さて。

「…鬼が出るか、蛇が出るか」

俺は階段を上りきった踊り場、屋上への扉の前で立ち止まっていた。

一度目は未知との遭遇。
二度目は生命の危機。
三度目はホクロの刺激。
四度目は何だ? 三大魔法学校対抗試合にでも出場すればいいのか?

呼び出しの手紙、その送り主は誰だ。
長門でも朝倉でも無いし、朝比奈さんの字はもっと丸い。

…まさかハルヒか?
普段のハルヒならこんな回りくどい事はしないだろうが、今のハルヒは何を考えてるかイマイチ分からないからな。
こんな事をしないとも限らない。


…って。考えててもラチが開かないか。
…果てさて、ラチの鍵はどこにあるのやら。

俺は扉に手をかける。
そうして妙に重たいその扉を開けた。





ビュオオオオオオオオオッ…!


…風。

扉を開けてまず感じたのはそれ。
やたらと強い風が勢いよく踊り場に流れ込み、俺は目を開けていられなかった。

「くっ…!」

…今日はこんな強風だったのか。
俺は腕で目をかばい、風に逆らいながら何歩か進む。

踊り場から出ると風は少し落ち着いた。
腕を下ろした先には、夕暮れに染まった屋上が広がっている。
そうして、そのフェンスに体を預けていた人物は。


「………古泉」

そこにいたのは古泉一樹。
…意外だった。

「…お久しぶり、です」

強風が古泉の髪を逆巻かせる。
その色素の薄い髪は夕暮れの日差しの中で金色に見えた。
…なにやらやたら絵になるな。
何かのポスターみてぇだ。

俺も古泉と同じようにフェンスにもたれかかる。
フェンスが俺の重みでギシッと揺れた。

「お前、だったのか」

「…意外そう、ですね。手紙の差出人が僕だとは思いませんでしたか?」

「そりゃそうだろ。つか、お前、何日振りの学校だよ」

古泉の姿を最後に見たのは先週だったハズだ。

「約10日ぶり…になりますか」

「今日は朝から来てたのか?」

「…いえ、実は一時間ほど前に来たばかりです」

こんな所に呼び出された訳が分かった。
授業に出ていないのに学校に来ている所を教師に見付かったら、何かとうるさいからだろう。

すぐ横の古泉を見れば、少し痩せたようだった。
そうして。何か現実感というか、存在感というか、そういうものが希薄に感じられた。
久しぶりに会ったからか? ここが空に近いせいか?

…いや、違うな。
古泉のその表情のせいだ。
いつもの爽やか微笑ではなく、さっきから妙に無表情だった。…ここ最近のハルヒのように。

「そうか。…忙しいんだな」

「えぇ、そりゃもう。貧乏暇無しって奴でして」

…お前のバイトに貧乏かどうかは関係無いと思うが。

「…それで? 部室にも顔を見せず、俺をここに呼び出した理由は?」

……なにやら古泉の様子が少しおかしい。
…何かあるからだろう。
古泉がフェンスから体を起こし、振り返った。



「………いい景色、ですね」

古泉は俺の質問に答えない。
その視線は眼下の坂の向こうの街に注がれていた。

「…この学校は無駄に高い所にあるからな。おかげで毎日アスレチックだ」

「いいじゃないですか。健康的で」

健康のためにってよりは、強制労働な気分だが。

「…あなたは。この街が好きですか?」

…古泉は何が言いたいんだ?
俺も肩越しに後ろの方を見やる。
フェンスの向こうには、田舎でも無く都会でも無い、中途半端な俺達の街が広がっていた。

「…別に嫌いって訳じゃないがな」

「…そうですか。…僕はこの街が好きです」

淡々と話す古泉。
…最近は長門の真似が流行ってるんだろうか。



「……けれど、この街は軋んで見える」

…何だって?

「この街だけじゃない。世界が、悲鳴を上げている」

「…何を言ってるんだ、古泉」

古泉の話は全く要領を得ない。

「……あなたの耳にはこの悲鳴は届かないのでしょうね…」

…古泉が呆れたように呟き、空を見上げる。
太陽が沈み、辺りが暗闇に塗り潰される前の、鈍色の紅。
その紅が俺達を染め上げていた。

「…おや。こんな時間だと言うのに、もう月が見える…。今日は三日月ですか」

古泉の視線の先には、細い月が浮かんでいた。

「…これはいい。まるで軋む世界に振り下ろされる死神の鎌のようだ」

…様子がおかしいと思ったのは気のせいじゃないらしい。

…古泉が月を見上げて薄く哂った。
その笑みはいつもの爽やかな微笑では無く、ひどく酷薄な、人を蔑んだ笑み。
…こんな古泉は初めて見る。

「月は常にそこにあるのに、我々にはそれが感知出来ない。…本当に大切な物は目には見えないのかも知れませんね」



「…さっきから一体何を言ってるんだ。お前の話は相変わらず回りくどい。もっとはっきり話せ」

「…いいでしょう。簡潔に申し上げます」

古泉が俺を正面から見据える。
…その視線が妙に鋭い。
そして、古泉はキッパリと言い放った。


「……あなたは、臆病者だ」


………。

「…何だと?」

「…鈍感なだけで無く耳まで悪いとは、お可哀想に。
…ならばもう一度言いましょう。あなたは臆病者だと言ったんです」

古泉の言葉にヤケにトゲを感じる。
…違う。トゲなんてモンじゃない。それはハッキリとした悪意。

「…俺のどこが臆病者だって言うんだ」

「…逃げているじゃありませんか。世界から、そして涼宮さんから」

古泉が俺を睨む。その視線は冷たい。見る者を凍てつかせるような摂氏0度の視線。

「…意味が分からん」

「そうですか。これでもまだ分からないとおっしゃるつもりですか。…いいでしょう、言い方を変えます」

その口調はまるで俺を責めるそれだ。
…たぶん、そのつもりなのだろう。

「世界と、涼宮さん。どちらかを選べと言われたら、あなたは何と答えますか?」

…古泉が病院でのハルヒのような事を言い出した。
ただ、そのスケールのデカさはケタ違いだ。

「…何言ってるんだお前」

「答えて下さい」

「…そりゃ世界だろ」

「そう。それが正しい。涼宮さんと世界を計りにかけた時、全世界の人間が世界に重きを置くでしょう」

当たり前だ。

「けれど。あなたは。涼宮さんと答えなければならない」

「…何でだよ」

「あなたが涼宮さんに選ばれた鍵だからですよ。そうして、世界と涼宮さんの重要性は等価値に他ならない」

…またハルヒが神だとかって話か。

「…ですが、あなたは涼宮さんからも、世界からも逃げ出している」

「…俺のどこが逃げてるってんだ!」

俺の口調も自然と強くなる。
その俺の言葉に古泉が肩を竦めた。
…馬鹿にするように。

「…恐らくあなたはずっと以前から、涼宮さんの気持ちに気付いていた筈だ。
それを延々と誤魔化し、気付かない振りをして来た。そう、自らの気持ちにすらも」

…古泉の言葉がヤケに耳に障る。

「今まではそんな、ぬるま湯のような関係でも良かった。けれど、賽は既に投げられた後です。
それなのに。事は動き出しているというのに。その出た目からもあなたは目を逸らし続けている」

………。

「それを臆病者と言わずして、何と言いましょうか。…卑怯者、の方がよろしかったですか?」

…ダメだ。
段々と、体が熱を持っていくのが分かる。

「…古泉。いくらお前でも怒るぞ」

「…苛立ちますか。…けれどそれは事実だからでしょう」

古泉は止めない。

「今までの距離感が心地よかったから。それを認めてしまえば今までのような関係には戻れなくなるから」

遠慮の無い言葉が、俺の心を泡立たせる。
…なんで俺はこんなに苛立ってる。
…つか、なんなんだよ、これは。
何で俺達はこんな風に言い合ってんだ。

「環が壊れるのが恐かったんですか? けれどそれは優しさでは無い。ただの傲慢だ」

「勝手に決め付けるなッ!」

気付けば叫んでいた。
胸のモヤモヤを吐き出すように。

「…決め付けではありません。あなたの様子を見ていれば分かりますよ。それこそ小さな子供でも」

「…古泉ッ!!」

俺は思わず古泉の胸倉を掴んでいた。

「図星を指されて激昂とは。子供なのはあなたの方でしたか?」

けれど古泉は涼しい顔で。
その視線は酷く冷たく、俺を哀れんでいるようだった。
…誰だよ、コイツは。
…なんでそんな目で俺を見る。



「…あぁ。それとも」

古泉が俺に掴まれたまま何かに気付いたように話し出す。

「実は朝比奈みくるや長門有希の方が好みだったからですか?」

…何を言い出してんだコイツは。

「そうですか。それは済みません。あなたも…ずいぶん変わった人種が好みなんですね」

何を勝手に納得してやがる。

「ですが…それだと困った事になりますね。
あなたが涼宮ハルヒを受け入れないとすると…、…やはり彼女は機関の方で捕縛、監禁した方が世界の為でしょうか」

…古泉は冷徹に。まるで今日の昼飯を決めるような気軽さで言う。

「…それともいっそ彼女の精神を破壊してしまった方が確実ですかね。
危険は伴いますが…、機関にはその手の事に長けた人材もおりますし」





「…やめろ」

「…何故です? 彼女が居なくなれば世界は平和になる」

違う。

「いいじゃないですか。その後でいくらでも朝比奈みくるや長門有希と仲良くすればいい」

違う。

「誰もあなたを責めたりはしない」

そんなのは関係無い。

「そうですね…今夜辺りにでも、拉致する事に致しましょうか」

「…ハルヒに、手を出すな」

「……涼宮ハルヒがどうなろうと、あなたには関係ないのでは?」

違う。

「…関係無い訳ねぇだろ」

「……あなたにとっての涼宮さんは、どのような存在なのですか?」

…ハルヒ。
…俺にとってのハルヒは。

「ハルヒは…俺の…!」





………ってちょっと待て。
俺は今、何て言おうとした?
…えーと、だな。

「…ハルヒは、俺の。なんです?」

…古泉は。俺に掴まれながら笑ってやがった。
いつもの穏やかな微笑で。
……その顔を見た時、瞬時に理解した。

…コノヤロウ。わざと俺を怒らせやがった。

「………おのれ、謀ったな古泉」

「ふふっ、あなたの父上が悪いのですよ」

古泉は悪びれず微笑む。
その視線も見慣れた柔和なもので。
なんて野郎だ。…とんでもねぇ。とんでもねぇよ。

ぐったりと古泉の胸倉から手を離す。
…それにしても、まんまと煽られた。熱くなってた俺が馬鹿みてぇじゃねぇか。
…いくらなんでも演技派すぎる。

「…お前、俺の親父と面識ないだろ」

「それはそうですがね」

ニヤニヤと笑う古泉は、呆れるぐらい、いつもの古泉だった。



「…趣味が悪いぞ、古泉」

「済みません。僕もあまりこんな事はしたくなかったんですが。どうにも切羽詰まって来たもので」

嘘つけ。
ノリノリだったクセに。
…つか、ちょっと本心混じってたんじゃねぇのか?
いや、かなり混じってような気がするんだが。
…あんまり深く考えない方がいいな。

「…そんなに、マズい事になってるのか?」

「えぇ…毎日発現する閉鎖空間に我々も必死で対応していますが…、機関の人間も疲弊しきっています」

…毎日、ね。毎日あんな巨人の相手してたら疲れるわな。

「ですが、それは構いません。何故ならそれが我々の使命だからです。
涼宮さんに託された力、それを我々は誇りに思っている。それを奮う事に何の躊躇いも無い」

そりゃまたずいぶん自己犠牲に根ざした秘密結社だ。

「…けれど、空間の中に居ると感覚出来るんですよ。
…涼宮さんの不安や恐れが。彼女は今、初めて感じるそれらに押し潰されそうになっている」

古泉が俺を見る。
その見慣れた視線は、深い優しさをたたえていた。


「…我々にはこの世界を守る事しか出来ません。…涼宮さんを守るのは、あなたの役目です。」


…やれやれ。
…相変わらずキザったらしいな。
その方法も手段も相変わらず、ずいぶんと回りくどい。

…だが。おかげでようやく気付けた。
…情け無い話だな。本当に。

「…あぁ。嫌ってほど分かったさ。…どっかの演劇部のおかげでな」

俺の皮肉に古泉は浅く笑う。

「役者にでもなった方がいいんじゃないのか?」

「ははっ、興味が無い訳ではありませんがね」

オスカーだって狙えるぜ。
知らんが。








ピリリリリッ


そうこうしている内に古泉の携帯が鳴り出した。

「…呼び出しか?」

「えぇ…残念ながら、そのようです。学生気分に浸れるのはまだまだ先のようですね」

古泉が携帯を確認しながら言う。

「……期待させてもらって、構いませんか?」

古泉は携帯をしまうと、俺に向き直ってからそう言った。

…その言葉の意味は理解出来た。
…正直に言えば自信は無い。
…けれど。

「…なんとかしてみるさ。つか、なんとかするしかねぇんだろ?」

「ご理解頂けて何よりです。それに…個人的な話で恐縮なのですが、これ以上欠席が続くと留年してしまいそうなんですよ」

そう自嘲気味に笑う古泉。
…そりゃオオゴトだ。

「…実は今度、アイツと遊ぶ約束をしててな。まぁ…その時にでも、話してみるさ」

古泉を後輩にする訳にもいかんしな。

「…良い結果を期待していますよ。機関の一員としても、世界の一員としても。…あなた方の友人としても、ね」

…やっぱりキザだなコイツは。
…俺はいい友人を持ったんだろう。



古泉が足早に屋上を立ち去った後、俺は一人、佇んでいた。
ふと視線を下ろせば中庭が見える。

…夕暮れと夕闇の境目の中で、そこに立つは、一本の木。
否が応にもアイツの事が思い出される。


…なぁ、お前は今、何を考えているんだ?

…ハルヒ。お前に会いたい。


























▲ 11月16日 晴れ、強風 ▲


今日、キョンに遊びに誘われた。
嬉しかった。
キョンはあたしの事を気に掛けてくれる。
それは嬉しい。

でも。

たぶん、キョンはあたしじゃなくてもそう言った。
みくるちゃんでも、有希でも。
あたしが普段と違うから。
それはただの心配。
ベツに卑下してるワケでも悲劇のヒロインぶってるワケでもない。
そんなのやってられないわ。
それはただの事実。


キョンが優しくしてくれる度に、あたしはキョンのトクベツで無い事を気付かされる。
薄っぺらい優しさが、人を傷付ける事もあるとキョンは知らない。
そんなのあたしだって知らなかった。

胸が痛いなんてよくある表現だけど、本当に痛むとは思ってなかった。
疼くようにズキズキと。抉るようにグリグリと。あたしの胸を突き刺す。
キョンからもらったペンダント。
そこから根を下ろすように痛みが広がる。


…さっき届いたキョンからのメールには、他のみんなは今度の休みは忙しいって書いてあった。
二人で遊ぼうと。
だから、たぶん、今度の休み。
あたしは笑う。
楽しくも無いのに。


…気に入らない。
最ッ高に最低だわ。


今まで自分の好きにやってきたつもりだけど、人の気持ちがこんなにも思い通りにいかないなんて思わなかった。
自分の気持ちさえも。
人に好かれる事がこんなに難しい事だとは知らなかった。


…どうせなら、誤魔化したままでいればよかった。
キョンへの気持ちに気付かなければ、こんな気持ちになる事も無かった。
そうでなければ、あの時、キスしてしまえば良かった。
誕生日の帰り道。
…そうすれば今とはきっと違っていたハズ。
…出来る事ならやりなおしたい。



…キョン。

…あんたが、見えない。


  • 後編6

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最終更新:2020年03月12日 11:02