第二章『何言ってるの?キョンは三年前に死んじゃったじゃない』

 

 


 文字通り死ぬ思いで手に入れたレンチでハンドルの鎖をねじ切り、シャッターを全開にした。
「……何よこれ」
 全開のシャッターから見える空は、とことん色味が抜けた灰色だった。
「あの巨人の夢の時とおんなじ空……」
 SOS団結成して一ヵ月後、あたしはキョンと学校に閉じ込められる夢を見た。青い巨人が北高の校舎を薙ぎ倒して、そして夢の最後には……

 

 

 あたしは夢の終わりにキョンにされた行為を思い出し、無性に恥ずかしくなった。
「な、何考えてるのよ!!あ、あれはただの夢で、キョンとはなんでも無いんだから!!」

――ガーガー。

 いきなり鳴ったノイズに、あたしは情けないくらい体をビクつかせた。な、な、な、何よ!?また怪物!?
『ガーガー――ピー――ハルヒ――ピー――ガー』
 汚いノイズの途中に、確かに「ハルヒ」という言葉が聞こえた。
「キョン!?」
 間違いない。キョンの声だ。
「キョン!!返事して!!ここにいるの!?」
 スピーカーに顔を近づけ、大声で呼びかけた。
「ピー――ピー――ゴメン――ザー……」
 ただ一言、それだけ言ってラジオは沈黙した。
「なんであんたが謝るのよ……謝るのは……」
 …………………………誰よ?あたし、キョンに何かしたっけ?そりゃ確かに雑用とか言って、色々こきは使ったけど……

 

――ズキン!

 

 その瞬間、頭をゴルフクラブでカチ割られるくらいの鈍痛が走った。
「……なんなのよ。この頭痛は」
 風邪なんか、ここ数年はひいた覚えは無いわ。……なんだろう?まるで思い出すのを体が拒否しているような……
「やめやめ!とりあえずキョンの声が聞こえたんだからいいじゃない!!」
 このラジオからキョンの声が聞こえたということは、あの手紙の主はまだどこかにいる可能性がある。キョンの生首は……きっと作り物よ。あたしの動揺を誘うために、朝倉が作ったのよ。絶対。
「とにかく北高を目指しましょう。きっとキョンはそこにいるわ」
 そう思い込むと、少しだけ足取りが軽くなった。

 

 

 北高を目指し、灰色の世界を歩き続けた。
「……ふう、徒歩だとさすがに疲れるわね」
 こんなことなら車かバイクの免許でも取っとけばよかった。どうせ大学生活なんて暇で退屈なだけだったし、それがあれば遠くの町まで不思議探索ができたし。……一人っきりだけどね。
「いっそのこと近くの駐輪場に行って、自転車をカッパ……無断拝借してやろうかしら。鍵なんかこのピストルでぶっ壊せばいいし」
 あたしは指先でクルクルとピストルを弄んだ。もうこいつの扱いにはだいぶ慣れたわ。弾もなぜかそこらへんに落ちてるしね。心の底から不気味だけど、事実、助かってはいるわ。
 そう思いながら、何気なくあたりを見回した。
「え……みくるちゃん?」
 目の前の十字路を、みくるちゃんにそっくりな女の子が、全速力で横切った。
 いや、そんなわけがない。さっきの女の子は北高のセーラー服を着ていた。あの真面目なみくるちゃんが北高を留年するとは思えない。しかし、他人の空似とも思えないくらいにそっくりな女の子だった。
「待って!!」
 進路変更。あたしはその女の子を追うことにした。気になる。絶対に何か知ってる気がした。

 

 

「ゼェゼェ!ハァハァ!」
 やっぱりみくるちゃんじゃない。
 なぜならあたしが全力で走っているのに、まったく追いつかないからだ。あのみくるちゃんがこんなに早く走れるわけがない。
 それに一回も転んでない。本物なら、もう三十回は転んでもいい距離だ。

 

 


 あたしの肺が悲鳴を上げ、そろそろ走れなくなった頃、みくるちゃん(?)はある建物の敷地に消えていった。
「ハァハァ……やっと追い詰め…………あれ?ここは……」
 みくるちゃん(?)が入った場所、それは総合病院だった。
 だがそこは、普通の人なら何の変哲も無いただの総合病院だろうが、あたしは違った。なぜなら……
「キョンの死んだ病院……」
 言った瞬間、胸を日本刀で斬られるような錯覚を覚えた。正直、入りたくない。
 病院の敷居を跨ぐことにためらっていると、みくるちゃん(?)がスタスタと院内に入って行ったのが見えた。
「……わかったわよ!行けばいいんでしょ!行けば!」
 あたしを意を決して、敷地内へと進入した。

 

 

 院内はさっきの光陽園駅と同様に、ひっそりと静まりかえっていた。生物の気配がしない。そんな感じだ。
「まずは病院の地図を探すべきね」
 総合窓口の裏手に侵入し、見取り図と、何か使えそうなものを探した。……泥棒なんて言わないで。わかってるから。

 バサ。

 カウンターを漁ってると、大きな茶封筒が床に落ちた。入っていたのは胸部のレントゲン写真だった。誰のだろう?あたしは封筒の印刷面を見た。
「これ!キョンの名前じゃない!」
 印刷面にはキョンの本名が書かれていた。間違いない。キョンのレントゲン写真だ。あれ?まだ何か入ってる?

『キョンに会いたいなら死ねばいい。
          あなたがキョンと同じ場所に行ける保障はないけど』

 …………………………何よこれ。気味悪い。大きなお世話よ。
 そう記された紙をぐしゃぐしゃに丸め、ゴミ箱に思いっきり投げ捨てた。誰よ!こんないたずらしたのは!
 カウンターで見つけたのは、ピストルの弾がつまった箱二つと、病院の見取り図と懐中電灯、このレントゲン写真だ。それらをすべて同じくカウンターで見つけたデイバッグに詰めて、総合窓口を出た。

 

 

「とりあえず、キョンの入院していた病室に行ってみよう」
 あの子は多分みくるちゃんじゃないけど、まったくの無関係とは思えない。もしかしたらあたしと同じでキョンの痕跡を探してるのかもしれない。ならキョンの入院していた病室に行ってもおかしくない。
「キョンの病室は、確か最上階の一番奥だったわ」
 あそこは病院一の見晴らしだと、ナースが言っていたのを覚えている。あの時は風景を楽しむ余裕など無かったから、そんなに見てないけどね。
 なら、エレベーターね。さすがに最上階まで階段で上がるなんて体力の無駄よ。あたしは地図と足元の矢印を見ながら、エレベーターホールに向かった。

 


――ガーガー。
 ラジオのノイズが鳴り、廊下の奥で何かが動いた。……あー、絶対になんかいるわ。お友達になれなさそうな何かが。
――キョオオオオオオオオン……
「へ?」
――キョオオオオオオオオン……
 そいつは苦しそうに「キョン」と言いながら、近づいてきた。
「うわぁ……」
 思わず言葉を失った。悪趣味にも程がある。
――キョオオオオオオオオン……
 そいつは血と膿で穢れたナース服を着た「あたし」だった。手にはあたしと同じで鉄パイプを握っている。完全に殺る気ね。鉄パイプの先端が今まで何人も葬ってきたかのように、赤グロく変色している。
――キョオオオオオオオオン……
「ナースのコスプレをしていいのはみくるちゃんだけよ!!どきなさい!!」
――パァン!
 弾丸は、血の気を感じない程に色味を失っている心臓に命中。だが、
――キョオオオオオオオオン……
 朝倉同様、ためらうことなく近づいてくる。
「うるわぁ!」
 間合いを測り、タイミングよく鉄パイプをフルスイング!
 ゴキィ!鈍い音が聞こえ、ナースもどきの頭は直角に折れた。
――キョオオオオオオオオン……
「うっさい!」
 グシャ!首が折れてるにも関わらず、床に這いつくばってまで襲い掛かってくるナースもどきに、強烈なストンピングを叩き込んだ。
――キョオオオオオオオオン……
 断末魔の叫びが少しだけ人間くさく聞こえたので、かなり胸が痛んだが、気にしないことにした。……早くあの子を探し出そう。気がおかしくなりそう。いや、もうなってるのかも。

 

 


 白衣を血膿でドス黒く染め上げた悪魔たちを鉄パイプで葬り続けること数体、そろそろあたし似の血まみれ看護士の断末魔に慣れた頃だ。やっとエレベーターホールにたどり着いた。
「えーとたしか九階だったわね」
 古泉くんのつてで、この病室の一番景色の良い部屋だったから病室もしっかりと覚えて……は?
 おもわず階層が横並びに記されたパネルを二度見してしまった。
 念のためデイバッグからキョンのレントゲン写真の入った封筒を取り出し、病室の確認もした。
 ……そろそろ認めるべきね。キョンの病室のあった最上階が、パネルには存在していなかった。
 常識から言って改築工事かなんかで、九階が丸ごと潰れただけかもしれない。だがこれまでにあたしに降りかかったくだらないホラー映画のような非常識な展開が認めなかった。
 階段で行けばいいと思うが、その非常識な展開に拍車をかけるかのごとく、ダンボールや木の板で封鎖されていたのよね。
「これは本気で困ったわ。いくらあたしでも壁をよじ登るなんて出来そうもないし……」
 何か、何か抜け道は無いかしら?目からレーザー光線を放つかのように、地図を注意深く凝視した。
 いい加減地図に穴が開きそうになった頃、『業務用エレベーター』という物が裏口付近にあることを発見できた。
「ちょっと遠回りになりそうだけど……行くしかないわね」
 業務用なら全ての階に通じてるかもしれない。無くなった九階にもね。なんとなくだけどそんな気がするわ。

 


「ふぅ。ちょっと探しちゃったじゃない」
 化け物とバリケードのせいで、業務用エレベーターに到達するために地図上の目測の倍近い距離を歩いたが、なんとか「業務用」と書かれたパネルの下に到着できた。
 だが起動パネルを見た瞬間、あたしの達成感は一気に疲労感へと変わった。
「……勘弁してよ。カードキーなんてこっちは持ってないわよ」
 その通り。起動パネルには横に細長い切れ込みのカードキースロットが設置されていた。
――ガゴン!
 苛立ちと八つ当たりの衝動に身を任せて、ついエレベーターの扉に蹴りを入れてしまったが、あたしの足の血行をよくしただけで、エレベーターは都合良く降りてきたりはしなかった。イタタタタ……
「ちょっと!誰かいるのかい!?」
 人の声。いや、人かもしれない声。あたしは鉄パイプを暗闇から聞こえる足音の方角へ構えた。
――カッカッカッカッ……
 ヒール?女かしら……
 エレベーターの上に設置された心許ない証明に照らされた顔は……
「……涼宮さん?」
 ……知らない顔だ。でもあたしとタメを張れるくらいのすっごい美人。白衣を着てるってことはここの医者かしら?美人女医、それだけで繁盛しそうね。
「久しぶりね。何ヶ月ぶりかしら」
 その女医はフレンドリーに話しかけて来たので、とりあえず鉄パイプの先端を床に向けた。だが、
「誰よアンタ。あたしは美人や美少女にはそれなりに知り合いはいるけど、あんたの顔は生憎記憶には無いわ」
 あたしが言ったその言葉に、その女医は真夏の夜に幽霊を見た物理学者のような顔になった。
「何を言ってるの涼宮さん?私よ。あなたに負けた佐々木よ」
 あたしに……負けた?何に?おっぱいの大きさなら勝ってそうだけど。
「……あなたより身長で勝ってるから、胸の脂肪の豊さで敗北感を感じたりはしないわ。本当よ」
 なんか論争がズレてきたから、元に戻すべきね。
「誰よアンタ」
「本当にわからないのかい?」
「わからないから聞いてるんでしょ」
 そう言うと、佐々木は低くくぐもった笑い声を上げた。
「……くっくっ。そう言えばあなたにはあんな力があったわね。ならば私との記憶だけを消去できても、少しも不思議ではないか」
「あんな力?」

 

――ガガガガガガ!

 

 突然、頭の中に強烈なノイズが走り、同時に、ハンマーで叩き割られるような頭痛が襲いかかってきた。
「大丈夫かい涼宮さん?」
 佐々木の手があたしの背中を撫で始めたので、頭痛が少しずつ引いていくのがわかった。
「あ、ありがと。佐々木さん」
「仕方ない。改めて自己紹介させてもらうよ。私は佐々木。身分的には大学生だけど、ここの病院で研究者なんかをやってるわ」
 研究者か。白衣を着てるから女医かなんかかと思ったわ。
「……あたしの方は必要なさそうね」
 なんだかよくわからないけど、佐々木さんはあたしのことをよく知ってるみたい。
「あなたはここで何をしてるの?」
「キョ……行方不明の友達を探してるのよ。それで九階に行けばその痕跡が見つかる気がしてね」
「死んだ男を探してる」なんて言ったら、話がややっこしくなるうえ、間違いなくここに入院させられる。
「それでわざわざ業務用エレベーターまで?来客用のを使えば良かったじゃない」
 あっちには九階が無かったのよ。
「そんなわけは……ま、九階に行きたいんだね?私のカードキーが使えるはずだから、貸してあげるよ」
 言いながら、佐々木さんは首にかけたIDカードをカードキースロットに差した。
「……これで良し。さ、涼宮さん。後は中で九階のボタンを押すだけよ」
「ありがとう。これで先に進めるわ」
「くっくっ。どういたしまして」
 少し経つとエレベーターの扉が勢い良く開いた。
 エレベーターに乗り込み操作パネルを見た。良し!ちゃんと九階がある!
 九階を選択した時、もう一度お礼を言おうと佐々木さんの方を向いた。
 しかし佐々木が数瞬前まで立っていた場所には、すでに誰もいなかった。
「…………もういなくなってる。研究熱心なのね」

 


 ランプがアラビア数字の「9」に灯る。ついに到着ね!
 九階の廊下には、どこからも生物の気配がしない。でも油断はできない。鉄パイプとピストルを握りしめ、一歩一歩床を踏み締めるように歩き出した。目指すはキョンのいた病室。一番奥だ。
『キョン……団長命令よ……起きなさいよ……』
『バカキョン……』
『ホラ!今起きたらあたしのフルヌードが見れるわよ!!エロキョンの名にかけて起きなさい!』
 歩いていくうちに、あの三日間の思い出が蘇り、いつの間にか涙を流していた。
「……バカキョン」
 あたしをこんなに弱くしたのはあんたよ。もし見つけたら絶対に罰ゲームかけてやるんだから!
『……をが?』

 

 

「よかった……ちゃんとあった……」
 あって当然。なんてツッコミはもう受け付けないから。もうなにがあってもおかしくないからね。
 ホテルの一室みたいにキレイな横開きの扉のドアノブに手をかけた。
――ガチャガチャ!
「ウソ……」
 扉は横にスライドすることなく、あたしの来訪を拒んだ。
 よく見るとドアノブの下にナンバー式のキーロックが施されていた。いつの間に鍵をつけられたのかしら。
 しかし、これは困った。パスナンバーなんかあたしは知らない。
 あたしは注意深くキーロックを観察していると、キーロックの下にカッターナイフで何かの文が彫られていることに気がついた。

――胸を貫く光があなたを導く――

 ……なにこれ?胸を貫く?何のこと?…………あ。
 デイバッグをあさり、目的の物を探しだす。胸を貫く。たぶんあたしの勘が正しければ……
 あたしが取り出したのはキョンの胸のレントゲン写真。これに裏からライトを当てれば……、

『3498』

 やっぱり。心臓の部分に四桁の番号が浮かび上がった。
 ――ガチャン。
 キーロックに浮かび上がった番号を打ち込むと、キーロックは当たり前のように解除された。

 

 

「キョンくん~は、どこにいるのかな~?」
 病室に、調子外れの歌声が響き渡る。
 歌声の主を見て、あたしはこれでもかってくらい動揺し、驚愕した。
「……みくるちゃん?」
 高校時代からタイムスリップしてきたみたいに、その北高の制服に包まれた少女は、みくるちゃんにそっくりだった。
「ハルにゃん!」
 歌声の主があたしの存在に気付き、百二十点の笑顔で笑いかけてきた。ハルにゃん?ってまさか!?
「妹ちゃん?」
「そ~だよ。当たり前だよ~」
 嘘でしょ!?だって、だって!
「あたしよりおっきい!!」
 ああ、何だか目眩がしてきた。まさかあの妹ちゃんに負けるとは……何がおっきいかは聞かないで。今、敗北感と絶望感を噛み締めてる最中だから。認めると立ち直れなくなっちゃう。
「そっかな~?ミヨちゃんの方がもっともぉ~とおっきいんだけど」
 妹ちゃんは自分のあれをまさぐりながら言った。……最近の若い子は発育がいいのね。って、いかんいかん!それよりも聞くことがあるでしょうが!
「ここで何してるの?」
 返って来た言葉は予想外そのものだった。

 

「キョンくんを探してるの」

 

 ……は?
「だから、キョンくんを探してるの。どこにいるのかな?」
 妹ちゃんはあたしと同じ理由だった。
「何言ってるの?キョンは三年前に死んじゃったじゃない」
 死者が甦るわけがない。あたしだってそんなことくらいわかってる。あたしがここに帰ってきた理由、それはあの手紙の真意を確かめるためだ。
「何言ってるの?キョンくんは死んでなんかないよ?おかしなハルにゃん」
 妹ちゃんは無邪気に言った。そんなわけない!キョンはあの時ここで死んだ!
「どうしたのハルにゃん?キョンくんとケンカでもした?なんだか変だよ?」
 変なのは妹ちゃんよ!と喉まで出かかったが、あたしの頭には、ある仮説が生まれた。

『妹ちゃんは壊れてしまったのではないか?』

 認めるわ。あの二人はあたしが嫉妬するくらい仲がよかった。だから妹ちゃんはキョンの死を乗り越えられなかった。それが元で、妹ちゃんはキョンが死んでないと思い込んで……、
「ハルにゃん?」
 気がつくと、あたしは妹ちゃんを抱きしめていた。
「……辛かったでしょ?でももういいのよ。あたしもキョンを捜してるの」
「ハルにゃんも?」
「うん。ねえ、一緒に捜さない?それで見つかったら一緒にブン殴ってやりましょ」
 妹ちゃんはあたしが守る。キョンなら絶対にそうする。
「うん!一緒に捜そう!」
 あたしは妹ちゃんの手を引いて病室を後にした。
「それにしても、今までよく無事だったわね」
「……へ?当たり前だよ~?」

 

 


 病室を抜けた瞬間、空気が変わった気がした。
「ん?どうしたの?」
「……ううん、なんでもないわ」
――ザー!ザー!
 もはや、恐怖の対象でしかないラジオの不協和音が耳を痛めつける……まずい。
「え?」
――ズズズズズズズ……
――ズズズズズズズ……
――ズズズズズズズ……
 反対側の廊下から、何か重たいものを引き摺らるような音が聞こえてきた。
「妹ちゃん!走って!」
 妹ちゃんの手を取り、大急ぎでエレベータまで引き返すことにした。あたしの勘が告げている。絶対にマズイ。
 あたしたちが走ったのを感知したのか、音の主も速度を急激に上げて近づいてくるのがわかった。
「どうしたのハルにゃん?」
「なにいってるのよ!?あの音が聞こえないの!?」
「あの音?」
 妹ちゃんは琵琶湖でプレシオサウルスを発見したと報道したニュース番組を見たような顔をしてしまった。
「その子にはわからないわよ」
 背筋を凍りつかせるような声。
「朝倉ぁっ……!!」
 歩みを止めて振り向くとフランス人形のように整った笑顔を浮かべた朝倉が立っていた。
「こんにちわ。涼宮さん」
 朝倉の左手には血塗れのアーミーナイフ。そして右手には……
「キョン!!」
「え?」
 全身をナイフでメッタ刺しにされたキョンの襟首を、ゴミ袋を引き摺るように握っていた。
「キョンくんがいたの?」
 こんな光景を見せるわけにはいかない。妹ちゃんがこっちを向くまえに、あたしは妹ちゃんと朝倉の前に立ちはだかった。
「妹ちゃん!!逃げて!」
「え?」
「すぐにあたしも行くから!北高で待ってて!」
 ピストルを抜き、朝倉の胸に狙いを定めた。
「……うん。わかったよ」
 妹ちゃんはそれだけ言って素直に駆け出した。すぐに追いつくからね。
「朝倉ぁ!」
――パン!
 心臓に直撃。
「フフフ。また上手くなったね」
 歪むことの無い微笑。だけど、
「ああああああああああ!!」
 間髪いれず、鉄パイプを握り締め、朝倉の脳天に振り下ろした。
――グシャァ!
 赤黒く生暖かい液体が顔にかかる。
 ピストルは布石。本命は鉄パイプでの殴打だ。これならいくら朝倉でも……
――ズバッ!
 朝倉のナイフがあたしのベストを切り裂いた。飛びのいて何とかかわせたが、
「嘘でしょ……」
 朝倉は顔面を血で真っ赤に染めながら、何食わぬ顔でナイフを握って佇んでいた。
「嘘なんかじゃないわ。これがリアル。もっとも、あなたにとってのリアルだけどね」
「わけわかんないことほざいてんじゃないわよ!」
――ガキィィィィンッ!!
 朝倉のアーミーナイフとあたしの鉄パイプが激突。
 そして渾身の力でナイフを弾き返し、朝倉を廊下に押し倒した。
「ああああああああ!」
 朝倉の上にマウントを取り、鉄パイプの柄で顔を殴りまくった。
 くたばれくたばれくたばれぇぇぇぇ!あたしはまだ死にたくないのよ!
――ガツッ。
「ウグッ!」
 朝倉の細い手があたしの首を掴む。
「それはよかったわ。また続きができるなんて嬉しいな」
 朝倉は原型を留めていない顔を歪ませ、ニコリと微笑んだ。
 ギリギリギリギリ。首を絞められる音が脳内に響いている。
 息ができない。
 力が抜ける。
――カラン。
 手から鉄パイプが滑り落ち、朝倉に持ち上げられた。
「北高で待ってるわ。涼宮さん」
――ガシャァァァァァン!
 あたしの体は近くの窓に叩きつけられ、窓の外の灰色の空に投げ出された。
 気持ちの悪い浮遊感の中、地面のアスファルトに激突することがそう遠くないと感じた。

 

 

 

第三章『なぜならあたしは、天下無敵宇宙最強のSOS団の団長様だからよ!』に続く

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2020年08月17日 15:30