ある春の日のことであった。今日は学校のない日なのだが、習性なのだか自然に皆が集まっている。

暖かい部室。ハルヒがネットサーフィンしていて、長門は本を読んでいて、朝比奈さんは編み物なんかをしている。
俺は言うことなんかない。ただ単に、一年以上続いている古泉のすばらしく弱いゲームに振り回されていただけだ。

長門が読んでいるのは久しぶりに薄い本だった。「どちらでもいい アゴタ・クリストフ」という表紙が、ちらりと見えた。

 

俺たちはいつも通りのポジションにあった。

 

「いつか自分も地位のある立場を持てたらいいと、こうは思いませんか?」
まあな。貧乏で働きづめな人生よりも、金があって豪勇を極めたほうが良いだろう。地位や名誉も無いより合った方が良いように思えるのは確かだ。
「ところがそうとも限りませんよ。事実、地位が高ければ責任ものしかかってきますし、名誉があれば世間の注目も集まります。何かうかつに間違えてしまえば簡単にはじかれてしまいます」
それを言うなら今の状況をどう思う。『神』とやらに副団長って地位を与えられてんだ。地位もあるし名誉もある、機関とやらからいくらでも金をもらえる。ところで、今のところお前はSOS団に不満はなさそうだな。
「まあ、涼宮さんに何かあったら責任をとるのは機関ですし、地位も僕にはもったいないぐらいのものですね」
まあ、そういうことだ。人は結局現状で満足するべきなんだよ。
簡単に言うと、そんなのはどちらでもいいんだ。地位とかそれ以前に、自分が輝いていると思えば、きっとそれで良いんだろ。
「それでも」
古泉は続ける。
「自分の意志で輝いている位置に留まることができればいいな、と思うことはあります」

 

ぱたん、と長門が本を閉じる。帰る時間であるようだ。

 

SOS団恒例の集団下校である。朝比奈さんとハルヒは何が可愛いかと議論をしていて、何故か長門がこの話題に尋常ならざる興味を見せていた。
俺はと言うと、古泉とともに前の三人に聞き耳を立てていた。
朝比奈さんが可愛いものに興味があるのは規定事項だとして、ハルヒが可愛いものの議論をするのは意外だったし、長門がその話にノリノリだったのはもっと意外だったわけで、いやでも耳を傾けざるをえなかったのである。

 

「えぇと…ひまわりの種をほおばってるハムスターさん、かわいらしいですぅ~」
さすが朝比奈さんらしい。朝比奈さんになでられて目を閉じる小動物の姿を幻視し、めまいがした。
幻影のはずなのだが、朝比奈さんの手を独占する小動物がうらやましい。ちょっと代わって欲しい。

 

「みくるちゃん、スケールちいさいわね。私は鯨よ!あの力強さがかわいらしいわ!」
さすがにハルヒはスケールが大きい。…ってか、感覚が少しおかしくないか?
だが、考えてみれば鯨のミニチュア版であるイルカは確かにかわいらしいと思えなくもない。
鼻なんかでつつかれたら…やばい想像するだけでくすぐったい。

 

次は長門の番である。きっと「こたつの上の猫。ユニーク」とでも言うのだろうかと思ったが、長門は急に後ろを向くと、俺をしっかり見据えて驚くようなことを言った。

 

「あなた」

 

長門以外の全員が固まった。

 

最初に元に戻ったのはハルヒだった。本当に訳が分からない、という顔をして

「有希…?キョンのどこが可愛いの?私にはキョンが可愛いとは思えないんだけど」

長門はハルヒの方に視線を移し
「可愛い、とは愛することが可能という意味。私にとって愛することが可能なのは、彼」
と、普段どおりの少し冷えた声で言った。

次にハルヒがどんな顔をするのだろうと思っていると、予想外なことに100ワットの笑顔だった。

「キョン!有希とつきあいなさい!大絶賛大人気の有希から告白されたんだから、拒否権は無いわよ!」

それはうれしいのだが…長門の言葉はうれしかったのだが、何故か胸の中にうずく物があった。
これを機にSOS団と俺との…特にハルヒとの…関係が変わってしまう。今まで五人だったSOS団が三人と二人になってしまう。

「有希を幸せにしなさいよ!さもなくば死刑!」

そういうと、ハルヒは朝比奈さんと古泉をひっつかみ走っていった。残されたのは俺と長門である。
あいつなりの配慮なんだろうが、もう少し穏健に願えないものなのだろうかね。お二人さんはかわいそうに「ひょぇ~」なんて声をハモり、トップラー効果で声が少し低くなってから空の向こうへと消えた。

「面白い人」
と、長門がつぶやいた。

 

二人きりになった今、こいつと話すことは何か。ハルヒのことか、こいつのパトロンのことか、世界のあり方についてか…
心なしか青ざめた感じの長門を見たとき、俺が口にした言葉はそのどれでもなかった。

「そういえば、お前なんで笑わないんだ?笑えばお前、結構可愛いと思うんだが」
長門は前を見ている。その目は一番星に向けられていた。
「違う」
長門は前を見続けて言う。
「笑ってはいけない」
なんでだ。せめて幸せを感じてる時ぐらいは思いっきり笑ってくれ。古泉みたいに無意味に笑ってるのでもいいからさ。
「古泉一樹の顔は愛想の良さそうな顔を浮かべて固まっている。しかし、彼の感じているものは誰が理解する?」
お前ならたぶん、あいつの内側もだいたい分かってるんだろう。あいつのポジションがイエスマンのむかつくほほえみフェィスってわけじゃないはずだぜ。最近は、だが。
「私は外側しか見えない。私は確認するだけ」
何を確認するんだ?
「どんな外部も、もう一つの外部に取り囲まれていれば、ひとつの内部を取り込む内部が外部に変化するのと同様、拒絶しようもなくそれ自体が一つの内部となること」
ごめん、もう少しわかりやすく言ってくれ。
「わからなくても、いい」
一息つくと、長門は…俺の見間違いではなければ…ため息をついた。
「これはノイズ、エラー。理解しないで欲しい。ただ」
長門は一息つくと、こちらを向いて言った。

 

「私のエラーのせいでSOS団が壊れることが怖い」

 

長い沈黙。空がゆっくりと暗くなっていく。星空が俺たちを包む。

 

 安心しろ、長門。俺の目が黒いうちはそんなことはない。少なくとも、それが俺の選択で、決意だ。
「素のままでいられる…あなたがうらやましい。私は自分の立場に恐怖しか感じないのに」
ならお前も素のままでいてくれ。今のお前が仮面ならば、剥げばいいだけだろ。
内部だか外部だかしらんが、SOS団の要素が何かの型にはまったものだなんて、あのハルヒが認めるものか。
「…」
 長門は隠そうとしているが、最近はこいつにだって複雑な感情があり悩みがある。
それは俺もハルヒもすでに知っていることだ。無口キャラが感情を表に出したなんてことが原因でSOS団を壊そうとするほどあいつも馬鹿なやつじゃないだろう。そうだとしたらあいつは真性を通り越したアホだ。もうどうしょうもないほどの。
無論そうでないことは、あいつのスポークスマンである俺が断言してやっても良い。

長門が言いたいことをやっと理解できた気がする。

 

こいつは恐いのだ。感情を出さない無口キャラという、SOS団に認められたポジションからはずれることが。
それが原因でSOS団から自分の居場所が無くなることが。

時間の流れに従い、SOS団は変わっていく。

 

元々外部であって、現在は内部である自分の立ち位置も次第に変わっていく。
はじかれてしまうかも知れない。代わりの人間が現れるかも知れない。壊れてしまうかも知れない。
ハルヒが「あなたなんていらない!」とか、「こんな団つまんない!」なんて言えば、自分はまた外部へと追い出される。
だが、それは元々の外部とは違うものになるだろう。心は今や自分の居場所のないものの周りを飛び続ける。
最高に輝いていた時の表情を浮かべ、自分が追放された原因を恨みながら。

自分が輝いていると思っている位置はすぐに別の人にとってかえられてしまう。それは普通の世の中の常で、世代交代の際、必ず起こる悲劇なのだろう。

 

だが、だ。

 

あの非常識で、世の中の一般摂理を一切無視したSOS団は違う。
立場が変わることはあれ、ハルヒはそれを受け入れていくだろう。団長として、その前に一個の人間として、だ。
だから、長門。お前は無表情の無口キャラを演じなくても良いんだ。過去の立ち位置に踏みとどまらなくても良いんだよ。

 

「そう」

長門は、無表情を崩すと、誰でもはっきり分かる風に微笑んだ。吹き抜ける風と、長門の微笑みがこれ以上ないほど俺には心地よかった。

 

 

 

 

 

「…」 

 

が、しかし奇妙に緊迫した気配があたりに立ちこめた。
後ろを振り返ると、笑顔のハルヒの姿が見えた。変な気配は長門とハルヒの間に立ちこめているようだ。
ハルヒ、いつからお前そこにいたんだ?
「あんたが『笑えば可愛い』とか妄言してた頃から」
それ、全部じゃねぇか!
思わず後ずさりする。どこへ逃げれば良いんだ?前方には笑顔で冷たい炎を燃え上がらせている長門、後方にはこれまた笑顔で灼熱の炎を燃え上がらせているハルヒ…
逃げ道が無い!助けてくれ!

俺は無茶苦茶に怯え、ハルヒに肩から尻までを切り裂かれてずたずたにされる瞬間を今か今かと待っていた。
が、ハルヒは俺を追い越し、悠然と長門の方へ歩いていった。

「私も怖じ気づいてたわ。でも有希が親友からライバルに変わったぐらいでSOS団は壊れるわけないわよね」
長門を一瞥するとそのまま回れ右し、俺のネクタイをつまんだ…ってか締め上げた。
ああ、これで俺の人生は終わりだ…と、遠のく意識の中で俺の短い人生中の様々な事を思い描いていた瞬間、団長様は予想外のことを言いはなった。
「私もあんたが好きよ。だから私と…」

 

え?その後俺がどうしたって?もちろん逃げたさ。

 

翌日この話を聞いた古泉が「では僕も仮面を剥ぎましょう」とか言って俺に告白し、
そのショックでSOS団をやめると宣言したり、逃げるように部室を飛び出した瞬間、
どう考えても今にもキスしようとしている体制の長門とハルヒに鉢合わせたり、
そんなこんなで世界がたった今終わったかのような気分で朝比奈さんに泣きついたところ、
『今日はエープリルフールですぅ』と笑われたのはまた別の話だ。

 

立場(風船)へ続く


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