※このお話は『手袋を買いに』という絵本を基にしています※



 とある弓状列島のとあるマンションに、人間ではないけれど人間にまぎれて生活をしている一人の少女がおりました。名を長門有希と申します。
 初冬のある休日、いつも通りに帰宅の途に就いていた有希はその道すがら、同じマンションに住むもう一人の人間でない少女、喜緑江美里とばったり出くわしました。


「あら、長門さんも今お帰り?」
「………そう」
「ではマンションまでご一緒しましょう」


 有希の素っ気ない返事を江美里が気に掛けるような事も特に無く、二人は連れ立って歩き始めます。ところが程なくして、江美里は首を斜めに傾げて有希の服装をしげしげと眺めました。


「長門さん? その格好は今の季節に、少々そぐわないのではないかしら」
「なぜ。わたしは学校指定の冬服を着ている」
「そういう問題ではなくて。手袋とか、そろそろ防寒具を身に着けるべき時期では」
「………手袋?」


 言われて、有希は改めて江美里の服装を注視しました。確かに彼女は手袋をしています。ついでに言うと着ているのは白いファーの付いたハーフコートで、膝から下を覆っているのは手袋とお揃いのシックな茶色のブーツです。

 

「必要無い。わたしは体温を適切な状態に保つ事が出来る」
「その観点では、わたしにも手袋やコートは必要ありません。ですがわたしたちが人間世界で活動する以上、その中に溶け込み、要らぬ不信感を与えないようにする必然性が生じるのです。周囲が寒さに凍えているなら、こちらもそれに合わせた装いを身に着けるべき、という事ですね。いいですか」


 こほんとひとつ咳を打って、江美里は有希にこう言い聞かせました。


「相手が人間ごときと思って、決して油断してはいけません。我々が想定する以上に、人間は狡猾で残忍なのですから。解剖して情報操作能力の一端でも解き明かしてやろうとか、それくらいの謀略は平気で企てかねません」
「…………」
「そんな暴挙に出た所で、全くの徒労にしかならないでしょうにね。その程度の事さえ分からないほど無謀で愚かなのですよ、人間というものは。
 ともあれ、なるべく人間たちの猜疑心を駆り立てないよう留意するに越した事はありません。大至急とは言いませんけれど、周囲の服装を観察して、目立たない程度の冬支度を整えておいてくださいね」
「…検討しておく」


 そう返事をしたものの、やはり有希には手袋を着用する必然性があまり見出せられませんでした。
 多少口うるさい面はあるものの、江美里が自分の為にあれこれと気を揉んでくれるのは、有希にとっても一概に気分の悪い事ではありません。気分の悪い事ではありませんが、それでもなぜだかその警告を素直に受け入れられない。
 江美里の意見の妥当性は理解できるのに、なぜそれを肯定できないのか。有希自身にもこの時はまだ、その理由はよく分かりませんでした。

 



 次の日の、放課後。
 コンコンと控え目なノックの後で、「こんにちはぁ~」とSOS団のアジトたる文芸部室に顔を覗かせたのは、朝比奈みくるでした。


「あれっ、キョンくんたちはまだですか?」
「ええ、涼宮さんが今週の掃除当番だそうで。その割に彼女の精神状態が良好なのは、おそらく彼が奉仕的活動に協力しているからではないかと推測されますが…。どうでしょう、長門さん?」


 みくるに答える途中で、唐突にこちらへ話題を振ってきた古泉の質問に。有希は窓際のパイプ椅子の上でページをめくる手をしばし休め、コクリとミリ単位で頷きました。


「おおむね正解。より正確に言えば協力ではなく、強要」
「ならば万事いつも通りという事ですね。平穏無事で何よりです」
「うふふ、キョンくん様々ですね。そういう事なら急いでメイド服に着替える必要も無さそうですし、先にお茶の用意をしちゃいしょうか」


 もはや慣れ親しんだ作業なのか、パタパタと手際よくヤカンやら湯飲みやらの準備を始めるみくる。その様子に、古泉はクロスワードパズルの上を走らせていたペンを休め、少々大げさに感謝の言葉を口にしました。


「それはありがたい。こちらとしても、朝比奈さんの淹れてくださるお茶を切望していた所でして」
「まあ。お世辞でもそう言って貰えると、嬉しいです」
「とんでもない、本心ですよ。最近めっきり寒くなってきましたからね、熱い日本茶が何より恋しいのです」

「じゃあリクエストにお応えして、とびっきり美味しいお茶を淹れちゃいますね。長門さんも今日は日本茶で…長門さん?」


 不思議そうに、みくるは有希に向かって訊ね掛けました。感情表現に乏しいながらも、普段ならみくるの確認に無言で頷くはずの有希が、今日は机の上の一角をじーっと凝視したままだったからです。
 その視線の先にあったのは、今し方みくるが置いたばかりの手荷物類でした。


「………手袋」
「はい?」
「その手袋は、どこで購入した物?」


 有希の視線は、まさしく鞄の上に置かれた小ぶりな毛糸の手袋に注がれています。事ここに至って、みくるはああ、と納得したように手を打ちました。


「手袋に興味があるんですね、長門さんは」
「そう。知人に防寒具の購入を勧められた。しかしわたしは手袋という物を装備した事が無いため、評価基準がまだ確立できていない。良ければ情報を提供してほしい」
「そうだったんですか。でもあの、すいません。この手袋はお店で買ったんじゃなくって、自分で編んだ物なんですよ」
「…編んだ? 自分で?」


 みくるの返答が一瞬理解できなかったのか、有希はぱちぱちと目をしばたたかせました。

 

「ええ、休み時間の合い間なんかに、こつこつと。マフラーなんかに比べると、親指の付け根とかの編み込みが複雑で、ちょっと大変でしたけどね。でも、こないだどうにか編み上げられた所で」
「自分で手袋を編む。その発想はわたしには無かった」
「せっかくだから、実際に着けてみます?」


 みくるがそう言うと、有希は再び、ぱちぱちと目をしばたたかせます。何の言葉も無くとも、その表情が「いいの?」と言っているのがなんとなく分かって、みくるは思わずくすりと笑ってしまいました。


「構いませんよ。今まで手袋を着けた事が無いんだったら、なおさらです。お店で売られている物と比べたら粗が目立つかもしれませんけど、サンプルだと思って、はい、どうぞ」


 穏やかにそう言いながら、みくるは手袋を有希に手渡します。真っ白い毛糸で織られた、可愛らしいおもちゃのような手袋。一瞬の逡巡の後、有希は二つの手に一つずつ、そっと手袋を填めてみました。


「どうです、長門さん?」
「…柔らかい」


 4本の指が入る部分が袋状になった、素朴で、でもとても温かみのある手袋。両手に覚える初めての感触に、長門は無意識の内にその手の中に顔を埋め、すりすりと頬擦りをしてしまいます。
 子猫が毛糸玉にじゃれついているような、そんな和やかな光景に。みくるはくすっと愉快げな笑みをこぼしてしまいました。


「そんなに気に入って貰えたなら、差し上げましょうか、その手袋」
「!?」

「きっとその方が、手袋も嬉しいでしょうし。カマドウマの時とか映画の撮影の時とか、長門さんはいつもSOS団のために頑張ってくれてますからね。そのお礼です」
「………でも」


 いきなりといえばいきなり過ぎるみくるの提案に、有希はどう応じたものか、判断に迷ってしまいました。
 この手袋は一朝一夕に作られた物でも、お金を出せば買える物でもない。おそらくはみくる本人にとっても大切な物。それをあっさり譲渡しようとするみくるの感覚が、有希には咄嗟に理解しがたかったのです。

 けれどもみくるはそれ以上の反論をさえぎるように、有希の目の前で自分の唇の前に人差し指を立て、ぱちりと片目を瞑ってみせました。


「わたしの分は、また編みますから。まだ毛糸も余ってて、次は何を編もうかなってちょうど考えてた所でしたし。それとも、わたしのお古じゃイヤですか?」
「そんな事は無い。わたしはこの手袋を気に入っている。とても気に入っている。しかし」
「でしたら素直に受け取られてはいかがですか、長門さん?」


 と、そこへ古泉が苦労人っぽい笑みを浮かべながら、頼まれてもいないのに仲介役に乗り出してきました。


「あまりに遠慮が過ぎるのも、かえって失礼に当たったりするものですよ。ここは朝比奈さんの厚意をありがたく受け入れておくべきかと」
「…………」

「何よりその手袋、最初から長門さんの為にあつらえられたかのように、大変よく似合っていますからね。
 朝比奈さんの言われる通り、手袋の方も喜んでいるかもしれません。折しも自分の手袋を探し求めていた長門さんが、自他共にピッタリと認める一品と出会った。こういった奇遇は大切にするべきだ、と僕は思いますが」
「ええ、まさしくその通りです! もぅこうなったら意地でも受け取って貰いますからね、長門さん?」


 妙に迫力のある笑顔でみくるにも詰め寄られ、有希はほんのわずか身を強張らせました。なにしろ江美里にあんな警告を受けた、昨日の今日ですし。これは何かの策謀ではないか、とそんな事を考えたりもしたのです。

 ですが有希はすぐに、その可能性を打ち消しました。古泉はともかく、みくるに自分を陥れるような演技が出来るとは、全くこれっぽっちも思えなかったからです。
 あとぶっちゃけ、単純にこの手袋の感触が気に入っていて。本当に貰えるんだったらどーにもこーにも嬉しいなっ♪という乙女心なんかもちょっぴりあったりしまして。そんなあれやこれやを総合して、結局直感的に、これが何らかの罠であるとは有希にはどうしても思えなくって。ええ、どうしても思えなくって。


「分かった。今この瞬間から、この手袋はわたしの所有物」


 いつも通りの無表情なまま、しかし何かを翻然と悟ったかのように、有希は二人にそう宣言していました。


「朝比奈みくる…感謝する」

「うふふ、どういたしまして。その代わりと言っては何ですけど、これからもSOS団のピンチの時にはよろしくお願いしますね?」
「承知した。任せて」
「本当によくお似合いですよ、長門さん。まるで音も無く降り積もった粉雪が、手の上で形を成しているかのようだ」


 古泉の歯の浮くような賛辞の言葉が耳に届いているのかいないのか、有希は晴れて自分の物となった両の手袋に再び頬を埋めて、しばらく瞳を細めたままでした。


「………フワフワ」
「そう言えば雪というものは、天からの贈り物などと称されたりしますね。考えてみれば、これも天佑と呼べるかもしれません」
「………モコモコ」
「涼宮さんの意向によって、本来出会うはずの無い我々が出会った。だからこそこうして贈り物をし、贈り物をされるという機会も生まれた。言うなれば、このSOS団そのものが涼宮さんからのプレゼントだとも…。
 あの、聞いてますか長門さん? もしもし、長門さーん?」

 



 それからまた数日経った、ある日の夕刻。
 マンションへと帰宅するその道すがら、有希と江美里はばったりと出くわしました。


「あら、長門さんも今お帰り?」
「………そう」
「ではマンションまでご一緒しましょう。ところで――」


 と、そこで一旦言葉を切って、江美里は有希の服装をしげしげと眺めました。


「素敵な手袋をしてらっしゃいますね、長門さん」
「そう?」
「ええ。シンプルですけど、マシュマロみたいなふんわりしたデザインが長門さんにとてもよく似合っていると思います。
 マフラーとかコートとか、もうちょっと何とかしてほしい面もありますけれど。でも手袋をきちんと填めている点は評価できますね。感心感心」


 満足げに頷く江美里の隣で、有希は彼女らしくマイペースに話を切り出しました。


「………喜緑江美里」
「はい?」
「あなたは、人間が油断ならない存在だと言った。確かにその通り。わたしも警戒を怠るつもりは無い。でも」


 マンションを前にした交差点の曲がり角で足を止めて、有希は相変わらずの抑揚の無い口調で、こう告げました。


「人間は、ただ愚かしいだけの存在ではない。
 わたしという個体にとって、人間というのは………いいもの」


 言うだけ言うと、有希はまたマンションに向かってさっさと歩き始めます。その後ろ姿を、江美里はしばらく呆然と見送っていました。

 両手に白い毛糸の手袋を填めている事以外は、つい先日と全く何の変わりも無い、有希の様相。けれども彼女の背中には、江美里にすら有無を言わせない、何やら確信めいたものが在ったからです。


「本当に人間は、いいものかしら。
 本当に人間は、いいものかしら――?」


 呆れたようなちょっと心配なような、そんな複雑な表情で。有希の後に続きながら、江美里は寒風に一人そう呟いたのでした。



 

有希つねのてぶくろ   おわり

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最終更新:2008年12月21日 14:14