その日、あたしは不機嫌だった。
 
 
 お風呂に入ったり、リラクゼーション効果のあるアロマオイルを炊いたり、お気に入りのCDを聞いたり……色々試したけど気分は全然晴れなかった。
 何をしても全然面白くない。面白くないからあたしの機嫌はさらに悪くなる。悪循環だ。
 不機嫌な理由はわかってる。キョンのせい。キョンが悪いのよ。
 いっつもいっつもあたしの事ばっかり邪険に扱って。そんなんだからあたしも意固地になっちゃうじゃない、全く。だから何時までたってもキョンは出世しないのよ。少しはあたしの身にもなって考えたら……
「……!?」
 ふと、我に返る。
 椅子に座ってたはずなのに、いつの間にか立ち上がっていたことに気付く。
 自分ではそんなつもりじゃなかったのに。何してんだろ、あたし。
「…………」
 何時の間にか苛立った自分を抑え、心を落ち着かせる。そして黙って椅子に腰掛け溜息を一つ。
 そして、そのまま蹲る。
 何もしたくないし、何をするわけでもない。だけど、溜息だけは止まらない。
 今日家に帰ってからの何度ついただろうか。もう数えていないし、そんな気力もない。
 ――これが、今のあたし。そんなやるせない気持ちで心の中は溢れかえっていた。
 不機嫌だけど、イライラ状態とは違う。暗くて怖く、そして悲しい気持ち。ムカムカするよりもよっぽど精神的に堪える。
 机に置いてあった写真立てを手にとって、あたしは一段と深い溜息をついた――
 
 以前にも、同じ気持ちを味わった事がある。
 丁度一年位前のあの時も、生きる気力を食い潰されているような錯覚に陥った。
 そりゃそうよね。あの時も今日も、あたしを不機嫌にさせている原因は一緒だもの。
「ねえ、あたしが悪いのかしら?」
 同じく机に置いてある、顔が彫られたカボチャの蝋燭立て――所謂ジャック・オー・ランタンに声をかけてみた。
「…………」
 無口な彼は何も言わない。言うはずが無い。
 でも、誰かに聞いて欲しくて、アドバイスが欲しくてたまらなかった。
 
 だって今日、あたしはキョンと喧嘩をしたのだから。
 
 
 
 原因はほんの些細な事だった。
 ハロウィンの前日。SOS団でハロウィンパーティを行うことになって、その計画をしていた時の事。
 単に部室内でパーティをするのもいいけど、それだけじゃ味気ない。だからあたしはみんなで各教室を回って『トリックオアトリート』をしようって提案をしたの。
 名誉顧問の鶴屋さんも含め、みんな反対しなかったし、唯一グダグダと文句を言っていたキョンも最終的にはしょうがないなと渋々OKを出してくれた。
 でも、あたしの計画はこれで半分。残りの半分は違うところにあったの。
 ハロウィンと言えば仮装。お化けとか魔法使いとか、そう言った格好をするじゃない。
 折しも文化祭で放送予定の映画『長門ユキの逆襲 Episode 00』で、主役である有希は魔法使いのコスチューム。みくるちゃんの新衣装だって見る人が見たらハロウィンっぽい衣装。
 映画の宣伝とハロウィン。それを同時にこなせるなんて一石二鳥じゃない。
 あたしはそう思って、提案した。
 でも、キョンはそう考えなかった。
 キョンは『それは朝比奈さんが去年以上にひどいあのセクハラ衣装を身に着けてクラス行脚するってことだろう。いくらなんでもやりすぎだ』って言って、あたしの意見を受け付けてくれなかった。
 みくるちゃんは映画という媒体を通してあの衣装を公開するじゃない。実物だろうがプロジェクターからだろうが、早かれ遅かれ大衆の目に入るんだから同じ事よ。
 それに将来女優を目指す身として、こんな事で恥ずかしがっちゃ大物なんかにはなれないわ。マイナー時代にどれだけ肌を露出したかで今後大きく成長するか決まると言っても過言じゃないわ。
 そう言ったらキョンが
『お前の理論で言ったらグラビアアイドルはみんなゴールデングローブ賞を受賞してる。それ以前に朝比奈さんは大物女優を目指しているなんて初耳だ。第一大衆の前で霰もない姿を披露する耐性が無いんだよ、朝比奈さんはお前と違って』
 と、若干いらついているような口調で反論してきた。
 その口調、ちょっと……ほんのちょっとだけ気になったけど、これくらいは日常茶飯事だし、それにこれくらいで引き下がるあたしじゃない。だから寛容にも代替案を提出した。
『なら、これでも被って誰だか分からないようにしていけばいいじゃないの』
 そう言ってあたしはジャックオーランタン作製のために商店街で仕入れてきた、中味を刳り貫いたカボチャの一つをお茶の配膳中だったみくるちゃんに被せてあげた。
 まだ作製途中だから目も口も掘ってない。被っていれば誰だか分からないし、被っている人も誰が見ているか分からない。見られているのが分からなければ恥ずかしくなる必要もない。そう思った。
 カボチャのお面を被ったみくるちゃんは『はぅあ、何も見えないですぅ』と言って辺りをオロオロし始め、千鳥足で辺りを徘徊し始めた。
 その姿はとっても滑稽で、あたしは平常を保つことが出来ずくすくすと笑い出した。
 そして、ふらふらした足取りはやがてパイプ椅子とご対面、足を引っ掛けて転倒した。お盆とお茶碗が舞い上がり、コン、ポテンと間抜けな音を立ててカボチャのお面にヒット。
 お茶が倒れたみくるちゃんに降りかかる。それがよほど熱かったのか、前も見えないのに立ち上がって移動しようとして……再び転倒。こぼれたお茶が床を濡らしていて、それに滑ったらしい。
 転倒のショックでカボチャは割れ、あとに残ったのは、お茶とカボチャの皮でまみれたみくるちゃんのだらしない顔。
 ギャグアニメやギャグマンガでも今日び描かれないようなベタな展開に思わず堪えきれなくなって、あたしは思いっきり声を出して笑った。
 鶴屋さんも一緒になって大笑いしていたし、大声じゃないけど古泉くんだって口に手をあててたし、常時本と向かい合っている有希だってみくるちゃんの方をじっと見ていた。
 そう、みんな笑ってたの。だって面白かったもん。
 ――ただ一人、キョンを除いて。
 
 それまで無言だったキョンは、みくるちゃんの元へと駆けよってお面の破を取っ払いながら『大丈夫ですか』と声をかけて、あたしに『笑いすぎだハルヒ。怪我を追わせたらどうするつもりなんだ』と冷たく言い放った。
 その声は、先よりも一段と怒気を含んでいて、キョンが怒っているのは間違いない状況。
 だけど、あたしは努めて軽い口調で言った。
 正直お面を被ったままあんなふうに歩くとは思ってもみなかったわ。あたしが同じ状況になったなら先ずお盆を床においてからお面を外すわよ。ちょっと考えれば分かる事すらしなかったみくるちゃんが悪いのよ、と。
 キョンがここまで怒るとは思わなかったし、軽く流そうという心持ちで敢えてそう言う口調にしたわけ。
 でも、その口調が徒になった。『もっと人の気持ちを考えろ』とか『お前何も変わってないじゃないか』って、あたしに対してさらに強い口調で一喝した。
 売り言葉に買い言葉で、あたしも『あんたはあたしの言うとおりにしなさい』とか『あたしは団長で、団員は団長の命令には絶対服従なのよ』って反抗した。
 そんな言い争いが続いた後、キョンは付き合ってられん、って捨て台詞を吐いて部室から出て行った。
 あたしも気が立っていたから、キョンが出て行った後、いなくなってせいせいした。もう口聞かないわあんなやつ、とみんなの前で言ってやった。
 そんなこんなでハロウィンパーティの前日は過ぎていった……
 
 
 
「本当は、分かっているの」
 以前、合宿先で撮った集合写真。あたしに抱きつかれて引きつった顔をしている誰かさんを指でなぞりながら、あたしは自己嫌悪に陥っていた。
 悪いのはあたしだって気付いてる。素直に謝ることができない自分が悪いって気付いてる。
 そして、SOS団にとって……いいえ、あたしにとってキョンの存在がどれだけ大きいものなのか。どれだけ必要としているのか。
 あたしにとって特別な存在になっていることだって気付いているの。
 みくるちゃんにあんなことをする理由。それはキョンに構ってもらいたいから。
 一見全く関係のなさそうな二つの事象だけど、実は大いに関係がある。
 みくるちゃんをいじれば、キョンはあたしを止めにかかる。ああしろこうしろと文句をつけてくる。
 止めに来ればキョンと触れ合う時間ができる。キョンがあたしのことだけを見てくれる時間ができる。
 あたしに対する文句は、逆に言えばあたしに対する要望……あたしがこんな人であって欲しいというキョンの潜在的希望を伺うチャンスができる。
 ……ええ、屈折しているって自分でも思うわ。でもあたしはそんな方法でしか自分の想いを表現できない。正直な表現ができないのよ、ことキョンに対しては。
 
 だからあたしはみくるちゃんいじりでストレス発散とキョンの本音を伺ってるの。一石二鳥でしょ?
 もちろん多少の行き違いは生じるし、今までも何度かあった。
 だけど、これだけひどいのは初めて……ううん、二回目か。
 でも、これだけは信じて欲しい。
 あたしはキョンと喧嘩をする事を望んだわけじゃない。キョンとの交友を絶つ事を望んだわけじゃない。キョンと今以上に仲良くなりたかっただけなの。それだけなのに。
 ……そもそも、キョンが悪いのよ。『人の気持ちを考えろ』って言うけどさ、大体キョンはあたしの気持ちを受け止めてくれないじゃない。あたしの気持ちを分かろうともせず、みくるちゃんを庇ったり、有希にいやらしい目を向けたりさ……
 それに二人ともキョンに甘過ぎるわよ。
 無防備なみくるちゃんと、寡黙で何があっても動じない有希。エロキョンにとっては絶好のカモ。良いようにされちゃうのは目に見えてるわ。だから調子のっちゃうのよ。
 古泉くんも古泉くんだわ。キョンのスケベ目線を止めようともせず野放しにしてるんだから、同罪よね。
 これじゃSOS団を設立した意味が無くなるじゃない。何のためにあたしが苦労してこの団を……
「ふぅ……」
 止めよう。
 どうしてみんなの悪口になっちゃうの? 悪いのはあたしなのに。素直になれないあたしが悪いのに。素直になればこんな事起きないだろうし、全てが丸く収まるのに。
 それでも、あたしは素直になれない。それには理由がある。
 素直になれない理由……それは、キョンの気持ちが分からないから。
 みくるちゃんや有希には優しいのに、あたしにだけあんな目に遭わす、キョンの本心が分からないから。
 せめてもう少しだけでもキョンが優しければ、あたしだってもっと素直に……
 あたしは部屋の明かりを消し、ベッドに腰かけ、そしてジャック・オー・ランタンに蝋燭を灯した。真っ暗な部屋の中に、おどろおどろしい目と鼻と口が浮かび上がる。
「おやすみ、ジャックくん」
 ジャックくんっていうのはこのジャック・オー・ランタンの名前。なんとなく命名してみた。
 ジャックくんとの出会いは、ほんの一週間ほど前。あたしが良く行く古物商の展示棚にちょとこんと置かれてたの。
 小ぶりではあるけどなんとなく愛嬌があり、惹かれるものがあった。この子があたしに買ってくださいオーラを発しているのがビンビンに伝わってきたわ。
 元々ついていた値札は結構高かったけど、素性がわからないから安くするよ、って店のおっちゃんも言ってくれて、首尾よく手に入れることが出来たわ。それだけで凄く嬉しかったのを覚えている。
「結構古いし、何となくそれっぽい雰囲気を持っているから魔法が使えるかもな。丁度ハロウィンだしね』っておっちゃんは言ってたけど……本当かしら?
「もし本当なら……」
 目と口が橙色に灯る不気味なカボチャに近づき、そっと声をかけてみた。
 ――ねえ、あなた本当に魔法が使えるの? もし魔法が使えるなら――
 人様には絶対聞かせられないような願い事をして、そして恥ずかしくなって布団に潜り込んで……
 そして、あたしは眠りに墜ちた。
 
 
 
 夢だと思い込みたいような出来事があった割には気持ちよく寝られて、そして目覚めも快調だった。窓を開けた瞬間に広がる眩しい朝日も嫌なことを忘れさせてくれる。うん、今日は良い日になりそうだわ。
 何時になく殊勝な心持ちでそんな事を考えたあたしは、いつも通り髪をセットして、リボンを纏い……そして、もう一本のリボンを鞄に入れて学校へと向かった。
「そうそう、これも持って行かなくっちゃ」
 あたしは机の上に置いてあったソレを手にして、ビニール袋に入れた。
 これで通学準備完了。……いつもより5分早いわ。なんか全ての事が上手く行きそうな気がしてきた。
 だから、心の中で囁いたの。
 ――今日はちゃんとキョンに謝ろう、って。
 
 あたしはクラスの中でも五本の指に入るくらい早めに登校するタイプである。
 この日も例外ではなく、それどころか教室のドアを開けた時にはあたし以外まだ誰も登校した様子はなかった。
「今日は一番乗りね」
 それだけのことだが、気分は更に上昇していく。あたしの謝罪をキョンが快く受け入れてくれる、そんな気がしてならなかった。
 キョンはあたしとは対照的にクラスの中でも五本の指にはいるくらい遅く登校するタイプであり、キョンがあたしの前の席に着くまでには今しばらく時間がかかる。
「さて、と……」
 あたしは鞄の中からリボンを取りだし、しばらく見つめていた。
「これなら許してくれるはず」
 いつかの夢の中でヒントを得た、対キョン最終兵器。
 これを使うと、キョンの気持ちをあたしに向けさせることができるの。理由も理屈もない、不条理で不明確な方法。だけど……
 ……だけど、これであたしは2回救われた。
「絶対大丈夫」二度あることは三度あるって言うじゃない。
 正直恥ずかしいけど、気分転換だって言えばいい。何とかなる。でもあからさま過ぎるかも……
 ……ええい、迷ってたってしょうがない。当たって砕けろよ。
 意を決して右手にリボンを取り、左手は頭後方へ持って行く。そして髪の毛を束ね、右手のリボンで巻き付けて。
 その時。
 ガラガラガラとドアを開く音がした。
 反射的にドアの方を振り返り――
「よっ、ハルヒ」
 ――思わず左手を払い、右手は慌てて机の中へと隠す。
 キョン! 何で今日に限ってこんなに早く登校してくるのよ!
「…………」
 そんな内心の動揺も余所に、頬杖をついたまま挨拶もせずふんっと窓の方を見据えた。
 正直に言うと、顔を合わせづらいというのもある。昨日の件もそうだし、何よりあたしがこそこそと企んでいることを知られたくないってのが大きなウェイトを占めている。
「連れないヤツだな、お前は」
 ふんだ、あんたがいきなり入ってくるからよ。あたしの段取りがめちゃくちゃになったじゃない。せっかくあたしから謝ってあげようと思ったのに、その気も失せちゃったわ。
 こうなったらあんたから謝まんなきゃ許してあげないんだから。
 ……そりゃあたしが悪いのは分かってるけど、人の気持ちを踏みにじるキョンの行動にも非があるわ。せめてそれを認めて、一言『ごめん』って言ってくれさえすればあたしだって
「ごめん」
 そうそう、そうやって言ってあげるわよ……って、
「……え? 今何てd……?」
「ごめん。ハルヒ。昨日は悪かった。ちょっと頭に血が上っちまってな、心にもないことをいっちまった」
「え、ええ……」
「許してくれ、ハルヒ」
「あ……うん」
「許してくれるのか?」
「な、なによキョン。そんなにあたしが信用できないっての? ゆ、許すったら許すわよ」
 そうは言うものの、あまりにも都合良く謝ってきたキョンに対して驚愕を禁じ得なかった。いくら上手く行く気がするからって言っても、これは正直上手く行きすぎである。
 だって、こんなに早くキョンの方からコンタクトをとるなんて思ってなかったもの。前回のアレだって昼休みの時だったのに……
 やっぱり、コレのおかげなの……?
「……まあ、その……キョンだけの責任じゃないかなーって思ってるし……その……あたしも……ちょっと、言い過ぎたし……」
 妙に汗ばんだ右手をぎゅっと握る。リボンはあたしの手の中でくしゃくしゃになっただろう。
 でも、それはもうどうだっていい。
 ……どうして、こんなにも汗をかいていんだろう。
 ……どうして、こんなにもどきどきするのだろう。
 ……どうして、こんなにもキョンが素直なんだろう。
「悪いことしたなーって、思って……うん、ごめん」
 
 
 ……どうしてこんなにもあたしが素直なんだろう……
 その時は分からなかった。いや、分かろうとさせてもらえなかった。それは――
「ありがとう! ハルヒ!」
 え……?
 
 
 ――キョンは、いきなりあたしを抱擁したのだ。
 
 
 
 ――何?
 ――キョンが、あたしを抱いている?
 ――凄く嬉しそうに、抱いている。
 ――あたしを抱くことが、そんなに嬉しいの?
 ――そう、嬉しいの。
 ――あたしも……そう、あたしもなの……
 ――だって、キョンって暖かい。
 ――それに気持ちいい。キョンの匂いがいっぱい。
 ――ねえ、しばらくこのままでもいい……?
 
 
「おいおい、キョン、涼宮。お前達がラブラブなのはわかってんだけどよ。教室の中までそれを持ち込むのは止めてくれ。甘すぎてヘドが出るぜ」
「しょうがないよ谷口。キョンは涼宮さんが好きで好きでしょうがないんだから」
「それは別に構わんのだが……ただ俺は、クラスの風紀を心配してだな……」
「谷口からそんな言葉が出るとは思わなかったよ。でも本当は単なる焼きもち焼いているだけなんだよね」
「う、うるさい国木田!」
 
 ――続いて入ってきた、クラスメイト二人の言葉で我に返った。
「放しなさいっ!」
 あたしはキョンを思いっきり突き飛ばした。
「ってえ! なにしやがる!」
「それはこっちのセリフよ! 何いきなり抱きついてくるのよ!」
 床に尻餅をついたキョンは、痛そうにお尻をさすりながら、しかし困惑した顔で
「ハルヒ……やっぱり許してくれないのか? この通りだ、スマン!」
「許ちょっとキョン! 何してんのよ!」
 いきなり土下座で謝り始めた。
「スマン、ハルヒ! スマン!」
 どうしたのキョン!? 謝ってくれるのは良いけど、どうしてそんなに……
「おい涼宮、何をやったのか知らんが、そろそろ許してやれよ」
「そうだよ。このまま許してもらえないと、キョンは自殺しちゃうかもよ」
 え? どういう事?
「とぼけちゃって」毒を吐くように言い捨てる谷口。「お前らがラブラブバカップルだってことは自明の理だぜ」
 はあっ!?
「二人は恋人同士だってことはクラス全員知ってるよ。今更抱きついているところ見られたからって、誰も驚かないよ」
「国木田、北高生全員の間違いじゃないのか?」
「ああ、それもそうだね」
 はははっと笑う二人を尻目に、あたしは呆然と立ちつくしていた。
 あたしと……キョンが……恋人同士!?
「おいおい、そんなこというなよ。俺はともかくハルヒが嫌がってるじゃないか」
 さっき以上に頭が回らなくなったあたしを余所に、今度はキョンが喋り始めた。
「ハルヒはとっても心優しくて、部下想いの優れた団長だ。俺はハルヒに一生ついて行くつもりだぜ」
「…………」
「おーおー。言ってくれるね」
「でも、昨日の部活中にひょんなことから意見が対立してな。それでちょっとした喧嘩状態になってたんだ。でも一晩頭を冷やして、やっぱり俺が悪いって気付いたんだ。だから朝イチでこうやってハルヒに謝ってたんだよ」
「…………」
「キョンったら本当に涼宮さんにベッタリだもんね」
「ったり前だ。ハルヒは俺にとって星だ、太陽だ、女神だ。運命の人だ。そのハルヒに嫌われたら、俺は生きていく意味がない」
「…………」
「お前が涼宮にホの字ってことは分かったけどよ。あんまりみせつけてくれるなよな。俺のようなまじめな高校生にとって、勉学の妨げになるからな。涼宮も、あんまりキョンとイチャイチャするんじゃねえぞ」
「…………」
「おい、涼宮、聞いてるのか?」
「……え?」
「ったく、キョンの言葉にポーッとなりやがって。いいか。せめて授業中はあんまりイチャつくんじゃねえぞ」
 その言葉を最後に、谷口と国木田は自分の席へと戻り、鞄を机にかけて別の場所で話し始めた。
 
 
 
 キョンの言葉が頭の中でリフレインする。
 ――ハルヒに一生ついて行くつもりだ――
 ――星だ、太陽だ、女神だ、運命の人だ――
 あたしは確かにポーッとしていた。でも、仕方ないじゃない。
 キョンの口からそんな言葉が出るなんて、考えても見なかったんだもん。
 歯の浮くようなセリフを、聞いててこっちが恥ずかしくなるようなセリフを、いけしゃあしゃあと言い放ったのよ。
 みんなの前で。あのキョンが。
 いつものあたしなら、そんな臭いセリフを言う輩は殴ってでも正常化させるところよ。こんな気まぐれ感情のために、周りが見えなくなったら困るじゃない。
 でも、それが出来なかった。
 だって、今のキョン、あたしに対してすごく優しくて、カッコよくて……
「ハルヒ。許してくれないか?」
 キョンの上目使いに、あたしは思わず『うっ』と声を上げる。
 落ち着け、落ち着くのよ涼宮ハルヒ。
 これは何かの冗談よ、罠よ。キョンがあたしを引っかけようとしているだけよ。昨日の仕返しとばかりにドッキリを敢行しているだけ。谷口や国木田まで巻き込んで。
 だから……少し試させてもらうわ。
「じゃあ、許してあげる」
「本当か、ハルヒ!」
「でも……」と待ったをかける。「もう一回言って」
「何を?」
「もう、分かってるくせに。あたしをどう思っているかよ」
「なんだ、そんなことか。いいぜ、何度でも言ってやる」
 キョンはあたしの肩を抱いて、そして耳元で優しく囀るように言った。
『俺は、涼宮ハルヒに一生ついて行く所存です。今度ともよろしくお願い致します。我が女神こと、団長様』
 
 
 
 時は過ぎて昼休み。あたしは部室にいた。
 ハロウィンパーティの用意がまだ完璧とは言えない。だからあたしはここでご飯を食べながら一人で準備をしているのだ。
「ったく、キョンったら……」
 団長席に陣取り、PCのスイッチを入れ、買ってきた焼きそばパンの袋を破る。袋を破る勢いがいつもより大きいのは仕方あるまい。
 あたしは今、非常にテンションが高い。それもそのはず、キョンの態常識外の行動に対してあたしは憤っているのだ。
 それは授業中にも現れていた。キョンは後ろ――つまりあたしの顔見てはにこっと微笑み返し、そして再び黒板を見つめ、暫くするとまたあたしを見ては微笑む。
 あたしが外を向いていたりしていると、キョンはシャープペンの先(ペン先じゃなくてカチカチ押す方)であたしの頬をぐりぐりしてきたり脇の下をつついてきたりして、あたしの注意を自身に向けさせようとしていたりもしていた。
 ムッとなってやり返そうとすると『怒った顔も可愛いぞ』なんて言うもんだから、こっ恥ずかしくなって手にしたシャープペンを渋々下ろしたりして……そのままだと悔しいから視線が元に戻ってから背中や首筋をグリグリしてやったわ。
「乙女に向かってなにしてんのよ……」
 ムスッとしながらパンを頬張る。うん、美味い。
 授業中に何てコトするのよ。あたしでストレス発散させて遊ぶんじゃない。キョンのおもちゃじゃないのよ、あたしは。
 パンをもう一口。やっぱり美味しい。
「……おかしいわね」
 素朴な疑問が浮かび上がった。
 怒りながら食べる食事なんて、大概美味くない。味気ない。怒りが味覚を阻害して、食べ物まずくしてるんだから当然と言えば当然のこと。
 でも、事実あたしが今食べているパンはとっても美味しかった。それどころかいつも以上に美味しく感じた。
 実は今日のパンはプレミアム製法と厳選素材で作られた特級品で……ってことはないわ。そんなこと、購買のおばちゃんは一言も話してくれなかったし、第一100円そこらのパンにそんなこだわりをかけることなんてないわ。
 そしてもう一つ。
 怒っているのに、あたしはイライラを全く感じていない。むしろ爽快な気分。普段ならイライラが治まんなくて自分でも苦労するのに。
 あたしのことをちゃらけて『ハルハル~』なんて呼んだり、あたしの髪を触ったり、あたしの指を絡めてきたり、あたしの目を見つめてたり……そんなことをするキョンに、憤っているはずなのに。
 正直、傍から見てイタイ行為、知能の低いバカップルがやるような行動ばっかり。低俗で下劣。社会不適合と言っても過言じゃないわ。
 
 
 ……ごめん、正直に言う。
 実はまんざらでもなかったりする。
 キョンが心配すればするほど、臭いセリフを言えば言うほど、あたしの機嫌は良くなっていくのがわかる。
 どれくらい機嫌が良いかっていうと……そうね、知性の低いバカップルの人権を認めてやっても良いくらい。だってあたしたちが今現在そんな関係だし……
「ふふふっ」
 思わず笑みがこぼれた。
 反射的に辺りを見渡して……ドアに反射した自分の顔を見る。
 何と言うニヤケ面。谷口のスケベ顔を馬鹿にできないくらい、あたしの顔は緩みまくっていた。
 なるほど、そう言うことか。
 さっき、あたしが怒っているといったことに関して訂正する。ハイテンションな理由は、キョンのセリフに憤りを感じたわけではなく、喜びを感じていたんだ。
 ……今ごろ気づくなんて、あたしったら本当に浮かれているわ。でも、なんでこんなに嬉しいんだろう。キョンが優しいっていうだけでなんでこんなにも気分がいいんだろう。すっごく不思議。
 このままずーっとキョンがあんな感じなら……
「……って、違う!」
 いけないいけない。また妄想に耽るところだったわ。あたしがここに来た理由は、自分の頭を冷やして、今という状況を冷静に判断するためよ。
 キョンは、あたし以外の人間に対しては至って普通。
 授業中あてられた時も、休み時間にクラスメイトと話す時も、そして今も――いつもの面子である、谷口や国木田と一緒にご飯を食べているはず。いつも通りに。
 ただ、あたしに対する扱いだけ異なっており、やたらと気にかけるというか、ベタボレというか……ともかく、そんな状態だった。
 キョンとあたしがこんな関係なのは……別にいいんだけど、それよりも何でいきなりキョンがあんなに優しくなっちゃったのか。それが疑問だった。しかも昨日の今日で態度が変わり過ぎよ。
 まるで魔法にかけられたみたいに……
「……え? 魔法?」
 ふと、あることに気が付いた。
 あたしはいつもの鞄の他に持ってきた、ビニール袋の包みを覗き込む。そこにあったのは、中身と、そして皮の一部をくり抜いたカボチャのアンティーク。
 今朝まで、あたしの部屋に置いてあったジャック・オー・ランタン。昨日のハプニングで作りかけのやつが割れたから、自分の家に置いてあったこれをもって来たの。かぶる事はできないくらい小さいけど、ないよりはマシだと思って。
 あたしはビニール袋からジャック・オー・ランタンを取り出し、そのまま団長の席に置き、そしてソレに向かって喋り始めた。
「ねえ、あなたのせいなの? アレは……」
 昨日の夜、就寝前。ソレにした願い事をした。
 あたしがこのジャック・オー・ランタンにした願い。それは――
 
『もし魔法が使えるなら、キョンがあたしだけを気にかけてくれるようにしてください』
 
「ねえ、まさか……本当にあたしの願いを叶えてくれたの?」
「…………」
 ユーモラスな顔の元カボチャは、もちろん答えるはずもない。
 傍から見れば、カボチャの蝋燭立てに語りかける怪しい女その1の一丁あがり状態。
「ねえあなた、他にも願い事叶えられる? 例えば雨じゃなくて飴を降らせるとか、地球の重力が逆方向になるとか。それに宇宙人が襲来してこの部室の主になり、未来人による歴史介入を蔓延らせ、超能力者の壮絶バトルが展開させるとか、できないの!?」
 でも、あたしはめげない。不思議なカボチャに向かって願い事をふっかける。もしこれが何でも願い事が叶うカボチャなら、あたしはついに不思議な存在をを捕獲したことになる。SOS団始まって以来の快挙だわ。
 これを新聞発表すれば一大センセーショナル、あたしは発見者として全世界にその名前を轟かせることになる。そしてSOS団は世界を股にかけ大きく躍進するの。
 そしてSOS団永久名誉団長、涼宮ハルヒの名は未来永劫語り継がれていくの。
「どうなのよっ!?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………はあ、やっぱりダメか」
 当たり前、か。
 たかが商店街で手に入れた程度の代物じゃ、あたしの崇高たる願いを聞き入れるなんて無理よね。ハロウィンが近いから魔法とかの力が活発になるていうおっちゃんの言葉を信じすぎちゃったわね。期待して損した。
「ジャックくん、ごめんごめん。無理を言って悪かったわ。もしそんな願いが叶えられるなら、あたしはキョンともっと……」
 ……うう、何て事考えてるのかしら。いくら何でも妄想が過ぎるわ。
 あたしはふと我に返り、そして時計を見る。もうすぐ午後の授業が始まるわ。
「そろそろ行かなくちゃ、ジャックくん、また放課後ね!」
 あたしはジャックくんをそのまま団長机の上に座したまま、自分の教室へと駆けだした。
 
 
 
「ハルヒ、ケガはなかったか?」
 大丈夫よ。ちょっと荷物置いてきただけだから。
「重くなかったか? 白魚のような手は汚れてないか?」
 平気平気。あのくらい。
「足はむくんでないか? スラリとした美脚に異常があったら大変だ。マッサージしてやる」
 き、今日は大丈夫。また今度お願いね……
「変な男に声をかけられなかったか? 悪い虫がいたら追っ払ってやる」
 え、ええ。ありがと……でもそんなに心配しないで。大丈夫だから。
「いや、お前あってこその俺だ。お前がいなきゃ俺は生きている価値がない。それくらいお前が愛おしいんだ」
 キョン……。
「……ほら、綺麗な顔が汚れてるぞ。拭いてやるからちょっとじっとしてろ」
 うん……
 
 以上、教室に戻るや否や、キョンが語りかけてきた会話の一部であり、キョンは自分のハンカチを取り出してあたしの顔を拭き始めていた。
 このやり取りを見ていた連中が『ヒューヒュー』やら『よっ、北高一のバカップル』って五月蠅いけど、気にしないことにする。
 何よ、バカップルバカップルってうるさいわね。キョンがやってる行動は男性として当然のことじゃない。あたしの顔が汚れているから拭いているだけでしょ?。
 文句を言われる筋合いはないわ。少しくらい甘えたって良いじゃ……
「何ぶつぶついってるんだ?」
 べ、別に何も。
「なら黙ってろ。舌を噛んでも知らないぞ」
 そんなヘマしないわ! それとも何? そんなにあたしが舌を噛むのが見物なの?
「ああ、そうだな。そうすればハルヒの口に堂々と舌を入れられるもんな。治療目的で」
 な……なにアホなこと言ってんのよ、このエロキョン!
「顔中真っ赤にして淫らな想像しているヤツに言われたくないよ、このエロハルヒ」
「エロキョン!」
「エロハルヒ!」
 
 ――教室の中、先ほどまでヤジを飛ばしていた奴らも心底呆れかえってのか、それとも馬鹿に付ける薬はないと思ったのか、あたしとキョンのやり取りにもう誰も突っ込まなくなっていた。
 その気持ちも分かる。あたしがみんなの立場だったらみんなと同じ。こんな奴らの相手なんかしてられないって、完璧無視すると思う。それか『うるさい黙れ!』って一喝するわ。正直、ウザイもの。
 万が一にでも自分が同じ立場になったとしても、絶対こんな気色悪いことしない。誓ってもいい。
『恋愛感情なんて一時の気の迷い、精神病』が信条であるこのあたしにとってはお茶の子さいさい。むしろこっちからとっちめてやるわ。
 それだけの気力と常識力はあるつもりよ、これでも。
 そう、思ってた。
 しかし。
 いざ自分が馬鹿やっている立場になってみると、そんな誓いなんて綺麗さっぱり忘れてしまう。
 だって、今この時が楽しいの。
 キョンとこうやってじゃれあっていることが何より楽しいの。
 ――恋愛感情なんて一時の気の迷い、精神病――
 もう一度その言葉をリピートする。
 確かにその通り、ね。
 
 キョンの積極的なアプローチに、あたしの心は正常を保てなくなってきているもの。
 薬やたばこ、お酒やギャンブルにはまっちゃって抜けられなくなったって話はよく聞くけど、今なら凄く良くわかる。
 あたしはキョンの虜になっている。正認めるわ、正直に。
 でもこんなに優しいキョンなら、そんな風になるのは仕方ないじゃない。
 なおも優しく顔を拭いてくれるキョンの手を感じながら、あたしは心の中で願い事をしていた。
 キョン……お願い、キョン……ずっとこのままで……優しいキョンでいて……
 
 
 蜜月なんて表現をすると少しいかがわしいかもしれないけど、客観的に見ればそう思われても仕方ないようなやり取りは午後の授業中もずっと続いていた。
 その回数、実に34回。その内の11回はあたしがよそ見をしていた時で、グリグリやり返されたのは言うに及ばず。そして、お返しとばかりにやり返したのも言うに及ばず。
 あたしが心を開き始めたからだろうか、キョンがあたしにちょっかいをかける回数が午前中と比べて多くなっていたりもする。ちなみに午前中は一時間あたりせいぜい4・5回だったから、その十倍近くにまで膨れあがっているわね。
 ホント、典型的なバカップル。傍から見たら迷惑この上ないわね。もう慣れちゃったから気にしてないけど。
 冷静に考えれば異常なほどイチャイチャしていたのだが、その時のあたしはそれが異常だと気付くことなくただただキョンとのやり取りに現を抜かしていた。
 現実を見失っていたというか、逃げていたというか……ともかく、こんな状態が長く続けばいい。そんな風に思っていたのは事実である。
 しかし、それが最大の間違いであり、同時にあたしが夢から覚めるきっかけともなった。
 
 
 
 退屈で眠たい午後の授業もようやく終わりを迎え(とはいってもキョンとつつき合いをしていたから、そんなに退屈でもなかったけど)、ようやく放課後を迎えた。
 これから待ちに待ったハロウィンパーティの開催である。この日のために、あたしは様々な準備をしてきたし、SOS団のみんなだって色々と頑張ってくれた。盛り上がらないわけは無いし、面白くないことは無い。大受け必死のパーティだって自負できる。
 でも。
「……あたし、ハロウィンパーティに出たくないな」
「どうしたんだ急に」
 肩にポンと手を置いて、キョンが心配そうにこちらを見つめてきた。
「だって、ハロウィンパーティはみんなで……SOS団のみんなと鶴屋さんとでやるパーティじゃない。それはそれで面白いんだけど、でもあたし今はそんな気分じゃないの」
「そうか……」
 キョンはそう言って暫く沈黙した後、突然あたしの肩を抱き寄せてきた。
「ちょ……キョン!」
「なら、二人っきりでやるか?」
 耳元で囁いた言葉の意味が、最初わからなかった。
「俺とハルヒ。二人だけでパーティをしようぜ。仲直り記念のパーティだ。OKだろ、ハルヒ?」
「う、うん……でも……」
「でも?」
「でも、みんなに何て言うの? 今日のパーティ、楽しみにしてるのに……」
「大丈夫、みんな分かってくれるって」
「だけど……」
 キョンは何かを悟ったような、穏やかな笑みを向けてあたしに言った。
「団長命令は絶対、だろ?」
 
 
 そして部室。
 ハロウィンパーティのために用意されたオカルトセットは、打って変わってムーディなセットに変わっていた。
 団員用の長机が並べられ、その上には純白のテーブルクロス。更にその上には様々な料理と飾りで彩られていた。
 キョンはセットを見て鷹揚に頷いた後、何かを思い出したかのように窓を開け見回し、掃除用具入れのロッカーを開け、最後に団長机にあるあたしのパソコンの電源を入れ……そして胸をなでおろしていた。何がしたかったのかしら?
 その後、キョンは自分が持ってきた包みを取り出し、あたしのグラス、続いてキョンのグラスに注いだ。
「ハルヒ、乾杯だ」
 ワイングラスに注がれた緋色の液体に、キョンの笑顔が映る。
「うん……乾杯」
 あたしもグラスを手にとって、キョンのグラスに軽く押し当て、そして緋色の液体に口をつけた。
 いつもならこれくらいの量、一気に飲み干すのに、今日はそんな気分じゃなかった。普通の女の子のようにちびちび飲んでいるだけ。
「どうだ、美味しいだろ、そのジュース」
「うん、普通のと違って味が濃いわ」
「田舎のばあちゃん家で取れた山葡萄を絞って作ったんだ。今日のパーティに振舞おうと思ってな。喜んでいるみたいで俺もほっとしたぜ」
「ええ、とっても美味しいわ、ありがと」
 あたしの言葉にキョンは指をチッチッと振って
「違うぜ、ハルヒ。俺はこのジュースに向かって言ったんだ。ハルヒに飲んでもらえることだけでも恐縮なのに、あまつさえ賛美の言葉を頂いたんだ。そのジュースも本望だろうな、ハルヒに気に入られてさ」
「な、何言って! ……んのよ、バカキョン……面白い冗談じゃない」
 思いっきり叫ぼうかと思ったけどそこまでする勇気もなく、口に手を当ててくすくすと笑う。なんでだろう、大きい声をあげてガハハと笑う気にはなれない。
「それはともかくさ、色々あるからたくさん食べてくれ。どれも絶品料理でうまいぜ。……まあ、料理は古泉に頼んで持ってきてもらったやつだけどな」
「……古泉くんに、悪いことしちゃったな、有希にも、みくるちゃんにも」
「気にするなって、みんないいよっていってくれたんだからさ」
「うん……」
 キョンは既にみんなとコンタクトを取ってくれてたらしく、みんなはパーティのドタキャンに対しても快く受け入れてくれた。
 それどころかあたしとキョンの仲直り記念だからといって、キョンを除くSOS団のみんながこのセットや料理、全て用意してくれたらしい。
 あたしが昼休み、部室に行った時はそんな様子は全く無かったから、午後の授業中にセットしたことになるわね。ホント、みんなに迷惑掛けっぱなし。暫く頭が上がんないわ。
 そんないい団員ばかりなのに、あたしったら少しでも悪口言って……最悪。
「どうしたハルヒ? そんな落ち込んだ顔をして。料理が口に合わなかったのか?」
 ううん、違う。ただみんなに迷惑掛けちゃったかなって思って。せっかくのハロウィンパーティだったのに、あたしのわがままで……やっぱりみんなに謝ってくる。まだ教室にいるかしら? ちょっと探してくる!
「ちょ、ちょっと待て! ハルヒ」
 なによ。
「いや、なんだその……みんなもう帰っちゃったんだよ。用意をして、ついさっき。だから学校にはもういないんだ」
 ついさっき帰ったんなら今から行けば間に合うわね。あたし行ってくる。
「だからちょっと待てって! いいから座れって!」
 席を立ち、足を地面から離そうとした瞬間、あたしは止められた。いつもならこれくらいの声で怯んだりはしないが、昨日の今日ってこともあり、おとなしく席につく。
「あ……すまん。ちょっとムキになりすぎた。すまん」
 少し焦ったようなような表情のキョンは、そのまま話を続けた。
「いや……そんなに気に病むことは無いさ。みんなは……そう、本祭のための準備に出かけたんだ」
 本祭?
「ああ……ハロウィンは前夜祭なんだよ。今日ハロウィンパーティができなくても、本祭である万聖節……聖人を祝う日で祝えば問題ないだろ? だから今日は仲直りのためにとっておいて、あしたドンちゃん騒ぎすればいいじゃないか」
「うん、そうね……でもハロウィンって前夜祭なんだ。知らなかったわ。キョン、物知りね」
「ああ、ハルヒのために色々と博識でないとな。最愛の人をサポートする身として当然だ」
「もう……馬鹿っ」
「照れた顔も可愛いぞ、ハルヒ」
「……っ!!」
 羞恥のかけらも浮かべず言い切ったその言葉に、むしろあたしの方が恥ずかしくなる。二人っきりとはいえ、そんな甘い言葉に耐性の無いあたしは体中が湧き上がってくる。
 本当は嬉しい。キョンにそう言ってもらえるだけで嬉しい。
 だけど、それを素直に言えない。口に出して喜べない。この後に及んで、あたしはまだ自分に虚栄心を蔓延らせようとしている。
 そしてその虚栄心は口と先に手を動かした。
 
 ――この、エロキョン! 何言ってんのよ――
 ――バチンッ――
 
「ってえな! ハルヒ!」
「……あ? あれ……?」
 ――キョンに平手打ちをした!? あたしが!?
「せっかく誉めてやったのに、なんだってそんな対応するんだお前は!?」
「……と、……あの」
 ――何で? 何でそんなことしたの? どうして?
 
 自分でも考えられないくらい意外な行動に、あたしの頭の中は真っ白になった。言い訳の言葉すら思いつかない。
「昨日は俺が悪かったから今日はお前に紳士的な対応をしてやったのに、それを無にする気か!?」
 違う、そうじゃない。あたしが今やったことは本心じゃない。条件反射による防衛反応の一つよ。
「俺がこんなに……こんなに献身的なのに……」
 ごめん! キョン! 違う! 違うの!
 あたしがいくら声を振り絞っても、いくら叫んでも、キョンの耳には届かなかった。もしかしたら最初から声など出していなかったのかもしれない。
「ハルヒ……そんなに俺が嫌なのか? 俺の存在がうっとおしいのか?」
 キョンの声に再び怒気がこもる。昨日と同じ、あの声。
 あたしはまた同じ事を繰り返そうとするの? キョンの気持ちを汲み取ろうとせず、またケンカ別れしちゃうの?
「ハルヒ……」
 キョンの声がこっちに近づいてくる。キョンがあたしに迫ってきている。
 あたしは逃げられない。逃げようとしても足がすくんで動けない。恐怖で身動き取れなくなっている。
 キョンはあたしの直前、手を出したら届く位置まできてあたしを睨めつけてきた。まるで全てのものを恨むかのような、恐ろしく冷たい瞳で。
 キョン、違うの、話を聞いて、ねえ、お願い! 話を……
 何度も叫ぼうとするが、やはり声にならない。
「ハルヒィッ!」
 ああっ……もうダメッ!
 目を瞑って顔を背け――
 
「なーんてな、冗談だ、冗談」
 
 ……へ?
 ――恐る恐る目を開けて、彼を見る。
 そこには、いつもどおりのキョンがそこに立っていた。
「え……?」
「どうだ、ツンデレっぽい方がハルヒ的に萌えるかと思ったんだが……不発か?」
「…………」
「あ? もしかして怒ったか?」
「ったり前でしょうが! バカキョン!!」
「ぐふぉ!」
 流石に今回ばかりはグーで殴らせてもらった。
「あんた、あたしがどれだけ心配したかわかってんの!」
「わ、わかった! すまん謝る! 冗談だって冗談!」
 たく……あたしともあろう者が本気でビックリしたじゃない。まさかキョンがあんな風にキレるなんて思わなかったわよ。それとキョン、それはツンデレというよりはもはやヤンデレの領域だから。間違って使っちゃ世の中に失礼よ。
「そうなのか……」
「そうなの」
 ……なんか、キョンの応対が普通になってきたわね。気のせいかしら? それともあたしの中のフィルターがはがれかけてきただけなのかしら?
「ともかく」とあたし。「戻って料理食べましょ。まだ半分以上残ってんだし」
「ああ、そうだな……」
 言って、キョンはおとなしく席に戻ったのだ。
 
 
 
 
 その後のキョンは至って普通だった。
 普通といっても、『昨日までのキョン』の普通ではなく、『今日の』キョンの普通だった。
 あたしに甘い言葉をかけ、そして異様なほどあたしを心配してくれる今日のキョン。
 さっきみたいな酷いものじゃないけど、そこそこギャグも言ってくる。
 優しくて気配りがあって誠実的で、でもちょっと抜けてる。
 こう考えると、別に今日のキョンが特別って訳じゃない気がしてきた。いつものキョンが、あたしに対して優しくなった。そんな気がしてきた。
 そして。
「あー、美味しかったな、この料理」
「ええ、ご馳走様でした」
「お粗末さまでした」
「別にキョンが作ったわけじゃないでしょ」
「ああ、それもそうだったな」
 はははっと、二人で声をあげる。
「でも、この料理はハルヒのために用意したものなんだぜ」
 え? ハロウィンパーティの流用じゃないの?
「違う違う。俺の意匠がこめられた、ハルヒ専用のおもてなしだ。食べたもの良く思い返してみな。お前の好物しか出さなかったはずだ」
 そう言えば、確かにあたしの好物ばかり……
「でもキョン、何であたしの好物知ってるのよ?」
「伊達にヒラ団員で下働きをしているわけじゃないぜ。お前の好物は団活を通して調査済みだ」
 キョン、あんたえらいじゃない。普段ボーっとしていると思ったのに、結構色々やってくれているのね、あたしのために。
「外にも色々調べてるぜ。お前の好きな場所、お前の好きな映画、お前の好きな音楽……これでも色々団長のためにやってきたつもりだぜ。何ならこれから紹介してやれるぞ」
「本当!? 凄いじゃないの。よくやったわ。この功績を称えてあなたを参謀に任命してあげる。団長の補佐及び助けをするのが仕事よ!」
「有難うございます団長閣下。それではご案内差し上げますが、その前に……」
 キョンは言葉遣いを変え、本当に参謀のような独特の喋り方をしながら再びあたしの方に回り込み、耳元で囁いた。
「早速ですが、参謀としてご忠申差し上げたき事がございます」
「なに?」
「実は参謀としての職もありがたいのですが、実は別職の希望がありまして。できればそちらで任命させていただければと」
 別の職? 団長、副団長、副々団長以外なら空いてるけど、あんたの功績じゃ副々々々団長にもなれないわよ。もっと精進しなさい。
「いえいえ、そのような大それた身分など所望しておりません。自分がSOS団の活動に助言するのは向いておりません故」
 くくくっとのどを鳴らした。何か含むところがあるような、そんな笑い方である。
「しかし……団長様の手助けをすることならむしろ喜んで」
 何を言ってるのキョン? だからあたしは参謀に任命したのよ。
「いや、団長とはそう言うことじゃない。俺は」
 キョンはあたしの肩を掴み、じっと見つめてきた。思わずあたしもキョンの方を見上げる。
「涼宮ハルヒという一個人を手助けしていきたいんだ。涼宮ハルヒという女性と、一生を共に過ごして生きたいんだ」
 キョン、何言ってるの? それじゃまるで……
「そう、思ってもらってもかまわない」
「!」
「ハルヒ。前々から言おうと思ってたんだが、実は俺、お前のことが……」
 キョンの手にぐっと力がこもる。突如、体がフッと軽くなる。
 あたしは引き寄せられたのだ。まるでキョンに吸いつけられるかのように、抵抗無くキョンの胸元へと納まった。もしかしたらあたしから飛び込んでいったのかもしれない。そう思えるくらい簡単に。
 キョンの顔が一段と近くに迫っている。そのはにかんだ笑顔から目をそらすことができない。
「いくぞ、ハルヒ……」
 キョンが目を閉じる。穏やかな表情で、いやらしさなんて欠片も無い。
 何でこんな時だけ冷静なのよ。あたしはまだ心の準備ができていない、あの時と同じで。不意にするなんて卑怯すぎるわ。
 でも……でも、これは夢じゃない。
 キョンがあたしを求めてる。必要としている。
 ――考えるまでも無い。あたしにとってキョンは必要不可欠な存在。
 キョンがいなかったら、高校生活だって退屈でつまらないものに成り下がってた。
 それを変えてくれたのはキョン。キョンがいれば、これからの人生だって面白くしてくれる。ドキドキワクワクさせてくれる。
 キョンを拒む理由なんて無い。だから……あたしは……受け入れる。
 覚悟を決め、あたしも目を瞑り――
 そして、ソレが視界に入った。
 
 ――まさか……あなた!――
 
 
 瞬間、あたしはキョンを突き飛ばした。
 
 
「ってえ!」
 当たり所が悪かったのか、大げさに転げまわる。ごめんキョン。でも今はそれどころじゃない。
「あなたが……あなたが変えてしまったの?」
「…………」
「おい、ハルヒ……どうした?」
 キョンの問いかけには答えない。その代わり、あたしはソレに問いかける。
「ねえ、答えてよ、どうしてなの?」
「ハルヒ、お前一体誰に向かって喋ってるんだ?」
「教えてよ!!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………?」
「…………」
「…………」
「おい、今度は急に沈黙して、本当にどうしたんだ? 大丈夫か?」
「…………」
「……そう、なの……そっか……」
 そういう、ことか。
 なるほど、どうしてキョンがこんな風になったのか、分かった気がする。
 全ては、あたしの責任なのね……
 
 
「キョン」
 あたしは、キョンを見据えた。
 昼休みに見せたにやけた顔でも、さっきの甘い会話中に見せた赤い顔でもない。
 真剣そのものの、真顔である。
「……は、ハルヒ。どうしたんだそんな顔して。そんな顔じゃ俺怖くて見つめられないぜ」
「照れた顔も怒った顔も可愛いって言ってくれたのに、真顔は可愛くないとでも?」
「うっ……」
「第一キョンならあたしの顔を見て可愛いなんていうはずがないわ。あたしと仲直りするためにこんなパーティを開くような奴じゃないし、そもそもあたしに対して優しい言葉の一つもかけれるほどできた器の持ち主じゃないわ!」
「な……ちょっ」
「あたしの知ってるキョンは、無愛想で不細工で下品でバカキョンでエロキョンで……言い出したらキリが無いくらいどうしようもない永久ヒラ団員その1なのよ! あんたはキョンじゃない! 似ているけど似てない、偽者のキョンよ!」
 あたしの言葉に、偽キョンが一瞬怯んだ。何かを言葉にしようとしているようだが、それができないでいるようだ。スッと目を瞑り、誰かとコンタクトをするように軽く口を動かしているだけ。
 しかし、それは束の間の事だった。
「なら、俺は一体誰なんだ?」
「…………」
「俺はお前の知っているキョンだ。入学当時に発したお前の自己紹介も諳んじられるし、SOS団ができた経緯だって知ってる。七夕の時お前が短冊に書いた願い事だって未だ覚えている。俺が偽者なんていう証拠はない。お前の記憶と照合してみるか?」
「その必要は無いわ」
 あたしは振り返り、団長席へと近づく。
「……ええ、あんたは確かに知ってるはず。あたしに関わっているあんたなら、全て知ってて当然よ。だってあなたはキョンだもの。偽者という言い方に語弊があるというなら……あなたはキョン。これは間違いない」
「なら……」
「さっき言ったはずよ。あなたは『あたしの知ってるキョン』じゃない。言い換えれば……」
 ――『あたしが理想としたキョン』なのよ。
 
 
「ごめん、ジャックくん」
 自分の机へと近づいたあたしは、ぶっきらぼうな顔をしたカボチャの仮面を優しく撫でてあげた。
「あたしの言葉を間に受けて、夢を見させてくれたのね。キョンがあたしの理想のタイプになる夢を。ホント、ありがとう。おかげでいい夢を見させてもらったわ」
 でも、これは夢。現実世界とは色んなところに食い違いがあるし、そうそう自分の都合ばかり働いても困る。あたしにとってはいい事尽くめでも、他人に迷惑かけちゃよくないもんね。
「ジャックくん、もういいわ。夢はいつか覚めるもの。たまには現実逃避したくなることだってあるけど、それにどっぷり浸かってちゃいけないわ。だから、ここでお別れしましょ」
 再びあたしは『キョン』を見据える。
「あたしの操り人形となって理想どおり動くキョンなんかキョンじゃない。キョンはキョンだからこそキョンなの」
「なんだそれは? 意味がわからん……」
「ふふ、今のちょっとキョンに似てたわ。偽キョンにも迷惑をかけたわね。謝っておくわ」
「偽キョン……ね。ま、そんなところだな」
 唇を軽く吊り上げてくくくっと笑う偽キョン。ホント、仕草なんかは本物そっくりね。……あたしの知識から構成されたキョンだから、当たり前って言えば当たり前かもしれないけど。
「だがなハルヒ」偽キョンは言った。「でも謝るんなら、本物の『キョン』に謝ってくれ。夢から覚めたら」
「ええ。善処するわ」
「善処じゃなくてちゃんと謝りなさい」
「もう、偽者のクセにうるさいわね」
「本物っぽい方がいいんだろう? 夢の中でも」
「時と場合によるわ。今は……そうね、本物っぽい方がいいけど。さ、夢から覚まして頂戴」
「は?」
「何言ってんのよ。あたしの夢を覚ます方法忘れたの? あたしの夢の中の住人のクセに。ほーら」
 あたしはキョンの唇に手を当てた。
「コレよ、コレ。前もコレであたしの夢を覚まさせたじゃない。今回も同じなんでしょ、どうせ」
「お前、もしかして本当は……」
 何か言いたげな口調で口をモゴモゴさせて、キョンは
「いや、なんでもない。こっちの話だ。……コホン、さて、えーと。じゃあ……いくぞ」
 再び両手をあたしの肩にかけ、顔を近づけてくる。あたしもキョンに応じて……「あ、待って」
「どうした?」
「どうせなら、『あの時』と同じセリフでお願い。その方がムード出るわ」
「ムードって柄じゃないだろ、お前は」
「いいじゃないあたしの夢なんだから。あたしの言うとおりにしなさい」
「はいはい、分かりましたよ……んーと、『俺、実はポニーテール萌えなんだ』」
 キョンは『あの時』と同じセリフをあたしにかけた。あたしの記憶と寸分も違わない。だからあたしも全く同じ言葉をかけなきゃ。
「なに?」
「いつだったかのポニーテールはそりゃもう反則的なまでに似合ってたぞ」
「バカじゃないの?」
 このあとあたしはキョンに抗議の声を上げようとして、それを防がれる。キョンが実力行使を――あたしの唇を強引に重ねてきたからだ。
 ああ、この感触。この気持ち。全くあのときと同じだ。何一つ変わらない。
 ただ一つ違うところがあるとすれば、あたしは目を閉じていたことくらい。だって……
 
 
 この後の展開を思い起こす。
 目を瞑ってはいるが、恐らくあのときと同じ事が今起きているのだろう。
 亀裂が部室全体を覆い尽くし、そして天頂の一点から明るい光が一瞬にして広がる。
 その時こそ、夢が終わる時なのだ――
 
 
「……ん」
 目を開ける。カーテンの隙間から差す木漏れ日が、あたしの脳を刺激し、覚醒させる。
 見慣れた机、写真、ベッド……紛れもなく、あたしの部屋である。
「やっぱり夢だったんだ……」
 ふう、と一息ついた。夢だとわかって、ほっとしたような、残念のような……自分でもよく分からない気持ちがこみ上げてくる。
 でも不思議。夢の中の感触が鮮明に残っている。
 キョンに撫でられた感覚も、キョンと見つめあった感覚も、そしてキョンと口づけあった感覚も。全部残っている。
 これもきっとあの子のせいなのね。
「ありがとう、ジャックくん」
 机の方を振り返り、鎮座するカボチャくんに再びお礼の言葉を掛けた。
「あなた、本当に魔法使いだったのね」
 あたしにひと時の夢を見せた不思議な魔法使いのカボチャくんは多分、魔法使いのしもべの――シンデレラを王宮まで連れて行ったカボチャくんなのだろう。
 もう長い事魔法使いの侍従を務めた彼も遂にその努力が報われ、独立のチャンスを得る事が出来た。
 それは、諸国を回って世界中の人を幸せにする事。人々をたくさん幸せに出来れば、彼は立派な魔法使いとして認められるの。
 そのためには、さしあたり自身の所有者となった人に幸せが訪れるよう魔法をかけて回ることね。
 彼がどのくらいの人を幸福にしてきたかまでは知らないけど、それでも真面目な彼のことだからきっとたくさんの人を幸せにしたと思うの。
 悠久とも思える時と場所を巡り、所有者となった人に幸福を与えてくれた、不思議なカボチャ。
 そして、運命のめぐり合わせによって、あたしの所有者となり――魔法をかけてくれた。
 そのおかげで王子様と楽しい時間を過ごすことができたのね。
 …………ふふっ
「そんなわけないか」
 あはははっと薄い笑いを上げる。
 本当だったらどんなに素晴らしい事だと思ってはいるけど、所詮は夢幻。実際には魔法なんて存在しないだろうし、ましてやおとぎの国のカボチャがそんなことするなんて、エントロピーが減少の方向に向かうくらいありえないことだわ。
 でもね、あたしが経験した出来事は、全て夢の中。夢の中なら世界一般的な因果律や決定論だって覆せるし、魔法が科学に代わってはびこんだとしてもなんら不思議な事じゃないわ。だからこそあの世界に足を踏み入る事が出来たのね。
 あたしは彼の……ジャックくんの魔法を信じる。例え今は夢の中しか作用しなくても、その内、きっと現実世界にも大きな魔法をかけてくれるはず。
 けれど、今はまだまだ未熟。あたしにはすぐ見破られたし、夢の中でしか効果を発揮できないし。
 あたしと一緒で、未熟なのね、君も。
 それでも……仲直りのきっかけは掴む事はできたわ。
「あとはあたしが頑張んなきゃ。だからあなたも頑張りなさい!」
 ――その時、畏怖に満ちたジャックくんの表情が、満面の笑みを浮かべているように見えた。
 
 
 
 あたしが早めに登校することは前にも言ったとおりで、本日もそのとおり、あたしは一番に教室にやってきた。
 鞄を置いて自分の席に座り、そしてボーっと外を眺める。北高の制服に身を包んだ生徒達がパラパラとやってきて、そして校舎へと吸い込まれていく。
 キョンはまだこない。こちらもいつも通り、遅めの登校を心がけているようだ。
 キョンに昨日の夢のことを話したら何て顔するかしら? 『朝比奈さんならともかく、なんでお前とキスする夢なんか見なきゃいけないんだ』って、散々ブーたれるわね、きっと。
 あたしは別に構わないわよ、あんたとなら。
 ……あ、来た来た。情けない顔ね。いかにも寝不足していますっていう、だらしない表情。
 授業中あれだけ寝てて、まだ寝足りないのかしら?
 
 
「元気?」
 クラスに入り、自分の席に鞄を置いて腰掛けようとしたキョンに対してあたしから声を掛けてやる。ただし視線は外を向いたまま。
「いや、全然。昨日悪夢を見たからな」
 キョンは眠たそうな口調で答えた。それは奇遇なこともあったものね。
「おかげで全然寝れなくてな。悪いが今日のパーティ、ずっと寝かしてもらうぜ」
「あっそう」
 あたしはずっと窓の外を見ているから、キョンの表情は分からない。ただまあ、あまりテンションは高くなさそう。声だけを聞いていると。
「キョン」
「なんだ」
 窓の外から視線を外さず、あたしは言ってやった。
「悪かったわね」
 
 
 
 時は過ぎ、放課後。あたしは一人で部室のドアの前に立っていた。
 キョンとはアレっきり何も話していない状態が続いた。授業中も休み時間も喋るきっかけは無いし、何ていっていいか分からない。そのままずるずるこの時間まで過ごしたのだが……
 あたしが部室にいかないわけにはいかないし、キョンはここに来ると信じてる。だから、あたしは文芸部室のドアを叩いた。
 イの一番に部室に乗り込んだあたしを迎えたのは、おびただしい数のジャック・オー・ランタン。
 大きいのから小さいの、本物のカボチャから紙風船のようなもの。橙色や黄色や緑色の他にも赤や水色、果てはどどめ色のものまで。様々な種類のそれで溢れかえっていた。
 この部状況を端的に表すと……そうね、とりあえず数だけ集めてみました、って感じ。
「……どうしたの、これ?」
 続々とやってきたみんなに事情を聞いてみる事にする。
 聞けば、昨日あたしが帰った後、壊してしまったカボチャの代わりを何とかして手に入れようと、古泉くんと鶴屋さんがツテを頼りに集めてきたらしい。
 今日のハロウィンを盛り上げるために、カボチャくんはたくさんいたほうがいいと考えたのは鶴屋さんだったらしい。
「ほら、よく言うじゃないのさ、『多勢に無勢、四面楚歌。赤信号みんなで渡れば怖くない』ってね! だからランタンなパンプキン達も多いほうが言いに決まってるっさ!」
 なるほど、鶴屋さんが考えそうな事ね。もちろんあたしも両手を振って鶴屋さんの案に賛成するわ。
「あれ? ハルにゃんもジャックくんを持ってきてたんだね。ハルにゃんのことだから選りすぐりの一品なんだろうねっ。こりゃーお姉さん失敗しちゃったかな?」
 ううん、そんなことないわ。大歓迎よ。
「うーん」鶴屋さんは難しい顔をした。
「それは多分、ハルにゃんにとって重要なものだね。床とかにおいそれと並べるにはいかないね! これは机に飾っておくのが一番っさ! それもここ! ここだよハルにゃん! あたしとご先祖様の勘が、ここに置きなさいって言ってるよ!」
 そう言って、鶴屋さんはジャックくんをそこ――あたしの机――に置くように勧めた。あたしも鶴屋さんの提言に抗う事もせず、そこに置いた。
「うんうん、この席が一番いいってカボチャくんも言ってるっさ! まるでこの席でハルにゃんの行く末を案じているみたいだねっ!」
 言われた瞬間ドキリとする。鶴屋さんって、たまに鋭いことってのけるからね。
 あたしはなんとなく話題を変えたほうがいいと思って、そして提案した。
「そうだ、このカボチャたちを持ってクラス周りをやりましょ。各々のクラスに一つずつ置いていって、映画の宣伝をやるのよ。トリックオアトリートを兼ねてね。いいわよね、鶴屋さん、古泉くん」
「モチのロンだよハルにゃん! お姉さんミラクル賛成だよっ!」
「そう仰ると思って、大量に持ってきましたからね、大丈夫ですよ」
 さすが古泉くん! みくるちゃんも有希も、いいわよね!?
「えと……あ、はい。そうですね」
「…………」
 あたしの言う事に反対する人などいなく、この場の人たちはみんな賛成してくれた。
 ……一人を除いて。
 

 
 ただ、残りの一人は反対しているわけではない。こんな日に限って掃除当番等と言うナンセンスな職務を遂行しているため、到着が遅れているのだ。
 全く、たかが掃除如きと神聖なるSOS団の団活を天秤にかけたらどっちに重きを向けるべきか分かってるでしょうが。
 それに、早く来てこの提案を賛成するって言う重要な仕事が残ってるのよ、あんたには。別にキョンの意見が重要なんじゃなくて、SOS団の活動は全員一致ではじめて意味をなすんだから。勘違いしないでね。
「大丈夫ですよ、涼宮さん」
 あたしの心境をどう読み取ったのだろうか。ひょいと横に出てきた古泉くんが語りかけてきた。
「彼ならきっと賛同してくれますよ」
 若干動揺していたあたしに、古泉くんは薄い笑みを浮かべて
「そうですね、涼宮さんの思いに迷いが無いからです。闇雲に自分の意見を押し付けるのではなく、みんなの意見を聞いてそれを取りまとめていますからね。さしもの彼もおいおい反対するわけにはいかないでしょう」
 そう……かもね。
「もう仲直りはしたのでしょう?」
 一応、ね。責任を取るのは長たるあたしの責務だしね。
「ならば大丈夫です。僕達も味方致しますよ」
 うん、ありがとう。
「万一にでも、彼が拒絶の態度を取った場合は……僕達の総意である事を見せしめないといけませんね」
 何のこと?
「いえ、こちらの事で……時に涼宮さん」
 うん?
「一体どのような方法でこちらに……いいえ」
 古泉くんは何かを言いかけて、それを取りやめ別の質問をしてきた。
「彼の……彼の性格は、どんな正確であって欲しいと願っていますか? やはり、もっと紳士的かつレディーファーストでいて欲しいと……」
「いいえ、それも重要ですけど、好きな人にはとことん甘いバカップルタイプですよね?」
「……裏をかいてヤンデレ」
 三者三様とはよく言ったもので、彼……恐らくキョンの理想であるタイプを、みんながあたしに聞いてきた。
 そうね、やっぱり――
 あたしは団長席に置いた、小柄な体のカボチャくんに目を向けて、そして言った。
「キョンは、いつものキョンでいて欲しいな」
 
 
 トントントン。
 部室のドアが響く。このタイミングでドアを叩いてくる人間なんて決まっている。キョンだ。
 (みんな、ちょっと耳を貸して……)
 みんなに耳打ちをする。ウンウンと頷いたみんなが、所定の場所につく。
 (おっけーだよ、ハルにゃん!)
 鶴屋さんがぶんぶか手を振る。それを見てあたしはゴーサインを出した。
「うお……っと!」
 キョンの間抜けな声が響き渡り、たたらを踏むような感じで文芸部室の真中までやってくる。
 バランスを崩しながらも何とか踏みとどまり、そしてようやくこちらに目を向け――今だ。
 
 パンパン、パーン!
 
 辺りにクラッカーの音が盛大に響き渡る。
 キョトンとしている団員その1に、あたしを始め、みんなが一斉に声をかけた。一番最初の獲物は彼だから。
 
『トリック オア トリート?』
 
 彼はやれやれと言った口調で、しかし声高らかに宣言した。
 
「ハッピー ハロウィーン!!」
 
 さあ、楽しいハロウィンパーティの始まりだ。
 ――一緒に楽しむわよ、ジャックくん!
 
 
 
 Fin.


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