さて、これから俺が語るのは突拍子の無い事である。だからして、ちょっとでも違和感を感じたらすぐにプラウザバックで前ページに戻って頂きたい。
なんで、こんな書き出しで始まるのか? 決まっている。万人受けする話では、コイツは絶対に無いからだ。

そして、これまた唐突だが……皆様はメイドとか、奴隷とかは好きだろうか?
……俺だってこんな質問はしたくないし、する趣味は無い。だがしかし、こいつはこれから始まるお話にとって、非常に大事な設問であることをどうか理解して読み進めて頂きたく思う。
そんなこんなで質問に立ち返る。
皆様はメイドとか、奴隷とかは好きだろうか?

イエスとか、大好物だとか言った、そこのアンタはこのまま読み進めて頂いて構わない。お友達にはなれんだろうが、今回の話に限っちゃアンタみたいな人が一番の読み手であろう。
……谷口辺りが光速で食い付きそうな話題だな。俺、なんでアイツと友達やってんだろ。
まぁ、いい。
一応言っておくぞ。俺にはその趣味は無い。繰り返そうか? 俺には女子をメイドやら奴隷やらに貶めてニヤニヤする類の趣味は無い。
だから、この阿呆みたいな話は断じて俺の妄想では無い。そこの所をしっかりと理解して頂けたら、さぁ、始めようか。

……こら、そこ。後ろ指を差すな。

「おいっす、少年」
放課後。文芸部室に向かう途中。ばったりと出会ったのは麗しき、かつ、ざっくばらんとした対応に定評の有る先輩である。今日もおでこが愛らしい。
「ああ、鶴屋さん。こんにちは」
俺が会釈をすると、鶴屋さんは……あれ? いつもなら笑いながら肩をばしばしと叩いてくるはずなのにどれだけ待ってもそれが無い。
体調でも悪いのか?
顔を上げるとそこにはいつになくしおらしい……顔を赤らめた鶴屋さんが居た。って何で!?
慌てて社会の窓を確かめる。オーケー、谷口にはなってない。
(谷口:社会の窓が全開な様。同義語にWAWAWAなどが存在する)
他に思い当たる事は特に無い。教室での国木田の態度も自然だった事から、外見で失礼をしているという事は有るまい。
ならばなぜ、目の前の先輩は頬を染めている?
「えっと……鶴屋さん、何か有りましたか?」
十中八九ハルヒ辺りが俺の有りもしない恥ずかしいエピソードを捏造したに違いない。そう思って聞いてみる。しかし、少女の口から出た言葉は俺の予想だにしなかった物だった、ってんだから兎角この世は不思議で満ち満ちている。
そりゃぁ、世界不○議発見も長寿番組になる訳で。
おい、ハルヒ。もっと目を良く凝らしてみると良いぞ。お前の求めるモンは実はその辺に平気で転がってる。
あ、俺が特殊なだけだって?

断じてそんな事はは無いぞ。そんな話は一般人代表として決して認める訳にはいかん。
現実逃避? 何とでも言ってくれ。正直、俺だっていっぱいいっぱいなんだ。

「キョン君……実は、その……アタシをキョン君に隷属させて欲しいっさ……」

なんて台詞が美少女と言って何の差し障りも無い先輩の口から出されてみろ。潤んだ目で上目遣いに言われてみろ。取り敢えずドッキリカメラを探した俺を誰が責められる!?
……ってか、何の冗談ですか、鶴屋さん? 「お嫁に貰ってくれますか」なら百歩譲って未だ理解出来る。言われた事も有るしな。
だが……だが。
目が合ってドキドキとか、言葉を交わしてフワフワとか、そんなんさらっと吹っ飛ばしていきなり「隷属」って、これなんてエロゲ?

俺はこの時、未だ気付いてなかったんだ。鶴屋さんが本気だったって事にも。これから俺の身に降りかかる幾多の災難の方が余程エロゲだって事にも。

 

「え……えっと」
俺が言葉に詰まっていると、鶴屋さんは俺の腕を取った。されるがままに腕を差し出す。

流され体質? ほっといてくれよ。
鶴屋さんは左手一本で器用にスカートのポケットから何かを取り出した。朱肉と……折り畳まれた紙?
「何を……?」
「キョン君は動かないで!」
余り聞いた事の無い少女による鋭い叱咤が飛ぶ。
「はいっ!」
直立してしまうのは遺伝子にまで雑用根性が染み付いているからか。ああ、いつか作るであろう息子ないし娘に、この遺伝子が受け継がれない事を祈るばかりである。

俺の子供なんだから、そんな事は絶対に無いって思ったそこのお前。ちょぃと前出て歯を食い縛れ。
血涙流しながらぶん殴ってやる。


俺の右手親指が、されるがままに鶴屋さんが懐から出した紙に押印する。ちなみにコレがハルヒか古泉によるものだったら全力で拒否していたので、この辺りは鶴屋さんの人徳だろう。
「で、俺は一体何に承諾したんでしょうか?」
「あはは、気にする事は無いっさー。キョン君から何かを貰う、って類の話じゃ無いからねっ」
いえ、そこは信頼してるんですけどね。ですが、その空笑いが気になるんです。
「むしろ……受け取る側?」
「え? 今、何て言いましたか、鶴屋さん?」
「聞こえていなかったんなら、それで良いっさ。どうせ、明日になれば嫌でも理解出来るだろうしねっ」
ふむ。また、ハルヒ辺りが俺に隠れてサプライズパーティー的なものの準備でもしているのだろうか。

最近はそういうのにも幾らか耐性が付いてきたんだ。可愛らしくて結構じゃないか、なんて笑い飛ばせる程度には。
だから、まぁ良いさ。精々明日に期待させて頂きますよ。
「うん。それでこそ、キョン君だ。ちょっとやそっとじゃ動じない胆力、惚れるね、このこのっ!」
お世辞なんて言っても何も出ませんよ、鶴屋さん。後、肘で脇を突付くのはくすぐったいので勘弁して下さい。
「それじゃ、今日は色々準備が有るから、明日からにしよっか!」
はい。何をかは知りませんが、「準備」って台詞から俺の考えている内容でそんなに間違いではないのでしょう。何度も言いますが楽しみにさせて貰いますよ。

「楽しみにしてるんだよっ、ご主人様っ!」
……何をどう聞き間違えても「キョン君」が「ご主人様」に聞こえる訳が無いのは謹んでスルーさせて頂く事にする。
ほら、きっとアレだ。えっと……そうそう、幻聴。そういう事に、しておこう。

ああ、鶴屋さんの顔が赤かったのも夕日に照らされていたからなんだよ。うん。
こうして、俺の穏やかなる日常最終日は本人も知らない間に暮れ行くのであった。って、マジですか!?

 

そして、翌日の昼休み。俺は鶴屋さんの真意を知る事になるっ!

「一、二、三……えっと、流石に八段重ねは食い切れませんよね……?」
「ご主人様にはいっぱい食べて健康になって貰わないと困るっさ!」
あう、周りの視線が痛い。特に背後からの視線がまるでナイフの様に突き刺さる。限りなく実感に近い幻痛が胃をダイレクトに襲う。誰かキャ○ジンをここへ持ってきてくれ。
取り敢えず、騒いでる谷口と国木田。俺の事を少しでも友人だと思っているんなら、周りのクラスに触れ回るのを止めろ。
古泉が廊下からこちらを窺いつつ青い顔をして必死に誰かと電話をしている。例の閉鎖空間とやらが発生したのか?

スマン。俺にも一体全体何がどうしてこんな事になっているのか訳が分からない。
俺の机の上にこれでもかと搭を成す弁当箱。中身はどれもこれも美味しそうなんだが、しかし量が量だった。

そして、ここは俺の教室だったんだ。
弁当を振舞って頂けるのは構わない。むしろ喜ばしいんだ。でもせめて、屋上とかに呼んでからにして頂きたかった……。
ああ、ハルヒが今にも世界を作り変えようとしている可能性を考えると、何食べても砂みたいな味しかしねぇ。
……この唐揚げ、美味しいですね。
「……その、谷口や国木田なんかも呼んで構いませんか? どう考えても食べ切れませんし、残すのも勿体無いじゃないですか」
はっとこちらを振り向く耳ダンボ谷口。おい、あからさまに目を輝かせるな。品位が知れるぞ。
……なんか、急速にアイツを誘う気が失せてきたな。って、いやいや。谷口なんかはついでだ。本命は別に有る。
「ご主人様の好きにすると良いっさ。そのお弁当の所有権も既に君に有るからねっ。アタシがどうこう言える問題じゃないよん!」
「も」って何だろうか、「も」って。いやいや、ここでツッコミを入れてはいけない。そんな事をすれば今度こそ確実に世界崩壊すると、俺の第六感が声高に告げてくる。
「そうですか……って訳だ。ハルヒも良かったら呼ばれないか?」

不機嫌な神様を輪に巻き込んでお茶を濁すくらいしか手が考え付かない。俺はトコトン頭の出来がよろしくないらしい。ほっとけ。
ハルヒ達が壊れた掃除機の様な勢いで重箱を空にしていく間、鶴屋さんは聖母の様ににこにこと微笑んでいらっしゃった。
いつもなら「そんなに慌てると喉に詰まるっさー!」とか言ってけらけら笑っていらっしゃる鶴屋さんが、だ。まるで朝比奈さんの様に笑っていたのが印象深かった。

「皆で食べるとお弁当もめがっさ美味しいねっ、ご主人様っ!」

こう連呼されれば嫌でも認めざるを得ない。
鶴屋さんは俺の事を「ご主人様」と呼んでいる。
そして、それに一々反応して膨れっ面のハルヒ。つまり、この一連の騒動はコイツの指示じゃないって事だ。
けたたましく鳴り響くケータイは古泉からのSOSで先ず間違いは無く。
さて、この事態に俺はどんな対応をすれば良いのだろうか。分かる奴が居たら土下座でも何でもするから俺に教えてくれ。
羨ましいとか言うな。俺の一挙手一投足に世界の運命が圧し掛かってるんだぞ。どんなに見目麗しい少女から「ご主人様」と呼ばれようと一寸先は断崖絶壁。
正直な所、気が気ではない。
にも関わらず、鶴屋さんは俺のそんな思いを知ってか知らずか休み時間ごとに俺の教室にいらっしゃるもんだから。全く、邪まな思いなんて抱いていない純度百%の笑顔で俺に懐いてくるもんだから。
始末に終えないとは、まさにこの事だ。


「ご主人様っ、授業は終わったかい?」
「ここなら、アタシが教えてあげれるよんっ!」
「授業中寝てたんじゃないかい、ご主人様っ! ダメだよ。サボっちゃあ。ほら、よだれ拭いてあげるから顔あげてくれないかいっ?」

ああ、ようやく気付いた。
これ、なんてエロゲ?

 

本日のSOS団の活動は、ほぼ全ての時間が俺への糾弾に宛がわれた。
とは言え身に覚えが無い。ハルヒから「今すぐ鶴屋さんの猥褻画像とネガを吐き出しなさい!」と襟首を掴まれて頭をぐらんぐらん揺らされようが無い袖は振りようが無い。
つか「俺が鶴屋さんを脅している」事はお前の中で確定なんだな、ハルヒよ。
こういう時にフォローする役目の超能力者はニキビ治療薬としての肉体労働に駆り出され……まぁ、仕方が無いと言っちゃあそうなんだが。
しかしだな、ハルヒ。
「何よ!?」

「何で俺と鶴屋さんが仲良くするのにお前の許可が必要なんだ? って言うか何でお前怒ってんだよ」

止水に一石を投じるとは正にこの事で。俺の当然とも言うべき疑問に対して、パクパクを酸素を求める金魚みたいに口を開閉させたハルヒが次に言ったのは「解散!」の一言だった。
「キョン君、あんまりです……」
俺が何したって言うんですか、朝比奈さん!?
「……乙女の敵」
長門、その目は軽蔑だな!? 軽蔑の視線だなっ!?

……全く、踏んだり蹴ったりである。

三十六計逃げるに如かず。俺の座右の銘である。今、そう決めた。
そんなこんなで逃げるように学校を去ろうとした、その時だ。
「だ~れだぁっ!?」
両目がふよんとした柔らかくも芳しい物で覆われる。コートを着ているので細かな感触までは分からないが、確実に何かが背中に当たっている。
服越しでも分かる。目隠しをする手の平よりも柔らかい二つの膨らみ。
って、え!?
「つ、鶴屋サンッ!!」
振り解く様に、あるいはバネ仕掛けの人形の様に、有り得ない機敏さで俺は振り返った。俺の目の前に立っているのは勿論。
「にょろ~? 何で分かったのかなっ? 良ければ今後の課題にするから教えて貰えないっかな?」
少女が小首を傾げる。腰の辺りで切り揃えられた美しい髪がさらりと揺れる。それはまるで木漏れ日に透けるレースのカーテンのようで。俺は毒気も反論も抜かれてしまった。
「……声、ですかね」
「そっか! しまったなぁっ! 次からはボイスチェンジャーを用意してくるよ!」
いや、それ言っちゃったら次も見抜けますって。校内にボイスチェンジャー持ち込むような人間が先ず俺の周りには見当たりません。
……つーか、声が違っても分かるんですけどね。

鶴屋さんの体からは柑橘系の良い匂いがするから。
傍に寄られたらすぐに分かるんですよ、なんてこっぱずかしー台詞は流石に言えない。

さて、下校道である。分かってはいると思うが、俺の隣では鶴屋さんが鞄を揺らして歩いている。朝比奈さん風に言うならば既定事項と、そうなるだろうか。ならないだろうな。
「♪~♪~」
鼻歌を鳴らして上機嫌なこの人を横目で見ていると、なんだか今日一日の色々もちょっとした悪戯で済ませてしまいそうな自分に驚く。
「女は海だ。抱かれ、一度飲まれてしまえば後は沈んでいくだけだ」と、言ったのは誰だっただろうか。全くその通りなのかも知れない。
しかし、綺麗な先輩だ。ああ、谷口が俺を羨望の視線で見つめていた事に今更ながら得心が行く。
「どうしたんだい? じっと見つめたりされると、さっすがの鶴にゃんでも照れちゃうよ?」
俺の視線を感じ取った鶴屋さんが顔を向ける。まるで日本人形の様な、それでいて猫科の動物を思わせる艶かしさを滲ませる微笑。少しだけその頬を赤く染めて。
ヤバい。見蕩れていたなんて、どの口が吐けるだろうか。俺の口か。ああ、そうだな。それしかないが断固拒否する。
必死に話題を探す……っと、そうだ。
「そう言えば鶴屋さん。昨日俺が押印した紙なんですけど」
「ああ、これかいっ!」
鶴屋さんが矢張りスカートから四つ折の紙を取り出す。
「それには何が書いてあったんですか? 今日になったら嫌でも分かるって言ってましたけど、どうも俺にはよく分からなかったんですよ」
「ふぅん。ご主人様は聞きしに勝る鈍感さんだねぇ」
口に手を当てて、きしし、と鶴屋さんが笑う。
「ほっといて下さい。それと、その『ご主人様』って呼び方も何なんですか? 今日一日、何かの罰ゲームでもやらされていた、とか?」
鶴屋さんが全力で首を横に振る。
「うーん、言葉で説明するよりも、この紙を見て貰った方が理解が早いかなっ?」
少女は俺に今回のキーアイテムであろう紙を差し出した。


「……さっぱり意味が分からないんですが」
甲とか乙とか丙とか、無理に分かり難くしてるとしか思えない文章がそこには並んでいて。もう、ほとんどアラビア語なんかと、解読不能って意味じゃ変わりはしない。
「あ、そう言うと思ってね。裏にめがっさ読み易くした奴が書いてあるよっ」
それを先に言って下さい。
紙を裏返す。そこにはたった一文だけ、デカデカと書いてあった。


「鶴にゃんを奴隷として一生囲いますbyキョン君」


目が点になった。


……かぽーん。
右腕を引き摺られるままに、いつの間にやら俺の家の前である。いや、正確に言えば俺の家だった場所の前である。
……かぽーん。
……表札が一枚増えているとか、俺以外の家族の名前がそこから消えているとか、二枚の表札で一つのハートマークを形成しているとか、ツッコミ所は玄関から満載だが、それよりなにより、だ。
……かぽーん。
俺の家はどこへ消えた。
……かぽーん。
なんで俺の家が在った所に純和風邸宅が建ってるんだ。
……かぽーん。
「そして何故に、猪威しなんだよ!」
……かぽーん。


「まぁまぁ、細かい事は気にしないで取り敢えず、入るっさ、キョン君。ここは君の家なんだからさ! ま、アタシの家でも有るけどねぃっ」
学校に行ってる間に家が建て替わってるって果たして細かい事でしょうか?
俺の人間としての器が小さい? いやいや。そんな事は無いだろう。普通は引くから。ああ。うん。俺は間違っていない。
鶴屋さんの持っている経済力と言う名の力の片鱗を垣間見た気がしたね。
……本気でこの一件に宇宙人が介入している可能性を考えて、再度目眩に襲われた。そして気付く。
いっその事一般人じゃなくて、俺にも特殊な属性が付いていれば良かったな、と自嘲気味に呟いている自分に。


「……ただいま」
「ただいまっさー!」
帰宅の挨拶に対して返事は無い。ああ、表札から家族の名前がごっそり削られてたから、可能性だけは頭にチラついてたが。
既に俺の隣が指定席な少女が俺にたずねる。
「さって、ご主人様? お風呂にするかい? ご飯にするかい? それとも……まったまた、気が早いね、全く!」
何も言ってません。なんで顔を真っ赤にしてらっしゃるんですか、鶴屋さん? 貴女は俺の理性の限界を測る為にどこぞに雇われた刺客ですか?
「良いっさ良いっさ。高校二年生、十七歳。健全に育ってる証拠っさ! さぁ、お姉さんなら準備万端だよっ。今すぐこの胸にめがっさ飛び込んでおいでっ!」
鞄置いて着替えてきます。これ以上、この人の隣に居たら、恐らく嗅覚から理性が崩壊する。少女の甘い匂いとはかくも男の天敵となり得るのかと知った次第で。
「あ、キョン君の部屋は真っ直ぐ行って突き当たりを左に曲がってすぐの障子戸を開けた所に有る階段を……ああもう! 面倒臭いからアタシも一緒に行くっさ!」
そして、逃れられないのは最早規定事項なんですね。つか、俺の家の敷地ってこんなに広かったっけ?
「辺りも買い取ったからねぇ。親子八人は楽に住めるよっ」
……俺は何も聞いてない。俺は何も知らない。そんなに産む気なんですか、なんて絶対にツッコんではいけない。
取り敢えず、近隣住民の皆さん、申し訳ございません。


「ここがご主人様の部屋っさ! さ、ぼけっとしてないで入った入った!」
通されたのは純和室である。俺の部屋の面影はそこに欠片も見当たらない。
つーかさ。
なんで、中央に布団が敷いて有るんだ? しかも明らかにデケぇ。一人用の布団では絶対に無い。
……枕二つ有るしな。
「おっと、良い所に目を付けたね、ご主人様っ! そうっ! この部屋は何を隠そうアタシの部屋でも有るのっさーっ!!」
ででーん、とでも効果音が付きそうに胸を張る少女。
……勘弁してくれー。
母上様。お元気ですか? 俺は今にも大人の階段を一段飛ばしで登って「本当は怖いシンデレラ」も真っ青な体験をしてしまいそうです。
俺の目の前で和箪笥を開けて俺の着替えと自分の分の着替えを取り出す麗しき先輩。何やろうとしているんですか? ああ、着替えですよね。そうですよね。
一言だけ、言わせてくれるか。


「情熱を、持て余す」


せめて、間仕切り位は用意しておいて貰えないものだろうか。
「契約書に書いて有ったっしょ? アタシはもうご主人様のものなんだから、恥ずかしがらずにこっち向いて見ててくれても……良いんだよ?」
そう言う貴女が恥ずかしがっているのは……ああ、もう! そんなお顔も麗しいなぁ、チクショウ!
俺は鶴屋さんから着替えをひったくるように受け取ると、それを持ってそのまま部屋を出て襖を閉めた。
「真っ赤になっちゃって、ご主人様ったら可愛いなぁっ!」
そう言う鶴屋さんの声と共に背後で衣擦れの音が聞こえて……落ち着くんだ、俺!
ぐびりと喉が鳴った。浅ましい? 分かってるさ。


「ところで、これ、どうやって着れば良いんだろうな?」
兎にも角にも着替えようとした俺は廊下で上半身裸のまま、手に持った浴衣を眺めて呟いた。純和風邸宅は風が良く通る。そして、季節は冬である。
心も体も、とても寒い。ああ、神様よ。俺が一体何をしたって言うんだ。


襖が開いて、俺は振り返った。そこには天女が居た。なんて言ったら鶴屋さんに失礼だな。見た事は無いが天女よりもきっと、この人の方が綺麗だろう。
真っ白な浴衣に身を包み、少女は清楚な美女へと変貌を遂げていた。女性は着る物一つでがらりと変わると言うけれど、正直ここまで色っぽくなるとは想像だにしていなかった訳で。
「うわっ、キョン君。こんな寒い廊下で上脱いで突っ立って……何やってるんだい!!」
鶴屋さんが俺の体をそっと抱きしめる。暖かく、柔らかい。
「ほらっ、とっとと部屋に入る! もうっ、キョン君が風邪引いたらアタシが泣いちゃうじゃないか!」
部屋の中に引き込まれる。いかん、俺今絶対鼻の下伸びてるっ! しかし、抗えないレベルで鶴屋さんはふよふよだ……。
「もう……どうしたんだい、あんな格好で?」
「いや、浴衣ってあんまし着慣れてなくって……正直どう着れば良いのか分からなくて困ってたんですよ」
出来る限り真面目な顔を作って鶴屋さんに話す。って、顔が近いです!
「なぁんだ……言ってくれたらアタシが着せてあげたのに。ほらっ、とっとと下脱ぐっさ」
えええええええええええええええええええええええええええ。
「つかぬ事を聞くけど、キョン君はブリーフ派かい? トランクス派かい?」
トランクスですね。日によってボクサーを履いたりもしますけど。って、其れがどうしたんですか? 嫌な予感がしますよ、鶴屋さん?
俺に寄り添う天女の姿をした小悪魔が、にししと笑った。


「ぬおりゃーっ! 良いではないか! 良いではないかぁっ!!」
その後、全力でズボンを脱がそうとする鶴屋さんと、小一時間ほど格闘する羽目になった俺である。


「……鶴屋さん、さっき俺の事『キョン君』って呼んでくれましたよね」
「え? あっちゃあ~、そっか。ご主人様に風邪を引かせては一大事と思って慌ててたからだなぁ。ダメだね。いつでもご主人様を敬う気持ちを持たないと。奴隷失格だねっ」
「いえ、そうじゃなくて……出来ればその、『ご主人様』って呼び方を止めて貰えませんか?」
「むぅ……何がいけないのかなっ?」
「いえ、他に人が居る所でその呼び方は結構困りますんで……」
「なら、二人っきりの時は問題無いって事だねっ、ご主人様っ!」
うおっ、墓穴った! しかし、満面の笑みが前言撤回を許してくれねー。
誰に迷惑掛ける訳でも無いし、まぁいいかと、そう思う俺は最近流され体質に拍車が掛かってきたと自分でも思う。


「ご主人様っ、汗かいてるっさ」
誰が運動させたと思ってるんですか、貴女は……。
まぁ? 最終的には対格差を技術が上回ってトランクス姿を披露しましたよ。特に何をされた訳でも無いのに汚された気分で一杯なのはこの際脇に置いておく。
頼むから。これ以上、心のトラウマを増やさないでくれ。ほじくり返すのも無しだ。
「そうとなったら、ご飯の前にお風呂だねっ! それともご主人様は既にお腹ぺっこぺこだったり、するかっな~ん?」
「汗べたべたで気持ち悪いっす」
こうなると知っていたら着替える前に風呂に行きたかったね。
「なら、お風呂だ、おっふろ~♪ さっ、ご主人様、我が家自慢の浴場に案内するっさ~!」
意気揚々と行進する鶴屋さんに続いて歩く。しっかし、浴衣って足元冷えるなー。


「そう言えば鶴屋さん? 誰がお風呂沸かしてくれてるんですか? 俺達、ここに来てから着替えただけですよね?」
「ああ、ウチの優秀な黒子部隊だよっ。絶対に姿を見せないし、音も立てないから、居るのか居ないのかたまに分かんなくなるけどね」
……衆人監視じゃねぇか!
今更ながら、この状況がどれだけ非常識なのか理解出来た気がする……こいつは下手な事をすると首が飛ぶ。比喩でなく、な。
背中の毛が一瞬逆立ったのは足元から入り込む冷気のせいだけじゃないね。


「うああぁ~~っ」
風呂に浸かる時に声を出す人種って居るよな。俺もその部類の、いわゆる「おっさんくさい」と呼ばれるカテゴリで括ってくれ。
いつもならばそんな不名誉な称号は熨斗付けて着払いで返送させて頂くが、しかしここは風呂場である。この思わず上がる呻き声は「今日も良い湯だぜ、大将!」と言っているのと同義語だと思ってくれて良い。
つまり、風呂に対する最大の賛辞なのだ。と俺は勝手に思っている。
「……しっかし、一日でよくこんなもんが造れるな……」

内風呂、って言うんだったか? アレだ、アレ。脳内情報を検索しても「File not found」しか出て来ないが。そんな奴を想像してみてくれ。
高級旅館なんざ数えるほども行った事が無い俺だが、しかし雰囲気だけで言わせて頂ければ、こいつは一泊云万円はする高級旅館の部屋付き露天風呂で有っても何もおかしくない。
むしろ、こんなもんが一介の高校生の自宅に有るのが可笑しいって話で。
「完全に非日常だ……」
溜息混じりにそんな言葉が出てしまうのも致し方無い事なのだろう。
ま、溜息なんざ湯気に混じって見えやしないけどな。
ぱしゃりと湯で顔を洗う。ん? このお湯、水道水じゃないな。
「気付いたかいっ! こいつは地下五百mから汲み上げた天然温泉なのさっ!!」

「少しは隠して下さいっ!!」

って言うかいつの間に浴室に忍び込んだんですか、貴女は!? 無音でしたよ!! 完っ全に無音でしたよ!!
でもって、自慢げに仁王立ちで胸を張らないで下さい! ああ、湯気が邪魔で肝心な所がうっすらとしか見えないって違ぇっ!!


落ち着け、俺。落ち着け。速やかに旋回して鶴屋さんに背中を向けて……こういう時は素数を数えるんだ。確か。
二、三、五、七、十一……。
「へぇ、ご主人様は面白い趣味を持ってるんだねぇっ」
鶴屋さんが背中にぴっとりとくっついて来る。

 

あああああああああああああああああああああああああああああああ。
色々! 色々当たっております、背中に!! 色々!! ふくらみとか、その頂点に有るであろう何がしかの突起物とか!! 多分、ピンク色!! 湯気の向こうにうっすらと見えた、アレ!!
なだらかなお腹とかその下の諸々とか! 背後から腕が絡みついてきてる!? んなもん知ったこっちゃねぇぇっっ!!

「つつつ、鶴屋さんっ!? 今すぐ出て下さい!! 浴室から!! 素早く、回れ右っ!!」
「え~っ! このお風呂は屋内型露天だからしっかり暖まらないと、この冬空じゃ風邪引いちゃうっさ。それとも、キョン君は風邪を引いて弱ったアタシとかがお好みかい?」
全力で否定させて頂きますっ!!
「こいつはとんだ鬼畜ご主人様だっ♪」
俺の話なんかいつだって誰も聞いてくんねぇもんな、チックショウ!!


ここで手を出したら鶴屋家黒子部隊に存在を抹消される。まことに残念な……いやいや……今日に限って言えば心底ありがたい。その命の危機だけが今や俺の理性を押し留めていた、ってんだから我ながら情けない話で。
まぁ、健全な一般高校生男子が類稀なる美女にここまで迫られて理性を保っていられるかと問われれば、全力で否と答えさせて頂く所存なのだが。


「えっと……鶴屋さん。取り敢えず、速やかに俺から離れませんか? で、俺はずっと湯船で後ろを向いていますから、出来る限り速やかに入浴を終えて下さい」
もう、土下座すら厭わない勢いで頼み込む俺だ。なに? 俺がさっさと上がれば良い? んな事は出来たらとっくにやってるんだよ!
……授業中に椅子に座ったまま不自然に立てなくなっちまう男子生徒と、今の俺は同じ状態に有るんだ。頼むから、この比喩で悟ってくれ。
詳しく描写とか……要らないよな? な?
「ええ~っ。アタシにはご主人様の背中を流すという使命が有るんだけどなぁ~?」
なんですと!? 初耳ですよ、そんなプレイが付属してたなんて!! 別料金とか取られたりしませんよね!?
ってああ、もう! 今日の俺の脳味噌はどうなっちまってんだよ!! 漏れなくピンク色か、バカヤロウ!!


浴室は、いつにもまして、三途の川 by俺 字余り


色々有った末に折衷案として、鶴屋さんには水着を着て頂いた。全体に濃紺だとか胸の所に名札ワッペンが付いてるとか「つるや」ってひらがなだったりとか……もう一々ツッコんでたらキリが無い。
だが、無羞恥心艦長ゼンラーに比べたら月とスッポンだ。なんか犯罪臭いにおいがプンプンするが、それも無視させて頂く。
そんな訳で十分に湯船に浸かって暖まった俺は、今現在腰に手ぬぐいを巻いて鶴屋さんに背中を流して頂いている。
鶴屋さんに水着を着て貰う代わりに、俺は背中を流して頂くのを承知した訳で。
俺の目の前に有る鏡に映り込む、懸命に俺の背中をスポンジで擦る水着姿の鶴屋さんは……ここは天国で、俺は既に始末されているのではないだろうかと思わせるに十分な愛らしさと危うさをそのお姿に孕んでいた。


「さって、そしたら次は前だねっ!」
「結構ですっ!!」
「なら、アタシの背中を流してくれるっかな~?」
「だから、脱がないで下さいってば!!」
もう、なんて言うか……この人絶対確信犯だ。


浴室で起こったコレから先については描写は避けさせて頂く。なぜならこの話は対象年齢が全年齢だからだ。今更、とか言うな。

一つだけ俺の名誉の為に言っておく。何も無かった。以上だ。

 

 

後編


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