入学して一ヶ月と少しが経ち、わたしは山頂へ向けて何度も岩を転がし続けるシーシュポスのように、この強制早朝ハイキングコースを心行くまで満喫していたのだが、そこに追い討ちをかけるがごとく、わたしの平常心をマグニチュード8.0で揺るがす事件が、起こってしまった、いいえ、始まったと言った方がいいわね。
そう、稀代の変人、キョンによる無間地獄の始まりよ。
【もしもシリーズ:第肆号作『ハルヒとちぇんじⅱ』】
「や、おはよう」
そんなことを考えつつ無意識的に身体へ坂を登らせていたわたしの精神を、爽やかなあいさつが表層意識へサルベージさせた。振り向くと、例の国木田が人の良さそうな笑みを浮かべつつ、少し息を切らせながら駆けるように坂を登ってきていた。
この透明度の高そうな笑顔と爽やかな朝という組み合わせは、よく似合っている。
あいつの迷惑ごとを思いついた時のニヤリ顔を思い出しながら比較して、自らの選択による忌まわしき結果をただ、嘆く。でもそんなことはおくびにも出さず、わたしもわたしで笑顔であいさつを返した。「おはよ」
「今日、日直なの忘れててさ」
早く職員室行って日誌貰ってこなきゃいけないんだ、とあまり悪びれた様子もなく国木田は言う。
国木田が日直ということは、わたしもそろそろね、と思いながら、
「ふーん、そう。大変ね」
「今に君の番だよ。それじゃ、ごめん、先に行くね」
軽快に駆けて行く国木田の背中を見送りながら、改めて、思う。
あんな男子が同じクラスにいると言うのに、わたしはなにをしているのだろう、と。輝かしくも貴重な青春という時間の無駄遣いをしているような気がする。やっぱり、
「嘆かわしいわね」
口に出すと、よけいに虚しくなった。気がした。
教室の戸を開くとまず、まるでそこからわたしが入ってくることを予測していたかのように、あいつの視線がわたしを貫いていた。思わず、声を出してしまう。「げ」
「なあ涼宮。あと必要なのはなんだと思う?」
「何がよ?」入室早々に、不敵な笑みとともに近付いてこられるのは、中々怖い。
「やはりだな、謎の転校生位は抑えておきたいところだな。……なぜか、少し気は乗らないんだが」
「頼むから、文脈をはっきりさせてから会話を開始してよ。あとあんた、言ってることが滅茶苦茶よ。気が乗らないならやらなきゃいいじゃない!」
「いや、やりたくないんだが、やらなきゃいけないんだ」なぜかキョンは、子供や奥さんに接待コンパのことについて弁解する会社員のような不安げな表情だった。
「で、結局なんなのよ?」
「SOS団に必要なものだ。謎の転校生位は、まあ要るんだろうなぁ……」
「その前に、“謎”の定義を教えて欲しいものね」
それと、何で自分の発案にそんな不承不承な風味に発言するのだろうか。納得のいかない風にしつつも、わたしの質問には不敵な笑みで答えてくる。
「新年度が始まって二ヶ月も経たないのに、そんな時期に転向してくるやつは充分“謎”の資格があると思うだろ、おまえも?」
何を根拠に、わたしがあんたと同じ考えを持つだろうことを認識したのかの方が、よほど“謎”の資格がある気がしてきた。
「お父さんの急な転勤とかに決まってるじゃない!」
「…いや、不自然だ、そんなの」
「あんたにとって自然ってなんのことなのか、そこをはっきりさせたいんだけど」
「はぁ、やれやれ…。来ないもんかね、謎の転校生……」
溜息をつきたいのはわたしのほうだけど、ここで溜息をつくとこいつと同じになる気がして、鼻で笑うことにしておいた。
どうせ、わたしのいうことなんて、どうでもいいんだろうしね、こいつは。
お昼を目の前にした朝倉によると、どうもわたしのキョンが、何かを企てていると噂されているらしい。
「ね、ねえ涼宮さん。涼宮さんは、さ、キョン君と何をやってるの?」
一拍を置いて、「も、もしかして、つ、つ、付き合いはじめたとかなの!?」と顔を真っ赤にした阪中と言う存在すべてが、わたしに動揺していると教えてくれた。人間ここまで純粋だと狙ってるのではないかと穿ってしまうが、そうでないとわかっているだけ、凄く可愛く思える。すこしからかおうかと思ったけれど、朝倉がいる以上油断ができないので、やめておいた。
「そんなわけがないじゃない。わたしがいったい何をやってんのか、わたし自身が一番知りたいくらいよ!」
「そ、そうなのね。そ、そっかぁ……」
「ふふっ……。あ、でもほどほどにしといた方がいいよ? 中学校じゃないんだから、グラウンドを使えなくしちゃったりとかすれば、停学くらいにはなるよ?」
「そうねえ……」せめてあの有希って子や、みくるちゃんに害が及ばないようにしなくてはいけない。この際、毒牙と言っても構わない。「気を付けるわ」
SOS団設立以来、殺風景だったここ文芸部室に、やたらと物が増え始めた。長机に頭の後ろに手を組んで枕にして仰向けに転がっているキョンを半ば睨みつけながら、思う。こいつはここで暮らすつもりなのだろうか?
「……そうだ、コンピュータもほしいところだな」思い出すように、キョンが言う。「一切の情報機器無しに、この情報社会をどう生き残るつもりだったんだ」
学校の部活動なのだから、部員を確保すれば自働的に相応の部費が下りるというシステムを説明した方がいいのだろうか。つまり、部活動は書類上で成立さえすれば自働的に生き残れるのだ、と。
ふとキョンが、部室全体を見渡した。「全員、起立ッ!!」
「ひ、ひゃいっ!?」「はいっ!?」「………」
あまりの声の鋭さに、思わず立ち上がってしまった。みくるちゃんも怯えたように立ち上がって、それから戸惑ったようにちらちらとキョンの方を窺い始めた。有希は……文庫本から目を離してない。この子が動揺するのはどんなときなのか、そういえば想像がつかない。
「それじゃ、調達に行くぞ」
「待ちなさいよ。あてでもあんの? 電気屋でも襲うつもり?」案外洒落になっていないから怖い。
「まさか」馬鹿な、と言い変えても通用するような笑みを浮かべて言うので、うっかりすれば、「そうよね」とうなずいて頬を緩ませそうになった。当然よね、と。そんなはずがないのに。
「もっと手近なところさ」
「ごきげんよう、紳士諸君! 早速だがパソコン一式、頂きに参上した!!」
馬鹿だわ、こいつ。心から思う。「んで、部長は誰だ?」
「何か用?」気弱そうとも気丈そうとも言えるような、茶髪の男子生徒が小さく手を上げた。部長と言われれば確かにうなずけるが、正直なところ、ここにいる誰が挙手して同じ発言をしても、外見以外は同じような感想を得ただろうと思う。
「コンピュータ研究会にわざわざ出向いく用事など、一つしかないだろう」哀しいことに、さきほどの『まさか』と同じ口調だ。
「一台でいい、パソコンをよこしてくれないか?」
「「「……はあ?」」」
正しいと言うことがどういうことか、とくとくと説いてあげたい。
「いきなり何なんだよ!?」非難がましい口調の内容が常に正しいとは限らないし、むしろ逆のことの方が多いが、この場合は間違うはずもない。この人の言ってることは、正しい。
「いいだろ、一台くらい? こんなにあるんだし、な」たくさんあれば、一つ奪っても構わないというなら、銀行はすっからかんになってしまう。
「あのねぇ、ってか君たち誰?」
つっけんどんに追い返すのではなく、一応それなりに対応しようとしている部長さんの良い人振りが痛み入る。いや、案外気が弱いだけかもしれない。
「SOS団団長、通称キョンだ。この三人は俺の部下その一と、マスコットキャラと名誉副団長」名誉副団長は、当然有希のことでしょうね。わたしでなく。
「つーことで、四の五の言ってないで一台寄越せ」
「どういうことだよ、駄目に決まってるじゃないか!」
まるで、不法な地上げ屋と正義感溢れる弁護士の討論のようだ。部長さんの正当な発言の後、「ほ~~ぉ……」と人の悪さと不気味さを飽和状態になるまで濃縮還元したかのような“ニヤリ”笑いを浮かべるところまでを、纏めて。「あぁ、そうかい」
「な、なんだよ……」
「いや、なに…、ただ、こちらにも考えがあると言うこと、っさ!」
「のわぁ!!?」
それだけいうと、キョンは部長さんの座っていたキャスター付きの椅子の背もたれを引っつかみ、わたしのほうへ滑らせるように投げた。……って、
「い、いやっ!!」
「ぶべらっ!!!!」
……思わず、蹴ってしまった。ミドルキックを、ちょうど部長さんの耳のした辺りからバッサリ刈り取るような、大振りに体重を乗せ、鋭く固めたフォームで。
わたしの全力蹴りを受けた部長さんは、その運動エネルギーにしたがって吹っ飛び、壁にぶちあたって、肉塊となってずるりと床へ落ちた。
「「「ぶ、部長!!」」」
部長さんだったモノに、部員達が駆け寄る。やはり人望があったのだな、と現実逃避に耽る反面、思わず助けを求めるようにキョンへと目をやってしまった。
「ふっ、やっぱりか。結構な容量を使ってるんだな、このパソコンは?」
キョンは、何もなかったかのように、パソコンのディスプレイに鋭い視線を貫かせていた。草食動物を前にした肉食獣のような鋭い眼光。場所とシチュエーションにまったく似合っていない。
「長門! さっきのとおりだ、手近なものから当たってみてくれ」
「了解した」
何やらよくわからないが、呆然としているわたしと唖然としているみくるちゃんを完全無視したキョンは、有希へと指示を出していた。そのやりとりに、なんとか自分を取り戻す。
「あ、あんたはなにやってのよ! こんな騒ぎになってんのに!」
きっかけはキョン君だけど、止めを刺したのは涼宮さんじゃあ、などというみくるちゃんの声は無視して、わたしはキョンが弄っているパソコンのディスプレイをのぞきこむ。そこには、黒いバックになにやら白くて愛想のないような文字がスクロールしていた。そう、映画とかででてくるハッキングの画面そのままを写したかのような。
な、なんなんですかぁ、これ、と声を上げているみくるちゃんを確認できることから、多分有希も同じことをしてるんだろう。
「なに、交渉の道具を、だな」
ピー、という電子音とともに、『Got it』という文字が表示されてスクロールが止まった。何かを、見つけたということだろうか。
そう考えたあたりで、アプリケーションが起動を始めた。やっぱりあったか、というキョンの声が遠い。
「……ああっ、それは!!?」
こちらに気づいたらしい部員の一人が、大きな声を上げた。
画面が立ち上がり始めた今なら……、わたしにもそれがなんなのか、わかる。
「いたたた……どうしたんだいったい、って……。なっ、なぜそれが!!!?」
生きていたらしい部長さんが後頭部を擦りながら、青褪めた。キョンの言っていたことが、理解できた。
「私もみつけた」
「サンキュ、長門。悪いが他のも頼む」
「了解した」
キョンと有希のやりとりも、部長さんをはじめとした部員たちには聞こえていないようだ。まあ、確かにこれは懸念すべき事態だろうから、仕方がない。
「なあ部長さんよ。今時、地方公務員の公金横領や政治家の税金の贅金化、事業者の脱税なんてのが露見しまくって、大波乱ともなり得る時代だ。そこで、こういう記事はどうだろうな? 『衝撃!! 高校生による横領!!? 部費の使い道は年齢制限ゲームや不法ムービー!!!』 ニュースなんかでキャスターが、『ついに高校生が横領をするような時代になったんですね』なんかと言うんだ。中々風刺的じゃないか。しかもその使い道が若々しいリビドーの発散だ。世間がどんな反応と対応を見せるか、手に取るようにわかるな?」
実際、ばれても公立学校なのだから精々停学とか部活動停止とかだろうし、記事にもニュースにもならないだろうけど、それだけの判断力はもう彼らには残っていない。
……というか、これ事態が『恐喝』という犯罪だろうと思う。表示されたいくつかのウィンドウに映る艶やかな女や、非倫理的なアニメ画像を目の端に写して、溜息をつく。
「犯罪者はこっちじゃない」
「さて、一応ここにすべてのログを記録させたディスクがあるわけだが?」
「私の知り合いに、生徒会に属する非常に非情な人物がいる。下手な行動は推奨しない」
「……だ、そうだ。さて、どうしたもんかな」
というのを、正に殺し文句に部長さんの了承を強制し、さらに文芸部室からのネット接続が不可能とわかるや否や、二つの部屋の間にLANケーブルを引かせ、学校のドメインからネット接続できるように設定までもをさせた暴君キョンは、どこからか持ってきていたジンジャーエールを満足そうに飲んでいる。盗人猛々しいとはこのことね。
そして、次に待っていたのが、我々SOS団のウェブサイトの立ち上げ、らしい。
「んで、誰が作んのよ、そのサイトなんてのを」
「おまえ、だな」人を指差すな、と教えて上げたい。「どうせ暇だろう? おまえがやるんだ。おれは他の部員を探さねばならんし、一両日中に頼むぞ。まずサイトができん限りには、活動のしようが無いからな」
そんなパワハラを溜息一つで了承した(抵抗を諦めた)わたしは、
「サイト作り、ねえ……」
始めてみたら結構面白かったので、途中は楽しみながら作ってしまった。あらかたのアプリケーションはコンピ研がインストールしてくれていたし、簡単だったというのもある。昼休みの暇潰しにはもってこいだった。近頃は阪中も朝倉もそれぞれ別のベクトルにおかしくなってたから、少しでもいいから距離を置いておきたくなることも中々あったし、そう言う意味では有難かったかもしれない。感謝はしたくないけど。
「だけど、どんなこと書けばいいのよ。有希、わかる?」
ただただ静かに、わたしのそばで助けるでも邪魔するでもなくただ本を読んでいた、小柄な少女に尋ねてみるけど、予想どうりに、ゆっくりと首を横に振るだけだった。そりゃそうよね、わたしをはじめとした三人は、そしてもしかしたら我らが団長殿ですら、このSOS団が何をする団なのか、まだ知らないわけだし。
「ん~……じゃあ有希、何か書きたいこと、ない?」
「……なにも」
細く澄んで平坦な話し方をする有希の場合、鈴を鳴らすような声、というよりも、バイオリンのE線を開放弦でビブラートも利かせずに弾いたような声、という表現がしっくりとくる気がする。A線かな? まあいいんだけど。
「………」
「………」
あとこれもどうでも、よくはないけど、この子は本当に授業に出てるのかしら? わたしが部室に入った時、必ずいるような気がするんだけど。
「………」
「………」
あいつがいないと、この部室ものどかだなあ。そんなお婆さんのようなことを考えながら、頭の中が平和成分でいっぱいになって、思考能力が低下したわたしは、
「…………………」
「………」
いつのまにか、寝てしまったらしく、
「……いけない、授業ね」
始業の予鈴で目が覚めた。慌てて作りかけのそれを保存して、スリープさせると、急いで席を立とうとする。
「…ん?」
「………」
本当は心臓が止まりそうだったけれど、何とかそれを殺す。
席を立った瞬間に、その真後ろに有希が立っていたことに気づいたのだ。逆に言えばそれまで気付かなかったってことであり、気配が読みにくいことに頭の片隅で納得しながらも、やはり動揺する。
「……これ…」
「へ?」
「貸すから」
この子から行動を起こしたのは、いつぞやの自己紹介のとき以来ではないかと、頭の片隅で考える。なんだか、この頭の片隅の方がわたし自身より偉いような気がしてきた。
混乱して曖昧な返事しか返せないながらも、おもむろに差し出されたその本を、なんとか受け取る。
「………」
受け取ると、もう用は無いとでも言うように、すたすたと歩き、出て行ってしまった。
「………えーと……」
混乱がひどくなったわたしは、なんだかすべてに置いていかれた気がしたけれど、ただその時は、教室に急ぐことにした。
そんな感じに色々と疑念は尽きないのだけれど、こうして足しげく部室に通ってしまうのは何故だろう。何故だろう。
これが習性というものなのだろうか。はたまた……。
「こんちは~」
ドアを開くと、みくるちゃんと、やはり有希がいた。会話があった形跡は空気的に無く、みくるちゃんの瞳に一瞬安堵が浮かんだのを見逃さなかった。
ところで、この二人はよほど暇なのかしら?
「キョンくんは?」
「さあ? 六時間目にはもういなかったけどね。またどっかで、機材を強奪したりってあくどいことやらかしてんじゃない?」
「あぅ、乱暴はよくないです……」
……そりゃ、蹴ったのはわたしだけど、さ。そんな怯えた目でわたしを見てもらっては困るし、心外ね。
「だ、大丈夫よ。今度はわたしが、なんとか事前に阻止するわ」
わたしへの被害を抑えるためにも、ね。
みくるちゃんの曖昧な笑顔を吹き飛ばさんとするかのようにその瞬間、部室のドアが叩き開かれた。……マジで壊れんじゃない?
「おーっす、諸君」
勢い良く入ってきた割には丁寧にドアをしめ、ついでとばかりに後でに鍵を閉めた。思わずみくるちゃんと、呻く。「う゛っ」
「さぁって、まずはこいつだ」
ぽいぽいぽーい、とそんなエフェクトがつきそうなほど素早く、かつ適当な感じに、キョンはプリントのようなものを配ってきた。
「SOS団結団に伴う、所信表明?」
「んでもってこれだ。じゃーん、っとな」
紙袋から取り出されたのは、白っぽい服のようなもの。というより……
「……巫女服?」
「正解だ、よくわかったな。映研から、がめってきた」
「あんたはどこの人間よ。予想してたとはいえ物騒なことをするわね。そしてなんのためにそんな物をがめってくんのよ!?」
「がめるという地方の動詞をよく知ってるな。まあそれはいい。どうせこれを着るのはお前じゃない」
余計に安心できない。キョンの鋭い視線が貫いた先には、
「……ひぅっ!!?」
「大丈夫ですよ、朝比奈さん。露出なんてほとんどありませんし、そう考えれば制服よりも全然安全なんですよ。さ、着て頂きますよ」
こいつの優しげな微笑の奥には、とんでもなく傲慢な意思があることが改めてよくわかった。
「待ちなさいあんた! あんたねぇ、わたしがみくるちゃんに言うならともかくあんたが言ったらセクハラでしょうが! むしろ(禁則事項)よ(禁則事項)!!」
我ながらとんでもないことを言ってる気がする。
「失礼なことを言うな。なんで俺が好んで女性をレ「それ以上言ったら、マヂで殺すわよ」」我ながらとんでもない殺気を放ってる気がする。「冗談だろうが」と肩をすくめるキョンが、本気で殺したくなった。
「では、朝比奈さん、いいですよね?」
「だぁーめにきまってんでしょうがぁ!!」
無意識的に手がキョンの胸倉に伸びたけど、軽くかわされた。不意に、キョンの顔に真剣実が帯びる。
「あのな、涼宮。俺は朝比奈さんに訊いてるんだ。俺だって相手が本気で嫌がってるのに無理強いしたりはしない」
「昨日、思いっきりコンピ研に無理強いしてたやつが何言ってんのよ」
「ありゃ例外だ」
「しつけで何が一番ダメか知ってる? 例外よ。だから、ここぞというときに例外を持ち込む人間は信用するなってお祖母ちゃんが言ってたわ」
「涼宮」
……あいつの真剣な瞳がまっすぐにわたしを見つめていた。認めずらいけど、確かにそこに嘘はない気がした。だからといって軽々しく認めていいのだろうか。
数瞬悩んだけれど、信じてみることにした。……あくまで、信じるのは自分の勘だけど。とりあえず、身体をどける。
「朝比奈さん、改めてお聞きしますが、来てくださいますか?」
「…あ、あのぉ、そのぉ……」
目線を合わせられてまっすぐに訊かれたみくるちゃんは、おろおろとキョンと、わたしとを順に窺う。
「あのぉ、一ついいですか?」
「何でしょう?」
「それを着て、どこで、なにをするんでしょうか?」
「巫女服を着て、校門で部員募集活動をします」
「校門で、部員募集…………ふええっ!!?」
ちなみに現在放課直後。帰宅部員や定日活動型部活動部員などが一斉に下校する時間体であり、必然的に人が最も多い時間体で、事実外では部活ではない声がよく聞こえる。
「だ、だめですよぅ、恥ずかしいです……!」それはそうよね。
「ダメですか……」
珍しく見るからに落ち込んだ様子のキョン。当然じゃない。妄想力は確かでも想像力は足りないみたいね。さっさとこの下らないものを回収してしまおうとわたしが紙袋を手に取ったとき、不意にキョンが顔を上げた。……嫌な予感がする。
「では、長門」
「なに」
「いいか?」
「いい」
「なっ……あんた!!」
思わず、手に取った紙袋を投げつけてしまう。やはり余裕と言った様子でかわして、それを取ったキョンが、迷惑そうに顔をしかめた。「危ないじゃないか」
「危ないも何もあるか! あんたねえ、それは反則でしょうが!? 有希が素直で純粋で大人しくて反抗の色も見せなさそうだからって、そんな変態チックなことに誘うのは人間以下、カスのすることよ!」
「カスってのは、人間以下なのか。人間だってカス同然だろうよ」
「そんな自然哲学的なことを言ってんじゃなくて、人間道を説いてやってんのよ! 少しは頭使いなさいよ、脳みそ腐るわよ」
「生きてる限りそうそう腐らんし、死んでも日本じゃ火葬だからな。えぐい事件で殺されん限り、それはない」
「殺シテアゲマショウカ?」
「刑法第199条、人を殺したものは、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。……処する?」
「……あのね有希、さすがに本気で殺さないし、第一わたしはあなたを守ってるの。こんな鬼畜の餌食にさせないためにね」
「彼は」
ここにきて、はじめて有希が顔を上げた。無表情だけど、どこか不思議そうな口調。
「彼は、私に選択権を与えた。そして私は、それを承諾した。問題はない」
「はあ、あのねえ……」
「問題はない」
「そ、そうはいってもね……」
「問題はない」
「……………」
「問題は、ない」
「…………………………」
行っちゃった。
あの後、キョンは有希の頭をひとしきり撫でた後に嬉々として出て行ったし、有希は有希で淡々と脱いで淡々と着替えてたし、着替え終わったら終わったでそそくさと出て行っちゃった。
そして私が見る窓からの俯瞰風景では、校門近くで小柄で銀色短髪の神秘的な少女が消極的な感じで、でも忠実にビラを配って男共や可愛い物好きの女子たちの目を引いてたし、キョンはキョンでどこかで着替えたらしい和服姿でビラを配って、これはこれで女子共の目を引いていた。有希に和服が似合いそうなのは素材がかなり良いわけだし、簡単に想像がついたけど、キョンにも似合うのは意外だった。
まあ結局十数分とせずに、大騒ぎとなった校門を偵察に来た教師に見つかって、捕まって、
「まったく持って忌々しい。なんなんだ、あの馬鹿地方公務員共。税金泥棒のくせして、おれ達に説教とはよほど暇らしい。やはり税金泥棒だな」
今目の前で愚痴を吐いてるわけだけど。
「何か問題でもあったの? 全然予想がつくけど」
「問題外だな。ビラこそは配り終えたが、演説がまだだったと言うに、教師共が止めろというんだ。税金泥棒が何様のつもりなんだ?」
巫女さんと和服の男が二人して校門に立ってビラ配って演説してたんじゃ、教師じゃなくても飛んでくるわよ。
「でも、それにしては早かったわね。15分もかからず返ってきたじゃない」
「その辺はおれの作戦と長門と科学の勝利だ。長門に巫女服はサイズとかも含めてほぼ完璧に似合ってたしな、可愛かったろ?」
それは認める。……ところで、有希の耳が少し赤いのは、多分寒かったのね。
「そのおかげでな、教師共の頬も緩んでた。で、だな。ビデオって、科学の勝利だと思うだろ?」
やっぱり恐喝か!
「いやいや、長門に頼んだんだよ。ほら長門、もう一回やって見せてくれ」
有希は巫女服のままに、キョンの方を一瞥して、本を開いたまま膝に置き、ゆっくりと、祈るように両手を組んで胸元へやる。さらにあごを少し引き、上目遣いで、すこし身体全体を前へ傾けた。
……ま、まさか……、
「………おねがい……もう、ゆるして…………」
「と、やらせてみたらどうだ、あとでビデオ見せてやるが、中々情けない反応をしてくれてな。こう、ころっと簡単に、開放だ。まあそれが長門だけに留まりそうだったのは目に見えてたからな、一部始終をうまく携帯でムービー撮って、見せて、言ったんだ。『こういうのっていいんですかね?』ってな」
完ッ璧な上目遣い、わたしでも、正直、変な属性が目覚めそうだった。となりにいたみくるちゃんは、なんか表情的にもう軽くアウトな気もする。
で、結局恐喝か!
「いやはや、これはもう長門の勝利だな。グッジョブ、長門!」
「……エクセレント」
キャラに似合わぬ、その親指をつき立てたポーズは、やっぱり可愛かった。
次の日、キョンというその奇妙なあだ名を持つあいつは有名どころか、全校生徒の常識にまでなっていた。
「ねえ、涼宮さん。あなたいよいよ、キョンくんと愉快な仲間たちの一員になっちゃってるわよ?」
「るっさいわねえ」
さらに問題なのはオプションとして、わたしや有希の名前まで囁かれ始めたと言うことだ。朝倉の台詞が、余計に苛立たせる。
「ほんと、昨日はビックリしたのね。キョン君が和服着てるんだもん。恰好よかったのね……」
阪中、それ違うから。
「あ、もう一人は長門さんだったわよね? 私長門さんとはご近所で友達なんだけどさ、だからあの巫女服にはもう身もだえしちゃって」
朝倉に特殊属性判明? 今度はあんたか、と問い詰めたくなる。
「今や全校生徒の注目の的、ってとこ? わたしたち」
「このSOS団って何なんだい?」
少し困ったような苦笑を浮かべた国木田が、昨日の忌々しきビラをひらひらとさせながら、近付いてきた。
「そんなこと、キョンのやつに訊きなさいよ。わたしが知ったことじゃないわ。知りたくもないし」
「面白いことしてみたいだね、君たちは。でも、あれはちょっとやりすぎだと思うよ?」
わたしに言われても、と悪態をつきたくなる。わたしも被害者よ、と。
そしてわたしは、その日の夜。
キョンでなく、わたし自身が、
不思議に出会うことになる。
この銀河を統括する、情報統合思念体に作られた
対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェース
それが
私
「……は?」