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12月31日

 

自分の物とは違う携帯電話の着信音で、わたしは夢の世界から現実へと戻ってきた。一瞬、何が起こったのか分からなかったが、隣の部屋から漏れるキョンの話し声からすべてが理解できた。
「…………いや、谷口も国木田もいなかったんだ…………どこって、まあ知り合いの家だよ…………違う! 長門の家じゃない…………だから、どこだっていいじゃないか……お、おいハルヒ……」
漏れ聞こえる会話から涼宮さんがキョンのことを心配していることがよくわかった。キョンの身の心配と……キョンが浮気しないかという心配と……
カーテンの隙間から漏れる日差しが買い物にはうってつけの天気だということを教えてくれた。どうやら会話の内容から推測するに、ふたりが仲直りをするにはまだ時間がかかりそうだ。
そのことを喜んでいる自分と、キョンが困っているにも関わらず喜んでいる自分を責める自分、そしていま自分のしている行動に後ろめたさを感じている自分が混在している。
ベッドの上でそれらの気持ちの整理をしようと試みたが、無駄だと言うことを悟り、それよりも現状最優先でしなければならないことがあることに気づいた。パジャマから服に着替えること、身支度を整えることだ。
起きてすぐの寝ぼけた顔を見られると、いままで苦労して築き上げてきたわたしのクールなキャラが崩れてしまう。まして恋心を抱く異性にそのようなみっともない姿は絶対に見られたくない。
着替えの途中にキョンがばったりわたしの部屋に入って来るというベタな展開にはならないように、ふたりの会話の成り行きに注意しながらすばやく着替え、洗面台に直行し顔を洗い歯を磨く。
こんなに慌ただしい朝を迎えることになるのならキョンを泊めるべきではなかった。そんな思いがちょっとだけ頭をよぎった。
大急ぎで身支度を整えた後、キョンと涼宮さんの電話が終わったのを確認してか隣の部屋の扉を開けると、キョンはぎょっとした表情でわたしの顔を見た。
「くっくっ、どうやらまだ帰れそうもないようだね」
「佐々、おま、聞いてたのか?」
「盗み聞きする気はなかったんだが、そんなに大きな声を出されると聞くなと言われても聞こえてしまうよ」
「うっ!」
普段から周囲の目を気にせずにこんな風に痴話げんかをしているのだろうか。涼宮とキョンの距離が自分とキョンのそれよりもずっと近いことをあらためて認識させられる。
「まあ、そんなに気にすることはないと思うよ。普段からキミ達の仲の良さは嫌というほど見せつけられているからね。それよりもキョン、昨日の約束を覚えているかい?」
「約束?」
キョンは怪訝そうにわたしの顔を見る。
「昨日、部屋に泊まるお礼に僕の買物の荷物持ちをしてくれると言ったじゃないか! 忘れてしまったのかい! キミが自分の用件が済めば都合の悪いことは忘れるような人間とは思っていなかったよ!」
わたしの剣幕に驚いたのか、キョンは目を白黒させながら一言、
「……す、すまん」
と小さな声で謝った。その様子を見て、わたしはキョンから目を背ける。冷静に考えてみればそんなにムキになって怒るほどのことではない。普段ならそれぐらいの分別はつくのに……
どうして……どうしてキョンの前だけではそれができないのだろうか。こんな些細なことでキョンに嫌われてしまったら……
恐る恐る視線をもとに戻すと、キョンは少しすまなさそうな様子でわたしの次の言葉を待っていた。
「お、思い出してくれたのなら、そ、それでいいよ。僕も少し言い過ぎたみたいだ。ま、まあ、誰でも忘れることはあるのだから、そんなに気にしないでくれ」
キョンは狐につままれたような顔でわたしを見つめていた。
「ああ、じゃあ僕はこれから出かける準備をするから、もうしばらく待っててくれないか。キミも準備することがあるのならすればいい」
そう言って、キョンの視線から逃れるように自分の部屋へと戻った。
準備……と言っても別にすることもない。準備はキョンの電話の最中に既に整っているから。シャワーを浴びたいが、それではまるでキョンを挑発しているみたいで……ふしだらな女と思われても困る。
部屋の中で出かける準備をしているふりをして時間を稼いでから、もう一度隣の部屋へと向かう。
「準備できたから、そろそろ行こうか」
「……さっきとあんまり変わってないような……あ、いや、何でもない」
「キミは女性に対して失礼なことを言うね。あ、いや、それより、言いたいことがあるのならはっきり言ってくれ。僕とキミの仲じゃないか。ぼ、僕はキミとの間に距離が……できる……ことが一番……一番……」
「え、えっと最後がよく聞き取れないんだが……」
「いや、いい。じゃあ、早く行こうか」
キョンの腕をつかみ、玄関の扉を開けると、冷たい風が待ってましたとばかりに吹き込んできた。
「寒い」
キョンの腕にしがみつくと、キョンは少し戸惑ったようにわたしを見たが、ひきはがそうとはしなかった。空はどこまでも青く澄み渡り雲ひとつない。運命がわたしとキョンを祝福しているようだ。
玄関の鍵を閉め、まるで恋人同士のようにキョンの腕にしがみついてデパートへと向かう。たとえ今日一日限りの祝福でもよい。一瞬でも長くこの時を記憶に留めておきたい。この時は素直にそう思っていた。
だが、もしかしたらわたしは心のどこかでは予想していたのかもしれない。この後の……この物語の行く末を。
大晦日ということもあって、デパートはそこそこ混雑していた。正月用の食材を買うために地下に下りると、鮮魚店から威勢のよい掛け声が聞こえてくる。
年末ということもあり、どの店も二割、三割の値引きをしており、家庭の主婦と思しき婦人方がここぞとばかりに普段は買わないような高級な品々を買いあさっている。
さて、何をどれだけ買うべきだろうか。わたしひとりなら、それほどたくさんの食材を買っていっても意味がない。食べる量などたかだか知れているからだ。
しかし、キョンがこのままずっと泊まるとなれば話は違う。キョンは育ち盛りは過ぎたとはいえ成人男性だし、食べる量はわたしよりもずっと多いだろう。
昨日のカレーもわたしのだいたい二倍くらいよそおっていたのに全部平らげてしまったし……
キョンにひもじい思いをさせたくはないし、なにより家事もできない女だとキョンに思われたくはない。だから、正月三日間で食べるものが無くなったなどという失態を犯すわけにはいかない。
そんなことを考えながらあれこれと買物をしていたら、気がついた時には、キョンは両手に山ほどの荷物を抱える羽目になっていた。
「おい、佐々木、こんなに買って食べ切れるのか?」
「えっ……いや、キミの分も買っているんだよ。朝のやりとりから推測するに、まだ当分キミ達が仲直りするのは難しいと思ってね」
「……ま、まあ確かにそうかもしれんが……いつまでもお前の家にいるというのも迷惑じゃないか? 着替えもないし……」
「着替えならさっき買ってきておいたよ。男性用の下着だけだけどね。それより、何を遠慮しているんだい。僕とキミの仲じゃないか。それとも、僕といっしょにいるのは嫌なのかい?」
「い、いや、そんなことはない」
戸惑いながら慌てて否定するキョンの姿を見て少し嬉しく思った。ふと、目の前の情景に既視感を覚え、懐かしい中学時代の思い出がよみがえる。
通いなれた教室でわたしは机に座り、隣の席のキョンに話しかける。話の内容は思春期特有の背伸びした内容だったが、キョンは最後までわたしの話につきあってくれた。
そう、他のクラスメートは露骨に嫌な顔をして話を途中で打ち切ったり、馬鹿にした言い方でわたしを否定したが、キョンだけがわたしの話を聞いてくれたのだ。
あの頃は今のようにキョンのことをそれほど意識することはなかった。恋人というよりもむしろ兄弟に近かったと思う。思えばあの頃に比べてずいぶん距離が離れてしまったものだ。
仕方がないのだろう。キョンは既に涼宮さんとつきあっているのだから……違う高校に進学し、キョンと会うことなく過ごした時間が、いまさらになって恨めしく思う。
「キョン!」
突然、背後からかけられた声がわたしを現実の世界へと引き戻す。聞き覚えのある声、いつかこの時が来ることは予想していたが、なにも今でなくたっていいのに。
声をかけられたキョンは見る見るうちに蒼白になって、わたしの背後を見つめている。ゆっくりと振り返ると、怒りで真っ赤になった涼宮さんがわたしとキョンを睨みつけていた。
涼宮さんの両隣には長門さんと朝比奈さん、後ろには古泉くんが立っていた。朝比奈さんは少しおどおどとした態度で周囲を気にしていたが、残りの二人は無表情にわたしたちを眺めていた。
「どういうことよ! なんであんたが佐々木といっしょにいるのよ!」
「い、いや、違……」
「あんたがどこに行ったか心配して、ずっとずっとずっっと探し回ったのに!」
「お、落ち着けハルヒ」
「なのに! あんたは!」
「がふっ」
拳が腹に直撃しうずくまるキョンに、涼宮さんは容赦なく右のストレートをキョンの顔面にお見舞いし、キョンは後ろの商品を陳列している棚に豪快に倒れこんだ。
陳列されていた商品と商品棚の壊れる音が周囲に響き渡ったため、人々の注意がこちらに向き、わたしたちを中心に人だかりができ始めた。
「大っ嫌い!! あんたもう戻ってこなくていいわ!」
涙を溜めた目で倒れこんだキョンを睨みつけた後、涼宮さんは一瞬だけわたしをキッと睨み、そのまま疾風のように去っていった。
「涼宮さん」
ふたりのやりとりを心配そうに眺めていた朝比奈さんが、去っていった涼宮さんの後を追いかける。
「ハルヒ!」
よろよろと立ち上がり、涼宮さんの後を追おうとしたキョンを古泉くんが静止した。
「どけ! 古泉」
「まあ待ってください。いますぐ涼宮さんに会ったところで、おそらく話し合いにはならないでしょう。それより少し時間を置かれてはどうですか?」
静止する古泉くんの手を振り解こうとしたキョンに対して、あくまで冷静に語りかける。その表情もしぐさも普段と変わることなく、取り乱した様子は一切見せない。
「しかし……」
「涼宮さんのことは我々に任せてください。それより……」
古泉くんはチラッとわたしを一瞥する。
「まずはあなた自身が心の整理をすることが大切だと思いますよ。涼宮さんを選ぶのか、それとも……彼女を選ぶのか」
そう指摘されてわたしを見るキョンに、古泉くんはさらに続ける。
「僕や機関はあなたと涼宮さんにともに幸せになってもらいたい。しかし、決めるのはあなたです。僕達にそれを強制する権限はありません。だから、どのような選択をあなたがしても、僕達はそれを受け入れますよ」
このような騒動になっているにもかかわらず、まったく感情を表に表すことなく淡々とキョンだけにそう告げる古泉くんの姿から、逆にわたしに対しての冷酷さのようなものを感じた。
ふと、長門さんのほうに目を向けると、彼女はじっと無表情に僕を見つめていた。その視線はとても冷たく、敵意をむき出しにしているような感じさえ受け、身震いがした。
実際、SOS団の二人を前にして、わたしは場違いな場所にいるような息苦しさを感じた。彼らに受け入れられはしないと最初から思ってはいたが、まさかこれほどとは思わなかった。
「ここの後始末は僕達でしておきます。少し頭を冷やしてから、結論を出してください。あなたの人生にとっても重大なことですから、十分に時間をかけてもらって結構です。……長門さん、お願いします」
古泉くんが視線を向けると、長門さんは何か呪文のようなものを小声でつぶやきだした。すると、目の前に散乱していた商品棚の破片が、まるでビデオの巻き戻しを見ているようにもとに戻っていく。
目の前で超常現象が起きているにもかかわらず、周囲からは驚愕の声すら上がらない。皆、わたし達には関心をよせることなく年越しの買物に勤しんでいる。さっきまであれほど注目されていたにもかかわらず……
数秒もしないうちに、辺りは日常のデパートの地下売り場に戻った。
それでも、涼宮さんと会う前とは空気が違っているように感じた。ざわざわと喧騒が聞こえる地下売り場で、当事者四人の奇妙な沈黙がとても息苦しく感じる。互いが牽制しあっているような緊張感に押しつぶされそうになる。
「キョン、い、行こうか」
その緊張感に耐え切れなくなり、キョンの腕を引っ張る。
「あ、ああ」
キョンはびっくりしたように身体をびくっとさせてわたしの方を振り向くと、しばらく間を空けてから頷いた。おそらく声をかけるまでわたしのことなど、買物に来ていることすら忘れてしまっていたのだろう。
普段なら『涼宮さんのことを考えていたのかい』と尋ねてから、皮肉のひとつも言うのだが、この時はとてもそんな余裕はなかった。一秒でも早くこの場を離れたかったから。キョンの腕を強引に引っ張ってその場から逃げるように走り出す。
「お、おい」
キョンが何かを言おうとしたが、かまわずわたしはキョンの腕を掴んだままデパートの出口を目指す。年末でかみ合っている人ごみを掻き分けて、それでもキョンの腕を放さないようにしっかりと掴んで。
デパートから外に出て後ろを振り向き、彼らが追って来てないことを確認してようやく緊張の糸が解けたような気がした。
「佐々木……」
息を切らしてその場にへたり込んだわたしを見て、キョンが小さくつぶやく。
「え、何?」
「……いや、なんでもない」
「……そう」
何かを言おうとして思いとどまり、キョンはわたしから目を背けた。わたしはキョンの言いかけたことを、あえて問い直したりはしなかった。その勇気がなかったからだ。
わたしが感じている不安と孤独を、おそらくキョンも同じように抱いていることは容易に想像がついた。どれだけ長い時間もそれを解決する薬とはならないこともわたしは知っていた。
それを解決できるのはキョンの決意だけ。それでも、わたしには、いや、このときのわたし達には時間が必要だった。
「じゃ、じゃあ、帰ろうか。ちょっとトラブルはあったけど、このとおり荷物は無事だし、今日は腕によりをかけて料理を作るよ」
「……そうだな」
キョンは弱々しく微笑んだ。キョンのその微笑がわたしの心を揺さぶり、わたしまで悲しい気持ちにさせた。できることならキョンを悩ませている不安を取り払ってあげたかった。孤独を慰めてあげたかった。
いまの自分にそれができないことがとても悔しかった。わたしには待ち続けるしか選択肢が無かったことが。
デパートを出てしばらくの間、わたし達は何の会話も交わさなかった。キョンは終始悩んだ表情で何かを考えているようだった。辺りは黄昏で真っ赤に染まっていた。
途中、中学生男女の二人組を見かけた。男子学生は自転車を押し、その隣で女子学生は楽しそうに彼に話しかけている。
「佐々木?」
「え!」
「どうしたんだ? ぼうっとして」
「あ、いや、なんでもない」
彼らの姿が中学時代のわたしとキョンの姿とダブって見えた。あの頃はキョンに特別な感情を抱くこともなく、思ったことを何でも気軽に言えたのに……
いまでは自分の気持ちを表に出すことすら躊躇してしまうようになった。どうしてこんなことに……できることならあの頃に戻りたい。
夕日に染まる横顔を見て、すぐ近くにいるはずのキョンが手の届かない遠くへといってしまうような不安を覚えた。わたしが咄嗟に駆け寄り服の裾をつかむと、キョンは少し驚いた表情でわたしを見た。
「ど、どうしたんだ? 佐々木」
「い、いや何でもないんだ。少しだけ僕の好きなようなさせてくれないか」
うつむいたわたしを困惑したような顔で見た後、キョンは何も言わずに歩き出した。
アパートに到着した後、わたしは普段と同じように台所に行き、買ってきた荷物を冷蔵庫に放り込む。背後から「手伝おうか」とキョンの声が聞こえたが、わたしは丁重にその申し出を断り、居間でテレビでも見ているように薦めた。
料理を作っている最中にも今日のデパートであった出来事が脳裏に浮かんでは消える。涼宮さんの怒りの表情、古泉くんの冷淡な態度、長門さんの威圧的な姿、そして……
キョンはあの時、何を思っていたのだろうか。いや、そもそもいまキョンは何を思っているのだろうか。わたしはそれを知りたい。一方でそれを知ることを恐れている自分がいる。
居間の方に目をやると、キョンは無言でテレビを見ていた。その目はテレビに焦点が合っておらず、何かを考えているように見えた。きっと、キョンも悩んでいるのだろう。涼宮さんとの関係、そしてわたしとの関係に……
出来上がった夕食をお盆にのせて居間へと運ぶ。
「蕎麦か」
「嫌いかい?」
「いや、そんなことはない。ただ、大晦日に蕎麦とは佐々木らしいなと思って」
「どういう意味だい?」
「そんな大した意味はないんだ。俺の中ではお前は理論的なのに伝統を大切にする奴だってイメージがあるってことだよ」
「くっくっ、どんな形でもキミが僕にイメージを持ってくれているのは嬉しいよ。ただ、イメージと現実との間には常にギャップが生じる可能性があることは認識しておいて欲しいな」
キョンは両手を広げてやれやれといったポーズをする。その姿は、さっきまでの悩んでいたキョンのものではなく、わたしが普段目にしているキョンのものになっていた。
この短い時間の間に結論が出たのであろうか。いや、そんなことはない。キョンはキョンなりにわたしに気を使ってくれているのだろう。わたしに心配をかけないように。
「この海老天はわざわざ天然の車海老の殻を剥いて、いま揚げたばかりなんだよ。他の食材も用意できる最高の物を使っているつもりだ。僕にとっては自信作なんだが、はたしてキミの口にあうだろうか」
わたしはコタツ机を挟んだキョンの対面に座り食べるように促す。キョンはそんなわたしを見て苦笑した後、蕎麦をすすり始めた。
「うん、美味い。流石は佐々木が自信作だと言うだけのことはある」
「そう言ってもらえると、嬉しいよ」
そう言ったものの、キョンが美味しいと言ってくれるまで、失敗していないか不安でたまらなかった。この一言を聞いて、少しだけ心が軽くなった感じがした。その後、わたし達は言葉を交わすことなく蕎麦をすすり始める。
何か話題を見つけようとしたが適当な話題が思いつかない。チラッとキョンを見ると、キョンも同じことを考えていたようで、わたしと目が合い、慌てて視線を下に向けた。
沈黙の中、蕎麦をすする音とテレビの声だけが聞こえる。食べ終わった後も、わたし達は互いに言葉を交わさぬままその場でうつむいていた。まるでお互いが牽制しあっているかのように。
わたしが顔をあげ、キョンの方に視線を向けるのと同時に、キョンもわたしの方を見る。
「キ、キョン」
先に沈黙を破ったのはわたしの方だった。
「え!? な、何だ?」
「あの、今日のことなんだけど……」
「ああ、ハルヒのことか。気にしないでくれ。あれは俺とアイツの問題だからな。ただ、そのことで……お前が気を悪くしたのなら謝るよ」
「そうじゃない!」
ぎこちなく答えるキョンに、わたしは少し感情的になって叫んだ。キョンは少し驚いた顔でわたしを凝視する。
「そうじゃない……そうじゃないんだ……キョン。古泉くんの最後に言っていたこと……だよ……」
「佐々木……」
「ぼ、僕は……ずっと……ずっとキミのことが……なのに! キミは……僕は……僕は……」
告白の最中、涙がポロポロと溢れてきて、最後まで言葉を紡ぐことができなかった。そんなわたしの様子をキョンは驚きと困惑の混じったような表情で見つめていた。
心の準備をして告白したわけではなかったため、気の利いた言葉を使うこともできず、いままでわたしの想いに気づいてくれなかったキョンに対する鬱積した気持ちをぶつけただけになってしまった。
恥ずかしさと後悔の念がこみ上げてきて、思わずうつむいてしまった。それでも、ようやくキョンに自分の想いを伝えることができた。数年来の想いを。後はキョンの判断に身を委ねるだけ。
審判の刻
わたしの決意の言葉を聞いたキョンは、さっきまでとは違い、いままで見たこともないくらい真剣な顔になってわたしをじっと見つめていた。
刹那の沈黙。
キョンの手がわたしの方に伸びてきて、そっとわたしの手を握る。重なる視線、キョンの真剣な眼差しに息を呑む。こんなキョンを見たのはいつ以来だろうか。
「俺は……古泉に指摘されるまでずっとお前のことを兄弟のようにしか見てなかった。だから……お前の気持ちに今日まで気づいてやることができなかった。でも、ようやくお前の想いに気づくことができたよ」
「キョン……」
「佐々木は……俺なんかでいいのか? お前ならもっといい男とでもつきあうことはできるはずなのに。本当に俺で……」
キョンの眼差しに答えるように、じっとキョンの目を見つめて無言でうなずく。手を握っていたキョンの手がわたしの肩を抱き、ゆっくりとキョンの顔が近づいてくる。わたしは目を閉じる。
部屋の中の空気が普段とは違って感じた。街の喧騒がいつもよりも遠くに聞こえる。世界にはわたしとキョンのふたりきり。この瞬間、本当に心の底からそう思えた。
長い長い刹那の時間。キョンの息遣いを近くに感じる。ようやく学生だったあの日からずっと想い描いていた夢が現実となる日がやってきたのだ。
唇が触れようとしたその瞬間、ガチャっと玄関の鍵の開く音が聞こえ、わたし達は二人だけの世界から現実へと引き戻された。パタパタと廊下を歩く音がこちらに向かってくる。
慌ててコタツから這い出て扉を開けると、そこにはツインテールの少女の驚いた姿があった。
「うわ! びっくりした。なんだあ、佐々木さんいたのですね」
「た、橘さん……インターホンくらい鳴らしてくれないか。いくら合鍵を渡しているからって、い、いきなり入ってくるのは……その……」
「え? どうしてですか。いつものことじゃないですか」
戸惑うわたしの姿を見て首をかしげながら、わたしの背後に視線をやり、すべてを理解したようにうなずき始めた。
「あ、す、すみません、そういうことでしたか。わたしは預かっていたお手紙を持ってきただけですから、すぐに退散します。お楽しみのところ申し訳ありませんでした」
悪戯っぽい笑顔でそう告げた後、橘さんはわたしに手紙を押し付けるように手渡し、そのまま振り返りもせずに玄関から出て行った。彼女の後姿を呆然と見送る。
キョンに顔をあわすのがすごく気まずい。恥ずかしいという感情がこみ上げてきて、そのまま数秒間その場に立ち竦む。ようやく気を取り直して部屋に戻ると、キョンも同じ思いをしたようで真っ赤な顔でうつむいていた。
「ご、ごめん」
「い、いや」
沈黙が痛い。穴があったら迷わず飛び込んだだろう。目の前で座っているキョンも同じことを思っている様で、いままで見たこともないくらい真っ赤に顔を染めている。
「あ、え、そ、その、た、橘は、な、何の用事で……」
「え? あ、ああ、あの、て、手紙を届けに来てくれただけだよ」
「そ、そうか」
わたしはぎこちなく笑いながら元の場所へと座る。部屋の中の空気は、先ほどまでとは違って、愛を語れるような雰囲気ではなくなっていた。
キョンも居心地悪そうに視線を落としている。羞恥心を紛らわすために封筒を破り手紙を読む。
「な、何か重要な連絡なのか?」
「いや、大したことはないよ。祖父の造ったワインが出てきたから一度実家に帰って来てはどうかというだけの手紙だよ。まだ数年待たないと飲み頃にはならないのにね」
「ワイン?」
「ああ、祖父がそういう仕事をしていてね。僕が生まれた年に僕のためにワインを造ってくれたんだ。おそらくそれが蔵の中から出てきたんだろう」
「最近、実家に帰っていないのか?」
「就職活動が忙しかったからね。なかなかそんな暇はなかったんだ。そう言うキミはどうなんだい?」
「俺は……」
「涼宮さんといっしょの職場?」
わたしの質問に図星を突かれたようで、キョンは言葉を失ってしまった。確信があった訳ではなく、冗談半分に聞いただけだったのだが。気まずい雰囲気が漂い再び沈黙が戻ってきた。わたしは手に持っていた手紙へと視線を落とす。
「すまん佐々木、もう休むよ」
沈黙を破り小さな声でそうつぶやいたキョンはさっきよりも遠くに感じた。
「え、ああ、お風呂はどうする?」
「朝……入るよ」
よろよろと立ち上がり、隣の部屋へと向かうキョンの後姿を見て、なぜか切なさが胸にこみ上げてきた。声をかけようとしたが、かける言葉が見当たらず、そのままキョンを見送ることしかできなかった。
心の中に何かもやもやとした不快な何かを抱えたまま、夕食の後片付けをしてから風呂に入った。湯船につかりながら、これからのことを考えていた。キョンとのこと、涼宮さんとのこと。
『わたしはもう答えを知っているのではないか。ただ、それを認めたくはないだけで』そんな思いが頭の中をぐるぐると回る。答えは出なかった。
パジャマに着替え、キョンの様子を見に行こうかと迷ったが、結局キョンの部屋の様子を窺いには行かなかった。心の隅にある根拠の無い不安が、わたしを思いとどまらせたのだ。
さまざまな思いが頭を駆け巡る中、運命に身を委ねるようにわたしは寝床へと向かった。

 

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