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「台風」より

 

 

 僕は、涼宮さんを守れませんでした。
 今の僕は涼宮さんが望んだ超能力者なんかじゃない。何もできない、ただの人間です。
 僕は、でかいくちばかり叩く最低の人間だったんです――

 

 

 涼宮ハルヒの愛惜 第9話 ハルヒの選択 前編

 

 

 ――ポン 4階 女性下着売り場です――
「お~っと、キョン君はここまでだよ? 長門っちのあられもない姿を見るにはまだまだ好感度が足りないから
プレゼント攻勢お勧め! 買い物が済んだらメールするから本屋さんとかで色々妄想しながら待機待機ぃ!」
 どん、どん、どん!
 みんなと一緒にエレベーターから出ようとした俺は、鶴屋さんの張り手によって個室の中へと押し戻され、
時間制限で閉まり始めた扉の向こうでは鶴屋さんと朝比奈さんが優しく笑い、長門は無表情で軽く手を上げていた。
 ――下へ参ります――
 日曜のデパート。いろんな意味で新生活を始める事になった長門の日用品を揃えるべく買い物に来たのは、ハ
ルヒと古泉を除いたSOS団のメンバーだ。
 ここ数日、ハルヒは古泉と2人で行動する事が増えている。
 今日の買い物も、本当はみんなでくるはずだったのだがハルヒと古泉は当日になってキャンセルしてきたのだ
った。
 さて……これは何の前触れなんだろうな?
 本屋のテナントに入り、平積みになった蔵書のタイトルを眺めながらのんびりと歩いていると……何でお前が
ここに居るんだ。
「やあ、どうも」
 新刊コーナーに立寄ってみると、そこには何故か営業スマイルを浮かべる超能力者が居た。
 ……あれ? ハルヒは一緒じゃないのか?
「ええ」
 辺りを見回してみても我らが暴君の姿は見当たらない。
「長門さんの買い物に、お付き合いできなくてすみません」
 みんな都合ってもんがあるから気にするな。
 俺は古泉の隣に立ち、目の前に置かれていた本を何となく広げてみる。
 ――ん~悪いが俺には面白い本だとは思えんな。大好評とか書いてあるけど本当に売れてるのか?
 数分後、ポケットの中で携帯電話が振動を始めた。
 届いたメールを確認してみると、どうやら下着売り場での買い物が終わったので1階の家電売り場に来て欲し
いらしい。
 時間つぶしにはなった店員お勧めらしいその本を元の位置に戻すと
「よかったら、これを読んでみてもらえませんか?」
 そう言って。何故か古泉は俺に一冊の本を押し付けるのだった。
 古泉。読んでみろって言っても、これってお店のシールが貼ってあるから支払い済だろ? お前が読むつもり
で買ったんじゃないのか。
「そのつもりだったんですが、気が変わりまして」
 買っておいて読まない? ……よくわからん奴だ。
 古泉に諦める様子が無いのを見て、俺は手を伸ばした。
 とりあえず借りておく。
「ええ。読み終わったら感想を聞かせてくださいね」
 いつになるかわからんぞ。
 古泉は俺に本を手渡すと、軽く手をあげて去っていった。
 さて、あいつはこれからどうするつもりなんだろうな。もしかして……ハルヒと待ち合わせか?
 気にならないといえば嘘になるが……ま、俺が詮索する事じゃないよな。
 自分でもよくわからない溜息をついて、俺は1階へと足を向けた。

 


 ーー

 

 
 不思議な程、罪悪感はありませんでした。

 


 ーー

 


 デパートの隣、そこそこに客の出入がある小さな喫茶店の中。
「……ありがとう。多分、これで変化が起きるはず」
 僕の報告を聞いた涼宮さんは、自分の考えを確認するように何度も頷く。
 変装のつもりなのか大きめのサングラスをかけた涼宮さんは、氷が解けて薄くなってしまったアイスコーヒー
を口に含んで息をついた。
 本来であればこの後、彼は長門さんと2人でデパートの映画館に行くはずだったんですよね?
「そう。でも、古泉君が渡した本は2人が今日選ぶはずだった映画の原作。きっと2人は映画を止めるはずよ」
 涼宮さんがそう呟くのを待っていたかのように、マジックミラーになっている喫茶店の窓の向こう側を、4人
が通り過ぎて行った。
 これは彼女が期待した展開のはずだ。
 それなのに涼宮さんの口元は苦しそうに歪んでいて……僕は小さな閉鎖空間が発生したのを感じていた。
 4人の姿が見えなくなった後、
「……ねえ古泉君。今日はこの後、予定とかある?」
 いえ、何も。
「じゃあ、キョンと有希が見るはずだった映画。一緒に見てみない?」
 はい。
「決まりね」
 ことさら明るく彼女は言って、その言葉が無理をしたものだと分かっていても僕は気づかない振りをした。
 

 ――涼宮さんの力はとても強力で、残酷な物だった。
 涼宮さんが彼と長門さんの関係が近づいた事を認識すると、その力は勝手に発動するらしい。
 遡る時間は不定で1日から2日。能力が発動すれば、まるでそれまでの出来事が夢だったかのようにベット
の上で目を覚ましてしまう……。
 最初は、自分の知っている通りに全てが進むのが楽しかったそうです。
 望まない展開を避けて結果的に自分に期待した道へ進む、テレビゲームにおけるセーブとロードの様なもの
なのでしょう。
 ……違うのは、自分の意思ではセーブもロードもできないという事。
 つまり、彼と長門さんの関係が進む事を止められなければその時間を永遠に繰り返すしかないんです。

 


「実はね、この映画を古泉君と見るのは3回目なの」
 楽しそうに話しているというのに、彼女の顔は寂しい。
 プライドの高い彼女の前で、僕はサングラスのせいでそれに気づけない間抜けな男でなければいけない。
 人込みの中、僕は彼女が歩き易いようにスペースを作りながら指定された席へと向かう。
 涼宮さん、結末を先に言ったりしないでくださいね?
 席に座りながら言った僕のその言葉に
「それって2回目」
 また、彼女は笑った。

 


 ――せめて、その記憶がなければ。
 終わらない夏休みの時の様に、改変前の記憶が彼女に蓄積されないのであればまだよかった。
 あの時は周りがそれに気づくことで変化が生まれ、結果彼の活躍によってループしていた時間は彼女が知ら
ない間に終わりを迎えられました。
 だが、今回は自分で終わりを見つけなければいけないのでしょう。
 その終わりとは――きっと。

 


「……ねえ古泉君、この先にキスシーンがあるの」
 顔を寄せてきた彼女は小さな声で呟く。
 だが、スクリーンの中では激しい銃撃戦が行われていてとてもそんなシーンに続くようには見えない。
 本当ですか?
 そう訪ねる僕に、彼女は指を2本立てて見せる。
 なるほど、この返答も既出なんですね。
 やがて映画は佳境に突入し、傷ついた主役の男が1人で歩きはじめた。
 不意に主人公の背後から声がかかり、振り向いた主人公の唇を声の主――一緒に戦っていた友人が奪った。
 ちなみに、友人とは男性で主人公も男性。
 あっけにとられる僕の隣で涼宮さんが嬉しそうに笑い、その姿を見て僕も微笑む。
 涼宮さん。
「え、何?」
 小さな声で話しかけた僕に、彼女は耳を寄せてくる。
 その肩に手を添えて引き寄せると、僕は彼女の頬にそっとくちづけをした。
 彼女の視線が僕を捕らえ、揺れる。
 これは何回目ですか?
 僕の質問に、彼女は顔を伏せて……人差し指だけを立てて見せた。

 


 ――心の底から認めなければ、彼女はこの螺旋から降りられない。
 この力を終わらせるには、彼女にとっての鍵である「彼」その彼が、涼宮さんを選ぶか……自分は選ばれな
いという現実を受け入れるしかない。
 そして、現在彼は長門さんに好意を寄せている。
 ……ですが、果たしてもう1つの選択肢を選ぶという事はありえるのでしょうか?
 今の僕には、それは不可能だとしか思えない。
 彼女に心奪われている、僕には。

 


 ーー

 


 な~んだか……おかしい感じがするんだよね。

 


 ーー

 


「すみません、何から何まで」
 そう言って頭を下げているのはキョン君だ。
 可愛い長門っちの為だもん、これくらい気にしない気にしない~。
 とりあえず必要だと思った家電製品が運び込まれて、殺風景だったその部屋にもそれなりの生活感が感じ
られるようになった。どうやって生活していたのか分からない程空だったクローゼットにも、今は大量の服
が並んでいる。
「ありがとう。頑張って働いて、料金は必ず支払うから待っていて欲しい」
 ここ最近、急に笑顔を見せるようになった下級生は丁寧に頭を下げている。
 お金なんて別にいいのに。でも長門っちがそうしたいならそうしよっか。
「する」
 変な気遣いされても嫌だもんね。
 あ、長門っちが一晩あたしの思い通りになってくれるなら御代はチャラでもいいんだけどな~? むしろ
追加料金発生? 
 言いながらその陶器の様に白い肌に手を伸ばしていくと、
「「つ、鶴屋さん?」」
 本気で止めようとするキョン君とみくるの声が重なった。
 ちぇ~。
「じゃあ、また明日学校でな」
「おやすみなさい」
 まったね~。
 小さく手を振る長門っちの姿が扉によって見えなくなり、ゆっくりと廊下を歩き始めたキョン君の背中を
あたしは軽く叩いた。
 ねえねえ、キョン君はお泊りしていくつもりじゃなかったの?
「な? 何を言ってるんですか!」
 あれ? 違ったの。おかしいな。
「違います」
 真っ赤な顔で足を速めるキョン君。早く行っても、君の性格ではエレベーターで先に行っちゃう事はできな
いのにね。
 予想通り、エレベーターの中で開扉延長ボタンを押してくれているキョン君の横を通って、あたしとみくる
は小さな個室の中に辿り付いた。
 扉が閉まり、あたしは再び口を開く。
 ねえキョン君、最近ハルにゃんと何かあった?
「ハルヒとですか?」
 そうっさ。ハルにゃん、時々すっごく切ない目でキョン君の事見てるよ。
「……」
「私も、最近の涼宮さんの様子はおかしいと思います。話をしていても上の空の事が多いし、なんだか色々と
我慢しているみたいだから」
 みくるの話を聞いた時も、キョン君に驚いている様子は無かった。
 ……この感じだと、キョン君も気づいてはいたみたいだね。
 それなのに今までみたいに行動に移らないのは……ん~どうなんだろう、やっぱり長門っちのせい?
 沈黙が支配する個室は静かに最下層に辿り着き、扉は開いた。

 


「じゃあ、俺はここで」
 何とか笑顔を浮かべて手を上げているキョン君に、
 うん、おやすみっさ!
「おやすみなさい」
 あたしはなるべく元気に手を振ってあげた。
 可哀想な事をしちゃったかな? 切なげな後姿の少年を見送りつつ、あたしは久しぶりに溜息なんて物を
ついてしまったよ。
 みくる~。
「はい」
 ……ん~……ハルにゃんとキョン君ってさ、どうしても付き合わなきゃ駄目なのかい?
「ええ?!」
 目を丸くして驚くみくるは、それっきり黙ってしまった。
 誤魔化すのが下手なみくるだから、キョン君とハルにゃんの間を取り持とうとしてるのくらいわかっちゃ
うさ。でも、キョン君はどうやら長門っちを選んじゃいそうだし……。みくるがハルにゃんに拘るのは何故?
それが何か大切な事なのかな? ……まあ、色々あって言えない事なんだろうけどね。
「あの……鶴屋さん」
 何か言おうとしたみくるだけど、あたしはそのまま続けた。
 あたしはさ、ハルにゃんも長門っちも古泉君もキョン君もだ~い好き。だから、あたしはみんなに幸せに
なって欲しいな~って思うにょろ。……でも一番好きなのはみくるだからさ、みくるが辛そうな顔をしてる
のはあたしも辛いな。
 隣に居るみくるの手を握りしめると冷たかったみくるの手に自分の温もりが伝わって、ゆっくりと暖まっ
ていく。
 あたしの顔を見つめるみくるは何か言おうと口を動かして……でも結局何も言えなくて……。
 その顔が泣きそうになるのを見て、あたしはみくるの頭をそっと撫でてあげた。

 


ーー

 


 心から思ったの、「明日」が来て欲しいって。

 


ーー

 


 眠れない夜を数えるのは止めてしまった。
 だって、同じ夜を何度も過ごした場合、どうカウントすればいいのかわからないんだもの。
 古泉君と3回目に行った日の夜、あたしはベットの中で色んな事を考えていた。
 この力の意味とか、キョンとか有希の事とかみくるちゃんや鶴屋さんの事……そして、古泉君の事。
 彼は優しい。
 誰にでも優しい。
 もし、みくるちゃんが泣いてたら……そうね、古泉君なら気の聞いた言葉で慰めてあげるんでしょうね。
 キスの一つくらい、誰にだってプレゼントしそうな気がする。
 キョンだったら……あいつは鈍いから、どうしていいかわからないままおろおろしてそう。
 最初にこみ上げて来たのは笑い――
 頼りないあいつを思い浮かべて、間違いなく安らいでいる自分を感じるから。
 次にこみ上げてきたのは悲しみ――
 わかってる、古泉君がここまであたしに付き合ってくれているのは仲間とか、単純な好意だけじゃない
だろうって事くらい。
 でも……でも。
 最後に浮かんできたのは怒り――
 自分への、怒り。
 寝転んだまま時計を見ると、時計の針は0時を差していた。
 少し迷ったけど、枕もとの携帯電話を引き寄せて履歴を呼び出す。一番最初に出てくるのは、古泉君。
 あたし、何を言うつもりなんだろう?
 プルルルル――
 こんな時間にかけて迷惑じゃない。
 プルルルル――
 嫌われたいの?
 プルル――「はい、古泉です」
 ……ごめん、寝てたよね。
「いえ、ちょうどテレビを見ていた所です」
 本当? その割にはテレビの音が聞こえないんだけど……まあいいわ。
 嘘に気づいても、自分の為についてくれている嘘なら騙されてあげなくちゃね。
 あのさ……その。
「はい」
 ……今日の映画、面白かったよね。
「ええ、とても楽しかったです」
 本当?
「本当です」
 そっか、うん。ありがとう。
 沈黙。
 ……こんな馬鹿げた電話なのに、彼は何も怒らない。
 ねえ、古泉君。
「はい」
 もしも……また昨日をもう一度やり直す事になってしまって、今喋った事を覚えていられないとした
ら古泉君はどうする?
「え?」
 何を言ってるんだろう? あたし。古泉君のどんな言葉を望んでいるの?
「そうですね。何も言わないと思いますよ」
 ……そっか。
「本当に伝えたい言葉は、自分でも一生覚えていたいですから」
 よくわからないけど、自分の事を恥ずかしいと思ったのはこの時が初めてだった。
 ……ねえ、古泉君。
「はい」
 今から言う言葉を古泉君は覚えていられないかもしれないけど、あたしはずっと覚えててくれるって信じ
て言うから。そのつもりで聞いてね?
「わかりました」
 ベットから起き上がり、暗い部屋の中を歩く。
 今なら、言える気がする。自分の本心が。
 無言のままあたしの言葉を待つ古泉君に、あたしは思いを告げた。

 


 あたしは……うん、キョンの事が好きなの。

 


 自然に出ていたその言葉は、誤魔化しようの無い自分の本心だった。
 そしてね、みんなも大好き。一緒に居て凄く楽しいし、これからもずっと一緒に居たいって思うの。でも、
あたしはそれを一度、自分で壊してしまったんだと思う。キョンだけが欲しくて、他のみんなを否定して……
そんな自分自身も、最後には否定してしまった気がする。
 今なら、少しだけ思い出せる気がする――部室で泣いているあたしと、震えているキョン。
 だからあたしは、キョンと有希が仲良くなるのが怖かったけど何もできなかった。簡単な事なのよ、本当に
キョンの事が好きなのなら、その思いを告白すればいいだけの事。でも、どうしてもそれができないの。だか
ら、こんな回りくどい酷いやり方で2人の邪魔をしてるだけ……こんなのあたしらしくないよね。
「涼宮さん」
 それまで、何も言わずにじっと聞いてくれていた古泉君があたしの名前を呼んでくれる。
 その声が優しかった事に、あたしは泣きそうになってた。
「これまで秘密にしていましたが、僕は貴女が好きなんです」
 あまりにもあっさりとした言葉に、あたしは古泉君が何を言っているのか本気でわからなかった。
 ……えっ?
「僕も、この言葉をずっと覚えていてもらえると信じて話します。貴女にSOS団の部室へ連れてこられた日
からずっと、涼宮さんの事が好きでした。そして彼の事が好きなのだと聞いた今も、僕の気持ちに変わりはあ
りません」
 あまりにも、彼の言葉は真っ直ぐだった。
 あ、あたしはその……。
 古泉君の気持ちには応えられない、自分には好きな人が居るのだから。
 告白なんてこれまでに何度となくされてきた事で、その全てをあたしは断わって来た。なのに、古泉君の
その言葉に返す言葉がどうしても出てこない。
 どうして? 彼が優しいから?
 ううん、違う。優しいだけの男なんて願い下げ。
 それに、そんな男なら今までにも何人だって居た。
 じゃあ何? 誠実だから? かっこいいから? 秘密を知ってくれているから?
 ……あたしはキョンが好きなのに……理由を無理やり探してでも古泉君の告白を断わりたく……ない?
 なんとか返事をしようと思うのに、焦ってどうしても言葉は出てこない。
 早く、早くしないと断わったって思われちゃう? 何か喋ろう! 何か!
 携帯電話を片手に焦っていたあたしの目の前に、その人は立っていた。
 あたしの部屋は狭い個室で、当然鍵はかけている。だからあたしは目の前に立つその人が人間だとは思えな
くて、幽霊か目の錯覚だと思った。
 眠っていたのならわかるけど、起きていたあたしに気づかれないまま部屋に入ってくるなんてできるはずが
ない。ベットの下には人が入れるスペースなんてないし、隠れるような場所はこの部屋に無いもの。
 理性がその存在を人間だと認める前に、あたしの意識は消えた。

 


 ――侵入者は、崩れ落ちるハルヒの体を音も無く受け止める。 
 気を失ったハルヒの手から携帯電話が落ち、床に当たって軽い音を立てた。

 


――

 


 ……悪夢、としか言いようがありません。いえ、悪夢ならいつかは醒めるのですからまだ救いがあります。

 


――

 


 沈黙してしまった涼宮さんの返事をじっと待っていると、僕の耳に聞こえてきたのは彼女の声ではありま
せんでした。
「古泉」
 その声を、僕は知っていた。……知っていたからこそ、絶望した。
 この声は……森さん?
「機関からの指令を伝える。そのまま自宅で待機しろ、外出は禁止する。以上だ」
 待ってください! 何故貴女がそこに居るんですか? 涼宮さんは?
「わかっているだろうが指令違反は処罰対象になる、許可が出るまで部屋にいろ」
 森さん!
 ――電話はそこで切れてしまった。
 すぐにかけ直したが、聞こえてくるのは電源が入っていないというメッセージのみ。
 念の為にかけてみた森さんの携帯電話も同じだった。
 どうして機関が? 何故、涼宮さんを?
 これまで、閉鎖空間や涼宮さんに関する計画については、必ず僕の元へも事前に連絡がきていた。しかし
今回はそれがない。という事は……涼宮さんを保護する目的ではなく……考えている時間はない、とにかく
涼宮さんの所へ行かなければ!
 上着を掴んで玄関に辿り着いた時、何故か僕の足は止まった。
 ……僕が行ってどうなるんだ?
 これが本当に機関の決定だというのならば、僕にできる事など何一つ存在しない。
 何故なら、閉鎖空間の中ならともかく、現実世界において機関の力がない僕はただの高校生でしかないの
だから。彼女の家に行こうと思っても機関の車は使えないし、タクシーを使おうにもタクシー会社には全て
機関の手が回っている。
 警察に連絡すれば? だめだ、機関が警察に分かるような稚拙な作戦を企てるはずがない。
 視界が急に揺れて体が床に当たって痛みを感じた時、僕は自分が玄関に倒れたのだと理解した。
 そして気づいてしまった、自分の心が折れてしまっている事にも。
 涼宮さんは彼を選んだ。
 僕は彼女を守れなかった。
 そして、機関という力も失った。
 僕に出来る事は……もう。
 上着のポケットの中にある携帯電話を取り出して、僕は彼の名前を呼び出した。
 短い通信音の後、
「おい古泉、何があったんだ? 朝比奈さんが電話でハルヒに何かあったって言ってるんだが、混乱してる
みたいで何を言ってるのかさっぱりわからないんだ」
 聞こえてくる彼の言葉に対して、自分が不思議なほど冷静だったのを覚えています。
 涼宮さんが捕まりました、機関の手によってです。
「は? なんだそりゃ」
 理由や状況は僕では何もわかりません、すみませんが涼宮さんをお願いします。 
 まだ通話口から何か聞こえていたけれど、僕は通話を終了して手から携帯を放した。

 


 ……よく、この部屋がわかりましたね。
 どれだけ時間が過ぎたのだろうか。
 気がついた時、僕の目の前には彼が立っていました。
 彼女に選ばれた「鍵」である彼が。
 無言のままで俯いている僕に対して、沈黙に耐えかねたのか彼が躊躇いがちに切り出した。
「ハルヒの事だけどな」
 涼宮さんの名前が出ても、床を見つめたまま座っている僕に彼は続ける。
「お前の言うとおり家から居なくなったらしい。鶴屋さんと朝比奈さん、あと長門を通じて喜緑さんにも
色々調べて貰ってるんだが、まだてがかりは見つかっていない」
 そうですか。
 僕の返事がそれだけで終わった事に、彼は驚いているようです。
 ……ですが、僕にはもう貴方に伝えられる情報は何もないんですよ。
「なあ古泉、お前の居る機関ってのが何かしたにしても、お前自身は関係ないんだろ? 何をそんなに落
ち込んでるのか知らないが」
 僕は関係ない。
 その言葉が、彼の言った言葉の意味とは違う意味で感情を動かしていた。
 顔を上げた僕を見て、彼は言葉を無くしている。
 ……余程、酷い顔をしているんでしょうね。
 溢れてきた感情が言葉になり、涙と一緒に零れ出した。
 涼宮さんに迫った危機が機関の行動による物だとわかっても、僕は何もできなかった……できたのは、
貴方に電話する事だけ。たった…それだけ。僕は涼宮さんを守れませんでした。
 自分を頼ってくれていたのに、自分の思いを伝えたばかりだというのに。
 顔を上げているだけの力も無く、再び床へと視線が落ちる。
 今の僕は涼宮さんが望んだ超能力者なんかじゃない。何もできない、ただの人間です。
 ……そして認めなくてはいけない。僕は貴方の代わり、「鍵」にはなれないのだという事を。
 彼の手が僕の襟に伸び、無理やりな力で僕は引き起こされた。
 僕を見る彼の顔には怒りが浮かんでいる。
 無理もありませんね。彼には何の力も無いのだと知っていたのに、これまで僕は何度も彼を頼ってきた
んですから。そんな僕が、自らの非力を嘆いて座っているだけ……殴られた所で、文句も言えません。
 僕は、でかい口ばかり叩く最低の人間だったんです。
 自嘲気味にそう言い捨てると彼は何もせずに僕の襟から手を離し、再び僕の体は床へと崩れ落ちた。
 僕には、殴るだけの価値もない……という事ですか。
 ――やがて、じっと床を見つめたまま座っていた僕に彼は当たり前の様に言った。
「気が済んだか」
 その声は怒りでも蔑みでもない、部室でいつも聞いていた彼の声。
 え?
 その言葉の意味がわからずに顔をあげると、そこにはいつもの退屈そうな彼の顔があった。
「だったら行くぞ」
 彼はそう言い残し、僕の返事を待たずに部屋から出て行こうとしている。
 行くぞって、何処へですか?
 僕の言葉に振り向き
「決まってんだろ? ……ハルヒを探しにだ」
 彼は平然とそう言い切った。

 


 涼宮ハルヒの愛惜 第9話 ハルヒの選択 前編 ~終わり~

 

 後編へ続く

 

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最終更新:2009年01月13日 22:47