その日部室には俺、ハルヒ、朝比奈さん、長門がいて、自称超能力者以外は皆揃っていた。古泉は掃除当番で遅くなるらしい。
ついでにそのまま学校中を清掃してくれればありがたいね。
 
ハルヒは近頃はネットサーフィンで電子世界を泳ぐのも飽きたのか、今はオセロで俺を相手に暇をつぶしており、朝比奈さんは可憐過ぎるほどのメイド姿で団長席に座ってパソコンを何やらせっせといじくり回し、長門は普段通り言うまでもない。
 
ま、現在の部室内は至極平和な、俺にとっては至福の一時が流れているわけだ。ああなんてお茶の美味いことか。
しかし、そんな俺の 心の平穏を忌み嫌い、否応なしに崩壊させるのはやはり涼宮ハルヒその人なのである。
 
「アンタってなんでそんな偏屈なワケ?」
向かいで俺の黒石を4つの白石に変えたヤツが突然そう真顔で言いやがった。
聞いた瞬間、自分の左下まぶたがヒクヒクと痙攣するのを感じてすぐさま俺は反射的に言ってやったとも。
「お前に言われたくない」
ああ確かに俺は少しばかり人より性格がねじ曲がっているかもしれない。それは十歩ほど譲って認めてやろう。でもな、なんでそれを俺がこれまで知る限り一番偏屈だと思うヤツに言われなならんのだ。
「ちょっとソレ、聞き捨てならないわね」
そういうとハルヒは腕を組んでパイプイスの背もたれにもたれかかり、細くした下目使いで俺を見る。
なんだコイツ。なんか腹立ってきた。
「どういう事かしら」
こっちが聞きたい。
ハルヒは片方の手でオセロ石をいじくり回し、その様は経済的にも精神的にも余裕たっぷりの近代フランス貴族のわがまま娘のような態だ。
 
ならば言ってやろう。静かにお茶を飲みながら気分良くオセロを楽しんでいる人間と、そいつを突然偏屈呼ばわりする人間とでは果たしてどっちが偏屈なんだろうかな。
しかしハルヒのヤツは返事もなしに細めた目つきでただジーッと俺を睨むだけだった。
一体なに考えてやがる。
横を見てみると朝比奈さんがパソコンの横からなにやら恐ろしげにこちらの様子を伺っている。
たぶん喧嘩はしないでと訴えてるんだろう。
そんな朝比奈さんの不安を杞憂だと安心させるために飛びきりのスマイルを送ってやりたい所だったが、人間、分相応以上の事はやるべきではなく、俺が古泉のモノ真似をした所で全然似合わん。想像するだけで吐き気がする。
視界の隅にいる長門は感心するほどいつも通りなので特に気になる所はない、俺は朝比奈さんにアイコンタクトで「大丈夫ですよ」と合図してから(まぁ絶望的に伝わってないが)そのまま視線をハルヒに戻した。
「早くしなさいよ」
「は?」
「なにボケてんのよ。あんたの番でしょう」
何秒か目の前にいるコイツは頭のネジが1ダースほど抜けているんじゃないかと真剣に疑ったが、あぁなるほど、オセロね。
 
見たらハルヒがオセロ石を机の上でくるくると回していたので気がついた。
盤上に視線を落として、俺はすこし考えるフリをしてから適当に石を置いた。
何せ良い場所はほとんどハルヒに取られてるからな、俺の負けも確定のようなワケで、まったく忌々しいったらない。
いずれこの憎たらしい女に「ぎゃふん」と言わせてやりたいものだね。はは
…待てよ、本当に「ぎゃふん」なんて一字一句間違いなく言える人間はいるのか、そしてそれはどんな状況下のもとでなら発せられるのか、そんな谷口のどうでもいい話並にどうでもいい事を割と真面目に考えていると、
「ねえ」
とハルヒ。
なんだよ俺はもう打ったぞ。そしてお前はまだ打ってない。
「そうじゃないわよ」
「じゃあなんだ」
と言って、俺は盤上に視線を落としていた顔を上げてハルヒを見た。
ハルヒは頬杖ついて、見るからにつまらなさそうな感じの顔だった。…が、なにかその顔は若干演技めいた嘘臭いものだと感じられたのは俺の気のせいだろうか。
「…あんた今、楽しいの?」
は?一体何を言い出すんだ?何の経緯があって?
コイツの会話の振り方はさっきからさっぱり訳が分からんぞ。
 
それにあえて真正直にハルヒの質問に答えるならこの状況は、楽しい、つまらないのどちらでもなく、混乱、混迷、のような類の感情だ。俺のさっきまでの些細な立腹はどこにおけばいいのか。
「どうなのよ」
目の前にいる、少しくぐもったような声を出すタイクツ顔は頬杖つく顎をちょいと動かして俺に返答を促す。
片方の手はオセロ石を掌で弄んでるままであり、どうやら俺が返答せねば次の一手は打たないつもりらしい。
…俺の頭は至って冷静だった。間違えて楽しくないとか、もしくはそれに似た何かを言ってみろ。
コイツはヘソを曲げるに決まってる。たとえそうでなくても確実に言えるのは、この後すぐにオセロで俺にとどめを刺したら、このアマは団長席でパソコンに勤んでいる朝比奈さんを暴君さながら容赦なしに追い出す事疑いなしだ。
そんな事件は故意に引き起こすものではない。物事はなるべく平和的解決に向かうようにより良い、つまりモアベターな方向に進めるべきなのだ。
 
そしてその行為が俺の望む平穏を少しでも長引かせてくれる可能性を持つものであれば、尚のこと、「つまらない」などという単語をわざわざ選びとる必要性がない。俺の鉛筆程度の大きさしかないプライドなんかを惜しむ理由がどこにある。
「あぁそうだな。どっちかって言うと楽しいんだろう。いっそのこと、この平穏が永遠に続けばいいと思う」
言い終える頃に、最後の部分はちょいとばかし大袈裟だったかなと自嘲気味に鼻で笑おうとしたが、失敗した。
ガタンッ!
急に前方で大きな物音がたって思わずびっくりした。
原因は100%ハルヒ。今の物音はパイプイスを倒したからか。机から引き気味のかろうじての中腰姿勢で顔はワナワナと、色はみるみる内に赤くなっていく。
「……ーっっっ…!」
まるで、ジツはちょっと気になってる異性が何故か自分の日記張を見ていて運悪くその現場を目撃してしまった、みたいな様子だ。
ん?この場合、ちょっと気になる異性とは俺の事か?
んなアホな。ありえん。我ながらトンデモバカな発想だった。
 
「あ…あ、あ、ああた…あんた…」
何かを言いたいらしいが正常な言語に変換するには今暫くかかるようだ。
 
お前は一体どうしたって言うんだ。さっきから意味不明だったが、今はそれの3倍近さもの拍車がかかってるぞ。
出来る限り訝げな目でみてやろう。
少し、横にいる長門と朝比奈さんの様子が気になったが、二人とも完全に俺の視野から外れているために確認しようがなかった。
多分、長門は90%普段通りで、朝比奈さんはディスプレイと熱心に向き合ってるか、ソワソワしながらこちらの様子を伺ってるかのどちらかだろう。
なんで横を向いて確認しないかって?そんなの俺の口から説明したくない。
 
…暫くハルヒのヤツはあわあわとしたままで、言語の9割が「あ」で構成されており、何語だそれ、とツッコミを入れたい所だったがそれは止めといた。
このまま面白ハルヒを心行くまで眺めていたいような気もしなくも無いが、何だかこのままでは見てるこっちまで恥ずかしくなりそうだったので、俺はハルヒに助け舟を出してやる事にした。
一体なんの助け舟なんだろうと自問せずにいられない。
「ほら。次、お前の番だぞ」
俺は黒と白の丸い石が入り混じって置かれている盤上を指さして言った。
 
「へ!?…あ…あぁ」
ハルヒは変な声で驚くと、俺の言葉を理解したのか盤上に視線をやる。
 
倒れたパイプイスを、普段のコイツとは思えないおぼつかない手取りでえっちらおっちらと立たせると、その間少し落ち着いたのか、そこに「ふう」と深い吐息を漏らしながら座った。
「あ、あんたねぇ!」
と、準怒り顔になって急にわめく。
まぁ聞いてやるとしよう。
「え…永遠に、……こ、このオセロをやるだけなんて…たた退屈過ぎて相対性理論が分からないアインシュタインのようなもんよ!」
断固として日本語に成り立ってないハルヒの言葉だが、翻訳すると「ずっとオセロをやるなんて退屈過ぎてやってられない」というような意味だろう。
確かにオセロだけではつまらんな。かといって他のゲームに替えるとかいう問題でも無いのだろう、コイツの場合。
「ま、まぁ…でも…き、今日ぐらいは付き合ってやっても……そんな…アンタが楽しいって言うんだったら…」
不自然と思えるほどハルヒは急にしおらしくなり、その声はひとつひとつの言葉を喋るごとに小さくなっていくため最後の部分になるとほとんど聞こえなかった。こんなハルヒに、俺はもうただ唖然とするしかない。
 
だが、まぁなんか知らんがコイツの口ぶりからすると今日ずっとオセロをやる事だけは確かなようだ。
「飽きるだろうから、後三ゲームくらいやったら他のヤツにしようぜ」
「へ!?…う、うん…」
今日はアナログゲームオンリーデイだ。
少し倦怠する感が否めないが…、……例えば変な空間に閉じ込められたり、違う世界に一人残されるよりかは遥かに飛んでマシだ。
あれらは神経がすり減ってしょうがない。
ま、とにかく今日の平和はハルヒ様直々に決定された。
ありがたいね。何一つまったく心配する事なく一日を過ごすというのは。
 
その日、アナログゲームを俺とするハルヒはあれ以来なぜか妙に大人なしくなり、頬も何やら薄く赤らめていた。
はっきり言ったらそんなハルヒは朝比奈さんに匹敵、もしくはそれ以上かとさえ思えるほど可愛いかった。
黙ってそうしてりゃお前は告白の嵐に巻き込まれるだろうぜ。
と、自分でも訳の分からない感想を抱く。
 
しかしながらどうしたというのだろうコイツは。
 
 
そんな調子で様々なアナログゲームを消化させていったら、ドアがギィッと軋む音を立てて開いた。
「いやぁ遅くなってすみません。同じ掃除当番のクラスメートが大胆にも教室のテレビを見始めまして、たまたまサッカーの予選が中継されていたんですよ。相手は……イエメンです。いやぁ意外と苦戦するものでヒヤヒヤしましたよ」
これは無論、常時微笑顔の古泉の声である。
テレビでサッカー中継を見てた辺りまでで聞くのを辞めたが、最初の一行しか謝ってない事は理解できた。
「…おや?お詫びの印にと思って新しいゲームを持参してきたのですが…どうやらお二方とも今日は大変仲がよろしいようですね。」
俺はハルヒのビショップの駒を取った。
「あっ!」とか、小さな声を上げるハルヒ。
これまたハルヒはあれ以来ゲームの腕も変容し、今では俺とドッコイドッコイといったレベルだ。まあおかげで結構本気で楽しめている。
 
「僕も仲間に加えて頂きたいところですが…割込むというのもいささか野暮というものですし、静かに一人つつましくするとしましょう」
米国的ジェスチャーをして肩をすくめてみせる古泉。
 
そうしてくれ。お前とやるより断然このハルヒとやる方が面白い。いろんな意味を含めて。
 
 
―――パタンッ、
室内に乾いた音が鳴った。
「あれ?もうこんな時間?」
長門が本を閉じるこの音が意味するのは単に長門自身の読書が終わったのではなく、言わずと知れたSOS団下校時刻の合図なのである。
 
「ま、まぁそれなりに面白かったわね」
席を立ち上がりながら澄ましたような口調で言うハルヒ。まだ頬は若干赤い。
「けど明日はこうは行かないわよ!キョン!明日の不思議探索はアタシの思うがままにやらせてもらうんだから!」
いつも思うがままだろうが、と心の中で突っ込んでおく。
しかし確かに、今日がこんなんだっただけに明日はその反動が凄いものになるに違いない。しかも土曜。
やれやれ……腹をくくっとこう。
俺は目の前の満点笑顔に、出来るだけうんざりしたように溜め息を添えながら言ってやった、
「わかったよ」
「ふふ…!それじゃあ、今日は解さーん!みんな明日遅れちゃだめよー!」
そう言いながらあっという間にハルヒは部室内から出て行った。
 
 
「…さて、一体どういう事なんですか?」
ハルヒがいなくなるなり、古泉はいつもの微笑顔を向けながら聞いてきた。
さあな、まず主語から言えよ。
「これは失礼。さっきまでの涼宮さんです。大分様子が違っていたようですが…」
「わかんねえよ、俺が知りたいぐらいだ」
手を頭で組んで、背もたれに大きくもたれながら言ってやる。軋む音を出すパイプイス。
「そうですか…まぁ貴方ならそうでしょう。では朝比奈さん」
「え?は、はい」
古泉は疑問の矛先を朝比奈さんに向けやがった。
朝比奈さんは洗い場で洗いものをしており、突然呼ばれて振りかえる姿が何とも愛らしい。
「ここで一体何があったのですか?彼と涼宮さんの間に何が起きたのか…それを説明して頂ければとてもありがたいです。」
朝比奈さんは洗い場の水を止めて、可愛いらしい花柄のハンカチで手を拭きながら俺をちらちらと三瞥程度するとクスクスと笑い出した。
 なんで?
「わかりました古泉くん。話します。」
 
さて、当事者の俺に分からないのに、朝比奈さんになんで分かるのだろうかと疑問に思いながら、俺は朝比奈さんの説明に聞く耳を立てた。
 
本を鞄にしまった長門はさっきから白木のように突っ立ったまま一言も言葉を発しようとしない。
コイツ今日なんか喋ったか?
 
 
―――はぁ?
朝比奈さんの説明に、俺は思わず間抜けな声を漏らしてしまった。
今の俺の顔はさぞ疑わしいようなものを見るような目で朝比奈さんを見ているのだろう。
あぁそんな自分が憎たらしい。
極めつけには「そんなアホな」とか突っ込みを入れ、もう、なんか誰か俺を止めてくれ。
 
朝比奈さんの主観によると、ハルヒは俺との最初の会話の辺りから既に異状を来たしていたらしい。
そんなの説明されてもまるで意味が分からないし、分かりたくもない。
「……で、そしたらその後にキョン君たら、この平穏が永遠に続けばいい、だなんて平然と言うんですよ。もうおかしくて」
それの何がおかしいんですか。確かに大袈裟でしたけど、端的に俺の切実な願いなのですよ、あれは。でもまぁ、ちょっとたまにならドンチャン騒ぎもいいか。
 
 
「いやぁ残念です。そのような事がこの空間で繰り広げられていたとは。イエメン戦なんて見てる場合ではありませんでしたね。これは惜しい事をしました。」
イエメンでもレーメンでも永遠に見てりゃ良かったんだよお前は。そして教師に見つかって説教の一つ二つされて来りゃよかったんだ。
「でも涼宮さんも嬉しかったんだと思いますよ。キョン君に楽しい、だなんて言われて」
朝比奈さんの微笑みを浮かべながらそのように喋る姿は、皮肉にも今までで唯一上級生らしいと思える仕草だった。
 
楽しいっていうかアレは語呂合わせのようなもので…やっぱいい…今はどんな弁で抗おうが無意味な気がする。
俺はただ黙って顔を渋めるしかなかった。
自分の現在の心理状況が忌々しい。
「ふふ…キョン君て本当鈍感です」
 
やれやれ…このお方は何が言いたいのだろう……もう勝手にしてくれ
 
そう溜め息をつくと、ふと目線の先で長門の黒真珠のような瞳と目が合った。
「……」
……やれやれ
 
 
翌日、ハルヒは昨日の宣言通りにわがまま放題だった。昨日のあの、しおらしいハルヒがまるで夢だったかのように。しかもだ、クジ分けは午前午後と全てハルヒとおんなじ組、そしてペア。
よってハルヒのわがまま放題による被害は俺だけに一点集中砲火され、午後2時辺りを回る頃には俺はもう身心ともに真っ白な灰になりそうだった。
「もう、だらしがないわね。しょうがない…全然まだまだ早いけど、先にいつもの喫茶に行ってましょう。」
 
 
――水をもう何杯頼んだだろう。というか店員も面倒じゃないか?テーブルにそのままポットを置いてりゃいいのによ。
俺は先ほどまでの疲れを癒すため、店員の持ってきた4杯目か5杯目かの水をがぶがぶあおっていた。次の一杯を再び店員にオーダーしようとした所、
向かいのハルヒは突如として全くの想定外の事を言い出しやがった。
それは店の全品フルコースメニューを注文するとかいう類のものではなく、それよかは充分に現実的ではあったものの、どうにも意味が分からない。現にそれを言われた時、俺は昨日からもはや常套語と化している言葉を無意識の内に口にしていた。
…しかしながらまぁ、コイツの意味不明さはハナからわかっていた事だし、今の今までのようにこの先もコイツの自由奔放さ(とその他)に振り回される事になるのだろう。
一体全体、なんで普通人の俺が巻き込まれるようになってしまったのか。考えるとやれやれと溜め息をつくしかないが、そうなってしまったのだからしょうがない。お手上げだ。
ま、せいぜい、どんな状況でも楽しめるようなとこは思い切り楽しめるよう、常々心がけることにしておくさ。
 
 
……ハルヒはこんな事を言ったのだ。
おもむろに鞄の中から「何か」を取り出し、
頬を小さく赤らめながら可愛く笑った顔で、
 
「ねぇ、キョン。オセロでもやらない?」
 
……は、……はぁ…?
 
 
 
終わり
 


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