時の流れは誰にも止められない様に、この日本と呼ばれる島国で延々と繰り返されて
いる気候の変化もまた、誰にも止められない物なのだろう。
 春は眠いし夏は暑い、秋はやたらと腹が減る……まあ、この3つはいいんだ。
 多少の不満を我慢すればいいだけの事で、そこまで実害があるわけじゃない。
 しかし、俺にはどうしても好きになれない季節がある。
 それ――うぉわっ!
 路面との座面抵抗を失い、自重を支えきれず俺の足は滑り出す。
 固く冷たい歩道のレンガの上に膝から落ちた俺は……今日何度目かの溜息をついた。
 普段、ハイキングコースと呼んでも何等差し障り無い北高への通学路は、冬の終了間
近になって危険地域への全面改装を終えていた。
 車道は綺麗に除雪されてるってのに、俺達が歩く歩道は雪が積もったまま。
 しかも生徒達によって連日踏み固められている為、鏡面仕上げと呼ぶに相応しい状況
とかどんな罰ゲームだ?
「おいおい、何大げさな事を言ってんだ。このくらい普通に歩けるだろ?」
 言葉通り普段と変わらず、ヘリウムの様に軽い足取りで俺の横を谷口は通り過ぎてい
く。
 ……なんであいつは普通に歩けるんだ?
 注意深く見てみると、谷口の足元は一見普通の靴なのだが、底の部分を覆うようにゴ
ムバンドで止められたスパイクが履かれていた。
 おい、なんだそれは?
「ん? ああ、これか。いいだろ、登山用品の店で買ったんだ。この辺は毎年雪が積も
るわけじゃねーし、冬専用の靴を買うよりはいいだろうってな」
 なるほどね。
 谷口に言われて、俺は自分の財布の中を確認してはみたが――はぁ……駄目だ、そん
な予算は無い。そもそもだ、何故学校に通う為に登山洋品店に行かなければならないの
か? 俺はそれが聞きたい。
 しかももうすぐ雪解けの季節なのに、何で今更そんな準備をしなくてはならんのだ?
「んなもん怪我をしたくねーからに決まってんだろ? ほれ、さっさと立ってきりきり
歩け。遅刻しちまうぞ」
 逆恨みで結構、やけに楽しそうな谷口を睨みながら俺は再び苦難の道を歩き始めた。
 俺……この坂道を登りきったら早退するんだ。
「帰るのかよ」
 
 
 ようやく学校に辿り着いた俺は、自分が多数派だった事にほっとしていた。
 教室の中は通学途中で転んで怪我をしただの、滑って危ないといった不満の声で一杯
になっている。
 そうなんだよ。気温が極端に低い時期ならまだいいが、下手に暖かくなってきたこの
時期が一番危険なんだ。
「キョン。遅かったわね」
 すでに疲れきっていた俺には、ハルヒに返事をするだけの元気はなかった。
「……あんた朝から何してきたのよ。あ、もしかして雪だるまでも作ってたの?」
 平日の登校前にそんな物作る奴がいるわけないだろ。
「じゃあ……カマクラ?」
 そっちの方が重労働じゃねーか。……単に通学路を登ってきて疲れてるだけさ。
 椅子に座り、失った体力を回復するべく机との同化作業に入る。
 ついでに寝不足も解消させてしまおうかと考え始めた俺の背中に向かって、
「ああ、あの坂道。あんたも大変ね」
 ハルヒは適当なコメントを返してきた。
 気楽に言ってくれるな。
「だって人事だもの」
 確かにそうだ。
 お前は滅多に通らないもんな。
「……あ、いい事を思いついたわ! あんたも迂回してくればいいじゃないの!」
 迂回……ああ、なるほど。遠回りしてハルヒが住んでる方の道から来ればいいって事
か。確かにそうすればあの坂道を通らずに済むんだよな。
 結構遠回りになるから誰もそうしないんだが、危険度は確かに低い。
 痛む膝を擦りながらどうするか考えていると、
「そうしなさいよ。ね? ね! はい決まり!」
 ハルヒは何故か楽しそうに誘ってくるのだった。
 ……まあいいか、それでも。
 体を起こし、振り向いた俺が頷こうとした時
「よーし、HRを始めるぞー」
 岡部が疲れ1つ知らない様な元気な声で教室に入ってきた。
「ん、何だ。お前等元気が無いぞ? 朝からそんなんでどうする。先生を見ろ、先生を。
ハンドボールで基礎体力を付けているから先生はこんなに元気だ」
 あんたは車で学校に来てるからだ。
 そんな本音は隠しつつ、適当に同意の視線を送っておく。
「さて、今日は何かあったかな……ああそうそう。午前中の授業で一部変更があるぞー。
今日は地元への奉仕活動をする。これから3限までを使って、通学路の歩道の雪を綺麗
に――」
「なんでよ!!!」
 岡部の太い声をあっさり飲み込み、ハルヒの不満の叫びが教室内を埋め尽くした。
 クラスメイトだけでなく、岡部までもが目を丸くして固まったのも無理はない。
 
 
「はいキョン、スコップでいい?」
 ありがとよ。
「つったく……なんで朝っぱらからこんな労働に勤しまなくちゃならねーんだ? しか
もタダで。どう考えても割りに合わねえっつーの。第一もうすぐ雪解けだぞ? しかも
タダで」
 エンドレスで愚痴を言う暇があったら手を動かせ。
 それと、大事な事だからって2回も言うな。
 生徒全員によって始まった歩道の除雪作業は、やはり生徒の士気が低いせいか中々進
まないでいた。
 そりゃあそうだよなぁ……何が悲しくて今朝上ってきたばかりの道をまた降りて、し
かも力仕事をしなくちゃならないのか誰か教えてくれ。
「そこうるさい! あんた達の為でしょ? さっさとやりなさい!」
 へいへい。
 ま、やたらとハルヒが怒っているのもわからんでもない。
 なんせ、ハルヒはたまにしかこの通学路を使ってないんだもんな。
 ぐだぐだ言いながらも体を動かしていると、その内みんなテンションが上がってきた
のか自然と作業のペースは上がっていった。
 そんな様子を見て何を思ったのか、
「よーし。11時までに作業が終わったら、今日の昼休みは30分延長するように頼ん
でやるぞー」
 岡部が提示した条件は、生徒達の勢いをさらに加速させるには十分な内容だった。
「お昼休みが1時間になるのか~楽しみだね」
「1時間あれば普通に寝れるもんな、気合入ってきたぜ!」
 安い連中だな。
 とはいえ周りの雰囲気に流された俺もそこそこに働いた結果、無事11時前に歩道の
除雪作業は完了した。
 やれやれ、これで明日からは安全に登校できるそうだな。
 疲労の中にも達成感を感じて一息ついていた俺なのだが、
「そーね」
 理由はわからんが、ハルヒは綺麗になった歩道を不満そうな顔で見つめていた。
 ……なんだよ、力仕事が嫌で怒ってたんじゃないのか?
 
 
 翌朝、いつもよりもかなり早めに家を出た俺は
「……おはよう」
 玄関の前にハルヒが立っていたのを見て、思わず足を止めた。
 寒さのせいなのか赤い顔をしたハルヒは、こちらをじっと見つめているというか睨ん
でいる。
 念のために言っておくが待ち合わせをしていた訳でも、今日が休日な訳でもない。
 ……俺、まだ夢を見てるのか? そろそろ起きないとまずいぞ。多分。
「何変な顔してるのよ」
 ぺちぺちと自分の頬を叩く俺に、ハルヒは率直な感想を返した。
 どうやら……これは夢ではないらしい。
「ほら、さっさと行くわよ」
 行くってどこへ?
「学校。他にどこへ行くのよ」
 ……ああ、学校へ行くのか。そうか。
 状況は全くつかめていない俺だったが、生憎と時間は待ってくれない。不満そうな顔
で待つハルヒと一緒に、俺はとりあえず歩き始めた。
 ――なあ。
「なによ」
 何でお前がここに居るんだよ。
 お前の家から俺の家まで結構な距離があるぞ。
「昨日、あれだけ重労働をさせられたから、せっかくだから使ってみようって。それで、
近くだったからあんたの家に寄ってみただけよ」
 ふ~ん。
 まあ、別にお前が何を考えててもいいけどな。
「何よ……何か不満なの?」
 正直に言えば少し不満だ。
 まあ、お前には何の責任は無い事だが。
「……言ってみなさいよ」
 なあハルヒ、いつもの俺ならもっと遅い時間に家を出るんだ。
「何よそれ、人が気を使って呼び鈴も押さないで待っててあげたってのに!」
 いいから聞けよ。昨日、お前の家の方から学校に行くとか話をしてただろ? だから
今日は自転車でお前の家まで行って、そこから一緒に歩くつもりだった……っておい、
聞いてるのか?
 俺の話の途中で何故かハルヒは立ち止まってしまい、じっと俯いたまま何も言わない
でいた。
 なんだよ、遠回りして疲れたのか?
「……う、うるさい」
 何故か小さな声で言い返すハルヒは、しばらく待っても歩き出そうとしなかった。
 しゃーねーなぁ……。
 いつもより早い時間帯の通学路には、まだ誰の姿も見えない。
 このままここに居るわけにもいかないし、俺はじっと動かないハルヒの手を掴んだ。
 ほれ、手を引いてやるから頑張って歩け。な?
 ようやく顔を上げたハルヒの顔は真っ赤になっていた。
「べ……別にそんなに疲れてたわけじゃないけど。厚意を無下に断わるのもなんだし、
せっかくだから手を引かせてあげるわ」
 そうかい。
 随分と偉そうに言ってる割に、嬉しそうな顔をしてるな。
「……ねえ、そんなに早く歩いたら危ないわよ」
 そうか?
 普通だと思うんだが。
「そうなの。だからもっとゆっくり歩きなさい」
 へいへい。
「ちょっと、手をもっと強く握らないと外れるわよ」
 わかったわかった、これでいいか?
「うん……まあまあね」
 ったく……。機嫌が急に悪くなったり良くなったりと忙しい奴だ。
 何故か突然饒舌になったハルヒに溜息をつきながら、俺達はのんびりと坂道を登って
行った。  
 
 
 「雪解け」 ~終わり~
 
 
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最終更新:2009年01月21日 21:12