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1月1日

 

朝、無機質な目覚まし時計のアラームでわたしは目を覚ました。普段と同じようにパジャマのまま朝食の準備をしに台所へ向かうと、そこには既に身支度を済ませたキョンの姿があった。
「え、あ、キ、キョン?」
「おはよう、佐々木」
恥ずかしさのあまり戸惑うわたしに、キョンは普段と変わらない様子で微笑みながら声をかけてきた。わたしは慌てて部屋の中へと戻る。
まさかこれほど早くキョンが起きているとは思わなかった。恥ずかしさのあまり顔から火が出そうなわたしに、キョンはドア越しに声をかける。
「佐々木、着替えが済んだらリビングに来てくれないか。お節介かもと思ったんだが……まあ、とにかく来てくれ」
少し照れたように話すキョンの様子に、いったい何事だろうと思ったものの、とにかく服を着替え、寝癖を直し、適当に身支度を整えてから居間へと向かう。すると、コタツ机の上に二人分の朝食がすでに並べられていた。
「泊めてもらっているのに何もしないのはどうも居心地が悪くてな。勝手に台所を触っていいものかどうか迷ったが、思い切って作ってみたんだ」
机の上を見て唖然としているわたしに、キョンは少し照れくさそうに頬をかきながらつぶやいた。
「迷惑だった……か?」
「と、とんでもない! キョンが僕のためにしてくれることが迷惑だなんて……」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。じゃ、じゃあ食べようか。味の方は保障できないが……」
「ちょ、ちょっと待って」
そう言って、わたしは洗面台の方に向かうと、両手を念入りに洗ってから再び居間へと戻る。
「ど、どうしたんだ?」
「いや、キミの手料理を食べるのは初めてなんで、その……」
「はは、大袈裟だなあ。こんなものでよかったらいつでも作ってやるぞ」
「え? それって……」
期待を込めた視線でキョンを見つめたが、キョンは既に目の前にあるご飯を食べていた。気を取り直して、わたしもキョンの作ってくれた料理に箸をつける。
ご飯と味噌汁、それに玉子焼きと焼き魚、どこにでもある普通の朝食だったが、わたしには至高の料理のように思えた。
実際、キョンの料理はおいしかった。後で人づてで聞いたところ、涼宮さんとふたり暮しをしていた時にみっちりと仕込まれたのだそうな。朝食を食べ終わり余韻に浸っていると、キョンが食器を片付け始める。
「後片付けなら僕がやるよ」
「いや、最後まで俺にやらせてくれないか。中途半端なのはどうも……」
「……分かった」
台所から聞こえるキョンの食器を洗う音を聞いて、いまの状況がキョンとの新婚生活のように思えてきた。派手ではなくても何気無い幸せがここにある。
キャリアウーマンになるために必死で一流企業を回り、就職活動をしていた数ヶ月前を思い浮かべて、そのころの自分の姿が何か遠い追憶の彼方にあるような錯覚に陥る。
あのときに比べてゆったりと流れる時間、おだやかな朝の風景。もし、このままキョンとの生活が営めるのであれば、わたしは他のすべてを捨ててもいい。一流企業の内定も、大学の学位すらも。
そんな物思いに耽っていると、食器を洗い終わったキョンがタオルで手を拭きながら台所から出てきた。
「今日は何か予定があるのか?」
「うーん、別にこれといって無いけど、せっかくの元旦だから近くの神社に初詣に行くというのはどうかな」
「ああ、いいぞ。どうせ俺はすることが無いからな」
「じゃあ、出かける準備をするからちょっと待っててくれないか」
キョンがうなずくのを確認してから、わたしは自分の部屋へと戻ると、ちょっとだけ気合をいれて化粧をし、とっておきの服を取り出して、精一杯着飾ってキョンのもとへと向かう。
玄関の扉を開けると、昨日よりもさらに冷たい風が吹き込んできた。空を見上げて納得、昨日とは違っていまにも雪が降りそうなどんよりとした厚い雲に空一面が覆われていた。
「部屋の中で待っててくれてよかったのに」
「いや、まあこれは俺の癖みたいなものでな。それより……馬子にも衣装というか、こうやってあらためてお前の着飾った姿を見ると、年頃の女性なんだなあってつくづく思うよ」
「くっくっ、それはどういう意味かな、キョン。キミは普段僕のことをどんな風に見ているのか一度問い詰める必要がありそうだね」
照れ隠しに悪戯っぽく笑うキョンの顔を覗きこみながら、わたしはキョンの腕に自分の腕をからませた。
「じゃあ行こうか」
真冬特有のキンとした寒気の中、わたし達は互いに身体を寄せ合いながら歩いてゆく。あまり有名ではない神社ではあるが、それでも道中で晴れ着姿の女性の姿をちらほら見かけた。
「佐々木は願掛けなんか信じたりするのか。もしそうならちょっと意外だな」
「もちろん僕だって神頼みくらいするさ。科学的根拠がないというだけで、すべてのものが間違いであるとは限らないからね」
「ほー、じゃあ今日は何を神様にお願いするんだ?」
「それは秘密だよ、キョン。互いに隠し事があるくらいが、男女の距離としてはちょうど良いと思わないかい」
「まったく、お前は相変わらずだなあ」
キョンは、学生時代と同じように、少しあきれた様な表情で笑い始めた。わたしもキョンにつられて笑い出す。
今日はわたしにとって特別な一日。でも、これからはこんな風にキョンと腕を組んで歩く日が何気無い日常の一日になって欲しい。それがわたしの願い事。
学生時代には何気無い日常の出来事だったけれど、失って初めてそれが幸せであったことに気がついた。もう一度その幸せを取り戻したい。
「知ってるかい、キョン。この神社の神様はね。縁結びの神様でもあ……どうしたんだいキョン」
神社の石段の前まで来て、急にキョンが足を止めた。驚いてキョンの顔を見ると、キョンは決して忘れてはいけない何か重大なものを急に思い出したかのような表情で石段の一番上を見つめている。
石段の頂上に目を向けると、そこにはいまにも泣き出しそうな顔をした涼宮さんがわたし達をじっと見つめている。この時の彼女は触れてしまうと壊れてしまいそうなくらい脆く儚い感じがした。
じっとわたし達を見つめる涼宮さんを、わたし達も見つめる。誰一人身動きひとつせず、時間だけが過ぎていく。辺りのざわめきが遠くに聞こえる。
同じ空間を共有していながら、わたし達三人だけがまるで別の世界に立っているかのような錯覚を受ける。その世界でキョンとわたしの鼓動と息遣いだけが確かに聞こえていた。
どれぐらい時間が経っただろう。ほんの数秒だったのかもしれない。いや、もしかしたら何時間もそこに立ちすくんでいたのかもしれない。ただひとつ言えることは、その時わたし達は、周囲の人々とは異なる時間の流れに身を置いていたという事だ。
突然、一言も言葉を発することなく、涼宮さんは身体を翻し、神社の方へと走り去ってしまった。
「ハル……」
一瞬、涼宮さんを追いかけようとして、わたしがいることを思い出したようにその場に立ち竦む。
沈黙
「行きなよ」
「え!」
涼宮さんの去ってしまった後の石段の頂上を眺めたままそう言ったわたしの顔を、キョンは拍子抜けしたような表情で眺める。
「いまなら間に合うよ……きっと」
「いや、しかし……」
「キミはいまでも涼宮さんのことが好きなんだろ! だったらここで追いかけなければ、キミは一生後悔することになるよ。キミはそんな姿をずっと僕に見せつける気かい?
僕はまっぴらごめんだよ! キミそうやってうじうじと過去を後悔しているのを見ながら過ごすなんて」
キョンの目をじっと見つめて声を荒げる自分が、いつの間にか涙を流していることに気づいた。そんなわたしを、キョンは申し訳なさそうに見つめている。
そんな表情で愛しい人に見つめられることに耐え切れず、わたしはキョンから視線を逸らして横を向いた。
「追いかけて……ちゃんと話し合って……それでもし……もし、キミが僕を選んでくれるのなら、もう一度僕の部屋に来なよ。待ってるから」
「佐々木……スマ」
謝りかけてキョンは言葉を止めた。おそらく、キョンなりの配慮だったのだろう。石段を駆け上がり涼宮さんを追いかけるキョン。
わたしはキョンの姿が見えなくなった後も、ずっと石段の頂上を眺めていた。キョンが去ってしまったその後を。突然、何か冷たいものが頬を撫でる。空を見上げると、白い水の結晶が後から後から降り注いできた。
「雪……か……どおりで寒いわけだ……」
ひとりつぶやいてみても返事は返ってこない。さっきまで横にあったはずの温もりが悲しいくらいに愛しい。
ゆっくりと視線を足元に落とし、ひとりぼっちになってしまったことの寂しさを噛みしめた後、初詣の人でにぎわう中を自分の部屋へと引き返す。いいしれぬ空しさが胸にこみ上げてきた。
部屋に帰る途中、『二人分買った食材をどうしようか』とか『藤原ならきっと規定事項だの一言で済ますんだろうな』といったどうでもいいような考えが頭の中をぐるぐると回りだした。
同じように、涼宮さんとけんかをしてわたしの部屋を訪れた時のキョンの顔やデパートで会った仁王立ちした涼宮さんの顔、突然部屋にやって来た橘さんの顔、その時の情景等も頭の中を回りだし、だんだん訳が分からなくなってくる。
混乱していてどの道をどうやって、どれぐらいの時間をかけて帰ったかは覚えていない。気がつくと、わたしは部屋の中で立ち竦んでいた。部屋の中の静寂がよりいっそう孤独を引き立たせる。
部屋の中の家具の位置が、カーテンの色が、本の並べ方がいままで過ごしてきた部屋とは違って見える。何も変わっていないと理性では分かっていても、なぜか納得できない。
いままで四年間ずっと一人で過ごしてきたはずなのに、いまの一人の部屋こそが非日常であるかのように思えてくる。たった一日か二日のためにこんな気持ちに陥るなんて……
寂しい……寂しい……寂しい……
ところどころに残るさっきまでキョンがこの部屋にいた残滓が、わたしの寂しさをいっそうかきたてた。
この部屋を出るときは一人で帰ってくるなんて考えてもいなかった。一人ではしゃいでいた自分を思い返すと、とても惨めで情けない気持ちになる。
上着を脱いでハンガーにかけようとした時、部屋の中の風景が一瞬だけ揺れたように感じた。何事かと違和感を感じた方向に視線を向けると、空間の歪みから抜け出るように九曜さんが目の前に姿を現した。
「九曜……さん……?」
「どうして――――泣いてる……の――――」
不思議そうに首をかしげながら、彼女はわたしの頬を撫でて涙を拭いた。彼女の言葉がトリガーとなり、自分の中にある衝動を抑えきれなくなった。
ダムが決壊したかのように、堰き止めていた感情がわたしの中から溢れてくる。その場に膝をつき、わたしはすがるように彼女にしがみついた。
「あ、あ、あ、うわああああああああぁぁぁっ! あああああああああぁぁぁぁぁっ!」
小柄な彼女の身体を抱きしめて泣き叫ぶわたしの姿を、彼女はいつもと変わらない無垢な表情で眺めていた。

 

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