<キョンサイド>
 もう何をする気も起きやしない。動きたくない。
 本当ならだらだらと動かずに一日ずっとぼうっとしていられたら幸せだな、とか思っていた。
 でもこうして起きている。起きて動いている。動いて学校に通っている。
 動力源は俺の中に疼く、怒り。大切な人を奪っていった犯人に対するどうしようもない怒りだった。
 朝比奈さんが死んだ晩から数日は酷かった。寝れば二人の叫び声が聞こえる。夢の中で助けてと叫んでいるんだ。
 走って駆け寄ろうとするのに追いつかなくて泣くしか出来なくて。
 すぐそこに居るのに手が届かなくて。谷口は滅多刺しされ、そして朝比奈さんの形がどろりと崩れる。
 吐き気を催す程の残酷な光景。目が覚めればいつだって自分の部屋の天井が見える。
 強烈に込み上げる気配を夢の中から伴いながら起き、すぐに部屋のゴミ箱を手に取り吐くものもないくせに嘔吐する。
 そんな頃と比べれば今はまだマシだった。慣れたおかげで悪心を催すという事は無くなったから。
 だが結果的に毎朝虚で空な気分になる。何もない。虚無の中に取り残されるかのような目覚めで起きるようになった。
 視覚的ではない部分でモノクロームによって統一された世界が広がっていく。徐々に徐々に大きく。
 本当は学校に行く気なんて無い。でも幻影を求めてそこに行ってしまう。
 行けば笑顔の二人が見られるんじゃないかって。でも、行って現実を見て幻影の霧散を認識する。
 そしてSOS団から無くなったお茶の味に、教室から消えたうざったさに絶望する。
 絶望は怒りにあっという間に変わり、それが俺を動かす。もはや行動は殆ど感情に直結している。
 危険な域で理性が残っているのみ。かなりギリギリな部分を渡っていると思う。
 ひたすらに俺は渇望する。犯人をこの手で殺す事を心の底から何よりも。
「許さない…」
 その為にも犯人を早く探し出さなきゃな…。
 そして、殺してやる。ぜってぇ殺してやる。他の誰でもない。この俺の手で殺してやる。
 それぐらい憎い。殺したいぐらい憎い―――ッ。
 
 
 My little Yandere Sister   第4話「黒い花園」
 
 
 またニュースでは俺の学校の、あの二人の事件についてやってやがる。
 憂鬱になるし現実を知らせる。朝から本当にイライラさせてくれるマスコミだ。
 だからマスゴミなんて呼ばれるんだ。己の私欲だけで動き回りやがって。
 空気なんて読んでくれやしない。お前らからしたら人の死すら良い金になるんだろうな。
 ゴキブリのような連中だと思う。ただひたすらにうざい。黙らせてやりたい。
「キョン、くん…どうしたの?」
 妹の声がして俺はそっちを向いた。何やら酷く心配そうな表情で俺を見ていた。
 どうやら思いっきり感情を表情に出していたらしい。少しでも意識をしないようになるとすぐこれだ。
 酷く歪んだ、俺の薄汚れた感情が顔に出てしまう。
「どうした?」
 勤めていつもどおりを装う。この妹に何か心配掛けさせたら過剰に反応してしまいそうだからな。
 家族だし大切だ。あの夜の狂気沙汰があったとしてもそれだけは変わることがない。だから心配は掛けられない。
「ううん、何でもない。ただ最近キョンくん元気が無いように見えるし、怖い顔してたから…」
「俺はこの通り元気だ。そりゃ気のせいだろ、多分さ。だから気にしないでくれ」
 優しい妹だ。お兄ちゃんは嬉しいよ。
 こんな、誰かを殺そうと考えてる危ない人間を心配してくれるなんて。本当に優しい。
 俺の内面なんて晒せないぐらい。醜いこんな内面なんて…。
 ただひたすらにぐつぐつと煮え、解け、本来の形がなくなったボコボコのプラスチックのような奇形に変わった俺の心。
 それに比べてなんて純粋な目をしているもんだと思う。
「なら良いけど…きゃっ!?」
 つい先日まであんなに怖がっていた相手を俺は自然とぎゅっと抱きしめていた。
 これは感情が直結した単純な動物のような動き。考える暇も無かった。止めるほどの理性も残っていなかった。
 今はこんなに愛しくて仕方ない。周りで色々な人が居なくなって初めて気付いた。
 日常の大切さを、身近な人の重要さを。
 開放して、呆然としている妹の顔をじっと見た。
「守ってやるからな…」
 そう言うと首を傾げて混乱した表情を見せた。
「え、あ、うん…わたしだけじゃ駄目だよ? ミヨちゃんも守ってよ?」
 理解出来てはいないだろう。どういう意味を含んだ言葉なのか。
「あぁ…」
 もしお前に悪意を持った手を出そうとする奴が居たら俺が守ってやるからな…。
 そんな奴は俺が消してやるから。殺してでも守ってやる。
 殺す。
 謝っても、
 殺して、殺して、殺す。
 許さずに、
 殺して、殺して、殺して、殺して、殺す。
 息絶えても、
 殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺す。
 形すら泣くなっても、
 殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して―――。
 もう誰かを守る為なら…犠牲すら厭わない。それで良いんだ。
 俺は自分の日常を守りたい。みんなを守りたいから…。
 もう失うのは嫌なんだ。狂ってると言うのならばそう言えば良いんだ。俺は狂ってない。
 冷静に、危ない事を考えられるようになっただけで何も変わっていないんだ。俺はまだ狂ってはいない。
「じゃあ、学校行ってくるよ」
「うん、行ってらっしゃいキョンくん!」
 俺は今日も学校へ行く。
 古泉や長門から少しでも情報を得る為に。もし犯人が分かった時は俺が、真っ先にそいつの所へ出向いてやる。
 忘れ物は無いか確認し、右ポケットに手を突っ込む。そこにはいつでも誰かを殺せるように折りたたみナイフが入っている。
 相手の素性が分からない以上はこんなもので太刀打ち出来るか分からないが。
 そもそも相手が一人とも限らないし、谷口と朝比奈さんを殺した犯人が同一かどうか未だに決まっちゃいないんだ。
 分かっている。それでも止められない。その結果自分が危険に晒され、何をする事もなく死ぬ可能性があるとしても。
 俺はずっと頭の中で考えていた。推理力なんて何も無いくせに何が基となった事件なのか、とか。
 授業中も、休み時間もただじっと自分の席に座って。
 幸いにもみんな俺に話しかけてこようとはしていない。みんな気を使ってくれているのだ。
 俺が谷口や朝比奈さんと仲が良かった事を知っているから。国木田も、朝挨拶交わすぐらいで特に会話はしていない。
 ハルヒは、と言えば朝比奈さんが死んだ事を知るや否やショックで寝込んだそうだ。
 放課後になって、SOS団の部室にハルヒを除いたみんなが集まった。
 閉鎖空間こそ発生しなかったが、不安定な状態で予断を許さない状況に変わりはない。
 目の前にはお茶。
 朝比奈さんが居ない今、目の前で湯気を上げているこのお茶はもちろん朝比奈さんが淹れたものではない。長門が淹れたものだ。
「俺はハルヒ絡みと考えるのが妥当だと思う」
 開口一番、俺はずっと考えていた事を告げる。
 谷口と朝比奈さん。二人に共通するものと言えばこの学校の生徒であるという事。そして顔を知らない訳ではないこと。
 だが学校内で本来二人は接点のある人間ではない。接点となる繋がりを見るとそれはハルヒ。ハルヒを介して二人は顔を見知っている。
 この存在はとても強大だ。たった一人の女子ではあるが、その存在が如何なる影響力を持っているか俺は知っている。
 ハルヒの為に誰かが死ぬって事もありうる話だ。例えば、俺が朝倉に殺されかけたように。
「普通に考えるとそうですね。何かしら彼女を狙う存在がやっていると見ても矛盾はありませんし…しかし―――」
「違和感を感じる」
「そうです」
「ハァ…お前らもか。参ったな…」
 言った本人がこう言うとおかしいかもしれないが、実は納得できていない。
 何かが違うように思える。
 絶対誰かしらを狙って、二人を殺しているっていう確信はある。問題はハルヒをそこに当てはめると違和感を感じる事だ。
 誰が当てはめられると違和感が無いのか…。考えても浮かばない。
 と、
 
 変わりたい どうして私はこんな顔なんだろう ママに全然似てな―――ピッ
 
「はい、もしもし、古泉です。…はい………解りました…はい…では失礼します」
「かなり短い電話だな。『機関』からか?」
「えぇ、僕はこれから朝比奈さんのマンションに行ってきます。どうやら、"何か"が見つかったようなので」
「犯人の手がかりか?」
「だと良いんですけどね。では、先に失礼します」
 古泉はくたびれた笑顔を浮かべて部室を後にした。
 そして残ったのは俺と長門だけ。しん、と部室が静まり返る。この沈黙は長続きしそうだな、なんて思った。
「わたしは今、恐怖を抱いている」
 ふと長門が口を開いてそんな俺の考えをぶち壊す。しかも、らしからぬ言葉で。
「お前が恐怖?」
 いつも通りの無表情だが、俺には解る。本気でこいつは怖がっているのだと。
 この異常事態に対して、あの長門が。
「怖い…わたしは…不安。貴方まで、殺されるのじゃないかと考えてしまうと…そんな事は本来考えてはいけない未来。でも…でも…」
 俺はそこで驚愕せざるを得なかった。あの長門が、涙を浮かべたからだ。
 じわり、と。無表情のまま泣くというのはなかなか本来ならシュールな光景なのだろうがそれを笑う事なんて出来るわけがない。
 どうするのが一番安心させられるだろうかと俺は考えた。結論として長門に歩み寄り、そっと抱きしめた。
「…バカ。俺は死んでやらんから、大丈夫だ」
「本当に?」
「あぁ、約束する。だから泣くな…」
「これは泣いているわけではなくただのエラー…。エラーが収まるまで、ずっとこうしていて欲しい。許可を」
「…もちろん」
 俺はそうしてSOS団の静まり返った部室で嗚咽すら漏らさずに延々と泣き続ける長門を抱きしめていた。
 別に、そこには色なんて物はなくて、ただ純粋な絆があったんだろう。
 
 <妹サイド>
 わたしとミヨちゃんはあのビッチ女のマンションの様子を少し離れたところから見ていた。
 警察車両が並ぶマンションの前。マスコミ、もといマスゴミとハエのように集る下卑た野次馬が沢山居る。
 もちろん、わたし達がここに居るのには理由があるからここに居るんだけど、傍から見たら暇人に見えるかもしれない。
 理由というのは簡単で、クソ谷口の家にキョンくん達が出入りしていた原因を調べる為。
 誰があの警察と繋がりがあるのか。ずっとここに居ればそのうち誰かしらが出てくるんじゃないかって思ったの。
 …と、言っても発案者はミヨちゃんなんだけどね。わたしの頭じゃ思いつかないことを思いついてくれる。うん、良いコンビだよね。
 そんなわけで双眼鏡片手にずっと監視していた。と、
「妹ちゃん、あの人!」
 ミヨちゃんが誰かを発見したらしく人差し指を立てていた。わたしもすぐに指された方向に双眼鏡を向ける。
 しばらく向きを彷徨わせて、ある方向に向けた時、レンズの中に見たことのある姿を見た。
 キョンくんと同級生の、容姿だけは素晴らしい少年は険しい顔をしながら警察官に声を掛けている。
 言っている事はもちろん聞こえないから解らないけど、警察の方が頭を先に下げたという事は、ちょっと偉いのかもしれない。
 何はともあれ、これで警察との繋がりを持つ人間を特定出来た。
「…へぇ、そうなんだ。古泉くんなんだ…見ぃつけた! ふふっ、ミヨちゃんお手柄だね。じゃあ、ご褒美!」
 わたしはミヨちゃんを近くのベンチに押し倒して、その唇をむさぼる。こうされるとミヨちゃんは恥ずかしがりながらも喜ぶの。
 ご褒美、なんて言ってるけど本当はわたしがやりたいだけだったりするのは内緒。
 こんな事出来るのも周りに人が居ないから。居たら絶対出来ない。こんな顔のミヨちゃんを見ていいのはわたしとキョンくんだけだもん。
 …でもこんな人気のない所にベンチ作って誰が座るんだろう。
「んっ…はぁ…はぁ…激し過ぎるよ、妹ちゃん」
 そう言って少しムッとしているけど、同時に笑顔を抑えられていないせいで変な顔になっている。
「えへへ、嬉しいくせに」
 わたしがそう言うと一気に顔を真っ赤にして俯く。
「そ、そりゃ嬉しいけど…妹ちゃん大好きだし………」
 ごにょごにょと小さくなっていく声。本当に可愛い。
 こんなミヨちゃんを見て、欲情しない人なんて居るのかな? 居ないよね。だからわたしは別におかしいところはなく普通だよね、うん。
「わたしもミヨちゃんの事、大好きだよ? ふふっ、じゃあ、わたし達の未来の為に、古泉くん殺さなきゃね」
「うん。どこまでも私達なら出来るよね」
「でも、どうやろうか? そろそろみんな警戒してるだろうし。わたし達だからって油断しない人も少なくなりそう」
 それに、古泉くんの洞察力は凄い。微笑んでいる顔とは違い、印象としては油断できない手ごわい人っていう印象が強い。
 あの笑顔は絶対偽者だって言える。ずっと作っていて癖になっているような感じだと思う。
 もちろん、本当に微笑んでいる時だったあるだろうけどね。
「こっちから行くパターンじゃなくて呼び出すパターンってどうかな?」
 ミヨちゃんが人差し指を立てて言う。
「あぁ、良いね! どこに呼び出そうか? 人は居ない方が良いと思うけど、何処かな?」
「えっと、近くに営業停止した工場があるの知ってる?」
 もう場所まで考えているんだ。頭良いのは羨ましいなぁ…。わたしも頭よくなりたい。
 でも勉強したくない…。うぅ、これが矛盾って言う奴なのかな。まぁ、わたしはずっと頭良くないままなんだろうなぁ…。
 と、まぁ、それはともかく、置いといて…。
「あったね。今月の初めにつぶれちゃったんだっけ、あそこの会社。結構、良いおじさんだったんだけどなぁ、社長さん」
 登下校で会う度ににっこりと笑いながら挨拶していたっけ。たまにお菓子くれたのを覚えてる。
「あの工場、今月一杯までは電気が通ってるの。それでね、プレス機があるんだけど…」
「プレス機って…あぁ、なるほど。解っちゃった。潰しちゃおうって事だね?」
 一度、見てみたかったんだよね、人を潰すとどうなるのか。漫画みたいになるのかな、とか。
 今回殺すついでにそれを見るのも結構楽しみだなぁ。あ、凄くワクワクしてきた。
「今は誰も居ないから、入るのは簡単ってクラスの男子が言ってたよ。まず入って機械のマニュアルとか探した方が良いと思う」
「じゃあ、行こうか。というか、もう今日中にやっちゃおうか? 深夜の時間帯が良いかな」
「そうだね。じゃあ、私、妹ちゃんの家に泊まりに行くという事で良いかな」
「それで良いと思うよ。作戦は工場の中を一通り見てからわたしの家で考えよう」
「うん。あ、お泊り道具持ってこなきゃいけないね」
「良いよ。わたしの貸してあげるから。あ、もちろん一緒にお風呂入ろうね」
「え? う、うん…でも恥ずかしいよ」
「今更恥ずかしい事なんてないじゃない。あんなにキスだってしたのに…ね?」
「そう、だね…」
「顔真っ赤にしちゃって可愛いなぁ、ミヨちゃんは」
 こうしてとんとん拍子に進んでいくあたり、わたしとミヨちゃんはやはり、良いコンビなんだと思う。
 
 <古泉サイド>
「古泉、殺人には大きく分けて二つの型があるわ…すなわち、秩序型と無秩序型」
 まだ血の香る現場に来るや否や僕は森さんにそう言われた。
 確か、ロバート・K・レスラーの言葉でしたでしょうか。FBIのプロファイリングに携わった人ですね。
「それが…一体?」
「今回、現場を見る限りなら後者…無秩序型に見える。そうでしょう?」
「えぇ…谷口氏の件も、朝比奈みくるの件も犯行現場に工夫は見当たらず、酷く乱雑、更にはオーバーキル…無秩序型によく見られる光景ですね」
「でも秩序が無いと言えるかしら? 前の一件、谷口氏の事件と今回、涼宮ハルヒに関わらなくとも同じ北高の生徒であるという共通点があるのに」
「?」
 僕には森さんが何を言いたいのかよく解らない。でも、とても重要なヒントだとは確信していました。
 遠まわしに言う理由は…ちょっと解りませんが。ストレートに言ってしまえば良いと思います。
「解らないって顔ね。ねぇ、これだけ乱雑なのに荒れた形跡が無いのはどうしてだと思う? そして、証拠すら残してないのはどうしてだと思う?」
「…犯人が顔見知りであったかそれに準じる、いずれにせよ警戒にする必要が無い人だった。後の質問はかなり慎重であるから…ですかね」
 僕の答えに半分満足という顔をする。
 …まだ、半分足りないという事ですか。となると、今回わざわざ僕を呼び出してしようとする話の内容なのかもしれないですね。
「その通り。ここは秩序と無秩序が入り混じった現場。混合型と呼ぶには不適切な箇所もあるし、彼が殺された事件は無秩序型よりだったのに」
 何となく森さんが何を言いたいのか段々と理解してきた。
「増えた、と言うのですか…」
「えぇ。谷口氏の時には一人の犯行だったけど、今回の朝比奈みくるの件は人数が増えているとわたしは見てる。そして一人は同一犯ともね」
 そう言って顔をしかめた。あの現場を思い出したのかもしれない。あまり良い事はないですから。あの現場に、良い事なんて。
「どちらも頭がよく切れるタイプよ、無秩序型も秩序型も。それぞれの欠点を補うようなコンビネーションね。ほとほと感心するわ」
 ふとここで僕はある疑問を覚えました。遠慮せずに、それを問うた。
「しかし、前の一件が無秩序型だとしたら、あまりにも冷静すぎではないですか? あれだけ凄惨な事をして、何も残さないなんて」
「そうね。大抵は突発的な行動で、それ故に乱雑で何かを残してしまう。けど、これにはそれが無い。私は、一つの脅威を考えたわ」
「脅威?」
「殺意は感情じゃないわ。感情は思考を停止させる。理性の賜物なのよ。では突発的な感情を殺意という理性で全て抑える事が出来るとしたら?」
「それって…」
「取り乱してなんかいないのよ。突発的殺人には違いないけど、感情は無く、阻害されない思考は鈍ってない。知識よりも本能的な意味で理知的ね」
 そこまで言って一区切りし、深呼吸をして、続けた。
「本当に恐ろしい話よ。突発的に殺人を思い立った犯人は、冷静にオーバーキルしているんだから。生まれ持った快楽殺人者の才能ね」
 
 <キョンサイド>
 家に帰ってみると、誰も居ない。妹が居るもんだと思っていた為か、すっかり静まり返った家に何となく力が抜けた。
 夕日に照らされる我が家は真っ赤で、明るい。なのにそれが夕日のせいかすっかり暗く見えるのは不思議なものだ。
 制服を脱ぎ、私服に着替える。特に何も考える事は無い。考えなくとも頭の中がうるさいから。
 ベッドにベタンッと倒れ込む。スプリングがギシッと音を立て、俺の体重を支える。
「………なんだろう、この違和感は」
 どこから来ている違和感なのだろうか。
 ハルヒを中心に置けば全てしっくり来るのに。何が違うというんだ? 何が馴染まないというんだ…。
 まるでそれに気付いたらいけないかのように盲目的にそうだと決め付けようとしている事に気付いてしまって…。
 ハルヒじゃない誰かを真ん中に置く事に躊躇いを覚えている。意識しない部分では誰を中心にすべきか気付いているんだろう。
 だがそれをまだ知らない。完全に俺自信が気付くには意識の表層部分にまで到達しなくてはいけない。
 そして、それを引きずり出すには何かきっかけが必要だ。
「…くそっ」
 どうしてこう落ち着けない。落ち着ければ何か思いつきそうなのに。
 落ち着く方法は無いな。どうやったところで、落ち着けられない。だから頭は働かない。
 埋め尽くされる。嫌な思いに埋め尽くされる。思考。もはやただの感情が蠢く頭。
 自分でも薄々気付いている。精神が、かなり危ういところまで磨り減っている事に。
「あぁーっ、もう!!」
 ただひたすらに意味無く叫ぶぐらいしか出来ない。きっと俺に気力なんて物は無い。
 ふと、その時、俺の携帯が鳴った。無気力状態のまま、手を伸ばし通話ボタンを押す。
「もしもし…?」
『あぁ、僕です。今から長門さんの家に集まれますか?』
「長門の? あぁ、大丈夫だが…何かあったのか?」
『大切な話があります、とだけ』
 その言葉だけで理解した。あぁ、事件に進展があったのだと。
「解った」
 通話を切り、軽く羽織って俺は家を颯爽と飛び出た。
 居ても立ってもいられなかった。自転車に飛び乗ると思いっきり漕ぐ。
 自動車にも勝てそうだ。自分ではそれぐらいの速度で走っている。強く漕ぎ、漕ぐごとに速度を増していく。
「ッ、ハァ…ハァ…」
 長門のマンションに着いた頃には肩で呼吸していた。
 インターホンを押しながら深呼吸をする。頭を冷静にしなければ。焦り過ぎている。俺は焦り過ぎている。
 しばらくして扉が開き、長門が顔を出した。
「入って」
「あぁ」
 中に入ると、古泉が笑顔を消してそこに座っていた。
 あまり見慣れない真顔はかなりの状態にあるという事を言わずとも知らしていた。
「呼び出したって事は、何かしらあったって事だな?」
「えぇ。僕の元に差出人不明のこのような手紙が送られてきました」
 すっと出して来たのは封が開けられた封筒。一般的でよく見られるシンプルな形だ。そこに古泉一樹へと書かれている。
 中にはこれまた非常にシンプルな便箋が入っており、丁寧な字でこう書かれていた。
 
 事件の真相を知りたいのなら一人で町外れの工場に来い。
 時間は今日の深夜0時。必ず一人で来い。
 
「町外れの工場…ってあの封鎖したところか…」
「えぇ、恐らくは」
「お前の名前を知っている、という事は知り合いか?」
「現時点で僕らが思っている通り、もし涼宮さん関係だとしたら、そうであるとは限りませんよ」
「この手紙はいつ何処で?」
「僕が朝比奈さんの家から帰宅中に、石に括り付けられる形で飛んできました。間違いなく当てるつもりで投げたんでしょうね」
「投げた奴を見ていないのか?」
「残念ながら」
 手紙以外は特に何もない、か…。
 だが、これだけでもかなり重要な事だと俺は思えてならないね。犯人から手紙が来たのだから。
 相手は俺達を知っている。それがどのような形であっても向こうはこちらを知っている。
 つまりは北高の生徒を限定とした知らない人間を狙う無差別殺人ではないという事だ。
 何かしらの目的があり、そして何かしらの理由があってやっている。
「…一人で、というあたりがかなり罠臭いな」
「僕もそう思いました。そこで貴方と長門さんに相談をしに来たわけです」
 もうどう見ても古泉を殺そうとする魂胆が見え見えだ。古泉と言えども俺達の仲間だ。
 これ以上死者は出さない。そう誓ったんだ。
「手っ取り早い方法は見つからないようにこっそりと古泉と付いて行く事だが…このあたりの分野は俺じゃないな。長門、何か考えはあるか?」
 俺はそこで今まで黙って話を聞いていた長門に話を振った。
「ある。遮蔽フィールドを張って姿を隠す。そうすれば普通ならば隠れる事が可能。しかし、問題がある」
 待ってましたと言わんばかりの即答だった。
「問題と、言うと?」
「もし相手が涼宮ハルヒという存在と関わる場合、見つかる可能性がある。例えば、同じインターフェースならば見破る事は容易いと思われる」
「そうなると、かなり危険だな。必然的に古泉が危う―――」
 俺がそう呟いて古泉を見て、言葉を途中で切った。そいつが場違いな表情でこちらを見ていたからだ。
 満面の笑み。
 ここ最近、いや、今まで見たことがないほど、心の底から浮かべた微笑だった。
「心配は要りません。何も心配する事はないのですよ。SOS団の為なら、僕の命なんて必要ありませんから。貴方だって、そのつもりなのでしょう?」
 …あぁ、そうだな。その通りだ。
 今更、命なんて惜しくはないし、欲しくはない。今となって必要なのは真実だけだ。
 長門の方を見るとただ黙ってこちらをじっと見ていたが、小さく頷いた。言葉なんて要らないんだな。
 このSOS団は、本当に強い絆がある。
「…本当に、狂ってるよな。ハルヒの周りに居る奴は、俺も含めて、みんな」
 俺はそう言って、抑え切れなくなって笑った。
 この、異常な集団の中で自分が普通だなんて思っていた事を嘲笑した。
「僕だって結構ギリギリですよ? 次、誰かが死んでしまったら、きっと僕は弱い自分を曝け出してしまうでしょう。今だって笑うのが精一杯なんです」
 そう言って俺と同じように笑う古泉。
 ここでは、異常な事が普通なんだ。ここにおける普通たる俺は、やはり異常であること相違ないのだ。
「じゃあ、話し合おうか。どう集まり、どう動くか」
 
 ……………。
 
 そして、その日の夜。
 俺達は約束の時間の少し前に工場の近くへと集まった。
 正直、家を抜け出すのは大変だった。玄関を正面から突破したら扉の開閉の音でバレる可能性がある。
 しかもミヨキチが泊まりにいきなり来ており、更に気を使わなくてはいけない。
 まぁ、そんなわけで俺は一階に降りたには降りたが窓から外へ出る事にした。スライド式の窓はそっと開けばほぼ音はしない。
 とりあえず誰にも見つかってない事を祈る。
「…ここから、俺と長門は姿を隠す。少しだけ離れて行動するが、何かあれば声を掛けろ」
「解りました」
 長門が呪文のような例のアレを唱えた。
 自分では解らないが、恐らくこれで傍から見れば姿は隠れているのだろう。
「わたしの周囲、半径1メートルに展開した。その範囲外に出ないように」
「了解」
「お二人とも。では、行きますよ」
 古泉が歩き出す。俺と長門はその後をおよそ5メートル離れて追う。
 道中で夜道の待ち伏せ事や、通り魔みたいな物騒な者は居ないし、巡視するお巡りさんも別に居ない。
 そんな静かな道。
 工場には元々近くに居たという事もあり、あっという間にたどり着いた。
 ここを経営していた会社は、確か不況の煽りを受けて倒産になったと聞いた。
 それ以来、ずっと封鎖されていたと記憶している。近所の小学生等は抜け道のようなものを通って中に入って遊んだりしているようだが。
 今はそんなところ通らなくとも僅かに門が開いている。暗い建物の中へ導いているように。いや、実際導いているのだろう。
 工場には電気が付いていない。ただ僅かにモーター音が聞こえる。
 その中へと入っていく。
 すると、中に一つだけ小さな光があった。それは、不自然に置かれた蝋燭の灯火。
「…あそこへ行け、という事でしょうか…」
 古泉は小さく呟いて歩をそこへ進めた。
 蝋燭の光以外何も灯りが無い。その中で一体、どのように接触してくるのか。もしくは罠を掛けているのか。
「おや?」
 古泉が歩きながら小さく声を上げた。何かを見つけたらしい。
 俺には解らなかったがしばらくして先ほどの古泉の同じ場所に立ち、そこで蝋燭の横に置かれた白い紙片が見えた。
 古泉はやがて蝋燭へと辿り着き、それを拾った。俺と長門は依然として5メートル程の距離を置きながら見守る。
 ふと古泉が目を細めた。恐らく暗い中では見難いのだろう。
 やがてその場でやや腰をかがめるような動作を取った。
 蝋燭以外、明かりは無い。その蝋燭はやや時間を置いていたのかかなり溶けている。
 そうなるとその場所に溶けた蝋で固定され、持ち上げる事は出来ず、蝋燭に紙を近づけてある程度光が当たってようやく読めるという感じになる。
「『残念。貴方に教える事はありません。さようなら』」
 古泉が紙片に書かれていたであろう事を読み上げた。
 それと同時だった。
 ごうん、という音がした。古泉がハッとして周りを見渡す。俺と長門も警戒を強めた。
 工場の何かが動いた音。何が動いたかは解らない。
 ふと古泉の周りで、何か空気が抜けるような音がした。
 俺は嫌な予感がして蝋燭の灯火の中で仄かに浮かび上がる古泉に向かって駆け出した。当然、遮蔽フィールドの外に出るだろう。
「あ」
 と、長門が声を上げるのが聞こえたが、俺はそれよりもこの嫌な予感が確信に近いものだと感じていた。
 古泉が危ないと。
 そしてその瞬間、電気が付いて浮かび上がったその様子に俺は舌打ちした。
 見たことがある。あれは、古泉が今居るところは。
「古泉ッ!!」
 プレス機の、間だ。
 プレス機が動き出すのが見える。古泉が気付いたらしく、回避すべく行動に移った。
 しかし、遅い。古泉がそこから退避しようとするのも、俺が古泉に辿り着くのも。
 間に合わない。目の前で、古泉が潰れるというのか。それは駄目だ。間に合え! 間に合え!
 と、俺の横を何かが物凄い勢いで駆け抜けた。
 その少女は古泉に向かって手を伸ばしながら勢いよく飛び、ドン、と古泉をプレス機の外へ突き飛ばした。
 その代わりに、その少女は先ほどまで古泉が立っていた場所に腹打ちする形で着地した。
 長門だった。
「長門!?」
「長門さん!?」
 長門が、微笑んでいた。目に涙を浮かべながら。
「古泉一樹を助けたけど、自身の硬度を情報操作は間に合わなかった。迂闊。二人とも、わたしを許し―――」
 長門はそこまでギリギリ聞き取れる程の早口で言って、言葉を途切った。いや、途中で無理矢理切られた。
 凄まじい音を一瞬だけ立てた、プレス機によって。
 プレス機は下ろされたまま、開く事はなかった。
 しん、とした。
 周りで稼動していた機械も一斉に動きを止め、どこまでも静かな夜が突如として現れた。
 俺はしばらく呆然とし、そして不思議と笑いが止まらなくなった。
「は…はは…そんな、バカな事が…あるわけがねぇよな…長門、無事だよな………な?」
 完全に閉じられたプレス機から、返答は無い。
 悪ふざけをしているだけだと思った。朝倉にあれだけやられても平然と俺と会話をしたあいつだから。
 でも、知っている。長門は冗談でも度が過ぎた悪ふざけはしない。
 もしかすると、喋れないのかもしれない。ただ潰されて。それだけで。
 それだけ? それだけな訳がない。プレス機で潰された事がそれだけなんてレベルなのか?
 俺は長門は無敵だと思っている。何があってもどんな事でも大丈夫だと思っている。いや、思っていた。
 でも気付いてしまった。インターフェースは無敵ではない。朝倉は、長門によって滅ぼされたように。長門も滅ぼされるのでは?
 どうしようもないほど、体が震えていた。歯がガチガチとうるさい。
「か、開閉ボタンどれだ…」
 俺はフラフラと小走りでプレス機に近寄った。古泉はプレス機の横で未だに呆然としている。
 頭は何も考えては居ない。ただ操作パネルを見つけ、開、と書かれたボタンを押した。
 押しっぱなしで動く仕組みなのだが連打した。そんな事してもどうしようもないのに。気持ちだけが焦っていた。
 重々しい音ともに開くプレス機。ビチャビチャ、という瑞々しい音がした。
 ある程度開いた時、古泉が口を押さえて呻いた。
 長門に突き飛ばされてからずっとプレス機の横に座り込んでいた。恐らくその場から中が見えるのだろう。
「な、長門さ…あ…あぁ…」
 その反応は、どういう意味か頭は理解していた。心は、理解しようとはしなかったが。
 開いていくプレス機。降りるときはあれほど早かったのに、どうして上がる時はこんなに遅いのか。
 俺の視点からは、プレス機の上の部分が邪魔で見えない。解っている。見たくない。
 でも、長門なら大丈夫というイメージがあった。いや、そう思い込みたかった。
 
 ふと、ようやく有り得ないほど薄い足と、二次元の絵のようになった革靴と、赤と白の斑模様の靴下が見えた。
 
 段々と、見えていく。あの時と同じだ。
 朝比奈さんの時のように。
 あれは自分がゆっくりと視線を動かして、それを見た。
 今度は機械がゆっくりと視界の上へ上がっていき、それを見せてくる。
 もちろん、その先に希望なんてあるわけがない。
 でも、前に進むにはこの絶望を見るしかない。長門を無駄にしない為に。
 理解しているだろう。
 もう、長門は死んでいるって。
 何の為に長門がこうなったのか。
 裏切ってはいけない。
 俺は、吹っ切った。理解しようとしない自分を断ち切って、覚悟を決めた。
「ッ………!!」
 そして、それを見た。覚悟をしていたとは言え、それは凄惨だった。
 潰されて中身の飛び出た長門の死体を、見た。
 悲惨な事になっていた。
 もう、何が何だか解らない。路上で車に引かれた蟷螂の死体とか、そういう物ではなかった。
 潰された過程で歪み、更に歪み、そのまま潰れて固定されたそれは、何だったかもわからない。
 眼窩から飛び出て潰れた眼球。
 肉なのか、内臓なのかよく解らない赤い物。
 ただ血に染められた北高の制服と、見慣れたカーディガンが、それを長門だと教えてくれた。
「ぐっ…ッ………」
 気持ち悪くなり、吐きそうになるのを堪えた。
 ただ堪えながら、長門の変わり果てた姿を見ていた。
 呼吸が速くなる。ゆっくり呼吸が出来ない。止まらない。
 ふと、長門の体が淡く光りだした。見たことがある。朝倉が、そうだった。
「これは…!」
 情報連結解除。
 長門の活動が停止したという事を、それは静かに示していた。無音でまるで舞い上がる雪のように空へと消えていく長門。
 潰される直前に申請したのだろうか。それとも、元々こういう機能がインターフェースにはあったのか。
 ただ言える事は、涙が止まらなかった。
 もう潰れて、ひしゃげて、頭の中にあるものが飛び散って、眼球も飛び散って、骨は粉々になって、とがった部分が皮膚から突き出ている。
 そんなもう原型も留めていない長門の顔。
 でも、口元だけ。そこに、潰れて平らになってもなお残っている微笑。
 最後に浮かべた表情だけは、そこに残っていた。
 やがて、情報連結の解除は顔にまで及び、しばらくして全てが消えた。制服も残さず、長門が居た証を何一つ残さず。
 しかし解っている。ここで立ち止まったらきっと長門は怒るだろう。
「…解ってるよ、長門。お前の死を無駄にはしない。無駄になんか絶対にしない…」
 俺は呟くと、代わりに生き残った古泉へと目を遣った。
「おい、古泉」
 だが、俺の言葉に反応する様子は見せない。
「な、長門さん…そんな…。長門さん…僕のせい…長門さん…あぁ、そんな…」
 古泉はただただ壊れた人形のように同じ言葉を繰り返していた。
 かなりギリギリの精神だったのだろう。それが一気に崩れてしまったのだ。
 絶望を見たから。何にも勝る絶望を見てしまった。自分を助けた者が死ぬという絶望を。自分のせいで死んだという絶望を。
 だが、そんなもの知った事じゃない。俺は、俺達は、ここに居る。
 長門によって死に損なったのではない。残された。
 それを解っている。だから、情けなくて、苛々するんだ、今の古泉を見ると―――!!
「目を覚ませェ!!」
 古泉の胸倉を掴んで思いっきりぶん殴った。空ろな目が俺を見た。
「テメェがウジウジしていたんじゃ、長門も浮かばれねぇだろうが! お前は、長門の意思を背負う義務があるんじゃねぇのかよ!!」
「でも…もう嫌ですよ…僕は辛いですよ…見たくない…。僕はSOS団が大好きです…その仲間がもう…こんなにも…!」
 古泉の目は、死んでいた。あのうざったい古泉は、別の意味でうざくて、殺したくなるような弱虫になっていた。
「辛いのはお前だけじゃねぇんだ! 俺だって辛いんだよ!! でもな、ここで辛いからって立ち止まったら、何の為に長門は死んだんだ!!」
「僕のせいで…長門さんは死にました…僕のせいです…僕の…」
「古泉ッ! テメェは、長門の死を無駄にするつもりか! お前を助けた命を無駄にするつもりか!? 今のお前は、最低だッ!!」
 ピクッと古泉が反応した。
「…無駄に? 嫌です…僕はそんな事、したくありません…長門さんの死を無駄にしたくない…」
「なら立てよ! テメェはまだ歩けるんだろ!? 生きてるんだろう!? だから立ちあごぁっ!!」
 ふと俺はいきなり古泉思いっきり頬をぶん殴られた。
「お返しですよ、お礼を兼ねた…。えぇ、僕は歩けます。まだ生きてます。だから、立ちますよ」
 そう言う古泉は、微笑みながら立ち上がった。目を赤く充血させて、涙を浮かべながら。
「それで良い。…で、どうするか。まずは機関に電話か?」
「そうですね…」
 古泉は目に浮かんだ涙を拭うと鼻をすすり、深呼吸をして、携帯の操作をした。
 
<妹サイド>
「そんなつまりじゃ無かったのに…そんな…そんな…おぇ、ぁぁッ…」
 口から胃の中にあったものが逆流し、流れ出る。
 頭が動かない。何を考えようにも考えられない。もう考えたくないから。
 わたしは制裁先を間違えたんだよ。わたしは間違えてしまったの。今やったのは制裁じゃないよ。
 間違って殺した。人を殺した。違う人を殺した。ただの人殺し。
 認められない人を。神様は許してくれない。わたしを許してくれない。きっと許してくれないんだ。
 気持ちが悪い…耐えられない…寒い…!!
「落ち着いて、妹ちゃん!」
 ミヨちゃんが視界に入ってくる。わたしの肩をがっちりと掴んで、視線を交錯してくる。
 すぐ傍にある友達の顔。心配そうな顔で、見ている。
「わたし、わたし…ちゃんと見たのに…他に誰も居ないのを確認したのに…なんで居たの? どこに居たの? 見なかったよ!?」
「私も見てなかったよ。多分、どこかに隠れていたんだと思う。だから、私にも責任はあるよ。自分をそう責めてないで」
「でもあそこから以外どうやって入るの? そこ以外は全て封鎖してたのに…間違っちゃった。わたし、殺しちゃった…殺しちゃった…っ…!」
 ミヨちゃんがわたしをそっと抱きしめてくれる。それが、限界を呼んだ。
 堪えられなくなった。
 涙が止まらなかった。ずっと流れていく。止めようがないほどの勢いで流れていく。
 ミヨちゃんの胸に顔を押し付けて泣く。きっと、服は濡れるだろう。
 それでも気にした様子もなく、当然のように
「大丈夫だから…私が居るから…」
 そう言って、そっと頭を撫でてくれる。暖かくて、とても落ち着く…。
「ありがとう…」
 優しい…。だからどんな事もこうやって包んでくれる。その優しさの中で自覚した。
 ああ。わたしは、ミヨちゃんに迷惑を掛けてしまった…。元はと言えば全てわたしが始まりだった。
 自分のせいで。駄目なわたしのせいで。
 どうして、こうなったのだろう…。
 いつからだっけ。谷口を殺した時からだっけ。
 …最初はただ羨ましかっただけなのになぁ…。
 わたしは、キョンくんに近付く人達が羨ましかった。
 どこまでも妹だから、どんなにくっ付いてもキョンくんはわたしを親しく扱ってくれない。
 どうして? 家族だから。
 家族って何? 血が繋がっている存在。
 血が繋がった? 妹…。
 家族で、血が繋がっていて、妹。
 そのライン以上には扱ってくれない。どんなにみんなが仲が良いと言ってくれても、それはわたしが望むものではなかった。
 確かに仲が良かったかもしれないけど。それこそミヨちゃんと知り合う前は誰より仲良かったかもしれない。
 それでもそれはただの家族。だから、最初は友達になりたかった。
 しばらくして好きという感情を知った。それと同時にキョンくんの恋人になりたくなった。
 ずっと追い続けていた。
 決して覚めたくない、夢を見続けたくて。
 解っては、いた。そんなものは無理だって。でも認めたくなかった。
 現実と理想。真実と虚無。理解と拒絶。
 そんな悩みは、いつの間にかわたしを狂わせていたのかな。ううん、これはこれで普通なのかもしれない。
 どのわたしもわたしで、これもわたしで、だけど歪んでしまってこのわたしはわたしではないの。
 わたしはもう壊れているんだと思う。何もかもを歪んで見えてしまっているんだもん。
 キョンくんの傍に、ミヨちゃんの傍にそんなわたしは居たらいけないんだよね…。
 あんなに不幸な顔をするキョンくん。わたしに関わって不幸になるミヨちゃん。
 そう、解ってしまった…気付いてしまった…。
 
 あ、そうか…わたしは、わたしに気付いたんだね…。
 
 …頑張ったよね…。気付けたんだから。今まで気付かないふりをしていた事に気付いたんだから。
 それでも、もう何もかもが手から離れて引き下がれない。だって取り返しのつかないところにあるんだもん。
 谷口くんを殺して、みくるちゃんを殺して、そして…。
 何もかもわたしの手の届かない場所へ、わたしの行動は到達してしまったいるんだもんね…。
 でも、今、壊れたわたしを取り戻せた。たった一瞬の間だけど、わたしを思い出せた。
 それだけで充分。その感覚さえ覚えておけば、もう間違える事はない。
 正しい道を歩けるかは解らないけど、それでも、
「ミヨちゃん、次を考えよう…」
 貴女には…ミヨちゃんには正しい道を歩んで欲しいから。
 それが自己満足でも良い。わたしにとって幸せな事じゃなくても良い。
「うん…」
「じゃあ、キョンくん達が家に帰ってくる前に、家に戻らないと…」
 ぐっと涙は、堪える。
 後悔したって二度とあの日々は帰らない。今は考えなきゃいけない。
 どうすれば良いのか。これからを考えないといけない。
 また、あの笑顔の男を潰すか、否か。それとも…。
 ううん、どちらにしても変わらないんだよね…だって、
 
 わたしが、全てを終わらせるんだから。

 

 

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最終更新:2020年08月19日 17:16