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1「北風」

 

 

 

 私がふと我に返った時、すでに時計は零時を回ってしまっていた。
 先日、市立図書館で借りてきた小説にいつの間にか夢中になってしまっていたらしい。
 物語はちょうど佳境に差し掛かった所で、まだ続きが読みたいけれどここまでにしよう。
 本を閉じて立ち上がろうとした時、私は異常に気がついた。
 ……おかしい、いつもより体温が低くなっている。
 確かに今日は部室で眠ってしまった彼が風邪を引かないようにとカーデガンをかけてきたので、
普段よりも薄着ではある。でも、それだけではこの寒さに説明がつかない。
 念の為、唯一の暖房器具であるストーブを確認してみるが、燃料はまだ十分に残されていた。
 ともかく体温を維持しなければいけない。
 私は押入れから毛布を取り出し、すでに引いてあった掛け布団の下にそれを引いた。
 これでいい。
 身支度を終え、冷たい布団の中に滑り込んだ私の体を毛布と布団が優しく包んでくれる。
 体から放射される熱が反射し、ゆっくりと暖まっていく。
 時間が経過するにつれて、体と一緒に暖まっていく感情。
 私は、この時間を過ごすのがとても好きなんだと思う。
 ……彼は暖まってくれただろうか?
 あの時、テーブルに伏せて眠る彼の横顔を見ていたら、私は何故か自分のカーデガンを脱い
でいた。
 観察対象の「鍵」である彼。
 私がその彼の健康を気遣うのは何故?  
 あの時、私は彼に暖まって欲しかった……それはどうして?
 いくら考えても納得のいく答えは見つからず、意味も無く私は毛布の中へと潜り込んだ。
 布団の中の暖かな空気が顔を覆い、緩やかに睡魔が思考を奪っていく。
 今日は夢を見るかもしれない。
 時折、私はレム睡眠時に脳内の記憶残像による映像を体験する事があった。
 その中での私は一般的に言えば臆病な部類に入る人間で、文芸部に所属しているようだった。
 性格は大人しく、物静かで他人と触れ合う事に苦手意識を持っている。
 夢の中の私は今日はどんな体験をするのだろう……また、彼に会えるのだろうか。
 そんな事を考えていると、布団の中にいる私の耳に窓が鳴る音が聞こえてきた。
 何の音だろう。
 物理的な何かで窓は揺れているのに、地震や振動は検知されていない。
 ……………………。
 窓際に近づいた私は思わず言葉を無くす。
 その時私の目に入った物、それは窓の外一面に広がる真っ白な街だった。
 窓を叩いていたのは雪と共にやってきた北風で、こうして見ている間にも街に次々と降り積
もっていく。
 何故だろう、そんな光景を見ていると心が騒ぎ出すのが分かる。
 考えるよりも早く、布団の傍に置いていた携帯電話を取った私は――
 ピリリリリ! ピリリリリ! ピ!
 もしもし。
「あ! 有希寝てた? 寝てたら電話に出られないから起きてるのよね? ってそんな事は
どうでもいいのよ! 今すぐ窓を開けてみて、ほらほら今すぐ!」
 興奮した彼女の指示に従い、私は目の前にあった部屋の窓を開けた。
 静かな室内に北風と雪が一緒になり、我先にと舞い込んでくる。
「あ、窓を開けたわね。どう? 初雪よ初雪! 驚いたでしょ? 初雪って言うとその年の1
月にも降ってるとか言う奴も居るけどやっぱり年末に降ってこその初雪なのよ! この調子で
いくと明日の朝には少しは積もってるわよね、よし決めた! 明日は朝7時に北高の隣にある
公民館の駐車場に集合ね! いい?」
 了解した。
「みんなにはあたしから電話しておくから! 風邪を引かないように戸締りをして寝なさいね!
じゃあね! おやすみ!」
 通話が終わった後、私は暫くの間携帯電話を見つめていた。
 こうしている間にも、涼宮ハルヒによって初雪の到来が団員達に知らされているのだろう。
 そして、彼にも。
 何故かはわからないけれど、私はそれが嫌だった。
 理由など見つからない、その意味もわからない。
 それでも――彼にこの雪の到来を彼女よりも早く伝えたい、心からそう思っていた。

 

 

 

2「手袋」

 

 

 

「いい? 北高の隣にある教員用駐車場へ朝7時に集合! 来なかったら……
 何でこんな朝早くからお前等は元気なんだろうな。
 深夜、ハルヒの電話によって早朝から呼び出された俺はしぶしぶながらも指定された場所
へとやってきていた。
 いくら特殊な背景を持ってる3人だからって、こんな寒い朝くらいはのんびりしているだ
ろうと思いきや。
「おはようございます、涼宮さんがお待ちかねですよ」
 駐車場の入口で待ち構えていた無駄に愛想のいい古泉の顔を見た時、俺は本気で引き返そ
うと思った。
 が、
「キョンく~ん! おはようございます」
 駐車場の中で毛糸の手袋に包まれた手を大きく振っている天使様を見て、即座に考えを改
めた。うん、たまには早起きもいいもんだ。
 雪が積もった車の間をのんびりと歩いていくと、
「遅い!」
 声と同時に飛んできた白い塊を、俺はなんとかしゃがんでかわした。
 何しやがる?!
 ……ってまあ、だいたい予想はついてたけどな。
 追撃が来ないのを確認してゆっくりと顔を上げると、車の上に積もった綺麗な雪を丸めな
がら、ハルヒは俺に不敵な笑みを浮かべていた。
 深夜から降り始めたらしい雪は街を白く染めたのだろうが、朝日の訪れと共にその大部分
は溶けて消えてしまっていた。
 しかし、校舎のせいで昼過ぎまで日が射さないこの教員駐車場には、雪に埋もれた車が並
んでいる。
 ハルヒが指定した集合場所が駐車場だったのは、車の上くらいしか雪が残らないだろうと
見越していたからなんだろうな。
「じゃあ、今から男女対抗雪合戦をはじめるわよ!」
 何の話だ。
「ルールは簡単、濡れたら負け。以上!」
 言い切ると同時に手持ちの雪玉を投げ出すハルヒから、俺はとりあえず逃げ出すのだった。
 ――濡れたら負け……って言うけどな。
 冬用のコートを着て逃げ回った結果、すでに体は暖かいを通り越して暑くなっており、考
えたくはないが汗までかいている事だろうよ。まったく、これから学校だってのに……。
「おりゃりゃー!」
 そもそもこいつの元気の源はなんなんだろうな?
 まだ早朝だというのに無駄に元気なハルヒは、誰よりも多く雪球を投げていて、誰よりも
多く叫んでいた。
 はっきりと言おう、近所迷惑だ。
 大人しく車の影に隠れて逃げ回る俺を、親の仇の様にハルヒは追い掛け回してきやがる。
 その頃、他の3人はと言えば――
「では、いきますよ」
 俺が朝比奈さんに雪玉を投げる事などあるはずも無いわけで、古泉が緩やかに投げた雪玉は
、避けようと横に逃げた朝比奈さんの頭に当たって砕け
「ふひゃあ?! 冷たいです~……」
 可愛らし~いお声を上げていた。
 ……いいなぁ……あっちは平和で。
 一方長門は、丸い雪玉を作るのに真剣の様で雪玉を片手に細かな細工に余念が無いらしい。
 ハルヒから逃れてきた俺が目の前に立っても、長門の視線が揺らぐ事はなかった。
 長門、一応これは雪玉合戦らしいぞ。
 俺にそう言われて、長門はようやく雪玉から俺へと視線を向ける。
 そのまま見詰め合っていてもなんなので、俺は長門に向かって山なりに雪玉を投げてみた。
 放射線を描いて飛んでいった雪玉は、そのまま長門の元まで飛んでいき――パシッ。
 長門は俺の雪玉をキャッチして、じっとそれを見つめているのだった。
 ……長門、雪合戦ってのはな。雪玉を作って投げあブッ!
「ば~か。油断してるからよー!」
 口を開くのを待ってやがったとしか思えない。
 ハルヒの雪球は、長門に説明を始めた俺の口に正確に飛んできたのだった。
 ……むきになってハルヒに反撃したら負けかなって思い、これまでひたすら逃げ回ってい
たが……もう我慢ならん! 俺はそれまでしていた手袋を脱いでズボンのポケットに押し込む
と、手近な車の屋根から雪を掴み、次の雪玉を作っていたハルヒに向かって投げ付けてやった。
 バシッ!
 後頭部に雪玉を受けたハルヒの動きが固まる。
「……このあたしに反撃するなんてい~度胸じゃない……末代まで後悔させてあげるから!」
 あいつにとってお返しは三倍返しが基本なのだろうか。
 何故か急に機嫌を良くしたハルヒの猛反撃が始まったのは、その直後の事だった。
 文字通り泥沼の展開になった雪合戦だったが――数十分後
「そろそろ、お開きにしましょうか」
 ……はぁ、はぁ、そうだな。
 いつの間にやらハルヒのペースに巻き込まれていたらしい、俺は荒い息を整えつつ古泉の
提案に肯いた。
「何言ってんの? まだ勝負はついてないじゃない!」
 俺はもうびしょ濡れなんだがな。
「そう言われましても」
 抗議するハルヒに対して、古泉は雪の影も見えなくなってしまった駐車場を指し示す。
「このように、雪合戦を継続するにはもう雪が無いようです」
 

 

 やれやれ……一回家に戻った方が良さそうだな。
 雪玉を受けてすっかり重くなってしまったコートを脱ぎ、思わず溜息をつく。
 何が悲しくて登校前にこんな運動をして、その上家までの坂道を往復しなければならない
んだ?
「部室で乾かせばいいじゃない」
 肌着もかよ。
 どっちかっていうと、そっちの方が重症なんだがな。
「別にいいでしょ、あんたの裸なんて誰も気にしちゃいないわよ」
 そうかい。
 しかし現実問題、これだけ濡れた状態で家まで戻るってのはきつい。始業時間まではまだ
時間の余裕があるんだし、本当にそうするか。
「あ、部室に行くの? じゃあこれもお願い!」
 当たり前の様にハルヒは自分のコートを押し付け、駐車場から走り去っていくのだった。
 ……くそう、雪でも詰め込んでおいてやろうか?
「キョン君、風邪を引かないでくださいね」 
「それではまた、放課後に」
 校舎に入っていく2人を見送った後……2人?
 長門、お前は校舎に行かないのか。
 何故か俺の後ろには長門の姿があった。
「私も部室に行く」
 そうか。
 長門はハルヒの被害にあってなかったと思ったが、何か濡れてしまったのかもな。
 そんな訳で俺と長門は、まだ人影も疎らな部室棟の方へと歩いていった。

 


 当たり前だが無人の部室内に火の気など無く、俺は急いで先日仕入れたばかりのストーブの
元に向かった。割と広いこの部室に対しては小さすぎるストーブなのだが、0と1とじゃ大違
いだぜ。
 ストーブの電源を入れ、その回りに服を干せる様にとハンガーを準備していく。
 ……って待てよ、長門が居たら肌着まで脱ぐ訳にはいかないじゃないか。
 長門、お前は何か干すものがあるのか?
 そう聞きながら振り返った俺が見たのは、何かを大事そうに持ったまま部室の中を歩く長門
の姿だった。
 胸元辺りで大事そうに何かを抱えているそれは、白くて、小さな丸い……えっと。長門。
 長門が持っていたのは、小さな雪玉だった。
 ……丸いのができたから持ってきたのか?
 やけに熱心に作ってたもんな。
 そう訪ねた俺に、長門は首を横に振る。
 あれ? 違うのか。まあそれが何であれ長門の手は雪玉のせいで真っ赤になってしまっている。
 長門、それは外に投げた方がいいぞ?
 俺にそう言われても、長門はじっと雪玉を見つめたまま動こうとしない。
 そのままじゃ霜焼けになっちまうし、それにいずれは溶けてしまうんだ。
 ……なんて事は、こいつもわかってるんだろうけどな。
 じっと動かない長門の手から俺は雪玉をそっと取り上げ、部室の窓を開けて中庭にある樹に向
かって放り投げた。
 雪玉は緩やかに宙を舞い、中庭の樹に届く事無く地面に落ちる。俺はそれを見届けてから部室
の窓を閉めた。
 そんなに残念だったのだろうか。
 俺が振り向いた時、長門は雪玉を取り上げられた姿勢のまま固まっていた。
 なあ長門、また雪は降ってきてくれるからそれを待とうぜ?
 そんな俺の言い訳に長門は反応を示さないまま、じっと掌を見つめている。
 真っ赤に染まったその手を取って、俺はポケットから……ん、これはハンカチじゃないな。
 ポケットから出てきたのは、さっき脱いだ手袋だった。
 長門の手はそれ程濡れてなかったのもあって、俺はその手袋を長門の手にはめてやった。
「……」
 自分の手を覆うグレーの手袋を、長門はじっと見つめている。
 暖かいだろ?
 そんな当たり前の事を聞いた俺に、長門はゆっくりと何度も頷いてい……ハックシュンッ!
 

 


3「魔法使い」

 

 

 

 放課後、僕が部室を訪れた時にはすでにそれは始まっていました。
「あ、古泉君……」
 部室にやってきた僕に助けを求めるような朝比奈さんの視線、そして
「……」
「……」
 二つの沈黙は長門さんと……涼宮さんの物でした。
 朝はあれだけ機嫌が良かったのに、彼と何かあったんでしょうか。 
 団長席に座った涼宮さんは机に伏せたまま、何かをじっと考え込んで居るようです。
 何となく口を開くチャンスを失ったまま、僕は自分の席に着きました。そしてお茶の準備をして
くれている朝比奈さんの到着をじっと待つ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
 あまりにも部室が静かだったので小声で聞くわけにもいかず、涼宮さんに見えないようにそっと
ブロックサインで聞いてみました。涼宮さんを指差し、軽く首をかしげて見せる。僕が取ったサイ
ンを見て、朝比奈さんはただ長門さんの方を指差していました。
 長門さんが……何かあったんでしょうか?
 それとなく彼女の方へと視線を送ってみると、そこには普段同様に読書を続ける長門さんの姿が
……あ、あれ?
 彼女がページをめくろうとした時、僕は彼女が手袋をしたまま本を読んでいることに気がつきま
した。いくら薄手の手袋とはいえ、本を読む時には邪魔になるはず……そして涼宮さんの不機嫌。
 ここまでくれば答えは1つでしょう。
 ガチャ
 ようやくやってきた救いの主、彼が部室に入った瞬間涼宮さんは顔を上げて
「プレゼント交換をしましょう!」
 そう宣言するのでした。
「……色々と言いたいことはあるが……クリスマスにはまだ早くないか?」
 諦め顔の彼がカレンダーを見ながらそう呟くと、
「何事も練習よ! 事前に入念な準備をするのは大切でしょ?」
 涼宮さんは早くも自分の荷物を片付けながらそう言い返す。
 こうなってしまえば反論は無駄だと思っているらしく、彼はそれ以上口を開く事もなく自分の
席へと歩いていった。
 一方涼宮さんは帰り支度を終えたらしく、
「じゃあ明日までに各人プレゼントを準備する事! いいわね!」
 まるで何かに急かされるように、部室を飛び出していってしまいました。
 長門さんの手袋、涼宮さんの不機嫌、そしてプレゼント交換。
 そして涼宮さんから感じるこの感情……。
「古泉、その顔は全部知ってるって顔だな」
 不満げな顔で問い詰める彼に、僕は何時もと同じように説明を始める。
 僕が口にする言葉に彼は溜息で答え……そんな普段通りの彼の対応に、僕の顔は自然と綻ぶの
でした。
「何を笑ってやがる」
 おっと、これは失礼。

 


「つまり、ハルヒは物欲に目覚めたって事なのか」
 間違いではありませんが、正確とも言えませんね。
 通勤者で混雑する電車の中で、彼は器用に肩をすくめて見せる。
「俺が長門に手袋をやったからって、自分も何か欲しくなったとか正気かよ。ただでさえこっち
はハルヒのせいで金欠だってのに」
 涼宮さんが欲しいのはプレゼントではなく、貴方からの気持ち……なんて事は言えませんが。
 やがて電車はゆっくりとスピードを落とし、大きなビルが立ち並ぶ市街地へと滑り込んでいった。
 駅前のビルは煌びやかな電飾に彩られていて、
「クリスマスって感じだな」
 ええ、まったくです。
 僕の返事に彼は肩を落とし、
「……これで隣に居るのがお前じゃなく、朝比奈さんだったら嬉しかったのにな」
 と溜息をつく。
 申し訳ありません、と僕が言うのもなんですけど。

 


 ビルの入口には購買意欲を高めようと販促のポスターや装飾が立ち並び、僕達は迷う事無くクリ
スマスコーナーへと辿り着くことができました。
「で、お前は何を買うんだ?」
 そうですね。
 混雑する店内で僕が気になったのは、女性向けの場所に置かれたアロマキャンドルでした。
 これなんかどうでしょうか?
 淡い匂いを放つハート型の蝋燭を持つ僕に、彼は訝しげな視線を送って
「あのな。プレゼント交換って事は俺がお前のプレゼントを貰う可能性もあるんだが」
 と苦情を洩らす。なるほど、それは盲点でした。
「かといって誰もが貰って迷惑だと思わず、それでいてハルヒが納得しそうな物っていうと難しい
な……」
 オルゴールコーナーで足を止めた彼は、曲名の札を見比べながら何か考えているようだ。
 これはルール違反かもしれませんが。
「顔が近い」
 おっと失礼、涼宮さんがどんな物を欲しがっているのかは僕にはわかりますよ。
 言い切った僕に、彼は驚いた顔を向ける
「そうなのか?」
 ええ。僕は涼宮さんの意識や感情を感じる事ができますから、ある意味彼女と同期する事もでき
るんですよ。例えば、今貴方が持っているそのオルゴール。涼宮さんはそれを貰ったら……ああ、
不満のようですね。
「何でだよ」
 同じものを持っているんですよ、既に。
「なるほどな、じゃあこっちはどうだ」
 そう言って彼が手渡した次のオルゴールを受け取り、目を閉じてじっと彼女の気持ちを追ってみる。
 ――最初、僕は自分にこの力がある事が不思議でした。ある意味最大のプライベートとも言える自
分の感情を、何故涼宮さんは他人に託したのか? 彼女と一緒に過ごすにつれて、僕はその答えに辿
りつきました。
「いまいちか?」
 不安そうに聞いてくる彼に、首を縦に振ってみせる。
 これなら満足されるでしょう、保障します。
 そう言い切って、僕はオルゴールを彼にお返しした。
 涼宮さんは、自分の感情を人に伝えるのが苦手なのでしょう。だから、自分の変わりに誰かに気持
ちを伝えて欲しいと願った。気持ちを伝えるメッセンジャー、それが僕の役割なのだと思います。
 これまでに何度も彼は涼宮さんの心を救ってきてくれた、その時の涼宮さんの感情を僕も知ってい
るんです。だからこそ貴方を信頼し、信じる事ができる。
 今度はどんな魔法で涼宮さんを救ってくれるのか、楽しみにしてますね。
「……よくそんなセリフを真顔で言えるな」
 本心、ですから。
「余計に性質が悪い。それと……残念なお知らせだ」
 彼はオルゴールを持ち直して底の部分を出し、自分の財布と一緒に僕の目の前に広げる。
 財布の中にある何枚かの紙幣と、オルゴールに貼られた値札とを見比べ……あっ!
「MPが足りないようだ」
 溜息と一緒に、彼はオルゴールを商品棚へと戻してしまった。

 

 

 

4 「アレキサンドライト」

 

 

 

 プレゼントかぁ……。
 学校からの帰り道、灰色の空を見つめながら私はいったいプレゼントに何を持っていけばいいのか
考えていました。 
 涼宮さんが喜びそうな物って……猫のぬいぐるみかなぁ……だめかなぁ。
 自分の部屋に並んだぬいぐるみ達を順番に思い浮かべてみるても、涼宮さんがそれを持って
「かわいー! これ欲しかったの~! さっすがみくるちゃんね」
 と喜ぶ姿は思い浮かびませんでした。それどころか
「ん~……嬉しいけどこれって私には……あ! みくるちゃん、これを持って写真を撮りましょう~
古泉君!レフ板持ってきて!」
 だ、だ、だめです! もう写真は許してください!
 余りにも鮮明に浮かんできた未来を否定するように、私は首を振りました。
 ……涼宮さんの喜びそうな物を考えるのは諦めよう。
 どれだけ考えても、思い浮かんだ結果のどれもが自分の写真に行き着いてしまいました。
 それに、私のプレゼントが誰に渡す事になるのかわからないんだから……あ。
 思わず立ち止まった私は、その可能性を真剣に考えてみました。
 そっかぁ……じゃあ……うん。
 これは1つの可能性でしかない、だから無駄に終わるかもしれない。
 だからこそ、試す事が許されるかも……。
 以前、部室のパソコンでネットを見ていた時に見つけて、つい買ってしまって……結局机の引き出し
の中にしまったままになっているその箱の事を、私は考えていました。
 
 
 パン! パン! パン!
「プレゼントタ~イム!」
 部室の机の上に向かって、涼宮さんがクラッカーを鳴らしています。
 紙吹雪の下では、赤や白のクリスマスカラーに包まれたプレゼントたち。
「……さっさと交換するか」
 キョン君が紙吹雪を片付け始めるのをみて、私もそれを手伝いました。
「こらキョン! こーゆーのは雰囲気が大事なんだからしっかりノリなさい!」
「へいへい」
 溜息と一緒に……あ、あ……キョン君の手が古泉君のプレゼントの上に伸びて
「ちょっとキョン、待ちなさい」
 すかさず涼宮さんが止めました。
「あんた何で古泉君のプレゼントを狙ってるのよ」
「何でって……一緒に買いに行ったから中身が分かってるからだ」
「なにそれ?! プレゼント交換は中身がわからないから面白いのよ? 最初っから結果が分かってた
ら誰も宝くじなんて買わないじゃないの」
「普通は当たりくじを買うだろ」
「うるさい! とにかくプレゼントは公平にランダムで選ぶ事! で、あんたは古泉君以外の中から取
る事、いいわね! じゃああたしはこれ!」
 あ、あれ? ランダムじゃなかったんですか?
 言い終えると同時に、キョン君のプレゼントを持ち去っていく涼宮さんでした。
 溜息をついたキョン君の手がテーブルに伸びて……長門さんのプレゼントに……。
「あ、すみません」
 キョン君の手が届く前に、長門さんの隣に居た古泉君がそのプレゼントを取ってしまいました。
 申し訳なさそうに古泉君はプレゼントをテーブルに戻そうとしたけど、
「ハルヒはランダムって言いながら速攻でもってったんだし、もう早い者勝ちでいいだろ」
 残りのプレゼントは3つ、キョン君はその中から……あ。
 キョン君が選んでくれたのは、私の持ってきた小さな袋でした。
 私の視線が気になったのか、
「これ、貰っていいですか?」
 は、はい! 貰ってください。
 あわあわと頭を下げる私を見て、キョン君は嬉しそうに袋へと視線を戻しました。
 ……本当に、キョン君に渡せちゃった。
 今更だけど、急に自分の胸がどきどきし始めていた。
「これは……カレー、ですね」
「そう」
 テーブルの向こうでは、長門さんのプレゼントを貰ったらしい古泉君が不思議な笑顔を浮かべています。
「今まで食べてきたカレーの中で、このメーカーのこの味が一番美味しいと感じた」
 涼宮さんからのプレゼントである名刺サイズの謎のプレートを手に、穴が空くほどの強さで長門さんは
古泉君の手にあるカレーを見つめています。
「あ、あの。本当に僕が貰ってもいいんでしょうか?」
 ただ事ではないその気配に古泉君が脅えています。
「いい。この味を回りにも広めたい」
 そう言っているけれど、長門さんの視線はカレーと直接溶接されているみたいに動きません。長門さん
の手の中では、謎のプレートが圧力に耐えようと小刻みに震えています。
 こんなに真剣な長門さん、初めて見ました。
「……あ、これって……マフラー? このプレゼントってみくるちゃんのだったの?」
 涼宮さんのプレゼント箱から出てきたのは、茶色の暖かそうなマフラーでした。
 いえ、私のではないです。
 首を横に振る私から視線をずらし、
「……有希はカレーだったし、古泉君?」
「いえ、僕のプレゼントは朝比奈さんに渡ったようです」
 古泉君の視線を受けて、私もさっそくプレゼントを開けてみました。
 ……うれしいなぁ……プレゼントを貰うなんて何時以来なんだろう?
 薄い箱の中から出てきたのは、クリスマスに関係する音楽CDの詰め合わせでした。
 わー! わー! ありがとうございます! わー! この時代の音楽って大好きなんです!
 ……あ、あああっ!? またやっちゃった?!
「さっすが古泉君ね! みくるちゃん、クリスマスの間だけ部室にそのCD貸してくれない?」
 ……よかったぁ。思わず口にしてしまった言葉を、涼宮さんは聞いていなかったみたいでした。
「おいハルヒ。普通はクリスマスに聞くCDを、クリスマスの間中借りるつもりなのかよ」
 あ、いいんです。みんなで聞いた方が楽しいでしょう? 古泉君もそれでいいですか?
「ええ、構いません」
 さっそくパッケージから取り出したCDをパソコンに入れると、流れ出した音楽が部室の中の雰囲気を
一気にクリスマスにしてくれました。
「いい感じね! ……で、このマフラーは結局誰のなのよ」
 裏面や先端を確認して回る涼宮さんに、
「俺だ。っていうか俺しか残ってないだろ」
 あっさりと告げるキョン君。
 ……え?
 思わず、全員が動きを止めてしまいました。
 誰も動こうとしない部室の中で、クリスマスソングは軽快にテンションを高めていく。
 そんな空気の中
「随分前に、趣味で編んだ奴だよ」
「って事は……手編み?」
「ああ」
 それまで乱暴に扱っていたマフラーを、そっと胸に抱きしめつつ
「そ、そう。じゃあ、せっかくだからあたしが使ってあげるわ」
 何故か窓の方を向いて、ガラスに写った自分を見ながらマフラーを巻いてみていました。
 よかった……涼宮さん、凄く嬉しそう。
「俺も開けてみていいですか?」
 ぼうっとしていた私は、キョン君のその言葉で我に返りました。
 は、は、はい! どうぞ。
 慌てて答える私を見てから、キョン君はプレゼントの箱をゆっくりと開けていく。
 包装紙の中から出てきたのは、小さな白い箱。
「……これって、懐中時計ですか?」
 箱の中から出てきたのは、私が準備した銀色のシンプルな懐中時計です。
 時計を開けてみてくれますか?
 私に言われるままキョン君は懐中時計を開いてくれて、中からシンプルな文字盤が見えてきました。
「こんな大切そうな物、本当に貰ってもいいんですか?」 
 驚いた顔のキョン君に、私は頷きました。
 はい。是非、貰ってください。
 あなたに、貰って欲しかったんです。
 さっそく制服の内ポケットに時計から伸びた鎖を繋いで、
「大切にしますね」 
 キョン君は嬉しそうに笑ってくれました。

 


 ――この笑顔をずっと覚えていよう。
 そうすればきっと別れの時がきてしまっても私は泣かないですむ、ずっと笑っていられる。
 私と彼は同じ時間をずっと過ごす事はできないけれど……この時計だけはずっと一緒に居られるん
だから。
 それだけでいい、それさえ許されるのならこのまま気持ちを伝える事ができなくてもいい。
 ……いいんです。
 私のスカートのポケットの中では、彼とお揃いの懐中時計が静かに時を刻んでいた。
 この懐中時計の文字盤には、小さな小さな石が埋め込まれています。
 一生気づかれる事が無い程小さな石が。
 その石の名は、アレキサンドライト――石の言葉は「秘めた思い」
 

 


5「階段」

 

 

 

 一日が長いとか、一年が一日に感じるとか色々言う人はいるけど、あたしにとって12月18日からの
3日間は間違いなく人生で一番長い3日間だったわ。
 夏休みの最後の一日とか試験直前の追い込みなんて、全然話にもならないわよ。
 正直、これってあたしとしては思い出したくもない事なんだけど……まあいいわ。
 ……それは、12月18日の昼過ぎの事だったの。

 


 じゃあクリスマスの予定は以上、何か質問はある?
 完結明瞭、黒板に理論整然と書き記した予定表を前に、
「質問だ」
 キョンは何故か手をあげた。
「24日がクリスマスパーティーってのはまあいいさ、問題は25日だ」
 黒板を指差すキョンにつられて私もその場所を見てみると、そこにはあたしの字で「サンタ襲来」と書
かれていた。我ながら達筆ね。
 これが何よ? 見て分からないの?
「何が悲しくて、サンタの格好で子供会に乱入なんぞせにゃならんのだ」
 25日の予定は、近所の子供会の集会にあたし達がゲストとして参加するという内容。
 あんた、前に言ってたでしょ。
「何をだ」
 サンタクロースなんて居ないって話よ。
「ああ、確かに言ったな」
 それじゃあ困るのよ! いい? あんたみたいな夢の無い子供が増えちゃったらそれは世界を盛り上げ
るSOS団の活動目的に大きな支障が出るわ。だから純真な子供の内に、本当にサンタクロースが居るっ
て洗脳しておくのよ!
「……大人になって現実を知ったら一緒だとは思わないのか?」
 そんな事はどうでもいいのよ。いい、まずは夢を持つ事なの。何事も、そこから始まるんだから!
「ご高説痛み入るが、洗脳とか言ってる奴にだけは言われたくないな」
 まだ何かキョンは言ってたけどこれ以上聞いてる余裕はないの、とりあえずあたしは次の行動を指示す
る事にしたわ。
 みくるちゃんにはサンタ役をやって貰うとして、それだけじゃあ物足りないわね。古泉君、クリスマス
でサンタって言ったら何を連想する?
「そうですね、プレゼントでしょうか?」
 いい案だけど却下。子供会でプレゼントは用意してくれる手はずになってるし、それとは別に準備出き
るほどSOS団に予算は無いもの。
「早々と夢から現実に話が変わったな」
 次、有希。
 視線を本からあたしの指先へと移動させた有希は、
「……チキン」
 食べ物から離れなさい! 24日の鍋でお腹いっぱい食べさせてあげるから! じゃあキョン。はどう
せまともな案は出さないだろうからみくるちゃん!
「え、あ、あの、えーと……」
 みくるちゃんの視線が宙を彷徨い……宙?
 それよっ!
「え? え?」
 慌てふためくみくるちゃんの手を掴んで引き寄せると、あたしはこの発見を分かち合うべくとりあえず
抱きついてみた。
「ちょ、あの!? 手が、服の中はそんな?!」
 宙を舞う物! トナカイよ!
 この画期的な思い付きを前に、
「トナカイは普通、飛ばないんだがな」
 あんたは本当に常識でしか考えない奴ね、飛ばなかったら飛ばせばいいじゃないの。
 ごく普通の提案をしたつもりなのに、キョンは不満げな視線を向けてくるのだった。
 本当なら本物のトナカイを捕まえて来たい所だけど、時間がないから今年はきぐるみで我慢してあげるわ。 
「ありがとうよ、念の為に聞くがその着ぐるみを着るのは」
 あんたよ。
 ってゆーかあんた以外に適任者がどこに居るってのよ? 当たり前の事を聞かないで。……でもまあ、普
通にあんたがトナカイを着てても寒いだけよね。
 ここで何か思いついたら絶対この計画は面白くなる。
 そんな予感と一緒に部室の中を歩いていると、やっぱり神様は見てるのね! あたしの頭に完璧なアイデ
アが舞い降りてきたのよ。
 いいアイデアを思いついたわ!
「……一応言ってみろ」
 疲れた声で答えるキョンに、あたしはとびっきりの笑顔って奴で応えてあげた。
 トナカイの着ぐるみを着た人の上に、みくるちゃんが乗って登場すればいいのよ! これなら絶対に盛り
上がるわ! 間違いない!
「え、え。私が……あの私重いですから」
 そんな事無いわ、ほら。
「ひゃあ?!」
 後ろから抱き上げたみくるちゃんは本当に軽くて……このまま持って帰れそうな感じね。 
「す、涼宮さん。何か変な事考えてませんか?」
 え? ああ、我慢しておくわ。今は。
 とりあえずみくるちゃんを放したあたしは、さっそくノートを破ってクジ引きを作り上げた。
 あたしの手から伸びる、元はノートだった4本の紙片。
 さ、こんな美味しい役をキョンに任せるのはもったいなから、公平にクジで決めましょう。
 結果、みくるちゃんを乗せるという大役を射止めたかというと――やっぱりこ~ゆ~役はエロい奴が引き
当てるのよね。
「無茶苦茶言いやがるな」
 当たりのクジを引いたキョンは、苦々しい顔の端で笑っているのをあたしは見逃さなかったわ。
「あの、キョン君。重かったらごめんなさい……」
「そんな、ハルヒならともかく朝比奈さんが重い訳がないですから」
 なあんですってー!!
 ――そんな訳でトナカイの着ぐるみが必要になったあたし達は、さっそく材料を買いに街まで出かける事
にしたの。手縫いを選んだのは予算が無かったからだし、そのこと事体はどうでもよかった。
 問題は……その時、買い物に行く途中で起きたのよ。
 その時、あたし達はみんな揃って階段を降りていた。
 どんな着ぐるみができあがるのか、とか。クリスマス会でする余興なんかを話しながら階段を降りていた
時、突然背後から何かが転がり落ちてきたの。
 鞄とかそんな物の音じゃない、思わず振り向いたあたしの目に入ったのは……階段を転げ落ちてくるキョン
の姿だった。
 まるでスキーで転んだみたいにゴロゴロと落ちてくるキョンの姿は現実感がなくて、階段の踊り場の床に
後頭部をぶつけて動かなくなるまで、誰も動き出せなかった。
 キ……キョン!
 思わず階段の途中から飛び降りたあたしは、ピクリともしないキョンに駆け寄った。
 ……嘘よね、何かの冗談よ。
 いくつも頭の中に浮かんでくる言い訳は、まるで電池が切れてしまったみたいに動きを止めたキョンの前に
消えていく。
 その時、あたしは階段の上で何かが動いたのを感じた。
 急いで振り向くと、踊り場の角で翻るスカートが見えた様な……そんな事はどうでもいいのよ!
「……キョン君? キョ……起きてください? ねぇ、キョン君。ふぇ……ふぇぇぇぇっ! 嘘です、起きて
ください! キョン君! キョン君!」
 みくるちゃんはあたしの隣で、泣きながらキョンの名前を呼び続けていた。
 ほら、キョン。起きなさいよ。みくるちゃんが呼んでるのよ?
 目を閉じたまま動かないキョンの体に触れてみると、その体がまるでマネキンの様に感じられて、あたしは
思わず手を引いてしまった。
 キョンの体に触れた瞬間、考えてしまったから。
 このまま、キョンは死んでしまうんじゃないか……って。
 ――いつの間にか救急車が来ていて、あたしとみくるちゃんと見守られながら、キョンの体は担架に載せら
れていた。
 あの、
「どうしました?」
 救急隊員の人が担架を担いで階段を降り始めた時、あたしは思わず呼び止めてしまった。
 時間が無いのはわかってるけど、どうしても言いたかったの。
 担架の上に載せられて、眠ったように動かないキョン。その顔をじっと見ながら
 キョン、怪我をしてるから。揺れないようにそっと運んであげてください。
「涼宮さん……」
 私の言葉にとりあえず頷いて、救急隊員の人はキョンの体を連れて行ってしまった。

 


 消灯時間を過ぎた病院の廊下、待合室に居るあたしの膝の上でみくるちゃんは寝息を立てている。
 無き疲れて眠ってしまったみくるちゃんの頬には、まだ涙の後が新しい。
 そんなみくるちゃんの髪の毛を撫でていると、
「お待たせしました」
 疲れた顔の古泉君が待合室に戻ってきた。
 答えを聞くのは怖かったけど、聞くしか無い。
 ……キョンは。
「安心して下さい、彼は無事です」
 励ますような声で、古泉君はそう言い切ってくれた。でも、報告はそれだけでは終わらなかった。
「体に外傷は無し。内出血も無く、脳機能に異常も見られなかったそうです。ただ、意識が戻らないだけ。担
当医の方はそうおっしゃっていました」
 それって……つまり?
 続きを訪ねるあたしに、古泉君は考えている通りだと言いたげに頷いた。
「原因不明。彼の意識を戻す方法はわからないそうです」
 ……そう。
 それは救急車の中で救急隊員の人が下した診断と同じ内容だった。
 怪我は無いみたいなのに、刺激を受けてもキョンの意識が戻らない理由がわからない。
 あたしはそっとみくるちゃんの頭を椅子の上に降ろして、静かに立ち上がった。
 古泉君。
「はい」
 いくつか、頼みたい事があるんだけど。
 静かに響くあたしの声に、古泉君はしっかりと頷いた。

 


 今のあたしに出来ること、それは待つ事だけ? いいえ違うわ。でもそうなのよ。
 古泉君がどこからか持って来てくれた寝袋を病室の端に置いた私は、寝転んだ体制からキョンの顔が見える
のを確認してからそこから抜け出した。
 ベットの上で寝ているキョンの顔は……まあ正直間抜けだと思ったわ。
 団長をこんなに心配させて……生意気な団員ね。
 個室の病室の中で響いたあたしの声は、驚くほど力の無い声だった。
 ねぇキョン。お………………。
 起きなさい、ただそれだけの言葉がどうしても出てこなかった。
 もしその言葉を口にしても、キョンが起きなかったら?
 それは医学でも何でもない、ただのあたしの言葉でしかなかったんだけど……どうしてもあたしは試してみ
る事ができなかった。
 ゆっくりと上下するキョンの胸、鼻の前に手を当てれば呼吸も感じられるわ。
 ……大丈夫、キョンは生きてる。
 そう自分に言い聞かせ、あたしは胸に込みあがってきた感情が形になる前に、逃げるように寝袋の中へと潜
り込んだ。

 

 


 12月19日

 

 


「涼宮さん……大丈夫ですか?」
 ……あ、みくるちゃん。
 翌朝、あたしが目を覚ました時、病室にみくるちゃんの姿があった。
 ベットの上には……よかった、キョンはちゃんと生きてる。
 もぞもぞと寝袋から這い出し、固まってしまってた体を動かしてみる。
 ……うん、よし。あたしは大丈夫。
「あの。しばらくあたしが見てますから、涼宮さんは朝ご飯を食べてきてください」
 あたしの顔を見た後、みくるちゃんは心配そうな顔でそう言ってきた。
 そう? ……うん、じゃあお願いね。
 部屋を出る前、もう一度キョンの様子を確認してからあたしは病室から出て行った。
 

 

「調べてみましたが、あの時間帯に部室棟には僕達しか居なかったそうです。長門さんにも協力して調べて
いるのですが、涼宮さんの言われた女子生徒に該当する人物は見つかっていません」
 屋上に広がった洗濯物のシーツの隙間で聞いた古泉君の報告は、あたしの心が晴れる様な内容では無かった。
 犯人探しなんてした所で、何の意味もない事はわかってる……わかってるけど、何かしていないと、どうに
かなりそうだったのよ。
「まだ調査中の段階ですので、結果報告は暫くお待ち下さい」
 ありがと、頼むわね。
「了解です。……それで、彼は」
 古泉君の言葉が、胸の中に重い何かを……違う、こんな気持ちになる必要なんてないの。キョンは生きてる
んだから。
 あいつは相変わらずぐーすか寝てるわ。
 無理して元気を出したはずの自分の声は、バカみたいに弱気な声だった。
 ――その日は一日中、よくわからない機械を使った検診が繰り返されていた。
 古泉君の叔父さんの知り合い……だったかしら、その人がここの理事長だったみたいで、キョンの周りには
いつも大勢のお医者さんの姿が絶えない。
 今もガラスの向こうでは、眠ったままのキョンが大きな輪の形をした機械の中を何度も往復している。
 さあ、さっさと起きなさいよ。そして古泉君にお礼を言うのよ、有希は救急車を呼んでくれたし、みくるち
ゃんはあんたなんかの為にわんわん泣いてくれたんだからね? 大勢のお医者さんにも頭を下げて回りなさい
よ。……ほら、さっさと起きてこれから一生かかってでも恩に報いなさい。
 心の中であたしがどれだけ言っても、キョンの姿には何の変化も無かった。
 まったく、恩を感じない男ね……あたしには何もしなくていいから……起きてよキョン。
 溜息と一緒に急に込み上げてきた涙が零れそうになって、あたしはその場にしゃがみ込んだ。

 


 12月20日

 


 ベットの隣に置かれたキョンの予定表、昨日はびっしりと埋まっていたその紙なのに、今日は白紙のまま。
 あれ程続いていたキョンの検査は、今日は1つも行われていなかった。
 まだ申し訳程度に点滴はしてるけど、昨日の夜までは病室を手狭にしていた検査機器も今はもうどこにも
ない。
 ……まあ、少しは休ませるって事よね。一応は病人みたいなもんなんだし。
 そう自分に言い聞かせようとしてみたけど、何だかキョンが見捨てられてしまったみたいであたしは辛か
った。
 検査をしている間はまだ希望を持っていられた。
 医者が何かを見つけて、注射か何かをキョンに打ったらバカみたいにあっさりと目を覚ます。そんな夢を、
あたしは寝袋の中で何度も見ていた。
「あれ、お前なんでここに居るんだ?」
「腰痛ぇ……随分長い事寝てた気がするな」
「お前、寝不足なんじゃないのか? 酷い顔だぞ」
 夢の中でのキョンは相変わらず失礼な奴で……それでもいい、いいから起きなさいよ。
 ベットの上のキョンは苦しそうでも楽そうでもなくて……まるで、本当に寝ているだけみたい。
「涼宮さん、少しは眠った方がいいですよ」
 みんなは交代で付き添いに来てくれていて、今は古泉君の番だった。
 あたしと違って古泉君はこんな状況でも落ち着いていて、今ものんびりと林檎の皮を剥いている。
 うん。ちょっとだけお願いね。
 実は昨日の夜からずっと起きていたせいもあって、すでに体は限界だった。
 狭い寝袋の中に潜り込むと、まだ明るい時間だというのに急に眠気が差し込んでくる。
 強烈な睡魔に抵抗しつつ、何とかもう一度だけ目を開けベットの上を確かめてみた。そこにはキョンの
穏やかな顔があって、その顔を見た途端安心してしまったあたしの意識は途絶えた。
 

 

 ――不思議な、夢を見た。

 

 
 そこは、いつもの部室なのにどこか違っている様な感じのする場所で、夕方みたいに薄暗い部屋の中には、
キョンの姿や古泉君、みくるちゃんに、有希……そして、何故か髪の長いあたしの姿があった。
 髪の長いあたしはみくるちゃんの手を掴んでいて、脅えた顔のみくるちゃんが口を開く。
「ここ、どこですか、何であたし連れてこられたんですか? 何で、かか鍵を閉めるんですか? いったい何を」
「黙りなさい。そっちの眼鏡っ娘が長門さん? よろしく! あたし涼宮ハルヒ! こっちの体操服が古泉君で、
この胸だけデカい小さい娘が朝比奈さん。で、そいつは知ってるわよね? ジョン・スミスよ」
 ――ジョン・スミスって……誰の事を言ってるの?
 まあいいわ、髪の長いあたしは自分の事を涼宮ハルヒ……あたしだと名乗った。そして、それをキョンは……
何故か懐かしそうな顔で見ている。
 その時、あたしは嫌な予感がした。
 もしかしたら、このままキョンは目を覚まさなくなってしまう。
 そんな予感が。
「ふーん、ここがそうなの。SOS団か。何にもないけどいい部屋だわ。いろいろ持ち込み甲斐がありそう」
 髪の長いあたしは、物珍しそうな顔であたしの部室の中を見て回っている。
 ――……やめて。
「この部屋を拠点にするのはあたしとしても賛成だけど、交通が不便だわ」
 その女の言葉に、みんなはいつもあたしに向けている視線を送っている。
 ――やめて。
「学校が終わってからここに来るには時間がかかるし、あたしの学校と北高って全然交流ないしね。そうだ! 
時間を決めて駅前の喫茶店に集合ってのはどう?」
 そんな無茶な提案に、何故かキョンは……嫌! そんな顔でその女を見ないで? やめて! ……あたしの場
所を取らないで!
 どれだけ必死に叫んでも、あたしの声はキョンに届く事はなかった。
 それでも叫ばずにはいられなかった。今まで見つけてきた物の全てが消えてしまう、そんな予感がどうしても
止まらない。
 自分の頬を伝って居るのが涙だと気づいても、あたしはそれを止める事はできなかった。
 その時、部室に置いてあった妙に古いパソコンが急に起動を始めた。
 それに気づいたキョンが急いで駆け寄っていく、
 しばらくの間画面を見つめていたキョンは、やがて有希に向きなおって、ポケットの中から小さな紙を取り出
し、差し出した。
 そこに書いてあった文字は……入部届け……って。キョン、嘘で……白紙?
 キョンが取り出した入部届けには、何も書かれてはいなかった。
「すまない、長門。これは返すよ」
 小さかったはずのキョンの声は、不思議な程部室の中に響いていった。
 差し出された入部届けを、有希は受け取ろうとして一回失敗し、二度目で掴む事に成功する。
 有希の手に移った入部届けは、風も吹いていないのに震えていた。
「そう」
 消えそうな有希の声、
「だがな、実を言うと俺は最初からこの部屋の住人だったんだ。わざわざ文芸部に入部するまでもないんだ。な
ぜなら──」
 キョンの指がパソコンに戻り、右端のキーに触れる。そして――
「なぜなら俺は、SOS団の団員その一だからだ」
 エンターキーの上にあったその指は、確かに押し込まれた。

 その直後──

 


 ……ぉが?
 頬を摘んでいる無遠慮な誰かの指、そして視界に入るキョンの顔……キョンの顔?!
 飛び起きようとしたあたしの体は、全身を包んでいる寝袋によって阻まれて無様に跳ねるだけだった。
 ああ、そっか。寝袋で寝てたんだっけ。
 急いで這い出したあたしは、ちゃんと目を開いてくれているキョンを指差して、叫んだ。
「キョンこらぁっ! 起きるなら起きるって言ってから起きなさいよ! こっちだってそれなりの準備があるん
だからね!」
 そんなあたしの顔を見つめるキョンの退屈そうな顔は……疲れきっていたあたしにとって何よりの薬だったわ。

 

 こうして、長かったあたしの3日間は終わったってわけ。
 ほんっとキョンって迷惑な奴よね、眠ったまま起きない上に、夢の中でまであたしを不安にさせるなんて何様
のつもりよ?
 ……まあ、最後にはあたしを選んだみたいだから別に……いいけど。
 あ! 言っておくけどもちろんクリスマス会は続行よ、トナカイの衣装も絶対に間に合わせるんだから。
 ここからはこの3日間の分を取り戻す勢いで行くからね! これからも一生、ちゃんとあたしについてきなさい!

 い~わねっ!

 

 「北風」「手袋」「魔法使い」「アレキサンドライト」「階段」 ~終わり~

 

 

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