12月30日
 
ピンポーン
予期せぬ来客を告げるインターホンの音に、わたしは作りかけの夕飯をそのままにして玄関へと向かう。
「はーい、どなたですか?」
チェーンロックをかけたままドアを開けると、そこには疲れきった表情のキョンの姿があった。
「え!? キョン?」
「………………」
キョンはわたしの顔を見て何かを言いかけたが、何も言わずにそのままうつむいてしまい、わたしは、思いがけないキョンの来訪に、気が動転して二の句が告げなかった。
ふたりとも、そのまま数十秒ほど玄関で見つめあい、吹き込んできた風に寒さを覚えてハッと我に返る。
「す、すまん佐々木。中に入れてくれないか?」
「あ、ごめん」
いったん扉を閉めてチェーンロックを外した後、キョンを部屋の中へと招きいれた。真冬だというのにジャンバーを着ておらず、まるで外出の予定もないのに突然家から追い出されたような感じだった。
部屋に入ってくるなりガタガタと震えながらコタツの中に入るキョンにお茶を差し出すと、寒さで真っ赤になった手を湯飲みで温めながらお茶をすすり、ようやく落ち着いた様子を見せた。
何があったかは容易に想像がついた。おそらく涼宮さんのことだろう。キョンがこうやって悩む理由を涼宮さんがらみ以外では思いつかないから。
「どうしたんだい、キョン? こんな時間に一人暮らしの女性の家を訪問するなんて。涼宮さんに痛くもない腹の中を探られることになるよ」
だいたいの理由は想像できたにも関わらず、あえてこのように問いかけたのはなぜだろう? きっと心のどこかに涼宮さんに対する対抗意識とキョンの鈍感さに対する不満があったからだと思う。
キョンは何も言わず黙ったままだった。刹那の時間様子を窺った後、夕飯のカレーを煮込んでいたことを思い出して台所へと向かおうとしたわたしの背中越しに一言、ようやくキョンの声が聞こえてきた。
「スマン、佐々木。一晩だけ泊めてくれ」
正直、この時間にわたしを訪ねてくるキョンを見て、この状況を予想しなかったわけではない。それでもこの一言は、わたしの心を揺さぶるには十分だった。
動揺しているのを悟られないように平静を装いながら、あえてキョンの方に視線を向けず、ぐつぐつとカレーを煮込んでいる鍋の中だけを見つめていた。
「その様子だと……涼宮さんと何かあったようだね」
「う……、ま、まあ……な」
「その話はご飯でも食べながらゆっくり聞かせてもらうことにしよう。それよりもキョン、キミと僕は確かに親友同士だが男と女でもある。間違いが起こるかもとは考えなかったのかい?」
「……谷口も国木田も古泉もちょうどいま留守にしているようで連絡がとれないんだ。頼む! 絶対にお前に変なことはしない。だから一晩だけ泊めてくれ。明日の朝になったら帰るから」
意を決したようにキョンは畳に手をついて頭を下げた。
見たところ、どうやらキョンは着の身着のままで下宿を追い出されたようだった。おそらくお金などまったく持っておらず、わたしが断ると野宿する羽目になるのかもしれないことは容易に想像がついた。
それにしても、見当外れのいいわけをするのは相変わらずだ。わたしの気も知らずに……
「それは、明日になれば涼宮さんのところに戻るということかい? でも、僕と一夜をともにしたことを涼宮さんが知れば、例え何も無くても、彼女はそう思わないんじゃないかな?」
「………………」
少し意地悪にそう言うと、キョンは暗い顔をしてそのままうつむいてしまった。その様子を見て、さすがにこれはちょっと言い過ぎたかなと反省してしまう自分がいる。
「まあいいか。後のことは後で考えよう。それよりも夕食の準備を手伝ってくれないか? できれば夕食でも食べながら、喧嘩のいきさつでも聞かせてくれるといいのだが」
わたしの言葉にキョンはちょっとだけ安堵した表情を見せて立ち上がる。
「どうすれば……」
「とりあえずそこの棚にある食器を机の上に並べてくれないか」
カレーを煮込む鍋の傍らで、キョンが食器を並べている様を期待と不安が入り混じったような感情を抱きながら盗み見ていた。
夕飯の用意ができ、わたしはキョンとコタツ机に向かい合って座ると、無言のまま一口、二口カレーを食べた。少し甘すぎただろうか。キョンの口に合えばいいのだが……
チラリとキョンの表情を窺うと、悩ましげな表情で何かを考えている様子ではあったが、味に不満はなさそうだった。
「くっくっ、どうだい、僕の作った料理は。キミの口に合うかな」
「あ、ああ、美味いぞ。まあ、お前には何でもできるイメージがあるから大して驚きはないがな」
「ふーん、それは光栄だね。じゃあ、涼宮さんの料理とどちらが美味しいかな?」
「え? な……」
「おっと、これは失礼。答えにくい質問だったようだね」
質問をした後で、余計なことを言ってしまったという後悔の念が押し寄せてきた。これではまるで、自分と涼宮さんを比較してくれと露骨な態度を取っているようでキョンの居心地が悪くなるではないか。
わたしの顔をじっと見ているキョンを見て、体中から汗が吹き出し、心臓の鼓動が早くなるのが分かった。
「あ、いや、それより涼宮さんと何があったんだい? よければ話してくれないか? 僕にできることがあるなら協力は厭わないよ」
少しだけ沈黙した後、キョンはポツリポツリと涼宮さんとの喧嘩のいきさつを話し始めた。率直な感想を言うと、涼宮さんが我侭ということもあるだろうが、そもそも喧嘩をするほどのことだろうか。
むしろ二人の仲の良さを自慢されているような感じがして、なんとも言えず複雑な気持ちだった。もちろん、わたしが聞いたのはキョンの言い分だけであり、涼宮さんには彼女の言い分があるのだろうが……
ただ、目の前にいる当人のキョンにとっては切実な問題だったに違いない。なにせ荷物も何も持たずにわたしの家を訪ねてきているのだから。
この寒空の下、着の身着のままで外に放り出す涼宮さんも涼宮さんだが、キョンもキョンじゃないかな。そのまま玄関で震えていれば、涼宮さんだって放って置きはしなかっただろうに……
もしかしたら、わたしの家を訪問してくるのはキョンなりの精一杯の涼宮さんに対する抵抗だったのかもしれない。
だとしたら、キョンはわたしの気持ちなど一顧だにしなかったのだろうか。それとも、知ったうえでこのような行動をとっているのだろうか。
キョンが話し終えた後、部屋の中には再び沈黙が戻ってきた。かちゃかちゃとカレー皿にスプーンが当たる音だけが部屋に響き、やがて夕食のカレーを食べ終わる。
「え、ええっと、お、俺の寝るところって、あるのか?」
カレーを食べ終わった後の皿をじっと見つめて何か話すことはないかと探していたわたしにキョンが話しかけてきた。
「え? ね、寝るのだったら、ベッドで寝ればいいんじゃ……」
「え、な、ええっと」
「あ、ああ、キミの寝る場所か。ええっと、隣の部屋にソファーがあるけど、それでいいかい」
「ああ、スマン、それで十分だ」
顔を真っ赤にしてうつむくわたしを尻目に、キョンは立ち上がり、食べ終わったカレーの皿を持って台所へと向かう。
「な、何してるんだい、キョン」
「いや、皿を……」
「い、いいよ。それは僕がやるから」
慌てて立ち上がり、キョンの腕をつかむ。
「そ、それよりも、寝る準備をしなよ」
「し、しかし、泊めてもらったうえにご飯までご馳走になって何もしないのは……」
「じゃ、じゃあ、明日買い物につきあってくれないかい。年末の買出しでたくさん食材を買うだろうから、荷物を持ってくれる人がいるとありがたいんだ」
「……わかった」
キョンはわたしにカレー皿を渡して隣の部屋へと向かう。わたしもカレー皿を台所の流しに置いて隣の部屋へ入った。
「そのソファーを使ってくれ。押入れの中に使っていない布団があるから……」
そう言いつつ、わたしは押入れを開けてすこし埃をかぶった布団を取り出した。
「あ、ありがとう」
「あと……お風呂はどうする?」
「着替えを持ってきてないから入らないよ。一日ぐらいならどうってことないさ。ああ、でもあんまり臭いと佐々木に迷惑かけるかな」
キョンは自分の着ている服をくんくんと臭い出した。
「そ、そんなことないよ」
慌てて否定するわたしの姿を見て、キョンは今日初めてわたしに笑顔を見せた。久しぶりに見るキョンの笑顔が妙に懐かしく感じた。
「じゃあ、何かあったら遠慮なく言ってくれ。僕は隣の部屋にいるから。ああそれと、僕はこれからお風呂に入るがこそこそ覗くのは止めてくれよ。万一にもキミにそんな趣味は無いと信じているが」
キョンの笑顔を見て緊張が解れたわたしはいつもの調子でキョンをからかって部屋の扉を閉めた。少し赤くなったキョンの顔が見れてちょっとだけ嬉しかった。
夕食の後片付けをしてからお風呂に入ろうとした時、さっき「覗くな」と言ったわたしに見せたキョンの顔が思い浮かび、心臓の鼓動が早くなるのが分かった。
「落ち着け、落ち着け」
小さな声で自分にそう言い聞かせて、気持ちを落ちつかし、なるべく普段と同じように振舞うことを心がけながら服を脱ぎ湯船につかる。
少しのぼせるくらいお風呂に入った後、パジャマに着替えてから物音を立てないように隣の部屋の扉を開けて中の様子を窺うと、キョンはすでにソファーの上で寝息を立てていた。
少しあどけなさの残るキョンの寝顔を見て、体中の力が抜けていくような感じがした。『いったい自分は何を期待していたのだろうか』羞恥心で体中がカーッと熱くなっていくのが分かった。
わたしの気も知らずにすやすやと眠る寝顔を眺めながら大きく溜息をついた。文句を言いたかったが、無邪気なキョンの寝顔がその気をそいだ。何より文句を言う理由が無い。
「おやすみ」
一言だけそう告げて、部屋の電気を消した後、自分のベッドに入りそのまま眠りについた。この日は極度の緊張を強いられたためか、いつもよりもすんなりと夢の世界へと誘われた。

 

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