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 朝倉さん、ちょっといい?
 教室を出た所で僕に呼び止められた彼女は、いつもの穏やかな笑顔を僕に向けている。
「どうしたの?」
 ちょっと話したい事があるんだけど、放課後に用事とかある?
 次の授業で使う音楽の教材を胸に抱えたまま、彼女は思案するような顔を浮かべ
「今日は……そうね、委員の仕事もなかったはずだから……うん、大丈夫。ところで何のお話
なの?」
 楽しそうにそう聞いてきた彼女に、僕はなるべく意識しないようにしてその名前を口にした。
 キョンの事とか、かな。
 一瞬、朝倉さんの顔に浮かぶ動揺。それには気づかない振りをしつつ、
 じゃあ、放課後に教室で待ってるから。
 いつもと変わらないように見えてどこか違う笑顔の彼女を残して、僕はゆっくりとその場を
立ち去った。
 

 彼女は不思議な感じがする。
 そう僕が思ったのは、彼女をはじめて見た時からだった。
「ああ? 俺様美的ランキングAAランクプラスの朝倉良子を見て運命の出会いを妄想しない奴
なんて居るわけないだろ。一目見た瞬間にもちろん俺もしたんだ」
 谷口はそう言って取り合ってくれなかったけどね。
 そりゃあ僕だって彼女は綺麗だと思うし、クラスの中でも人気者だとも思うよ。それに運動神経
も抜群で、誰にでも優しいんだから男子が気にしない理由なんてないよね。
 ……でも、そうじゃないんだ。
 彼女はある意味で僕達とは違うんだと思う。
 彼女の視線は僕達を見ているようで見ていない、というよりも涼宮さんを見る視線だけが特別で、
他の人はどうでもいいように思える。
 でもまあ、教室には30人近い人数が集まるんだから中にはそんな人も少しは居るよね。
 もっと個性的で、回りを寄せ付けない人もうちのクラスには1人居るわけだし。
 だから僕は、彼女の事を不思議な人だとは思っていたけどそれ以上の感情は持っていなかった
んだ――あの時までは。
「あたしがいくら話しかけても、なーんにも答えてくれない涼宮さんがどうしたら話すようになってくれ
るのか、コツでもあるの?」
 突然、会話の中に入ってきた彼女を見て、谷口はただ喜んでいて、キョンはなんだか面倒くさそう
に首を振って一言。
「解らん」
 そんなキョンを見て、朝倉さんは笑顔の話し続けていく。
「ふーん。でも安心した。涼宮さん、いつまでもクラスで孤立したままじゃ困るもんね。一人でも友達
が出来たのはいいことよね」
 涼宮さんの友好関係を気にする優しい委員長? その時の印象はそんな感じ。
 谷口は「俺の言ったとおり性格まで最高だ」とか騒いでたよ。
 それからしばらくして、僕はそれだけではないんだって思ったんだ。
 何故なら、その日を境に朝倉さんは涼宮さんよりもキョンの事を見ている事が多くなったんだから。
 彼女がキョンを見つめる視線は興味? 
 ん~それよりももっと複雑で、どこかで見た事がある視線だと思うんだけど……あ、そうか。
 ――どう考えてもこれはよけいなお節介。第三者の僕が言うことなんかじゃない、けど僕じゃなきゃ
言えない事ってあるよね。
 思い立った僕は、教室を出て行くクラスメイトの後を追いかけた。

 


「……お待たせ。お話ってなあに? キョン君の事なのよね」
 もしかして来ないのかな? 僕がそう考え始めた時、夕陽によって真っ赤に染められた教室へやって
来た彼女は、入口に立ったまま僕へとそう聞いてきた。
 椅子に座ったままの僕からは、彼女の表情は夕陽に照らされていてよくわからない。
 こっちにきて座ってよ。そんなに警戒しなくていいからさ。
 僕は隣の席の椅子を引き、入口から動こうとしない彼女に笑顔を向ける。
 数秒後、彼女はゆっくりとその椅子へと近づいて来た。
 僕の向かいの椅子に座り、緊張した顔を向ける彼女の目を見る。
 ……う~ん、やっぱりよくわからない。けど、信頼できない人って感じはしないんだよね。
 朝倉さん。キョンはさ、昔から変わった人が好きだったんだ。
 しばらく間を置いてから話し始める僕に、朝倉さんは緊張した面持ちで
「そうなんだ」
 とだけ答えた。
 自分の気持ちを上手く伝えられない人や、自分の殻を作ってしまっている人の内面に自然と接する事
がのが出来るっていうのかな。まあ、意識してやってる事じゃないみたいなんだけどさ。キョンの近く
でだけは笑顔で居る人って中学の頃から結構居たんだ。僕がその事を何度言っても、キョンは認めよう
としないんだけどね。
 小さく声を出して朝倉さんが笑っている。
「ちょっとわかるかも。彼って回りの事はよく見てるのに、自分に対する事は殆ど見えてない感じがす
るもの」
 それって、朝倉さんもだよ。
「え?」
 僕は、朝倉さんの目を見逃さないようにしっかりと見つめた。
 違ってたらごめんね。朝倉さんはキョンの事が好きだったりしない?
「……急にびっくりするじゃない。なんでそんな事を聞くの?」
 朝倉さんなら、そう聞き返してくると思ってたよ。準備しておいた返答を、そのまま告げる。
 キョンが朝倉さんの事が好きだから、朝倉さんの気持ちを聞いてきてくれって頼まれたんだ。
「え?!」
 声を上げて驚く朝倉さんを見つめた後、
 ごめん、嘘。
 僕は続けてそう言った。
 大げさにため息をつきながら、
「もう、国木田君がそんな事を言う人だったなんて。なんか意外だな」
 彼女は怒ったような笑みを浮かべている。
 ん~そろそろ話してもいいかな? 
 彼女の視線と、笑顔の中に僅かにあった警戒心が消えたのを見て、僕は本題を切り出した。
 そんな鈍いキョンだけどさ、1人だけ本気で付き合ってた女の子が居たんだ。まあ、本人は認めてなかった
けど、回りから見たら付き合ってるようにしか見えない、そんな関係の女の子がね。今でも2人は友達だって
キョンは言ってる。多分、これからもそうだと思う。
「ふ~ん……そんな事があったんだ」
 ゆっくりと何度も頷く朝倉さんは、興味深そうな視線で続く言葉を待っている。
 ――ここではない教室の中、泣きながらキョンへの思いを相談してきた懐かしい顔がいくつも思い出される。
彼女達が口を揃えて言う事は、キョンの気持ちがわからないという事。
 優しくしてくれても、それ以上先には立ち入ろうとしない。
 それは何故なのか、自分の事が嫌いなのか?
 他に好きな人がいるのか?
 その相談に対する答えを、僕は持っていなかった。
 それは、本人が気づかなければいけない事だと思ったから。
 これって矛盾っていうのかな? どんなに固い心の殻でも突き通す彼の心を捉えるには、やっぱりどんな殻
でも突き通す力が必要だ、なんてさ。
 神様って、本当にいじわるだと思う。
 口を止めたままでいた僕の顔を、朝倉さんはじっと見つめている。 
 キョンはさ、自分の価値を自分で認めようとしないから自分への気持ちに気づいてあげられないんだって僕は
思うんだ。だから、もしもキョンの事を好きだったり、好きになった人を知ってたら積極的に伝えないと思いは
届かないって教えてあげて欲しいな。待ってるだけじゃキョンは何も気づかないだろし、きっと何もかわらないと
思うから。それって辛い事でしょ? 僕が朝倉さんに話しておきたかったのはそれだけ、変な事を話してごめんね? 
 僕の話が終わった後、朝倉さんはその内容を思い返すように何度も小さく頷いていた。
「……国木田君って」
 なにかな。
「お節介よね、本当」
 そうだね、自分でもそう思う。
 ――朝倉さんは、キョンの事を好きな人を知っている気がするんだ。そして朝倉さん自身も、誰かの事を好き
でいる気がする。
「本当、優しいお節介さん。……今日はありがとう。私がそう言うのも可笑しい気もするけどね。キョン君の事、
前より少しだけわかった気がする」
 椅子から立ち上がった彼女の顔は、夕陽に照らされていてよく見えない。
 そんな彼女を、僕はただ見つめていた。
 ――彼女はきっと気づいてる。僕が言った言葉は、自分にも向けられていたんだって事に。

 


 やっぱり、神様っていじわるだ。
「……えー。朝倉が、ご両親の都合でカナダへ転校する事になった」
 騒然とする教室内、困惑した顔の生徒と教師。中でも一際ショックを表現していたのは
「おいおいマジかよ? なんでよりにもよって1年でも指折りの美人がいきなり転校なんてするんだ? ……
あれ、お前も女子が減るのは寂しいのか?」
 なにそれ? 寂しいに決まってるじゃないか。
「だよな~……しかもよりによってこのクラスで一番の美人が居なくなっちまったんだぜ? 俺はこれから誰を
眺めて授業を受ければいいんだ? ったくよ~」
 溜め息をつく谷口だけど、考えるまでもないんじゃない?
 眺める相手ならお勧めがあるよ。
「おい、そいつは誰だ?」
 黒板。
 身を乗り出して聞いてくる谷口にそう告げると、
「お前に聞いた俺が馬鹿だったよ」
 至極真面目な意見だったつもりだけど、谷口は心底呆れた顔をして僕のお勧めへと向き直った。
 僕の視線はといえば黒板へは向かわず、主を失い空席になったクラスメイトの机へと辿りつくと思わず息がつ
まる。
 思い出される最後に見た彼女の笑顔――朝倉さんは、思いを告げる事ができたのかな?
 やがて吐き出された息は、小さな溜め息へと変わっていた。

 


 国木田が溜め息をつく話 終わり

 

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