「みんなっ、山小屋に行くわよ!」
放課後である。今日はちょっと遅刻して文芸部室に飛び込んできたわれらの偉大なる団長様、涼宮ハルヒは、開口一番に元気よく宣言した。
こいつがなにやら突拍子もないことを藪から棒に言い出すなんてのはすでに日常茶飯事であるわけだが、とりあえず必要最低限の質問ぐらいさせてもらってもかまわんか。
「いつ、だれが、どこへ、なにしに?」
頬杖ついてそう聞くと、ハルヒはむっとした顔になったあと、斜め上を見上げて天高く人差し指を突き上げた。
「あしたから三日間、わがSOS団は、鶴屋家所有のログハウスで林間合宿を行います。異議は? ないわよね」
いま俺の脳内に、ぱぱぱっと十個ぐらいの疑問符が浮かんできたんだが。ひとつひとつ箇条書きで述べてもいいか。
・たしかに明日からの土・日・月は三連休だが、なぜそれを全部潰しておまえのイベントにつきあわなきゃならん
・連休に向けてどっかり出された宿題はいつ消化したらいい
・わがSOS団、とかいいつつおまえ一人で全部決めてないか
・なぜ仲間にひとことの相談もなくそんな計画が立てられるんだ
・鶴屋家がありえないほどの金持ちなのは知ってるが、いったいいくつ別荘があるんだ
・なぜ鶴屋先輩はこんな危険人物にほいほい別荘なんて貸すんだ
・なんの競技会に出場するわけでもない俺たちが合宿なんかしてどうする
・どうせハナから異議を受け入れるつもりなんてさらさらないくせに、なんで異議があるか聞く
・おまえは単に山遊びがしたいだけじゃないのか
・素直にヒマだから遊びに行こうと言ってくれりゃ可愛いのに、どうしてそうひねくれた発想になるんだ
などなどというクエスチョンマークの塊を、俺はぐっと飲み込んで腹の中に収めた。言葉に出したら十倍にして言い返されるのはわかりきっている。
「今日の団活動は合宿準備にあてます。集合はいつもの場所、あした朝八時。遅刻者は容赦なくおいてけぼりにするからそのつもりで」
いつにも増してハイテンションなハルヒ。誰かこいつに人の話を聞くという習性を与えてやってくれ。ちなみに俺には無理だ。

 

この部室の真のあるじ、寡黙なる長門有希は、今日も無言かつ無表情でぶあつい洋書に目を落としていた。こいつにとっては、ハルヒがまたぞろどこかに行きたいと言い出すことなんて想定範囲内、気にする必要まるでナッシングな事態なんだろうな。
さっきまで俺の対面に座ってカードゲームに興じていた男、にこやかなる古泉一樹は、今日もにやついた笑みを顔面に貼り付けてハルヒを凝視していた。
こやつの所属している機関とやらは、組織ぐるみでハルヒの暇つぶしイベントを計画するような苦労人どもだからな。この合宿話についても手間が省けてちょうどいいぐらいに思ってるんだろう。
そしてわがSOS団専属のメイドさん、愛らしき朝比奈みくる先輩は、俺の席に置かれた空っぽの湯飲みを回収しながらこう尋ねてきた。
「あの、ログハウスってなんですか。履歴を意味するログと関係あるんでしょうか」
そこからですか。未来にはもう木造建築なんてないのか? ログハウスっていうとあれですよ、材木を重ねたような感じの手作りっぽい小屋で…説明するとなるとむずかしいな。古泉、パス。
「ログとは本来、丸太のことです。つまりは切り出したままの樹木を外装に活かした木造の家屋、ということですね」
それを聞いて、朝比奈さんの表情がぱっと明るくなる。
「自然の木をそのまま使ったおうちですか。素敵ですねぇ」
なにかイメージが誤って伝わってるような。現実以上にファンタジー的なものを想像してませんか。
「でしょ。でしょでしょ、みくるちゃん。こう見た感じ…キョン、つまんなそうにしてるのはあんただけよ」
さっきまで天頂方向を指し示していたハルヒの右手人差し指は、何度か朝比奈さんの眼前で縦に振るわれたあと、いまはびしっと俺に突きつけられている。忙しいやつだ。
「いや、なの?」
瞬きひとつせず真剣な瞳で、ハルヒは俺をじっと見つめている。少しだけドキッと、じゃない、びくっとした。そうマジに受け取るなよ。
「いつだっておまえの持ち込む話には、いらん騒動がつきまとうからな」
ハルヒの指先と口元が小刻みに震え、引きつっている。危険、危険。
「だけどいやなわけないだろ。どっちか、と言われなくたって楽しみさ」
ついあいそ笑いになってしまう。ハルヒは少しだけ視線を左右に泳がせたあと、ぷいっと顔をそむけて腕組みした。
「あんた、荷物持ち担当に決定」
はあ。あのなあ、おまえにつきあって山に行くという話になった時点で、俺が大量の荷運びをさせられることになるだろうってのはわかりきってないか。いまさらそんな役割分担に何の意味がある。
「いちおう古泉くんもつけてあげる。食事のほうはあたしたちが作るから、全力で感謝しなさい」
おおっ。
なぜか無意味に万能なハルヒと、苦手分野なんてあるほうが不思議な長門と、家庭的なことにかけては研究熱心な朝比奈さん。この三人が協力して作る料理となればかなり期待してよさそうだ。ここは素直に…
「では全力で感謝させていただきます」
おい古泉、ひとのセリフとるな。
さっきはつまんなそうにしてて悪かったな、と心の中でハルヒに謝る。おまえと、こいつらと遊びに行くのが楽しくないと言ってるわけじゃないんだ。
俺が心配してるのは、俺たちがフルメンバーでどこかに遠出すると必ず常軌を逸した怪事件が起きる、というこれまでの経験則ゆえなんだよ。

 

「自然の木を使ったおうち…確かに、その通りですけど」
電車に揺られて小一時間、さらにバスで数十分プラス徒歩約三十分。やっとのことでたどり着いた目的地のログハウスを見たとたん、朝比奈さんはがっくりと肩を落とした。
「絵本で見たのと違います…」
やっぱり。巨大な木をくりぬいてその中に住むようなのを想像していらしたようで。乙女の夢、ここにやぶれたり。
「んー、けっこういい雰囲気じゃない」
「これはログハウスというより、ちょっとしたログペンションですね。さすがは鶴屋家所有」
たしかにな。俺ももっとこう、猟師が住んでる山小屋っぽいものをイメージしてたんだが、なかなかのたたずまいじゃないか。
ハルヒが勇んで鍵を開ける。いったん荷物は入り口付近において、めいめいにここの内装・外装を見て回る。
土間を兼ねた玄関の中央には、どっしりした古めかしいストーブが設置されていた。そのまま一段上がって居室、奥には寝室が二部屋ある。二階はまとめて一部屋の物置き兼寝室。上に行くと急激に狭くなる構造だから仕方ないか。
外には大きな屋根つきのテーブルとベンチ。脇には水汲み場と風呂場があって、裏手にはトイレ。男女共用、すなわち大のほうと、男性専用が並んで完備されている。
こんな山奥にしちゃ予想外に立派だな、その気になればここに住むこともできそうだ。しかし唯一にして最大の問題が俺たちの前に立ちはだかる。
「はいはい、全員集合」
ハルヒが手を叩いてみんなを呼ぶ。
「これより、女子組はごはんの準備を行います。男子組みはマキを割って火を起こしてちょうだい。ついでにキョンはお風呂洗って水ためといて」
ついでに、っておい、それ一番の重労働じゃないか。ああ、電気にガスに水道、文明の力とはなんと偉大だったんだろう。なくなって初めてありがたみがわかったぜ。
かくして俺は、斧の先端を正確にマキに当てるのはけっこう難しいということ、ライター一本の火種で焚き木に火をつけるにはそれなりの段取りが必要であること、バケツに水を汲んで何十往復もするのは想像を絶する重労働であることなどを学習した。明日は筋肉痛になること確定だ。
それからもうひとつ。前からうすうす気がついてはいたが、古泉の野郎もハルヒや長門と同様に、「その気になればたいがいのことはこなせる」組であることが判明した。SOS団で凡人並みの才能しか持たないメンバーは、俺と朝比奈さんだけか。
そんなこんなの強制労働地獄が、楽しかったかそうでなかったかと問われたなら…楽しいに決まってるだろ?
短パンにTシャツというラフな格好のハルヒ、あいかわらず制服の長門、こんな所でもメイド服を着せられた朝比奈さんの三人がそれぞれエプロンを身に着けて、仲良く食材の下ごしらえに熱中している姿はまさに絶景であった。
思わず見とれていたら、真面目にやれとハルヒにどやされた。わかったから包丁もって振りかぶるのはやめてくれ。
そしてだんだんと日も傾いてきたころに待望の食事タイム。本日のメニューはカレーである。
カレーといっても、ちょっと本格的なところで出てくるような、ルーが別の容器に入ってるようなやつ。カリーっていうのか? ごていねいにライスも粒が細長いタイプのを使っていた。
そもそも運動後で空腹だった上に、野外の新鮮な空気に囲まれて、美少女約三名の手作り料理をいただいているわけで。たとえ食い物がただの白米でも美味に感じざるを得ないシチュエーションであるわけだが、それをさっぴいて考えてもこのSOS団女子部特製カレーのできばえは最高だった。
もしもわが悪友の谷口がこの場にいたなら、いまごろ感涙にむせび泣いて窒息死してるところだな。悪いがこの感動は俺が独占させてもらう。できれば古泉も邪魔だ。
などとよこしまな感情にとらわれつつ、この少し早めの晩餐をむさぼり食していると。
「ちょっと失礼」
古泉が席を立ち、ログハウスの裏手のほうへと立ち去っていった。いいぞ、もう戻ってくるな。

ここに来る前、俺は覚悟していたはずだった。この林間合宿においてもまたなにやら怪事件が起きるであろうと。
あるいは一般論として、予想外のアクシデントってのは浮かれ騒いで油断してるときを狙いすましたかのように発生するものだ。
だが、いままさにこの瞬間、その異変の第一弾が起きつつあったのだなんて、どうしたら予想できる?

 

古泉が席を立ってからしばらくして、ひとりの見覚えのない女性が俺たちのテーブルに近づいてきた。真っ白なハンカチで手をぬぐいながら。
年は俺たちと同じくらいか? 山遊びのTPOをわきまえた、薄手の長袖、長ズボンを着用している。ハルヒみたいに手足むき出しじゃ虫刺されでひどいことになるもんな。
彼女はひとことのあいさつもなく俺の隣まで来て、さっき古泉がいた席の背もたれに手をかけた。ここで俺の視線に気がついたらしく目と目が合う。
美人だ。わりとってレベルじゃなくて、かなりの。胸もけっこう大きい…男としてそこに視線が行くのはしかたないだろ。
彼女は俺を見つめながらにこにことほほえんでいる。目を合わせ続けているのが気まずくなって、思わずハルヒたちの様子をうかがう。その瞬間、俺の背筋は凍りついた。
見えてない?
ハルヒも、長門も、朝比奈さんも、いきなり現れたこの女性にまるで気がついてない。そうとしか思えない態度だった。
固まっている俺をよそに、女は古泉の席に腰かけ、おもむろにやつの食い残しのカレーを食べ始めた。おいおい。
あいかわらず誰にもこの女が見えていない…いや違うな。こいつが座ったときハルヒはちらっとこっちのほうを見た。女をはさんで向こう側に座っている朝比奈さんは、こいつが通ったときに少し体をどけて通路をあけた。つまり、見えてはいるけどまったく気にしていない。
「どうしました? さっきから」
謎の女があいかわらずの笑顔で話しかけてきた。どうしたじゃない、聞きたいのはこっちだ。
「キョーンっ、もうおなかいっぱいなの? もっと食べなさいよ」
ああハルヒ、腹はまだすいてる。でもそれどころじゃないだろ。
「イッキちゃんも、ばんばんおかわりしてね。今日の功労者なんだから」
やたらフレンドリーに女に話しかけるハルヒ。お知り合いでしたか?
「いえそんな。わたしが一番お料理苦手ってだけですから」
「ったく、だらしないわね最近の男は。ひとりで焚き火も起こせないの? あんたのことよキョン、聞いてる?」
「まあまあ涼宮さん。彼はそのぶんお風呂をきれいにしてくれましたから、ね」
そう言って女は俺にウィンクを投げかけてきた。どうなってんだ、頭を整理させてくれ。
確かに俺は、いきなり新聞紙から焚き木に火をつけようとして何度も失敗した。そこへ古泉が、まずは燃えやすい小枝を集めて焚き付けにしなくてはいけない、と豆知識を披露してくれた。結局それで火のしたくはやつにまかせることにして、俺はホコリだらけだった風呂の掃除に専念していた。
でもなんでそれをこの女が知っている。
「おかわりっ」
ハルヒが空になった皿を元気よく朝比奈さんに突きつけた。長門も無言で同じポーズをとる。おまえら何杯目だ? てか人にやらせないで自分で盛れ。じゃなくて。
「まだたっぷりありますから、いくらでも召し上がってくださいね。キョンくんも、古泉さんも」
朝比奈さんが天使のほほえみを俺と女に投げかける。ハルヒと長門のおかわりが済んだあと、隣の女も朝比奈さんに皿を差し出した。
「ではお言葉に甘えて。あ、少なめでかまいませんから、本当に」
どうなってる。いや、さすがに何が起きているのかわかってきた、わかりたくもないが。
ちょっとトイレに行って戻ってくるあいだに、古泉が女に性転換しちまったらしい。それを変だと思っているのは…俺だけのようだ。

 

ほぼヤケ食いとも言えるペースで、俺もカレーを何杯かおかわりした。ホントにうまいぞこれ。ゆったり味わって食う心の余裕が持てないのは残念だ。
たとえ女になっていても、SOS団における古泉の立ち位置は変わらないようだった。常に笑顔で聞き役に回って、ハルヒに対してはそれとない気づかいを、俺に対してはそれとない皮肉を向けてくる。
あとはそうだな、あんまり認めたくはないんだが、やっぱり美人だ。子供っぽい愛らしさが魅力の朝比奈さんとは対照的に、落ち着いた雰囲気を放っている。たぶんこの中では一番年上に見えるだろう。
そりゃまあ、あのイケメン古泉が女になったからって急に不細工になるはずもなく、これが遺伝子レベルで妥当なルックスなのだと思えば納得できてしまう。
俺のミジンコ並みに普通の頭脳で、これ以上の考察はもう無理だ。長門、この異常事態をなんとかできそうなのはおまえだけだ。本当は今すぐにでも打ち明けたいところだが、ハルヒがいる前でこの話はできん。あとかたづけのタイミングまで待つか。
いったいどこの給食センターかと思うほど大量にあったカレーも、だんだん量が減ってきた。消費量の過半数はハルヒと長門のおかわり攻撃によるものだが。長門はともかく、ハルヒのカロリー代謝効率は異様としか思えん。この食欲でその体型を保ってられるってのはどれだけ燃費悪いんだ。
さっきまで忙しく飯盛りメイド役をつとめいていた朝比奈さんが、無言ですっと席を立った。テーブルを離れて水汲み場の向こう、ログハウスの影に向かう。
いかん、そっちは危険だ。古泉のような男→女の変化ならまだ我慢できるが、逆は大いに困る。
「ん、俺も」
誰にともなくいいわけめいたひとりごとを口にして、俺も席を立つ。幸いハルヒはおしゃべりに夢中でこっちのことは気に留めていない。
後先考えずに追いかけてしまったが、さてどうしたらいい。まさか朝比奈さんにトイレ使用禁止を言い渡すわけにもいくまい。女子に野外での所用を強制した鬼畜級ド変態野郎の汚名を着せられてしまう。
結局、彼女が共用個室に入るのを見届けてからその場で待機するしかなかった。うん、わかってる、すでにこの時点で立派な変態行為だ。しかしほかにできることがあるか? せめて何か異変が起きたらすぐ駆けつけられるようにしておこう。

唐突だが、朝比奈みくるは未来人である。上司の許可があればという限定つきだが、自在に時間移動ができるという便利きわまりない超科学的デバイスを内蔵していらっしゃるらしい。
もし俺に同じ力があったなら。これから数分後に、いかなる悲劇が俺の身に降りかかるのかをあらかじめ知っていたなら。
いかなる言い訳を駆使してでも、俺はSOS団全員にこのトイレの全面使用禁止を通告していただろう。

 

きいっ、と軽くきしみを立てて男性用トイレのドアが開いた。そう、男性用のほうだ。
そこから出てきた人物は、個室出入り口の段差をぴょこんと飛び降りたあと、俺の存在に気がついたようだ。中学生ぐらいに見える少年だ。
「あ、キョンくん。ごめんなさい、待たしちゃいましたか?」
ははっ。どうしてキミは俺のあだ名を知ってるんだ? それから、どうしてキミはそんな、どこぞのホテルのボーイみたいな格好をしてるんだ?
男子…だよな、たぶん。男物を着ているし、男性用から出てきたわけだし。だけどもしこいつに、さっき朝比奈さんが着ていたようなメイド服を着せてみたら、それはそれでよく似合いそうな気がする。つまり顔や体格だけじゃ男女の見分けがつかない、そんな風貌の美少年で。
頭がガンガンしてきた。いま俺の目の前にいるこいつは誰だ? 納得できる結論なんてひとつしかない。認めない、認めたくなどないのだが…
「あ、いえ。お気づかいなく、朝比奈さん」
朝比奈さん、という言葉にやや力をこめて発言してみる。彼はやや不思議そうな目で俺を見たあと、みんなのいるテーブルのほうに歩き去っていった。
今の態度、俺の挙動がなんかおかしいのには気づいたけど、自分が「朝比奈さん」と呼ばれること自体には何の疑問も感じていない、そんなふうだった。
俺は呆然としてしばらく立ち尽くした。くっ、放心している場合じゃないぞ、状況の確認を。
共用トイレに駆け寄ってドアを開ける。予想通りではあるが、無人だった。男性用のほうも見てみる。通称・朝顔と呼ばれるありふれた白い陶器が壁にネジ留めされてあるだけだ。
思えばさっき、カレーを食ったついでに水をガブ飲みしていたわけで。ちょっとそのせいか、もよおしてきている。
この怪奇的排泄施設で用を足してしまったら、いったいどんな現象が起きるっていうんだ? 蛮勇にも似た好奇心が俺の中に湧き上がってくる。
もう知らん、どうにでもなれ。

……

放出完了。
個室から出てみる。体には特に何の変化も見当たらない。べつに胸がふくらみだすわけでも、男性の男性たる何かが消えてなくなるわけでもなかった。俺の場合は特に何も起きないのか? ますますわけがわからん。
このとき、ログハウスの影からかさりと草むらを踏み分ける音が聞こえた。そっちを見る。
古泉が――見慣れた姿の、もちろん男の古泉が――俺に向かって手招きしていた。
「おまえ、元に戻ったのか?」
思わず駆け寄る。古泉は眉をひそめて怪訝そうな表情になった。こいつ自身にはなんの自覚もないのか。
「そろそろあとかたづけです。早く皿を洗えとカンカンにお怒りですよ、涼宮くんが」
なんだって。
「涼宮くん、だと?」
再び眉をひそめた古泉を無視して、俺は水汲み場に走った。三つの人影が見える。
そのうちひとりは、さっきも目撃した朝比奈くんだった。それだけならまだ失望というレベルですむ。だが。
もうひとりは、なぜかうちの高校のブレザーを着た男子。いかにも図書委員か何かやってますという感じの色白で、銀髪がかった髪が印象的で。誰だ、おまえは誰だ。
そしてさらにひとり…もう勘弁してくれ。
「おいキョン、おっせーぞ。大なら大のほうと言えよな」
短パンにTシャツというラフな格好の、黄色のバンダナが目にもまぶしいナイスガイが、鍋を洗いながら俺に向かって悪態をついた。
「は、はは…」
全身から力が抜ける。俺は情けなく片膝を抱えて草むらにしゃがみこんだ。
「ねえよ」
力ないつぶやきが思わずもれる。四人分の視線がこっちに集まった。俺のこと心配してくれてるのか? 嬉しいよ、だけどな。
「ねえだろ、こんな展開!」

 

やがて夜もとっぷりふけたころ、ログハウス内には五人の野郎が集結していた。
「ええと、ドローツーです」
ガスランタンの明かりの下で輪になって、俺たちはカードゲームに興じていた。
赤のドローツーを捨て山に置いた朝比奈くんは、おそるおそる右隣の少年の表情をうかがう。
「ドローツー」
無機質な口調で、無表情の長門くんが青のドローツーを提示する。
「ナイスアシストだ、いいぞユウキ!」
涼宮くん、無駄に声が大きいよ。あとこっちの長門は長門ユウキなのか…どうでもいいが。
「ウノ、あとドローツー」
俺は残り二枚の手札の片方、黄色のドローツーを切った。涼宮くんが実に楽しそうににやりと笑う。
「かかったなキョン、食らえ、リバース!」
彼は黄色のリバースを力強く捨て山に叩きつけた。
「ほらどうだ、ドローシックスだぞ、さっさと引きな」
「なぜそこまで勝ち誇れる、ハルヒ」
山札から計六枚のカードを引く俺の右隣で、引かせた張本人は不満げな顔をしていた。
「変な省略すんな。ハルヒコだ、涼宮ハルヒコ」
ハルヒコねえ。わりと普通の名前になったな。これからはそう呼んでやる。
性別や名前が変わったところで、こいつの本質はあいかわらずのようだ。おまえ明らかに、自分の勝利より俺に対する攻撃を優先してるだろ。
気の合う仲間同士で泊り込んで、ほんの小遣い程度の金をかけてギャンブル。こいつらと初めからこういう形で出会っていたのなら、今日のことは青春のよき思い出として記憶に残るんだろうな。
しかしいま俺の胸の中では、どうしようもない切なさとむなしさが冬の嵐のごとく轟々と渦巻いているぞ。

 

「なんかのど乾いたなー。古泉、ファンタ。オレンジな」
自分でとれっつうの、おまえはどこの番長だ。あいかわらず興味のわかないことにはとことんものぐさなんだな。
「ペットボトルはどの荷物でしたっけ」
言いながら古泉が二階に向かう。ここは二人で話すチャンスか。俺もあとを追って階段を上る。
「どうもあまり、楽しんでおられないようですが」
二人っきりになったとたん、古泉はそう切り出してきた。さすがに今日の俺は不審な行動が目立ってたんだろう。
「楽しいはずだ、本来なら。だがまた例よって異変が起きてる。気づいてるのは俺だけらしい」
古泉はスマイルをやめて真面目な顔になった。さてどこから話せばいいか。
「そもそも、なんで俺たちはこんなとこにいるんだ」
「ここに来るまでの記憶がないのですか?」
いきなりこの聞き方はまずかったか。
「いや。記憶とかその他いろいろ、いじられてるのはおまえらのほうだ、少なくとも俺の主観では。だからどこまで合ってるのか確認したくてな」
古泉は黙ってうなずく。そのとき階下から声をかけられた。
「なにもたもたしてんだ。早くこねえと、みつるくんにマイケル・ジャクソンもびっくりのイタズラしちまうぞ」
みつるくん、ってのはこっちの朝比奈さんの名前か? なに言ってやがる、ホモかあいつは。
そういえば、ハルヒも朝比奈さんの胸をおもいっきりもんだりしてたなあ。どっちかというとその延長線上か。
階段から長門(男)が顔をのぞかせた。古泉がジュースと紙コップを彼に手渡す。
「ごゆっくり、とお伝えください」
「伝える」
「ひいやあっ! ちょっと、涼宮くんちょっと…」
すまん朝比奈くん、やっぱり俺にとって、君はマイエンジェルの朝比奈さんとは別人なんだ。
こぶしを口にあて、くっくっと含み笑いを漏らしていた古泉が、若干まじめな顔に戻って俺を向く。
「さて、僕たちがここに来た経緯、でしたね。僕の記憶にあるとおりでよろしければ」
ああ頼む。
「ここは鶴屋先輩のお宅が所有されている別荘で、きのう涼宮くんが先輩に別荘を貸してもらえるという話を取り付けてきて、僕たちは今日のお昼ごろにここに到着したわけですが。ここまで、合っていますか?」
表面的には合ってる。ただひとつ、まさかとは思うが気になることが。
「鶴屋さんってのは、あのすんげえお屋敷に住んでる?」
「ええ。鶴屋家の御曹司の鶴屋さんですが…どうしました」
御曹司ってのは、平たく言えば「おぼっちゃま」ってやつだよな。お嬢様のことを御曹司とは普通言わないよな。
「古泉、俺の家族構成は知ってるか。言ってみてくれ」
「もちろん存じてますけど。ご両親と、あなたと、小学生の弟さんですよね」
いない、俺に弟なんぞいない。男になっちまったのはいま一階にいる三人だけじゃないのか。
「たっ」
質問を続けようとして言葉につまった。のどがカラカラだ。つばを飲んで、軽く咳払いする。
「谷口のやつも今回、連れてきてやればよかったな。いちおうあいつも準団員だろ」
古泉は軽く目を見開いたあと、苦笑いを浮かべる。
「谷口さんですか? 確かにあのかたなら喜びそうですけど…さすがに世間体が悪いのでは。男性ばかりのキャンプで女性がひとりだけというのも」
どうやらこっちの谷口は女子らしい。想像つかん。だがこれでひとつ理解できた。ここは俺の知ってる男女がまるっきり入れ替わってる世界なのか。
さっきからときおり「ひゃあ」とか「あひい」とか、朝比奈くんのとても男子とは思えぬ甲高い悲鳴が聞こえてくる。彼が人柱となってくれてるあいだに、俺の知ってる限りの事情をこいつに説明しないと。

 

今日起きた出来事をひととおり話してやっても、古泉はまだ納得しきれていない様子だった。
「あなたがおっしゃるのなら、そうなのでしょうね。女性である僕や涼宮くんというのはあまり想像がつきませんが」
そうか。まあいまのあいつらに慣れきっているんならそうだよな。
「ご相談にあずかっておいて心苦しいのですが、正直に言ってもう僕の理解を超えています。そのような現象に詳しいのは、やはり…」
「長門、だよな」
古泉がうなずく。良かった。こっちの世界の長門も、ナントカ思念体の生み出した人造人間に変わりないらしい。
「呼んだ」
おっと。うわさをすれば何とやら、インテリ風のイケメン宇宙人、長門ユウキが階段下からこっちに上がってきた。この疑問形なんだか完了形なんだか判別しづらい口調もあいかわらずだな。
「あなたたちの会話内容は把握している。現状が確定する前に対処が必要」
話が早い! いま初めてこの長門に親近感を感じたぞ。
長門は俺たちの脇を通り過ぎて、板張りの壁に手のひらをかざした。そしてなにか呪文のような言葉を高速でつぶやく。壁が水面のようにゆらゆらと変形し、ぽっかりと大きな穴が開いた。
「降りて」
そこから飛び降りろって? 下は草むらとはいえ、2メートル以上の高さじゃないか。ちょっと迷っていると古泉が大穴に歩み寄っていった。俺から話をふっておいて先を越されるのもみっともないな。この程度ならなんとかなるか。
古泉より先に、意を決して飛び降りる。そのとたん全身がふわっとした違和感に包まれてゆっくり降下し、かさりと草むらに着地した。これも長門が何かしたのか。安全なら先にそうと言え。
背後でふたつ、同様に何かが着地する音がした。目の前には例のトイレがある。長門が歩み出て、その壁面に手を当て何かを念じ始めた。
「異変の元凶はやっぱりこれか? あ、話しかけないほうがいいか」
視線を正面に向けたまま長門がつぶやく。
「なんらかの情報操作機構が存在する。詳細は解析中、会話は問題ない」
しゃべってても気が散らないのか。器用なもんだな。
「僕には何も感じ取れませんが。人間の性別を変えてしまうような力がここに宿っているのですか?」
古泉の問いかけに、ぽつりぽつりと長門がつぶやく。
「この施設の内部では、時間平面の積層状態がゆがんでいる。本来は垂直であるはずの時間軸が傾き、過去に分岐した異歴史と交差した状態にある」
俺にもわかるように言ってくれ…という注文はぜいたくか。しかしその解説じゃさっぱりだぞ。
「具体的にはどうなる」
長門は答えない。考え中か。

 

古泉が問いかける。
「分岐した歴史とは、いわゆる平行世界のことですか。僕たちがどちらの性別として生まれていたか、それもまた歴史上の選択肢のひとつですよね」
「そう。この世界に本来存在したあなたたちは、おそらく女性であった」
実は俺も女だったって? 今世紀最大級に想像つかんシロモノだな。
「なんだそりゃ。じゃあその、女の俺とやらはどこに…いや、わかった。なんでもない」
言ってる途中で気がついた、明白じゃないか。もとからこの世界にいたとかいう女の俺は、今はハルヒのいる世界、俺と古泉が本当にいた世界にいるはずだ。夕方に見た女古泉も一緒に。
こっちのSOS団が男子五人組になった代わりに、あっちはみんな女子になってるんだな。
「こんな怪奇現象が自然に起きるもんなのか。それともまたあいつのせいか」
ハルヒとハルヒコ、ダブル涼宮どもはこんな世界を望んでいるのか?
長門がゆっくり首を横に振る。
「どちらも誤り。これは何者かの意図よって設置された、情報操作トラップ」
トラップだと。つまりは、俺たちを狙ってピンポイントに仕組まれた罠か。冗談じゃない、なぜそんなもんの被害者にされなくちゃいかん。
「平行世界軸交差装置、とでも言ったところでしょうか。そんなものを構築できる存在なんて、かなり限られていませんか」
古泉が長門をにらみつけた。おまえ、こいつを疑ってるのか。
「情報統合思念体の総意として、涼宮ハルヒを取り巻く環境を大きく変化させる予定はない。疑わしいのは天蓋領域」
テンガイリョウイキ…以前、雪山に俺たちを閉じ込めやがった連中だな。
「なるほど。天蓋領域製のインターフェース、周防九曜のしわざですね。僕たちがここに来る前、すでに彼に先回りされていたと」
周防というと、あの気色が悪い女…って、ここではやつも男性形態なんだな。ということはなんだ、佐々木も野郎になってるのか? もういやだこんな世界。
「どうすりゃ帰れる。確かおまえ、まだ手遅れじゃないと言ったよな。もう一回ここでアレすればいいのか」
長門は個室の外壁から手を離してこっちを向いた。もう解析は終わったらしい。
「トラップという性質を考慮するなら、任意に元に戻れるとは考えづらい」
だよな。
「現在、組み替えられた歴史によって本来の歴史が浸食されている。時間軸の交差座標から未来方向へ向かうほど復帰は困難。わたしの情報操作能力では、約八十分後にはあらゆる干渉が不可能になる」
「その前に、たとえばこれをぶっこわせばどうにかならないか」
「装置の停止は交差軸の分離を意味する。そうなればこの歴史は完全に固定される」
やっぱり駄目か、言ってみただけだ。力づくでどうにかなるならとっくにそうしてるよな。俺の世界の長門よ、なんでもっと早く気づいてくれなかった。
「おまえが最初にここを使ってれば、なんかあるってすぐにわかったはずだよな…ったく、ついてねえ」
「わたしの消化器・循環器系は、排泄物を生成しないモードに通常設定されている。おそらくはそこまで見込しての罠」
長門は便所に行かないのか。つくづく便利な体質だ。

 

「お話を聞く限りだと、この装置の動作はいくぶん不安定のようですね」
さっきまであごに手をやって思案していた古泉が、長門のほうに向き直る。
「僕の記憶は操作できても、彼のほうは元の世界を覚えている。彼が目撃したという朝比奈さんの交代も、こちらの世界ではなかったことになっている。そのあたりにつけこめる隙はありませんか」
しばらく俺たちは押し黙った。長門がぽつりと発言する。
「非同期状態で発動させれば」
なんだって。古泉も不思議そうな顔になっている。せめてこいつが理解できるレベルで話してくれ。翻訳させるから。
「トラップ発動には大きくふたつの条件が必要。ひとつは、両世界の同軸体が同期していること」
「同軸体、とは。たとえばここにいる僕と、もうひとつの世界にいるという女性の僕のような関係ですか」
そう、とつぶやく長門。古泉はいちどゆっくりと瞑目し、目を見開らく。
「ふたつの世界は鏡写しの関係にあるのですね。もうひとつの世界でも、今この場にいる三人で同じ会話をしているはず。それが両世界の同期」
長門は黙ってうなずく。一方的に話を進めないでくれよ。古泉は俺の表情をうかがい、こう問いかけてきた
「さきほどまで僕たちは、五人でカードゲームをしていました。では僕たちが本来いたという世界の、今は女生徒ばかりになっているSOS団は? そのとき何をしていたのでしょう」
こいつらの言わんとすることがだんだんと飲み込めてきた。
「俺たちとおんなじように遊んでたはず、か。たぶん…こっちとまったく同じ手札、同じゲーム展開で」
目の前の二人が同時にうなずいた。
俺の背後に建っているログハウス内では、いまハルヒコと朝比奈くんによるソドムゴモラ的な宴が開催されているわけだが、同時に俺の天使の朝比奈さんも、ハルヒのなにか一線を超えたセクハラの毒牙にかかっている真っ最中ということだな。そろそろ止めてやらないと。というかさすがに俺たちがいないことに気づく頃だろ。
「もうひとつの条件ってのはなんだ」
長門を急かす。いまさらながら自分の頭の鈍さが恨めしい。
「身体的なもの。交感神経系の活性状態シフト、すなわち生理的要因による緊張状態からの開放。それが起動の契機」
「よくわからん。緊張からの開放ってのはつまり…用を足して『ふう』と一息ついた瞬間が罠ってことか?」
「…おそらく」
いやなタイミングを狙いやがって。あれはつい油断しちまう瞬間だしなあ。
「起動条件が不完全な状況であれば、情報操作機構の動作に介入できる可能性が高い」
古泉が軽くうなった。
「ふたつの世界が非対称になるような、何らかのアクションを起こす必要があるのですね。かつ同時に、その身体的条件のほうもクリアしなくてはならないと」
またもや長門は黙ってうなずいた。いったいどうしろと。俺たち三人は再び黙りこんだ。

 

「あ! こんなとこにいたのかよ。おまえらいつのまに出てたんだ?」
ついにハルヒコに見つかってしまった。後ろから朝比奈くんもついてくる。彼はうつむいて唇をぐっとかんでいる。なにやら着衣が乱れていますけど。おまえらこそホントに何してたんだ。
「まあいいや、どいてくれ。そこ使うから」
ああ、おまえさっきジュースとか飲んでたしな。このハルヒコがここを使えばどうなる。ハルヒになって出てくるのか。
一瞬だけ、それもいいかなという考えが脳裏をよぎる。すぐに頭を振ってその発想を追い出した。
仮に元のSOS団員がみんなこっちに来たとして、それで俺はめでたしめでたしと満足できるのか。俺の家族を、友人を、得体の知れん連中の意味不明な理屈でいじられておきながら、これはこれでアリかもな、なんて安穏として暮らしていけるのか?
答えはノーだ、わかりきってる。
別にこの世界の連中が嫌いというわけじゃない。性別がどうあれ、こいつらはこいつらなんだと今は理解できてる。だが俺がこれからもわいわいやっていくべき連中は、やっぱり俺が生まれた世界のあいつらなんだよ。
などと考えてるうちに、ハルヒコを無駄に待たせてしまった。やつは半分キレかかかっている。
「ん、なんだ、ダメなのか」
ああ、悪いが駄目だ。
さいわい長門と古泉のおかげでだいぶ事情は飲み込めてる。元の世界とこの世界の、鏡写し状態を解除しなくちゃいかんのだよな。こっちとあっちで違うのは性別だけだ、そこを利用するしかない。男はわりとするけど女は絶対しない、そのような行為をこのハルヒコにさせればいい。
…よし。
「それがなあ、昼間ここ使おうと思ったら。あー、でっかいハチがいたんだよ。それでどうしようかと」
とにかく口からでまかせを並べてみる。朝比奈くんがぽかんとした顔になる。
「え、そうなんですか。僕のときはいませんでしたけど」
ああもう余計なことを。古泉、アシスト頼む。必死に目配せするとやつは俺に向かってうなずいた。通じたか、この作戦。
「殺虫剤はありましたっけ、探してきてあげましょうか」
ハルヒコは片方の眉だけぴくりと動かした。どうも「あげましょうか」という言い方が気に食わなかったらしい。
「いいよ、そこまでしなくたって」
そう言ってハルヒコはしげみを踏み分け、ふたつ並んだトイレの裏側に歩き出した。
「見んなよ!」
そんな趣味はねえ。
さて、こっちのハルヒコは身体的欲求を手っ取り早く解消する道を選んだわけだが、女子におんなじマネができるか?

 

数十秒後。
唐突に長門が例の呪文を唱えた。ふたつの個室の内側から光がもれ出してくる。両方のドアが勢いよく開く。その中では虹色の輝きが渦巻いていた。光はどんどんまぶしくなり、あっという間に視界を奪われる。世界が真っ白になってあたりの風景も見えない。
平行感覚を奪われて、世界がぐるっと一回転するような感覚がして…朝比奈さんと一緒に時間移動したときの感じに似てるな、あれほどひどくはないが。
やがて光は収まった。まだ目の奥のほうがチカチカするぞ。
「なっ…なんだこれ、どうなってんだぁ!」
ハルヒコが大声で叫ぶ。あたりを見回して俺も驚いた。
俺たち五人は、だだっ広い草原のまっただなかに立っていた。空は雲ひとつない青空だが、太陽はどこにも見当たらない。緑の大地がゆるやかに起伏して地平線のかなたまで続いている。俺たちのいる場所は少しだけ高い丘になっていた。
「なんだここ、モンゴルかどっかか。昼間なのは時差とかの関係か」
ハルヒコが誰にともなく問いかける。無理やり合理的に解釈するならそうなるかもな。だがしかし、俺はこれによく似た光景を以前目にしたことがある。あの時はあたりいちめんが砂の海だったが、今回は草の海ってわけか。
「ここも前回と同じ、位相のずれた特殊空間ですか? 困りましたね、どうも」
そう言って古泉はちらりとハルヒコを見た。本人は両腕を広げて感嘆句を連呼している。俺にとってはすでに何度目かの異空間体験だが、こいつにとってはどうなんだ。
「謝罪したい」
長門がぼそりとつぶやく。謝りたいって? だれに何を。
「天蓋領域の力を甘く見ていた。平行世界軸交差装置…想定外の情報密度。異歴史世界からも駆動力を取り込んでいる」
おい、ちょっと。もしかしてパワーで周防に負けてるって言いたいのか。この宇宙人ですらどうにもできない相手、俺たちにどうしろっていうんだよ。すべての作戦が崩壊しちまってないか。
朝比奈くんは半べそ状態で、俺にすがり付こうかどうか迷っているみたいだった。できれば今はやめていただきたい。それで万が一変な気分にでもなってしまったらいろいろと取り返しがつかない気がする。
「来る」
長門が地平線の向こうを指差す。
「わ、わわ、またですか、また虫ですか」
どうやら彼は、以前似たような異空間で起きた巨大カマドウマ事件いらい軽度の昆虫恐怖症にかかってしまっているようだ。そう何度も同じパターンが…
ぶぶぶぶぶ、という重低音があたりに響き渡る。人を本能的に不安にさせる、微妙に音程が上下する連続ノイズ音。
小高い丘の陰から、どう見たって三十メートル以上はありそうな巨大生物がゆっくりと浮上してきた。黄色と黒のだんだら模様、人相の悪い複眼、短い触角と尻の先端の毒針。スズメバチだ。
その周りを何匹もの小蜂が飛び回っている。訂正、ボスに比べりゃ小さいってだけで、あれだって自動車ぐらいのサイズだぞ。
「宇宙人は虫が好きなのか」
「好悪の問題ではない」
俺のつまらない疑問は即答される。そこは無視していいから。

 

「強敵、ですね。僕に感知できるのはその程度ですが」
「ここは装置内のメモリ空間、あれはセキュリティシステム。わたしたちに見えている外見は、装置起動者が恐怖するイメージの展開にすぎない」
装置起動者ってのはハルヒのことか。あいつハチが嫌いだったのか?
なるほど、と古泉がつぶやく。おまえそのセリフ今日で何回目だ。
「あなたは涼宮くんに蜂がいると告げた。もうひとつの世界、女性であるあなたがたの間でも同じ会話がなされたはずです」
そうか。あのトイレに仕掛けられた宇宙的装置が作動したとき、俺がもといた世界のハルヒは密閉された個室内で、実在しない空想のハチの恐怖と戦いながらいたしておられたわけで。ほかに手が思いつかなかったとはいえ、悪いことしたな。
「いったいなんのことだ、あのバケモンはなんだ、おまえらなに話してんだ」
ハルヒコが次々と質問をぶつけてくる。俺にはなんの力も無いし、せめてこいつをおとなしくさせるのが仕事か。朝比奈くんは固まってて身動き取れないようだし。
「ハルヒコ、よく聞け。これは夢だ。それ以外の説明がつくか」
は? という顔をされる。
「おまえ、以前にも見た覚えがないか。まるで現実と区別がつかない、異常なほどリアルな悪夢を」
「あ、あう…なんでてめえが知ってる」
あせった口調になるハルヒコ。そういや去年のあの日、夜の学校で起きた出来事は、いまのこいつの脳内ではどんな記憶になってんだ? うわ、そこは想像したら負けだ。
巨大蜂が体をくの字型に屈めて、毒針の先端をこちらに向けた。古泉が身構える。
「温存して」
長門は古泉を制し、呪文を唱えて右手のひらを巨大蜂に向けた。ほぼ同時にハチの毒針から何かが発射される。ビームか? なんでもありだな。
ハチの尻から発射され続けているビーム状の何かは、見えない壁にさえぎられてあたりに飛び散っている。光線というより、水鉄砲に近いような…
「いひゃあぁっ!」「うおぉっ!」「これは!」
長門以外の全員がいっせいに叫ぶ。白くて、細長くて、いやらしくうねうねとのたうち回る生物。ビームのように見える何かの正体は、とてつもない速度で大量に連射されてくる寄生虫だった。
朝比奈くんは俺とハルヒコの手を取って自分の顔面に押し付け、がたがたと震えている。俺だってこれは正視したくない、一生のトラウマもんだぞ。
「これも、あいつの恐怖イメージの一種か」
「そう。自己増殖性ワーム・プログラム。あれに侵入されたら自意識を奪われる」

 

俺たちを守る半透明の障壁と、世にもおぞましい蟲ビームがぶつかりあっている。なあ長門、気のせいだと思いたいんだが、ちょっとずつ押されてないか?
「演算出力比、三十パーセント劣勢」
長門の足元からふわりと白い蒸気がただよい出した。だんだんと彼の下半身をおおっていく。
「古泉一樹、依頼がある」
緊張の面持ちで古泉が顔を向ける。おい、おまえはいつでもニヤニヤ笑っていてくれよ。そんなマジ顔されたら、まるでもう打つ手がないみたいじゃないか。
「あれの駆動力も無限ではない。攻撃がやんだら脱出口を開くことに専念してほしい。あなたなら可能」
「かまいませんが、それまで耐えきれますか」
「問題ない」
長門の体はもう胸元まで蒸気に覆われている。だがそれだけじゃない、足元からだんだんにモザイク状のかけらに変わって分解されている。こういう消えかたをしたやつ、前に見たことがあるぞ。俺の命を狙ってきた宇宙人、朝倉。あいつが消されたときもそんな感じじゃなかったか。
「肉体構成要素を還元すれば補える」
「ふざけるな。それじゃ意味ねえだろ」
常に無表情の冷酷美形宇宙人、長門ユウキ。だが俺にはわかる。こいつ、ほんのかすかに…微笑んでいる。
「あなたと、あなたの異世界同軸体には感謝する。わたしの『生』は有意義であった。そう確信している」
今までの状況についてこれてなかったハルヒコだが、長門に一歩近づいた。
「それ、遺言のつもりか? 自爆攻撃なんか認めねえからな。そんな死にかたがカッコイイと思ってんのか」
「あなたにも感謝する。わたしは常にあなたのために在った。満足している」
「聞けよ人の話を。たとえ夢ン中だろうと、われらがSOS団にあるのは完全勝利のみだ!」
血相を変えて怒るハルヒコ。こいつもこいつなりに事態の深刻さを理解してるのか。
「この窮地はわたしの判断ミス。回復不能なダメージを負うのはひとりで充分。ほかに方策は…」

――ある――

長門の発言をさえぎって、頭上から女性の声が響いた。落ち着いた口調。俺にとってはよく聞きなれた声。
思わず見上げる。青空の天頂部分の空間に亀裂が入って、ぱらぱらと空の破片が降りかかってくる。亀裂の向こう側は灰色のノイズに満たされている。
そこから小柄な女性が身を投げ出してきた。制服のスカートが風になびく。まるで重力を感じさせない動作で、彼女はふわりと長門の隣に着地した。
「長門!」
俺の知っている、本物の、もちろん女の長門。名前を呼ばれた二人の長門はちらりとこっちを振り向いた。こうして並べてみるとよくわかるが、こいつら雰囲気がそっくりだな。兄妹です、と説明したら誰も疑わないぞ。

 

長門(女)が左手のひらを巨大蜂に向けた。ビームとバリアの拮抗地点が一気に向こう側に押し返される。長門(男)の体を包み込んでいた蒸気が雲散霧消する。彼の体はすっかり元に戻っていた。
「同期を申請する」
「許可する」
そっけなく話しかける兄に対して、同様にそっけなく答える妹。そんな風に見える会話だ。そして二人は、俺にはほとんど聞き取れない高速の謎呪文を、ぴったり息の合ったコーラス部員のように唱和し始める。
「「SELECTシリアルコード FROMデータベース WHEREコードデータ ORDER BY論理空間制御 HAVINGシンクロモード。テンポラリネーム平行世界軸交差装置のセキュリティーホールを特定。当該結節点の世界間障壁を除去する」」
二人の長門がいつもより長めの呪文を唱え終わると、俺たちの頭上に開いた空間の亀裂がめりめりと…音はしないけど、めりめりという感じで広がっていった。
「ふわあああぁ!」
頭上から甲高い悲鳴が響き、またもや女性が落ちてくる。今度はメイド姿だ。まずいぞ、あちらは長門みたいな重力制御なんてできっこないおかただ。このまま地面に叩きつけられたらおおごとだ。
落下予想地点はちょうど朝比奈くんの真上、これも運命か。俺とハルヒコは、まだ手を握ったままの彼を押しのけて両腕を伸ばした。
四本の腕、プラス朝比奈くんの人間クッション効果によって、この世の女神と呼ぶべき女性は無事に着地を果たした。彼女は俺とハルヒコを交互に見る。
「おかえりなさい、なのかな。朝比奈さん」
呆然とする朝比奈さんが笑顔に、そして泣き顔に変わる。
「キョンくんっ! キョンくん、キョンくん…」
俺の服をつかんで引き寄せ、朝比奈さんはしゃくり泣きながら何度も俺を呼ぶ。嬉しいです、あと可愛いです、朝比奈さん。ただできることなら、自分のお尻の下敷きになって伸びてる哀れな少年の存在にも気づいてあげてください。
「おいキョ…てめえ」
突然ハルヒコが俺のむなぐらをつかんだ。朝比奈さんがびくっとして身を離す。なんだよ、いいとこだったのに。
「おまえの言うとおりだったな。間違いなく…くそ、これは悪い夢だ」
どうしたいまさら。すでに自分でも夢と認めてたじゃないか。
「おまえみたいな野郎をな、あいつと勘違いしてたなんて、どう考えてもおかしいだろうよ」
悪いが言ってる意味がわからんぞ。俺は俺だろ、誰と勘違いしてたって?

 

すでに蟲ビームはさっきまでの勢いを失い、放物線を描いてじょぼじょぼと何もない草原に垂れ流されている。
長門たちの開けた空の裂け目から、真っ赤に輝く球体がひとつ飛び込んできた。真紅の光弾は空中に軌跡を描き、目にも止まらぬ勢いで巨大蜂のほうへ飛来していく。その周りを飛び回っていた小蜂どもがいっせいに群がる。
激しい空中戦は、しかしほんの数十秒で決着がついた。小蜂の群れをはるかに圧倒するスピードで光弾がむちゃくちゃな乱舞を描き、体当たり攻撃によって次々と粉砕、撃墜していく。
かすかに、ちっと舌打ちする音が聞こえた。笑顔に戻った古泉が、やや唇の端を吊り上げている。もしかして今のおまえか? 自分の活躍シーンをとられて嫉妬してるんじゃないだろうな。
護衛の小蜂をきれいに掃除した光弾がこっちに飛来してきた。近くで見るとわかるが、ただの球体に見えたそれは、球面状のバリアを体の周囲に展開している一人の女性だった。今日の夕方に一緒に飯を食った美女、女古泉だ。
地面ぎりぎりでバリアを解除し、彼女は古泉の目の前にすとんと降り立つ。
「おおっ! 古泉だったのかよ。おまえすげえなあ」
ハルヒコが目を輝かせてそう叫ぶ。いや、だからおまえはこの世界を夢だと思ってんのか現実だと思ってんのか、どっちなんだ。
女古泉はハルヒコにウィンクしたあと、首をかしげて目の前の古泉を見つめた。ハンサムスマイルとアイドルスマイルのにらめっこである。
「いやあ、おみごとです。あれほどの戦いは初めて見ました」
「それって、ある意味自慢してませんか。それにしても、ふふ、わたしって実はナルシストだったんですね」
「同感です。僕も、あなたを素敵だと思ってしまいました」
おい、自分同士でくどき合ってる場合か、まだ大ボスが残ってるだろ。長門たちも古泉たちを冷ややかな目で見ている。
「「われわれの作戦、あなたたちでも有効」」
ダブル長門がぴったりとハモって発言する。まだ同期モードとやらを解除してないらしい。ダブル古泉もそれぞれうなずいた。
「アタッカーはお任せします」
そう言って女古泉は、ななめ上方向に両手を掲げてぱっと広げた。少し身をかがめて、バレーのセッターのような体勢になる。十本の細い指先がまばゆい黄金色の輝きを放つ。
「デュアルっ!」
女古泉が気合とともに両腕を伸ばす。表面にいくつもの渦巻きを浮かべた光の球体が、巨大な風船のように空中に放り上げられた。
同時に古泉はいちど大きくしゃがみこみ、全身のバネを使って跳躍した。人間ではありえないような垂直高飛びを見せて、大きく振りかぶった右腕を光球に叩きつける。
「レイッドォ!」
巨大な光弾がいく筋もの黄金色のビームに分裂し、螺旋を描いて巨大蜂に襲いかかる。それぞれの光の矢が羽の付け根を、毒針を、触角を正確に撃ち抜く。
これがやつらの超必殺コンボ・デュアルレイドであるらしい。入力コマンドは…知らん。前も思ったんだが技名を叫ぶのにはなんか意味があるのか。

 

全身のあちこちを吹き飛ばされてみじめな姿になった巨大蜂が、大きく傾きながら墜落する。重い轟音がこの空間全体に響きわたる。
しばらく痙攣してから、爆発して粉々に砕け散った。やつのいた場所を中心として突風が吹き荒れる。朝比奈さんが軽く悲鳴をあげてスカートをおさえた。
まるで水面に小石を落としたときのように、あたりの草むらが吹き揺らされて同心円状に波打っている。その中央には、直径数メートルの銀色の球体が浮かんでいた。その正体を知ってそうな人物はこの場でただひとり、じゃなくてただふたりか。
「なんだありゃ、やつの本体か?」
「「駆動エンジン」」
あいかわらず多重音声かよ。まあいいや、なんでやつを倒したのにエンジンなんぞが残ってる。
以前これと似たようなことがあったときは…そうだ、あの砂漠空間にいた巨大カマドウマの正体は、事件の被害者であるコンピ研部長氏、本人だった。そして今回、例の異次元トイレに仕掛けられたナンタラ装置を起動させてしまったのは。
「「可視化する」」
銀色の球体が透明に変わる。その中では二人の女が眠っていた。百メートル以上も向こうにいるのに、なぜか髪の毛の一本一本までもがはっきりと見えた。これも長門の力か。
「ハルヒ!」
ついその名を叫んでしまう。
最後にあいつを見たときと同じ格好。黄色のリボン、Tシャツに短パン…ただし、ずり落ちかけてる。かなりきわどいあたりまで見えそうで見えないような。いやいや、注目ポイントはそこじゃないだろ。
ハルヒの隣で眠っている女は、目も覚めるようなすばらしいポニーテールだった。俺の脳内ポニテランキングにおいて確実に上位入賞を果たすだろう。わりと可愛いな、うん。あれは誰かな、SOS団の新入部員か?
…現実逃避はやめよう。やつに対応する男なんざひとりしかいない。
「キョンコ?」
隣でハルヒコがなんかつぶやいた。キョンコちゃんですか、変わったあだ名ですな。たぶんあいつも、誰からも本名で呼んでもらえない運命を背負っているんだろう。
ちなみに、彼女の指先はハルヒの短パンのゴム部分をつかんでいる。ぱっと見、はきものをムリヤリ脱がそうとしてるように見えてしまうが、状況から考えたら逆だな。
装置の起動時、人類最大級に無防備な体勢だったハルヒを、なんとかしてアダムとイブがリンゴを食った以降の姿にするべく努力している途中で気を失ってしまい、今に到ったものだと考えられる。ナイスだ、俺。

 

「あのバリアーは、長門さんが展開したものですね」
女古泉がたずねた。
「「そう。彼女らを情報汚染から保護するため」」
だから同時に答えるなっての。男の長門はずっと俺と同じ世界にいたわけだから、ハルヒたちになにやら仕掛けたのは女の長門のほうだな。
「ややこしいなおい。いつまでシンクロしてる気だ」
「「世界交差を正常化するまで。時空間結節の維持には同期が必要」」
さいですか。もう好きにしてくれ。
「なんでもいいから起こしてやれよ、さっさと」
バンダナの端を突風にたなびかせて、ハルヒコが長門たちに詰め寄る。
「「わたしの精神が支配される危険を考え、遠隔操作では解除不能とした」」
いままで二人なかよくハルヒたちを眺めていた長門兄妹がふりむく。女子のほうは俺を、男子のほうはハルヒコを見つめる。
「「解除条件は、彼女らのパートナーであるべき有機生命体による、身体的接触」」
ほう、それじゃあ。
「手でも…」「ビンタでも…」
手でも握れってのか、と言おうとしたらハルヒコと発言がかぶってしまった。おまえ、そっちの世界の俺にいつもどんなあつかいしてるんだ。
「冗談だっつの」
ハルヒコは唇を妙な形にゆがめて、ぷいっと俺から顔をそむけた。ああ、照れ隠しのつもりがエスカレートして暴力行為に発展するのが、いつもハルヒの習性だな。でも男がそれやるのはやめとけ、あの子の両親に告訴されても知らんぞ。
長門たちが、目の前の俺とハルヒコをすっと指さす。
「「斥力場中和」」
さっきからどうどうと吹き付けていた突風がぴたりとおさまった。だがなんか違和感が…そうか、まだ足元の草むらも、みんなの髪や衣服も激しく揺れている。風がやんだのは俺とハルヒコの周囲だけらしい。
「うおっし、やったろうじゃねえか」
ハルヒコが力強く宣言し、バンダナをいったんほどいてきつく結びなおしはじめた。
「がんばってくださいっ」
朝比奈さんが、胸元でぎゅっとこぶしを握りしめて声援を送ってくれる。ちゃっちゃと片付けてきますよ。
ちなみに朝比奈くんのほうは完全に気を失っており、草むらに横たわって朝比奈さんに膝枕されている。精神的にも肉体的にも甚大なショックを受けまくっていたからなあ。ほかの野郎だったら許さんが、君にだけはその特等席を独占させてあげよう。

 

「とっつかまえてやるさ。惚れた女のひとりぐらい」
は?
ハルヒコは突然、なんの合図もなくハルヒたちに向かって駆け出していった。いきなりか、ちょっと待てよ。俺もあわててやつのあとを追って草原を走る。
いまさっき、あいつ変なことを口走ったよな。惚れてる? あいつが、キョンコちゃんとやらに。
好きにすればいい、ああ知ったこっちゃない…よな。なんか非常に微妙な気分だが。いきなり逃げるように走り出したのは自分の発言を後悔したからか? 恥ずかしいなら言うなよ、ったく。
俺はさほど運動が得意なほうではない。とはいえ特に苦手ほうでもない、つまりは平凡な一介の高校生に過ぎないわけで。それに比べてハルヒコの俊足は目を見張るほどだった。ただでさえスタートダッシュで遅れていたのが、さらにぐんぐんと引き離されていく。
忘れてた、やっぱりあいつはハルヒだった。しかも男子になったことでいっそうパワーアップしてる、追いつけるわけないだろ。
「おい! おーい、待て。待っ…」
つまづいた。ついでに口の中をかんだ、かすかに血の味がする。ちくしょうあの野郎。こういう場合の常套句は「空気読め」あたりなんだろうけど、ハルヒコ=ハルヒにそんな注文したって無意味きわまりない。
とりあえず頭を上げる。意外にもやつは立ち止まり、腰にこぶしを当てて俺のほうを振り返っていた。あいつが待てと言われて素直に待った? ありえん、驚天動地だ。
「ったくもう。だっらしねえなー」
やっとの思いで追いついたとたんに悪態をあびせられる。この野郎。何度言っても足りないぞこの野郎。
「自分を、はあ、基準にすんな、はあ」
ふん、とはき捨てるように言って顔をしかめ、ハルヒコは左手を俺に差し出した。え、なんだ、それをつかめって?
男としてどうにも情けない思いだが、これを拒否してまた放置されるのもつらい。仕方なしにやつの手首をつかむ。向こうもこっちの手首を握り返してくる。
「行くぞおっ」
ぐいぐいと腕を引っ張られる、すごい推進力だ。俺は前に進むことよりも転ばないことを優先して一緒に走る。
「なあ。おまえに聞きたいんだがよ」
どうした。話があるんなら立ち止まってからにしてくれないか。
「あの女…本物のおまえといっしょにいる女だ」
何を言ってるのか理解するのに少し時間がかかった。こいつにとっての本当の俺とは、たぶんあのポニテの女子のことで。つまり「あの女」とはハルヒのことか。
「あいつが、どうした」
「アレはどんな存在なんだ、おまえにとって」
俺にとってのハルヒの存在、ねえ。その疑問は、いままであいつがらみの事件が起きるたびに何度も自問自答してきたことだ。今のところ俺の中でそれなりの回答は出ている。今後もずっと同じ考えが続くかはわからないが。
「なんでそんなこと、おまえに教えなきゃいかん」
問い返してみると、それっきりハルヒコは黙った。

 

さて。ダブル長門、ダブル朝比奈さん、ダブル古泉たちといっしょにいたときには遠目に見えていた、あの忌々しき巨大蜂の墜落ポイントだが、ハルヒコ印の一頭立て人力車のおかげでわりとあっさり到着してしまった。
目の前では、球状の半透明バリアがやや地面に埋まっており、その中心部では二人の少女が…もういいや、素直に頭に「美」をつけちまおう。二人の美少女が安らかな寝顔で浮かんでいた。
パートナーによる身体的接触。つまりは俺がハルヒに、ハルヒコがこのキョンコにタッチしてしまえば完了らしい…セクハラは禁止の方向で。
「いやホント疲れた。なぜただの山遊びがここまでおおごとになるか。なあ、ハルヒコ」
裏SOS団のハルヒコ・長門(男)・朝比奈くんともこれでお別れかと思うと、やや寂しくはある。ついなれなれしく呼びかけてしまった。
ハルヒコはポニテ少女の寝顔をじっと見つめている。その子が俺だとはいまだに信じがたいんだよなあ。
そしてハルヒに視線をうつす。ああ、下半身は見ないでやってくれ、やっぱり非常にきわどい状態になっている。
「おまえがそいつのことをどう思っているか…それをどうして俺が聞きたいか、だよな」
おっと。なんだかまじめな顔になってるぞ。
「俺がホントにたまに見る、こういうリアルすぎる夢。ただ俺の脳内で完結した空想だとは思えないんだ。絶対、現実の世界ともなんか関係してる」
怒ったような口調で語るハルヒコ。こいつはすでに何かに気づき始めているらしい。あの夜の学校の夢、あるいは雪山の事件。こいつと同じことをハルヒも感じてるんだろうか。
「おまえら、というか…」
そう言いかけてハルヒコは真後ろを振り向いた。俺もその視線を追う。さっきまで俺たちがいた場所、拡大SOS団による激戦区となった丘には、まだ六人分の人影がある。
「あいつら、なんかを俺に隠してるよな。まあ聞いたって素直に吐くような連中じゃないから、知らないふりしてやってるんだけど」
うわ、鋭い。というかもうほとんど本人にバレてないか? こいつが現実に帰ったらここでの事件を忘れてくれることをせめて祈ろう。こいつの世界のSOS団の、今後の平和のために。
ハルヒコはまた振りかえり、キョンコを指差した。
「だけど一番わかんねえのはこいつなんだよ。いつも文句ばっかり言いやがって。そのくせ、たまに…」
こっちを向き、激しい怒りの視線をぶつけてくるハルヒコ。なぜ俺がこんな目に、いいからもう帰らしてくれ。
「朝比奈さんはともかく、長門とか古泉のほうがよっぽど読めないやつだろ。素直なもんさ、俺なんか」
「『俺なんか』? なんでそっちの話になるんだ、ん?」
あげあしを取られた。いまのは失言だったか。
「だったら素直なおまえが教えてくれ。もう逃げんなよ。おまえにとってこいつはなんだ」
ハルヒコは親指でハルヒを指す。やられた、こいつ本気だ。しかたない、まじめに答えてやろうじゃないか。

 

「おまえみたいに、惚れてるとまでは断言できない」
ハルヒコはしばらく押し黙り、「で?」と問うてきた。
「初めて会った時から気にはなってる。だがちょっといろいろありすぎてな」
「なんでそう中途半端にかまうんだ。本気でつきあう気がないなら放置しときゃいいだろ」
いろいろありすぎるから、放っとくに放っとけないんだよ。本人に教えられないってのはこっちだって歯がゆいぜ。
「こいつのワガママを聞いてやれるのは、どうやら世界で俺だけらしいんでね。黙って見てたらいつ周囲を巻き添えに爆発するかわからん」
さっきからずっと、ハルヒコは不機嫌顔で俺をにらみつけている。
「本当はうぜえけど、かわいそうだからかまってやってるってのか。目をつけられて迷惑だっていうのか」
なんだ、苦労させてるって自覚があったのか? なら普段からもう少し優しくしてくれてもいいだろうが。
「迷惑さ」
にやりと笑って、そう答えてやった。
「超古代のオーパーツを探そうだの、しゃべる猫を探そうだのと、常識で考えてどうかしてる発想に振り回されて、そのたびに天地がひっくり返るほどの騒ぎになりやがる」
話している途中で、だんだんとハルヒコはうつむいてしまった。皮肉のつもりで言ったんだがまるで通じてないな。
「…ねえよ」
なにごとかつぶやいて、顔を上げた。
「そんなもん、ほいほい見つかるとは思ってねえよ。でもな、どっかに隠れてるかもしれない、実はそのへんですれ違ってるかもしれない、そう考えたほうが絶対にワクワクするだろ」
彼のまぶたにはうっすらと涙が浮かんでいる。
「なのにどうしてわかってくれねえ。いつもつまんなそうな顔しやがって。ちょっかい出すのが馬鹿みたいじゃねえか。いやならいやとはっきり言えよ」
すでにハルヒコは半べそ状態だ。野郎にそんな顔されてもなあ。
「俺はこいつと、あいつらと、もっと楽しくやっていきたいんだよ。そんでもって俺たちが、かたっぱしから面白くしてやんなくちゃいけないんだ。このクソつまんねえ世界を!」
「…大いに盛り上げるためのSOS団、だよな。おまえが作って、俺が支えてきた」
そう言ってやると、ハルヒコさっきまでの怒りはどこへやら、きょとんとした表情になった。
「ところで、いつのまにかおまえ自身の話になってないか?」
ハルヒコは軽くうめいて顔を紅潮させた。ふん、お返しだ。

 

「俺だって、ガキのころは本気で幽霊やUFOのたぐいを信じていたさ。でもそれなりに年を食ってきたら、んなもんはどうでもよくなった、サンタクロースの実在と同レベルだってな。だけど」
俺は透明な壁の向こうのハルヒを見た。地面からわずかに浮かんで直立して、無表情で眠っている。そんなおとなしいおまえはおまえじゃないぞ。
「もっと奇天烈なやつがここにいる。宇宙人より、未来人や超能力者よりはるかにミステリーな存在だよ、俺にとってのこいつは」
ハルヒコの様子をうかがうと、彼は横目でキョンコを眺めていた。すぐまた目が合う。
「おまえが…こいつが、なんでそんなに普通の毎日を憎んでいやがるのか、悪いが俺にはわからん。わかる余地もない。こいつのそばに居るだけで、俺のつまらん日常はあっさりぶち壊されちまうんだからな」
ハルヒコはまだ俺の真意をはかりかねているようだった。期待と不安の入り混じった瞳で見つめられる。いい加減に察しろよ…というのは無理な注文か。こいつらに皮肉や冗談は通用しない、いつだって本気なんだった。
「こんなに面白い立場、誰にもゆずってやるつもりはないぞ。SOS団員第一号という特権は、いつだって俺だけのものだ。いままでも、これからもずっと」
自分で言っててなんだか恥ずかしくなってきた。それは向こうも同様だったらしい。ほぼ同時にお互い目を逸らす。
ちょっと立ち話が長くなってしまった。俺たちが置き去りにしてきた3×2名の団員たちもさすがにやきもきしてる頃だろう。
目の前の透明壁に触れてみようとしたら、あっさりと手がすり抜けた。なんの感触もない。とりあえず前に進み出てみる。ハルヒコも俺のとなりについてきた。
眠れるお姫サマ状態であるところのハルヒの顔は、ちょうど俺と同じ高さにあった。こうして黙ってりゃ本当に美人だよな、こいつ。
ふと、某世界的アニメ会社の有名童話作品のタイトルがふたつほど脳内をよぎる。どうせ夢の中みたいなもんだし、一度も二度も変わらんよな…いや却下だ、自重しろ俺。
よこしまな衝動に支配されてしまう前に、長門への宣言どおりさっさとハルヒの手を握ってやった。よし、ミッションコンプリート。
…何も起きない。
どうなってる、長門情報がガセとは考えづらいんだが。となりにいる二人のほうを見て、俺は思わずのけぞった。
やつらの顔面は約十センチの距離にまで接近していた。近すぎ、顔近すぎっすよ。本気でその接触方法を実践するつもりか。勝手にしろ、俺は感知しないぞ。
何秒かのあいだ自分の中の邪悪な欲求と戦っていたらしいハルヒコは、やがて顔を少し離し、代わりに右手をパーの形にして顔の高さまで持ち上げた。おまえも宣言どおりに行くのか? やり方が両極端すぎないか?
とか思っていたら、その手のひらがそっと少女の頬に当てられた。
キンッと澄んだ音が響いて、俺たち四人をかこんでいたバリアがはじけて消え去った。なんの支えもなく空中に浮かんでいたハルヒの体が、少しずつ重力に引かれて後ろに倒れこみそうになる。思わず抱きかかえる。
さっきまでは草むらのざわめく音がBGMのようにあたりを包み込んでいたが、もうすっかり静かになっている。ハルヒがひゅうっと息を吸い込んだ。一度顔をしかめたあと、ゆっくりと息を吐きながら目を開いていく。
やっとお目覚めか。こんな体勢でなんだが、何か声をかけてやらんとな。おはよう、なんてのは気恥ずかしいし、ここはひとこと…
「「起きろ」」
ここに来たときと同じように、世界がどんどん光に満たされて真っ白になっていく。ハルヒの寝ぼけ顔ももう見えない。ただこいつの腰にまわした腕から体温だけが伝わってくる…

 

マンガのような事態というのは、時と場合により実際に起きうるものである。現に俺のほっぺたには、はっきりと指のあとまでわかる赤アザが印されている。
「はいっ、今日の朝食はカレーパスタよ。きっちり四人分あるからねっ」
おーい。
「動くな、しゃべるな!」
状況を説明しよう。われらのSOS団団長様・涼宮ハルヒ、以下団員の長門有希、朝比奈みくる、古泉一樹の計四名は、素朴な木製の椅子に腰掛けて、ログハウス居室内にしつけられた大きなテーブルの周りをとりかこんでいる。
テーブル上には茹で上げられた大量のパスタ、まだけっこうある昨日のカレーの残り、四つの大きめの紙皿が並べられている。
そして栄えある団員第一号である俺は、その食欲をそそる匂いをかがされながら、部屋の片隅でじっと正座させられているのであった。
「あの、涼宮さんっ、今回だけは許してあげてください。事情が、どうしても避けられない事情がある、いえ、きっとあったんです」
必死で俺の弁護を買って出てくれる朝比奈さん。涙ながらに情状酌量の余地を訴えかけている。ありがとうございます、俺も泣けてきそうです。
「ちっ!」
そんな果敢な彼女を鬼の形相でにらみつけながらハルヒは舌打ちした。カツアゲした相手が小銭しか持っていなかったときの不良学生のような態度だ。
朝比奈さんは瞬時にうずくまってしまう。被告側弁護人、できることならもう少し異議を申し立てていただけませんか。
「みくるちゃん。あんたは…ううん、あたしたちみんなだまされていたの、そいつのトロくさい羊の皮をかぶった演技に。信じたくないのもわかるけど現実を見つめなさい」
一転してやさしく語りかけるハルヒだが、表情はちっとも笑ってない。
「そいつは人の寝込みを襲ってきたのよ、夜這いよ。無抵抗な女子の寝室に忍び込んで、あろうことか抱きついてきて」
うん、なんでそんな体勢でお互い目を覚ましたんだろうな、ははは。状況的に弁解の余地ゼロなのは認めざるを得ない。
「さすがに何かの勘違いでは。あるいは、二人きりで何かお話したいことでもあって、人目を忍んでやってきた所だったとか」
そのいいわけは苦しいよ古泉。でもまあ、いつもハルヒのイエスマンに徹しているこいつが面と向かって俺をかばってくれること自体が珍しい。感謝しとくから、もっと援護射撃を。
「んなわけないでしょ、どうやったら説明がつくの。こいつあたしの、…を、人が寝てるあいだに。本気で気持ち悪い! 死刑! いやそんなんじゃ足りない」
まってくれ、そこだけは俺のせいにしないでくれ。くそ、こっちに戻ってくる前にせめて、もうひとりの俺がやりかけてた仕事を完了させておくべきだった。
こいつの尻が半分見えかかってる状態だったことに、断じて俺は関与していない。そう百万回も抗弁したんだが、聞きいれてくれるやつじゃなかった。
長門がぼそりとつぶやく。
「無意識」
だがハルヒには聞こえちゃいないようだ。長門はさらに、テーブルに置かれたハルヒの握りこぶしにそっと手を乗せた。ハルヒは驚いて長門を見つめる。
「睡眠中に、無意識にあなたがとった行動。可能性として否定できない」
「はあ? なによ。あたしが自分でやったっていうの」
長門も無言でハルヒを見つめた。こいつの発言のタメが長いのはいつものことだが、いまのこれはたぶん意図的なものだな。
「…夢」
それだけつぶやき、長門は手を離して山盛りのパスタに目を落とした。
「ふむ。たまにありますよね、どうしても用足しに行かなくてはいけない夢とか…あっ、こんな席ですみません、忘れてください」
古泉がちょっとわざとらしくふってきた話題に対して、ハルヒは斜め下をにらんでなにやら考え込み始めた。なんか思い当たる節でもあるのか。あるだろ。

 

「どういうことよ、説明しなさい」
ハルヒ裁判長…奉行のほうが近いな、ハルヒ奉行は俺を指差した。ようやく発言の許可がおりたようだ。
「だからおまえが、その、妙なこと始めたから止めてやったんじゃないか。そのままのほうがよかったか」
ハルヒはなにか口の中でもごもごとつぶやき、卓を囲む三人を見回した。この件に関しては全員俺の味方だぞ。陪審員はみんな痴漢冤罪だと主張してる、さあどうする。
「なっ、なによ。知らないわよ、とにかくあんたはごはん抜き!」
予想通りの判決である。こいつがここで簡単に折れるようなやつなら、そもそもこのSOS団は設立されていない。
さっきハルヒにガンを飛ばされてからずっとうつむいていた朝比奈さんだが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「だったら…わたしもいりません。こんな雰囲気で食べたって、おいしくありませんっ」
そのまますすり泣き始めた。後ろ姿なのでよく見えないけど、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしているのは間違いない。
ハルヒは上唇と下唇を何度かこすりあわせたあと、また斜め下のほうを見つめた。室内が重い沈黙に包まれる。体感時間にしたら長いが、実時間ではたぶん十秒後ぐらいに。
「古泉くん。椅子とお皿」
古泉は即座に、はいっと返事をして席を立った。朝比奈さんが頭を上げてハルヒのほうを見て、それから体をひねってこっちを向いた。泣き顔と笑顔のコンビネーションとでもいうべき表情をしておられる。正直たまりません。
もう立ってもいいか? ぐっ、完全に足がしびれてて歩けん。
不本意ながら古泉の手も借りてやっと席につくと、朝比奈さんがハイテンションで全員分にカレーパスタをよそってくれた。ほれハルヒ、なによそ見してんだ。メシの前には手を合わせていただきますと言わんか。
目の前のすばらしき一皿を鼻腔で愛でつつ、しびれが解けるとき特有のあの不快感に耐えていると。
「ゴメン」
となりに座ってるわが暴君が、ほんのかすかにささやいた。謝るときぐらい人の顔を見たらどうだ。
「おまえが仕切ってくれんと、食うに食えないぞ」
ハルヒはびくっとして俺の顔色をうかがったあとすぐに目をそらして、またちらっとこっちを見た。なにきょろきょろしてんだ。そんなに意外か? 俺がべつに怒っちゃいないってことが。
べつにこの程度の仕打ちどうってことはない。またおまらといっしょにメシが食えるんだからな。われながら、こいつの暴力的行為に対してずいぶん鈍感になったものだ。
「ふん。じゃあ、農家の人たちとかいろんなものに感謝しつつ…」
そうだな。いまこの場にいる四人と、おそらくもうひとつの世界でも同じものを食ってるであろう、もうひとりの俺たちに感謝しつつ。
「いただきます」


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