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 キョソの旅Ⅱ ――the Anal World――

 

 

 夢がある限り、人は輝き続ける。アナルがそうであるように。

 ―Anal goes tomorrow.―

 

 

 第十二話 「誰もいない国」
  ―No Anal lives there―

 キョソとこいずみくんがその場所に着く頃、まるで見計らったかのように日がかげりはじめた。
「観光地とか言ってたわりには誰もいねぇな」
「僕もおとこの気配をまったく感じないですもふ」
 キョソのつぶやきにこいずみくんが返事をした。
 森を迂回する道は、進めば進むほど人の気配が希薄になっていた。キョソは少し気味の悪さを感じながら、
「引き返しちまおうか」
 そう言いながら、キョソはこの場所に何としても立ち寄らねばならない予感がしていた。
「キョソたん。ここ、僕はずっとずっと前に来たことがあるような気がしますよ」
 こいずみくんは無人の国の入り口から領土内を見渡して言った。
「なぜでしょうね?」
「さあな」
 キョソはそっけなく答えた。キョソ自身は、初めてここに来た自覚があった。

 「誰もいない国」の街並みはかなり独特だった。
 少なくとも、キョソがこれまでに訪れた場所にこのような建築様式の街はない。
「何だろう、まるで別世界に迷い込んだみたいだな」
 キョソは何気なく、ほんとうに何気なく国境をまたいだ。
「あれ。入れるじゃねえか」
「うほっ」
 こいずみくんもキョソに続いた。
 雲行きは次第に怪しくなっていった。いつ雨が降り出してもおかしくない。
「こいずみ、この国を探索していくが、問題ないか?」
 珍しく意見を求めるキョソに、
「キョソたんが行くのなら、僕はどこへだって一緒に行きますふぃ!」

 こいずみくんは元気よく頷いた。

「本当に誰もいねえな」
 探索を始めて三十分が経過していた。
「そのわりに全然すたれてないな。この国は」
 キョソは近くにある宿屋を眺めて言った。
 「誰もいない国」は、長年無人の場所であるにも関わらず、建造物が朽ちてはいなかった。
「永久に不滅のおとこがいたらすごく魅力的だと思いませんかキョソたん!」
「お前は基本的に新しもん好きだろ」
「ばれましたか」
 などと軽妙な会話をしつつ、二人は国の奥へ進んでいった。

 雨はぎりぎり降らなかったが、雲は決して晴れなかった。
 それはまるでこの国にわだかまる何かを象徴しているようだった。
「こりゃあ、城か?」
 やがてキョソとこいずみくんは国の中央にたどり着いた。そこにはさほど大きくない城があった。
「王様のいる国なんてほとんどなかったよな、そういや」
 キョソが言うと、こいずみくんはうなずいた。それから何も言わずに城を見上げて、
「キョソたん、やっぱり僕はこの場所を知っているような気がします。この国で、僕はいつかおとこを掘ったような気がするんでもふ」
 ぴたぴた歩いて、城内に入っていった。
「こいずみ……」
 キョソは少し不安になったものの、こいずみくんの後に続いた。

 城内はまるでたった今掃除したばかりのように綺麗だった。
「すげぇな、ほんとに城だ」
 キョソは今まで城を見たことがなかった。
 これまで訪れた国は、たいてい民主主義の都市国家で、王政をしいているところなどひとつもない。
「そういや、ずっと昔はこういうのが当たり前だったって教科書にあったような気がする」
 キョソは自分のいた国で行われていた教育の内容を思い出しながら言った。 
 廊下を抜けると、二人は大きな広間に出た。
「よくぞおいでくださいました」
 やわらかい声がかかった。キョソとこいずみくんは、ほとんど同時にそちらを見た。
「な」
 キョソは声にならない声を出した。
「お前は……」
 思わずいつもの無礼な口調になってしまった。
 キョソの目の前に、半透明のメイドがいた。しかしそれが本当にメイドなのか、キョソには判断できなかった。
「こんにちは。そしてはじめまして。キョソさまですね」
 メイドはぺこりとお辞儀をした。まるで何千回も練習したかのような、無駄のない動作だった。
「どうして俺の名前を知ってんだ?」
 メイドは微笑して、
「こいずみさまと一緒におられるからです。……こいずみさま、お久しぶりでございます」
「うほっ?」
 こいずみくんは、まるでアナルの渕をふーふーされたようなムズがゆさを覚えた。

「んももふ。キョソたん、僕は何か大事なことを忘れている気がします」
「大事なこと?」
 キョソは事態がうまく飲みこめずにいた。
「僕はやっぱり前にここに来たことがあるんですよ。それで、何かあったんでもす」
 こいずみくんは考え込んだ。腕組みをして自分の尻穴をのぞきこむのが、このアナルゲイモトラド特有のシンキングポーズだった。
「お前、何て名前だ?」
 キョソがメイドに訊いた。
「モリーと申します」
 モリーはふたたびお辞儀をした。
「ぴくーん!」
 こいずみくんがアナルをくにゃくにゃされた時のように敏感な反応を示した。しかしそれはモリーの姿にではなく、名前にだった。
「キョソたん! 僕はこの人に会ったことがありますよ! ずっともっともっふふんもっふ昔に」
「大昔って言いたいんだな」 
「そうですそれです!」
 こいずみくんがそう言うと、モリーはうなずいて、
「その通りです。こいずみさまは今からおよそ三百年前に、この地に来訪しています」
 キョソはびっくりした。こいずみくんが半ば冗談のように言っていたことは、どうやら真実らしかった。
「いったいどうして。何でこいずみはここに来たんだ?」
 キョソははやる気持ちを抑えながら訊いた。モリーは微笑しながら、
「モトラドであれば、旅人を乗せて国を巡ってもおかしくはないと思います。ちょうど、今のキョソさまのように。当時の旅人もここに立ち寄ったのです」
 そう言われて、キョソは「そりゃそうだ」と思った。
「うかつだったな、こりゃ」
「ですが、キョソさまはいい勘をしておられます。何か、こいずみさまがここに特別な縁があることを感じたのではありませんか?」
「きゅっぴーん!」
 こいずみくんが無意味に叫んだがキョソがツッコミを入れて黙らせた。
「そう、そうなんだよ。こいずみがどうしてもこの場所に来たいって言い出してさ」
「そうでしたっけ? キョソたん」
「……そういうことにしとけよ、そこは」
 モリーは二人の会話にふたたび笑みを浮かべた。心があらわれるような表情だった。

「こいずみさまはこの国の王女の命を救ったのでございます、三百年ほど前に」
「命を?」
「はい」
 キョソはぽかんと口を開けてこいずみくんを見た。
「ほへ?」
 当のモトラドはまるでそんなこと覚えていないと言わんばかりに首を傾げた。
「この国はかつて、それはそれは栄えておりました。国民の人気を集める王と、愛らしい王女姉妹。姉のサキさまは才色兼備、妹のハルさまは自由闊達。ひいき目を抜きにしても美しい姉妹でした」
「そりゃ会ってみたいもんだな」
「かないません。もうずっと昔に亡くなられていますから」
 モリーはここで初めて笑みを消した。
「二人の王女は終生、誰とも結婚することはありませんでした」
 モリーは憂うように言った。キョソは瞬きして、
「そりゃまた何でだ。相当モテたんじゃないか?」 
 キョソがそう言うと、モリーは頷いて、
「おっしゃるとおりです。特に姉のサキさまは、国中の男性から人気を集めていました」

「うらやましい限りですね、そりは」
 こいずみくんが心から言った。
「お前はおとこが掘りたいだけだろ。……で? 何でまた結婚しなかったんだ。王子がいて、そいつが婚約してたから子孫の心配はなかった、とかか?」
「んぎゅーん!」
「静かにしとけこいずみ」
 こいずみくんのテンションをよそに、モリーは少し悲しそうな顔をして、
「いいえ、姉妹以外に王に子はいませんでした。王妃に先立たれ、王にとってはあの姉妹だけが心のよりどころだったのです」
「そうなのか……」
「というのはウソで、実際の王はかなりの楽天家でした。国の政治はおおむね大臣に任せきり、人柄がやたらといいので国民からはとても人気でしたが。お忍びで街に繰り出して連れ戻されることが何回あったか」
 すすり泣くようにモリーは言った。キョソは感情移入のツボをずらされたようで気が抜けた。
「そ、そうか。そりゃ器がでかいな」
「僕はイチモツがおっきいですよ!」
 空気が死んだ。
 しばらくしてモリーが、
「王はたいへん気まぐれな性格でしたので、姉妹の婚約者をおおやけに募集する広告を出したほどです」
「マジかよ」
 モリーは頷いて、
「ちょうどその頃、この国にある旅人がやってまいりました。日頃恋愛には興味のない姉妹でしたが、異国の風を感じさせる旅人に、二人は惹かれていたようです」
 キョソは、いったいその旅人はどんな人物なのだろうと思いめぐらせていたが、
「キョソさま、あなたに生き写しでございました」
「!」
 キョソが驚く様子に、モリーはうっすらと笑みを浮かべた。
「そして、その時旅人である彼が乗っていたモトラドこそがこいずみさまなのです」
 キョソは目を見開いた。こいずみくんは「もほ?」と言ってまた首を傾げる。
 モリーは話を続ける。
「ですが、当時この国にはモトラドによる走行を厳重に取り締まる法律がありました。それゆえ、こいずみさまはこの国の大臣に捕らえられ、解体されることになったのです」
「こいずみが解体されるって!?」
 キョソは珍しく声を大きくした。
「お前、そんな危機にあったのか?」
 キョソが訊くと、
「んむう、しかし覚えてないんでぃすよ。何ででしょうね?」
「それについても心当たりがありますが、今は話を進めましょう」
 モリーはそう言ってキョソに頷いた。
「大臣は国の実務を昔から仕切っておりました。それは王との信頼関係によるものでしたが、大臣は国の庶務雑務をほとんど任せられ、次第に疲弊していきました。
 やがて、大臣は国の政務を掌握しようと考えるようになりました。立場を逆手に取ったのです。大臣の恨みの矛先は、国民や旅人に法を遵守させることに向かいました。
 結果、国の治安はよくなりましたが、大臣については悪評が立つようになりました。誰の目に見ても、大臣の刑罰の与えかたは行きすぎていましたから。
 姉の王女、サキさまは刑罰執行の承認印を押す役目についていましたので、大臣と刑の執行をめぐって諍いあうことも多々ありました」
 長い話を聞くと眠くなるのが日常のキョソだったが、この時は不思議と集中することができた。
 モリーの話を聞いていると、まるで自分がその場に居合わせるように、内容がすっと頭に入ってきた。
「こいずみさまもそうして大臣に捕らえられました。ハルさまもサキさまは、モトラドの主人である旅人と昵懇(じっこん)にしていましたので、解体はどうしても止めたかったのでございます」
「それで、こいずみたちはどうなったんだ?」
「こいずみさまはモトラドの『動力源』を奪われ、城の地下に幽閉されました。サキさまとハルさまは相談したのち、まずハルさまが旅人を宿から連れ出すことにしました。
 そのうえで、モトラドを救出するか問うと、旅人は肯定しました。二人はこいずみさまの救出に向かい、見事成功したのでございます」
「よかったな。めでたいじゃないか」
 キョソはほっとして言った。しかしモリーは首を振り、
「しかし、そこへ大臣がやってきて脅しをかけました。『王族であっても法を破ることは許されない』というのが大臣の言い分です。大臣は城で様子見をしていたサキさまを人質に取り、モトラドの解体を強行しようとしました」
「うほっ」
 こいずみくんは何か見えないものに反応するように声を発した。
「そこでこいずみさまが超人的な力を発揮し、ひとたび大臣をこらしめたのでございます。旅人とハルさまはそのままサキさまを救出しました」
「おお。今度こそめでたしだな」
 しかしモリーは再度首を振った。
「倒れたはずの大臣は、大いなる意思の力を振り絞り、サキさまをパースエイダーで撃ったのです」
「!!」
 キョソは心臓が止まったかと思った。モリーの瞳にうっすらと影がさした。
「サキさまは命の危機に瀕しました。放っておけば、数分のうちに絶命するような、それは重篤でございます」
 まるで合図を受けたかのように、こいずみくんが震えだした。
「もももももも、もももももも」
「こいずみ!」
「おそらく記憶を取り戻しかけているのです」
 モリーが言った。キョソはこいずみくんを見た。イノセントアナルゲイモトラドは、口を真一文字に結び、機械的に「もももも」と繰り返していた。
「モリーって言ったか。もういい、話をやめてくれ。こいずみは今のままでいいんだ。ツラい記憶なら、失ったままのほうがいい」
 キョソは言った。いつもと違うこいずみくんを見ているのは、キョソをたまらなく不安な気持ちにさせた。
 モリーは溜息をつくような間を置いて、
「キョソさま。あなたとこいずみさまはパートナーなのではありませんか? こいずみさまは、今ここで記憶を取り戻さずとも、いずれフラッシュバックにさいなまれるでしょう。その時、この場で過去を封印したことをキョソさまは思い出すはずです」
 キョソは唇をかんだ。
「こいずみさまにとって、ここでの出来事は重要な意味を持つのです。記憶を取り戻せば、こいずみさまはよりやさしい乗り心地になるはずです。無闇やたらにおとこを掘りすぎることはなくなるでしょう」
「…………」
 キョソはこれまでのこいずみくんの暴れぶりを思い出していた。
 確かに、仕様にしたって少し乱暴すぎる。
 そう思ったことが何度かあったが、キョソは今までそれをこいずみくんに話したことはなかった。彼はモトラドを信じていたからだ。
 でも。
「……わかった。話を続けてくれ」
 モリーはゆっくりと頷いた。
「先ほども話しましたが、モトラドには『動力源』と呼ばれる意思の源があります。これにより、人に語りかけることが可能となるのです。
 人型モトラドは――おそらく今、世界にこいずみさまを除いては存在しないでしょうが――この型のモトラドには非常に強力な『動力源』が使われているのです」
 モリーはこいずみくんを見た。こいずみくんはじたばた足踏みをして、
「んもうももっふもっふ! 八時だよ! 全員アナルに集合だよ!」
 などと意味不明なことを口走っていた。キョソは変わり果てたモトラドの姿に胸を痛めた。
「人型モトラドの『動力源』には、死の瀬戸際にある者すら元気にするような力があります。こいずみさま旅人に、自分の『動力源』をサキさまに使うよう申し出たのです」
 キョソは息を飲んだ。モリーは頷いて、
「お察しのようですね。そう、『動力源』を誰かのために使ってしまえば、人型モトラドはもう動かなくなります。
 これは後で解ったことなのですが、あの時代、人型モトラドに使える『動力源』を作れる者はもう存在していませんでした。
 つまり、サキさまを蘇らせれば、旅人とこいずみさまは今生の別れをしなければなりません」
「結局、こいずみとその旅人はどうしたんだ」
「サキさまを蘇らせるために『動力源』は使われ、こいずみさまは国の宝物庫に安置されることとなりました」
「そんなことがあったのか……」
 キョソは唇をかんだ。こいずみくんは今やブレイクダンスを踊るほど苦しんでいた。実際に踊っていた。
「こいずみさまの怒りにより行動不能にされていた大臣は、最終的にはるか遠方の地に飛ばされました。国の政治はサキさまが中心となって行うことに決まりました。
 国王と姉妹は旅人に心から礼をしました。旅人は『動力源』を作るすべを求めて旅立ち、姉妹もその方法を国内で探すことにしました」
 モリーはここでゆっくりと息を吐いた。キョソは、彼女の半透明の姿がさっきより薄くなった気がした。
「旅人と姉妹はその後どうなったんだ?」
 キョソが訊くと、モリーは蜻蛉(かげろう)のように微笑んで、
「ハルさまとサキさまは、それからもずっと旅人のことを思いながら、『動力源』の生成法について国中の識者や書物を調べる日々を送りました。
 何日も何日も、二人はモトラドを蘇らせる方策を探し続けました。しかし成果は上がりませんでした。
 それでも二人はくじけずに探索を続け、やがて古い一冊の本を見つけました。そこには今では失われた技法による『動力源』の生成法が書いてありました」
 キョソは息を止めそうになっていることに気がついて、深呼吸した。
「しかしそれにはさらなる時間を費やすことが二人に求められます。ハルさまとサキさまは、本当ならそろそろ婚約者を決め、国の世継ぎをもうけねばならぬ頃。
 いつもは楽天的な国王でしたが、この時ばかりは事態を憂慮し、二人に研究をやめるよう言いました。しかし二人はそれを断ったのです。
 遠く離れてはいましたが、姉妹の心は旅人と、彼と交わした約束のもとにありました。それゆえ、この国にはとうとう王家の子孫が誕生しませんでした」
 城内に敷かれた真紅の絨毯に、窓からうっすらと光が射した。こいずみくんは相変わらず動かなかった。
「長い歳月が流れました。サキさまとハルさまはついに『動力源』を作り上げました」
「おお」
「ですが、王は人型モトラドを秘密裏に国外へ売却してしまっていたのです。モトラドさえなくなれば、二人は我に返り、婚約者を探してくれるはずという王の願いによるものでした」
「……行き違いか」
 モリーは頷いて、
「王の御身はこの時、病にむしばまれておりました。また、サキさまも多くの精神力を『動力源』づくりに使ってしまいました。サキさまもまた身体が弱くなり、遠くに出歩くことが困難になったのです」
 キョソは大広間を見渡した。整然と並んだ天窓から射す光は、雲によって時折さえぎられ、明滅を繰り返していた。
「サキさまはハルさまに願い事をしました。それは『動力源』を持って、モトラドと旅人を探す旅に出ることです」
 キョソは眉をぴくっと動かした。
「ハルさまはまだ身体の自由がありました。彼女は王が息を引き取った後、この国を出立したのです」
 長い静寂があった。まるで時が止まったようだ、とキョソは思った。
 城内は奇跡的なほど綺麗だったが、そこには無人になって久しい、冷たい空気があった。
 永遠に続くような沈黙を破ったのは、モトラドの声だった。
「……すべて思い出しました、キョソたん」
「こいずみ!」
 こいずみくんの瞳は不思議と澄み切っていた。まるでたった今誕生したかのように。
「そうです。この国の大臣はにくいあんちきしょうでした。卑劣な手口でキョソたんを苦しめたんです」
「俺を……?」
 するとモリーが、
「かつてこの国に訪れた旅人の名前もまた『キョソ』と言うのです」
「!」
「不思議な偶然です。混乱を避けるためにあえて名前は伏せておきましたが。どうやら『こいずみくん』という名前の人型モトラドは、『キョソ』という名の旅人を乗せて旅をする因縁にあるようなのです」
「そうだったのか……」
 こいずみくんはすっくと立ち上がって、
「サキちょんたちのことも覚えてます。僕が彼女に『動力源』を使うよう、キョソたんに頼んだんです。それから僕は三百年も眠っていたんですね」
「長い眠りに就くあいだ、こいずみさまはかつての記憶を失われたのでしょう」
 モリーはこいずみくんとキョソを一度ずつ見て、
「旅立ったハルさまがどうなったのか、私たちは最後まで知ることがありませんでした。私はサキさまの看病につきっきりでしたので」
 キョソは窓からかすかに覗く青空を眺めながら、
「こいずみがこうしてここにいるってことは……俺のばあちゃんの形見がその『動力源』だったってことか」
 キョソは祖母がどんな人だったか思い出そうとしたが、ずっと幼い頃の記憶だったのでうまくいかなかった。
 ハルは自分の先祖なのか、それとも『動力源』がめぐりめぐって自分のところに来たのか、定かでない。
「私はようやく地上を離れることができそうです」
 モリーが言った。彼女の身体は今や霞のようにおぼろだった。
「モリー。お前、今までずっとこの場所に留まってたのか」
「左様です。サキさまを見届けてから、私はどうすることもできずに余生を過ごしました。彼女の願いが成就することを祈っているうち、いつしか寿命は尽きて、幽霊のような存在になっておりました」
 モリーの姿はもう見えなかった。声だけが広間に響く。 
「キョソさま、こいずみさま。本当にありがとうございます」
 窓から一筋の光が射した。それは大広間を照らし、モリーを「誰もいない国」から解き放つ効果を持っていた。
「さようなら。素敵な旅人さま」
 キョソはモリーが最後に笑ったように思った。

 国から出たキョソは、こいずみくんの背に乗りながら一冊の本を読んでいた。
「キョソへ」
 それはサキの日記だった。
 モリーがいた場所に落ちていた日記。キョソは少し迷ったが、ここに来た証として持っていくことにした。
「もっほ、もっほ。キョソたん、何て書いてあるんですか?」
 キョソが読んでいるのは最後のページだった。
「キョソ。キミと会ったあの日からどれだけの歳月が経ったのか、もう僕は思い出すことができない。
 キミがいたのはほんの三日かそこらだったのに、あの日々の記憶は不思議と今でも鮮明に蘇ってくるよ。
 でも、今からあの日までどのくらいの距離があるのか、僕にはよく解らないんだ。あまりにも長い時間を僕は研究に費やしてしまったからね。
 こいずみくんと言ったか、あのモトラド。彼が僕を救ってくれたと知ったとき、僕はキミたちに恩を返さなければと強く思った。ハルも同じ意見だった。
 僕たちはそれから今日まで、こいずみくんをふたたび動かすために多くの時間を費やした。
 後悔はなかったけれど、父上や国をないがしろにした僕たちは、ともすれば王家を追放されてもしかたがなかったのもしれないな。
 実際には大切な人たちと離れ離れになった。ある意味、追放より残酷な罰かもしれない。
 僕はもうじき死んでしまうだろう。ハルには流行の病だとしか言ってなかったが、『動力源』の生成には誰かが命を削る必要があるんだ。
 こいずみくんに救ってもらった命を元に戻すようなことをキミは望まないかもしれないが、僕はキミがこいずみくんと再会できないことのほうがずっと気がかりなんだよ。
 あのモトラド、『動力源』が完成した頃に父上が手放してしまったことが解ってね。
 この間ハルが『動力源』を持って旅に出たよ。半分はこいずみくんを、もう半分はキミを探すために。
 キョソ。ハルはキミのことが好きだったんだ。
 あの子は本当の気持ちを口にするのが大の苦手だから、それ以外のところでしか想いを伝えられないのだがね。
 だから僕は、ここから彼女の願いが成就することを祈っているよ。
 ……でもね、キョソ。僕は少し嫉妬しているんだよ。
 なぜって?
 ふふ、それを言わせるのかい。キミも罪な人だな。
 僕は……好きなんだよ――――ん?」
 キョソはページの後半が霞んでいて読めないことに気がついた。意図的に消したような後がある。
「なんだこりゃ。意味深だな」
「もほ?」
「なあこいずみ。お前、本当に色々な人に大事にされてたんだな」
 日記を閉じたキョソが言った。こいずみくんは晴れた空を見上げながら、
「僕はキョソたんを乗せてどこまでも突っ走るのが大好きですから!」
 どんと胸を叩いた。キョソはふっと笑って、
「こいずみ、次の目的地はお前にまかせるぜ」
「も?」
 するとこいずみくんは首をこきこき傾けて、
「うーんむ。それじゃてきとーにおとこのいそうな方角に走ってみます。ほんとにいいんですか?」
「ああ」

 だだっ広い草原を、一台のこいずみくん(注・アナルゲイモトラド。世界中のおとこを掘るのが夢)が走っていた。
 それに乗るのは十台半ばの、色んなことをあきらめていそうな、でも心は熱い少年、キョソ。
「こいずみ、全速力だ!」
「もっすふぃ!」
 二人はどこまでも旅を続けていく。
 これまでも、これからも。


 誰もいない城内に、残響のような声がする。
「……サキさまってガチレズだったのよねぇ。おまけにシスコンなんだもの。ハルさまが旅立ってから毎日のように泣いてたのはマジでショックだったんでしょうねぇ。
 あー、やっぱりこれもキョソさまに言っておくべきだったのかしら」
 まさしく、残響にすぎない。

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