翌朝、俺はいつものように妹の強烈なボディーアタックを食らって目を覚ますという一部の人間にはうらやましがられそうな目覚めを演じた。しかしもちろん俺が自分をうらやむわけもなく、感慨もへったくれもないような目覚めでありよってまったく爽快な気分はしない。
 爽快な気分がしないと言えば我が家の飼い猫シャミセンも完全にだらけモードで床に寝そべっている。夏の暑さにすっかり気怠くなったのだろう。

 どうしてやろうかとシャミセンを見て思案する俺だったが、俺が起こしてやる前に妹によって抱きかかえられ、反抗の意思表示も軽く無視されて妹の『ごはんのうた(新バージョン)』とともに階下へと連行されていった。
 
 朝起きたら世界が変わっていた――とかいう冗談みたいな事態になるのは絶対に避けたいものの、ならばそれをどう回避するかという問題であり、もしかすると俺は避けるよりも変わった世界を元に戻すほうが素質があるのではないかという結論に達するわけである。朝から何を言ってるんだ、俺は。 
 
 しかし、実を言うとそれは事実かもしれん。なにしろ十二月あたりに俺はそんなことを経験しているからな。
  しかしまあ、そうそう世界も変わるもんじゃないだろうというのが俺の楽観的な考えである。この世界の神様だってそこまでこの世界に住んでいる人間(とりわけ俺)に理不尽な設定を押しつけるわけはないだろう、と。もっとも、あの時世界を変えたのは神様じゃなくて地球外生命体だったのだが。
 
 朝食を食っている間、俺はそんなアホなことを考えていた。
 
 一日の始まりというのは当然ながら自分の家にいるわけで、ということは学校の俺の後ろに誰が座っているのかは朝の時点では解らないのである。
 無論、そこにいるのがカナダに転校したことになってるヤツだったらそれはもう悪夢以外の何者でもなく、今すぐ110通報してそいつを捕まえておくとか大量の保険に加入しておくとかしないとならないだろう。
 ありがたいことに、あの日以来今のところそういうことにはなっていないが。
 何と言っても俺が自分の教室に着いたとき、俺の後ろの席に我が団の団長が座っていてくれればそれほど安心できることもない。
 
 そして、今日もそうだった。
 
 谷口や国木田連中と一緒にひーこら言って坂を登り、二年五組の教室で不機嫌なオーラを放出して机に伏せているハルヒの姿を確認できたとき、俺はああ今日も無事らしいなということを悟った。
 
 悟った、が。
 
 俺はすぐに、今日が無事と言えるほど無事な状況ではないことを認識し直すはめになるのだった。






 今日は特に暑かった。
 
 昨日のように湿度を上げて嫌がらせ攻撃を仕掛けてくることはなかったが、今日は純粋に太陽光の威力が強い。誰かが太陽の表面にせっせとガソリンを注いでいるんじゃなかろうか。


「まーったく暑いわねっ!」
 

 ハルヒの機嫌もさらに下方修正が施されているようだった。そのセリフも今日だけで三度目くらいである。朝のホームルーム前からこの状態では、午後には機関銃並の速度でグチをたれていることだろう。


「年々気温が上昇してるんだから、もっと早くから夏休みにすべきなのよ。いつまでも昔のまんまじゃ日本の社会は進歩していかないわ。これじゃあ予定が狂っちゃうわよ」


 高校生の夏休みの長さに日本の社会を持ち出すのもどうかと思うが。


「その予定ってのは何だよ。俺はまだ聞かされてないぞ」
「夏休み前から文化祭映画の撮影をやるつもりだったの。去年みたいに秋に始めてると毎日すっごく忙しくなっちゃうからと思ってあたしなりに配慮したつもりだけど、でもこの暑さじゃ無理よ。外に出たら四秒で丸焼きになるわ」


 むしろ好都合である。


「じゃあいっそのことやめちまおうぜ。この分だと文化祭までずっと酷暑だ。今年の文化祭は映画をやめてバンドだけで充分じゃねえか」
「ダメよ、そんなの。せっかくみくるちゃんで客寄せできるチャンスだもの。逃す手はないわ」


 たとえ一年前に調子づいた拍子で言ったことでも、言ったことは必ずやり通すのが涼宮ハルヒ流である。早い話、メイワクだ。

 そう、つまり今年も我がSOS団では去年に引き続き映画を撮ることになっているのである。

 去年の映画のタイトルというのが『朝比奈ミクルの冒険 Episode 00』であって今年はその続編である。題名は確か、『長門ユキの逆襲Episode 00』だったっけ。作品名には長門の名前がクレジットされているものの内容は去年と同様に朝比奈さんのPVに相違なく、ハルヒは本気なのかもしれないがそこにストーリー性は皆無である。カメラマンの俺はまだいいが、高校三年生になってまでセクハラウェイトレスの扮装をさせられて幼稚園児のケンカよりもショボいと思われる戦闘シーンを演じなければならん朝比奈さんを思うと涙が出てくるね。

 俺は二つ目の案を提示した。


「ならバンドのほうをやめようぜ。俺はギターなんか弾けないしボーカルなんてもっと無理だ。映画かバンドか、どっちかにしてくれ」
「ダメよ。去年は映画だけだったんだから今年は二つやるわ。来年はきっと三つやるわよ」
「来年のことはいい。しかし俺は本当に楽器なんて何もできないんだ。だからバンドはやめてくれ。あるいは、俺を除いた団員だけでやってろ」


 この会話から解るとおり、呆れたことにSOS団は今度の文化祭で一般参加のバンドにまで出演する予定である。SOS団、というからにはその中には高確率で俺も入れられているのだろう。
 映画のスクリーンならカメラマンである俺は映ってないからともかく、生のライブであるとうなら俺も否応なしに素顔を公表しなければならず、そうなったら最後校内だけでなく俺の近所にも俺がSOS団なる珍妙な団体に所属しているということが知れてしまう。それだけは阻止せねばならん。

 しかしハルヒに意見を変えるつもりは蚊の針の先ほどもないようだった。この迷惑女は暑そうにセーラー服の胸元を手でパタつかせながら、


「何言ってるの。あんたにだってできるやつはゴマンとあるわよ。みくるちゃんと一緒にタンバリン叩いてたっていいけど、それよりもあんたには舞台の隅でカスタネットでも叩いてるほうがお似合いね」


 嫌だね。なおさら嫌だ。

 ――それは何の前触れもなく訪れた。

 俺がどう反論の意を唱えようかと考えていると、ハルヒは次のように宣言したのだった。


「とにかく、あたしは一度言ったことをひっくり返すつもりはないわ。今年はバンドをやるし、映画も『朝比奈ミクルの初恋Episode 00』を上映させるからね!」


 ハルヒは確かにそう言った。
 お気づきだろうか。しごく当然のように言ってのけたため聞き流してしまいそうだったが、俺の耳及び危険レーダーはそれをしっかり察知していた。
 一瞬聞き間違いかと思ったが、俺は自分の耳をそれなりに信用しているつもりである。
 あれ? ハルヒは何と言った?


「こらキョン、せっかくあたしがカッコいいこと言ってるのに、あんたの今の顔はいつにも増してマヌケ面よ。写真に撮って収めておきたいくらいだわ」
 いや、そんなことはいい。俺のマヌケ面写真を撮ってもせいぜい後世SOS団員の笑いのタネにさせられるだけだろう。それよりも、
「すまんハルヒ、もう一度映画のタイトルを言ってくれないか? ちょっと違ってたような気がしてな」
「『朝比奈ミクルの初恋Episode 00』よ。あんたまさか忘れたの?」


 はあ?
 『朝比奈ミクルの初恋Episode 00』だと? そんなもんは知らん。今年やるのは『長門ユキの逆襲Episode 00』だろうが。わざわざインチキな予告編まで作らされたんだから俺が間違えるはずはないぜ。それともハルヒが勝手に題名を変更したのか?


「はあ? って言いたいのはこっちのほうよ。『ナガトナントカのナントカ』なんて一度も聞いたことないわ。今年やるのは『朝比奈ミクルの初恋Episode 00』で、最初から変わってないわよ。予告編も作ったじゃない。寝ぼけてるようなら殴って起こしてあげるけど、どう?」 


 何を言うか、俺はしっかり起きている。


「起きてるわけないじゃないの。だいたいそのタイトル……何だっけ、もう一度言いなさい」
「『長門ユキの逆襲Episode 00』」
「それはどっから湧いて出たのよ。そもそもそのナガトユキとかいうのは何? 人の名前?」


 ハルヒはしごく真面目な顔をしている。
 おいおい、自分で考えた映画の題名を忘れたと思ったら今度は長門のことを忘れたとしらばっくれる気か。冗談なら冗談っぽく言わないと人には伝わらないぜ。だいたいそんな冗談はお前的に「笑えない」冗談に分類される気がするぞ。


「あたしは冗談を言った覚えなんかないわ。だってナガトユキなんて一度も聞いたことないもの。何、あんたの中学の時とかの同級生?」


 そんなバカな。


「長門有希だ。知らないのか」


 背中に若干冷たいものを感じる。まさかとは思うが……。


「知らない。あんたにそんな知り合いがいたの? どんな娘、そのナガトユキとかいう娘は。何か特殊能力があったりする?」
「うちゅ――」


 う人とつなげようとして危うく思いとどまった。


「SOS団のメンバーだろうが。そして、たった一人の文芸部員だ」


 一番最初に長門から受けた無機質な視線や機械的に動く指を俺は一生忘れない自信がある。そんなのは正体を知っていようがいまいがハルヒも同じはずだ。
 さあハルヒ、俺の平常心をもてあそぶつもりで言った冗談ならそろそろやめにしてくれないか。そういう悪質な冗談は俺の過去の体験も手伝って見えざる第六感を刺激してくれるのでね。

 しかしハルヒは心底呆れたような顔をしており、そしてとうとう、嫌な予感のしている俺にとどめを刺した。


「SOS団ってあんたねえ。本当にどうかしてるんじゃないの? SOS団は一年生の四月あたりからずっと四人だけでしょ」


 俺の頭を強烈なショックがぶっ叩いた。
 ありえん。
 ハルヒ、俺、長門、朝比奈さん、古泉。どう考えたって五人だ。これが冗談だというならそれは長門に失礼だぜ。もし本気で言ってるなら、ハルヒの頭か世界が狂ったんだ。


「バンドは」


 俺の出した声は心なしかかすれていた。 


「去年、文化祭のENOZのバンドでギターをやってたのは誰だ」
「三年生の人、中西さんとか言ったかしら」


 そんははずはない。


「映画はどうだ。去年、俺らが文化祭でやった映画で朝比奈さんの敵を演じたのは誰だ。黒衣纏って棒を持ってた奴だ」
「谷口」


 あっさりと答えやがる。くそ谷口め。お前は脇役の脇役で水中ダイブでもしてればよかったんだ。お前に長門役を務められるほどの力量はないぞ。
 などと言っていても仕方ない。
 冗談であるという可能性を俺が信用できないのはハルヒの顔を見れば解る。こいつは友人が覚醒剤中毒者だったと知らされたばかりのような呆気にとられた顔をしてやがる。こんな顔は見たこともない。


「ハルヒ、お前は本当に長門を知らないのか?」
「知らないわよ、うるさいわね」
「お前、確か去年の三月にあった百人一首大会で二位だったよな」
「そうだけど、何の脈絡があるの?」
「脈絡なんかどうでもいい。それよりも、あの時一位になったのは誰だった?」
 

俺の記憶通りならそれは長門のはずである。読書好きのヒューマノイドインターフェース。


「さあ誰だったかしら。あたしの知ってる人じゃなかったわね。黒くて長い髪をした女子だったかしら」


 長門はロングヘアではない。ハルヒは一時期髪の長かったときがあったが、長門は三年前に見たときも昨日見たときもショートカットだった。


「ねえ、あんたさっきから変だけど、どうかしたの?」
「どうもしてない」


 俺は即答した。どうかしてるのはハルヒの頭か、それともこの世界か。

 まさか――。

 この感覚。ハルヒの病人を見るような目つき。当然いるはずの人間が突然いなくなった経験を、俺は過去にしている。
 忘れもしない去年の十二月十八日。
 目眩がして、世界がぐるぐる回転しているような感覚に襲われた。
 あれをもう一度やらせようってんじゃねえだろうな。
 断片断片が次々とフラッシュバックする。シャイな長門、髪の長いハルヒ、書道部の朝比奈さん、学生服を着た古泉。


「おいハルヒ、もう一度訊くが、お前は冗談を言っているのか? 言っているんだったらすぐにやめてくれ。土下座までならしてやる」
「もう一度言うわ。言ってない。あんた本当に頭がどうかしちゃったんでしょ」


 ガラガラ。
 教室の扉が開く音がして、俺は反射的にそちらを向いた。教室にいた男子が廊下に出ていっただけだった。間違ってもお前だけは出てくるなよ、殺人鬼朝倉。
 俺はハルヒに向き直り、


「お前、光陽園学院にいたことはないか? というか、あそこは女子校だよな」
「そう、女子校。あんたが狂ってるものとして真面目に答えてあげるけど、あたしはあんな学校には一度もいたことがないわ。一年の最初からずっと北高生よ」


 世界がおかしくなってるんだとしても、冬とまったく同じではないらしい。


「すまん。もう一つだけ訊いていいか?」
「いいけど」
「お前は一年の最初の自己紹介でこう言わなかったか? 『ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい』とな。そしてお前は俺と一緒にSOS団を設立した。合ってるか?」


 ハルヒはやや複雑そうな顔をして俺を見ていたが、やがて答えた。


「ええ、 その通りよ」






 ホームルームが始まるまで、あと少ししか時間がない。
 運のいいことに俺は今日普段よりも三分ほど早く学校に到着していた。それは妹の攻撃がいつにも増して強力だったからということに尽きるわけだが、そんなことはどうでもいい。


「ちょっと外に行って来る」


 ハルヒにそう言って、俺は教室を飛び出した。
 ハルヒは長門の存在を知らなかった。さまざまな出来事のうち長門の部分が消されて他の何かに書き換えられている。ハルヒがおかしいのか世界が変わっちまったのか。
 瞬間、俺はまたしても強烈な目眩を覚えた。

 デジャヴ。

 三半規管がイカれたみたいに足許がぐらついてくる。
  俺はこんな気持ちで、こんなふうに廊下を走ったことがあるのだ。ハルヒに引きずられて走らされたことならいくらでもあるが、自ら全力疾走なんてのはあの時と今くらいなもんだ。

 そうだ。

 あの時も、俺は朝倉から逃げて教室を飛び出した。そして長門はクラスにはおらず、古泉のいるはずの九組は吹き飛んでいた。
 そして今、俺はまるで同じ道を辿っているではないか。
 冗談じゃない。二度も同じことをやってたまるか。

 長門のクラスにはすぐ着いた。朝のホームルーム前ということもあってクラスの中は雑然としており、この人混みの中で長門の小柄な姿を探すのは難しかった。目を皿にして教室のはじからはじまで走らせるが、長門らしき女子は見つからない。


「ふざけやがって」


 俺は仕方なくクラスの中に足を踏み入れた。中学の級友とかで知っている顔を探しては次々と質問をぶつけていく。
 長門有希という女子を知っているか。このクラスにはいないのか。この学年にはいないのか。
 まるで申し合わせたかのような完璧さ。俺が声をかけた連中はそろいも揃ってトボけた顔をしやがり、当然のようにかぶりを振った。

 つまり、そんな奴は知らない、と。

 なんてこった……。長門を知らないのはハルヒだけではなかったのだ。
  もう偶然などという言葉では片づけようがない。冗談説も通用しない。こいつらは集団で頭が爽やかなことになってるのか、まさかとは思うが世界改変があったのか。
 俺はワケの解らんだろう愚問に答えてくれた連中に意識外で礼を述べると、くるりと回れ右をして絶望感を背負って廊下に出た。

 何かが起こっているのだ。
 ハルヒの次は長門が消える番ってか? ふざけんな。

  俺は思い出す。この次、俺はいったいどこに向かったんだ。十二月十八日、長門がいないことを知った俺は誰に希望を託した?
 言うまでもない、一年九組である。古泉のハンサム面がいるはずの理数クラス。そしてあの時、一年九組はなくなっていた――。
 それを二年バージョンで起こす気か。大事な時だけ消えるってのはなしだぞ、古泉。
 同時に朝比奈さんの顔も思い浮かんだが、いかんせん三年の教室は遠い。同学年であったのならどちらを選ぶかは微妙だが、それは今の問題ではない。

 トラウマに押しつぶされそうになりながらも俺はフラフラの状態で二年八組に到着した。
 その横には見間違いようもなくしっかりと教室があって二年九組というプレートが張り付けられている。突貫工事も今回は間に合わなかったらしいな。
 俺は頭の隅で聞いたことがあるようなないような怪しい呪文を唱えながら、ホームルーム中なのも構わずに扉を開けた。


「どうしました?」


 担任女性教師の声をバックに、教室内の全員がギョッと俺のほうを振り向く。


「古泉は、古泉一樹はいますか?」
「ああ」


 くそ!
 俺が見たところこの中には古泉の顔はない。そうでなくても、俺が尋常ではない表情を顔に張り付けて他教室に侵入すれば古泉は立ち上がって俺のところに来てくれるに違いない。
 今度こそぶっ倒れるしかないかと思ったが、女性教師は何やら書類にさっと目を通すと俺に向かって、


「今日は休みですね。風邪だそうです」


 そう言った。

 九組の生徒も特に不審がった様子は見せない。クラスメイトが風邪を引いて休んだと聞かされたときのいたって普通の反応であり、そんな奴はうちのクラスにはいないという感じの反応を示している奴は一人もいない。加えて、俺の立っている入り口あたりの机が一つ空いていた。


「それで、彼に何か用だったんですか?」
「いや……別に」


 俺は適当に返事をし、その空いていた椅子に古泉一樹と印字されているのを強烈に脳に複写してから九組を出た。
 廊下の壁にもたれかかって、詰まっていた何かを吐き出すように深く息を吐いた。そうすると体中から力が抜けて、壁にもたれかかったままずるずると床に崩れ落ちた。



 古泉はいるのだ。



 確証はない。しかし、その可能性は高い。そうでなければあいつの椅子や机なんかが九組にあるわけがないのだ。

 何ともいえない感情がこみ上げてきた。嬉しい、というやつだろうかね。

 欠席というのが気にはかかるが、俺からすればそれも考え得る範囲である。
 たぶん、あの教師が言ったような風邪というのはまずありえん。それはおそらく欠席理由にするだけの、表向きの理由だ。この非常時にマジで風邪でも引いていようものなら俺がすぐさまベッドから引きずり出してやる。

 そうではなくて、古泉が欠席している理由は『機関』関連ではないかと思うのだ。長門が消えたのはほぼ確実であり何かが起こっているというのは間違いないから、その処理か何かに追われているのだろう。
 気を利かして俺に電話一本もくれないような状態ってのはどんなもんかと思うが、俺は橘京子や周防九曜、敵対未来人を知っている。もしかするとあっちで大きな動きがあったのかもしれん。それがこの長門が消えているらしいという事態に直結している可能性は大いにある。
 
 古泉の携帯電話にかけてやろうかと思ったが、ポケットにつっこんだ俺の手は虚しく布の感触に突き当たるだけだった。ちっ。教室の通学鞄の中だ。
 
 仕方なく俺は立ち上がった。
 
 しかし、いったい何が起こっているんだ。考えたところで解らないだろうが、考えずにはいられん。
 長門がいなかった。そして誰も長門のことを知らない。知っているのは俺だけ。
 シチュエーション的には冬の世界改変にそっくりである。しかしあの時、消えたと思っていたハルヒは光陽園学院にいたし、東中出身の谷口はハルヒのことを知っていた。

 あいにく俺は長門の出身中学など知る由もないが、ということは今回もそういう感じの世界改変なのか。あいつも光陽園学院にいるとか、そういうオチなのか。
 
 それとも本気でこの世界から消えちまったのか――。
 
 長門のクラスを横切るとき、俺は廊下の窓からふと教室内を見渡してみた。
 ホームルーム中で静まっているので確認しやすかったため、長門の机や椅子がないのはすぐに解った。古泉のように席が空いているということもなかった。
 
 全員出席なのに長門はいない。
 
 そして、恐ろしいことに誰もその矛盾に気づいていない。長門なんて女子は最初からいなかったかのように普通に振る舞っているのだ。
 
 当然である。
 
 最初からいなければ誰の記憶にも残らないし、いない奴の机や椅子があるわけがない。そういう理屈だ。
 俺は目を背け、早足で二年五組へ戻った。


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