夏のような酷暑に見舞われた秋から一転、ここ数日で厳寒な秋へと変貌していった今日この頃だが、こんな時は夜と夕暮れと努めて、一体どの時間帯がいとをかしなのか某少納言様にお聞きしたいね。あとついでに努めてって何時だよ、ってこともな。
 気候は瞬く間に変化していったのだが、それに対して俺のライフワークには全く変動が見られないのもこれまた事実であり、平日は学校に行って黙々と授業をこなし、受験勉強に追われるしがない受験生を演じていたりもする。
 放課後になれば部室でゲームをしたり、現役大学生メイドが淹れたお茶を飲んだり、ハルヒの思いつきに横槍を入れては文句をいわれたり、寡黙な読書少女にチラリと目をやったり……こちらもここ数年変わりないスタイルを築きあげている。
 あと半年もしないうちに大学受験が身構えているという十字架を一身に背負いながら、この時期になってもいつもの生活は変わらなかった。この生活が気に入っている俺としては変わってもらっても困るわけだが、しかし緊張感が無さ過ぎなのも事実である。
 とはいえ、今のところ模試で俺を除くみんなが志望校でA判定を出している以上、余裕たっぷりで団活を勤しんでいるのは仕方の無いことであろう。
 かく言う俺も、朝比奈さんの的を得た過去問対策やハルヒや佐々木による連日の徹底指導によって、夏休み前ではE判定だった成績もC判定に上がり、つい最近行われた模試ではB判定を教授するまでに至った。
 とまあそんなわけで、今度の週末は休暇を取ることを許されたのだ。スパルタチックな教育を施すハルヒや、やたらと薀蓄を語りだす佐々木のコンビネーションに疲れ果てていただけにこの休暇は非常にありがたい。
 だが、それにも裏がある。実はこの日、妹の中学校で文化祭が行われる日でもあり、それに参加しなさいとの命令が下っていたりするのだ。
 うちの中学の文化祭は基本的に親族、あるいは学区の方々のみが参加することを許されている。風紀的、あるいは義務教育上仕方の無い対策であるが、それが故に参加者が少ないのは否めない。
 それ故ご家族の方々には必ず来てもらうようにと学校側から再三に渡って連絡が来ているのだが、何故か今回もうちの両親は文化祭当日不在になる予定であり、結局俺が行く羽目になってしまった。
 もちろん断ることもできた。『受験勉強が急がしいんだよ』ってな。しかし妹は既に先手を打っていたらしく、ハルヒに当日勉強会が無いことを確認した上、俺に文化祭に出席するようせがんだのである。
「文化祭に出席しなさい。でないと来週からの勉強時間、倍に増やすわよ」とは我が団長様のお答えだ。
 つまり、この休みもある意味仕組まれたものってことさ。せっかく家でゴロゴロしたり、ゲームしたり、谷口から借りた魅惑のDVDを見たりするつもりだったのだが……ちくしょう。
 仕方ない、童心に帰って文化祭を楽しもうじゃないか。高校の文化祭と比べてどれだけ稚拙なのか比べるのもいいかもしれない。
 中学生の頃、自分が文化祭で仕事をやり遂げた時は何とも言えぬ達成感が俺の眉間を熱くさせたものだが、はてさて高校生になった今、中学の文化祭を見てどれだけ若かったと思うかね。
 ま、同じことは大学に入って学園祭に参加しても思うんだろうが。
 因みにあたしも行く、等と無理矢理参加表明すると思われたハルヒだが、意外にも不参加を表明してきた。理由は『学区外だから』という、ハルヒにしては至ってまともな返しだったりする。 その空気を読んだのか、SOS団全員も各々不参加宣言を始めた。
 さて、こいつは参った。いくら親族とは言え、中学の文化祭に高校生が一人で乗り込むのは少し恥ずかしいので勘弁願いたいところではある。
 国木田他仲の良かった中学の同朋に連絡を入れてみたのだが、『受験勉強が忙しい』だとか『そんな暇が無い』とか『佐々木と行けばいいじゃないか』だとか、一緒に行くどころか参考となる意見すらも出してくれなかった。
 一瞬本気で佐々木を連れて行こうかと考えたりもしたのだが、それをやると表向きはハルヒに怒られ、裏で古泉に怒られるという二重苦に苛まれるため実行はせずいる。
 なんとかならないものかね。


 結局いいアイデアが見つからないまま、名目上親の代わりということで数ヶ月ぶりに中学に向かうことになった。なお、前回とは異なり、妹は既に学校へ向かっている。おかげで誰にも振り回されることの無い、優雅な朝のひと時を迎えることができたぜ。
 ……妹が出発間際に『絶対来てよ、キョンくん!』等といって布団の上で跳ねなければ、の話ではあるが。
 とは言え、いつもよりも数段遅くまで寝ていられたし、朝ご飯もちゃんと用意されていたし(最近妹もこれくらいはできるようになったみたいで助かるぜ)、気分としては良好な晩秋の朝であった。

 しかし、この数時間後、俺は地獄を見ることになった。

 暫くテレビを見ていた後、ふと時計を見ると既に文化祭が始まっている時間であることに気付き、慌てて着替え、時間短縮のため自転車にまたがり中学まで一気に走り出した。
 タイヤの空気が抜けかかっているため少し乗り心地が悪いものの、それ以外には別段トラブルも無く中学校の校舎が見えるところまで近づいて……
「……よし、いないな」
 思わず電信柱を覗き込み、そいつが不在であることを確認した。前回はそいつと会ってしまったため大きなトラブルへと発展してしまったのだから、そいつがそこにいないかを確認することは試験の願書の記入ミスを確認するのと同じくらい大切なことだ。
 念のためあたりも確認する。「……よし、大丈夫」 小さく声を出して、そして再び自転車のペダルを漕ぎ出した。
 結局中学の敷地内に入るまでそれらしい人影にも遭遇することもなく、自転車置き場までやってくることができた。校庭では何かの特設イベントか何かが組まれており、教室内でもやんややんやと騒ぎ声が聞こえている。
 ああ、文化祭ってのは基本どこでも一緒だな、なんて一人考えに耽りながら生徒玄関までたどり着き、そして慌てて来客用玄関に引き返していく。……危ない危ない。生徒の時の癖って、なかなか消えないものだな。
 来客用のスリッパに履き替え、同時に置かれていた文化祭のパンフレットを片手に取る。
「さあて、どんなイベントがあるのだろうかね……」
 基本的に高校の文化祭と中学の文化祭は同じようなことをするのだが、先にも言ったとおり、義務教育上自分達が文化を学ぶということに重きを置いている為か、少々堅すぎる雰囲気がある。
 特にうちの中学校は顕著であり、クラスの出し物は『市内にあるお寺の歴史』だとか、『県内の特産品について』だとか、もう少し砕けたことを紹介してもいいんじゃないかとずっと思っている。
 せいぜい演劇部が伝統的に行う先生のモノマネや、吹奏楽部がこれまた伝統的に行うドラマやアニメの主題歌の演奏が唯一の娯楽という感じだ。
 今年も例年どおり――というか、俺たちがいた頃と殆ど変わりない内容ばっかりで、同じネタを使いまわしているんじゃないか……
「……ん!?」
 と思った矢先、俺は意外な文章を目の当たりにした。
 ほほう、なかなか面白そうなことをやっているじゃないか。これでも小さい頃は詳しかったんだぜ、俺。楽しめそうじゃないか。早速行ってやるか、どこのクラスだ……
 数歩歩いて再び足を止めた。

「……って、妹のクラスじゃねーか!」


「おいおい……なんだ、これ」
 妹のクラスまで来て不可解な現象が二つほどあった。
 一つ、クラスの前にいる奴等が男子生徒ばっかりだったこと。
 しかし、これに関しては許容の範囲かもしれない。こんなことに興味が湧くの女の子よりも男の子の方が多いだろうし、大人と子供で考えればこれも後者の方に人気があるが故の事。
 しかし、もう一つの理由は納得がいかない。
 驚くべき事に、妹のクラスは何故か大盛況だったのだ。
 少々込んでいるだけであればイベント終了を待っている時間待ち軍団と考えられなくもない。しかし、既に50人以上の生徒がじっと待っているというのは、中学の文化祭というレベルからしても明らかにおかしい。
 一体、中で何が行われているのだろうか? いつもは隅から隅まで見渡せる教室の窓ガラスも、本日は黒いビニール袋で覆われているせいで、何も見えない。

 ――ガラガラガラ。

 何ともいえぬ雰囲気に気圧されする中、先にこの教室に入ったであろう男子生徒2名がドアをくぐり、廊下へと歩みを進めていた。
「なあ、どうだった?」
 そのうちの一人、メガネをかけた細い男子学生Aが、弱弱しい声で語りかけた。
「……ああ、決してまずくは無かった。でもな……」
 チビデブな体型の男子学生Bもか細い声で応対し、それ以上のセリフを吐くことなく沈黙した。
「……そうか」
 ポンッと男子学生Bの肩に手をやった男子学生Aが同情の言葉をかけ、そして何も言わずにトボトボと廊下を歩き去っていった。
 まるでこの教室を避けるかのように。
 ――ゴクリ。
 誰かの喉が、鳴った。
 一体、中で何が行われているのだろうか? 何故ここの連中は、こうまでして意味不明なイベントに参加しているのだろうか?
 そして、最大の疑問が俺の脳裏に浮かび上がった。
『まずくは、ない』
 ……それは一体、何の事を指しているのだ?


 ――もしかしたら、ここに並んだのは間違いだったのだろうか?
 ――この異様な雰囲気は、ただ事じゃない。
 ――どうする? 逃げるか? 今ならいけるぜ?
 ――妹には『混んでいたから行くのをやめた』って言えばいい。事実なんだしさ。

 脳内に居座る俺の分身が陪審員となり、それら全て『この場を立ち去ったほうがいい』との結論を出した。同時に俺の神経もその主張に賛成したのかそれとも反射的なのか分からないが、ともかく列から離れ、その場を逃げ出そうとした、その時。


「あー! キョンくん! 来てくれたんだ!」


 ――キャンキャンと響き渡るのは、俺が毎日聞く妹の声。
「あ、ああ……ちょうど、今来たところだぜ……」
 ……自分でもわかるくらい、引きつった顔で妹に手を振っていた。


 こっちだよこっちー、早く早くー、などと強引に手を引き、並居る男子学生の間をすり抜けて自分の教室に戻ろうとする妹に連れられていく形で、俺は割り込みともVIP待遇ともつかぬ状態でこの教室に無理やり押し込められた。
 何時の間にこんなに力がついたのだろうか。今度腕相撲をやったら負けるかもしれないなという動でもいいツッコミが頭の隅を過ぎったが、問題はそこではない。
「どうしたんだ、その格好?」
「えへへ、どう? かわいいでしょ?」
 妹の格好は朝起きがけに見た制服姿のそれではなかった。ブライトイエローを基調にしたワンピースに、同色のレースが背中から伸びている。頭には触覚と目をあしらったフリース生地のキャップ、そして手足にも同色のグローブとソックス。
 まるで……というより、あからさまに蝶々を模したスタイルである。
「みんなで頑張って作ったんだよ」
 妹ははしゃぎながら短めのワンピースを手で持ってヒラヒラさせた。
 この時期だというのに生太もも剥き出し状態で、いくら暖房がついているからと言えども寒そうだと感じることこの上ない。
 最も、俺がそう言うふうに思えるのはこいつが俺の妹であるが故のことであり、他の男子学生からみれば何故かポカポカと熱くなってくるのは仕方の無いことかもしれない。いくらうちの妹が幼女体型だといってもな。
 しかし、問題はそこではない。
 辺りを軽く見回したところ、このクラスの女の子全員がうちの妹と同じような格好をしている。
 いくら中学一年生とはいえ、うちの妹よりも成長しているその御身足は、何と言うか目の毒になること間違いない代物で、事実俺が他に目をやれない理由がそこに合ったりもする。
 もちろん覗き込み防止用にキュロットのようなズロースのような、所謂短めのパンツを履いているのだが、むしろそれが余計な妄想心を掻き立てているのでは、と思うのは俺だけだろうか? そうではないと信じたい。
「ミヨちゃーん! キョンくんが来たよー!」
 控え室と思われる、暗幕で区切られた教室の一角に向かって妹が声を上げる。中では『え!? ちょ……って……』と努めて声を出さず、変わりにカサコソと音を立てている。
 待つこと約20秒。暗幕からちょこっと飛び出てきたのは帽子の触覚部分だろう。
「あの、お待たせしました」
 そして触覚から生えた全身がお披露目された。基本的スタイルは妹や他の女の子と同じだが、青緑に輝くラメ入りレースは、さながらミヤマカラスアゲハの鱗紛のように煌いていた。
 彼女のスタイルのよさもあってか、失礼ながら他の女子生徒とは段違いに似合っている。コスプレ喫茶やらメイド喫茶やらには言ったことが無いが、多分それ以上のものを堪能したような、そんな気分である。
「お、お気に召していただけましたでしょうか!? あ、あの、わたしが原案や企画を、考えたんです」
 聞くところによると、彼女はクラスの文化祭実行委員に選ばれたそうだ。クラスの役と言うものはほぼ全員が均等に分担されたりするので特に珍しいことではないが、責任感の強い彼女のことだ、きっとこの文化祭を成功させようと一人頑張ったのだろう。
 ただ、自分ひとりでは中々良い案が浮かばない。そこでひょんなことから知り合いになったある人から様々なアドバイスを頂き、そしてクラスで行う文化祭の内容が決定したのだ。
 クラスで発表することになった、文化祭の内容。それは――


『インセクト ワールド  ~昆虫達の知られざる世界にようこそ~』
 ・市内に住む昆虫を一挙展示します。
 ・世界の珍しい昆虫と驚きの生態系。
 ・必見! 実践! お手軽昆虫採集方法。
 ・不思議な世界を我々クラスの昆虫達がおもてなし致します。
 ・ドリンク、お食事コーナーもあるよ。


 来客用玄関に置いてあったパンフレットに書かれていた、妹のクラスの出し物。それが上記のような内容であり、興味を持った一文でもあった。
 幼少時から昆虫について詳しく、自称昆虫博士を名乗っていたこともある俺だが、それは知識だけではなく採集についてもその腕は衰えていない。
 ゴールデンウィークや夏休みなど、親戚一同が集まる田舎では、俺が一番の捕獲者であり、子供達の信頼を一身に受けていたりもする。
 そんな俺が、昆虫の内容を調べ上げたこの企画に参加しないわけには行かないだろう。だからイの一番に来ることにしたんだ。妹のクラスだって言う理由は二の次さ。
「ああ、個人的にはかなり面白そうな内容だと思うよ」
 これは掛け値なしに本当にそう思っている。女の子の姿ばかりが目につくが、しかし展示されている昆虫や模造紙にかかれた内容は硬派なものばかりである。
 特にベッコウトンボの生態系について書かれた記事は秀逸だったな。絶滅危惧指定第Ⅰ種に認定されているにもかかわらず、この地域にもいるなんて思ってもみなかったよ。
「はい、ありがとうございます。それはわたしが書いたんです。思いが伝わって嬉しいです」
 ニコッとはにかむミヨキチ。頬が少し紅いのは照れているのだろう。
「他にも記事があるんだろう? どれを書いたか読ませてくれないか? あと、この辺で取れた昆虫ってのがどんなものかも気になるな」
「はい、ではこちらに」
 青いラメを散りばめた黒いグローブを彼方の方へと向け、俺はミヨキチと二人一緒に歩いていった。
 そう言えば妹はどこに行ったんだろう?

 カーテンで縦横無尽に仕切られたスペースには、様々な昆虫についての記事が掲載され、たまにその例として標本があったり、時には本物の昆虫を配置してあったり、あるいはクラフトで作られたモデルがあったり……どれも秀逸なものばかりであった。
 単なるお祭り騒ぎのためだけに面白おかしく出し物をするクラスや、異様に堅苦しい内容で全く誰も入ってこないクラスとは訳が違う。正真正銘、内容だけで勝負。面白くもあり為にもなる。
 俺たちの高校も見習わないといけないな、これこそ文化祭といっても過言じゃないだろう。
 惜しくらむは女子生徒の客寄せめいたあの格好か。あれが無ければ完璧といってもいいだろう。
「その……この格好については、これくらいアピールした方が良いって言われて……恥ずかしいけど、自信を持ってやれば大丈夫だって」
 とはミヨキチの弁である。確かにそのとおりだが、ちょっとやりすぎじゃないのか? よく先生が許してくれたよな。とは言え、個人的には大賛成な格好ではある。いっておくがロリコンではない。本当だ。
「ロリっぽいより、お姉系の方がよかったのかしら……メモメモっと」
 何か言ったか?
「い、いえ! 何も!」
 パタンと手帳のようなものを閉じ、妙に慌てた声を出すミヨキチ。
「そ、それより次に参りましょう! 実はこれが一番の自慢なんです」
 ほほう、そこまで言うからには、何か特別なものなんだろうな。滅多に見られない昆虫とか、あるいは大使館から借りた昆虫標本とか。
 俺の予想にミヨキチは「ふふふ」と笑いつつ、「もっと凄いものです。楽しみにして下さい。さ、こちらにどうぞ」と言って教室の窓側の席まで案内された。
「色々見て回ってお疲れでしょうから、お飲み物とちょっとした軽食をご用意致しますね」
 ああ、と思い出す。そう言えばパンフレットにそんなものもあるって書いてあったよな。中々サービスの良いことだ。そう言えばお腹もすいてきたことだし、何かつまんでいくのも良いかもしれない。
 俺はミヨキチに美味しいやつを頼むよと言った後、低めの椅子とこれまた低めの机に腰掛けて料理が来るのを待っていた。


 しかし、ここに最大の罠が待っていた。
 クラスの出し物に満足していた俺は、すっかり失念していた。
 ここへ来た当初、二人の男子学生が異様な赴きでこの教室から去っていったことを。
 何故、あんな顔でこの場を去ったのか。今のところ問題の無いと思われるこのクラスの出し物に、何故あの二人は避けるよう出て行ったのか。
 その理由は、この数分後に明らかとなった。


 そして待つこと数分。
「お待たせいたしましたー」
 ミヨキチが運んできたお盆からは、香ばしい香りで溢れかえっていた。この香りからして、パイか何かだろう。なるほど、小腹が空いた時にはちょうど良い食べ物だ。ナイスチョイスだぜ、ミヨキチ。
 カチャ、カチャ、と音を立ててお皿とスプーン、そしてフォークが並んでいく。
「すみません、遅くなりまして。でもどうしても焼き立てを食べて欲しかったので」
 こう言う気遣い、最高だね。俺の周りには迷惑をかける女しかいないから、こういった子が一人でもいてくれるとホント助かるぜ(朝比奈さんもドジッ子属性さえ克服すればな……)。
「お上手ですね。でもあまり量が無いからたくさんあげられませんよ」
 意地悪っぽく舌を出して言う。
「さあ、召し上がれ」
 ああ、ではいただき……


「!!!」


 ――俺の視界が、一瞬ダークアウトした。
 目を擦って、パチクリパチクリして、もう一度ソレを見直す。
 ……きっと見間違いだ。寝不足だったから何か見間違えたに違いない。もう一度見れば、そんなこと……
「!!!」
 ……やっぱり見間違いじゃねえ。
「あ、あああああ、あああ、あああ……」
「大好物だと聞いたので、腕によりをかけてみました」
 屈託の無い笑顔で話し掛けるミヨキチに、俺は
「ああああ、あああ、ああの、あああのあのあの……こ、ここ、ここれれれれ、これはははは……?」
 ろれつは回らなかった。回るはずもない。
 そんな俺の動揺を余所に、ミヨキチは平然と答えた。


「蜂の子入りハニーティーと、近くで採れた新鮮昆虫達のパイ包み焼きです」



――紅茶にはミツバチが採取した蜜と、その子供達を一緒にブレンドしてみました。甘い中にも濃厚な味が楽しめますよ。パイ包み焼きのほうはイナゴやザザムシのほかに、セミや蜘蛛を軽く上げて一緒に焼いてみました!――
――昆虫を調べていくうちに、世界の至る所で昆虫を食べる習慣があることがわかったんです。そういえばわたしのおばあちゃんの家でも、イナゴを佃煮にしたりはちのこご飯にして食べたりしていましたしね――
――それで、自分でもやってみようと思いました。調べたところ、昆虫料理って揚げ物が多いんですよね。日本じゃ佃煮が多いですけど。だから甘い食べ物に応用できないか、今チャレンジ中なんです――
――蛾の幼虫をすりつぶしてケーキの生地にしたり、アリを混ぜこんだクッキーを作ったりしてますけど、今ひとつで。でももう少しで上手くいきそうなんです! あ、でも蜘蛛がチョコレートの味がするって言うの、あれ嘘ですから気をつけてくださいね――


 チーン。
「ミヨちゃーん、焼けたよー」
「ありがとう。……はい、これもどうぞ。オーストラリアから送ってもらった、ウィッチェティ・クラブです。トロリとしていて美味しいんですよ」
 妹が持ってきた皿を受け取り俺の皿へと盛り付けたそれは、自分の親指よりも大きくこんがりと焼きあがった芋虫さん。

「…………」
 ……すまん、とりあえず放心させてもらえないだろうか。
 本気で何もコメントできん。
 唯一つ言うとしたならば……蜘蛛は昆虫じゃないぞ、ミヨキチ。


「あの……どうかしましたか?」
 俺がどのくらい現実逃避していたのかは、今の時間軸にして一体どのくらいの数値を取るのかははなはだ疑問であるが、それでもミヨキチが心配そうな声をかけてくる辺りかなり長い時間放心していたに違いない。
 っていうか当たり前だ。食えるかこんなもん。いくら健康に被害が無いからといっても、いくら栄養にいいからといっても、人間の食べるべきものじゃないぞこれは!
 などといえるはずも無い。相手はミヨキチだ。これが橘とかだったならば速攻でお皿をひっくり返して奴の口に押し込めることも厭わないのだが、さすがにミヨキチ相手にそんなことができるはずも無い。
 こういった状況を幾度となく乗り越えてきた俺だ。今回だって何かしら解決方法があるはずだ。何とかして探し出さす。
 ……そうだ、こういうのはどうだ?
「……ああ、食べたいのは山々なんだが、実は今朝、手を寝違えたらしくてな。ナイフとかフォークとか、上手く使いこなせない状態なんだ。すまん」
 速攻で思いついた、しかしもっともらしい嘘を言い放つ。こう言うときに回転する脳は異常に早いんだ俺は。これで当座の危機は回避でき――
「あ、あのっ!」
 突如、ミヨキチが顔を真っ赤にさせて俺に問い掛けた。
「その……もし、ご迷惑でなければ……わ、わた、わたた、わたしが……食べさせてあげます!」
 ……な!!
「あのその、む、無理をしてはいけないと思います! だ、だだ、だからわたしが……お手をお貸ししますので!! ダメ……で、しょうか……?」
 良くは解らないがありったけの勇気を振り絞って発言したと思われるミヨキチの言葉に俺は
「あ……あはは……ははは……そりゃあ……嬉しいねぇ……」
 と返すのが精一杯だった。

「すまん、一つ聞かせてくれ」
「何でしょうか?」
「誰にこんなゲテモ……昆虫料理を学んだんだ?」
「誰というか、基本的に独学で学びましたけど……あ、でも、昆虫で文化祭のイベントをやってみたらというアドバイスは受けました」
 それはもしかして、さっきアドバイスがどうたらこうたらと言ってた奴と同じなのか?
「ええ、はい。とても参考になりました」
 俺も参考までに聞きたいのだが、そいつの名前は何というのかな……?
「……あ」と声を上げたミヨキチは一言。
「そう言えば、名前をまだ聞いていませんでした」
 …………おーい。
「でも、以前夏休みの進路相談会に来た、栗色の髪を二つに束ねた人です」
 …………。
「どうしました?」

 …………ふふふ、そうですかそうですか。全ての元凶はあやつでしたか。
 ひしひしと湧いてくる闘志に、俺は目的を見いだした。
「ちょっと用事を思い出した、これから「それより、食べていってください、この紅茶とパイ、そして芋虫さんを」」
「い……」

 いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!



 その後の記憶は定かではない。
 ミヨキチに『はい、あーん』等という甘い言葉をかけてもらったことは頭の片隅に残ってはいるのだが、その後口に何かが押し込められた後の記憶を呼び覚まそうとしても全身全霊に渡ってそれが拒否されてしまう。
 残っているのは、ミヨキチの満足そうな顔と、綺麗さっぱり食べ尽くした、空の皿のみである。体が拒否しているのにもかかわらず、あの皿にあった料理を全て食べてしまったことに、我ながら賞賛を送りたい。
 ただ、決して不味くなかったことだけは付け加えておこうと思う。記憶が定かでないのは先に行ったとおりであるが、もし不味いのであれば今頃戻してのけぞり回っているはずである。汚い話で申し訳ない。
 なるほど、今頃になってあの男子学生二人があんな対応をしたのか解ったような気がしたよ。全く以て俺も同じ気分だ。
 料理としてはかなり上玉なのだが……人間として間違っている。そんな気分に陥っていたのだろう、あいつらもな。
 ガラガラガラ。
 虚ろな目を宿したまま、このクラスを後にした俺を見て、今だ行列を作っている男子学生はどう思ったかね。
『やっぱり、やめようかな』『俺は何とか耐えてみせる』『沢山食べて彼女のハートをつかみ取ってやる』
 色々思うところはあると思うのだが、君たちは若いんだ。一過性の下心に惑わされて、今から希望という目をつみ取ってしまうのはそれ程年が離れていない俺から見ても実に忍びない。
 悪いことは言わない。帰った方がいいぞ。
 だがそんなことを言う気力も無くとぼとぼと廊下を後にして………
『……あ』
 そいつと、出会った。



「ついにきてしまいました……」
 結局昨日の夜は眠ることができませんでした。ウトウトし始めても、悪夢が……虫さんがあたしの顔を這いまわって……うう、思い出しただけで寒気が……
 目元はパッチリとしたクマ模様。アイシャドウする必要が無いわね……って、場所が違うわよ。
「はあ……」
 ごめんなさい、寒いですね。でも別のことでも考えないとやってられません。
 せめて素揚げは勘弁してください。形がそのまま残っているのはさすがに拒否反応が……
「たーちーばーなー」
 突如。後ろから声をかけられました。
「……キョンくんでしたか……こんにちは……」
 あたしの思いっきりブルーな様子をどう思ったのか、一瞬いぶかしげな表情をしたキョンくんですが、しかし
「お前、ミヨキチになんて事を……」
 ああ、どうやらあたしより先に餌食になったみたいですね。ご愁傷様でした。あたしも後を追いますからあまり気にしないで下さい。
 ……そうは言っても怒りが収まらないでしょうね。仕方ありません。これを差し上げましょう。
 あたしはふところからソレを取り出し、キョンくんに手渡しました。
「…………? どういう意味だ?」
「どうぞ。これで思いっきりやっちゃてください」
 今回ばかりはあたしの失態です。不手際です。誤算です。思いっきり反省しています。許してくれとは言いませんが、せめて今こみ上げてくる怒りをソレで静めてもらえればこれ幸いでございます。
「ほほう……それはそれは、殊勝な心がけだ」
 ありがたきお言葉でございます。
「お前がそんなに言うなら思いっきりやってやるのもやぶさかではないんだが……本当にいいんだな?」
 気が済むまで、やっちゃってください。
「よーし、それじゃあ遠慮なく……」
 キョンくんの言葉に、あたしはひざまついて手を合わせ、神に祈りながら……


 スパコーン!!!


「へぐぅ!」
 あたしが用意してきた特大ハリセンを大きく振りかぶり、そしてが清清しいまでの音を響かせました。


「少しは反省しているみたいだから森さんに報告することだけは止めてやる。ありがたいと思え。ふんっ」
 ハリセンを放り投げ、地面にへばりこんでいるあたしにそういい残した後、キョンくんはそのまま歩き去りました。
 ……キョンくんにしては寛大なお裁きだとは思いますが、ちょっと痛ひ……
「あ、こんなところにいらっしゃったんですか、おきてください]
「……へ?」
 これまた突如声をかけられたその先には、なんだかいやらしいコスプレをしているミヨキチちゃん。
 彼女は突然駆け出しこちらに近づいて「ありがとうございました!」と、普段見せないような満面の笑みを見せてくださいました。
「おかげさまで大成功です! 喜んで食べてくれました!」
 ……喜んで、じゃなくて引きつって、の間違いだと思います。
「それに、今度の日曜から毎週昆虫の講義をするから必ず来なさいって誘われまして……凄くうれしいです!」
 ……なるほど、間違った知識を修正するわけね。キョンくん、ホント迷惑ばかりかけてごめんなさい。
「本当にありがとうございました! お礼に先ほど出来上がったばかりの昆虫料理をふるまいますね」
 え゛。
「たくさん召し上がってください!」
「い……」

 いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!



 その後のことをお話したいと思います。
 ミヨキチちゃんが用意してくださった料理は……正直、美味しかったと思います。
 でも、見た目とのギャップがあまりにも酷いため、意識下のストレスが等比級数的に上昇し始め、そしてついにはその時の記憶すらもなくしてしまいました。
 あたしが記憶を取り戻したのは、皿に盛られた昆虫料理が全て消えてしまった後でした。
 卒倒したあたしを見て即座に料理を片付けたのか、それとも無意識に全て食べてしまったのかは定かではありませんが、しかしこれでなんとかこの場を乗り切ることができました。
 帰り際に、唇についていたコオロギの足を見て再びブルーになりましたけど。

 ふらふらとした足取りで教室を後にしたあたしは、再び懐から例のメモ帳を手に取り……そして新たな文章を書き込みました。


 吉村美代子に関する調査報告書 まとめ

 彼女の能力:プライスレス



 実りの秋とは言いますが、今年は何の実りも無い秋でした。
 中学校を背にしたあたしはふうと溜息を一つついたあと、ミヨキチちゃんの将来を心配してしまいました。
 このあたしを驚愕させるなんて、中々できるもんじゃありません。『機関』の一員になったら、間違いなく強敵となるでしょう。
 だからと言って、今のうちに懐柔する気にはなれないんですが。少なくとも今は。
 もしかしたら、森さんあたりでも逃げ出すかもしれませんね。

 それと今回の一件で、自分も色々反省しなきゃいけないって気付きました。
 井の中の蛙といいところでした。自分より上の存在がこんなにも身近にいるなんて。もっと精進しなきゃダメね。
 もっと修行を重ねましょう。少なくとも今回の彼女を上回るように。
 あたしはふんっと鼻息を荒くして、とりあえず前回頓挫した修行を克服しようと気合を入れました。
 前回挫折した修行、それは……


「甘口イチゴスパと甘口メロンパン風スパ、今度こそ完食してみせます!」


おわり。



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