文字サイズ小で上手く表示されると思います


 


 夕方の台所、物音しないその部屋に小さな影が忍び込んできた。
 テーブルに隠れて歩く侵入者は、手だけをテーブルの上に伸ばして何かを
探している。
 やがてその指先に、テーブルの上に並んだ皿の端が触れた。
 目的の物を見つけた侵入者はひまわりの様な笑顔で立ち上がったのだが、
「こら」
 直後、頭上に拳骨が降り注ぐ。
「つまみ食いか」
 疲れた視線を投げる男に、侵入者は憮然と抗議を始める。
「だってお腹空いたんだもん~」
 私が厨房に立寄ったのは、そんな時だったようです。

 


「新川×キョン妹」

 


「なにつくってくれるの~?」
 兄の手から逃れた少女は、ソファーの上で私に期待した視線を投げかけ
ている。
 ご希望があれば伺います。
「じゃあはんばーぐ!」
 かしこまりました。
 離島の別荘という条件もあり食材の殆どはレトルトなのですが、多少は
調理してお出しするのが礼儀というものでしょう。
 上着を椅子の1つにかけてエプロンをつけて手を、私は厨房の前に立った。
 コンロの上に調理器具を並べる間も、背後から彼女の視線が感じられます。
「ね~しつじさん」
 はい。
「しつじさんはコックさんなの?」
 コックも兼ねております。
「しつじさんはなんでもできるの?」
 そうありたいと思っています。
「そっか~すごいね~」
 手元のフライパンの上でハンバーグと付け合せの人参が踊る。
 ……人参は食べていただけないかもしれませんが、じっくり火を通して甘く
しておきましょう。
 火加減を調整して皿とフォークを……子供用を準備しなくてはいけませんね。
 数分後――
 お待たせしました。
「もうできたの?!」
 文字通り目を丸くする彼女に、私は頷いて見せた。

 


「おいしいね~うれしいね~おいしいね~♪」
 即興らしい歌を口ずさみながらハンバーグを食べていた彼女でしたが、
「何かお話しして!」
 皿が空になった途端、部屋の入口に控えていた私にしがみついてきました。
 私の話を聞くのは退屈でしょうし、みなさんと一緒に遊んでこられてはどう
でしょうか。
「みんなは何だか暗い顔しててつまんないの……みくるちゃんは寝ちゃってる
し、キョン君は部屋から出るなって怒るし」
 なるほど、それはお困りですね。
「そうなの。だからお話しして!」
 ……大人の都合でこのお嬢さんに退屈な思いをさせてはいけない。
 わかりました。……では、昔話でも致しましょうか。
「やったー!」
 ソファーの上で跳ねて喜びを表現する彼女に、私はゆっくりと口を開いた。


 私が若かった頃、教科書に載らなかった小さな戦争がありました。
「いつごろ~?」
 若気の至りで髪を染めていた頃ですから……もうずいぶん昔になりますね。
 戦争を起こそうとしている国がある事を知った人達は、なんとか戦争を止め
ようと考えました。結果、相手の国の兵器を無力化すれば戦争は起きずに済む
と考えたある国が、戦争開始前に相手の国へ密かに兵士を送り込んだんです。
「それがしつじさん?」
 ええ、私です。恥ずかしながら、当時は暗号名で呼ばれていました。
「なんてお名前だったの?」
 私は――

 


 ……見張りの足音は2つ、その内1つはこちらに近づいてきている……。
 歩幅と歩きから方からして新兵だな。
 ここに来るまで残り5秒、4,3,2、1、0、1、2……よし、今だ!
 通路の端に置かれていたダンボール箱から人影が飛び出し、何も気づいて
いない見張りの兵士に飛び掛かっていく……数秒後、そこには気絶して縛ら
れた見張りの姿と、その前に立つ一人の男が居た。
 男の体はまるで不要な筋肉を削ぎ落とした様な姿をしていて、それは張り
付くような戦闘服に包まれている。
 周囲の様子を伺って左右に走る冷たい――そう、まるで蛇の様な視線。
 もう1人の見張りが自分の居る場所から遠ざかっていくのを確信してから、
彼はそっと自分の側頭部に指を当て、微かな声で呟いた。
「こちら――潜入に成功した。大佐、指示をくれ」

 


「それからそれから?!」
 彼女は身を乗り出して聞いてくる。
 私が侵入した場所では秘密兵器の開発が行われていました。それが完成し
てしまえば、多くの人が危険に晒される事になる。そうなる前に、なんとか
その兵器が完成する前に破壊する、それが私に与えられた任務です。
「間に合ったの?」
 いえ、残念ながら。ようやく私が秘密兵器を見つけた時には、すでにそれ
は完成してしまっていたんです。
「大変だ!」
 ええ、大変な事態でした。その秘密兵器はとても強力な存在で、想像して
いたよりもとても危険な物だったんです。
「じゃあどうしたの?」
 私1人ではどうにもならなかったでしょう……ですが、私には頼りになる
友が居ました。そして仲間も。
「みんなの力でやっつけたんだ!」
 はい。
「それから! それから?」
 無事に基地から脱出できた私には、次の任務が待っていました。そこで私
を待っていたのは……この続きはまた、今度にいたしましょう。
 そう話を締めくくり、私は部屋の入口へと視線を向けた。彼女も釣られて
同じ方向を見ると、
「キョン君!」
 部屋の入口で、彼は困った顔で頭を下げている。
「どうもすみませんでした」
 いえいえ、私も楽しい時間を過ごさせていただいきました。
「ほら、ちゃんと新川さんにお礼を言いなさい」
「ありがと~しつじさん! またお話ししてね~!」
 笑顔で手を振る彼女が兄の手に引かれて部屋を出て行き……部屋には再び
台風の音が戻ってきた。
 自分しか居ない室内で、ソファーにもたれて目を閉じる。
 私達の作戦に決して失敗は許されない、それは世界の崩壊を意味するのだ
から。
 私達に撤退は決して許されない、我らの代わりなど存在しないのだから。
 彼等の様な子供の未来を……守らなくてはならない。
 誰に言うわけでもなく呟いたその言葉は、部屋に広がって消える。
 再び新川が目を開いた時、そこには決意に燃える静かな――蛇の様な視線
があった。
 

 

 「新川×キョン妹」 ~終わり~

 

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最終更新:2008年11月27日 20:30