
この部室に用があるなんて、余程の暇人か変人だけだろう。それとも、つい最近始めた
事なのだが、存在意義すら不明の団体に、少しでも生産性を持たせる為に始めた"何でも
屋"の記念すべき第一号の客かも知れん。無論、無償だが。
しかし、俺の予想は呆気無く打ち砕かれた。そこに立って居たのは意外な人物だった。
一同一様に目を丸くして唖然としていた。役一名を除いて。
「お邪魔するわね」
涼やかな声で断り、少女は部室に足を踏み入れた。
朝比奈さんはアパレル店の店頭に並ぶマネキンの如くフリーズしているし、古泉は含み
笑いをしている。何を企んでいるんだ、お前は。
「あ……、朝倉!?」
膠着状態にあった部室内に、椅子を蹴倒しながら立ち上がった涼宮の素っ頓狂な声が響
く。
部室に入って来た少女――朝倉涼子は、北高に通う男子ならば知らぬ者はいない容姿端
麗、成績優秀で定評のある人物であり、俺と涼宮のクラスメイトだ。
しかし、その正体は人間ではない。
彼女は長門と同じ情報統合思念体が、涼宮を観察する為に送り込まれた対有機生命体コ
ンタント用ヒューマノイド・インターフェースである。
彼女の正体を知ったのは、先日の橘京子事件だ。
思い出すだけで戦慄してしまう程の恐怖を味わされた俺の窮地を救ってくれたのが、朝
倉であり、長門だ。
しかし、その朝倉がこの様な辺境の地へ一体何の用が――。
そんな思考を巡らせている内に、事態は進展を迎えていた。
朝倉が涼宮の前まで来ると、普段の柔和な物腰で話し掛ける。
「今日はお願いがあって来たんだけど」
一体、何のお願いだ。
朝倉に相対する涼宮は、警戒した面持ちで朝倉を見据えている。
「あんたがあたしにお願い?寝言は寝てから言ってくれる?」
「寝てたら会話は不可能だと思うけど」
全く以ってその通りだ。
しかし、この二人は気が付いた時には犬猿の仲になっていた。
入学当初、涼宮は朝倉からの熱烈なアプローチに対して、全くと言っていい程興味を示
さず――他人はじゃがいも程度にしか思っていなかったのかも知れないが。いつからだろ
う。涼宮は朝倉に対して食って掛る様になったのは。
――特に思い当たる節が見当たらない。この辺り、古泉辺りに訊けば応えてはくれそう
だが、それも憚られる。彼奴にだけは借りを作りたくない。
「ふん、まあいいわ。で、何よ。言ってみなさい」
仏頂面の涼宮。不機嫌、というのはこいつの為に生まれた言葉かも知れない。
「何か随分な扱いな気がするけど……」
朝倉は眉根を顰め、怪訝な面持ちで呟いた。
ふと、俺を一瞥し――目が合ってしまった――涼宮に向き直り、微笑を浮かべた。そん
な朝倉を見てか、涼宮は苛立ちに顔を歪ませた。
そして、朝倉が驚愕の一言を放った。
「私も、SOS団に入れて貰えないかしら」
――空気が死んだ。
涼宮が絶句していた。否、朝倉を除く全員が絶句していた。
それもそうだろう。誰が好き好んで訳の解らない活動に従事する連中と肩を並べたいと
思う?俺だったら嫌だね、もう巻き込まれてるが。
それに宇宙人枠は長門がいるじゃないか。何も朝倉まで入る必要性は無いと思うが。
俺が呆然としている間にも、平静を取り戻しつつあった涼宮が口火を切った。
「あっ……あんた何言ってんの?」
「あら、入部希望を申し出ただけなんだけど。何かおかしな事言った?」
「そういう事じゃない。あんたが此処に居る事自体がおかしいのよ!」
「何で?部活動の入部希望者の意思を尊重するものじゃない?」
いかん、何やら険悪な雰囲気になってきた。
ほら、古泉お前の出番だぞ。
俺は古泉に一瞥した。それだけで意図を汲み取り、奴は頷くと席を立った。
「二人とも、少し落ち着いてみては如何でしょうか」
「うるさい!」
「部外者は黙ってて!」
一蹴された。
古泉は珍しく狼狽していた。椅子に腰を下ろし、若干乱れた澄まし顔を取り繕う様に、此
方を向いて肩をすくませた。
「これは……、黙ってた方が良さそうだ。どうぞ、続けて下さい」
既に聞く耳を持たずといった感じの二人に、その言葉が届いているのかは定かではない。
俺は少なからずとも同情を孕んだ視線を古泉に送った。
『次は貴方の出番ですよ』
だが、明瞭な意図を孕んだ目線を送られ――ちょっと待て。何で俺が古泉とアイコンタク
トで意思の疎通が出来ているんだ。これは何かの陰謀か、はたまた既に古泉の洗脳が始まっ
て――などと下らない思考は即座に排除し、俺は重い腰を上げた。
「おい……」
「あんたには悪いけど、もう定員は一杯なの。悪いけどあんたに席は無いわ」
「あら……そう。なら、私は文芸部員になるとしましょうか」
聞いちゃいねえ。
二人は俺の存在に目もくれず、言葉の応酬を繰り返す。
どうしようか。もう放って置いても、いいんじゃないか。
そんな俺を置き去りにして、二人のやり取りは続いて行く。
「なっ……、すっ好きにすれば良いじゃない。でも、あんたにはSOS団の活動に参加する資格
は無いわ!」
ビシッと指差して、涼宮は不敵な笑みを浮かべた。だが、朝倉は怯む様子は見せない。
「ふぅん。そう、じゃあ何で長門さんは活動に参加しているのかしら?」
負けじと脆い部分を的確に崩しに掛る朝倉。
「有希は特別なの!」
「そう、なら一つ聞きたいんだけど。文芸部の部費はどうしているのかしら」
雲行きが危うい方向になってはいないだろうか。
そう思った俺は見かねて制止に入った。
「いい加減にしろ!二人共落ち着けって!」
俺も古泉の二の舞いになるかと思ったが、二人は意外にも口論を止めた。
「なあ、涼宮。何で朝倉の入部をそんなに頑なになってまで断るんだ?」
「それは、こいつがあんたに……。べっ、別に何でも良いでしょ!とにかくあたしは嫌なの!」
涼宮は頬を朱に染めて顔を伏せる。
何だか、微妙な雰囲気になってきたな。
「そんな子供みたいな理由で……、大体部活動としての体裁も何も無いんだ。それに、仲間が
増えるのは悪い事じゃ無いだろ?」
諭す様に涼宮をなだめると、彼女は渋々と頷いた。
「分かったわよ。あんたがそこまで言うなら……。でも、一つ条件があるわ」
「何だ」
「あんた、今度の日曜一日あたしの言う事を聞きなさい」
思わず呆気に取られていた俺を誘う様に、満面の笑みを浮かべる谷口の生き霊が、俺の魂を
虚空の彼方へと誘い――って言うのは嘘ピョンで、萱の外にいた筈の俺が当事者の如く扱われ
ている。
嗚呼――そうか。これ、笑う所?
取り敢えず、俺は涼宮に訊き返してみる。
「すまん、何だって?」
「はあ?」
まるで、それは馬鹿、という人間を目の辺りにした表情だった。侮蔑を孕んだ視線が、遠慮
無しに俺に突き刺さる。
「あんたのその頭に付いている耳は飾りな訳?一回で聞取りなさいよ!……あんた、今度の日
曜あたしの奴隷だから。それが条件よ」
「……成程な。で、何で俺なんだよ?」
「そうよ、その条件は真当じゃないわ」
俺の後に続いて朝倉が加勢する。良いタイミングだ。
それが功を奏したのか、涼宮は黙然としていたと思いきや、肢体をわなわなと震わせ激昂し
た。
「うるさい!つべこべ言わずに言う通りにする!じゃなきゃ朝倉の話は無し!良いわね!?」
柳眉を吊り上げ、怒号を浴びせる涼宮に気圧され、俺は首肯を繰り返していた。
背後で朝倉が盛大に溜め息を洩らしていたのは――気のせい、という事にしておく。

*

かくして、俺達SOS団に新たな仲間を迎える事になった。
朝倉が入団した後も、涼宮との犬猿の仲は飽く事なく続いている。
今も二人で何かに付いての討論を始めている所だ。 朝比奈さんが仲裁に入ったが揉みくちゃ
にされ、スカートの端やら胸許やらから、純白の――いや、何でもない。俺は断じて見てない。
まあ、嫌よ嫌よも好きの内と、どこぞの悪代官も言っていた事だし、物事は前向きに捉えな
ければいけない。
涼宮の感情の起伏が激しいはいつもの事だとしても、朝倉のそれは殆ど見た事は無い。
今思えば――以前の朝倉からしたら、飛躍的な進歩なんじゃなかろうか。
以前は、作った表情を張り付けていただけの様に感じてはいたが、今は――良い顔をしてい
る。それだけで、この身を悪魔に売った価値があると言えるだろう。
俺は二人の討論に巻き込まれる前に席を立ち、窓辺に立っていた。
ふと、傍らで脳の仕組みやらが書かれている医学書のハードカバーを読み耽っている長門に
声を掛けた。
「なあ、長門」
「何」
「これで良かったのか、朝倉」
「恐らく」
「そうか」
「そう。情報統合思念体も彼女の変貌を自律進化の可能性の一つとして見ている」
長門はそう言うと、俺を見上げた。彼女は無表情が常だ。だが、今は――寂しげな顔をして
いた。錯覚かも知れないが。
長門は眼鏡をするのを止めた。橘京子の襲撃の際、俺を身を呈して護った際に壊れてしまっ
た。正直、俺は眼鏡属性なんぞを持っていないし、眼鏡の奥に隠された素顔を見れた時、不覚
にも可愛いと思ってしまった俺を誰が責められよう。
しかし、それ以降長門が眼鏡をしない理由は知る由も無い。
「何だ?」
「朝倉涼子は人間でいう、感情を持ち始めたのかもしれない」
「そうか。それは良い事なんだろうな」
「良い」
コクりと頷く長門は、小さな子供みたいで愛らしかった。
ふと、思考の端に一つの疑問が浮かんだ。
「お前は――、お前はどうなんだ?」
気が付いたら言葉にしていた。
長門はピタリと動きを止め、珍しく逡巡でもしたのだろうか?
長門はたっぷり十秒間を開けてから、言葉を紡いだ。
「私には無い」
「俺はそんな事は無いと思うぞ」
確信なんて無い。ただ、そう感じただけだ。それが感情――いや、人間だと思うから。
それに、こんなにも長門が饒舌に語る事は滅多に無い事だ。それはきっと、長門も変わって
きている証拠だと思う。
長門は俺を見据えていた。無表情に怪訝さを孕ませて。
「長門は変わったよ。少なくとも俺はそう思う。今のお前は――そう、何て言うか前より可愛
いぞ」
言った後に気付いた。俺は今とんでもない事を口走った気がする。後悔先に立たずと言うが、
まさに今の俺の心境だ。
「そう」
長門は顔を伏せ、噛み締める様に再び、「そう」と呟いた。
不揃いの前髪の奥に覗かせる精徴な面立ちの頬を赤らめていた――かもしれない。それは端
に俺の願望だろう。
俺が窓を開け放つと、涼やかな風が頬を撫でた。梅雨も終盤に迎え、気候も安定している。
いよいよ待ちに待った夏が来るのだ。
俺は季節の変わり目を肌で感じながら、空を仰いだ。
入道雲が茜色に染まっている。最近は、日が暮れるのが早く感じてしまう程、退屈せずに済
んでいた。
「だから、お前もそのうち笑えるだろう。その時が待ち遠しいな」
虫の羽音が心に案寧をもたらす。そのせいか、自然と気障な台詞が言えてしまう自分に驚嘆
する。虫の羽音や遠くに聞こえる運動部の威勢の良い掛け声に、掻き消されてしまいそうな声
で長門は――。

ありがとう。

そう言った気がした。

涼宮に一日奴隷を言い渡された日の事は、また別の機会に。今は、この余韻を楽しみたい。

――朝倉涼子の奇跡 断章『心、通わせて』END――

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