『故意のキューピッド』


○前編

それにしても人が多い。こんなことなら家でゆっくりしていた方がよかった。やれやれだよ。
いきなりの愚痴で申し訳ないが、ここに来ている多くの人たちの中には、俺と同じ考えを心に抱いているやつが結構いるはずだ、間違いない。
ヒマに任せて最近オープンした駅前の大型ショッピングセンターを偵察に来たわけだが、ここまで人が多いとは思わなかった。開店当初の騒ぎも落ち着いて、そろそろゆっくりうろつけるかと思ったのだが、甘かった。
人ごみの中を歩き回って疲れたので、フードコートの片隅でコーヒーでも飲んで帰るか、と思って、最後に男物のカジュアル服を売っている店を横目に見ながら歩いていると、見慣れた後姿が視界に飛び込んできた。
ベージュのダッフルコートに、ショートカットの髪。
そう、SOS団団員にして、宇宙に誇る高性能有機アンドロイド。
「よぉ、長門、何してんだ?」
俺の呼びかけに、一瞬、小柄な体をさらに小さくした宇宙人は、ゆっくりと振り返った。
「……散歩」
「おいおい、散歩はないだろ、散歩は……」
苦笑いしながら近づくと、いつものようにダッフルの中に制服とカーディガンを着込んだ長門は、わずかに右に首をかしげながら俺のことをじっと見つめていた。
ダッフルを着る季節は既にわずかに過ぎているような気もする。それ以前に、せっかくの休日に新しくできたショッピングセンターに来るのだから、もう少し服装に気を使って欲しいのはやまやまだが、長門には無理な注文であることは最早言うまでもない。
「あなたは?」
「俺か? うん、まぁ、偵察だな」
「偵察? 何かこの場所に怪しいところでも?」
「いいや、ここは別に怪しくはないさ。むしろお前の方が怪しいように思えるけどな」
「なぜ?」
「だって、ここは男物の売り場だぜ。なぜこんなところに一人で来ているんだ? 怪しいぜ……」
ほんの束の間、戸惑いの表情を浮かべた長門は、
「……別にわたしは怪しくない。たまたま通りがかっただけ……」
「あははは、気にするな、冗談だよ」
「……そう」
漆黒の大きな瞳をわずかに潤ませながら、長門はつぶやくように答えた。
あの長門が誰か男と一緒にこんなところに来るはずはないし、男物のプレゼントを物色することもありえない。長門の言う通り『たまたま』なのだろう。まぁ、そんなことはどうでもいいさ。
「それより、これからどうするつもりだ? 俺、ちょっとお茶でもして一息つこうと考えていたんだが、一緒に行かないか?」
少し考える表情をした後、長門はコクンと小さくうなずくと俺のすぐ隣に近づいてきた。そして、俺の上着の左の肘辺りをちょんとつまんで、俺が歩き出すのを待っているようだった。
「な、長門?」
どうせなら腕に巻きついてくれたほうがうれしい気がするのだが、やはり長門は長門だ。同じ状況の場合、朝比奈さんなら上着をつまむことすらしないだろうし、ハルヒなら俺の手を引っ張って勝手にずんずん突き進んでいくだろう。
ま、いいか。
俺がゆっくりと歩き出すと、長門も俺の左後ろで肘のところをつまみながらぴったりと寄り添ってついてきた。
時折立ち止まって、気になった服やら小物を見ていると、長門も同じように手にとって見ていた。
「何か、欲しいものは?」
三軒目の店を出ようとした時に長門が聞いてきた。
「そうだな、さっきの店で見た春物のパーカーとかよかったかな。高かったから買わないけど」
「……そう」
長門は少し考え込むような様子を見せた後、再び沈黙モードに入った。
このような状況でもう少し普通の会話を続けることができれば、こいつだってルックスは悪くないのだから、誰かと付き合うことも可能だろうに、もったいない。

そろそろ、ひとつ上の階にあるフードコートに行ってお茶するか、と思って歩き出すと、また前方で何やら男物のシャツを物色している見慣れた後姿に気がついた。
白いハーフコートの下に見えるニーハイソックスに包まれたすらりとした足が目にまぶしい。
俺は長門を従えつつそっとその後姿に近づいて声をかけた。
「よぉ、お前も買い物か?」
「ふぇ、え? キョ、キョン!? な、なんで?」
あわてて振り向いた頭の上では黄色いカチューシャが揺れていた。
「あ、あたしはね、ちょっと、偵察に……」
ふははは、俺と同じこと言ってやがる。こんな風にあわてた表情のハルヒを見るのはなかなかいいもんだ。
「ほぉ、偵察ね。ここには何か怪しいところでもあるのか?」
さっき長門に言われたことを言ってやると、ハルヒは、いつの間にか俺との距離をおきつつ隣でたたずんでいる長門の姿に気づいたようで、
「怪しい? そう、怪しいわよ、どうしてあんたと有希が一緒にいるのよ、何してんのよ二人で……」
さすがにハルヒは一瞬のビハインドをものともせずに反撃に出てきたようだ。突き上げるような視線が痛い。
「ん、さっきそこで偶然出会ったんだ、な、長門?」
「そう、偶然会った」
「ふーん、ま、有希が言うなら間違いないわね」
「俺の言うことはそんなに……」
「信用ないわよ」
「ふん、そうかい」
先手は打てたが、あっという間に同点に追いつかれたってところだな。ま、ちょっとでも先行できただけでもよしとするか。
「で、買い物か?」
「ど、どうでもいいじゃない、そんなこと」
「もし、俺へのプレゼントなら、そうだな、そこのブルーのボタンダウンのシャツでいいぞ」
俺はさっき下調べしていて気になっていたシャツを指差した。
「なんであんたなんかにプレゼントを買わないといけないのよ、あたしだってあんたからもらったことないのに」
そういってやや口をとんがらかしているハルヒにむかって、
「ふーん、お前にはいろいろと世話をしているつもりなんだが」
「そんなの当たり前じゃない、あんたは平団員、あたしは団長なんだから」
そういうと思ったよ。下手にハルヒにプレゼントなんか貰おうものなら、あとでどんな事態が待ち受けているか想像もしたくない。
俺が古泉のように軽く苦笑いをしていると、
「でも……、どうしてもっていうんなら、いいわよ。それでいいの?」
なに、ハルヒ、なんだって、よく聞こえないが。
俺が、何が起こったのか確認する暇もなく、ハルヒはさっき俺が指差した青いシャツを棚から引っ張り出すと、
「Mじゃ小さいわね、Lでいいでしょ?」
とだけ言うと、シャツを手に持ってきびすを返すとレジの方に向かっていってしまった。確かにMでも着られなくはないが、だいたいいつもLを買っている。
俺は、長門の方に振り返ると、
「どういうことだ?」
「大丈夫、サイズは間違っていない」
「いや、そういうことではなくてだな、どういう風の吹き回しなのかと……」
「今日は風も穏やか」
「……もういいよ」
長門は、少しだけ首をかしげながら、
「涼宮ハルヒはあなたのためにプレゼントを買った、ということ」
「ホントか?」
「本当」
うーん、天変地異の前触れか、はたまたここはすでに閉鎖空間なのか?
ハルヒの観察者たる長門の言を信じれば、ハルヒは俺のためにシャツを買ってくれたことになるが、なぜそんなことをするのかわからない。今度古泉に会ったら、この状況を解析させて、これから俺はどうすればいいのか聞いておいたほうがよさそうだ。
俺がびくびくしながらその場で落ちつかなく待っていると、やがてハルヒがきれいにラッピングされた包みを持って戻ってきた。
「ほら、買ってきたわよ。ありがたく受け取りなさい」
「いや、あのなぁ……」
「なによ、文句は言わないの。ほらほら」
半ば無理やり手渡された包みだが、リボンまで結んであるわけで、ハルヒがこの態度さえ改めたらこれは純然たるプレゼントとして扱うべき代物だな。
「わかった、わかったよ、ありがたく拝領させていただきます、団長殿」
「そう、それでいいのよ、それで。素直に受け取ればいいの」
ハルヒは満足そうに微笑むと、
「じゃ、ちょっとお茶しに行こっ! 有希、行くわよ。キョンもついでについて来てもいいから」
俺はついでかよ。
「そうよ、いつものことじゃない」
ハルヒは長門の肩を抱きながら歩き始めた。俺は、ハルヒに手渡された包みを小脇に抱えながら、二人の後を追って一つ上の階へとエスカレータを上がっていった。

結局、どこに行っても人で一杯だったが、フードコートの片隅に空いている四人掛けテーブルを見つけることができた。
さっと駆け寄ったハルヒが壁際の席に腰を下ろすと、少し遅れた俺に向かって、
「あたしと有希はここの席を確保しておくから、あんたは、そうね、ケーキセットでも買ってきて。あたしはレモンティー、有希は?」
「ミルクティー」
「で、チーズケーキね。ここのは意外に美味しいらしいから」
「……わかったよ」
こうなることは、予想通りだ。むしろこれぐらいで済むならラッキーなんだが、ハルヒではない本当の神様は、きっと俺のことをお守りくださるはずだ。
俺は、さっきハルヒにもらったリボンの包みをテーブルにおいて、チーズケーキが美味しいらしい喫茶カウンターに向かった。

五・六人の順番待ちの後、注文したチーズケーキのセットを二つに、俺の分のコーヒーをトレイに載せてひっくり返さないよう細心の注意を図りながらさっきの席に戻ると、ハルヒは長門の顔を覗きこみながら、なにやら一方的に話しかけていた。
「やっときたわね、遅いじゃない、キョン」
「混んでるんだよ、この状況が目に入らないか?」
俺はトレイをテーブルに置くと、振り返って周囲の混雑状況に目を向けたが、ハルヒはもうすでにチーズケーキにパクついていて、俺の話など馬耳東風状態だった。
「やっぱ、おいしいわぁ、ここのケーキ、どう有希?」
「美味」
俺の正面で本当においしそうにケーキを頬張っているハルヒを眺めながら、俺は軽くため息をつくと、コーヒーをすするしかなかった。その隣の長門は、ピンと背筋を伸ばした姿勢で、やはり黙々とケーキを口に運んでは、時折ミルクティーのカップに手を伸ばしていた。
「ねぇ、キョン、この後ヒマ?」
「ま、忙しくはないな」
「ヒマならヒマって、はっきりいいなさい」
「ふん、で、ヒマならどうした?」
「有希の服、何か見立ててあげようかなって思うんだけど、あんたも一緒に行かない?」
「ほぉ」
ハルヒにしては真っ当な提案に俺は思わず感心してしまった。ミルクティーのカップを口に運んでいる長門は、ダッフルを脱いでいつもどおりの制服姿だった。見慣れているとはいえ、休日のショッピングセンターというこの場所ではやや違和感はある。
「さっきも有希に言ってたんだけど、たまには制服以外の格好もしなさいって」
カップをおいた長門は、俺の方を向いて少し困惑した表情を浮かべていた。
長門にとっては、『余計なお世話』だろうが、ハルヒの考えは俺も十分納得できる。
「さっき、あんたにシャツ買ったから、有希にも何かプレゼントしてあげる、って言ってるんだけど……」
「わたしは別に……」
「遠慮なんか無用よ、有希。キョンのずうずうしさを見習いなさい」
「まてまて、俺だって遠慮がないわけでは……」
「とにかく、そう言うわけだから、キョンも一緒に見てあげてよ、ね」
「……わかったよ……」
振り返った視線の先の長門は、相変わらず極小ブラックホールな瞳でハルヒの提案も含めてショッピングセンター全部を吸い込みそうな輝きを漂わせていた。
「……長門、ハルヒの気が変わらないうちに貰っておくほうがいい」
「了解した」
長門は、ハルヒの方に振り向くと、小さく頭を下げた。

それからが大変だった。ハルヒは長門を引っ張りまわして、あれこれ着せては俺に感想を求め続けた。最初のうちは、店頭にディスプレイされているような小洒落た衣装を着た長門が新鮮で、俺も楽しめたのだが、さすがに五軒目あたりですっかり疲れてしまった。
「すまん、ちょっと疲れたので、俺、そこの椅子で待ってていいか?」
「なによ、キョン、薄情ね。どう思う? 有希」
「わたしはかまわない。ありがとう」
「もう、有希ったら」
ハルヒは軽くあきれたように微笑むと、俺の方に振り向いて人差し指をつきたてた。
「じゃあ、有希の好意に甘えてそこでおとなしく待ってなさい。迷子になってはだめよ」
「わかったよ、すまないな」
ふん、いまさら誰が迷子になるもんか。
やっと解放された俺は、ハルヒに買ってもらったシャツの包みを膝において椅子にどかっと腰を下ろした。
まさかこんなところで、デパートの片隅の椅子で荷物を抱えて眠り込んでいる親父たちの気持ちを理解することになるとは思わなかったな。

しばらくしてハルヒたちが戻ってきた時、俺は少し意識を失っていたようだ。
「こらぁ、キョン! 寝てるんじゃないわよ!」
「ん、ん? お、おかえり……」
「ただいま」
一つ紙袋を抱えた長門が答えた。
「いいものはあったのか?」
「あった」
「よかったな」
「よかった」
「よく似合ってたわよ。今度、不思議探索のときにでも着てきてね、有希」
「わかった」
「じゃあ、今日は解散! お疲れー」
って、おいハルヒ……。
右手を上げながらハルヒはスキップするような軽い足取りで去っていった。自分の気が済んだらそれでよし、満足したらそれでおしまい。実にわかりやすいね。
俺はそんなハルヒの後ろ姿を呆然と見送るしかなかった。
「長門……」
残された俺たちはどうすればいいのか尋ねるために、隣で佇んでいるはずの寡黙な有機アンドロイドの方に振り向くと、
「今日はありがとう。では、また月曜日に」
そんな短い言葉を残すと、紙袋をぶら下げた長門はすたすたと行ってしまった。
「おいおい、お前まで……、なんなんだよ、これ……」
結局、俺の元にはハルヒに強引に渡された青いシャツの包みと、はげしい疲労感が残されるのみだった。


週が明けて月曜日、かったるい授業を受けている間中、俺の後ろの席の全身ヒマワリ野郎は、鼻歌をうなりながらご機嫌に過ごしていた。
午前の最後の授業の開始を告げるチャイムが鳴り、教師が来るまでのわずかの間のことだ。
「ねぇ、キョン?」
背中をつつかれるのは今日何回目だろう。もう、返事するのも疲れたぞ。
「今週は久々に不思議を探しに行かない?」
「久々だぁ?」
前に行ったのは先々週だったか。久々というほど間が開いたわけでもなさそうだが。
「うん、昨日読んだ本でね……」
ハルヒはなにやら本で読んだらしい超常現象のことをうれしそうに話していたが、俺はそれとなくスルーしながら適当に相槌だけは忘れなかった。
「ちょっと、聞いてるの?」
「え、あぁ」
ちょうどそのとき、数学の教師が教室に入ってきたので、それ以上の追及から逃れることができた。
後ろの席からは、しばらくはぶつくさつぶやいているのが聞こえてきたが、やがて鼻歌に変化したようだ。
ううむ、妙にハルヒの機嫌がいいのは、やはり土曜日のショッピングセンターの出来事以来なのであろうか。ここは早いうちに古泉に俺の身の振り方を相談しておかないとヤバそうだ。

昼休み、弁当を早々に平らげた俺は、谷口と国木田に「すまんな」と一言だけ残すと九組に向かい古泉を連れ出した。

「ふむ、なるほどね」
中庭のテラスで、土曜日のことをざっと説明してやると、古泉は腕組みし気持ち悪いほど微笑みながら、
「それにしても、あの涼宮さんからプレゼントをいただけるなんて幸せですね」
「だから、なぜハルヒがそんな行動に出たのか、解析してくれ。なにか魂胆があるんだろうか」
相変わらずニヤケ続けている古泉は、
「ちょっとした対抗意識の現れでしょうか」
「対抗? 何に対抗するんだ?」
「おそらく涼宮さんはある目的を持って、ショッピングセンターで品定めをされていたものと思います。ちょうどそのとき、あなたに声をかけられた、しかもあなたはなぜか長門さんと一緒だった」
古泉はそこでちょっと言葉を区切ると、あごの下に右手の人差し指を当てて、
「その事実、あなたと長門さんが一緒に行動していた、という状況を目の当たりにして、それがたとえ偶然の出会いに基づくものだったとしても、すこしばかり対抗意識をかき立てられた……」
「…………」
「そこで、勢いあまってあなたへのプレゼントを購入し、ポイントを挽回しようとしたのではないかと」
「何のポイントなんだよ」
「えっ、分かりませんか?」
古泉は少しばかり大げさに驚いた表情を見せながら、
「まぁそのあたりがあなたらしいところですね。いまさらながら感心しますよ」
そして再びいつものニヤケ顔に戻った古泉は、
「もう少し乙女心の機微に敏感であって欲しいところですね」
といって大きくため息をついた。
「なんだかよくわからんが、とりあえず俺はどうすればいい? どうすればハルヒのご機嫌を損ねないですむんだ? 何か見返りを用意すべきなのか?」
「まぁまぁ、そう慌てずに……」
古泉は、矢継ぎ早に質問を投げかけた俺をなだめるように右手を上げながら、
「そうですね、今度の不思議探索の時には、ぜひ涼宮さんにいただいたプレゼントのシャツを着ていってください」
「……それでいいのか?」
「まずは、そこからです」
うん、まぁ、古泉に言われなくても俺はハルヒに貰ったシャツは着て行くつもりだったわけだが、『まずは、そこから』ということは、俺はもっといろんなことに気を使わないといけないということだな。困ったもんだ。
「わかったよ。もし、何かあったら教えてくれよな。俺はもうひどい目には遭いたくないから」
「わかりました。でも、別にひどくはならないと思いますよ。あなたは涼宮さんに選ばれた栄えある鍵なのですから」
「それがそもそもの問題なんだよ。なんなら代わってやろうか」
古泉は大きくのけぞると、
「め、滅相もないですよ。僕などにあなたの代わりが勤まるわけはありません」
「俺はいつだってウェルカムだぜ」
俺は、立ち上がると古泉に向かって右手を上げた。
「すまん、ありがとな」
「いえいえ、こちらこそ」

「最近も閉鎖空間は発生してるのか?」
もうすぐ昼休みも終わろうとしている中、教室へ向かう階段を、周りの生徒たちと同じように幾分早足で登りながら、俺は隣を行く古泉に聞いてみた。
「いやぁ、最近はすっかりご無沙汰ですよ。自分が超能力者なのかどうか忘れてしまうぐらいです」
「それはいいことじゃないか」
「個人的にはそうなのですが、機関的にはどうも……」
古泉はややうつむきながら、
「なにも起こらないことをよしとしない一派もいるわけでして……」
「何ならハルヒを焚きつけようか?」
「そ、それだけはやめてください」
あわてて頭を振る古泉に向かって、俺は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「ふん、わかってるよ。俺だってもう一度火中の栗を拾いに行くようなマネはしたくないしな」
あのときの閉鎖空間での出来事は、俺にとって火中の栗だったのか何だったのかは、今さらどうでもいいことだ。少なくともあまり思い出したくはないことには違いない。
廊下で古泉と別れて、教室に入ったところで予鈴がなった。窓側最後尾の席で、また俺の背中をつつこうとしているご機嫌なハルヒの姿が目に入って、俺は、小さくため息をつくしかなかった。

午後の教室でも、ハルヒは一方的にご機嫌オーラを俺の背中に突き刺し続けてくれている。そんな様子に気付いた谷口までが、
「よお、キョン。お前、ついに涼宮と正式に付き合い始めたのか?」
「はぁ?」
「だって、授業中、涼宮はずーっとお前の背中を見つめてご機嫌続きだぜ。あんな涼宮を俺は見たことはない」
「うん、確かにそうだよね」
国木田までも話に加わってきた。
「あれは、愛する彼を見つめる視線だよね」
「まてまて、俺と涼宮はそんな仲ではない、誤解だ」
「ふん、ナニぬかす。入学以来のお前らを見ていて、それでも付き合ってないなんて言い訳は通らん」
「待てよ、ずっと見てきたんなら、付き合ってないこともわかるだろう。俺がどれほど苦労してきたかも……」
「いいじゃないか、晴れてオープンにしちまえよ。誰も止めやしないし、邪魔もしないさ」
「いや、だからな……」
「ちょっと、キョン、こっち来て」
さらに弁解しようとしたところで、教室に戻ってきたハルヒの声が背後から届いた。
「ほらほら、お呼びだぜ。俺たちに火の粉が降りかかる前に行ってくれ」

谷口と国木田に追い立てられるように自席に戻った俺に向かってハルヒは、
「今度の探索だけどさぁ……」
と、まだ月曜日だというのに週末の不思議探索の計画について話し始めた。そんなハルヒの笑顔を眺めながら、俺は何とか無事に週末を乗り越えられますように、と願うしかなかった。

その日の放課後の部室では普段どおりのSOS団活動が繰り広げられていたわけだが、俺はなぜか妙に長門の視線が気になってしかたなかった。
もちろん長門はいつものように漬物石のような分厚い本を紐解いていたのだが、古泉との将棋の合間にふと視線を向けると、俺のほうをじっと見つめている長門と目が合うのだった。
そして二回に一回は、小さく首をかしげると、気のせいなのかもしれないが俺に向かってほんのわずかに微笑みかけた後、またうつむいて読書に戻っていた。
そんなことが何回か続いたが、やがてハルヒがそんな俺たちの様子に気づいたのか、
「ちょっとキョン。あんた有希に色目を使ってるんじゃないわよ」
「ん、俺が?」
「そうよ、さっきから有希のことじっと見つめてるじゃない」
腕組みしたハルヒは俺のことをじっと睨みすえながら、
「何か怪しいわね、このあいだといい……」
違うぜ、俺が長門を見つめているんじゃなくて長門が俺を見つめているんだよ。それにこの前長門と一緒になったのも、あれは確実に偶然の産物だ。
俺がどうやって反論しようかと、渦巻く思考を整理していると、
「まぁ、いいわ。とにかく有希にちょっかい出すんじゃないわよ」
「あ、あたりまえだ、そんなこと」
またPCのモニタを見つめ始めたハルヒの姿を確認した後、俺は長門の方をチラッと見たが、長門は何も聞かなかったかのように、というか普段と変わらぬ無表情で読書中だった。
ふぅ、と一つ息を吐きつつ、古泉との勝負の続きに戻ろうとすると、目の前の古泉が身を乗り出しながら小さな声で言った。
「お願いしますね、変に涼宮さんを刺激しないでください」
「おいおい、俺は無実だぜ」
そう切り返しながら、俺はとどめの一手を指して古泉を黙らせた。

状況がいまひとつ理解できないまま放課後を過ごしつつなんとなく疲れた一日が終わり、やっと家に帰り着いた。
机の上にかばんを放り投げ、とっとベッドにでも突っ伏そうかと着替え始めたときに、妹が部屋に飛び込んできた。
「キョンくーん、なんか荷物が届いてるよー」
「こらこら、ノックぐらいしなさいって、いつも言ってるだろ」
ブレザーをハンガーにかけながら妹のほうに振り返ると、妹は手に持った小さな荷物を机の上に置いていた。そして、
「えへへ、ごめんねー」
とだけ言葉を残して部屋から出て行こうとして、扉のところで一瞬立ち止まった。
「有希ちゃんからだよ、荷物。じゃぁねー」
捨て台詞を残して消えていった妹がパタンとし閉めた扉を、俺は唖然と見つめていた。
な、長門から? なんだ、なんだ? どういうことだよ。
俺はズボンのベルトをあわててはずしながら、机の上に置かれた荷物の伝票を覗き込むと、確かに差出人のところに長門の名前が入っていた。最新のレーザープリンタで印刷されたようなきれいな明朝体だが、長門の手書きであることは火を見るより明らかだ。

そそくさと着替えを完了させ、やや強引に包みを剥くと、中からはきれいにラッピングされリボンをかけられた箱と茶封筒がひとつ現れた。
いかにも事務的な茶封筒を開け、寸分の狂いもなくきっちりたたまれた紙を取り出して、恐る恐る広げてみた。そのA4サイズの紙の中央付近には、
『贈呈』
の二文字が七十二ポイント程度の明朝体で輝いていた。その少し右下には、
『長門有希』
と、これは二十八ポイントのやはり明朝体で記されていた。
長門、お前はどこまで明朝なやつなんだよ、俺は丸ゴシックも好きだぜ、いやいやそんなことはどうでもいい。いったい長門は何を贈呈してくれたんだ?

結局、リボンの箱には、先日のショッピングセンターで俺が気に入った、と話していたパーカーが入っていた。
俺はそのミディアムグレーのパーカーを両手で広げて持ちながら、寡黙な有機アンドロイドがいったい何を考えてこんな行動に出たのか、想像と妄想を広げようとしたが、どう転んでも何も結論は出なかった。

とにかく長門には礼を言っておかないとな。
電話にするかメールにするかちょっとばかり考えたが、電話口の寡黙なアンドロイドの話し相手をするより一行だけでも返事を貰うほうがこっちのダメージが少なかろうと判断し、メールを出すことにした。
『パーカー届いたぜ、ありがとうな、長門。でもなぜ俺に?』
待つことしばし、果たして長門はどんな返事を書いてよこすのか、と携帯を弄んでいると、二分ほどで返信が届いた。
『特に他意はない。愛用して欲しい』
当然絵文字などない。予想通りの簡潔さだ。
それにしてもホントに他意はないんだろうか。今日の放課後の長門の様子を思い起こすと、いまひとつ腑に落ちない点がある。また妙なエラーに満ち溢れているんじゃあるまいな。
よし、もうひとつ返信だ。
『ところでエラーとか発生してないか? どうも様子がおかしいように感じるのだが』
今度は一分たたずに返事が来た。
『問題ない。心遣い感謝する』
取り付くシマもない。これ以上、どうこう尋ねたところで新たな展開は望めない。とにかく最後にメールを送信して終わりにしよう。
『わかったよ、じゃ、また明日な』
やはりメールにしたのは正解だった。電話をしたところで、このメールの本文と同じことを話すだけだしな。そう思いながら携帯を机の上に置いたところで、またメールを受信した。

『また、あ、し、た。バイバイ、♥♥♥ ゆき』

俺は、三点リーダの代わりにピンクの三連ハートマークが点滅しているメール本文が表示されている携帯の液晶画面を穴が開くほど見つめ続けるしかなかった。

※ ♥ = 「記号のハート」です。環境によっては文字化けしているかも知れないので……

 

後編 に続きます。

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最終更新:2009年05月14日 00:41