「お待ちどうさま。おそばが出来ましたよ」
「おう」


 横になって眺めていたテレビ雑誌を放り出し、俺がコタツと正対するように座り直すと。目の前には既に、江美里がお盆から降ろしたほかほかと湯気の立つどんぶりが置かれていた。少量のねぎと天かす、あとはかまぼこが1枚乗っただけのシンプルなかけそばだ。


「では、さっそく頂こうか」


 セーターからエプロンを外した江美里が着席するのも待ちきれず、俺は箸を手に取ると手繰ったそばにふうふうと息を掛け、一気にすすり上げた。うむ、うまい。


「ふふ、そんなに慌てなくてもおそばは逃げませんのに」
「そばは逃げなくても、時は逃げる。こういう物は出来たてをすぐに喰うのが、作った者への礼儀というものだ」
「まあ」


 俺の返事に少しだけ表情を緩めながら、江美里もコタツの左隣の面で両手を合わせ、それから小さな口でするするとそばをすすった。


「うん、我ながらなかなかの出来です。でも」
「ん?」
「本当にこれだけでよろしかったのですか? ご希望なら天ぷらなどもお作りしましたのに」

 

 ほんのわずか、江美里は唇を尖らせる。どうやらこいつとしては、もっと手の込んだ品で、俺に料理の腕前を見せつけたかったらしい。その意気込みをすかすように、俺はそ知らぬ顔でまた一口、そばをすすり上げた。


「ラーメンやうどんは麺の食感を楽しむ物だからな。具材に凝るのもいいだろう。
 だが、そばは香りとのど越しを味わう物だ。天ぷらそばや月見そばも悪くはないが、俺は単純なかけや盛りの方が好みだな。それに」
「それに?」
「年越しそばというのは、この年度の感慨も含めて味わうものだ、と俺は思っている。贅沢すぎる具など、別にいらない。今年一年がそれなりに良かったなら、それで十分だ」


 俺がそう告げると、ちょうど窓のカーテンの向こうから、除夜の鐘の音がゴーンと遠く鳴り始めた。


「会長にとって、今年は良いお年でしたか」
「お前にとってはどうだったんだ」
「もう、質問に質問で返すのは反則ですよ?
 …生まれてから3年ほど、わたしにとっては12月31日も1月1日も、普通の日々と何ら変わりの無い一両日でした。ただ、今年は」


 ふんわりとした笑みを浮かべて、江美里は静かにこう続けた。


「おせちの準備をしたり、部屋の飾り付けをしたりと、いろいろ面倒な事柄が増えました。面倒が増えた分、今年はいつもよりずっと充実していた。そんな気がします」
「ならばやはり、シンプルなかけそばで十分という事だ。お前も俺も、な」
「ふふっ、そうかもしれませんね」

 

 穏やかに笑って、それから俺たちは鐘の音をBGMにのんびりとそばをすすった。食べ終わって片付けも済んだ頃には、そのカウントもだいぶ進んでいた。


「ところで会長、初詣の方はどうなさるんです? 一休みされてからですか、それとも年が明けたらもう夜半の内に?」
「ふむ。ところでお前、『二年参り』というのを知っているか」
「にねんまいり?」
「大晦日から正月に掛けて参拝するんだ。深夜の0時をまたいで、二年掛けるから二年参りと言う」
「なるほど。でも、それだと今からではちょっとお時間が…」


 言うなり席を立とうとする江美里を、俺は慌てて引き止めた。


「いやいや、別にこれからそれをしに行こうという訳じゃなくてだな」
「はい?」
「二年参りなんてものは、一人でだって出来る。実際、俺はもう経験があるしな。
 だが今回は、初めて二人で迎える年越しだ。せっかくだから、二人結ばれたまま年を越さないか、という事さ。つまり、二年越しの…」


 と、まだそんなセリフの途中で。コタツに当たっていた江美里の上体が、急に俺に向かって倒れてきた。
 突然の出来事に驚きつつもその身体を受け止めると、勢いカーペットにもろとも横たわる形になる。すると俺のすぐ目の前に、江美里のはにかんだ笑顔があった。


「まあ、『二人結ばれたまま年を越したい』だなんて。会長のえっち♪」

 

 熱を帯びた頬を俺の胸に埋め、左右のふくらみを押し潰さんばかりに身をすり寄せてくる。そんな江美里の背に両腕を回して、俺は彼女に気取られないよう、小さく息を吐いた。


(やれやれ。俺はキスをしながら年を越さないか、と提案するつもりだったんだが…。なんだか勘違いをされてしまったようだな。
 まあコレはコレで全然構わんが。しかしこの調子だと、来年はどうなる事やら――)


 一抹の不安を抱えつつ、俺はとりあえず成り行きに任せ、腕の中に覚える江美里の感触に没頭していったのだった。



 ちなみに、『二人結ばれたまま年を迎える』という俺の希望がかなえられたかどうか、実は定かではない。なにせ気が付いたら、もうこんな時間だったからな…。江美里はとうに晴れ着に着替えて、おせちや雑煮の用意まですっかり済ませていたが。
 まあ、あれだ。目を覚ました俺の真横に正座して三つ指を付き、


「明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお付き合いください」


と一礼して微笑んだ江美里がとてつもなく綺麗だったから、良しとしよう。うむ。


「ところで会長。いつまでもニヤニヤしてないで、早くお雑煮を召し上がってください。初詣に出掛ける時間がなくなってしまいますよ?」
「わ、分かった。分かったからそう急かすな!」

 



二年越し勘違い   おわり


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