翌日の放課後。
俺は疲れきっていた。
中庭の木、その木陰に寝っころがり休む。

「はぁー…。しかし…今日のアイツはいったい何なんだ…?」

最近ずっとおかしかったが、今日は特にひどい。
完璧にどこかイカれちまったのか?





今朝、ハルヒは俺の家の玄関どころか、ベッドの中まで侵入してきた。

「さっさと起きないと死刑よ」

それぐらいで死刑にされたら毎朝、葬儀場は大儲けだ。
その後も通学路で手を握ってくる始末。
俺が離そうとすると、肉食獣のような目で睨んできた。

「離したら食い殺す」

その目は雄弁に語っていた。つーか脅していた。
やむなくそのまま登校、教室まで特攻。
クラスメイトからは散々ひやかされ、谷口などはアワを吹きそうだった。

授業中も後ろからビシバシと容赦なくノートの切れ端が飛んでくる。
それに書かれてあったのは、

「好きな食べ物は?」
「どんなコがタイプ?」
「おっきい胸と小さい胸どっちが好き?」

…お前はどこの梨本だ。

昼時になってもハルヒは絶好調故障中。
馬鹿でかい弁当箱を取り出すと、それを俺の机にバンッと叩き付け、

「あんたのために作って来てあげたのよ。ありがたく食べなさい!」

とのお言葉。
教室のひやかしは満員御礼最高潮。
コイツはクラスメイトをジャガイモか何かと思ってるんじゃないだろうな。
第一、そんなにも食えるか。
出来るだけ無理矢理詰め込み、午後の授業は唸る事になった。
…まぁ、美味かったが。
ちなみに針は入っちゃいなかった。

そうしてようやく辿り着いた放課後。
俺は南北国境地域のようなハルヒの監視を抜け出すと、部活をサボり、一人中庭に出ていた。








もしかしたら今もハルヒが腐った死体のように俺を探して校舎をうろつき回っているのかも知れん。
…勘弁してくれ。たまには一人にもなりたい。
その内、俺が男子トイレに居ても特攻して来そうな勢いだ。
……充分ありえそうで恐い。


…それにしてもハルヒか。

…それにしてもハルヒな。


アイツが故障しだしたのは…恐らくアイツの誕生日の次の日から。
その日の朝には俺の部屋を襲撃するという暴挙に出たからな。
…誕生日の夜にも随分と、かましてくれたが。


それに最近たまにハルヒが自分の胸を触っているのを見る。
…いや、性的な意味じゃなく。

胸元をぎゅっと握っている。
制服を握ってる…って訳じゃないだろうな。
…その制服の奥に何が揺れてるんだか。
……俺には全く心当たりが無い。あぁ、これっぽっちも無いね。





「こんな所で一体何をしてるんです? 涼宮さんが部室でお待ちなのでは?」

俺がハルヒイズムを考察していると突然声が降ってきた。
声のする方を見上げれば、そこには古泉。
部室に向かう途中で俺を見かけたのか。

「…お前か古泉。いや、後で行く。ちょっと…休ませてくれ」

俺は起き上がるのも億劫で寝そべったままに答える。

「これはこれは…お疲れですねぇ」

あれだけ追い掛け回されてみろ。
誰だって疲れるぞ。

「…そういえば。聞きましたよ?」

古泉がふっと特上爽やかに笑った。
愉快なのが抑えられないって感じだ。
…コイツがこんな表情の時は大体ロクな話じゃない。

「…何をだ」

「今朝、涼宮さんと仲良く手を繋いで登校なさったそうですね。学校中の噂になっていました」

…是が非でも聞きたくなかった情報だな。
ほらみろ、やっぱりロクな話じゃねぇ。

「どうですか? 今や時の人となってしまった心境は」

どうでもいいが、なんでお前はそんなに楽しそうなんだ古泉。

「…俺は永遠にひっそりとしていたかった」

元々涼宮ハルヒの名は校内に知れ渡っている。
そのとばっちりが俺に来る事は無いと思っていたのだが。
…甘かった。



「僕が言う事では無いのかも知れません。が…そろそろ年貢の納め時、なのでは無いですか?」

俺の頭上の木にもたれかかる古泉。
その葉の隙間からは細く、とても細く陽光が差していた。
絹糸のような光が俺と古泉を淡く照らす。

「…国民年金はまだ払わなくていい年だったと思うが」

「ふふっ。そうではありません。あなたも気付いているのでしょう? 涼宮さんの気持ちに」

…その表情は俺からは見えないが、絶対にニヤついているという確信があった。

「…何に気付いていると言うんだ」

「…おやおや。まぁ…今はいいでしょう。お二人の問題、ですからね」

古泉は肩を竦めると、スッと歩き出す。

「もう行くのか?」

「えぇ、あなたと僕が居ないと、涼宮さんがヤキモキしてしまうかも知れませんから。…それでは」

古泉は軽く右手を上げると颯爽と去っていった。
…なんだそりゃ。







古泉が立ち去った後、俺は古泉の言った意味を考えていた。
…ハルヒの気持ち。
…まぁ、あれだけアプローチというか何というか。
中には訳の分からない行動も沢山あったが、弁当を作ってきたり、手を繋ぎたがったりというのは…アレだろう。
流石に俺でも思い当たる。
でもな、あのハルヒだぞ?
アイツが誰かに惚れる…なんて事があるのか?
しかもその相手が………ってのはな。
天地がひっくり返ってもありえないような気がするが。

「…分かんね」

俺は考えるのも面倒になって、目を瞑る。

…暗闇に。ハルヒの顔が浮かんだ。










…柔らかい。
まず始めに思ったのはそれだ。
ふわふわと頼りなく、それでいて弾力がある。

次に思ったのは暗い。
あまりに暗い。真っ暗だ。
そりゃそうだ。俺は目を瞑っていたらしい。

それに気付いたのは、俺の体が意識の覚醒より早く、自然と目を開けた時。
辺りはすっかり夕暮れに染まっていた。



「……ん……。…寝ち…まってたのか…」

身を起こそうとした時、俺の頭を誰かがそっと抑えた。

「動かないで」

…すぐ頭上から声が聞こえた。
………ハルヒの声にやたら似てるな。

というか…。
ちょっと待て…?

…俺の頭を抑えた?
…なんか…おかしくないか…?

首を動かし頭上を見やると、そこには最近、特に見慣れたハルヒの顔があった。

あー……なんだ…?


「……なぁ、ハルヒ…。ひとつ聞きたいんだが…」

「起きたと思ったらすぐ質問? 一体何よ?」

「…これ、なんだ…?」

「これ? …膝枕の事?」

…そうか。これが伝説に聞く膝枕ってヤツか。
あー…これがなー………





って膝枕だと!?


「ちょ―――!」

「動くなって言ってんでしょ!?」

俺がガバッと体を起こそうとした時、ハルヒが俺の首根っこを真後ろから引っ張った。
起き上がりかけていた俺の体が、反動込みで勢いよく後ろに引き倒される。





ガツッ!


「ぐがっ!」

俺の後頭部にハルヒのヒザにクリーンヒットした。…いや、逆か。
…そんな事よりピヨピヨが見える。つか、痛ぇ。
とりあえず痛ぇ。
ボヤボヤしていた意識が一瞬で完全に凝り固まった。

「…あんた、何やってんの?」

痛みに悶えながらも頭上を見ればハルヒの呆れ顔。
…俺はお前に同じ事を小一時間、問い詰めたい。
この際、吉牛で無くてもいい。すき屋でも松屋でもいいから小一時間、問い詰めたい。

「…ッ…! 痛いんだよ…!」

「そ。あたしはあんまり痛くない。それにあんたが起きようとするから悪いのよ」

いや、全く意味が分からん。
ヒザと後頭部じゃ、その防御力に雲泥の差があるだろ。
その理屈も、マジで全然まったく何にもかもこれっぽっちも意味が分からん。

「そこじゃ硬いでしょ。ほら、もうちょっとこっち、来なさいよ」

痛がる俺を全く気にせず、ハルヒが俺の体をずり上げようとする。
かくして正座を崩した格好のハルヒのふとももに、俺の後頭部が納まった。
さっきヒザをもらった所がそっと包まれる感じだ。

…くそっ、暖かい。





「あー…ハルヒよ」

「また質問? 一回で終わらせなさいよ。今度は何?」

「どこから聞いたらいいのか分からんのだが。動くなと言うならとりあえず教えてくれ」

「だから何?」

「なんなんだ、この状況は」

中庭×夕焼け×膝枕。

確かに憧れた状況ではある。
けれどその相手は黒髪ロング・ポニーテールのおしとやかなお嬢様だったハズだ。
…今時、そんなヤツ居ないか。

「ココに来たらあんたがバカみたいに寝てたから。このあたしが膝枕でもしてやろうかって思ったの。感謝しなさい?」

……ハルヒは放課後になっても大絶賛故障中のようだった。
ふと疑問が湧く。

「…よくここに居るって分かったな」

「何言ってんの。ココ、部室から丸見えじゃない。それに古泉君があんたがココに居るって教えてくれたしね」

…俺を売ったな、古泉。

「…なるほど。それは分かった。理解した。…しかし、なんでまた膝枕なんてしようと思ったんだ」

「…それは……。したく…なったから。それじゃ悪い?」

ハルヒの声の調子が変わる。
その表情が気になったので頭上を見上げたが、ハルヒはそっぽを向いていてその顔はよく見えなかった。

「…まぁ別に…悪いって訳じゃないだろうが」

「それじゃ、おとなしくされてなさいよ。気持ちいいでしょ?」

あの。涼宮さんちのハルヒさん。
気持ちいいでしょ? とか嫁入り前の娘がそんなこと言うんじゃありません。
…が。残念ながらハルヒのふとももは、華奢に見えてその実、すこぶる柔らかかった。

「…そこそこ、な。この膝枕の意味は、分からんが」

「…そ。わかんないなら、わかんないでいいじゃない。
………うーーーんっと…っ! 風が、気持ちいいわね」

ハルヒが、両手を天に突き上げ背中を伸ばす。
ハルヒの髪を、穏やかな風がふわっと揺らした。
ハルヒが動くと、その柔らかいふとももが俺の後頭部や首筋に押し付けられる。

…つーか、あまり動かないでくれ。

ハルヒの髪を揺らした風は、俺をも薙いだ。
…確かに、いい風だ。







っておい。
なに俺はのんびり和んでんだ。

なんだこの空気。
なんだこの甘さ。
なんだこの状況。

恐らく。激しく恐らくだが、この光景を見た奴等は100人が120人、俺達が付き合ってると誤解するんじゃないのか。
ハルヒは何がしたいんだ。
キャラじゃないとかいう次元じゃないだろ。

…ちょっと待て。

「…お前、ホントにハルヒか? …古泉が化けてるなんてオチは無いよな?」

「…はぁ? あんた何言ってんの? そんなにさっきの打ち所悪かった?」

…思いっきり馬鹿にされましたとさ。
めでたし、めでたし。

…安心したぜ。心底。
ここまで来て、その路線は無いと思ってたが。
人を信じるってやっぱ大事だ。





「ねぇキョン。そんなコトより、よく眠れた?」

ハルヒはパッと俺を見下ろすとそう言った。
…そのニヤついた顔は言外に「あたしの膝枕が気持ちよかったから、よく眠れたでしょ?」と告げている。
……実際、気持ちよく寝ていたようだった。…えぇい、何か知らんが負けた気分だ。

「…まぁな」

「ふっふーん。あたしのおかげよ? 感謝し、敬い、へつらいなさい?」

へつらうってどういう意味だったか。
少なくともライジングニーを後頭部にブチ込むって意味じゃなかったよな。たぶん。
…まだ痛ぇ。

「俺、どれぐらい眠ってたんだ?」

「一時間ぐらいじゃない? 少なくともあたしが来てからは、それぐらいしか経って無いわね」


…一時間?

…OK、そうだろうさ。そうだろうな。
それぐらいなハズだ。
確か俺が眠りこけちまう前には、まだ太陽は白かったからな。
それが今は見事なオレンジ色に染まっちまってやがる。

しっかり起きたと思っていたが、どうやら多少ぼけていたらしい。
…ことの重大さに気付いて来た。

「…もしかしてお前、その間ずっとこの体勢だったのか」

「そうよ。通りかかる奴等がジロジロこっち見て来て、ウザイったらありゃしなかったわ」



…えええええーと、だな。

じょじょじょじょ状況を冷静に考えようううううか。
まままままっまままままぁ落ち着けけっけけけよ。

…主に俺が。


俺達は今、膝枕なんて似合わない事この上ない状況に置かれている。
それは間違い無い。
何故って柔らかいからだ。

で、だ。
普通そんな事は恋人、家族またはそれに順ずる関係で無い限りはしない。
何故って日本人は恥ずかしがり屋だからだ。

そうしてここは学校。
部活をしていない生徒は、その大体が帰る時間。
何故って授業は終わったからだ。人通りはそれなりに多かったハズ。


ここまでを、要するに。


………激しく認めたくないが、どうやら俺は学校内においてハルヒの彼氏って立ち位置が確定したらしい。

多数決の暴力。
民衆の総意。
立てよ国民。

…笑う所か? これは。
…むしろ、笑うしかねぇ。

「はは…ははは…」

自然と乾いた笑いが漏れた。

「…どーしたのあんた急に。壊れた?」

お前にだけは言われたくねぇよ、ハルヒ。


「…いや、なんでもない。それより、脚、痛くならなかったのか」

俺は悩める頭をなだめすかしながらも聞いた。
一時間も同じ体勢だったら脚以外も痛くなりそうなもんだが。

「…へ?」

ハルヒは意外そうな顔をした後、

「…いいわよ、そんな事。あんたが子供みたいに口開けて寝てる姿、傑作だったから」

…と答えた。

…そんなもん見てんなと。
……そんなに穏やかに笑うなと。
………こっちまで。安らかな、気分になるだろ。




















…いかん。いかんぞ。
空気に呑まれ過ぎているのが自覚出来る。
しっかりしろ、俺。

「ハルヒ。…最近おかしいぞ、お前」

この甘ったるい空気を打破するためにも、いい加減気になっていた事を聞いた。
ハルヒがおかしいのは出会った時からだが、最近の異常さは、それとはまた別だ。

「おかしいとは失ッ礼ね。……あ」

ハルヒの目が輝いた。
イタズラを思いついた子供みたいに。
…嫌な輝きだな、おい。

「そうね。おかしいって例えばどんな所が?」

「…例えばって…。えーと…だな…」

ここ最近のハルヒの行動。
…何やら思い出すのも恥ずかしいのだが。
俺がドモっていると、ハルヒの方から切り出した。


「手を握ったり…おべんと作って来てあげたり…」

突然俺の視界がハルヒの手に遮られる。
その手が俺の額にかかった髪をそっと払った。

「…膝枕、してあげたり?」

…視界を覆っていた手がどかされた時、ハルヒはニヤけてやがった。
……お前、絶対的に確信犯だな。



「…キャラじゃないだろ」

「あんた、まさか意識してるワケ?」

…コイツは。

「へぇー。そーなんだー。キョンはあたしのコト、意識してるんだー?」

…意識、ね。
…どっちがだよ。

「…別に意識してる訳じゃないが」

「ウソね。そんなコト言ってもあんたの顔真っ赤よ? 照れてるのがバレバレなんだから」

…お互い様だろ。







「それに…あの日だってあんた…、あたしにキスしようとしたじゃない」

ハルヒの声のトーンがからかうようなそれから、真剣なものに変わる。
空気が張り詰めた気がした。
手綱を握るのはハルヒ。

…あの日。
ハルヒの誕生日。
今まで俺もハルヒもその話題は口にしなかったが、確かに俺はあの日、ハルヒにキスしそうになった。
それも二度。神社の中、それと帰り道。

…あの時の俺は何を考えていた?

「答えなさいよ。キス…したかったんでしょ?」

ハルヒがぐっと俺を覗き込んで来た。その顔が……やたらと近い。


……くそ、静まれ。
…静まれ静まれ。頭が高い。ひかえおろう。
この方をどなたと心得る。
そんな事はどうでもいい。

…たかがハルヒだぞ。
毎日、顔、付き合わせてんだ。
その顔なんて飽きるぐらい見慣れてる。
確かに造詣は綺麗だと思う。人によっては可愛いとさえ勘違いする事があるかも知れない。

だが、あくまでハルヒ。
あのハルヒだ。
…その顔が近くに。
息がかかるほどに近くにあるからって。
……なんでこんなに胸が高鳴ってんだ。

「…お前だってしようとして無かったか?」

…帰り道はハルヒにからかわれただけだったかも知れない。
けれどあの神社の中で。俺達は確かに、それを望んでいた。

「…そうね。そうだったかも…知れないわね」

何やら甘い匂いがした。
それは恐らくハルヒの匂い。
あの神社の中でハルヒに貸したブレザー。
その後、返してもらったブレザーと同じ香りがした。


「…なんなら…今、…してみる…?」


―――ドクン

…ハルヒの言葉に、一瞬で血液が沸騰する。
ひどい耳鳴りがしていた。
緊張で全身がじっとりと汗ばむ。

…ダメだ。
流されるな。
気を…しっかり持て。

「…もし俺がしたいって言っても…どうせ、あの時みたいに…結局しないんだろ?」

…俺は、したいのかよ?

「…言われてみればそーね。今のあんたに…タダの団員のあんたに、団長であるあたしの唇はもったいないわね」

自然とハルヒの唇に視線が行く。吸い寄せられるように。


「…でも…あんたがもし…タダの団員じゃなかったら…。…そう。あんたの言うトクベツな存在だったら…してあげてもいいかも…ね」


…嫌な事を思い出させるなコイツは。
なんだその思わせぶりな言い方は。お前は古泉か。
…特別な存在って、何だよそれ。


ハルヒはそのままじっと動かず、極々至近距離のまま俺を見つめる。
…俺も何だか目が離せない。
目を離したら、ヤられる気がした。

夕暮れの学校。至近距離。延々と。見つめ合う。
…ハルヒよ。
なんでこんな事してるんだ俺達は?

…根っこ。
その根本を。
…問いたださなきゃならない。
そんな気がした。


「…ハルヒ、やっぱり聞かせろ。なんで膝枕なんだ」

「…キョンのクセにしつこいわね…。…したくなったからって答えじゃ満足しないの?」

「…無理ってもんだな」

間近にあるハルヒに朱が差していた。それは夕暮れのせいだけじゃない。

「…そ」

意思の強い眼差しが俺の心の奥底まで照らす。その目はヤケに潤んでいた。

「いいわ。そんなに言うなら教えてあげる…」

柔らかそうな唇が言葉を紡ぐ。普段とは違う、穏やかな、甘やかな響きで。

「…それはね?」

その様子はまるで。

「あたしがあんたを…」

まるで、ありふれた告白のワンシーン。





…けれどハルヒは。

「………ううん、やっぱり教えてあげない。
…ってゆーか、それぐらい自分で考えなさいよね。…哀れなドンガメキョンでも分かるハズだから」

そう挑発的に笑った。

「でも…これだけは言っとくわ」

俺は一生忘れないかも知れない。


「あんまり…待たせるんじゃないわよ? …バカ」


そう言った涼宮ハルヒは。壮絶に可愛かった。























「長門さん、お茶どうぞ」

長門さんの目の前に置かれた小さなテーブルに、お盆からお茶を移す。
今日は部室にわたしと長門さんの二人きり。
涼宮さんはキョンくんを探してどこかに行っちゃったし、古泉くんも用事があると言って帰っちゃいました。

「………(コクン)」

彼女は本から視線を外し、わたしを見て一度だけ頷いてくれた。
…ふふっ、なんだか可愛いな。
…あ、いけないいけないっ。
わたしがこんな事考えてるって知られたら怒られちゃうかも知れないです。

長門さんは色んなことが出来るすごいひと。
ほんとの事を言うと、少しだけ苦手っていうか…どうやって接したらいいのか分からない時もあるけど。
でもたまにふっと可愛い所を見せてくれるんです。
そんな所がわたしは好き。
ずっと見ていたくなるような、そんな感覚。

キョンくんも長門さんには優しい。
まぁ…キョンくんは誰にでも優しいんですけどね。
…キョンくんはそんな自分に気付いてないんだろうなぁ。


…それにしても、とっても静かな時間。
長門さんと二人だと本当に静か。
なんだか部室の時間軸だけがゆっくりになっているみたい。





でもでも、二人してずっと黙ってるってのも何か変ですよね…。
えーと、何か話したいけど…何を話せばいいんだろう?

んと…んと…。

…あ、そうですっ!

「…えと、今はどんな本読んでるんですか?」

わたしがそう聞くと長門さんはそっと本を持ち上げてその表紙を見せてくれた。

「ヴぃ…ヴぃり…ヴィリエ・ド・リダラン…? えっと、これは作者さんの名前かな?」

元は洋書みたい。
本のタイトルは未来のイヴ。

……未来のイヴ、かぁ…。

「…いつ頃に書かれたものなんですか?」

長門さんの読んでいた本はずいぶん古いものみたいでした。
表紙も所々はげている。図書館から借りて来たのかな?
あの赤いシールは…貸し出し禁止の本に張られてるものだった気もしちゃうんですけど。

「…1886年」

「せ、せんはっぴゃくねん?」

「…そう」

「ふぇ~…なんだかすごいですね…」

きっと何度も再販されたものなんでしょうけど、今から120年前に書かれた本。
それが今、ここにある。
そう考えると本というものもTPDDの一種なのかも知れない。
過去から未来へと渡されるメッセージ。
…なんだかとても神秘的。

「どんなお話なんですか?」

わたしがそう聞くと長門さんは大きな瞳をパチパチしました。
…何かを考えてるみたいにも見える。
…長門さんのそんな表情を見るのは初めてです。

「………代替品。その失敗作の話」

…代替品? …失敗作?
…どんなお話なんだろう…。

「面白い…ですか?」

「…興味深い」

長門さんはそう呟くと本に視線を戻してしまいました。
…その横顔がちょっとだけ寂しそうに見えるのは気のせいなのかな。
……うーん、私も今度機会があったら読んでみよう。
未来のイヴ、なんてちょっと気になっちゃいますよね。
あ、でも途中でくじけちゃわないようにしないとっ。



長門さんが本に目を戻した後、わたしは編み物の続きをするために席に戻ろうとしました。

でもその時、すごく夕焼けがきれいだったから。

思わず窓辺から外を眺めてしまった。

「……あ」

その時、見ちゃいました。


視界の端に映ったキョンくんと涼宮さん。
中庭の木の下で、涼宮さんがキョンくんを膝枕してあげてる。
…上からだとよく分からないけど…その距離がとても近く見える。
…もしかしたら、キス…、してるのかも知れない。

いつもケンカしたり、言い合ったりしてるキョンくんと涼宮さんだけど、そんなお二人は、やっぱりとてもお似合いで。
その空間だけ他から隔絶されてるようにも見えました。
まるで、一枚の絵画のように。
何人にも冒されざる、時間平面から切り取られた二人だけの空間。


「…そっか。そう…、…やっぱり…そうなんですよね」


その二人を見た時、わたしは色々な事に気付いてしまいました。

わたしがキョンくんをどう思っていたのか。
お二人が互いをどう想っているのか。
きっとそこには誰も入り込めないという事も。
…ましてや、いつか帰らなければならないわたしなど。

…恋の、終わる音が聞こえた。

ゆっくりと。でもそれは鮮烈に。
乱暴なまでにわたしの心を埋め尽くす。



…カタン カラカラカラ…

何かが落ちたみたいな音が聞こえる。
そちらを見ればお盆が転がっていました。
あぁ…わたしが落としたんですね。
…いけないいけない。
…なんだか…ボーッとしてます…。


「………」

わたしがお盆を眺めたままボーッとしていると、落ちたお盆を長門さんが何も言わずに拾い上げてくれた。
お盆を差し出して、わたしを見上げている長門さん。

何か…言わなきゃ。

「あり…ありがとうござい…ひっく…ございます…」

…あれ。
おかしいな。
なんだか…うまく言葉が出てこない。
なんだか息苦しい。
どうしちゃったんだろ…わたし…。


長門さんはそんなわたしを不思議そうに見ていたかと思うと、
窓辺に立ち、先程わたしが見ていた方を見下ろしました。
…きっと長門さんにも見えたはず。

「………」

長門さんは無表情で。
いつもと全く変わらないように見えた。
でも…、それは違ったみたいです。

「………そう」

それは何度も聞いたことのある台詞。
長門さんの口癖みたいなもの。
けれど今の言葉は…寂しい響きに満ちていた。

…長門さんも…そう、だったのかも知れません。

ダメだなぁ…キョンくん。
めっ、ですね…。

「…ひくっ…長門…さん?」

「…なに?」

でも振り返った長門さんは、やっぱりいつもと変わらず無表情で。
だから、わたしは思ってしまった。
…もしかしたら、長門さんは今の自分の気持ちに気付いていないのかも知れない。
…それはとてもとても寂しくて。
…とてもとても悲しい事。



「…長門…さん。…ひっく…突然…変なこと…言っちゃいますけど…。えくっ…抱きしめても…いいですか…?」

わたしは…そんな長門さんを抱きしめたくなってしまった。

「………」

長門さんはなんだか不思議そうにわたしをじっと見上げている。

「…えへ…へっ…抱きしめ…ひくっ…抱きしめちゃい…ますね…?」

笑おうとしたけれど、うまくいきませんでした。
そんな中途半端な笑顔のまま長門さんをきゅっと抱きしめる。
長門さんはじっとわたしのしたいようにさせてくれた。
わたしも小さい方だけど、長門さんはわたしよりも、もっと小さい。
その小柄な体が、切なくて。

…ううん、違う。
…寂しかったのは、きっとわたしの方。
…一方的な、共感。

「ひっく…えくっ…ふぇっ…」

あぁ…そっか。
わたしは、泣いてるんだ。
だから…こんなに…視界がぼんやりしてて…心が苦しいんですね。



「…よしよし」

…え?

…わたしが、長門さんを抱きしめたまま泣いていると、彼女はわたしの背中をそっと撫でてくれた。
すごく、すごく驚きました。
けれどその手は、暖かくて、優しくて、小さくて。
長門さんもきっと悲しいはずなのに。きっと寂しいはずなのに。

…わたしに、優しくしてくれる。
…その事に一瞬で感情が溢れ出す。

「ひっく…えくっ…うっ…ううっ…うぇぇぇぇぇん…!」

わたしはいつのまにか大きな声をあげて泣いていました。

「…よしよし」

泣きじゃくるわたしを長門さんはずっと撫でてくれた。
そんな彼女にすがるように、わたしはずっと泣き続けました。
おこがましい事かも知れないですけど…出来る事なら、長門さんの涙の分まで。
悲しみを洗い流すように。
きっとこの涙が枯れたらお二人を祝福できると思うから。
だから、今だけは。

…ごめんなさい、長門さん。
…それから、いっぱいいっぱいありがとう。


夕暮れは、いつもの部室をそっと包んで。
穏やかな時間は、優しくわたし達を見守ってくれていました。


















女 10月18日、晴れのち夕焼け 女


ダメね。
結論としてはやっぱり膝枕なんてするもんじゃない。
キョンを起こさないようにじっとしてたら体中が痛くなってしまった。

それにしてもぐっすり寝てた。バカみたいにポカーンって口開けちゃってさ。
あたしの膝枕がそんなに気持ちよかったの?
そうだとしたら…また今度してあげても…いいんだけど。

…その後起きたキョンはあたしの事を気遣ってもくれたしね。
…ホント、無駄な所だけ優しいのよ、アイツ。



…ううん。キョンが優しかったのはそれだけじゃない。
お弁当もほとんど食べてくれた。
…作りすぎちゃったから半分ぐらい食べてくれればって思ってたんだけど。
…きっと無理して食べてくれたのよね。
午後の授業、ずっと唸ってたから。…バカ。



でも、お昼前、授業中に聞いた質問にはつまんない答えしか帰って来なかった。

「好きな食べ物は?」って聞いたら「枝豆」
…オヤジ?

「どんなコがタイプ?」って聞いたら「一般人」
一般人じゃないコってどんなコよ? 紹介して欲しいぐらいね。

「おっきい胸と小さい胸どっちが好き?」って聞いたら「普通」
普通ってどれぐらいかってのを聞いてるってのに。 あたしは…普通に含まれてるの?



…きっとバレただろうな。
あたしがキョンの事をどう思ってるか。
ってゆーか、あそこまでして気付かなかったら鈍感を通り越して不感症よね。

…そう。バレちゃったんだ。

…なんだかどんどんキョンの事を好きになっていくのが自覚出来る。
今日一日で、ずっと気持ちが強くなってしまった。
キョンをメロメロにさせてやるって思ってたのに…あたしが好きになってどーするのよ!

明日っからどんな顔してキョンに会えばいいんだろ。
…なんか変なキモチ。
…これが不安っていうの?
……恋って結構疲れるもんなのね。


ホントに…あんまり待たせるんじゃないわよ。
…バカキョンのクセに。


  • 後編3

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最終更新:2020年03月12日 11:00