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 壁に貼られた大きな紙を背に、長い髪を揺らした笑顔の先輩が立っている。
「みんな集合~! こっちにきて、あたしの顔か胸か後ろの成績表に注目するっさ!」
 彼女の声に引き寄せられるようにして、部屋に居た社員達はぞろぞろと集まってくる。
 全員が揃って静かになったのを確認すると、社員達の視線の先に立つ彼女は豊かに育った胸元
からクラッカーを取り出し、天井に向かって破裂音と紙ふぶきを飛ばした。
「今月の契約トップは……ぶっちぎりでハルにゃん! 2位はあたし! さっすがハルにゃんだ
ねっ! 産休から復帰してたった半年で営業部のトップセールスに返り咲くなんてお姉さんびっ
くりだよ~」
 誰からともなく拍手が始まり、それを無視するような顔で――頬の端で照れながら――ハルヒ
は黙って聞いていた。
「でも、あたしの成績はキョンと有希の手助けがあってだもの。鶴屋さんは単独でその成績なん
だから素直には喜べないわ」
 俺と一緒に名前を呼ばれた長門は、その場所に四次元に通じる穴があるとでも言いたげな目で
ハルヒの背中を見ている。
「そ~んな事ないない。あたしはサポートついても成績伸びない人だからさっ! ハルにゃんは
謙遜なんかしないでご褒美を受け取っちゃってよ。1位の賞品は2位の人と2人っきりの温泉旅
行! 今週末は予定開けておいてねっ!」
 ハルヒの視線がカレンダーと自分の手帳を行き来して、
「あ、ごめん。それ無理。週末は園の誕生日だから」
「え”~……そ、そんなぁ……それだけを楽しみにしてたのにぃ……」
 本気で泣いている鶴屋さんをフォローする言葉が思い浮かばなかった俺は、他の社員同様なん
となく気まずい顔で立っていた。

 


 未来の過去の話 2

 


 壁際の時計が定時を指すと同時、ハルヒはいつもの様に無駄に元気に立ち上がり。
「はい! 今日はおしまい! さあさあ! 2人とも帰るわよ~早く準備しなさい!」
 鼻歌混じりで机を片付け始めた。立場上、直属の上司であるハルヒが業務の終わりを告げた訳
なのだが、俺はいつもの様にその指示を無視して睨み返した。
 無理だ。
「え……何で?」
 本気で不思議そうな顔でハルヒは驚いている。
 理由を聞きたいのか。
「ええ、聞きたいわね」
 俺は手元の書類の山をハルヒに指差しつつ、ついでに空いていた方の手で長門の手元にある書
類も指差した。
 お前が取ってきた営業の書類がまだこんなに未処理のままなんだ。これを片付けないと帰る訳
にはいかない。
「はぁ~? そんなの後でいいわよ。書類が遅れたらあたしが謝りに行くから」
 こいつ、本気で言ってるな……。
 とにかく、今日のノルマが終わらない事には帰れないんだ。お前は先に帰ってろよ。
「……あっそ、わかったわよ。どうぞ2人でごゆっくり!」
 後半は殆ど怒鳴り声、パーテーションで区切られた他の部署にまで声を轟かせながら、ハルヒ
は部屋を出て行った。
 ……本当……変わらない奴だよな。
 今更それを悔やむ訳ではないんだが、ハルヒを見ていると時々自分が本当に大人になったのか
不安になる事がある。
 もしかして、俺達はまだ高校生なんじゃないかってな。
 しかし、現実って奴はやっぱり厳しい。
 鶴屋さんに誘われて――というか無理やり連れて来られた――この会社に入社し早3年。よう
やく仕事の手順を先輩に聞かなくても分かる様になった俺は、責任って言葉の重みを実感してい
た訳だ。
 長門、無理に付き合ってくれなくてもいいんだぞ? この量なら俺1人でも何とかなるし。
 もう日付が変わるまで残業するのも慣れちまったしな。
 対面に座る寡黙な同僚に声を掛けると、いつもの様に数秒おいて長門は顔を上げた。
 視線は俺に向けたまま、たどたどしくキーボードを叩きつつ
「大丈夫」
 あの頃と変わらない平坦な声で長門は答えた。
 統合思念体の作ったヒューマノイドインターフェース――それは、俺が長門の部屋で聞いた自
己紹介なんだが、今は内容に訂正事項がある。
 詳しい事情は知らないが、ハルヒに望まれた結果やってきたのかもしれない宇宙人は、ハルヒ
の望みによってただの人間になってしまったんだとさ。
 つまり、今の長門は正真正銘ただの人間なのだ。
 かつて、コンピ研に世界に通用する凄腕ハッカーと称された技量はすでになく、今は俺とそれ
程変わらない事務員でしかない。
 そんな長門、俺、そしてハルヒ。
 営業部の一角にパーテーションで作られたこの部署の総勢は以上3名で構成されている。
 この部署の名前は……まあ、もうわかってるだろうから言わなくてもいいよな。
「ハルにゃん居るかい~? って……あらら、キョン君と長門っちだけなのか」
 お疲れ様です、営業部長。
「も~……そんな他人行儀な呼び方ダメ。セクハラだよ?」
 意味がわかりません。
 ノック無し。何の遠慮も無く俺たちの部署の扉を開けたのは、最近ぐっと女らしくなった鶴屋
さんだった。
 それはスタイル的な意味でもあるのだが、それ以上に急に変化した彼女の雰囲気に関する部分
が大きい。
 社長令嬢でもある彼女を射止めたのはいったいどこの誰なのか? 男性陣の間で、彼女の噂が
途切れた日は無い。
「ねえねえ、ハルにゃんが居ないのに何でキョン君が残ってるのさ? もう倦怠期到来?」
 大丈夫です、ご心配なく。――多分ですけどね。
「それならいいけど……。2人とも、残業もいいけど早めに帰らなきゃダメだからね? 特にキ
ョン君は要注意。ハルにゃんに寂しい思いをさせてたらあたしが寝取っちゃうから!」
 わかりました。
 そんな冗談――にしては目が笑ってなかったが――を言い残して、鶴屋さんは部屋を出て行っ
た。やれやれ……俺も本当は帰りたいんですけどね。
 山と積まれた案件を機械的に処理つつ、俺は静かに溜息をつく。
「……私が残ってもいい」
 え?
 静かになった部屋で、長門がこちらを見て呟く。
「後は私が処理しておく。貴方は帰ってもいい」
 そうはいかねえよ。
「でも」
 さっきの鶴屋さんの言葉を間に受けているのか知らないが、長門は心配そうな顔をしていた。
 ……長門。本当の所、俺は仕事に対してそれ程熱意がある訳じゃないんだ。こんな事務処理も
好き好んでやってる訳じゃない。ただ……ここで俺が仕事を遅らせたら、せっかく営業を頑張っ
てきたハルヒの足を引っ張る事になるだろ?
「……」
 俺はあいつの力になりたい、ただそれだけなんだ。長門、だからお前は無理に付き合う事もな
いんだぞ?
 俺の目を見て数秒考えた後、
「……いい。私は、この仕事が好きだから」
 手元の資料に目を戻しながら、長門はそう答えた。
 

 

 俺は部屋の電気が消えているのを確認して、扉の横にある「SOS団」と書かれたプレートの
在室表示を「不在」に変えた。
 ――ずいぶん遅くなっちまったな。
 俺と長門が会社を出たのは、すでに定時を3時間程過ぎた頃だった。
 おかげで事務処理は全部片付いたんだが――携帯電話に、メールの着信は無し……はぁ――今
頃ハルヒの機嫌がどうなっているのか考えただけでも気が滅入るぜ。園に至っては口もきいてく
れないだろう――それはいつもの事だが。
 いかん、暗くなってきた。
 長門、お前はこのまま真っ直ぐ帰るのか? それともどこかで夕飯を食べていくか?
 後ろを歩く長門にそう声を掛けてみると、
「帰る」
 首を横に振ってそう答えた。
 そっか、じゃあ駅まで一緒に行こう。
 俺は小さく頷く長門を連れて、夜の街を歩き始めた。

 


『後は私が処理しておく。貴方は帰ってもいい』
 ……。
『いい。私はこの仕事が好きだから』
 ……。
『帰る』
 ……。
『ねぇ、何でそんな嘘をつくの? せっかくチャンスだったのに。夕飯食べていくって聞いてき
たら、それって一緒に食べようって意味でもあるのはわかってたんでしょ?』
 私の中で不満を並べる彼女に、私には返す言葉が無かった。
 固い座席の上、乗客も少ない電車に揺られながら今日の出来事を思い返してみる。
 優しい彼の顔。声。
 そして提案に対する回答。
 ……確かに、それは嘘だった。
『ほら! やっぱり嘘だったんじゃない』
 私にしか聞こえない声をあげているのは、姿は無いけれど私を守ってくれている大切な人――
朝倉涼子。
 私によって情報連結を解除された彼女は、今は私の中に情報生命体として万一の場合に備えて
存在している。
 そんな彼女との意思交換は、私にとってとても大事な時間。
『ねえ。確かにキョン君は結婚しちゃったけど、貴女は未婚なんだから遠慮しなくてもいいと思
うわよ?』
 それは違うと思う。
『結婚するのも離婚するのも自由、既婚者同士だったら問題があるのがこの国の法律よ』
 ……なるほど、そうかもしれない。
『でしょ? ……夜、寝言で彼の名前を呼ぶくらい好きなのに、何で何も行動しないの?』
 私は、彼ほど優しくない。
『……』
 私の返答は、その全てが嘘ではなかった。同僚として働く間は、彼と一緒に居られる。その時
間を私は好ましい物だと感じている。例え、彼にとってそれが彼女の為の時間であっても。
『……そんな』
 夕食を誘われた時は嬉しかった。これで、もう少し一緒に居られると思った。でも駄目。彼は
私の労を労うつもりで提案してきてくれたけれど、同時に彼は早く家に帰りたいとも思っていた。
 それに……彼と一緒に駅まで歩いた時間は、とても楽しかったから。
『そっか……うん』
 困った様だった彼女の声は、悲しげな声に変わった。
 同僚。
 彼と私の関係はその二文字で表現される。
 それで私は満足している――けれど。
 また。
『え?』
 また、彼に夕食を誘われたら……その時は頷いてみようと思う。
『本当! 約束だからね?』
 まるで自分の事の様に彼女は喜んでくれて、私は自分の胸の中が暖かくなるのを感じた。

 


 小さいながらも楽しい我が家――ってのを夢見てたんだけどな。
 玄関の前に立った俺に見えるのは、真っ暗で冷たい顔をした木造建築物でしかなかった。
 時間は……21時か、もう園生は寝てる時間だ。
 部屋の明かりも見えないな……ハルヒも寝てしまっているのかもしれない。
 ま、それならそれでいいか。
 ポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込もうとした時
「こんな遅い時間までお疲れ様」
 待ち構えていたみたいに背後から聞こえてきた声は、意外な人物の物だった。
 振り向いた先、玄関のそばにある街灯の下に立っていたのは、白いコートに身を包んだ懐かし
い顔。
 ……佐々木、だよな?
 結婚式以来にあった旧友は、俺の言葉にくすぐったそうに笑った。
「くっくっく……君に忘れられてしまったんじゃないかと心配していたんだが、どうやら杞憂で
済んだようだ」
 お前を忘れるはずがないだろ。……それにしても。
「それにしても?」
 いや、その。
 久しぶりにあった佐々木は、濡れたように輝く目を細めて笑い……そんな顔を俺はどこかで見
たことが……あ――

 


 ……何をやってるんだ。
 直立不動。
 俺が寝室のドアを開けた時、カーテンを閉め切った部屋の中でハルヒは何故かベットの上に立
っていた。
 腕を組み、視線の先に紙でももってきたら火がつきそうな目で俺を見下ろしながら
「最後に言いたい事は」
 ハルヒはそう宣告してきた。
 最後って……そうだな、何でお前が怒ってるのか聞かせろ。
 ネクタイを緩めつつ――さて、今日は何を怒ってるんだろうなこいつは――等と考えていた俺
は、
「……っく……」
 ハルヒが声を殺して泣いている事に気づいて狼狽した。
 な……おいハルヒ、いったいどうしたんだよ?
「……何が不満なのよ……」
 だから何が?
「あたしの何が不満なわけ?! 言いなさいよ!」
 意味がわからん! 俺が何かしたのか?
「こっちの台詞よ!」
 駄目だ、話しにならん。
 頼む、この状況を説明できる奴が居たら深夜で悪いがここまで来てくれ。タクシー代くらいは
出す。深夜割り増しももちろん払う。
 どうしようもない状況に頭を抱えていると、やがてハルヒは涙声で呟き始めた。
「……せっかく……せっかく営業成績で一位になれたから、今日はお祝いしようって思ってたの
に……何で残業なんかするのよ……。しかも有希と2人で! あたしだけ追い出して!」
 それは……まあ。すまん。
 退屈な事務作業でお前は全く役に立たないとか、今はそんな事実を言う所じゃないよな。
「それだけじゃないわ! あんた玄関で何してたのよ! 佐々木さんと!」
 お前、見てたのか。
「ええ見てたわよ。悪い?! 何あれ。でれでれでれでれしちゃってさ! 何? 公然と浮気で
もするつもりな訳? 隠れて浮気されるよりは断然いいけど、だからってあたしがそんな事を許
すとでも思ったら大間違いだからね!」
 ハルヒ、それは違う。
「どこが違うのよ!」
 あいつは佐々木じゃない。もう違うんだ。
「……へ?」
 ついさっき、旧姓「佐々木」から受け取った封筒を俺はハルヒの手元に差し出した。
 俺とお前宛てにだ。
「なによこれ。果たし状? 宣戦布告のつもりかしら……まさか離婚届けとか……」
 んなわけあるか。いいから中身を見てみろ。
 不審そうな顔で俺と封筒を見比べた後、ハルヒは封筒から白いメッセージカードを取り出した。
「結婚式の招待状と……仲人願い?」
 俺とお前。新郎新婦の共通の友人って事でお願いしたいそうだ。相手を見てみろ、驚くぜ?
「……佐々木さんと……え? 佐々木さんが結婚するの? 嘘?! しかも新郎って――

 


 ――佐々木、お前もしかして結婚するのか?
 思いつきで聞いてみたその言葉に佐々木は一瞬言葉を失くして、
「……お、驚いたよ。君がそんなに鋭い観察眼を持っていたとは思いもよらなかった」
 意外にも本当だったらしい。
「どうして気がついたのか、よかったら教えてくれないか?」
 僅かにあった余所余所しさは消え、懐かしい友に戻った佐々木は嬉しそうに聞いてきた。
 どうしてって……まあ、正直何となくなんだが、さっきのお前の顔が、結婚式前のハルヒと同
じ顔だったからさ。
 余程予想外な返答だったんだろうか、佐々木は珍しく目を丸くして……それからいつもの様に
笑い出すのだった。
 ……おい、そんなにおかしいか。
「いや、ごめん。その……くっくっく……き、君がそんな事を言うなんて思わなくてつい」
 で、相手は誰なんだ。
「えっ?」
 お前が結婚する相手だよ。いくらお前でも、1人で結婚はできないだろ?
「君もよく知ってる人だよ。詳しくはここに書いてある。それと……それも関係する事なんだが
1つ頼まれてくれないかな」
 頼み?
「ああ。君達にしかできない事なんだ」
 

 

「それで仲人を頼まれたって訳ね……」
 そうなるな。今日、婚姻届を出してきたそうだ。だからもう、あいつは佐々木じゃないって言
ったのさ。
 ようやく機嫌を直した――単に勘違いしてただけみたいだったが――ハルヒは、うんうんと頷
きつつ、いつもの企むような笑みを浮かべてベットの上で跳ねている。
 止めろ、ベットが壊れる。
「そっか……うん。結婚式であたしが投げたブーケをキャッチした時から、次に結婚するのは佐
々木さんだろうとは思ってたのよ。でもまさかね……。仲人ね、もちろん引き受けるわ! さっ
そく仲人の基本を確認しないと、キョン! 資料を集めておいて! あたしは明日、式場の中を
確認してくるから!」
 おい待て! 資料はいいとしてだな。式はまだまだ先なんだし、お前がするのは演出じゃなく
て仲人なんだぞ? ついでに明日は休みでも何でもないんだが?
「似たような物よ。このあたしが仲人をする以上、一生忘れられない結婚式にしなきゃならない
の! サプライズにサプライズを重ねた一大スペクタクルの開催ね!」
 聞いてるようで聞いちゃいね~。
 今から寝るつもりだったのに、ハルヒはクローゼットの中をベットの上に並べながら式で自分
が着る服を探し始めていた。
 ……なあ佐々木、本当に仲人は俺達でよかったのか? このままだと色んな意味で一生忘れら
れない式になりそうだぞ?
「あ、これ! ねえキョン! これなんてどうかな?」
 それはお前のウェディングドレスだろうが!
 純白の衣装を持って笑うハルヒに言い返しつつ、何故か俺は新婦の父親の心境で溜息をついて
いた。

 


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