エピローグ

 

結局、キョンは帰って来ることはなかった。
その後、わたしは3月いっぱいで借家を引き払い、都会で部屋を借りて、内定をもらっていたいわゆる一流企業と言われる会社で働き始めた。
いまの生活にまったく不満が無い訳ではない。それでも、数ある選択肢の中では、おそらくいまの会社が一番ベストだったと思っている。しかし、ふと日常の生活の中で物足りなさのようなものを感じてしまうのも事実だ。
ふたりに視線を向けると、さっきまで騒いでいた涼宮さんは疲れてしまったのか、キョンに身体を預けるようにしてすやすやと寝息を立てている。そんな涼宮さんをキョンは穏やかな表情で眺めていた。
そんなキョンと涼宮さんの姿を見て、ふと、ある一つの考えが思い浮かんだ。
『もし、あの日、わたしとキョンが結ばれていたら、わたし達三人の関係はどうなっていたのだろ』
きっと、目の前の穏やかな二人の姿など見ることは無かっただろう。わたしとキョンだって幸せになれたかどうか分からない。贖罪の意識を背負って生きていかなければならないのだから。
目の前で寝ている涼宮さんはとても幸せそうな顔をしていた。彼女を見守るキョンの表情からも、二人の生活が幸せで溢れていることを想像させた。
幸せな二人の生活。できることなら、いま涼宮さんのいるキョンの隣にわたしが寄り添いたかった。でも、それはいくら想い願っても仕方が無いこと。
きっと、運命だったのだろう。あの日、デパートで涼宮さんと出会ったことも、橘さんがわたしの部屋へ入ってきたことも。
さらに言えば、わたしとキョンの出会いが早すぎたことも、キョンと涼宮さんが結ばれたことすらも、予め人生という舞台の台本に綴られていたことなのかもしれない。
結局、わたしはキョンの運命の人にはなれなかった。それでも、涼宮さんの寝顔を眺めるキョンの幸せそうな横顔を見ていると、心の中にポッカリと空いていた空白が満たされていくような感じがする。
あの日、キョンを涼宮さんのもとへ行くように促したことを、後になって何度も何度も後悔した。あのまま何もしなければ、キョンはきっとわたしを選んでくれたのにと。
でも、目の前でわたしの好きな人が幸せに暮らしているという事実を知って、いまこそ胸を張って言うことができる。
『あの日のわたしの下した決断は、決して間違いではなかった』と。
二人から視線を逸らして窓の外に移すと、見慣れた街並みが広がる。電車のアナウンスがわたしが降りるべき駅が来たことを告げた。電車の音がブレーキ音に変わる。
電車から降りる間際、乗客の間からチラッと二人の様子を窺うと、さっきと変わらず、キョンにもたれて眠る涼宮さんの姿が映った。小さく溜息をついてから、人の波にのまれるように電車を降りる。
出入り口のドアが閉まり、電車がガタン、ガタンと音を立てながらもう陽が沈み暗くなってしまった夜の向こうへと消えていった。
あの日、石段の向こうに去ってしまったキョンを見送ったときのように、灯りが見えなくなるまでずっと電車の進行方向を見つめていた。
ふと、冷たいものがわたしの頬を撫でる。
見上げると、駅の外灯に照らされて、あの日と同じように白い水の結晶が後から後から落ちてくるのが分かった。
「雪……か……」
あの日と同じようにつぶやいても、当然返答は戻ってこない。それでも、今日はあの日とは違う。まだ完全に心の整理ができたわけではないが、あの日には無かったものをいまのわたしは持っている。
いつか、あの日のことが遠い過去の出来事になってしまったときは、二人に会いに行きたい。そして……
コンコースのざわめきが耳に届き、想い出の世界から日常の世界へと戻ってきたことに気がついた。
偶然……なのだろうか。二人の姿を見たことは。違う。彼らはわたしを励ましに来てくれたのだ。無意識の内に。たぶん……いや、きっと。
ほろ苦い過去の想い出に浸りながら人ごみにまぎれて改札口を通過するとき、ふと、あることを思い出した。
「そうだ……ワイン……」
あの日の想い出のワインがそろそろ飲み頃になっているはずだ。次の連休には実家に帰って、あのワインを飲むことにしよう。
 
わたしとキョンと涼宮さんが生まれた年に造られた、あのワインを。
 
 
~終わり~


|