波乱に満ちた高校生活を送っている人は数少なくないと思われるのだが、それでも一年生の春を3回も経験した人は留年あるいは再度高校に入学し直した人を除いては滅多にいないだろう。
 しかも同じ高校の入学式を3回を経験したとなると、それこそ作り話ですら疑わしい。
 だが。
 厳密に同じ世界とは言えないとは言え、それをやってのけた人物がいた。
 実と言うとそれは俺だ。
 どうしてタイムローテーションのような真似事をする羽目になってしまったかと言うと、非常に複雑且つ怪奇な理由と成り行きがあったりするのだが、そこんところの部分は思いっきり省略して簡単に説明しよう。
 時空の狭間に迷い込んだ橘京子を救出するためだ。

 時は四月の末。
 3回目の入学式やホームルームを無事に終了させた俺達はその後特に目立った行動をするでもなく連々と時を重ね、一ヶ月近くが過ぎようとしていた。今週学校に通った後は、長期連休を挟んで五月へと入ることになる。
 橘京子が失踪してから俺の体内時計換算で約二ヶ月が経過していることになるのだが、物理量たる時間そのものは半分も過ぎ去っていない。言い換えれば普通の人の二倍以上の早さで年をとっていることになる。
 このまま橘京子が見つからず、徒に時間のリセットを繰り返し幾度となく入学式を繰り返せば、そのうちおじいちゃんになってしまうかもしれない。しかもその姿で高校生の入学式を迎えることに……。
 大げさに言い過ぎたが、それだけは御免被りたいね。何としてでも早く橘京子の消息を掴んでささっと現実世界に帰りたいものだ。
 そう言いながらも未だ彼女がこの世界に召還されたという証拠、いや痕跡すらも見つかっていないが、でも決して漫然と時間を過ごしているわけじゃない。これで色々と考えているのだ。
 その一つとして、俺達が住む世界と照らし合わせればある一定の法則が成り立つことが判明している。
 それは、俺達の世界の各種スペシャルなステイタスを持つ御仁たちが各々入れ替わってしまっていること。
 俺達の世界では(確か)対立しあう宇宙人、未来人、超能力者、そして創造神。それら全てが立場をそっくりそのままエクスチェンジしている。
 つまり、俺達の世界で言うところの『高校一年生時の5月中旬に転校してきた、超能力者の古泉一樹』は、この世界では『古泉一樹』の部分を『橘京子』と言い換えるのと同義である。確証は無いが、多分間違いない。
 そして、俺達の世界の既定事項をなぞって出現する。これもほぼ確実だろう。
 その証拠として、俺達がこの世界に辿り着いた当初、とある既定事項(佐々木が言うにはフラグ)を達成しなかったことから、彼女はついにその姿を見せることは無かった。
 だから今回はちゃんとそのフラグを成立させるために粉骨砕身不退転、心を鬼にして既定事項を遵守した。
 藤原から見ればピエロだとかパペットだとか揶揄されるのだろうが、そんなものはクソくらえだ。
 俺達が元の世界に戻るためには仕方の無いことだ。
 しかし、俺の行動を気に食わなかった奴がいた。それは藤原ではなく……

「…………」
「なあ、佐々木、もしかしてまだ怒っているのか?」
「…………」
「怒ってる、よな?」
「…………」
「確かにあんな言動、恥ずかしくてできることじゃないと思うが……」
「…………」
「でもな、これが元の世界に戻るために重要な……」
「うるさい。黙れ」
 ……はい。

 それは、既定事項に対する佐々木の反俗的行動だった。
 佐々木はあの入学式の自己紹介以降、始終機嫌が悪かった。
 原因はわかっている。佐々木が宇宙人未来人異世界人超能力者を所望していることを、高校生活初めてのホームルームでカミングアウトすること。
 これによって初めて宇宙人未来人異世界人超能力者達がこぞって一高校に集合するわけで、各勢力を題材としたインテリジェントかつスペクタルな物語が幕を開ける……のだが、しかしそれが大層気に食わなかったらしい。
 そりゃ、ま、あんな恥ずかしい自己紹介をやってくれと言われてご機嫌でいられるかといえば全力をもって否定したいところだ。
 俺達の世界ではハルヒがその役を買って出た(というより、本人は本気で会いたがっていた)のだが、あいにくこの世界にはハルヒはいない。だから、対応する人間である佐々木を以てその重要な役どころを演出してもらおうと考えたんだ。
 確かに迷ったさ。まともな言動ができないハルヒの代役を、それよりかは幾分まともな佐々木に任せるのは、俺だってどうかと思ったし、本人だって嫌だったに違いない。
 しかし、やらないといけないのだ。そこのところを分かってくれたまえ。俺だって好きで言ったんじゃないぞ。
「それはわかっているよ、でもね、その代償が余りにも大きすぎやしないかね」
 ブスッとしたまま、顔を背ける佐々木。
 ……言いたい事は分かる。
 あの自己紹介をきっかけに、やはりというか予想通りというか、佐々木はこのクラスでは変人扱いされることとなったのだ。
 これは前回初めてこの世界に来た時とは異なる点だ。
 俺達が初めてこの世界にやってきて一年五組のクラスメイトとなった時、佐々木は男女問わず人気があったし、谷口からはクラス一押しにされていた。
 しかしそれが今回、クラスの皆からは一歩距離を置いた場所から舐めまわすように観察されているし、谷口もそれを感じ取ってランキングの圏外に佐々木を追いやっていた。
 道理である。ハルヒだって一年の初めの頃は今(元の世界の今な)とは違った意味で変人だったわけだし、誰とも折があわないというか、あわせないというか……一人浮き足立った存在だった。
 ちょうど今この世界の佐々木と同じような立場だ。
 そう言う意味では、2つの世界のバランスが取れて申し分ない状況になっている。
 しかし、そう思われることを良しとしていないのだ、佐々木は。
 ……普通に考えて、変人扱いされることを望む奴はいないだろうし、これも当然と言えば当然なのだが。
 だが俺達はどうせこの世界から直ぐにいなくなるだろうし、いくらこの世界で嫌われようが変人扱いされようが関係ないぜ、と説得しているのだが……
「デ○アナのバッグだけじゃ到底割りに合わない。それなりのギャランティーを支払ってもらわないと、今後キョンには協力できないね」
 こう一方的にあしらわれているのである。
 気持ちは大いにわかるのだが、俺だって先立つものがないわけで。
「別に金銭や物品を要求しているわけじゃない。対価が欲しいといっているだけだよ」
 なんだ、その対価ってのは?
「そうだね……体育の着替えの際、隣の教室で着替えるのではなく、女子がいるこの教室で着替え始めるというのはどうだい?」
 やめてくれ。下手すりゃ犯罪だ。
「だけど僕だってそれ相応の辱めを受けたんだ。それくらいやってもらわないとこっちの気が晴れない」
 俺は決してお前を陵辱しようなんて思ってないさ。
「確かにキョンは微塵もそんな考えを持っているとは思えないし、そんな度胸もないだろう。でもね、男子がいる中でやおら服を脱ぎだすと言うのはこれ以上ない辱めだよ」
 ……ああ、そっちで怒っているのか。


 実は既定事項を遵守させるための一環として、ハルヒが四月中に起こした珍行動をそっくりそのまま実行するよう佐々木に打診したんだ。あの自己紹介で重要なフラグは立ったと思うのだが、念のためと思ってな。
 ただ、それを思いついたのが実は昨日である。ハルヒが行った珍行動は何個かあるが、五月まで残り少ない。
 そのため主だった行動は時既に遅し、実行不可能になっていたのだから仕方あるまい。
 一つ一つ見ていこう。
『全クラブに仮入部し、全ての入部を断る』
 最初からやっておけば問題なかったのだろうが、既に四月も末。仮入部を受け付ける部活も半数を切っている。
 それに佐々木曰く『涼宮さんのように才に秀でているわけじゃないから、熱心に入部を勧められることもないよ』とのことで、敢え無く取り消しに。
『髪型七変化』
 こちらは佐々木の異論はそれほど強くなかったが、髪の毛の長さが問題だ。
 当時のハルヒと違って、佐々木の髪の長さは肩にかからない程度。凛としたストレートヘアに麗しきポニーテール、田舎臭さを感じさせないお下げなど、殆どのヘアスタイルは現状の長さでは無理がある。
 それに五月まであと一週間を切ったこの状況では、七変化どころか二~三変化がいいところで、この程度であれば普通の女子高生でもままあることだ。
 よってこれも却下。
 なお、俺の好みの髪型じゃなかったからと言う理由だけで却下したわけではないからな、その辺は間違えないでくれたまえ。
 一応確認のために髪の毛を括ってみせたのだが、予想通りハルヒ以上にちょんまげ状態であった。これでは全然萌えない……いや、なんでもない。
 残るはただ一つ。『体育の着替えは男子生徒がいる中で行い始める』
 これならば前もって準備する事も無く、長い日数も要しない。体育の授業があればその日にできる。
 加えて明日は体育がある日。タイミングの良い事この上ない。
 因みに明日の体育を逃せば次の体育は来週以降。つまり四月中にアクションを起こすならば明日の体育以外に他は無いのだ。
 しかし、である。
 当の本人はかなりお気に召さなかった。『無垢な体を大勢の飢えた野獣共に見せつける気にはならないね』との一点張りだ。
 気持ちはわかるんだが、残されているのはもうこれしかないんだ。見せつけるとまでは行かなくても、せめて男子がいる間に、臆することなく着替え始めれば十分だと思うんだ。下着が恥ずかしければ、それっぽい水着を着ていればいいさ。
「水着っていうのはね、あれは結構蒸れるし、それに肌にも良くないんだ。日増しに日中最高気温が上昇している候に何時間も下着のサブスティテューションになるとは思えない」
 なら下着姿でも構わないぜ。
「低劣な誘導尋問には引っかからないよ。それこそ本末転倒だ」
 ちっ……さすがは佐々木。使い古された手にはのらないか。橘だと簡単に引っかかるんだが。
「あのな、別に『着替えを男子生徒に見られる』のが目的じゃなくて、『男子生徒がいる中で着替える』ってのが目的なんだ。何とかガードする方法を考えるし、他の男子には見えないようにするからさ。勿論俺も絶対見ない。だから頼むよ」
 結果は同じなんだが、少し意味合いを換えて説得してみる。ものは言い様ってやつだ。これなら少しは考えてくれるだろう。
「ふむ……それならば……いや、むしろキョンは見てくれても構わない。というか男子がキョンだけならば諸手を上げて脱ぐんだけどな……」
「……は?」
「いや、なんでもない、妄言だ」凄く問題になるような発言をした後コホンと咳を一つついて、「だけど、やっぱりそんな勇気は無いね」
 元の世界でもそうだったけど、着替え始めたら朝倉がものすごい勢いで俺達男子生徒を摘み出してくれるはずだ。だからそんなに気に病むことじゃないって。
「だけど、公衆の面前で着替えを強要させるというのは、視姦を通り越して強姦と言っても差し支えない。キョン、悪いけど君には失望したよ。先生か生徒会に訴え出ることにしようか」
 佐々木は更に口を曲げてそう言い放ち、やおらすっくと立ち上がった。
「ちょ、待てって!」
「どうしたんだい? キョンも視姦される気になったのかい?」
 それはちょっと勘弁。
「そうかい、それじゃ……」
 だから待てって! 分かったよ佐々木、きっとこの償いはするから!
「キョンが異性の生徒の前で着替え始める以外の解決策はない。僕と同じく、ね」
 佐々木は強硬な態度を崩さない。先にも言ったが、こんなところで男性ストリップ劇場をやった日には間違いなく迷惑防止条例か青少年保護条例でしょっぴかれる。男女平等とは言え、こう言った罪は男性のほうが遥かに重いんだ。
「なら、諦めてくれたまえ。僕の気持ちが分かってもらえて嬉しいよ。くっくっくっ……」
 一方的な勝利宣言とも思える嘲笑が、いつも以上に耳に残っていた。

 佐々木は、いつにも増して強硬姿勢だった。
 こんな強気な佐々木を崩すには、どうすべきか。
 大丈夫、こんな時の為にちゃんと秘策を考えてあるんだ。


「……そうかい、残念だな。せっかく佐々木の見事なプロポーションを拝見できると思ってたのに。服の上からも分かる、均整の取れたその体を一目焼き付けたかったが……仕方ない、ハルヒに頼むか」
「なっ!」
 素っ頓狂な声を上げて、俺のほうを振り向いた。
「ハルヒは大衆の面前で着替え始めても気にしない奴だし、それに頼み込めば見せてくれるに違いない。ハルヒも佐々木に負けないくらい抜群のプロポーションだし、思わず見とれてしまうのは仕方の無いことだよな」
「んなっ!!」

 佐々木はハルヒに対し、掛け替えの無い親友である一方、唯一無二の好敵手だと捉えている。
 特に(不肖ながら)俺のことになると本気で我を忘れて取っ組み合いの掴み喧嘩をしかねない。
 姑息ではあるが、これを利用しないわけには行かない。
 動揺しまくりの上焦燥感溢れる佐々木の顔を余所に、俺はさらに言葉を続けた。
「俺だって健全でかつ思春期の男子学生だ。ハルヒの生着替えを目の当たりにしたらそのままハルヒの虜になってしまうかもしれない。あ~あ、罪な奴だな、ハルヒは」
「ストーップ!!!」
「どうしたんだ佐々木? 突然騒ぎ出して」

 ……俺の言葉に、疑問に思う人もいるかもしれない。
『佐々木がダメだったら、ハルヒに頼む』
 よくよく考えると、この世界にハルヒがいるかどうかも分からないんだし、少なくとも今のところ見つかっていない。
 そんな状況下で代役を頼んでも意味の無いんじゃないかと。
 そう、まさしくそのとおりである。
 しかし、佐々木はそんな所まで気が回っていないだろう。なぜなら――

「そんなこと許さない! ただでさえ涼宮さんの方が有利なんだ。その上艶麗な様を呈した彼女が本気になれば、本気でキョンを篭絡させかねない! それだけは防がねば!!」
「だとすれば、どうするんだ?」
「僕がやるっ!」

 ――俺の策略がわかってたら、こんなにまっすぐな瞳で承諾しないだろうかなら。
 ありがとう単細胞、パートⅡ。

「は、恥ずかしいけど、キョンが見たいと言うなら、それに答えるべきだね、やっぱり! 涼宮さんばっかりにいい思い……もとい、大変な思いをさせるわけには行かないからね!」
 少々乾いた感のある笑みが俺を包み込む。
「因みにどんな下着を所望しているのかな? キュアー系? それともセクシー系? まさかア○パ○マ○ってことはないと思うけど、もしかしたらプ○キュ○がいいとか……うん、今日駅前のデパートで新品を買いに行こう! それとも実は使用済みの方が……」
 一人でブツブツ妄想振りまいているところ申し訳ないが、一応断っておく。
 俺は別にお前の下着が見たいから教室で生着替えを頼んだわけじゃないからな。
 手段と目的を履き違えないでくれよ。

 というわけで、佐々木は後日行われる体育の授業の際、男子学生がいる前で着替えを絵をしてくれることを承諾してくれた。
 ありがたやありがたや。


 ――だがしかし、手段と目的を履き違えた佐々木が暴走をし、さらにそれが余計な戦火を招くことになろうとは、この時は夢にも思わなかった。



「彼女、実に怪しいね」
 体育が終わり、着替えが終了した後自分の教室に戻ってきた俺に対し、佐々木は開口一番にそう告げた。
「誰だ、彼女って」
「朝倉さんのことだよ」
 未だ不機嫌な佐々木は突き飛ばすような口調でそう答えた。
「ああ、そうだな」
 確かに、怪しいことこの上ない。元の世界での朝倉涼子は、長門と同類の宇宙人で、しかも長門とは違う強硬派閥出身だから何かと怖い目にあっているのだ。しかも何回もな。
 二度ある事は三度あるというし、いつ襲われてもおかしくない。しかも困ったことに、今回は長門がいないから手助けしてくれる人がいない。果てさて、どうするべきか……
「僕が言っているのはそう言う意味じゃない!」
 佐々木の表情は、更に厳しいものになっていた。目を吊り上げ、刺々しい口調は本当に突き刺ささりそうだった。
「朝倉さんって、僕とキョンの仲をいつも邪魔するんだ。教室移動や下校の際には必ずといって良いほど割り込んでくるし、授業中キョンにちょっかい出すと咎めるし、この前だって苦労して撮ったキョンの寝顔が可愛らしい写メを委員長権限で没収されたし……」
 最初のはともかく、他は委員長だからと言われれば奇異なところは何も無い。というか授業中に写メをとるな、佐々木。
「極めつけは先ほどの諫言だ。キョンを追い出すや否や僕のとことに来て『男子の前であんなことしちゃダメ』と、最もらしい忠告をしてきたんだ。あれが無ければキョンのハートを陥落させることができたのに……」
『最もらしい忠告』と言う言葉が出る限り、佐々木の脳内は正常に働いているようである。が、『俺のハートを陥落させる』と言うのくだりは非常に気になる。一体俺をどうする気だったんだ?
 むしろ朝倉がいてくれたおかげで俺はこの世界に平穏を維持しているような気がする。あのままだと佐々木の傀儡と化してしまうところだったかもしれない。朝倉に感謝するなんて、本物の世界じゃありえないことだな。
 しかしそんなことを口にしたら朝倉にではなく佐々木に刺されそうなので黙っておく。
 俺の内心を余所に、佐々木は「彼女、口ではああ言っているけど、それはフェイクなんだ。何故だか分かるかい、キョン」と言ってきたから答えてやった。「さあ?」とね。
 そしたらまた不機嫌な様子で、
「それはね、彼女、キョンに気があるからだよ。気があるからこそ何かと馴れ合う僕に嫉妬しているんだ」
 鼻息荒くまくし立てる佐々木だが、勘違いも甚だしい。佐々木にしては珍しく頭に血が上っているようで、冷静に考えることができてない。
「佐々木、よく聞け。あいつは元の世界じゃ俺を殺そうとしたアサシンだ。そんな奴が何で俺のことを気にかけるんだ? おかしいだろ?」
「元の世界とこの世界が全く同じと言う理屈は通らない。元の世界で忌み嫌う人物が、こちらの世界では愛すべき人物に豹変する可能性だって在り得る。それはキョンが身に染みて分かっているはずだ」
 朝倉が俺に好意を寄せているとでも言うのか? はっ、馬鹿馬鹿しい。仮に朝倉が求愛してこようとも、俺は元の世界のトラウマが在るんだ。そう易々と朝倉の犬には成り下がらないぜ。賭けてもいい。
「随分と余裕だね。その言葉、忘れないよ」
 もし朝倉の虜になったら俺を思いっきりひっぱたいてくれて目を覚まさせてくれ。
「グッドアイディアだ。期待しているよ」
 期待するな冗談だ。それよりもだな、
「朗報がある。実はさっきの体育の時間、岡部から聞いた話なんだが、連休明けに転校生がやってくるみたいなんだ」
「本当かい?」
 多分、今回は本物だろう。前回は連休明けになってもそんな話を聞いてないと岡部は言ってたが、今回は四月の末の時点で転校生の話が届いたんだ。前回の反省を踏まえて、前もって岡部に打診していたのが役に立った格好だ。
「多分、入学式の時にやったあの自己紹介と、今日の一件がフラグを完全なものにしたんだと思う。これも佐々木のおかげだ。無茶言ってすまなかったな」
「う、まあ、キョンそこまで言うならありがたく謝礼の言葉を授かるよ……」
「よし」と小さく呟く。密かに佐々木の不満の矛先を変える技だったりする。だから本人には言わないで欲しい。
「それじゃあもうすぐ橘さんを回収できるんだね?」
「ああ。とは言え油断は禁物だ。まだ誰が来るとかそんな情報は入ってこなかったし、蓋を開けたら全然別の転校生だったという可能性も無きにしも非ずだ。こっちのできることもなるべくやっておいたほうがいい」
「……まだ、何かやるのかい?」
 残念。まだ少し根に持っているようだ。
「そんな顔するなって、これから先はそれほど恥ずかしいことはしなくてもいいから」
「だといいけどね。あんな恥ずかしい行動はもう金輪際やりたくないね」
 やや覚めた口調で、ふうと溜息一つつく。
 恥ずかしいとは言いつつもかなりノリノリで着替えていたようにも見えるが、俺がお願いした形になっているから謝るのはこちらだろう。納得いかないが頭は下げておく。
「だから悪かったって」



 四月中に行うべき行動は佐々木の変態行動以外に何も無いのは確かなことで、それ以外では比較的自由に振舞っていた俺達だったが、五月になればそうもいかないだろう。
 五月にはイベントが目白押しだ。思いつきで同好会を設立し、部室にいたというだけの寡黙な少女やら可愛いからというだけで拉致してきた少女(少年?)を同好会のメンバーとして加え、そして最後にやってきた転校生を仲間にしなければいけない。
 それぞれ元の世界では長門、朝比奈さん、古泉といった順番なのだが、こちらの世界ではそれぞれ九曜、藤原、橘の順。
 橘を回収できればもうこの世界には用済み。さっさと九曜に頼んでもとの世界に戻るだけだ。
 まかり間違っても朝倉が襲ってくるまで滞在しようなんて思わないし、藤原(大)にウィンクされるなんてもってのほかだ。
 そうなる前に帰りたいものだ。

 しかし、俺の希望的観測どおりに物事が進行することはなかった。
 事態は俺が想定していたよりも、より奇異な方向に向かって走り出していた。
 既にこの時……いや、下手をしたら俺達がこの世界に来たときから変な方向に向かっていたのかもしれない。
 全く、事実というやつは自分が思うよりもトンデモ方向へと行ってしまうものである。



 元の世界よりもある意味波乱を含みまくった高校一年次の四月は何とか事を納め、かわりにやってきた長期連休はむしろ物足りないものとなってしまった感のある五月初旬の登校日。
 いつも通り坂道を登る俺の横に、クラスの同級生が姿を現していた。
「おはよう」
 あ、ああ。おはよう。
「いつもこの時間なの? 遅くない?」
 そんなに遅いか? チャイムが鳴る五分前には到着しているのだがな。そういうお前だって今日は遅いじゃないか。
「通学に使用している電車がちょっとしたトラブルで遅れちゃってね。あーあ、英語の予習をするつもりだったのに」
 毎日席について机でじっとしてると思ったら、そんな殊勝な事をしてたのか。
「そうよ。ちょっとでも早く席について、教科書かノートの一冊でも読んでいれば、それだけで予習になるわ。あなたもどう?やってみない?」
 俺はそんな無駄な時間を費やしたくは無い。机でじっとするなら寝てたほうがマシだ。
「ふふっ、あなたらしいわね」
 整った顔に、笑顔がこぼれた。
 腰近くまで伸びたストレートヘアはハルヒを髣髴とさせるが、性格は全く異なる。
 特定人物としか会話をしないハルヒに対して、誰とでも分け隔てなく喋りかける様は陰と陽。
 しっかりもので責任感があって成績まで優秀。おまけに容姿も端麗となれば言うこと無い。
 うちのクラスの委員長、朝倉涼子。


 元の世界でもそうなのだが、彼女の人望は男女隔てなく良好で、ハルヒを除く全てのクラスメイトから慕われていた。正体を知らなかった時の俺も彼女には一目置いていたし、素晴らしい人物なんだと思う。
 だけど、彼女は普通の人間ではない。俺達の住む世界では長門有希と同一の存在で、何故か俺の命を狙っていた。
 長門が引き起こした改竄事件では普通の人間という属性だったかもしれないが、それでもやっぱり俺の命は狙われていた。
 どちらにしろ、俺にとっては忌み嫌うべき理由が十二分にある存在だ。
 一度ある事は二度ある、二度ある事は三度あると言われるように、この世界の朝倉も何らかの目的で俺に接近し、そして殺害しようと試みていると考えてもおかしくは無い。
 だから常に警戒し、変な動きが無いか勘ぐっていたりするのだ。
 一応念のために、九曜にも声はかけている。『変な情報制御空間とか局在空間とか発生したら助けてくれ』とな。この世界には長門がいないから、対抗できるとしたら九曜しかいない。
 ただ、相変わらずのダッシュ記号を連ねているだけだから不安だ。長門以上に意思疎通のできない奴だからな、何をしでかすか本気で分からん。
 ただ、幸いなことに今のところ朝倉は変な素振りは見せてない。
 むしろ以前よりも、俺達が住んでいる世界の朝倉よりも、慈母溢れる性格に思える。
 俺と佐々木の珍行動がよほど目に余るのか俺達の会話にも積極的に乗り出してくるし、お互い一人の時も何かにつけてコンタクトを取ろうと話し掛けてくる。
 授業の相談をしては勉強方法のアドバイスをもらい、夜に放送していたドラマに花を咲かし、俺と佐々木の関係について賞賛するも不純異性行為はだめよと釘をさしたり、ともかく結構仲良く喋ったりしている。
 なお、二人の関係の話になった途端、佐々木が言い放った『キョンはわたしの婿』等と言う冗談を一蹴し、『中学からの知り合い』だと言いなおしたのだが……
 やっぱりというか何と言うか、朝倉は勘違いしてしまったようである。
 ま、それもあって朝倉との会話が増えたわけだが……用心だけは怠らないようにしないとな。

「……くん、聞いてるの?」
 え? 何だ?
「もう、ちゃんと聞いてよね。あたしね、昨日は……」
 等と長期休暇中の旅行の話だとか、デパ地下にあるタルト屋さんの評判だとか、こんどみんなで食べに行きましょだとか、そんな他愛もない話で盛り上がっていた。
 人付き合いのよい風体は、俺達の敵になることが信じられないし、甚だ遺憾でもある。
 流石に三度目にもなると、恐怖心よりもそんな懐疑心の方が先に立ってくる。どうして長門と同じく主流派に属さなかったんだ、ってね。
 朝倉は本心から俺を殺そうとしたわけじゃなくて、その親玉の命令で否応無くやらさせているだけだっているのに、でもそのせいで俺には忌み嫌われるし、長門には光の塵にされてしまうんだ。
 そう思うと、なんだか寂しいものである。
 九曜も、いや、藤原も橘もそうなんだが、どうして敵対する必要があるのだろうか。みんなで仲良くやれればそれでいいんじゃないか。
 もしかしたら次元断層の中にそう言う世界もあるかもしれない。もし暇が合ったら探してみたいものだな。


 そんな思いに耽りながら、やっぱり朝倉涼子の会話を聞き流し、足取りだけを揃えて登校する。学校の門をくぐった時は予鈴五分前だ。
「ほら、間に合っただろ」
「へえ、大したもんね。あたしも今度からこの時間に来るようにしようかな」
 早く教室に入って勉強しなくていいのか?
「……うん、したいことがあれば、そっちを優先させたほうがいいと思うし」
 勉強以外でしたいことが出来たのか。それは感心感心。で、そりゃなんだ?
「……ひ・み・つ」
 吸い込まれるようなウィンクを一つ。そして一足早く教室のドアをくぐった。
「やれやれ」
 続いて教室のドアを開け、そして席ににつく。

「よう」
「…………」
 ん? 不機嫌だな。
「……そう言うキョンはご機嫌なのかい?」
 んー、どちらかと言えばご機嫌だな。
「やっぱりね……」
 なにがだ?
「ところで、この席は窓が近くて、ここから空を一望できたりするんだ。もちろん見渡せるのは空だけじゃなく、目線を下に向ければ校庭や学校の門。そして通学してくる生徒にまで目が届くんだ」
 ニヤリ、と佐々木が笑った。明らかにいつもとは笑みの質が違う。
「キョン、君は今日、朝倉さんと一緒に登校していたね。二人とも中々欣快な表情で……くっくっくっ……」
 えーと。とりあえず言わしてもらうが、佐々木さん。あなたもの凄い勘違いをしていませんか? そして、何故あなたはそれほどまでに負のオーラを撒き散らしているのでしょうか?
「キョンと朝倉さんがそれほど仲が良かったとは、夢にも思わなかった。涼宮さんは朝倉さんのことについて何も言及していなかったから、すっかり油断してしまったよ。どうやらこの世界での本当の敵は、彼女らしいね……」
 くっくっく……っと、形容しがたい形相で笑いつづける佐々木。
 佐々木が、本気で壊れかけているような気がしてならない。早くこの世界から抜け出したいものだ。



 本日は、骨の髄まで勘違いしている佐々木を説得するのに骨を折った。
 ――朝倉涼子は秘密結社『TFEI急進派支部』によって雇われた派遣社員であり、昨今の不景気の煽りを受けて首を切られようとしたのだが、俺を殺せば幹部にしてやると言われチンピラ下っ端の如く突貫したのだが、『主流派本部』によって返り討ちにあった――
 等と言うストーリー仕立てにしたこれまでの経緯を、およそ原稿用紙で10枚分くらいに纏め上げて事細かに説明し、半日がかりでようやく納得してくれたのだった。
「つまり、朝倉さんはキョンの命を狙っていると?」
 端的に言うとそう言うことだ。俺にコンタクトを取っているのだって、恐らく俺を油断させて後からグサリって具合に持っていきたいんだろうな。
 佐々木にコンタクトする理由は……よくわからんが、情報収集がメインで、あとはやっぱり俺達を油断させるために色々と声をかけているのかもしれないな。
「うむ……そうだったのか。ごめん、キョン。変な勘繰りをしてしまったようだ。なるほど涼宮さんが彼女のことを話しに持ち上げなかったことが良く分かったよ。元の世界では、既に存在は消滅していたんだね」
 分かってもらえればそれでいい。だけど、警戒の目は怠らないでくれ。実際俺が襲われたのは、古泉がやってきてSOS団が出来上がって、それから暫くしてからだったが……今回はいつ仕掛けてくるか分からん。
 だが、転校生がやってくることが本決まりになったんだ。気は熟したと考えた方がいいかもしれない。
「わかった、僕の方も注視することにしよう。でも……」
 でも?
「彼女、そんな風には見えないな。本当に、キョンを殺すためだけに存在しているのかい?」
 そう見えないところがあいつの狡猾な部分だ。本性はわからないが、多分あいつは命令如何で笑いながら親友の首を刎ねるタイプだと思う。だからこそ要注意人物なんだ。
「キョンの言い分は分かる。だけど……」
 少し悲しそうな目をして、佐々木は
「何かが、違う。キョンの言ってた元の世界の朝倉さんとあの朝倉さん。二人は似て非なる存在、あるいは同じツラ構えをした別の存在……言葉にするのは難しいけど、そんな印象を受けるんだ。だからこそ……」
「だからこそ?」
「……いや、なんでもない。杞憂かもしれないしね。ともかく、この世界と元の世界では、各個人の存在意義が異なるるんだし、朝倉さんだってきっとキョンを殺す目的なんてないはずだ。あまり心配しなくてもいいと思う」
「……だと、いいけどな」
 授業が終わり、せっせと黒板に書かれた数式を消す作業をする朝倉を見て、俺達二人は同時に溜息をついた。
 クラスの厄介ごとを一心にやり遂げるその様は、まさしくクラス委員長の鑑と言って差し支えない。
 俺だって疑いたくないさ。だけどこれまでの実績がそれを否定しているんだからしょうがない。
 いくら彼女が健気で、薄幸な少女であったとしても、俺達には受け入れられない。水と油、水と硫黄のような関係である。
 恐らくこの世界でも牙を向いてくるのは既定事項だろうし、そして消滅するのも既定事項だろう。
 朝方、何故皆仲良く出来ないのだろうかと考えたのだが、それが本当に悔やまれる。
 朝倉。今度生まれ変わる時は俺達の敵ではなく、頼れる仲間として生まれ変わってくれよ。長門にも打診してみるさ。
 ――ふと、そんな考えが頭の中に過ぎった。


 過ぎったのだが……結論から言おう。
 今回ばかりは、佐々木の言い分が正しかった。



 それから数日の後、遂に転校生がやってくる日になった。
 パラレルワールドに滞在してから苦節約二ヶ月。遂に俺達の労力が報われる。いやホント苦労したんだぜこれでも。
 だからこの日のために、事前準備はキッチリやっておくことにした。
 まず、今までに無かった部活の創生。ハルヒがあの日に思いついたのと同じようにな。
 そして、新部活のための部屋の確保、人員の確保、その他諸々……全部だ。
 言うまでも無いかもしれないが、部屋は旧校舎である部室棟一室、文芸部を確保。前もって文芸部に入部するよう言っておいた九曜が文芸部長としてこの部屋を取り仕切っている。
 続いて藤原。こいつは朝比奈さんと違って書道部なぞには入籍しておらず、早々に帰宅部へと転進していたから引き抜くのが早かった。呼び出して無理やり確保。もちろん文句を垂れたが『橘がどうなってもいいのか』の一言で敢え無く撃沈。
 そして俺と佐々木。
 同好会の名称は引き続き『SOS団』を踏襲した。『涼宮』と『佐々木』が入れ替わっただけだから、特に問題ないだろう。
 なお、校門でのビラ撒きやお隣さんに乱入してパソコン一式を強奪することはしていない。既に転校生の存在は明らかになっていたし、もうすぐもとの世界に帰還するわけだし、そこまでするのは気が引ける。
 第一ビラ撒きにしろPC強奪にしろ、影の立役者たる萌えマスコット、朝比奈さんがいたから達成できたことだ。しかしこの世界にいるのは小柄で可愛い上級生ではなく、ふてぶてしければ可愛げも無い男だ。
 こいつを使ってバニーガール(今回はバニーボーイだが)のコスプレをさせた日には当人じゃなくてそれ以外の生徒が体調不良を訴えて欠席すること請け合いだ。本気でやったら俺だって休みを取らせてもらう。
 そしてセクハラ写真はどうするべきなんだ? 胸の代わりにどこを触らせる気だ? 輪○してる噂を振りまいたらコンピ研の連中は自殺しかねないぞ。
 今思うと、朝比奈さんの存在はとても偉大だったんだな。
 ……いや、決して空気だと思っているわけじゃなくてだな、誉め言葉だ、誉め言葉。

 団長を佐々木として、宇宙人未来人平民が揃った。
 お膳立ては揃った。

 あとは、転校生の『橘京子』を連れてくるのみ。


 噂はうちのクラスにも広がった。
『九組に転校生が来たらしい。しかも女子だ』とは、常に情報収集を怠らなかった谷口の言葉だ。女子に関することなら目ざといことこの上ない。
 一時間目が終わった休み時間、谷口は様子を見てくると言って即座に走り出していった。こら馬鹿、せっかく俺達がコンタクトしようとしているのに、何台無しにしてるんだお前は?
「彼以外にも、うちのクラスで何人か向かったようだ。……仕方ないね。この時間は諦めて、昼休みか放課後にコンタクトを取るようにしようか」
「……そうだな」
 タタタッと廊下を走る音が幾重にも聞こえてくる。どうやら谷口みたいな、転校生の女子を一目見ようする輩は他のクラスにも健在らしい。
 このクラスだけで、既に4、5人は九組に向かっている。他のクラスも同じくらいの人数が挙って出撃したとなれば、九組の前では数十人のお猿さんたちが駆け込んでいるに違いない。そんな状況下で橘にコンタクトを取るのは熊に鈴をつけるより難しい。
 早く会いに行きたいのは山々だが、ある程度人が引いてから会いに行ったほうが賢明だ。
「うちのクラスの男子にも困ったものね」
 突如話し掛けてきたのは、クラスを束ねる朝倉涼子。
「転校生が女子と分かった途端、ああやって見に行くんですもの。全く、節操が無いと言うか、年中盛り状態と言うか……そう言えば、あなたは見に行かないの?」
「並んでまで飯を食べようとは思わない主義なもんでな。気が向いたら拝見させてもらうよ」
「ふーん、そうなんだ……」何故かチラッと佐々木を見て「安心した?」
「くくく……朝倉さんほどじゃないけどね」
「ふふふ、そうかもね」
 等と、表向き和気藹々と会話を弾ませる二人……なのだが、背筋が寒いのは何故だろう?
 こんな時期に風邪でも引いたか?


 さて、そんなこんなであっという間に時間は過ぎ、昼休みを通り越して放課後と相成った。
 決して昼休みにコンタクトをサボっていたわけじゃない。相変わらず凄い人ごみで、謁見しようにもそれが困難だったためだ。
 しかし、いくらなんでも集まりすぎだろ? そりゃ転校生が来て、それが女とわかったら見に行く奴くらいいるだろうが、でもたった一日やそこらで人ごみが出来るほど人が集まるとも思えない。ここは共学だぜ。女が珍しいわけでも無かろうに。
 この分だと、放課後も人ごみがわんさか出来ているかもしれない。今日中にコンタクトを取るのは無理かもな。
 そんなことを考えながら一年九組まで足を進めていく。
 しかし、俺の予想は見事に外れた。
「キョン、人ごみ、ないね……」
「ああ……」
 昼休みはあれほど混雑していた一年九組の教室だったが、今では閑古鳥が鳴いていた。180°違う展開に唖然とするより他は無い。
「もしかして、みんな帰っちゃったのかな?」
 そうかもしれんな。とりあえず見に行くか?
「ああ、そうだね」
 こちらもやや面食らった顔のまま、教室の中を覗く。しかし、これまた予想に反して教室の中には生徒がまだ八割以上残っていた。とは言え、帰宅するもの、部活に精を出すもの、各々が自分の鞄に教科書ノート筆記用具その他を詰め込んで帰る準備をしている。
 早いこと橘を探さないと――あ。
「キョン!」
 佐々木が思わず声を上げた。
「いやがったな、ついに」
 思わず俺もニヤリ顔。
 栗色の髪、左右を束ねたツインテール。
 転校してきたばかりで不安なのだろう、幼げな顔立ちがより一層反映している。
 ……見間違えるはずが無い。
 ――橘京子が、ついにこの世界に降臨したのだ。


 思わず叫んで呼び止めてしまいそうな衝動に駆られるが、それは俺の焦りが生んだ副産物であり、そんなことすれば橘以外のクラスメイトに迷惑がかかってしまうのは当然の理である。
 努めて冷静に、しかし早足で橘の席へと向かう俺と佐々木。橘は机に、正確には広げたノートに目を向けたまま、俺達の接近に気付く気配素振りすら見せていない。
 橘が顔を上げたのは、俺達が再接近したその瞬間だった。
「よう」
「……久しぶり、橘さん」
「……!」
 驚きに満ちた彼女の顔が、何故だか懐かしく感じた。
「とりあえず元気そうだな、なりより」
「ようやく転校してくれてほっとしたよ。あなたを探索するのに骨を折ったんだからね」
 橘はオロオロキョロキョロと、俺達の顔を代わる代わる見ていた。何故ここにいるの? といった表情で。
「じゃ、行こうぜ。部室へ」
「案内するよ」
 佐々木が手を差し出し、橘も手を差し伸べ――

 バチンッ。
『なっ――』

 ――いや、橘は佐々木の手を払いのけた。

「いきなりなんですか、あなた達?」
 不安げな表情で、しかし批難じみた表情で突っぱねる。
「突然やってきて、あたかも以前会ったかのように馴れ馴れしくして。舐めるような態度で観賞してきた男子学生も無礼でしたけど、あなた達はそれ以上に無礼ですわ!」
「た、橘。どうしたんだ? 俺達のことを忘れたのか?」
「忘れたも何も、お会いするのは初めてです。あたしはこの学校に始めてきたんだから当然でしょ?」
「い、いや。この学校じゃなくて。元の世界のことだ」
「元の世界?」橘は訝しげそうに眉をひそめた。「意味がわからないです。あたしはこの世界で生まれ、この世界で育ったのです。他の世界のことは詳しく存じ上げません」
 ――ん!?
 何かが引っかかった。
 橘の言葉に、俺は尋常とは異なる部分があるように思えた。
 しかし、その考えは間を置くことなく霧散する。
「もしかして、そんな意味不明なことを伝えるためにあたしに話し掛けてきたんですか?」
「い、いえ。違うの。……橘さんに、部活の勧誘をしようと思ってね」
 クエスチョンマークを連呼させる俺に代わって、佐々木が喋り始めたからだ。
「先生方から部活動の簡単なオリエンテーションを受けたとは思うけど、その勧誘に来たってわけ。あなたが転校生だと聞いて、是非部員として迎えようと、飛んできたのよ」
 ……佐々木? 一体どういうつもりだ?
(いいから、任せて。理由がわからないが、この橘さんは僕達との面識がないようだ。あるいは記憶が無いのかもしれないが……ともかく、警戒していることは確かだ。部活の勧誘と言うことでこの場は濁すことにしよう)
 なるほど、そう言うことか。確かに警戒心バリバリの今の橘を無理やり部室まで持っていったとしても、そこで悲鳴を上げられたら一巻の終わりである。部室に招待するなら、少なくとも警戒心を解くのが先決であろう。
 佐々木は言葉を続けた。
「それで、悪いとは思ったけどテストしてみたの。何故かあなたを知っているわたし達、そして『元の世界』等と言う意味深な発言。これに対してどんな応対をするかってね」
 ピクンと眉が動いた。また俺の違和感が大きくなる。
「普通の人なら『変な人が来た』って感じで軽くあしらうか、あるいは無視するか……でもあなたは、突っぱねる事も無くうまく言葉を返した。だから合格。是非うちの部来て欲しいわ」
「…………」
 かなり無理のある設定に、橘はあからさまに訝しげな視線を送った。未だ警戒しているのだろうか。まだ一言も話さない。
 お互い、視線と視線をぶつけ合い……先に折れたのは佐々木だった。
「……とはいっても、まだできたてほかほか、学校にも生徒会にも承認されてない、同好会以下の集まりに過ぎないけどね」
 佐々木は俺達が作り上げた『SOS団』について簡単に説明した。活動場所、内容、人員……得意の薀蓄を交えながら、しかしどこか様子の違う橘の機嫌を損なわないよう、気遣いながら。
「……ふーん、なかなか面白そうね。いいわ、付き合ってあげる」
「本当? それはありがたい。では早速部室に向かおう。そこでこれからの活動方針について検討したいと思うんだ」
「わかった。よろしくおねがいしますね、佐々木さん。いや……」
 橘は佐々木をせせら笑うように見渡して、
「団長さんと言った方がよいかしら?」


「……と言うわけで、新しくメンバーが加わりました。彼女は……」
「あ、自分で自己紹介しますね。ただ今ご紹介に預かりました、橘京子と申しまっす! 何故だからは知らないけど、あたしはここで必要とされているみたいだからしょうがなく来てやりましたぁ! 皆さん、ひとつよろしくっ!」
「――――」
「…………」
 茶色く煤けた廊下と壁が年代を思い浮かばせる部室棟の一角で、場違いに明るい声が響き渡った。
……いや、おちゃらけた感たっぷりと言うのは俺達の知っている橘京子と遜色ないのだが、別の意味では期待外れも甚だしい自己紹介である。当初の警戒心バリバリの対応と全く異なるのも怪しい。
 藤原なんかはあからさまに態度を硬直してやがる。
「あれ? どうしたのカッコイイお兄さん? あたしがここにいちゃ、ダメ?」
「う……いや、そう言うわけではないが……しかしなんだ、お前。その態度は?」
「あらぁ? お兄さんもあたしをご存知なのですか? 不思議ですね。みんなとこうしてお会いするのは初めてですのに。もしかしてストーカー? あははっ、そんなわけ無いですよね」
 橘は軽快に喉を鳴らした。古泉がそうするのとは違う、まるで侮蔑をこめられたような笑い方だった。
「それで、ここでは何をするんですか? 佐々木さん?」
「……ああ、えーとね、ここではね……」
「俺が説明する」平時のSOS団の活動を知らない佐々木に代わって俺が答えた。「まずはこれを読んでくれ」
 スッと、一枚のルーズリーフを渡した。そこには『SOS団設立における所信表明』とかかれている。
「ええと、『わがSOS団では、この世の不思議を広く募集しています……』」
 食い入るように見つめる橘京子。
「……キョン、これは?」
 一応念のためにと、ハルヒの書いた内容を思い出しながら書いたものだ。SOS団と言うのはこう言う定義の元で成り立っているらしい。もしかしたら細かいところでは違うかもしれないが、あいつの意図は外していないつもりだ。
 さすがに印刷屋に乗り込んで何百枚も印刷する気にはならなかったが、橘に見せる程度ならこれで十分だろう。ほら、佐々木も読め。
 ふうん、へええ、と佐々木もそのルーズリーフを読み返す。佐々木はSOS団について知っていると思っていたが……ハルヒ。もしかしてちゃんと説明してなかったのか?
 そうこうしているうちに、読み終えた橘が、
「……へええ、なかなか面白そうなことやってるわね。つまり不思議な現象を探したり、あるいは依頼を受けて調査する部活、ってこと?」
 ああ、概ねそのとおりだ。「まだ設立したばっかりだから、今すぐやることは特に無いんだけどな。とりあえず、今度の土曜日に市内を歩き回って不思議探索をやろうと思うんだ」
「不思議探索? どんな不思議を探すつもり?」
「何でもいい。行方不明に遭った人を探すとか、タイムマシンの破片を見つけるとか……とにかく、普通とはことなる何かを探し出すのが目的だ」
「なるほど……そうだ、あたしこの街に来て間もないし、色々教えて欲しい事もあるの。市内を歩き回るなら好都合ね。あなた達の不思議探索に付き合うから、代わりにこの街の紹介をしてくれる?」
 ああ、構わない。これで交渉成立だな。
「うーん、市内探索は了解したけど、入部は考えさせて。他にも回ってみたいクラブ活動もあるし。ごめんね」
 両手を合わせてウィンク一つ。およそ橘らしからぬ、普通の女子高生のようなジェスチャーである。
 本当は否応にでもこの場に留めたいのだが……見る限り、未だ警戒しているみたいだ。無理強いはできない。
「そうか。なら仕方ない。だが今度の土曜日はちゃんときてくれよ」
「うん、分かった。それは任せて。それじゃ、これからちょっと用事があるから帰るわ」
「どうした? アルバイトか?」
「…………」
 橘の眉が、三度動いた。
「…………まあ、ね。そんなところ。それでは皆さん、さようなら」
「ああ、さようなら、橘さん」
「ふん……」
 くるりと振り返り、ドアから出て行く……と思いきや、掃除用具入れのロッカーまで近づき、そこに侍る一人の女子生徒に接近。
「周防さんも、さようなら」
「――――」
「そこでずっと立ってたら疲れない?」
「――それほど……」
「そこに、何かあるの?」
「――秘密……」
「……ふーん、そうなの。教えてくれる気になったら教えてね。それじゃ、ね」
 軽く手を上げて、今度こそ部室のドアから姿を消した。



「何だ、あいつは? あれが本当に橘だと言うのか?」
 橘の気配が消えてから開口一番藤原が毒吐くように吐き散らした。
「わからん。だがあいつは橘京子を自認していた。それに外見も俺達の知る橘京子だった。それを否定することは出来ない」
「だけどキョン、彼女は僕達のことなどまるで忘れたかのように接していたじゃないか。それに性格だって一癖も二癖も違う。まるで別人みたいだった」
 可能性として考えられるのは、あいつはこの世界における橘京子であり、俺達とは無関係。だから初顔合わせの時不思議そうな顔をしてたのだろうし、性格が異なるのもわからないでもない。
「でも、そうすると何故こんなに都合よくこの時期に転校してきたか、ってことになるね」
 中途半端に都合がよいって感じだな。佐々木の自己紹介で呼ばれた宇宙人未来人超能力者が一斉にあつまるならばそれはそれで構わないのだが、何故橘だけ性格が入れ替わってしまったのかが腑に落ちない。
「あるいは、単に記憶を失っているだけ、という可能性もある。失われた記憶は他の世界の記憶とリンクして、あの橘さんを創り上げたとか」
 いや、その可能性は低いと思う。俺達は何度もこの次元断層をくぐってこの世界に来ているが、それまで間の記憶が消えてしまったことは無かった。初めてこの世界に来た時も、時間を戻して二度目に来た際も、全てこの頭の中にインプットされている。
 ピンポイントで橘だけ記憶が消去されたと考えるのは、それこそ都合が良すぎる。
「ふむ……ならば一体……」
 佐々木は右手を顎にかけ、唸るような仕草をし、
「九曜さん、あなたは何か感じ取れたかい? あの橘さんから?」
「――次元……異性体――――」
 は?
「――界面――同調……作用者――」
「な、なに、それは?」
「――――呼称が……該当しない…………宇宙の――震撼……で――――万物を――表現できない……のと――――同じ――それに……匂いが――不安定――――」
 相変わらず意思疎通が半端なく厳しい奴だ。言葉を介して物事を説明する方法を早く確立して欲しい。
 だが。
「だけど――判別…………したことも……ある――――」
 以前見据えた方向とは別の天蓋方向を見据えて、九曜は心持ち悲しそうな表情で語った。

「彼女――――は――――寂しい……人――――」



 橘京子を探し当てることに成功した俺達だったが、その橘京子が俺達の捜し求めている橘京子とは異なる橘京子だったからもうお手上げ状態である(橘だらけで何を言ってるのかわからないと思うが仕様なので許してくれ、スマン)。
 俺や佐々木は勿論、藤原も、そして最後の頼みの綱である九曜もあの『橘京子』についてどう接すべきか決めかねている。
 果たしてこの世界の橘京子なのか、それとも俺達の世界の橘京子なのか。
 もし俺達の世界の橘京子だとしても、違えた記憶を元に戻すことが出来るのか?
 焦点はそこにあった。
 散々話し合った結果、今度の土曜日に行われる不思議探索で彼女と接触し、彼女からの情報を得てからまたもう一度皆で話し合おうと言う結果に落ち着いた。
 取り立てて斬新なアイデアではないが、これ以外に良いアイデアが無いのだから仕方あるまい。神様が俺達の前に現れて、成り行きを全て喋ってくれれば言うこと無いのだが現実はそれほど甘くはない。
 一難去ってまた一難とはよく言ったものである。このペースで行くと、俺達はいつ頃もとの世界に帰れるのだろうか。本気で不安になってきた。
 しかし、事態は思いがけない方向へと進むことになる。
 それが判明したのは、土曜日――橘京子と再び邂逅を果たした時であった。



 駅前に九時集合と最初に言ったのは涼宮ハルヒだったことは覚えているが、そのままの時間をこの世界でも適用したのはマズったかもしれない。
 傲慢溢れる団長がいないとなれば、集合時間をもっと遅らせてもよかったのだろうが、そこまで頭が回らなかったのは市内探索の集合時間が九時というのが日課になってしまった俺の悲しい習性だろう。
 ああ全く以って忌々しい。
 とは言え、集合時間に遅れたら『罰金!』だとか『死刑!』だとか罵詈雑言を浴びせる奴もいないので、遅れたところで特に問題はないんだけどな。
 というわけで。
 俺達がいつも集合場所にしている駅に俺が着いたのは、集合時間からおよそ五分前のことだった。やはりと言うかなんというか、このとき既に俺以外の面子が揃っていたからもう笑うしかない。
 あのスローペースを生物にした九曜にすら遅れるなんて、少々、いや、かなり悔しいものがある。
「これでみんな揃ったね。まずは今日の段取りについてあそこの喫茶店で話し合おうか」
 薄い紫のブラウスに、チェック柄のプリーツスカートを身に纏った佐々木が舵を取った。
「ああ」とぶっきらぼうに返答する藤原。淡黄色のシャツにグレーのネクタイ。古泉が良くやる、フォーマルとモード系を足して2で割ったようなスタイルだが、着崩しているためカジュアルな印象も受ける。とどのつまり似合ってて悔しいんだよこんちくしょう。
「――――」
 九曜は長門と同じく北高の制服を予想していたのだが、その実全く異なる服装をしてきて俺の度肝はすっからかんに抜けきった。こう言うと私服を着てきたように思えるかもしれないが、なんとこれも的外れ。
 驚くべきことに、なんと! 九曜は光陽園学院の制服を身に纏っていた! (少し大げさに言い過ぎたかもしれんが気にするな)
 光陽園学院の制服は全身黒ずくめだから、こいつが着ると本当に黒一色になってしまう。こいつらしい身なりだが、傍から見たらやっぱり怖いことこの上ない。
 ただ……何と言うか、この姿をみると安心してしまうのは俺がこの世界の住人ではないことを裏付けているのだなって、一人で感心してしまう。
 そして橘。
 動きやすそうなトレーナーにダウンベスト。そしてハーフパンツにハーフキャップと、女の子らしいと言うよりはボーイッシュな出で立ちで登場だ。
「探索って聞いたから身軽な格好で来たのです」
 道理だ。むしろこう言う格好の方が似合っているかもしれない。
 俺の知っているあの橘なら、大きいバッグに意味不明な七つ道具を入れてへえへえ言いながらのた打ち回っているのだろうが、それが見られないと言う事はやっぱりこの橘は俺達の知っている橘ではないのかもしれない。
 因みに俺の今日の格好だが……「ほら、早く行かないと佐々木さんに怒られますよ」
 ……わかったよ。


 喫茶店で打ち合わせするも何も、元の世界と同じように2班に分けて別々に行動してまた集合、そして結果の報告をするといういつものルーチンワークをするだけなので説明と言うほどでもないのだが、この橘は初めてだったので佐々木が詳しく説明した。
「了解です。わかりました」
 各々注文した飲み物を手にとり、俺もアールグレイの風味を堪能しつつ耳を傾け佐々木の話を聞いていたのだが、橘のその言葉とともにいよいよ市内探索を始めることになった。
「各自、クジを取って。色つきが2人と色なしが3人。うらみっこなしだから」
 ハルヒがいないせいか、先陣切って話を進めてくれるから助かる。俺と佐々木が動かないと後は動く気が全く無いやつらしか残ってないからな。
「キョン、どうだった?」
「残念ながら色つきだ」
 続いて藤原、九曜。こいつらは色なし。
「あ、あたしは色ありです」
「ふむ……ということは、キョンと橘さんが同じ班と言う事になるね」
 殺されたおとっつぁんのカタキをにらみ付けるかのようにクジを見渡し、しかし努めて平然と言い放った。
 実はこの組み合わせ、ヤラセである。前もってこの組み分けになるよう手配したのだ。もちろん九曜にである。
 目的はもちろん橘との話し合い。午前中は俺、午後は佐々木がそれぞれ組になるようにして、ワンツーマンで話し合う予定だ。
 3人まとめて一組にすれば手間も時間も省けるのだが、そうしなかった理由は最初の出会いがあまりよくなかった事に起因する。まずは一人ずつ話し合って、心を開いてから改めで相談するのがいいだろうと言う結論になったのだ。
「宜しくお願いします。あと、美味しいスイーツのお店があれば教えてくださいね。この町の美味しい店を開拓しなきゃ」
 橘は神妙にも俺によろしく等と言いやがった。元の世界の橘ではありえない。そして屈託の無い笑みが妙にまぶしかった。
「くくくく……橘さん、デートもいいけど不思議探索もよろしくね」
「え? デート!? やだぁ! 恥ずかしいじゃないの、佐々木さんったら!」
 脅迫じみた応対にもめげず、顔に手を当ててフルフルと横に顔を振るというブリッコ(死語かこれ?)典型の仕草をして、橘は佐々木の血圧を50%上昇させたのだった。
 ……やっぱ本物の橘かこいつ。


 マジ、デートじゃないんだから、スイーツに現を抜かしてたら後で折檻だからね、と何処かの誰かさんと同じような釘をさしながら九曜と藤原を携えて俺達と反対方向に消えて行く佐々木を見送り、
「さて……それじゃいきますか」
「どちらに連れて行ってくれますか?」
 はて、どこに行くべきだろうね。
「もうっ。デートはちゃんと男性がリードしてくれなきゃ駄目ですよ。そんなんじゃいつまで経ってももてないのです」
 これもどこかで聞いた事あるような小言だが、それは無視。「いつデートになったんだ」
「ふふふっ、それもそうですね」小悪魔ぽい笑みを満面に携え「立ち話もなんですし、どこかお店に入ってお話しましょうか」
「また店に入るのか?」
「それもありますけど、色々お話したい事もありますしね」
 妙に含むところのある言い回しだ。だが話をしたいことは俺にもある。橘の提言を甘んじて受け入れる事にする。


 橘を携えて入っていったのは、以前橘がお勧めと教えてくれたお菓子屋さんだった。確かあの時は、橘がいきなり胸を大きくしろと騒ぎ出して、色々と大変な目にあった時だったな。いや、橘に関わって心休まる時なぞはないのだが……
 しかし、この世界にもちゃんと実在しているのには少々驚いた。
「うわ、すごく美味しそうなお店です! ビックリしましたぁ! 良くこんなお店ご存知でしたね!」
 元の世界でお前に教わったんだよ、等とは言えるはずもなく、クラスで話題になってたと濁してわれ先にへと店に入り込んだ。
 席を案内されて座ってメニューを見て注文して。その他飲食店に入ったらおよそすべき事を終えて注文の品が来るまで待つことになる。
 さて、なんと言って切り出そうかね。『お前は誰だ?』とか、『何者だ?』等と問い掛けるわけには行かないから少し言葉を選んで行動しなければならないだろう。
 まだ警戒は解けていないだろうし、取りあえず世間話でワンクッションおいて、話が和んだところで本題に移るのが常套手段だ。
 見たところ、このお店に関心を示しているし、どういう経緯でこの店を知るようになったのか、そこから俺たちの世界の話しに持って行って、こいつがどの程度関わり有るかを探る。これでどうだろうか?
「ところで、あなた」
 俺の計画も空しく、しかし先手を切ったのは橘だった。
 そして驚くべき事を口にした。


「あなた、この世界の住人じゃないでしょ?」


「……っな……」
「……やっぱり。そうなのね」
 溜息を大きくついた後、いつの間にか運ばれていたミックスジュースを手に取り『橘』は答えた。
「ふう、やっと言えた。そして予想通りの答えも聞けた。安堵したわ。出会った時からおかしいと思ったのよね。初めて会うはずなのにあたしを知った風な口調だったし、何より元の世界とか他の世界とか、普通の人間には到底理解できるわけないもんね」
 いきなりのカミングアウトにしばし呆然としていたが、コクンとジュースを飲み干す音で我に返った。「お前、何を知っている? というか、お前は一体誰だ?」
「あたしは橘京子よ。正真正銘、本物の橘京子。……ただ、接頭語に『この世界の』、ってのがつくけどね」
 この世界の橘京子……それはつまり、俺たちの世界の橘とは別物だという意味になる。では俺たちが知っている橘京子は一体どうなったのか? それよりも何故この橘京子は俺たちの存在やもう一人の橘の存在を知っているんだ?
「落ち着いて。今から順番に話すわ。まず、そうね……この世界の説明からしましょう。あなた達が住む世界とこの世界は、似て非なる物。異なる可能性を持った、別の世界。言い換えればアナザーワールドとでも言うのかしら」
 同じような説明を、九曜がしてくれたのを思い出した。たしか『平行世界』だったかな。そして確かに俺達の世界とこの世界の類似点が多いのは既に経験済み。勿論、異なる点も。
「本来、お互いの世界は互いに重ね合わせることなく、それぞれ平行のまま膨張と時間の齣を進めるの。だから、何かの因果で他の世界に迷い込む事や、そこまでいかなくても過干渉し合うことなんてないはずなの。でも――」
 ――でも、世界間の干渉が突如として発生した。
 発生の要因は現在調査中との事だが、おそらく世界のねじれが変な風に刺激し、お互いの世界の障壁となっている壁を突き破ってしまったのだろう、と橘は語った。
「その、破れた穴とでも言うべき物が、次元断層ってわけか」
「次元断層……ですか。あたし達は違う言葉を使っているけど、意味は通じるし、そちらに合わせましょう」そう言った後、橘は悲しそうな顔をして「でも、その次元断層も滅多な事じゃ発生しないはずなのよ」
 彼女は世界と障壁、そして次元断層の関係にについて語ってくれた。以下その時の橘の言葉を要約したものである。

 ――お互いを隔てている障壁は、とても丈夫なものなの。例え世界が捻れて近接したとしても、そうそう壊れるものじゃない。世界同士が接近して接触する事はままあること。でも、今の今まで世界と世界がミキシングされたことはなかった。
 それはね、障壁が硬いというのも一理なんだけど、それ以外に弾力性に富んでいるというのもあるの。そうね、ゴムボールかスーパーボールみないたものを想像すればいいと思うわ。互いがぶつかっても、割れることなく元に戻る、そんな感じ。
 もちろん絶対に壊れないわけじゃない。世界同士が接触した際、よほど大きな力が作用すれば穴が空く場合もある。もしその穴に迷い込んだ場合、接触したもう一方の世界に飛ばされるか、永遠に狭間を彷徨うか……どちらにしても不幸な結果になるわ。
 あなた達の世界でも、突然誰かが消えてしまったなんて話聞いたこと無い? 斯く言うあたし達の世界でも、昔は何度かあったみたい。『神隠し』なんて言ってたみたいだけど。
 それはともかく、世界の障壁に穴が空いてしまう程大きな力を発生させる要因。これは諸説色々あるんだけど、今回の場合はお互いの世界における違いがあまりにも大きくなりすぎたのが原因だと思われるの。
 空気圧差があれば風が舞い、水位差があれば滝となり、電位差があれば雷が落ちる。それと同じように、世界の差異……いいえ、むしろ『差位』と言ったほうがいいかしら。それに耐え切れなくなって障壁が破れたと考えられる。
 2つの世界でアンバランスな何かが発生し、2つの世界の均衡を破り、穴が空く程の大きなパワーを放出した。
 それが今回の次元断層の原因なのよ――

「その、アンバランスな何かというのは見当がついているのか?」
「それは、あなた達の事よ」
 ……なんとなく、そう言うだろうと思っていた。
「何者なの、あなた達。普通なら次元断層にアクセスできる能力なんて持ってないし、そもそもあの空間に紛れ込んだらどこに飛ぶのかわからないはず。でもあなた達はほぼ真っ直ぐこの世界にやってきた。一体何のため? ……ま、それは追々聞くことにするわ」
 コホン、と一息入れてジュースをもう一口。橘は再び喋りだした。
「次元断層の穴を開いた容疑者の監視と帰還申告。そして次元断層の消去。それらをこなすためにあたしが遣わされてきたの」
「お前はいったい何者だ? 何故そんなに詳しい?」
「そうね、ありふれた言葉でいうと『異世界の番人』ってとこかな。先にも述べたように、数多ある世界の人たちが、お互い干渉することなく、平和に暮らせるようにする。それがあたし達の使命なの」
「干渉したら問題なのか?」
「当たり前でしょ。自分達の常識の範疇に収まらない事象が混ざり合って、因果律が崩壊しかねない。もしそんな事になったらどちらの世界も混沌の渦に巻き込まれ、そして滅亡する可能性がある。そんな結末を目にするのがお望み?」
「……いいや」
「うん、普通そう思うわよね。だから、あたし達……他にも何人か同じような能力を持っている人がいて、みんなで世界と世界の繋がりがないようこうやって監視しているの。それで、次元断層の穴を修理するのもあたし達の役割。こんなところかな?」
 なるほど、だから『異世界の番人』って訳か。橘が次元断層を修理したがっている理由もわかった。
 しかし何たることだろうか。別の世界の橘京子が、最後まで正体を見せなかった異世界人だったとはね。ハルヒの天真爛漫な能力は、ここまで及んでいるのか。あな恐ろしきかな、穴だけに……スマン、忘れてくれ。
「実はね、あなた達が次元断層を通ってこちらの世界に来たこともわかってたのよ。本当なら姿を見せず、隙をついて元の世界に戻す予定だったんだけど、あなた達の中にはやり手がいるのね。まさか次元断層を使って過去にワープするとは思わなかったわ」
 ケラケラと笑い声を上げる。起こっていると言うより、素直に賞賛しているような笑い方である。
「だから今回、危険を承知であなた方に接近した。どんな目的があってこの世界にやってきたのか、この世界をどうするつもりなのか。それを聞き出そうと思って。実はね、あなた達の世界は最重要監視特区なの。だから特別にあなた達と接触することを許されたわ」
 当初姿を見せずに、二回目にして姿を現したのはそう言う意味だったのか。そして最重要監視特区と言うのは……おそらく、ハルヒがいるためだろうな。宇宙人未来人超能力者だけでなく、やっぱり異世界人にもハルヒは特別視されているようだ。
 ただ、個人を特定して警戒されているというよりは、世界全体が警戒されているらしい。そりゃそうだよな。あの世界には特別過ぎる人間(人間じゃないのもいるけど)が多すぎる。
「一つ聞きたい。そんなに警戒している中で、何故俺をコンタクト対象に選定した?」
「理由は2つあるわ。一つは一番話が通じやすそうだった事。もう一つは、こちらの世界に来た中で、あなた一人が唯一何も能力を持ってない普通の人間だったこと。他は何かしら能力があるみたいだし、下手に刺激すると何されるか分からなかったしね」
 俺が何の能力も持たないなんて、何故分かった?
「ふふふ、簡単なことよ。あなたの態度が一番まともだったから」
 は?
「この世界とあなた達の世界では、力の在り方が異なるの。だから特殊な能力を使おうとしても、そのパワーが霧散して終わりって事が往々にしてあるみたい。二年のクラスにいた彼も、そんな兆候を示していたわ。あたし達にはそんな力の流れが目に見えるの」
 藤原のことか。時間移動できるかどうか試したのだろうか。そう言えばそんなそぶりも見せていたっけな。
「でも、あの凄い髪の毛の人。あの人はもっと凄いわ。あたし達の世界にいるってことは本来のパワーが出ていないはずなのに、次元断層の行き来を出来るのよね。力の使い方に少々ムラがあるみたいだけど、神と見まごうべき力と言っていいわ」
 九曜の力は長門も把握しきれてない程だ。いくらアウェイだからと言っても、易々と洗礼を浴びせられる輩じゃなかろう。
「そしてもう一人の……あなたの彼女?」
 いや、そこまでの仲じゃない。
「あらそう。それは失礼したわね。で、その彼女はもっと不思議。力の源が判定不可能で、恐らく彼女自身も分かっていない。安全と言えば安全なんだけど、寝た子を起こすような事はしたくなかったから、コンタクトをとるのはやめることにした」
 話が一端中断した。注文したスイーツがテーブルの上に並ばれたからだ。ゴトゴトとテーブルに並べられるスイーツに目をやりながらも、しかし二人とも手はつけず話を再会させた。
「……というわけで、まとも……というより、普通の人間はあなた一人だったの。だからあなたに聞くわ。あなた達は何の目的でこの世界にやってきたの? 答え次第では……どうなるかわかっているわよね?」
 やれやれ。選ばれたのを幸と見るか不幸と見るか微妙なところだ。そして俺達の目的など、こいつがやってる次元平定に比べれば幾分も簡単且つ明快なものだ。
「ちょっとした人探しさ。お前さんと外見が瓜二つの女の子を捜しにここまで来たんだ」
「それって、まさか……」
「ああ。俺たちの世界の橘京子。そいつを連れ戻しに来ただけなんだ。それが終わったら直ぐにでも帰る。だから協力して欲しい」
「……ふふふっ……そんなことで……あははっ」
 しかし、橘はクスクスと笑ったのみ。「なにがおかしい?」
「いえ、あなた達が殊勝な理由でこの世界に来たことは賞賛に値するし、友情の素晴らしさを再確認したところなの。でもね、同時にナンセンスな行動でリスクの大きい事を背負い込んでいるからそれがあまりにも滑稽で……」
 わざとらしく、しかも可愛げたっぷりに微笑む姿が癪に障る。全知全能で八百万の神々が、人同士の醜い争いを高みで見物している時に発しそうな、そんな嫌みったらしい笑い方だった。
「そんなに大層なもんじゃないわよ。ごめんなさい、笑っちゃったりして。でも、あなた達がお望みの橘さんはこの世界にはいないの」
 なら、どこの世界に飛んでいったと言うんだ?
「あなた達の世界よ」
 …………。
「……は?」
 たっぷり三点リーダを並べ、ようやく出てきたのが『は』の一文字だった。つまりはそれくらい間の抜けた返答しか出来なかったって訳だ。
「橘さん……あなた達の世界の橘さんがこちらに飛んできた時、慌ててもとの世界に戻したのよ。幸い回収には成功したけど、次元断層の移動中に目を覚ましちゃってね。あの子。きゃーきゃー叫ぶもんだから大変だったのよ」
 俺達が机の中、というか次元断層の移動中に聞いた橘の声は、本物の橘の声だったのか……
「で、その時確認したのよ。あなた達を。そう言えばあなた、あの時は女装してたわよね?」
 気のせいだ。あるいは眩しい場所だったから目の錯覚だったのかもしれないぞ。
「そう。ならそう言うことにしておくわ。ともかく、彼女は元の世界の元の場所で、懇々と眠りつづけているはずよ。あなた達が戻っていったら、その頃には起き上がるんじゃないかしら?」
 なんという骨折り損のくたびれ儲けだろうか。つまり俺達は余計なことに時間を割いたのか。なるほど、道理で失笑されるわけだ。
「帰りはあたしが送ってあげるわ。ええと……九曜さんでしたっけ? あの人みたいに無鉄砲で効率の悪いルートは通らないから、迷うことなく辿り着けると思うの」
 そりゃ助かる。是非お願いしたい。
「ただ、一つ困ったことがあるの。あの次元断層が開く周期がここのところ遅くなっていてね。次に開くのが今からおよそ150時間後と見積もっているの」
 今から150時間後というと……
「来週の金曜日、放課後あたりの時間ね。誤差があるから多少は前後すると思うけど。もし予定より早く開いたら、あたしが断層を保持しておくわ。本当はご法度なんだけど、しょうがないわね。それまでにみんなを集めて戻って」
 了解。だが時間はどうなるんだ? 俺達が言うのもなんだけど、この世界にきて既に二ヶ月が経過している。二ヶ月たって現れたら葬式を上げた家のものから塩を撒いて追い出されるかもしれないぜ。
「大丈夫。あなた達がこの世界に来た瞬間、あなた達のいた世界の時間は凍結したの。だからこちらに来た時間と戻った時間はほぼ同じはずよ」
「凍結?」興味本位で聞きたいのだが、2つの世界を行き来すると、片方の時間は止まったままになるのか?
「ええ。世界は数多あっても、時間と言う物理量は一つしか存在しない。そして観測対象一つ一つに割り当てられるの。割り当てられた一つがこの世界から消えてしまうと、その時間を知る術は無くなる。つまりあたかも時間が止まってしまったかのように振舞うの」
 ……はて、よくわからんが。
「普通の人間には難しいと思うわ。それに時間を制御するためには人間と言う器を取り除かないといけないし」
 どこかで聞いたことのある台詞である。
「世界と世界の狭間は、器を無形にしないと入り込めない。その能力の副産物なの、時空跳躍って言うのは。九曜さんはその方法でこの世界の過去へ戻ったのね。立場上詳しく説明できないけど、そんなところ。後は九曜さんに教えてもらったら?」
 いや、止めておこう。あいつとフィロソフィカルな話などしたくないし、元々得意じゃない。うちの三毛猫に曲芸を仕込むくらい難儀なことだと思うぜ。
「ともかく、来週。ちゃんと人集めしておいてね。それと、あなた達が帰ったら次元断層の穴は閉ざさせてもらうわよ。もう金輪際こんなことが起きないように、強力にしておくから。構わないわよね?」
 無論だ。俺達だってこの世界にずっと滞在したいとは思っていない。時間までにちゃんと帰るさ。
「ふう、よかった。これで一件落着ね。それじゃ、と……食べましょう!」
 橘は目の色を変えて目の前に群がるスイーツに手を伸ばした。
「このおへんぢしゅふれ、とってもあまいへふう! こっちのろーふへーき、ひたーなあぢがおほなってかんぢではいほう!!」
 食べながら喋るなこのバカ橘。
「うっ……すひはへん。ほっとひたふせみたいなほほでひて……」
 あーあ。こっちの世界の橘はまともだと思ったのに、今ので幻滅した。
 どこの世界でも、橘はやっぱり橘らしい。しかし何でこんなに橘ばっかりに縁があるのだろうか?
 ……祟られているのかな、俺。


 スイーツを洗いざらい食べ終わると携帯電話のバイブレーションが響き渡った。佐々木からである。
『キョン、ずいぶんゆっくりとしているみたいだが、今何時か分かっているのかい』
 店内の時間を見たら、12時を10分ほど超えていた。
「やべ、遅刻だ!」
 今だスイーツを頬張っている橘を無理やり引き剥がして連れて行き、急いで集合場所に戻ることにする。こら橘、口に詰め込むんじゃありません。

 集合場所となっているファーストフード店では、恨めしそうな不機嫌そうな顔をした佐々木が、オレンジジュースに付随しているストローで残った氷をザクザクほじくりながら暇をつぶしていた。
「キョン。確か遅刻者は罰金というルールがあったと思うんだけど……今回の件に関して、依存はないよね?」
 ……くそ。これも全て橘が悪いんだからな。元の世界に戻ったら請求してやる。この世界の橘が悪いんだが、とっつき辛いのでね。なに、救出手数料とでも言えばいいさ。
 こちらの世界の橘といえば、同じく佐々木が注文していたアップルパイに目を光らせていた。
「ここのホットアップルパイ、値段のわりに量も多くて、美味しいんですよね! あとシェイクとフルーリーもお勧めなのです! あたし全部を3つずつ頼みますから!」
 ……まだ食う気かお前? 誰のお金から捻出されると思ってんだ?

 午後の探索の班決めは午前中と同じく九曜に情報操作をしてもらい、佐々木と橘、あとは残りと言う組み合わせになることが決定していたため、俺は午後からどこで時間を潰そうかねなどと考えながらクジを引いた。
 はい、規定通り色なしだ。
 他の人もやっぱり情報操作どおりにクジを引き、その組み合わせで午後の探索が行われる事になった。
「キョン、橘さんから何か聞けたかい? 何かヒントになりそうな事はあったかい?」
 ……ん、まあ。色々とな。
 実のところ、時代劇の悪代官以上に事の詳細を聞きだせたし今後やるべき事も分かっていたのだが、この世界の橘は俺以外に真相を語ることを拒んだため、わざと言葉を濁すことにした。今佐々木に真相を言うと橘の立場ない(シャレではない)だろう。
「そう、午後からは僕が頑張るから。探索が終わったら、また話し合おう」
 わかったよ。
 そう言うと佐々木はにこやかに笑い、橘と共に外へ出て行った。まるで自分にまかせなさいと言わんばかりの表情である。ま、ほどほどに頑張ってくれ。
 ……さて、少々面子が心もとないが、こっちも行くか。
 店を出て直ぐの場所でこれからについて話し合う。話し合うといっても誰も意見を言わないから俺が一方的に喋るだけなんだけどな。とりあえず、適当に分かれて時間前になったらもう一度ここに落ち合うかということで結審した。
 話が終わると藤原はどこかに向かって歩いていき、俺もネットカフェで時間を潰すかとそちらに向かって歩き出した。
 九曜は全く動く気配がない。もしかしてずっとその場にいるつもりか?
 まあいい。あいつは苦痛にも感じないだろうし、本人が望むならそれでいいさ。


 時は流れて数時間後。携帯のアラーム(マナーモード仕様)が集合時間間近である事を知らせ、読みかけのマンガに別れを惜しんでネットカフェから出て行き、そそくさと集合場所に集まると九曜はは既に集まっていた。
「まさかお前、本当にずっとそこにいたのか?」
「――――」
 沈黙。恐らく肯定の返事。
 いくらやる事がないからって、ここにずっと立っているとは……
「――彼女…………」
 ん?
「――彼女…………誰――」
 三人称の人物を誰と言われても、他にジェスチャーか修飾語が無い限り誰と答えられるわけがなかろう。
「――橘…………京子――――」
 ああ、橘がどうした?
「――――橘――京子……誰――」
 ほほう、そう来るか。だがな九曜、固有名詞で特定されても、見たまんまの奴としか答えられないと思うぞ。それとも見たまんまの解答をすればいいとでも言うのか?
 恐らく九曜はこちらに住んでいる橘京子の事を指しているのであろうが、もう少しボキャブラリーを豊かにしてほしいものである。
「この世界にいる橘京子はな、俺達が知る橘とは違うんだとさ。俺達の世界の橘京子は、元の世界に戻っているそうだ」
「――そう……よかった――――」そのまま沈黙するかと思いきや、突如「彼女……怖い人――――」
 怖い人? そんなに怖いようには見えなかったが……。そういやお前、以前は寂しい人とか言ってたな。
「観測――――できない……から――――」
 ためつすがめつも意味不明である。
「そりゃ、この世界は俺達の世界とは違うんだ。いくらお前の能力が時空を越えているとしても、何かしらの制約はあるんだろ。観測と言うのが何を意味しているか分からないけど、そんなに心配する事じゃないさ」
「――――」
 再び沈黙。俺の言わんとする事が分かってくれただろうか?
「――それでも――――怖い…………」
 ……一体、何を恐れているのだろうか?


 そうこうしているうちに藤原の奴も到着、佐々木と橘と合流するかと声をかける。再三申し上げることになるが、この組の欠点は、自分から動こうとする人間がいないものだから俺が舵を取らないと全く動かないことだ。
 それじゃあ出発といったところで、応と声を張り上げる奴がいないから張り合いの無い事といったら。とは言え、こいつらが陽気になったらそれはそれで怖いのだが。
 集合場所になっている駅前に到着すると、ホームの横に鎮座しているベンチの前に2人の女性があれやこれやと談笑していた。
「すまん、ちょっと遅れたか」
「……ん、ああ。キョン。早かったね」
 集合時間より若干遅めに帰ってきたのだが、遅いと言われなかったのはそこにいたのがハルヒじゃなくて佐々木だったからだな。むしろ早いとかありえない。
「ちょっと、相談事で盛り上がっちゃってね」
 相談事、ね。多分世間話だと思うが。
 余談だが、女性……特におばちゃんたちがよくやる世間話は、なぜあれほど長い時間平然と喋っていられるのだろうか。それを解明するのはフェルマーの最終定理を一般人に分かりやすく解説するくらい難しいかもしれない。
 そこの2人をおばちゃん扱いするのは気が引けるので、面と向かってはいえないが。
「一応聞いておくがキョン、不思議なものは見つかったかい?」
 いいや。
「そうか。不思議といわれる現象がそれほど頻繁に発生していたら、それはもう不思議とはいえないからね。ゆっくり時間をかけて探す事にしましょう。みなさん、今日はお疲れ様でした。それでは解散」
 佐々木の宣言により、本日の不思議探索は解散となった。が、俺達の仕事はまだ残っている。これから佐々木と相談会だ。
 俺達二人は、皆がそれぞれ散った事を確認した後後、元の世界では常連となっている喫茶店に再び入店した。


「キョン、彼女、とってもいい人じゃないか!」
 喫茶店に入店し飲み物を注文した後、佐々木の顔は見る見る花を咲かせていった。
「午後の探索が始まって早速出かけようとした際、彼女が言ったんだ。「佐々木さんって、凄く美人ですよね。こんな綺麗な人見たこと無い」って。最初僕達と会ったとき、動揺していたのはそのせいなんですって」
 そうかい、そりゃよかったな。
「自分では決して美しいほうだとは思ってないけど、そう言われれば満更でもないね。それに彼女、あの橘さんとは違って凄く空気が読めるんだ。僕とキョンの関係を見て、なんと言ったと思う?」
 さあな。
「照れなくていいよ。君の思ったとおりの回答をしてくれたんだ」
 なるほど、中学の同級生ってことだな。
「くくく、全く予想通りの回答をしてくれてありがたい。僕も彼女にそう答えるだろうって予測はしていたんだ。でも彼女が素晴らしいのはここからなんだ。空気を呼んだ橘さんが、『あたしは二人の応援をしますから』だって!」
 ……何の応援だろうか? ニッポンチャチャチャだとか、テーハミングクとかだろうかね。
「彼女の記憶が戻らない理由は不明だけど、このまま何も知らない方が誰にも迷惑をかけなくていい気がするんだ。今度またうまい事言って部室に誘い出して、さっさと元の世界に戻ろう。更正された橘さんが元の世界に戻ってくれば、これほど心強いものはない」
 この世界の橘は、どうやら佐々木に真実を伝えてないようだ。確か午前中もコンタクトする気にはならないと言ってたしな。
 本当の事を知っているのは、俺とこの世界の橘だけであろう。九曜も何かしら気付いているかもしれないが。
「というわけで、彼女の趣味とか、やりたい事とかを団活で取り上げようと思っているんだ。彼女がまた部に来たいと思わせてね。そんな話をしてたらあっという間に時間になっちゃって。でも興味を持ってくれたからまた団活には来てくれそうなんだ」
 佐々木、残念だがあの次元断層は今度の金曜日まで開かないそうだ。
「え? そうなの? 誰がそんな事を言ってたんだい?」
 バカ正直に橘からですとはいえない。ここは得意とする嘘で誤魔化す。
「えーとな、九曜だ。九曜。不思議探索の午後の部で一緒だったじゃないか。そのとき聞いたんだ」
「ふむ、それはいささか不本意だけど仕方ないね。ならばそれまでに橘さんともっと信仰を深めたほうがいいかもね。彼女は流行にも機敏で、色々と教えてくれたんだ。今後流行りそうなファッションだとか、化粧映えしそうなメイク方法だとか……」
 その後わきゃわきゃと、楽しそうに喋りだす佐々木の9割以上の言葉を聞き流して、その日は終了となった。
 やれやれ。とんだ一日だったな。何より食いすぎ飲みすぎの一日だ。
 元の世界の橘にもらった、今は亡き(失礼)ブートキャンプのDVDを見る日が来たかな、こりゃ。


 この世界における橘京子のまさかのカミングアウトによって、俺達の世界の橘京子がいる場所もわかったし、俺達も温厚に返却してもらえることなって、これで事態は収束の方向に向かうだろうと高を括っていたが、しかし甘かった。
 俺達が帰還する、来週の金曜日まで平穏に過ごせば問題なかったのかもしれないが、そうは考えなかった奴がいた。
 しかも複数。
 そのため、俺は更なる面倒ごとに巻き込まれる羽目になった。



橘京子の消失(後編)に続く


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