ふう……
 はあ…………
 へぇぇぇぇ…………


 ……あ、どうも。
 みなさんこんにちは。橘京子です。皆さんお元気していたでしょうか?
 あたしは……ふはぁ……体力的には元気ですが……その、メンタルな部分が……ふうう…………
 あたしだって溜息の一つや二つつきたくなるときだってあります。こう見えても繊細なんですから。
 だれですか、今……いいえ、何でもないです。言い返す気にもなりません。
 あたしがこんなにもナイーブな理由は、吉村美代子さん――通称『ミヨキチ』ちゃんがとっても……いえ。
 人のせいにするのはよくないことですが……でもあたしのせいってわけじゃ……彼女は確かに素晴らしいんですが……ううううう……


 見ての通り、今日のあたしはあんまりまともな応対が出来ません。だからあたしのミヨキチちゃんとのいきさつについては、あたしがつけている日記から察していただけるとこの上なく嬉しいです。
 ここに置いておきますから、勝手にご覧になってください。
 あたしは先に寝かしてもらいます。明日の文化祭を乗り切るために、たっぷりと休養を取る必要があるのです。……本当はイヤなんだけど。
 はぁぁ……よいしょっと。
 パタン。
 今日の日記を書き終えたあたしは、日記帳を閉じ、セミダブルのベッドへと潜り込みました。
 日干ししたばかりの爽やかなお布団が体を包み込みますが、あたしの心は晴れません。それどころか、ジメジメした気持ちでいっぱいです。


 あたしは涙混じりに呟きました。
 神様仏様佐々木様。
 橘京子、一生のお願いがあります。
 明日、あたしを守ってください。お願いしますお願いします……



 9月△日  天気:晴れ

 明日は初めてミヨキチちゃんに特訓をつける日です。
 あたしのことを尊敬してくれるだけでこの子はいい子だとわかります。
 だからあたしも精一杯教え込むつもりです。もちろん『組織』の一諜報員として活動できるように、です。
 ……え? 当初と目的が違う? チッチッチ。甘い甘い。このあたしがタダで彼女の恋愛のお助けをすると思ってんですか? そんなわけありません。
 彼女には『組織』に加わる素質があります。例え能力が無くとも、キョンくんに程近い人間が、観測要員となってくれれば今後の活動も助かります。言わば部外協力者ですね。
 素直でいい子ですし、教育してあげれば立派な諜報員として活躍してくれるに違いありません。
 そしてその功績が認められ、あたしは幹部に返り咲き、そしてパパ……もとい、身勝手なボスを引き摺り下ろしてあたしがトップとなることも可能じゃありません!
 ふふふふ、見てなさい、あたしを馬鹿にした皆さん! あたしを見下したことを心の底から後悔させてあげるわ!


 ※※※※※※


「おはようございますっ! 今日は宜しくお願い致します!」
 日が開けて間もない時間にもかかわらず、ミヨキチちゃんの元気な声が響き渡りました。鮮やかな水色のスウェット姿が若々しさを存分に押し出しています。
 ちゃんと動きやすい格好をしてきましたわね。あたしの言いつけどおりに。
 彼女と邂逅を果たした次の週の休み――夏休み明けの初めての休日ですね――に、あたしはミヨキチちゃんを中学校近くの公園に呼び出しました。
 本日の目的。それは彼女を鍛えることです。
「ええ、それじゃあ宜しくね。今日から早速特訓を始めるわ。まず最初に基礎体力をつけましょう」
「基礎体力……ですか?」
 ミヨキチちゃんはいぶかしげな顔をします。まあ当然ですね。だからあたしは準備していた答えを返してやりました。
「いいこと? あなたがすべきことは沢山あるわ。文化祭の仕事もそうだし、恋の成就とだってしなきゃいけない。学業や部活動、委員会活動その他諸々……これらを全てこなすには、今の体力じゃ道半ば、いいえ、3部3厘くらいで精根尽き果ててしまうわ」
「本当ですか!? そんなに大変なんですか?」
「ええ、あたしの長年のカンがそう語ってるんだから間違いないわ。それともあたしの意見にケチをつける気?」
「い、いいえ、そんなつもりはありません……ごめんなさい」
 ふふふ、やっぱり世間知らずというか、素直な子ね。あたしの口からのでまかせを鵜呑みにしているんだから。
「わかればいいのよ」
 あたしは寛容に許してやりました。こうすることであたしのビッグさ加減をミヨキチちゃんに知らしめることができるのです。どうですかこの計算高さ。あたしだってこれくらいの策略はできるのよ。
 組織の中では、美濃の蝮や出羽の驍将にも劣らぬ知将として名を馳せているんです。
 ……そう、あの時の誘拐もまた。
 あれは敢えてしてやったんですからね。未来人に対する充てつけとして踊らされてやってあげたのです。失敗することが成功だったんです。お願い信じてください。嘘じゃないですから。……何よ、その使用してない目は。
 それはともかくとして、
「つまりね、蛇の道は蛇、魚心あれば水心、ってことよ。何をするにあたっても、それを保持する体力がなきゃどうしようもないからね。そのための体力トレーニングよ」
 基礎体力をつけることはとても重要、有りすぎるに超したことはないのです。というか体力つけないとハロゲンヒーター並に発熱するあの二人についていけないですからね。
「そのためには、走り込んで体力をばんばかつけるのが一番です。ほら、どこぞのコーチだって走りこみが重要だって言ってたじゃない。故障率だってグッと下がるし。俊敏性がなくなるのがタマに傷だけど」
「あのー、何の話ですか?」
 ううむ、さすがに分からないか。なるほど、『メモその1 吉村美代子はゲーマーじゃない』っと……よし。
「ま、そういうことだから今からランニング開始よ」
「あ、はい。わかりました。頑張ります」
 もちろんあなただけにつらい思いはさせないわ。あたしも頑張るから!
「え? 一緒に走るんですか?」
「ええ、あったりまえじゃない! 今のあなたを見てあたしも燃えてきたんだから!」
 そうなのです。彼女の真摯たる想いと若さ溢れるガッツに、あたしの中で燻っていた生命の息吹が復活したのです。色々と闘志が湧いてきました。
 それに最近体力トレーニング怠けちゃって、色々とやばいことになってますからね。たまには正攻法で無駄な贅肉を落とすことも必要だと思います。簡単な方法でダイエットすると、そのツケが回ってきますからね。これは前回で十分反省しました。
「言っとくけど、あたしは体力に自信あるから。あなたが遅れてきたら容赦なく置いていきますからね。よーし、レッツゴー!」
「あ、待って下さい!」
 ミヨキチちゃんの反応も聞かず、あたしは3割の余力を残して走り出しました。
 ふふふ……ここであたしの足の速さを見せつけて、一気に尊敬させてやるのです。ミヨキチちゃん、よーく見ておきなさい、これが『組織』の大幹部、『韋駄天のお京』と言われた、橘京子の実力です!
 『組織の大患部』なんて言った人たちを見返してやるのです!


 ………
 ……
 …


「あ、あの……大丈夫……ですか?」
「ぜーっ……はーっ……」
「そこそこ速いペースだったけど、なんとかついていけるペースだったので、追いついたんです」
「はーっ……ぜーっ……」
「そしたら突然全速力みたいなペース走り出したんで、凄く速いなあって感心してたら……」
「ぜーっ……はーっ……」
「突然ふらふらしだして、倒れちゃって。びっくりしました」
「ぐはーっ……はひーっ……」
「少し……休んだ方が良いですよね?」
「……ふはーっ……み、ミヨキチ……ちゃん……」
「なんでしょう?」
「あなた……は……大丈……夫……なの……?」
「あ、はい。このペースならそんなにきつくないです。さすがにハーフマラソンを一時間切る速度で走ると少し息が切れますけど……それでも失速するってほどじゃないですね」
 そ、それ……早すぎ……ってか世界記録以上のペース……
「でも、仰るとおりだと思うんです。もっと体力つけないと、これから先やっていけませんよね?」
 パミール高原でブートキャンプしたり、プエルトリコ海溝で加圧トレーニングでもしない限り、そんな必要ありません。
「そうですか……ちょっと残念。やってみたかったな」
 やってみたいんかい!?
「どうですか、ご一緒に」
 絶対ヤです。


 ※※※※※※


 9月▲日  天気:快晴

 ミヨキチちゃんは恐ろしいくらいタフなガールでした。
 その後もあたしより重いバーベルでベンチプレスを軽々こなしたり、あたしが持ち上げることのできない鉄球をいとも簡単に投げ飛ばしたり、あたしの2倍近くの高さをジャンプしたり……
 見た目か弱く、そしてか細い彼女からは微塵たりとも想像できない、驚異的な身体能力でした。
 あたしだって組織で色々鍛えていましたから、普通の人並み以上の体力を持っている自覚とプライドはあったのですが、今回の件でそれがものの見事に崩れ去りました。
 ていうか人間業じゃありませんよ、いくらなんでも。
 吉村美代子。
 彼女は相当の体力バカだってことが判明しました。

 ただ一つ、疑問が。
 これだけの体力を持っているなら、学校でも相当噂になってるだろうし、どうして誰も見向きもしないのかしら?
 そう思ってミヨキチちゃんに聞いてみました。すると本人曰く、学校の体力テストや運動会だと緊張しちゃって思うように体が動かせないらしいです。
 それ故、学校の体育の成績は平均程度で収まっているそうです。
 彼女が嘘付いているとは思えませんし、本当なのかも知れません。ですが、あの馬鹿力を見せつけられたら何となくこう思ってしまいます。

 ただブリッ子しているだけじゃないのか、と。


 本日のまとめ
 吉村美代子の体力テスト結果:馬並み

 ……決して他意はありません。



 9月◇日  天気:晴れ

 あたしは方針を変えることにしました。体力作りは止めます。
 このままこの子のペースで突っ走ってたらあたし死んじゃう。間違いない。
 だから明日は公園ではなく最近あたしがよく使う喫茶店へと呼び出し、別のことを教育する予定です。
 こっちならあたしの優位性を保てるわ……


 ※※※※※※


「あの、今日は体力作りしないんですか?」
「あなたの体力はよーくわかったわ。正直言って、あたしから教えることは何もないの」
「でも……まだ走り足りなくて。それにもっと体力つけた方が良いような気がするんですが」
 あれでまだ足りないと仰りやがりますかあなたは。
「これ以上体力つけてマッチョのガチムチにでもなる気ですか? そんなコトしたらキョンくんだって引きますよ」
「う……そ、それは困ります……」
 なるほどなるほど……『メモその2 吉村美代子はガチムチには興味なし』っと……
「あの? 何をメモっているんですか?」
「いえいえ、気にしないで。とにかく、今日は他の能力を鍛えることにしましょう」
「他の能力?」
「そう」コホンと咳払いを入れ、「ではここで問題です。人間にはあって他の動物にはない能力。何だと思いますか?」
「えーっと、喋ることとか、道具を使うこととか……」
「そうね。でもそれらは全てある能力を使って行使されているの。分かる?」
「うーん……頭を使うってことですか?」
「そう、その通り。頭を使って考えること。つまり知力ですね。人間は他の動物と比べて著しく高いです。いくら体力があってもそれだけでは獣たちと何ら変わりありません。その体力を有効に使う知力があってこそ全てが有意義に利用できると言うわけです」
「な、なるほど……」
 神妙な赴きで何度も頷くミヨキチちゃん。聞き分けがよい子は大好きです。
「ところでミヨキチちゃん、学校の成績はどれくらいなの?」
「えーと……」彼女はやや顔を俯き加減で「……そんなに良くない方です」
 ふっ、やっぱり。そんなことだと思ったわよ。
「学校の勉強は重要よ。体力作りも重要だけど、基礎学力もちゃんと身につけましょう」
「基礎学力……ですか?」
「ええ」とあたし。この前と同じような、少し訝しげな表情です。もちろん返す言葉も考えています。
「ミヨキチちゃん、学校の宿題とかちゃんと片づけた?」
「いえ、まだ」
「だめじゃない。ちゃんとやらなきゃ」
「で、でも。今朝やろうとしたらいきなり呼び出しがあったので……」
「言い訳しない。そもそも昨日出た宿題を、休日中にやろうというのがいけないのよ。当日出た宿題は当日中にやっちゃうの。そうすれば休日も有効活用できるじゃない!」
「あ……なるほど……そのとおりです。たしかにわたしがうかつでした」
 ハッと顔を上げ、そして反省の弁を語りました。ホント、愚直すぎるくらい素直な子ね。
 口からでまかせをすんなり信じるなんて。あたしなんか昨日出された宿題、全然分かんないから『組織』の人間にやらせ……なんでもないです。
「そうね……まずは宿題を片付けちゃいましょう。それが基礎学力向上の大いなる一歩ね。あたしも手伝うわ」
「はい、ありがとうございます! お勉強のことよろしくお願いします!」
 あたしは『ふーっ』と溜息をつきました。何とか言いくるめられたわ。これでフルマラソンを全力疾走しそうなこの子の呪縛から解放されそうね。
 体力ではこの子に勝てそうにありませんが、知力なら勝てるでしょう。所詮は中学一年生ですしね。
 ……念のために言っておきますが、あたしは決してアホの子じゃありません。高校では成績上位なのです。嘘じゃないです本当です。
 そのあたしが中学校レベルの問題に苦慮するはずがありません。今からそれを証明して差し上げますので、目ん玉かっぽじってよーく見て下さい!
「あ、そうだ」とミヨキチちゃん。何かを思いついたかのように手を叩きました。「どうしたの?」
「学校の宿題はともかく、塾で教わっている宿題があるんですけど、難しくて全然分からないんです。できればその問題の解法を教えて頂きたいんです」
 ふーん、塾に行ってるの。真面目と言えば真面目ね。それとも親が行かせているのかしら? 受験とかのために。遊びたい年頃なのに大変よね。あたしは『組織』の計らいで高校・大学オールパスなんです。勉強しなくても。
 だからと言って、決して勉強ができないわけじゃないんですよ。勘違いしないで下さい。いいですね。わかりましたか。
 ……たく、最近あたしに対する偏見がひどいので、修正するにも苦労するんですよ、ホント。
「わかったわ。見せて頂戴」
 ミヨキチちゃんは丁寧に『はい』と答えた後、自前のバッグからテキストを取り出し、パラパラとめくり始めました。テキストは製本しておらず、ホチキスで留めてあるだけの、先生が急ごしらえで作ったような簡易的なものでした。
 黄緑の表紙にワープロ文字で『実践数学』と書いていますが、フォントのセンスの無さが所詮中学生レベルであることを物語っています。楽勝です。
 何故こんなモノを持ち歩いているのでしょうか……なんてツッコミはしません。人間いつも持ち歩いていたいものの一つや二つ、ありますからね。
「……と、あった。これです、この問題。これがどうしても分からなくて」
「ふーん、どれどれ。お姉さんに見せてご覧なさい」
 所詮はは中学生の問題、難しいと行ってもたかが知れてます。これを解いてインテリジェンスなあたしを見せつけてやります!
「えー、『問題 その1……』」


 ――A=(a1,a2,……,an)がn次ユニタリ行列の時、全てのx∈Cnに対し……――


「……へあぁ!?」
 思わず素っ頓狂な声をあげてしまいました。
 でもこんなの見たら誰だってそう思うでしょう!? 見たことも聞いたこともない記号や言葉がズラッと並んでいるんですから。何を言ってるのかさーっぱりわかりません!
「どうですか? 問題の意図が分からないと思いませんか? エルミートの場合ならば比較的簡単なんですが……」
 え、えるみーと!? どこの肉ですかそれ!?
「ふふふ、面白い冗談ですね」
 あのー、あたしは本気で言ったんですが……
「それより、今度の授業までに解答しないといけないんで、よろしくお願いしますね。……あ、そうだ。他にもあったんです。分からない問題。えーと……」
 更に黄色とピンクの表紙の問題集を出して、
「ハロゲン化アルキルの分鎖によるEN2反応速度の違いと、井戸型ポテンシャル内におけるπ結合電子の基底状態エネルギーの算出方法もお願いします。あ、そうそう。第3項以降は無視しても構わないそうです」
 知りませんよそんなのぉぉぉ! それ中学校で習う問題じゃないわ!!
「わたし、理系があまり強くなくて、こうやって塾に入って勉強してるんですが、出来が悪くて。みんなはちゃんとできてるんですけど」
 出来が良いとか悪いとかのレベルじゃないと思います。
「一つ聞いても良いかしら? ミヨキチちゃん」
「はい?」
 その塾……あなたと同い年の人、いないでしょ。
「良くわかりましたね、その通りなんです。みんなご年配の人たちばかりで、しかも女性の方がいなくてちょっと怖いんです。でも優しい人が多いんで、最近は慣れました」
 ああ、そうですか。そりゃよかったわね……


 ※※※※※※


 9月◆日  天気:晴れ時々曇り

 後から聞いた話ですが、彼女、中学校のテキストである疑問点があって、質問をしに先生のところへ行ったそうです。
 先生はその疑問点に答えてくれたそうですが、その解答に再び疑問が浮かび、先生がそれに対して解答をして、そしたら再び……
 ってな具合なやり取りをした挙げ句、先生が『君はここで勉強するといい』と言って教えてくれたのがその塾……ていうか、大学理学部のゼミだったそうです。
 彼女の鋭い質問に教授や助手の人たちは先見の明を見たらしく、喜々として彼女に様々な知識を教え込んだのです。彼女の方も喜び勇みでそれをどんどん吸収して……
 はい、もうお分かりですね。
 この子……吉村美代子さんは、類い希なる才能を秘めた神童、麒麟児だったのです。その才能はニ○ータ○プもコー○ィ○ーターをも上回るでしょう。湯○准教授やラ○ス元国務長官だってしっぽ巻いて逃げ出すに違い有りません。
 決して間違っていることをしたわけじゃないんですが、健全な青少年に対する教育とは一線を画していると思われるのはあたしの気のせいでしょうか? なんかこう、やりきれない気持ちでいっぱいになってきます。
 ああ、因みにミヨキチちゃんから聞かれた意味不明の問題は、これくらいできないようじゃあなたもまだまだねと言って誤魔化しておきました。
 それに対して、彼女は『そうですよね……わたし、まだまだですよね……』と自分の不出来を嘆いていましたが、世間一般的にはむしろ逆ですんでそこんところ勘違いしないでください。お願いします。
 いい子なんだけどどこか少しずれてますね……
 なお、これだけの知識がありながらも学校の成績が良くない理由は、引っ込み思案な性格による消極的な授業参加とテスト時における過度の緊張によって引き起こされる単純ミスが響いての事だそうです。
 ……本当かしら?


 本日のまとめ
 吉村美代子の知力:面白い。実に面白い。

 ……はいはい、どうせ時事ネタですよ。しかも微妙に古いとかツッコまないで下さい!



 10月☆日  天気:曇り

 先日、ミヨキチちゃんに数字の載っていない数学の問題集等を見せられ、あたしの頭はヨーグルトに黒ごまをすりつぶして入れたみたいにグッチャグチャになってしまいました。
 このままこの子のペースに巻き込まれたらいけないと思ったあたしは、再び河岸を変えることにしました。
 彼女の性格を、改心させようと。


 ※※※※※※


 繁華街にほど近い、大手ファミリーレストランの一店舗。本日はここに呼び出しました。その理由はあとからお話しします。
 中に入ると、いつもはあたしよりも早く席に座っているミヨキチちゃんの姿はありませんでした。
「遅刻かしら?」
 そう思って携帯電話を手にし、彼女に連絡取ろうとしたのですが……
「繋がらない……」
 まさかミヨキチちゃんまであたしを着拒? そ、そんなぁ……
 そう思ってオロオロしていた矢先。
 ゴチン。
 入り口の方から結構すごい音が聞こえてきました。
「いたたた……。お、遅れて申し訳ありません」
 額を押さえてやってきたのはなんとミヨキチちゃん。
「よ、よかったぁ……」
「え? 何のことですか?」
 いえいえ、気にしないでください。内心の動揺を何とか抑えて彼女に話題を振ってみます。
「こんにちわミヨキチちゃん。あたしも今来たところだし、気にしなくていいわ。でもめずらしいわね、あなたが遅刻するなんて。しかも自動ドアに頭をぶつけるほど急いで。何かあったの?」
「い、いえ……別に……」
 そう言ったものの、ミヨキチちゃんの目はあからさまに泳いでました。「正直に言って。怒らないから」
 色々とアンバランスな要素はあるものの、真面目一本槍のこの子を惑わすものが存在するなんて。非常に興味深いわ。
「えーと、その……絶対に言わないでくださいね」
 ややもじもじしながらも彼女は詳細を教えてくれました。
 実は本日、とある映画の初日舞台挨拶チケット販売日だったそうです。どうしてもその映画を見たかった彼女は家の電話と携帯電話、そしてパソコンに張り付いて販売時間に一斉にアクセスしたのですが、どこも中々繋がらない。
 そうこうしているうちにあたしとの待ち合わせ時間も近づいてきた。このままでは遅刻してしまう。仕方なく携帯電話をつないだまま待ち合わせ場所のファミレスまで向かいました。 もし時間までに繋がらなかったら諦めようとまで思いこんで。
 しかし、神様は見捨てていませんでした。ファミレスまであと少しと言うところで電話が繋がったんです。急いで必要事項を伝え、所望のチケットを手に入れることが出来たものの、電話を切ると待ち合わせ時間は既に過ぎていた。
 だから慌ててファミリーレストランに入り……自動ドアに頭をぶつけたそうです。
「うーん、ちょっとしたドジッ子ね……」
「すみません。そんな気はさらさら無いのですが……」
 いやあ、中々のものです。ドジッ子ぶりは天然でやるからこそ映えるというものです。演技でドジッ子ほど見苦しいモノはありません。というかそれは唯のイタイ子です。
 知的なドジッ子。
 ああ、何か官能的な響きです。『知的』と『ドジッ子』と言う相反する属性が、逆に萌え属性を増幅させます。
「そうだ! これよこれ!」あたしの頭からピンと閃いた物が飛んでいきました。
「ミヨキチちゃん。早速今日の特訓について連絡するわ」
 本当は違うことやろうと思ってたんですが、こっちのほうがよさそうな気がしてきました。体力知力で手に負えない化け物を言いくるめるにはこれしかありません!
「ミヨキチちゃん、あなたの体力、知力は及第点。このままでも問題ないわ。でもそれら能力を磨きすぎるってのもよくないわ」
「え? それだと前と言っていることが違うような……」
 ぎくっ。「いいえ。そんなことはないわ」と内心の動揺を余所に必死で誤魔化します。しかし良く覚えているわね……これだからインテリは困るのよ。
「えと……ほら。あなたは女の子ですよ。いざという時は男の子に助けてもらえば良いんです、男の子の方が体力有るし、知識をひけらかそうとするし。うん、そうに決まってるわ!」
「はあ……」
「可憐な乙女がヒイヒイ言ってるのを見たら、世の中の男共は発じ……もとい。心打たれるんです。そして下ごこ……じゃなくて、清らかな心で『手伝ってあげようか』ってなるのです」
「そう……なんですか?」
「ええ。それを利用して、男を手玉に取ってやればいいのです」
「…………」
 ん? 何故沈黙?
「わたし、そういうのはちょっと……男性の人を利用するとか、そんなのはいけないと思います」
 うーむ。何という優等生。純粋な彼女が見て取れます。でも。
「ダメよそんなんじゃ。そんなんじゃキョンくんはいつまでたっても振り向いてくれないわ」
「え……?」
「キョンくんってば、素っ気ないフリしてるけど、意外と色々手伝ってくれるタイプなんですよ。正直に言うと、あたしも色々助けてもらいました」
 その時決まって『嫌だ。やらん。面倒くさい』なんてセリフを吐くんですが、結局付き合ってくれるんです。結構お人好しなんです。だからあなたが一人で何でも解決したらキョンくんとの接点がそれだけ無くなってしまうんです。
「なるほど……」
「特に年下相手ならなおさらでしょう。キョンくんは親戚に小さい子が多いせいか、面倒見いいですからね」
「え? 何でそんなこと知ってるんですか?」
 ぎく。「妹さんに聞いたのよ」決して『組織』から得た情報なんて言えません。
「だからあなたもキョンくんを利用したほうがいいのです。実はここだけの話ですが、キョンくんの性格を巧みに利用して良いようにこき使ってる人間もいるんだから。それもたくさん!」
「え……!?」
「特にあのお化けかぼちゃ! 見た目がロリっぽいのをいいことに……ったく、キョンくんはとことん甘いんですよ、あのお化けかぼちゃに」
「お化けかぼちゃ!?」
「ああ、彼の先輩で人並み外れた巨乳の持ち主がいて、それを利用してキョンくんをたぶらかしているのです。またキョンくんったらそれに釣られてホイホイと……」
「そ、それ本当ですか! 詳しく聞かせてください!」
 よし、ようやく喰いついてきたか……
 それまで気乗りしないような態度で聞いていた彼女が一転、真剣に聞き始めました。
 あたしはそのお化けかぼちゃ……朝比奈みくるの悪行をミヨキチちゃんに語ってやりました。
 ロリっぽさを前面に押し出した顔と相反する胸の大きさをいいことに、キョンくんにお使いを頼んだり、肩を揉ませたり、涼宮さんの猛追からの盾としたり……
 一部過大な誇張もあった気がしますが、相手はあのお化けかぼちゃですので気にしちゃいけません。とにかくキョンくんに対する劣悪な行動の数々を語ってやりました。
「……なのよ。だからあなたも……」
 あたしが言葉をまとめようとした時、突然バタンと大きな音を立てました。
「許せないっ!」
 え……と、ミヨキチちゃん……?
「わたしその人に注意してきます!」
 言った刹那、突風が吹き荒れ……彼女の姿は見えなくなりました。
「おーい……吉村さーん……どこ行くんですかー?」
 もちろん返答は帰ってきません。
 どこいったんだろう……お化けかぼちゃがどこに住んでいるか分かってるのかしら……



「す、すみません」
 それからしばらくの後。このままボケーッっと突っ立っていても面白くないし、帰ってこないからあたしも家帰ってビデオに予約しておいたサ○ラレでも見ようかと思ったその時、彼女は帰ってきました。
「つい頭に血が上っちゃって……後先考えず行動する悪い癖が出ちゃいました」
 ううむ……見た目に騙されるところだったわ。彼女、やっぱり天然入ってるわね。そして後先考えず突っ込むタイプみたい。
 ……はいはい、あたしと似てるって言いたいんでしょ。もういいわ、その話は。
 どこからともなく聞こえるツッコミを軽く流し、あたしは彼女に言いました。
「あなたが言って彼女を止めても無駄よ。彼は彼女に夢中なんだから」
「なら、どうすればいいんですか?」
 よくぞ聞いてくれました。
「それ以上の魅力をあなたが持てばいいのよ」
「え? わたしが?」
「そう。そうすれば彼はあなたにぞっこんだし、他の女にも振り向かない。一石二鳥だわ」
「でも……そんな自信ありません……」
 いいえ、そんなこと無いわ。あなたの魅力はたいしたものだと思うわ。同性のあたしから見てもそう思うもの。異性なら10人中10人は振り返るわよ。
「そんなことありません」
 パタパタと慌てて手を振るミヨキチちゃん。
「だって、今までに可愛いとか綺麗だとか、そんなこと言われたことがありません。特に彼に関しては」
 アレは筋金入りのニブチン、超が34個くらいつく鈍感男ですからね。彼にそんな言葉を期待しちゃいけません。だからこそなのでしょう、彼女は自身が持つ魅力に気付いていないみたいです。
「なら、実践してみる?」
「実践?」
 あたしはクワガタやカブトムシを間近で見た少年の様ににこっと笑い、
「今からナンパされに行くわよっ!」



 数十分後、あたし達は色んなブティック、アクセサリーショップを回りました。彼女の魅力をたっぷりと引き出すためには色々と回らなければいけないのです。
 彼女、どんな服が似合うのかしら? 結構大人びているからお姉系もいいですし、キレイ系もカワイイ系もいけてます。ああ、裏をかいてロリ系っていうのもありですね。
「あ、あの……本当にするんですか?」
 あたしに手を引っ張られながらついてくるミヨキチちゃんに振り向かずに答えます。
「ええ、当然。自分自身が持つ魅力を客観的に捉える必要があるわ」
 あなたの場合、素質はとても素晴らしいの。体力、知力、そして何よりその美貌。それら全て無駄になっているのよ。それらをもっとアピールして、世の中の人に知らしめる。
 みんながどう思ってるか、分かるはずよ。
「……でも、やっぱり恥ずかしい……」
 うーん、やっぱり自信なさげね。まだ中学生だし、仕方ないって言えばそうなんですが……しかたない。
「ねえ、例のお化けかぼちゃだけど、あの人も色々コスプレさせられてるのよ」」
「え?」
「それも毎日毎日。彼にあられも無い姿を披露しているの。いつもはメイドさん、時にはナース。調子がよければバニーやカエルさん。恥ずかしいとは思うけど、彼のために頑張ってるのよ」
「ほ、本当ですか?」
 まあ……ちょっと嘘ですけど、少しくらいは方便として許しくださるでしょう。
「そう。だからあなたも恥ずかしがらずに色んな姿になってみたら」
「はい、頑張ります」
 うんうん、本当に聞き分けの良い子で助かるわ。
 でも……自分で言うのもなんですが、ちょっと人の言うこと信じ過ぎのような気もします。あたしだったらいくらおだてられたからと言って、そんな格好をしようなんて思わないのですが。
 自分から言っといて何ですけど。
「さて、ブラもカワイイのに変えなきゃね」
「ええっ! そ、それは……!」
 いーの! せいっ!
「きゃっ……」
「…………」
「あ、あの……返してください」
「…………」
「お、お願いですから……」
「…………」
「他のものなら何でも着ますから、せめてそれだけはつけさせてください」
「…………」
「? どうしましたか?」
「…………」

 …………ううう、あたしより2カップも大きいブラつけてる……



「完璧よっ、ミヨキチちゃん!」
「…………」
 いくつものお店を回り、彼女に合う服やアクセサリを探して幾星霜。ついにあたしが理想とするミヨキチちゃん像が出来上がりました。
 彼女なら何を着ても似合うのですが、今回のポイントは彼女自身にその魅力を教えてあげること。だからロリ系でもお姉系でもなく、年相応の可愛らしさを引き立たせる格好にしてみました。
 流行モノのワンピにギンガムチェックのバッグ。そして大人への背伸びとして履かせたヒールが最高です!
 うんうん。これなら外出た瞬間声かけられること間違いなしよね。
「……あの」
 ん? どうしたのミヨキチちゃん。そんなところで蹲って。お金なら大丈夫よ。そし……知り合いが出してくれますから。
「……いえ、そうじゃなくて……お支払いの件はありがたいんですが……」
 やたらともじもじしているミヨキチちゃん。
「ちょっと、恥ずかしいかな、なんて……」
 大丈夫よ。。
「でも、こんなにミニでフワフワで、しかもフリルつきなのはいくらなんでも……」
 ソレくらいのほうが可愛いわ。あなたには。
「で、でも……」
 んん…… もうっ!
「ほらっ! 外に出るわよ!」
「きゃあー!」

 バタン。

『…………』
 店を出た時、あたりの喧騒が一瞬なくなったかのような錯覚を受けました。
 それまでわいわいと騒いでいたみんなが、一斉にこちらを向いている。そんな感じです。というか半分以上事実です。
 店に入るまで見向きもしなかった若いにーちゃんたちが、こぞってこちらを注視しているのがわかりました。
 えっへん、どんなもんですか!
 ちなみにあたしも着飾ってみました。あたしだってそんじょそこらの凡人には負けないくらいの美貌があります。さすがにミヨキチちゃんほどまでは行かなくても、世の男性がこれだけカワイイ子をほっとくわけありません!
「さ、ナンパされにいくわよ!」
「あ、あれ本気だったんですか!?」
 当たり前じゃない。何のために着飾ったと思ってるの? 全てはナンパされるためにやったことよ。
「っでで、でででで、でも……」
「大丈夫大丈夫。単にお茶を飲むだけだから。それ以上のことしてくる奴はあたしが制裁してやるから」
「でも……怖いです……」
「いいからいいから、ほら!」
 無理やりミヨキチちゃんを引っ張って歩き出します。
 すると……

「ねえねえ、今何してるの? 暇?」
「俺たちと一緒に遊ばない?」
「カラオケ行こうよ、カラオケ」
 十歩と歩くまでも無く、お兄さんたちが声をかけてきました。
 腰パンにだらしないシャツを来た、ギャングだかチーマーだかを気取った知能の低そうな方たちです。死語っぽい気がしますが、ファッションが死んでいるので良しとしましょう。
「え、えと……あの……」
「暇でしょ? ならいいじゃん」
「おごるからさ」
「な、いいだろ? 遊ぼうぜ」
「……う、あ……」
 ミヨキチちゃんは男三人に囲まれ、あたしの方をチラチラみてはどう返答しようか迷っているような感じでした。しょうがない、助けるか。
「ふふふ、お兄さんたち、ごめんなさいね。あたし達これから用事があるの。だからお相手できないの」
「あんだオメーは?」
「お前にゃ聞いてないんだよ、ブス」
「おまけに貧乳」

『あはははははは!』


 ――プチッ――


「んだとこのガキャー!! 人が下手になりゃいい気になりやがって! だれがブスで貧乳じゃボケェ!!!!」
「ひえぇぇぇ!!!」「あいつ気が狂ってる!」「やべえ逃げるぞ!!」
「お、お店の看板振り回したら危ないですよ!」
「うおりゃぁぁあああああぁぁぁ!!」


 ※※※※※※


 10月★日  天気:曇り後雨

 真の美貌を知るに足りない鬼畜外道をコテンパンにノした後、再びミヨキチちゃん連れてナンパされに行ったまでは良かったんです。でも、その後も引っ切り無しにナンパされるのはミヨキチちゃんばかりでした。
 あたしはと言えば『付き人』だとか『お手伝いさん』だとか、酷いのになると『引き立て役』なんて言う輩も続出して……
 その度に三○スペシャルをかましてあげたんですけどね。
 あまりにも腹が立ったので、ミヨキチちゃんをナンパしにきて、あたしにとっちめられた一人に聞いたんです。『彼女とあたし、何が違うの?』って。
 そしたら、そいつはあたしとミヨキチちゃんの顔を交互に見つめ、そして視線を落として……あたしの胸元を指差しました。
 ……そーですかそーですか。結局ソレですかい。
 腹が立ったからもう一発殴って撃沈させてあげました。
 当のミヨキチちゃんといえば少し自信がついたようで、『もっと大きくなるように、頑張ります。ありがとうございました』って……なんだかあたし、泣けてきました……
 いやいや、キョンくんは決しておっぱい星人なんかじゃ……無くも無いなあ……
 くっそー……中学生に負けたらあたしのプライドってもんが……
 ミヨキチちゃんと分かれた後、降ってきた雨に一人濡れながら、あたしはトボトボと岐路につきました……

 本日のまとめ
 男なんて、みーんなシャボン玉。

 ……正直、この言葉しか思い浮かべられません……

橘京子の驚愕(中編)に続く

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最終更新:2020年03月12日 00:38