一 長門

「ジャー」
 蛇口から出る水は澄んでいた。澄んでいて、透かして見ると、校庭が歪んだ。水の打ちつける音が心地よかった。久しぶりに転んだ、傷跡に当てて、滴る水を見つめた。温い水だった。
 校庭には、砂が舞っていた。皆が蹴り飛ばす砂を、夏の、日かげやトンネルを通ってきた風が、更に上へと飛ばす。肩を撫でるように、服の中に入ってきて、消える。気持ちのよい、掴めるようで掴めない。羊水のように滑らかな風だった。
 また、メートル走に参加する気にはならなかった。俺は、大きくもない傷を見て、絆創膏で隠そうと、暇つぶしがてら思い、保健室に行こうとした。校庭を眺めても、ハルヒはいなかった。彼女の走る後姿を見てから行きたかったが、俺は校庭に背を向けて、昇降口へと向かった。
 途中、中庭に寄った。木々の梢が揺れる音が、子どもの頃のように、頭上遠くに感じられたからだ。見上げてしまったら、その幻覚というか幻想が、消えてしまうような気がして、俺は前を見た。
 中庭の真中にある、少し寂しい木の下に座って、空を見上げた。校舎に切り取られた空は、広く晴れている。何か考えることがないか、探し始めたのは、暑かったからだ。木の下に座っても、影は俺に当たらない。日は真上にあった。風は微動だにしないし、とても暑いのだ。
 頭を二の腕に乗っけて、もういちど空と木と、校舎を眺める。音が少ししたな、と思うと、それは白い、猫だった。猫は中庭をぐるりと回り、枯れた紫陽花の前で、眠った。そういえば俺も、昨日はろくに寝ていないからとても眠いのだ、と気づく。次は昼食だから、眠ってしまっても平気だろう、俺は瞬きを何度かして、目を閉じ。
 闇の中、どんな夢を見ようか、と考えた。外界では、遠くで蝉が鳴き始めたらしかった。蝉、かそうだ。部室の夢を見よう。そうだ、ハルヒがいて、カーテンが部室に影を作っていて、たまに吹く風が、部室の空気を変える。遠くで蝉が鳴いていて、空気はセピアに灰色を混ぜたような、綺麗な色をしている、、。
 もちろん、俺には、見たい夢を見られるなんて能力はない。が、寝るまでに考えた人が、夢の中に出てくることはあったのだ。夢の中では孤独なことが多かったから、だれかが出てくると嬉しかった。
 まだ眠れない。どうしたら眠くなるだろう。と思ってみる。歩いてみようか。歩くリズムは寝るリズムと似ているはずだ。そうだ、部室から出て、だれもいない廊下を歩いてみるんだ。ハルヒを右にして。よし、眠くなってきたぞ。
彼女と手を繋いでいたいと思う。
 夢の中でも繋げないのは、まあ当たり前と言ったら当たり前だが、俺がまだその感情を、言葉にしていないからに他ならない。
 言葉にしていない。いや、できないのである。いまのところ。
例えば長門が、俺に言うかもしれない。早くハルヒの手を握らないと、誰かが悲しむことになる。長門はもう、好きの「す」ぐらいは言ってくれているのだ。「す」で止めたのは、急かしているということだ。
 このまま寝てしまったら、夢に長門も出てきてしまうだろう。起き上がって、保健室に行こうとしたとき、チャイムが鳴った。それさえも。俺を急かしているような気がした。
 好きだなんて言えるかな?夏休みが始まる前に言わなければ、長門は俺に告白してしまうかもしれない。
 、、なんでこうなったかって?そうだな、今日は7月の15日なんだが、10日、長門と一緒に帰った日、雨が降っていて冬ぐらい寒かった。暗かったしな。俺が前だったからわからなかったけど、長門は寒くて震えていたかもしれない。
 なんで遅くなったか?勉強していたのさ。図書室で。テストが酷くて、だ。終わってから勉強する奴もそう少なくは無かったよ。暗がりの中雨の降っている様子を、見つめている時間のほうが長かったかもしれないけども。黒いレインコートが濡れて。いやにべたついた日だった。
 図書室に行く途中、廊下で長門に会ってな。じゃあな。って言って、暗い廊下を歩いたんだ。蛍光灯の光も絶え絶えで、心もとない廊下だった。図書室は明るかった。俺は窓際に座って、問題用紙と解答を見比べて、ため息を吐いた。
 まだ六時ぐらいだから、二時間ぐらいはできるな。と思った。俺は教科書を開いて、最初は何処をみればいいのかさえわからなかったんだが。なんとか焦点を合わせて、頭に入れようとした。
  隣に誰か座ったようで、何でわざわざ、こんなところに座るんだ?という疑問と、八つ当たりに近いような嫌悪の顔を向けたんだ。それが長門だった。すぐに表情をもとに戻して、彼女が口を開くのを待った。
「ここ」
「え?」
「ここ座っていい?」
「もちろん。どうした?帰りたくないのか?わかるよ。俺も帰りたくねえんだ」
(あんな殺風景な家だものな、フローリングも、冷たいんだろう)
「、、うん。いつ終わるの?」
「八、、いや七時ごろさ」
「待ってる」
「用があるなら今聞くけども」
「いい。待ってる」
「じゃあ帰ろうか。別に家でやってもいいんだし」
「いい。待ってる」
 そうか。そう言ってくれるとありがたい。美少女横に勉強するなんて、全国の男子の憧れだものな。隣で読書する彼女だが、近い。彼女の服が、何かの拍子に、右肩に触れる。もちろん、離れてくれなんて言う意味もない。
 ゆるりゆるりと時間が流れて、時計が七時に触れるか触れないかの時、長門が何か言うかと思ったが、言わなかった。彼女の肩の温もりが、そのことを肯定していた。俺達はそうして、黙って八時まで居続けた。家に電話していなかったから、してこようかと思ったが、それは部屋に誰もいない彼女に酷なような気がして、そのまま座っていた。
「、そろそろ、行こうか。もう、閉館だから」
「うん」
 俺は傘の無いフリをした。彼女の傘に入れてもらおうと思ったのだ。
「、、、あっ、やばい。傘無いかも、、。」
「私もない」
「あっ、あった」
 寸劇である。彼女のからだが、折りたたみ傘にちょうど入るというのは、なんだか不思議だった。彼女は黒いレインコートのすその中で、早足で両足を動かす。速すぎたかと思い、歩幅を合わせると彼女はそのまま傘から出て行きそうになる。振り返って不思議そうな顔している彼女の目を見て、聞いた。
「で、用って?」
「すき」
 、、、、とまあ、こういうわけである。
「、、?キョン、何うだってんのよ」
「うだってなんかいません。悩んでるんです。」
「何を?」
(お前と長門のことだよ)
「そうだな。お前、好きな色はあるか」
「そうね、黒と青ってとこかしら」彼女は空を見ながら言った。
「どっちが好きだ?」
「どっちも好き」
「だろう。でもどっちかって言ったら?」
「青ね。」
「そういうことだ。」
「なによ?」
「でも黒が好きな日だってある。だけど大体、青が好きだ。そういうことだ。」俺は机に顔を伏せて、聞こえないほどの小さい声で言った。まあ、答えにはなっていない。
「、、選べって言われると、難しいのよね」
「そうなんだよなあ。ほんとにな」
「でも、お前と一緒にいる時のほうが、空の色は鮮やかなんだ。それはお前を好きだってことなんだよ」これも聞こえない。
「あ、そうそう。夏休みのことなんだけど。」
「なに?」
「なにかしようと思ってるんだけど、何がいい?」彼女は、青色のペンを回しながら言った。
「絵画鑑賞とか」俺はハルヒと美術館を歩く想像をしながら言った。
「そういう個人的なことではなくて」
「山に行きたいな」とまあこれも、ハルヒと湖畔を歩くという想像をしながら言った。
「海の後は山か。単純ね」いいだろ別に。ああ、暑い。俺にとっては早く告白することの方が重要なんだよ。
「あ、そうだキョン、購買でパン買ってきて?嫌なら一緒に行きましょう」
 なんだ?嫌だと言えとでも言うのか?弁士か。こいつは。
「よし。じゃあ一緒に行こうじゃないか」
「何よ、大げさね、気持ち悪いわ」
 確かに気持ち悪いな。俺、弁当あるし。
 と、立ち上がった二人の後ろから、俺を呼ぶ声がした。振り返る前から誰だかわかっていたので、二人で思いっきり怪訝な顔を向けて見せた。
「なんだよ?なんでそんな顔で見るのか、まず俺に教えてくれないか?いや、まず自分から名乗れというものな。実はだな。キョン、お前に用があるんだ。何?かいつまめ。だと?まあいい。」
「で、なんだよ谷口」
「夏休みに俺達と、海に行かないかというお誘いなんだが。」
「ああ、それなら。」
「いやちょっとまて、最後まで聞こう。安いんだぜ。知り合いのとこだからな。いや、フナムシなんて出ないっつうの。そりゃ小さいとこだけども、まあ10日間ぐらい。サーフィンさサーフィン♪」と谷口は腕で波を作りながら言った。
「キョン、十日なんてだめよ。まだ決まってないんだから。」
 俺は谷口の揺れる手を見て、少し行きたくなった。サーフィンということばが波打つ。しかし彼女は俺の袖を掴んでそう言うのだ。俺は幸せだな。と思った。だってこんなに、すかれているんだからな。
「悪いな。即答は出来ない。誘ってくれてありがとう。今度また話そうぜ。」と俺も、波を作りながら言った。ハルヒの顔が少しほころんだ。
「んじゃ。後日また。お!おいおい。川西!話があるんだが、サーフィンさ♪」
「谷口君。出稼ぎかしらね?」
 なんだか嬉しい。彼女が俺を止めてくれたことが。俺は先に購買へと歩きだした。木漏れ日を更に拾う小さい窓の光が、妙にキラキラし始めた。
 波、か。
 恋の気持ちは波に似ているのかもしれないな。なんて当ても無く、思ってしまうほど、気持ちのいい。
 絶えず波打って、いつも綺麗な波音を立てる。引いたかと思うとまた、引き寄せ、たまにとても大きな波となる。
「うふふふ」
「何笑ってんのよ?気持ち悪いわ」
「うふ、ああ、ゴホン、いや、こうしてお前と歩くのもいいなと思って?」半ば顔をハルヒじゃないほうの天井へ向ける。
「、、、そうね」
 彼女の胸を見る。いかにも健康そうに見えた。彼女はあまり、顔は赤くならないようだけど、目で、表情がわかる。季節のような、いや季節をまた細かくわけたような、沢山の綺麗な目を持っている。急に空気が質量を持ち、歩きがギクシャクし始める。手が動かなくなって、足だけ動く。
 パンを買う順を待つ二人も、うまく動けなかった。もちろん?俺は意味のわからないパンを買ってしまったし、ハルヒは更に意味のわからないパンを買ってしまった。
 甘いパンを昼食にすることなんて今まで無かったのに、その日中庭で食べたパンは、樹液、木の涙ほど甘かった。
 そして、いつのまにかSOS団は、谷口の叔父の経営するその、なんとかとかいうなんとかに行くことになっていて、、、ああ、サーフィンだサーフィン。俺はハルヒと一緒に、レジャー用品店でデートをした。彼女にももしかしたら、それまでに付き合っておきたいということがあったのかも、しれない。だって彼女は何も買わなかった。
 で、問題は次に移るのさ。また長門がでてくる。
 そのレジャ店に行った日が土曜日で、次の日が長門と図書館に行った日。エロゲの主人公みたいな生活してるな。って?ばかやろう俺は、もうハルヒ一筋と決めていたんだ。
 といっても、そこにはハルヒもいた。むしろ全員いた。けどなぜ、長門と行った、と言ったかと言うと。長門のことしか覚えていないからだ。
 名目としては「準備」だった。がハルヒと俺はもう準備をしていて、長門もそうらしかったので三人で図書館に行った。勉強もしたかったしな?
 四人がけの椅子に座る。そしてハルヒが俺の隣に座る。悲しい顔をする長門は前に座っている。俺はそれは冷たい目で、彼女を見てしまっていることに気づいた。でもそれをやめたらまた、グダグダな関係が続いてしまう。
 俺はな、長門が好きだが、彼女に俺を諦めさせてから、ハルヒに告白したかったんだ。だって卑怯じゃないか?保険とっておくようなもんだろう。でも少し、かわいそう過ぎたかもしれないんだよ。
 なんて、実は言い訳なんだ。俺がただ長門に一言ごめんといえばいいことなのに、俺はハルヒと一緒になって、二対一で彼女を責めた。まあハルヒは知らなかったのだから、なにしろ俺がいけないんだ。
 俺は英語の解答用紙を見せて、二人で勉強をした。まあ、勉強してんのは俺だけではある。
 長門は本を読んでいた。心なしかページを捲るペースが遅かったのは、気のせいではないだろう。
 彼女が本を変えに席を立ったとき、緊張のほぐれもあったのか俺は尿意を催して、トイレへ立った。日曜日の図書館はとても静かだが、冷たさは無く、日差しも勉強にちょうどいいと言った風で、沢山の生徒らしき人たちが、席を埋めていた。子ども連れの親子もいて、和やかな空気が感じられた。
 トイレから、受付の前を通って、席へ戻ろうとしたとき、二階に上がる長門の姿が見えた。二階には重要図書が貸し出されていて、重そうな本が、重層な空気を作っている。俺は気になって、彼女のところへとついていった。階段を上ると、大きな窓から町が、学校が見えた。
 二階には人が少なかった。受付も初老の男性がこなしていた。一階よりも窓は多いようだったが、何故だかブラインドが途中まで閉められていて、一階より暗い。
 本棚には、厚い本が多かった。本棚が連続していて、大きなスーパーのようになっていて、遠くまで見渡せる。
 順にその列を覗き、一番奥の本棚の列を覗くと、奥に長門がいるのがわかった。俺は廊下のようなその道を歩いて、埃の匂いのする空気を吸った。
 半ば早足になったのは、俺が焦っているからだ。テンパっている。長門は邪魔な牌だから、切らなくちゃいけない。
 なんて思いながら。歩いた。彼女はあちらに顔を向けていたので、俺にはわからなかったのだが、目から涙が零れていた。
 その液体をどうにかしようと、彼女は袖を濡らしていた。俺の胸で拭いてやりたかった。本棚に追い詰めて抱きしめたかった。俺も少し泣きそうになった。こんなにいい娘を抱きしめられないことが切なくて。
 でも、ハンカチを貸すことぐらいはできる。まだ汗の拭いていないきれいなハンカチだ。
「あ」長門がこちらに気づいた。目を紅く、涙を流したままにして、こちらを見つめた。驚きの表情だった。俺はハンカチで涙を拭った。彼女はその布の暖かさに、氷の少しづつ溶けるような様子で涙を流した。彼女が抱きついた。俺は、自分のズボンを握り締めた。爪が手に刺さるほどつよく。搾り出されるようにして出たのは、こんな言葉だった。
「、、、、ごめんな」
「なにが?」
 言葉にするのはいけない。少し周りを見渡しながら、言葉を選ぶ。
「夏なのに、寒いな、ここは。」
 話を逸らすようにそう言うと、長門が俺の手を掴んで、本棚に追い詰めた。棚が腰にぶつかって痛かった。本が一冊落ちた。
「、、、、うるさい」
「ごめん、、、、、、、な」
 そのとき俺はもう、謝ることしかできないんだ、と悟った。
「ついてきて」そう言って彼女はその少しだけ熱い手で俺を掴んだ。受付の叔父さんはスルーしてくれたようだが、図書館から出てまぶしい日の下に出ると、蝉の音さえもが俺を見ているように感じた。彼女が俺をどこに連れて行くのかわからないが、どこでも、いい気がした。
「どこ行くんだ?」
「黙ってついてきて」
 ハルヒのことが心配だったが、そんなことは言っていられない。ここはどこだろうと思うと、長門の家に向かう道だった。
雲はひとつも無いから、俺は暗い気持ちが無かった。彼女の手に足をまかせ、木や建物やらの影を見て歩いた。
 階段を上って、彼女の部屋に入った。テーブルの上には本が重ねられてあって、フローリングの冷たさが心地よい、海の近くのような空気だった。
 彼女はカーテンを全て開けて、少し離れて座った。体育座りが可愛い。彼女の着ている、少し硬い質のスカートがくしゃくしゃに折れて、切なかった。
 俺はというと、出された麦茶のグラスを覗いて、外の空と見比べるばかり。どちらから話せばいいかわからなかった。その部屋には息重い不思議な空気が流れていた。
 妙に部屋が広く感じられたのは、昔の自分に戻ったからだろうか。なんだか懐かしい、切ない情景が長門の部屋と重なっているのかもしれなかった。
「なぜ」といって彼女は、溢れることばを制御するため少し間を開けた。
「わからない。どの本にも、書かれていなかった。誰も教えてくれない。どうして彼女がすきなの?どうしてわたしに、つめたくするの、」
 言葉がでなかった。麦茶を飲んでいたからだ。そしてそれを飲み終わったとき、俺は口を開いた。彼女の真摯な目にまっすぐ目を向けて。後ろにある寂しい壁も見つめて。麦茶のいがらっぽさが口の中に残った。
「、、ごめん。好きなんだ」彼女にとって一番、わかりやすい答えだと思った。自分と重ね合わせればきっと、俺の気持ちもわかるだろう。
 彼女は近づいて、俺の目を覗いた。俺は知らぬ間に、優しい目をしてしまっていた。彼女が勢い余って、俺の胸に飛び込んできてしまった。がしかし厳しい目など、できるわけもない。俺はヘタレだから、何もしないでいることしかできない。
「わかってる。そんなこと」
「ごめん」
「謝らないで」
「いや、俺が悪いんだ。ごめん」
 彼女はまた少し離れて座った。俺も佇まいを正した。ベランダの日は少し傾いて、フローリングに斜めの模様を作る。季節が変わるように、音の無い目に見えない間が開いた。俺は頬を掻いた。
「あなたは、一つ勘違いをしている」
「、、、俺は一つ以上してる気もする」
「私は、あんなことされても諦めない。あなたがふられても、あなたが彼女と一緒になっても、同じ。これは、もう決定している。あなたは私のことを考える必要がない。私は。あなたが私を好きになる日を待つだけ。」
「私はあなたが好き。それだけ」
「そうか。ありがとう。」
「なにが?」
「そんなに俺のこと好きになってくれて」
「、、うるさい。もう、優しい目をしないで。今日は出て行って。もう図書館が閉まる。」
「ありがとな。、、、ごめん」
 玄関を閉める。俺の後姿は少し彼女に、かわいそうだったかもしれないと思う。でも俺は、街を見下ろしてから、大きく息を吸って、階段を降りた。まち全体が赤みがかりはじめていた。
 長門と二人で歩いた道を戻る。夕日がどこかの山に落ちようとしていた。俺はめぐりの早い最近の出来事を思い出して、大きく息を吐いた。
 ひとつの家のアンテナが、夕日を妙に反射していた。どこかの煙突から煙が出て、それを鳥が吸っている。ものかなしげだった。
 でもその紅い光は、俺を包み込んでくれるような気がしたんだ。

 二 朝比奈さん

 電車が来て、風が彼女の髪を揺らした。彼女って誰?って?もちろんハルヒさ。
 で、俺は、いまだ告白できないでいる。しょうがないさ。あの日、俺が長門の家から戻っているとき、ハルヒが俺を探しに来て、、、。弁解の様子が気に入らなかったらしく昨日まで話せもしなかった。悲しいかなそういう免疫はないんだ俺達には。
 今日は夏休みが始まって六日が経った日だ。暗黙の時効らしく彼女は昨日意味の無い電話をかけてきた。確認ということだった。明日はこうよねと口を尖らして言っているのが、電話越しにわかった。ありがたかった。
 作戦など立てず俺は、もしどこか星空の綺麗な、または月が見えるような場所があれば、自然と言葉が出てくるはずだと思った。俺はただ彼女と一緒にいれば、いつか告白できるだろうという確実な自信があったのだ。
 朝の駅は、昨日の夜溜まった倦怠感や不安を全てなくして、どこまでも続く空を思わせる透明感があった。駅には谷口、国木田のほかに団の全員が集まった。
谷口だけがアロハ。まあでも彼がいることによって、微妙な空気が消し飛んだからよかった。よかったのか?
 この旅は俺にとって大きなものになる。というのも、彼女が転校するからで、、。転校先はそう遠くないらしかったが、夏休みの終了とともに彼女は去るそうだ。それを聞いたのは終業式の日で。彼女はその日部活を辞めた。
 まあだからしんみりした旅行になるのかと思ったが、アロハのせいもあり、ハルヒの努力は報われだんだんと、和気もあいあいとしてきた。俺はあまり衝撃を受けなかった。遠距離を恋愛の前につければいいだけだからな?
 電車の運んできた風が終わり、俺達は席に座った。いずれこの窓から海が見えるのだなと思うと、心のワクワクが止まらなかった。
 どこかでもう信じていたのだ。ハルヒは俺を好きだと。
 彼女は俺の隣に座った。席はまばらにしか開いていなかった。家族連れが多く少し騒がしかった。それは更にしんみりとした部分を埋めた。
 がたごとと揺れるたび彼女の肩に触れる。どうせならくっつけてしまいたいと思うのだが彼女は触れるたび律儀に離れてしまう。
 行く先は曇り空だった。今すぐにでも大量の水が振り落とされてきそうだった。
 彼女の目は少し腫れているようにも、見えた。それは悲しさで零れたものなのだろうか?わからなかった。
 、、、旅館に着いて少しの時間が経つと、案の定雨が降り始めた。
 俺は雨降りの中、ジュースを買いに知らない道を走っている。走りながら海を見るとなんともいえない迫力があった。灰色く、暗い。心揺さぶられるリズムで波を打っている。砂浜の鮮やかさは見る影も無く、そこだけ見たら絶望さえ感じる。
 無用心だったと思うがもう手遅れで、俺の肩も冷え切っていた。
 コンビニまでそう遠くないと聞いたが、どうも遠い。道を間違えているとは思えない。気分が重いから遠く感じるのかもしれない。とりあえず俺は上着を脱ぐと、着いて来た朝比奈さんに渡して、小さな軒下に待っているように伝えた。彼女は広げた俺の上着の下で小さくうなずいた。
 早く傘を持って迎えに行かなければいけない。彼女の肩だって冷え切っているに違いない。遠くに長い看板が見えて、俺は駆け込んだ。上着の下はタンクトップだったから、半裸のずぶぬれ男が駆け込んできて、若い店員は少し驚いた。
 ジュースと、あったかいお茶を二つ買って、買った傘を差してまた駆けた。傘は少し吹いている風に持っていかれそうになった。道路は長く暗く、もはや昼とは思えなかった。
 朝比奈さんは座り込んで待っていた。捨て猫のようだった。俺は傘を、彼女を包むようにして差した。お茶を渡すと、少し大人っぽく笑った。その猫のような、狂気の寂しさを乗り越えるような強く儚い笑顔で、俺を見る。彼女からはもはや肉の匂いがしていたと言っても過言ではない。肉というか胸の匂い。柔らかく包むような少し粘っこい匂いがした。
「ありがとう」
 早く帰らなければいけないが、二人が一つの傘に入っていくには少し強すぎる雨だった。こうなるなら傘を二つ買っていけばよかったのだが、朝比奈さんに余計な気を使わせてしまう。
 小さな軒下の中から二人で、雨と道路と海を眺めていた。小さな傘に肩を寄せて座る二人はまさに、捨て猫のようだったろう。閉められたタバコ屋のシャッターに寄りかかるととても冷たかった。体育座りをすると、彼女の短パンから足が見えてしまって、なんだか悲しかった。
 雨は止みそうにない。俺達は、裏通りを歩いて、雨宿りに適した場所を探す。すると小さな四角い公園の中に、場にそぐわない大きなすべり台があった。更に悲しい場所のようだったが、仕方がない俺達はその下に座った。お茶で手をかじかまないようにした。
 泥がぐじゅぐじゅに踏み潰されて、その上に雨がいく度も打ちつける。雨の匂いが公園中に蔓延していた。
 彼女がお茶を飲んだ。首筋に雨粒が流れた。飲み終わると、白い息をふうっと吐いて、いつもの調子で話し始めたが、肩が少し震えていた。
「降られちゃいましたね」
「そうですね。寒くないですか」
「えへへ、、。大丈夫です、、。」
 鉄板、、。滑り台に打ちつける雨音は、激しいリズムを奏でていた。それは心臓の音を思わせるのか俺は、彼女の冷え切った体が気になって仕方なかった。ポケットに入っていたハンカチを渡すが、彼女は先ず俺の体を心配した。大丈夫だと言っても聞かないので、無理やり頭を拭いた。年上ということで余裕を見せていたのかもしれない。俺は髪の毛をぐしゃぐしゃに拭いた。案の定、冷たかった。
 抱きしめたいのに抱きしめられないといったほど切ないものはないのかもしれない。俺は彼女の恥ずかしがる顔を見て少し悲しくなっていたのだ。
「どうぞ、拭いて下さい」と言うと彼女はやっと観念して、自分の体を拭き始めた。どんどん彼女の汗で濡れていくハンカチを見るのは精神衛生上悪くなかった、、、。いやもとい、悪かった。
 体を温めようと、俺達の肩はくっついた。することもなく、ジャンケンをしていると、そのうち賭け事になり、負けた俺は歌を歌った。そのうち体も暖まってきたが、彼女はなんだかまだ寒そうにしている。どうしたものかと飲みかけのお茶を渡すと、彼女はそれを一気に飲んだ。そうとう寒いのだろう。彼女の頬は少し赤くなっていた。
「朝比奈さん、目を瞑って下さい」
「はい?」
「そして手を広げて、左を向いてください。」
「はい」
「すいません。失礼します」
「きゃあ!」と彼女は怯えた声を上げた。お姫様抱っこだ。
「な、ななな、なにするんですか」
「それで俺の上着を被ってください。じゃあ行きますよ。朝比奈さん」
「はい」そういって従順にそれをする赤い顔に、キスをしたくて仕方が無かった。彼女の目に否定の色はなく、目が合ったまま静止した。
 俺はそれを振り切るように走り出した。
 谷口のその、叔父の経営する旅館は、畳を無造作に並べてあるだけといった印象だったが、妙にそれがわくわくさせる。外観は小さいものの、部屋は大きく、家庭の温かみを感じさせた。息を思い切り吐いてから、階段を駆け上がった。
 玄関は広く、叔父さんが座って台帳なんかを見ている。海が見える二階には少し広いお風呂があったりもするのだ。安くてうまい。それをさらに安くしてくれるんだから、谷口には感謝しきれない、、、。と思ったが夜、二人部屋の部屋に四人で寝ると知ったときには閉口した。
 さて朝比奈さんを部屋に送って、用意をさせて風呂へと連れて行く。ふらふらとしていて不安だったから、ハルヒを探して、様子を見てもらうことにする。
 探すまでも無いハルヒは、男の部屋で談笑していた。みんなは俺の姿を見て驚いた。ご乱心だと思ったそうなのだ。こんな日に海に入るわけ無いだろうが!と突っ込むと、皆が安心した。
「雨に濡れたんだよ。おい、ハルヒちょっとこい」
 ハルヒを廊下に呼び出して、ことこまかに話す。多少の弁解があったのかもわからない。なんだか焦った話し方になってしまっていたのだ。
「大丈夫?キョン」
「ああ、俺も風呂に入るから。」
「私は入らない」
「そうか」
「ふたりの服を洗濯してあげるわ。どうせ変えの短パンなんてないんでしょう?」
「いや、俺のはいいよ。ほら、その」
「いいのよ遠慮しなくて。パンツ以外なら平気よ」

 体ごと風呂に入ると、ため息が漏れた。上を見上げると、女風呂と繋がっていることがわかる。知らぬ間に俺は耳を澄ましていた。ハルヒと朝比奈さんが話す声が聞こえた。くぐもって響いて、聞きにくかった。どうやら朝比奈さんは冷えがなおり、ハルヒが出て行ったようだ。俺は大声を出して朝比奈さんを呼んだ。湯気が顔に当たり、耳を暖めた。
「はーい」
「大丈夫ですか」
「はーい」
 どうも、嫌な間が続いてしまった。二人きりなのだということに気づき少し戸惑った。さてどんな話をしようかと考え、窓の外を見る。がまだまだ暗いままだった。雲と水平線の間にはやっとこ晴れが見えたが、雲がどこまで続いているのかは全くわからない。
「キョンくーん?」
「なんですか?」
「さっきはありがとー」
「いえ」と言うが、それはヒノキに何度となく反射し、オヤジのうめき声のようになった。
 彼女とはなんとなく、嫌な、気恥ずかしい余韻があった。俺はどうも、それに耐えられない。
「キョンくん?」
 さっきとは変わり少し優しく静かな口調で彼女は言った。ただごとではない、真剣で感情の籠もった声だったので俺は更に耳を澄ました。
「なんですか」
 答える俺の声も少し、ひそひそ話しをしているような雰囲気であった。間違いなく、ここでする話ではないように思われた。
「涼宮さん、行っちゃうそうですね」
 その声は反射し、どの角度からも俺めがけてやってきた。
「キョンくん、いつまで、このままでいる気なんですか」
 俺は心底、驚いた。
「キョンくん、あなたに言いたいことがあるんです。私はね、そういう優柔不断なのはいけないと思う。そうやっていつか、いつかと先送りにしていると、いつまでもできずに終わってしまうものなのですよ。」
 俺はいつもとは違う口調の朝比奈さんの声を黙って聞いていた。
「わたしもね、そうなんですよ。ある人に、いつまでも言えずにいるんです。、、その人のことを考えてしまって、言えないんです。」
 合いの手も入れられず、俺は途方にくれたような顔で、湯気が現れては消える様を見ていた。
「言おうとしたこともあるけど、いつも何か私に言い訳して、終わってしまうんです。自分の心が燃えていることもわからずに、いつも、いつも、いつも」
 そのいつもという言葉に、いろんな思い出がつめられているんだろうな、と思った。
「そう、思い返してみれば、いつだって言えたのに。いつのまにかその人は、違う人を好きになっていて、、。」
「それでもまだ諦められずにいるんです。だけどまだ言えない、、、。」
「早くしてくださいよ、キョンくん、私まで辛くなってしまうんです。自分が言えずにいるみたいで、情けなくなってしまうんです」
 俺は朝比奈さんを抱いたときの、感触を思い出していた。わけもわからずかわいそうで、抱きしめたくなってしまっていた。それは俺もまた、彼女の辛さがわかってしまうからかもわからない。なんにせよ俺は自分が情けなく思えた。そのまま、少しの間が開いた。
「、、、っごめんなさい、キョンくん。私が悪いんです。私が悪いんです、、、、、、、、、、、、。」
 慰めあったって仕方ないことはわかっていた。わかっていたが、俺の腕は、彼女を抱きしめたくてしかたなかった。
「キョンくん、怒らないで、お願い。お願い。私が悪いんです、、。私が、私が、悪いんです。私が、」
「いえ、俺もどうしょうもないんです。俺、もうどうしょうもないんです。俺も、俺も、、、、、、、、。」
 こうして二人は、幾たびも幾たびも輪唱し、晴れた後の木から大粒の雫が落ちたころ、やっと風呂を出た。

 俺は、夕食の前に、晴れた海を見ておこうと思った。このままじゃ、旅行気分が取り返せそうもない。砂浜は硬くなっていて、夕日を見ている人たちがたくさんいた。俺は一人になりたかったので、ちょっと登ったところにある岬へ行こうとした。
 海沿いの坂では、潮の匂いがした。岬の端にだれか立っていた。死ぬのかと思って少し、見ていたら、俺のほうを振り返った。逆光で少しの間見えなかった。果たしてそれは、朝比奈さんだった。
 彼女は、いや、死のうとしているわけではないんですという風に、ピョンと崖から離れて、引きつった笑みを浮かべた。
 俺はなんとなく彼女の横に立って、その夕日のほうを見た。ついて彼女も見ると、右の方から風が吹いてきて、彼女の髪を揺らした。
「キョンくん、さっきはごめんなさい」
「なにがです?」
「あんなに激昂してしまって。」
「いえ、全く、その通りでしたから」
「い、いや、そんなことないんです。ごめんなさい。ほんとに」
 といって彼女は紅くなった。のだと思う。夕日に照らされた顔からはうかがいづらかったけれども。麦わら帽子のせいで、目から感情を読み取ることもできなかった。
 戻ろうか、と言おうとしたその時、彼女がこちらを見つめていることに気づいた。
 目が合うと、また海のほうを見る。
「キョンくん。すごいですね!」
 彼女は必要以上の元気な声でそう言った。
「ほら、水平線が丸いですよ!人間の目で、地球が丸いってわかるんですね!すごいなあ」
 そう言う彼女の肩は、少し震えているようだった。
「えへへ、、。ごめんなさい、私。まだちょっと火照ってるのかもしれません」
「いえ」
 不意に風が強くなった。もう夜風の冷たさを持っていた。上空高くには、薄いながら月も見えた。
宿へと歩き出そうとした一歩で、朝比奈さんの麦藁帽子が、高く飛んで、その月を隠したと思うと、すぐ揺られ、崖の下へと落ちていった。下はほどなくして海だから、どこかへ流れていってしまうかもしれなかった。俺は、それを映画のワンシーンのように感じて、そっと傍観者じみた位置から見ていた。我に返った瞬間、帽子を追いかけて坂を下っていた。
 下まで降りて、砂浜を駆けると、海に浮かんだ帽子が見えた。彼女も追いついて、それを見た。少しサンダルに、砂が入った。彼女は、もう諦めて、優しげな目でそれを見ていた。
「もういいです」
 といって彼女は、宿に向かった。俺は彼女の、その白いワンピース姿の背中がどうにも、悲しそうでならなかった。俺は次の瞬間、全く迷わずに、上着と、洗われて間もない短パンを脱いで、海のほうへと駆けていった。
 飛び込むと、水が大きく跳ねる音を立てた。海は温かった。どんどん海が深くなり、臍のほうまで水に浸かる。が俺は、ヒラヒラするパンツそのままに、帽子目がけて足を動かした。
 後ろから、朝比奈さんの驚く声が聞こえた。が、知らぬふりをして、揺られるその帽子のほうに進んだ。
 サンダルはもう脱げてしまった。俺はサンダル右手に、必死に左手を伸ばした。が、とろうとするとそれは、また遠くに行ってしまう。
 もう、心臓が、海に全て入りこんだ。
 口に、塩辛い水が入った。でも、俺は歩くのを止めなかった。
 帽子の後ろには、大きな夕日があった。
 波はどんどん帽子を持っていった。
「キョンくん、もういいですよ!」
 そんな声が聞こえたが、もはやそれは朝比奈さんのためではなくなっていたのかもしれない。
 もう泳ぐしかない高さにまで、波がやってきたとき、俺は本当に精一杯腕を伸ばして、その帽子の端をやっとこさ掴んだ。
 、、、陸に上がると、朝比奈さんが、ハンカチを俺に渡してくれた。惜しげもなく、体中を拭いて、その帽子を彼女に渡すと、素直に喜んでくれた。
 その帽子を置いて、すそを捲って靴を脱ぐと、彼女は海へと足を入れた。真っ白な服が夕日を透かし、それは紅いワンピースとなった。
 やってきた波に手を入れて掬うと、俺のほうに放り投げた。そのときの無邪気な笑顔は、どの美術品よりも美しいように思われた。俺の首筋から胸へと、海水が流れた。
 どうも悪戯っぽいので、俺は彼女の方に行って、お返しをする。足の下にはワカメがあった。
 そのうち日が落ちて、月が映えるようになったころ、俺達は無骨な岩の上に座っていた。俺はノーパンだ。が、暖かい風が吹いていた。
「キョンくん」
「なんですか」
「私にとっては、これが最後の夏なんですよ」
「そうですか?これからだって夏は来ますよ?」
「、、、ばかですね、キョンくん」
「まあ、否定はしませんが、多分夏は来ますよ」
「あのねえ、、。あなた、恋愛小説読んだことないでしょう」
「まあ、ないですが?」
「、、。」
 と言うと彼女は閉口した。ははは、俺が彼女に主導権をとらせるわけがないだろう。もちろん気づいていたよ。朝比奈さんが、俺に好きだと言えなかったこと。俺が優柔不断なのに怒ったのも、俺が好きだからだってこと。でも、俺は意地悪だから、言わずにいたのさ。知らないふりをしたのさ?
「あのねえ、キョンくん。さっきお風呂でお話したことあったでしょう」
「ええと、朝比奈さんの好きな人のことでしたっけ」
「そうですよ。その私の好きな人って言うのは、優柔不断で、いつまでも好きな人に告白できずにいて、私に近しい人です。誰かに似ていると思いませんか」
「ええっと、心当たりはないですね」
 迫真の演技だ。俺は、彼女と月から見えない方に顔を向けて、堪えきれない笑いを少し吐いた。まあ楽しんではいるが、俺がもし、気づいているって言ってしまったら、彼女は俺に、怒りながら告白してしまったということになってしまう。それは少し、彼女に悪い。
「あのねえ、キョン君、私が好きなのは、わたしがすきなのはねえ、、。」
 と彼女は少し口ごもった。が、ようやく、その、数ヶ月は溜めてきたであろう言葉を、吐いた。
「私は、あなたが好きなんですよ」
 彼女の真剣な目を見てから、俺も真剣に見つめ返して、笑った。
「ごめんなさい」
 とそういうと、彼女はすっきりした顔をした。俺が安心して、目を閉じて寝転がると、彼女は俺の唇にキスをして、月を背に旅館に向かって行った。
 やわらかい唇だな、と思い、自分は負けてしまったと思った。やはり彼女は年上だったのだ。敗北だ。と、そう思うのであった、、、。

 二日後、浜辺で花火をした。そこら中に人がいて、静かな場所を探す。しかし静か過ぎるところには、おかしなことをしているアベックがいて、、、。いい場所を見つけるまで時間がかかった。人々の輪の中に紅い火が見えて、恐ろしさも含んだお祭りのようだった。
 そこにハルヒはいなかった。俺はふられてしまっていた。彼女は俺をふった次の日、用事があるといって去ったのである。理由は俺にあるとしか思えなかった。
 帰ってから俺は彼女を諦めようと、そこら中を歩き回った。
 一つ坂を上ったところに彼女がいるのが見えた。俺は走ったが、坂はあまりに急で、どうしても追いつけなかった。
 そして、何日が過ぎたのだろうか。もう、秋が来ていた。 そして、何日が過ぎたのだろうか。もう、秋が来ていた。

 三 俺

 忘れよう忘れよう、うん忘れよう。
 でも忘れられなかった。どうしよう。そうだ、長門にどうにかしてもらおう。
 ハルヒはもうこの街にはいなかった。俺はいないハルヒを埋めようと、長門の家に行って、慰めてもらったりしたが、小学生並みのコミュニケイションであってそれ以上はなかった。でも長門が必死に慰めてくれるのは嬉しくて、いつのまにか忘れかけていた。
 日曜日長門の家から帰ると、一通の差出人不明の手紙が俺に届いていた。開けるとそこには病院の住所と、どうも伝聞らしい文で、ハルヒが病気だと書いてあった。
 誰からだろうと気になったが、それ以上に彼女のことが心配だった。が、引越し先に電話をすると彼女は、嘘だと言う。病気なんかじゃないと。
 俺はそうか、そうかと言いながら、ハルヒの声が懐かしくて涙を流していた。それで俺はもう、ハルヒのことを忘れられるという自信がついた。
 電話を切ると俺はまだ紅い夕日を見て、少しすすけたような匂いを窓の外から嗅いで、長門を愛そうと思った。
 もうハルヒには断られた。絶対の愛はあっても、永遠の愛はないんだ。誰かを好きになるなんてそう続くものじゃあない。俺は真剣にそう思った。
 迷いもなく、眠った。とてもいい夢だった。起きた後歯を磨いて、そして靴を履いてでるまでになんのとっかかりもなく進んだ。そして坂を上るとそう、秋の匂いがした。
 後ろの席もいつのまにかそんなに意識していない。俺は本当にあいつを好きだったんだなと思って、その少し広く感じられる後ろの机を見て、そしてまた黒板のほうに顔を向けた。
 俺はなんとなく放課後に部室へ歩き、だれもいない部室のカーテンを開けて、窓から空を見た。団長と書かれたポールを倒して、部室を後にした。ドアから出るとき、後ろでハルヒの声がした気がして、振り返ってみるが、カーテンがなにしろ紅く染まっているだけで、ただの埃っぽい空気だった。
 昇降口の前に長門が小さく待っていて、暗い下駄箱から靴を出してその、校舎の影によって出来た紅い道を通って、彼女のところまで行った。
 彼女は何も言わず俺に着いてきて、下を向いて歩いている。表情は読み取れないが、何かに納得していないみたいだった。
 何か言うかなと思い。
 何も言わない。何か俺に非はあったろうか?もしくはなんだろう?
「なにか、なかった?昨日」
「ああ、なあんかへんな手紙が来てさあ。どうもいたずらの手紙らしいんだわ。ちょっとこわかったな」
「、、、そう」
 右を歩いている。彼女は町がよく見えるほうだ。俺は長門に焦点を合わしていたから町の様子はわからなかったが、彼女は俺から目を逸らすように、でこぼこした街を見ていた。
 光と影のなか、せわしく動く人間と車に何を感じているのか。いずれ、なんでも聞けるような仲になりたい。なんて、彼女の紫がかった髪の揺れるようすを見ていた。
 坂を作るコンクリート。沢山の小さな石から出来ているそこから、雑草が一つ生えていた。それも影を作っていた。それがほら、美しく感じられるのは、長門がいるからだろう?
「ほかに」
「ん?ん。今日みたいに、夕日が綺麗だったな、昨日は」
「、、、そう」
 ハルヒに電話したなんて言わない。言ってどうにかなることでもないし。
 彼女のすたすたと動く細い足を見ていると幸せな気持ちがエイトビートでこみ上げてきた。その衝動を抑え抑え、半ば暗黙の了解的に俺は彼女の家へと着いていった。
 秋の冷えがあって、路地なんかには冷たい空気が流れていて。影と饐えた匂いが頑固に座り込んでいた。頬から目が少し痛い。二度目の秋が訪れた。それは、ハルヒにとっても俺にとっても、新しい気分の始まりになるだろう。少し狭い路地には黒い猫がいた。
「ほかに」
「ううん。そんなもんだよ、長門はどうしてた?」
「とくに、、ない、、。」
 彼女の表情はわからない。彼女は前を歩いているからな。俺が前か後ろかで、意味がまるで違ってしまうことはわかるだろう?
 俺はバッグのない右手を持て余していた。
 長門の早歩きは俺の徒歩の速さと同じだった。だからまあ、いいといえばいい。しかしやはり気になってしまい、俺はその右手で、彼女の左手をぱっと掴んで、コンビニへと向かった。彼女は手と体を任せたが、どうも、掴んでも要領を得ない。小指がうまく、合わさっていないからかもしれない。俺はついに、振り返らずにセブンイレブンの中へと入っていった。
 なんで来たのかなんて、もともとろくな用事ではなかったので、目に着いたアン饅と肉まんを一つづつ買って、ささと逃げるようにして、そうだな20歩、あるいは15メートルぐらい歩いたところの交差点で、やっと手を離した。
 そこでやっと彼女の表情を捉えた。
 暖かそうな、ローブのような黒いコートに包まれ、顔を下に向けている。涙は浮かべていなかったが、唇はほんの少しだけ曲がっている。
 俺はアン饅と肉まんを半分づつにして、彼女に渡した。暖かい匂いはむしろ、彼女には逆効果だったのか、俺のほうを見つめて、目をその饅に落とすと、少し肩がびくりと震えた。俺には、まだ、どうした?と聞けるような資格はない。
 どうにもできない悔しさに、肉まんを噛んでみるものの、噛み応えのなさで危うく、舌を噛み千切りそうになった。
 彼女の目は俺を部屋にいれることを間違いなく、拒んでいた。信号が青になると彼女はそっと、白黒の模様の上を歩いていった。冷たい風だけが残った。彼女は振り返らなかった。
 そして俺はどうしたか。ふっふ。実は古泉とバイトをしていてなあ。なんとその金で、帽子を買ったのさ。長門に。本当に、ものに思いは宿るんだ。俺がプレゼントしようとしていた帽子は、真っ白の毛糸だ。有希にかけて真っ白。でも、とっても暖かい。
 まだ秋だってことは知っているよ。でもねえ。きっと似合うだろうと思うのさ。
 彼女は、植物ではなく、動物でもない。人間だ。俺が好きな人間だ。いつプレゼントしようか考えるけど、クリスマスまでは、待てない。
 そしてまた差出人不明の手紙が来た。俺は軽く読んで、捨てた。
 その次の日、目が覚めて、冷たい廊下を歩く。頬を叩くようにして顔を洗うと、急いで水滴を拭く。首筋まで垂れて、異様な冷たさを感じた。そう、窓が少し開いていたらしく、俺は少し風邪を引いてしまった。
 がしかし、休まずに、紙袋に帽子を入れて、学校へと向かった。制服から入る隙間風が痛い。谷口と途中一緒になり、俺の顔を見て、驚いた。それでも気分自体はそう悪くなく、マフラーの中に顔をうずくめていればそう、辛くはなかった。
 朝のホームルームの時間に、朝比奈さんが深刻な顔をしてやってきた。いきなり俺を呼んだかと思うと、ハルヒの殻の机を見て、堪えきれない涙を一つ流した。かと思うと、唇を噛み締めて俺のほうを見た。彼女もなんだかわからないといった風だったし、まあ俺も更に意味がわからなくて、とりあえずと、廊下に出た。他に生徒はいなかった。スリッパが冷たい音を立てていた。なんだか廊下全体が白いような感じがした。
 あのときと同じように彼女にハンカチを渡すが、平気ですと大人びた様子で、自分のそれを使った。その目にはおどおどしている様子がなかった。一人の大人の目をしていた。
「キョン君、しっていますか。」
「、、、何を、ですか?」
「知らないんですね?」
 俺は彼女のその真剣な様子に驚いて、返事も出来ずにただ眼を見開いていた。彼女はとても真剣な面持ちで俺のほうを見ていた。
「きのう、私の家に差出人不明のお手紙が届きました。何故私の家にだけ来たのかわからないんだけど、その手紙には、涼宮さんが、死ぬかもしれないと書いてあったんです」
「あ、ああ、それなら俺のうちにも届きましたよ?その前にも届いていて、心配でハルヒに電話したんですが。彼女は嘘だと、そう言っていました。」
「え?」
「彼女の転居先に電話したんです、、。でも、彼女は元気に、違うと言っていました」
「え?で、でも昨日私が電話したときは、涼宮さん、入院してるって。彼女のお母さんが言っていましたよ?」
「え!?」今度は俺が驚く番だった。
 俺は古泉のところへと走った。朝比奈さんも着いてきた。が、古泉はいなかったのだ。だから俺は、長門のところへ行った。っが、しかし風邪が悪化してきて、そう長く走れない。長門のところに着いたときすでに、もうホームルームは始まっていた。俺は恥ずかしさを感じず、多少の風邪の焦燥感も伴い、彼女を少し強く引っ張って廊下まで出した。
 長門は下を、向いていた。
 そのあとすぐ、俺は校門へと駆け出して、こいつの体にしがみついたわけなんだけど、、。詳しい話は、次に止まるパーキング・エリアで聞こうと思う。
 迷わず駆け、校庭を突っ切っていく俺は皆から見られていた。がそれを古泉はがっしり、受け止めてくれた。言葉少なに、広い高速道路を冷たい風を受けながら彼の体を抱いていると、全てをわかってくれているんだろうな、と思えて涙が、一つ後ろに飛んでいった。
 バイクに乗るのは初めてだった。ジャケットは貸してもらったが、そんなに寒くないものだ。少なくとも、俺達二人にそんな風は無効であった。風邪引きさんの俺に朝比奈さんは、暖かいマフラーを貸してくれた。ついにジャミラみたいになってしまった。長門は、、うつむいて何も言わなかった。
 こんなに急ぐ必要はあったのだろうか?わからない。もしかすると、本当にやばいのかもしれない。とりあえず今は、古泉の体を精一杯抱きしめるだけだ。
 俺は、車の間を流れるように進むバイクに乗って、長門のことを考えていた。
 差出人は、長門であったのだろう。もう少し早く気がついても良かったのかもしれないが、なんであの時、謝るような顔をしていたのだろうか?
 もしも、彼女が何かしらによって、ハルヒの病気を知らされたとして、それを何故、差出人不明の手紙で出したのか?
 考えたってわからないとは思うのだが、どうも納得いかない。
 それと、朝比奈さんの言った言葉。
「死ぬかもしれない」という文字。俺の手紙にはそんなこと、書かれていないのだ。
 確か、「入院している」としか書いていないはずだ。何故そこの文面を変えたのか?
 大事なのは、誰がどう得をするかということだ。この長門の行動は、全然彼女自身のためになっていないように思えるのである。
 差出人とされたら困ることが、何かあるだろうか?彼女がハルヒの危険を知らせたいのならば、他にも手段がいくらでもあるはずなのだ。
 隠す意味は、基本的にはないはずなのである。つまり、なにか強い思いが働いているということなのである。手紙の主だけではなく、その周りの人間の全てに。
 ただ俺は、着くのを待つのみである。
 そう大きくないP・Aに止まって、俺達は座って、話す機会を持った。ブラック・コーヒーを機械に淹れてもらって、トイレへと行ったあと。
 彼は何も隠していないようだった。
 ハルヒの容態はそう悪くないらしい。俺は安心して、ついついため息をついてしまった。よかった。よかった。よかったなあ。白い息が漏れた。
「実はね、キョン君。僕にも、本当のことはよくわからないんです」
「ただねえ。これだけはわかるんです。誰も、間違ってはいない。でも、あなたが救ってあげられる人が中にはいます。僕は、それを手伝います。行きましょう。今度止まったとき、お話します。今は急ぎましょう。あと半分です。」
「ああ、有り難う」
「ほら、掴まって下さい。少し飛ばします。」

 二階の、ある病室には何人かの人がいた。バナナを食べている人、家族と喧嘩している人、眠っている人。みなに同じ風が吹いていた。病院の特有のにおいもその風に飛ばされたらしい。どこかで誰かが生死の境を彷徨っているのかもしれないけれども、清清しい空気に感じられた。
 ハルヒのベッドは、玄関から入って一番奥の左にあった。窓際で、窓からは俺の知らない町が大きく見えた。
 彼女の横顔も、その街を見ている。俺は話しかけるのを忘れて、少し、同じように見呆けていた。
 さらりと、リボンのない落ちた、少し短くなった髪がさわさわと揺れていた。外に立つ大きな銀杏の奏でる音に似ていた。
 そのまちも、カーテンも、病室の中も、みんな同じ風に吹かれている。
 俺は何も言わず彼女に寄って、知らないふりをして椅子に座った。
 彼女は驚いていた。が、すぐ、整わない呼吸になり俺に抱きついて泣き出した。俺は彼女がベッドから落ちないように、体をベッドに寄せた。そしてぎゅっと抱きしめた。俺もなんだか肺に重いガスが溜まったみたいになって、重く、沢山の息を吐いた。そして疲れを癒すように、その場に倒れこみそうになった。
 が、ここで倒れこんでしまうわけにはいかない。安心でどんどん、床に落ちそうになるが、それは男として出来ない。とりあえず彼女が泣き止むまで、背筋はピンとしてなければいけない。ああそうだマスクをしなければ。彼女にうつしてしまったら大変だ。
 ポケットを探っていると、更に体が悪化し始めた。どうしようもなく、重い。しかも頭が熱く、体中が寒い。
 しかし彼女に触れていると少し、楽になった。お互いに癒せるのであればそれ以上にいいことはない。
 彼女の病状は、さっき古泉に聞いた。明日、手術をするそうだ。成功確立はそう低くない。ということだった。むしろここのお医者様は、その病気にはとても精通しているらしいということだった。転校なんて嘘だったんだ。
 なぜ転校と嘘をついたか、それは古泉に聞いてもわからなかった。が、彼は答えを見出しているようでもあった。
 彼女の涙を、冷えた俺の手で拭いて、じっくり顔を見た。三ヶ月ぶりに見る顔は、少し大人びたように感じた。俺はなにか言ってやろうと思っていたが、彼女を見るとそんな気分はどこかに飛んでいってしまって、自然に笑みが浮かんだ。彼女はそれを見て更に泣き出した。右手を差し出すと、彼女はそれを右手で掴む。
 その泣いているところを詰問する気にもならなかった。俺はそっとベッドの周りのカーテンを閉めて、彼女のベッドに座り胸をくっつけ合って、深く抱きしめた。
 ものすごく眠くなってしまい、抱きしめる力も少し弱くなった頃、ハルヒは俺の体を離れて、そっと自白するように強く話し始めた。が俺はその口を手で塞いだ。彼女は驚いていた。
「いいんさ」
 彼女はそっとベッドにもぐりこんで、暴力的ではない泣き声を出した。右手を繋いだままだ。なんだか思いが伝わってくるようだった。
 俺は吐き気を催して、ばたりとベッドから落っこちそうになった。が、今日手術なのである。心配させられない。俺がトイレに向かおうとすると、彼女も後ろから着いてきた。廊下が長く遠く感じられ、二人は傍から見れば兄妹のようだったかもしれない。
 日は一番上にあるから、病院には異様な暗さがあった。俺はトイレになだれ込み、吐き気を抑えた。少し経つと気持ち悪さも和らぎ、熱が浮いた。排尿を終えると脳も強く廻り始めた。トイレの窓から大きく息を吸うと、落ち着いた。
 トイレの外で待っていたハルヒに強く笑いかけると、彼女もそっと笑った。二人で歩く廊下はあの、学校の廊下に思えた。
 俺はただ、笑っていた。彼女もそれに答えて笑っていた。
「ハルヒよ。大丈夫なのか」
「うん、、。先生がなんとかしてくれるわ。」
「そうか。なら、いいんだ」
「うん、、。」
「今日手術するんだって?」
「うん、、。」
「頑張って」
「、、うん」
「、、、気にするな。話したいときに、話してくれればいい。だから死なないでくれ。今はただ生きてくれていればいい。本当に、それだけだ。なにも、心配なんてするな。お前のことを嫌いになったりなんかしないし、お前が、失うのを怖いと思ったものだって、取り返してやるから」
 なんて、自分でも何言っているのかわからない。でも彼女を全肯定してあげたいと思った。俺の本心を言ってしまおうと思った。あのときいえなかった俺の本当の言葉を。
「、、うん」
「ねえ、キョン。中庭に出てみようか。」
「いや、寝ておけ。許さんぞ」
「、、うん」
彼女は、中庭の見えるテラスに出た。そして落ち葉を一つ拾った。その様子は天使のようだった。
「もう、秋なのね」
「そうだな」
「キョン。私ね」
「ん?なんだ」
「私ね、あなたが好き。、、、すき。いつだってそうだった。」
「、、、。」
「でもね、私、怖かったんだ。あなたがいなくなっちゃうのが。いや、それだけじゃない。キョンのこと思うと全部、忘れてしまう。この感情が怖くて。理由のない感情が、怖くて」
「そう。私にはその気持ちを証明することができなかったの。私はそれを一度、失ってしまおうと思った。だから、私は嘘をついた。」
「あなたを嫌いだ。って。それと」
「、、、あなたに、心配させたくなかった。私を、忘れてほしかった、、、。」
 拾ったその葉っぱを風に乗せて、町のほうへ飛ばした。
「ばかだねえ、おまえ。好きだって気持ちに、理由なんてないんさ。俺はお前がいなくなってしまって、とっても悲しかった。それにな、俺はお前の力になりたいんだ。」
「お前の不安をぶっ飛ばしてやるのが、俺の仕事なんだ。」

 彼女を手術室に送ると、俺はロビーの長いすに寝転がった。古泉が入ってきて、一つ後ろの椅子に座った。ジャケットをかけてもらった。暖かかった。
「大丈夫ですか。涼宮さんは」
「ああ。信頼できる先生だったよ」
「そうですか。よかった、、、。」
 彼は俺の近くに寄って、額に手を当てた。気持ちよくてそのままにしておいてもらいたかった。もう診察は終わり、ロビーは夕日で赤と黒に分けられていた。水を汲んできて、近くの薬局で買ったジキナを俺に飲ませた。夕日が水に反射した。俺はずっとそこで、夕日の落ちる場所を見ていた。
「キョン君」
「なんだ」
「お話、しましょう。あのときのこと。僕がわかる範囲のことを教えてあげます。」
 俺はその、日の落ちる、山とビルの間を見ながら、それを聞いていた。
「覚えていますか。あの雨がようく降った日。あなたがジュースを買いに行ったとき。涼宮さんは僕と長門さんを呼んで、本当のことを言いました。」

 古泉は夕日の更に向こう側を見るような目つきで、俺と同じ場所を見た。
「そして、顔を紅くして言うんです。私、入院するんだって。転校は嘘だって。そして、それをあなたに言わないで欲しい。と。そう言うんです。どうしてだと思います?」
「、、。」
「多分ね、彼女は自分が怖くなったんですよ。わけのわからない好きという気持ちが、どんどん大きくなって。それが失敗するのを恐れて、その気持ちから一時離れていたいと思った。あなたを失ってしまったら、それはそれで楽なんじゃないかと。」
「で、でもな。古泉、俺実は長門に、、。」
「、、もしかしたらそれも、承知の上だったのかもしれません。涼宮さんは過去に縛られてしまっていたんでしょう。とられたらとられたで、普通の気持ちでいられますから。好きだという気持ちは、薄れていくと思ったんじゃないでしょうか」
「、、。」
「長門さんも、苦しんでいた。涼宮さんが戦線を離脱して、自分に有利な状況になった。だけれども、それは卑怯でもあるし、あるいは一人で病院にいる涼宮さんを哀れに思ったのか。きっとそんな自分が許せなかったんでしょう。それで、どうにかしてあなたに伝えようと思ったんでしょう。」
「実は僕も、悩んでいたんです。あなたに心配をかけたくないという涼宮さんも間違ってはいないけど、それじゃあまりに孤独すぎる。あなたに言ったほうが良かったんじゃないかって。そんなとき、長門さんとたまたま、帰り道に会ったんです。彼女はこんな夕日の綺麗な日に、ちょうどこんな風に、夕日の落ちる場所をじっと見ていたんです。公園の真ん中に立って。」
「僕が声をかけると、彼女は振り返りました。目が合うと逸らし、土をじっと見ました。」
「そして、僕に言いました。あなたに手紙を出したこと。どうしたらいいかわからないということ。キョン君を好きだということ。」
「、、そうか、、。」
「長門さんは本当に悩んでいたんです。このままあなたと一緒にいていいのか。あなたの隣にいるべきなのはわたしでは無いのではないかと、いうこと。」
「朝比奈さんも、涼宮さんが入院するということを、聞いたそうです。涼宮さんは一足先に帰ったでしょう?その日の朝に聞いたそうです。」
「じゃあ、今日泣いたのは、もしかして」
「、、演技でしょう。、、もしくは、彼女も苦しかったのかもしれません。本当のことを秘密にしておかなければいけない苦しさは、あったのかもしれません。」
「そして昨日の夜。長門さんはぼくと朝比奈さんに電話をしてきました。一芝居してくれ。という用件でした。僕たちは快く引き受けました。そのほうが正しいな。と思ったんです。もっとも、少し矛盾はあったようですがね。」
「でもね。キョン君。朝比奈さんと長門さんの、全てが演技ではないと思います。本当の気持ちもたくさんあったでしょう。だって彼女たちは、あなたを好きなんですから。それを諦めるということは、どれだけ辛かったか。わかりません。」

(そうか。俺の手紙の文面と、朝比奈さんの手紙の文面に違いがあったのは、本当は俺にしか、手紙が届いていなかったからか。)
「わかりましたか?キョンくん。わかったなら、眠りなさい。手術が終わったら、起こしてあげますから。」

 四 そしてまた春が

 手術は成功し、俺と古泉はそこらのラブホテルで一夜を明かした。
 朝起きて、公衆電話から長門に電話をした。今日は体育の日だから、学校はない。
 何度かの呼び出し音の後、がちゃという音がする。俺は少し緊張した声で、名を名乗った。
「あ。キョンですが」
「、、長門です」
「おはよう」
「、、おはよう」
 少し間が開いたが、十円はそう多く持っていない。
「あのさあ。昨日古泉が電話したと思うけど、手術成功したんだよ」
「知っている」
「そうか。それでなあ。いろいろ聞いたんだ」
「ごめんなさい」
「いや、謝ることはない。誰も悪くないはずだ。俺はお前に感謝しているよ。ありがとうな」
「ごめんなさい」
「本当にいいんだよ。長門の辛さはわかる。」
「ごめんなさい」
 チャリーン。
「謝らないでくれ。、、、そうだ。俺の鞄って、長門が預かってくれているのか?」
「そう」
「じゃあさ。紙袋もあるだろう?」
「ある」
「それの中にさ、帽子が入っていると思うんだ。」
「入ってる」
「それお前にプレゼントするよ。お前がいてくれて、俺はありがたかった。何度も助けられたからな。お礼だ。」
「、、。」
「な。だから謝らないでくれ。ありがとう。本当にありがとう。長門」
「、、ありがとう。でも、優しくしないで。あなたは、彼女のそばにいて。いつか雪が降ったら、使わせてもらう。とても暖かそう」
「そうかい?喜んでくれてありがとう。」
「こちらこそ。私は嬉しい。みんなで帰ってきて。待ってるから。」

 ツー。ツー。ツー。

 俺は電話ボックスから出ると、病院のほうにと歩き出した。朝日がまぶしい。白い息を吐くと、空を見た。薄い雲がかかっていた。振り返っても、知らない町はとても静かだ。



















 終わり

 2008/11/16 Sunday
 ありがとう御座いました

 


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