カプ要素:少しだけみよきち×キョン さらに少しだけみくる×キョン

 

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 トリック・オア・トリック
 
 
 玄関から家に入る時、殆どのご家庭では靴を脱ぐだろう。
 その動作を立ったままで行えば、片足で立つ間は重心が不安定になる。
 理由なんてのは、それだけでいいらしい。
「おかえりキョン君!」
 はいただいま。
 帰宅した俺の重心を崩す事が至上命題らしい妹の突進をいつものように鞄で防ぎ、慣れた動きで靴を脱ぐ。
 意味不明な事は止めなさいなんて説教は、この妹にとって馬の耳にカプサイシンでしかない。
 叱るたびに新しい技を考案してくる妹に対して、俺は考えるのをやめた。
 今日は特に何もなかったがなんかもう疲れたからこのまま寝てしまおうか? 等と考えながら居間の扉を開けると――
「お、おじゃましてます」
 見慣れぬ少女がソファーの前に立っていた。
 いや、知らない相手ではないんだ。ただ何度見ても見慣れないだけの事で。
「キョン君にお客様だよ」
 そーゆー事は玄関で言いなさい。
 何故か足の間から出てきた妹の頭の上に鞄をのせてやる。
 おい、鞄を投げ返すな。俺の鞄置き場になる事になんの不満があるんだ?
 そんな俺と妹のやりとりを楽しそうに見つめているのは、書類上において妹の同級生でありながら、実物を見る限り
俺とそれほど変わらない年齢にも見えてしまう吉村美代子こと、みよきちの姿だった。
 ――着替えを終え、居間に戻ってきた俺にここに来た理由を話し終えたみよきちは、返しにきたレンタルビデオの中身
が違っていた……みたいな、なんとも申し訳なさそうな顔をしている。
 えっと、つまりだ。
「はい」
 そんなに気を使わないでいいぜ? みよきちはイベントの実行委員に選ばれてお菓子の手配を担当していたんだが、店
の事情でお菓子の手配が出来なくなった、と。
「お昼にテレビでやってたよ! そのお店が消費期限が切れた材料とか使ってたんだって」
 そうか。
 小学生のお前が、どうして平日昼間のテレビを見れるのかは後で問い詰める事にしよう。
「実際に問題があったのは本社だけだったみたいなんですが、支社も含めて営業停止になってしまったらしくて」
 普段は仕事が遅いくせに、こんな時だけいい仕事すんなよ農林水産省。
 しかも、当日現地でお菓子を配布するのもその店の人に頼んでいたもんだから、そっちの人手もない。
「……はい。もう時間も予算もなくて、他のメーカーにも断られてしまってどうしようかと思っていたら」
 何故かこいつが立候補したと。
「うん!」
 俺に作らせて、ついでに配らせるつもりで。
「そう!」
「急にこんなお話をしてすみません」
 よくわかった、みよきちは悪くないぜ? 
「そうだよ! 悪いのはもちろん」
 お前だ。
「何で?」
 まるで、被告ではなく検察に判決が下った様な顔で物理的に抗議してくる妹を片手で押し留める。
 勝手に人を当てにするんじゃありません。
「えー? だってキョン君料理上手いんだもん」
 まて、なんだその「可愛いから連れてきちゃった」みたいなハルヒ理論は。頼むからあいつみたいにだけは育たないで
くれよ? せめて自宅くらいは安息の地であってほしいんだ。
「あ、あの。やっぱり御迷惑になりますし、他に全く当てが無い訳じゃありませんから」
 ……なあ、みよきち。
「はい」
 実際の所、脳内でコスモスが満開になってる俺の妹を頼っちまう程に追い詰められてるんだろ?
「……」
 返答なし、この無言は肯定と採るべきだな。
「キョン君、コスモスなんて咲いてないよ?」
 じゃあ秋桜だ。
 でもまあ、みよきちに頼られるなんて滅多にない事だしな。日替わりメニューで俺に難題ばかり押し付けてくる誰かの
顔を思い出しつつ、俺は目を閉じて小さく息をついた。
 ま、出来る限りの事はしてやるよ。
「え?」
 断わられると思っていたのだろうか、みよきちは思わずソファーから立ち上がりかけてこちらを見ている。
 実行委員なら詳しい時間の日程とか現地の間取りとかわかるか? イベントの規模とか納入の制限、あと電気の場所も
知っておきたいんだが。
「ほ、本当にいいんですか?」
 ああ、可愛い妹の頼みだもんな。
 膝にまとわりついていた妹が跳ね起きる。
「え! わたし可愛いの?」
 突然膝の上から急上昇してきた妹の頭は俺の顎を的確にとらえ、そんな妹の行動に慣れていた俺は倒れざまにクッション
を掴んで、俺に罪悪感0の笑顔を向けている妹に向かって投げつけてやった。
 寝言は寝てからだ。みよきちの事に決まってるだろうが。
 
 
 ――紆余曲折を経て、当日。
 
 
 そもそも、その建物はイベント用に建てられた物だったようだ。
 屋内の広さはバスケットコートが3面並んで入りそうな程で、俺がバスケットボールを投げても届かない程に天井は高か
った。天井に規則正しく並んだ照明は今は待機中で、薄暗い夕方の屋内を照らしているのは――内側から怪しい光りを放っ
ている巨大なジャック・オー・ランタンだった。
 予想外の展開に建物の入口で立ち尽くす俺と朝比奈さんに向かって、ランタンは不吉な笑いを投げかけている。
 ……これ、どう考えても小学生が実行委員で参加する様なイベントには見えないよな。
 みよきち曰く、自分は学校行事の一環で「イベントを企画する人の仕事を見学する」という趣旨で連れてこられたそうだ。
 所が実際に参加してみれば、見た目も発言の内容も小学生とは思えないみよきちに自然と周りが頼ってしまう形となり、
断りきれない内にいくつかの責任者になってしまっていたそうなんだと。
 まったく、最近の大人って奴は……。
「キョン君、あっちに見えるのが私達のテントみたいですよ」
 作業に追われる人混みの中、朝比奈さんが配置図を片手にテントの一つを指差している。
 何故朝比奈さんがここにいるかといえば、みよきちから聞いた内容が俺一人では無理がある内容だった為に手助けをお願
いしたのさ。 
 朝比奈さんを頼った訳は、ハルヒみたいに暴走しないし、長門みたいに食材を脅かすほど試食したりせず、古泉と対極に
位置する程に俺の目の保養になってくださるからだった。
 それに、朝比奈さんなら調理の方も手助け願えると思っていた俺の予想は結果として叶わなかったんだが……。まあ、それ
はまた別の機会にでも話そう。
 笑顔で手を振る朝比奈さんにおいつくと、そこは会場の雰囲気にあっている、言いかえればハロウィンらしく怪しい外見に
仕立てられたテントがあった。
「あ、お兄さん! 朝比奈さん!」
 そのテントの下で、見覚えのある顔が俺達に向かって手を振っている。
 数人の大人たちの中央で笑顔を向けているみよきちに、俺は手振って返した。
 立ち位置といい作業着の大人たちの視線といい、本当にみよきちが中心的役割を担当させられているみたいだな。
「本当にすみません、こんな事に巻き込んでしまって」
 そんなに気にしなくていいぞ。ねえ朝比奈さん。
「そうですよ。お姉さんにも頼ってね」
「本当に、本当にありがとうございます」
 忙しそうな所悪いが、頼んでた物はあるかい?
「はい! 電源とコンセントを2口。簡易テーブル3つと2Lの保温用ポット11個と同じく2Lの電熱式ケトルが2つ。
水の確保は20リットルの災害用タンクを2つ準備しました、補充用の水道はテント裏の給湯室を用意してあります。以上で
よかったですか?」
 ……なんていうか、完璧過ぎて怖いくらいだ。
 本当に小学生だよな? 登下校ではランドセルしょってるんだよな?
「いえ、お兄さんみたいに欲しい物を指定してくれる人の方が助かります」
 照れ笑いを浮かべているみよきちの実年齢を考えていると、
「すみません美代子さん、設営の方で業者が来ているそうなんですが」
 テントの中に入ってきたスタッフらしい人が、俺達を見て立ち止まっている。
 美代子さん……ああ! みよきちの事か。
「すぐにいきます! それではお兄さん、朝比奈さん。今日はよろしくお願いします!」
 はいよ。
「みよちゃんも頑張ってね」
「はい! ではまた後で!」
 俺達に頭を下げながら、みよきちは大人達の中へと走っていった。
 本当に大した娘だよな、俺なら途中で投げ出しそうなもんなのに。視線の先で、みよきちはくるくると走り回りながら大人
達に指示を出している。
 家の妹なら、くるくると走り回るだけだろうな。
 みよきちがもしも無理やり仕事を押し付けられているのなら、俺から意見しようと思っていたんだがいらぬ気遣いだった
らしい。自分では気づいていないかもしれないが、作業に追われるみよきちの顔はとても楽しそうだった。
 ふと気づくと、朝比奈さんが俺の顔を見つめていた。
 どうかしたのか聞こうとすると、朝比奈さんは俺よりも先に口を開き
「キョン君は、あの。年下の女の子が好きなんですか?」
 妙に真面目なお顔でそんな事を聞いてきた。
 年齢にこだわりはないですよ。あ、その話と関係ないですけどみよきちって朝比奈さんに似てますよね。
「え? え?」
 何故か俺の返答に驚く朝比奈さんの腕が、テーブルの上にあったポットに当たり音もなくテーブルの下に消え――衝突音。
 口を開けたまま固まる朝比奈さんに、俺は大丈夫ですよと口パクでフォローしておいた。
 ……こうなるだろうと思って、一つ多く頼んでおいてよかったな。
  
 
 俺達が現地入りして準備に追われること1時間、ようやくイベントは開場となった。
 会場の各地にうず高く積み上げられたカボチャ達の瞳に橙色の光が燈りだし、会場の隅までも淡い光で照らしていく。 
 いよいよ出番か。
「がんばりましょうね」
 気合いを入れる朝比奈さん肯きつつ、入口から押し寄せる人の群れに俺は肩をならした。
 今更だがこのイベントは、コスプレパーティーとハロウィン関係の小物やインテリアグッズの販売が2:1程度の思想
でブレンドされた何気に大人の事情満載のイベントだったりする。
 コスプレイヤーが手荷物になるインテリアグッズなんぞを買って帰るもんかね? と俺はたかをくくっていたが、意外
や意外。小さなランタンを持ってポーズを決める明らかにプロっぽいレイヤーに触発されて、ハロウィン関係の小物の
売行きはかなり好調のようだ。
 作り物の鎌や魔女っぽい帽子なんぞ、どう考えても日常生活で使いそうなのはハルヒくら……やめておこう、ハルヒの
噂をするとハルヒが来るってアジアでは言うらしいからな。
 実は今日のイベントに関して、ハルヒには何も言っていない。
 理由? あいつに暴走されたら、みよきちの手伝いをしに来たのか邪魔しに来たのかわからなくなるからさ。
 ――さて、俺達がみよきちから頼まれた役割はお菓子と紅茶の無料提供だ。
 小さい袋にラッピングされたお菓子を朝比奈さんが極上のエンジェリックスマイルで手渡し、俺は機械的に紙コップに
紅茶を注いでは次のストックを慌ただしく準備していく。どう考えても俺の作業に時間がかかってしまう訳だが、朝比奈
さんという目の保養という観点において至高の存在が居る以上、男性客から苦情が来るとは思えないね。
 というか、むしろもっと時間をかけろと言いたげな視線すら感じる、ええい紅茶を持ったらさっさと出ていく、後ろが
まだまだつかえてるんだ!
 ――開場待ちをしていた人の波がようやく収まって来た頃、
「あ!」
「みっくるーがんばってるね! キョン君もお疲れ様っさ~」
 吸血鬼風の男装に身を包んだ鶴屋さんがご来店です、いらっしゃいませ。
 苦しそうな胸元といい、甘噛みされたくなるような犬歯といい実にお似合いですよ。
 いくら凝視してもばれそうにない薄暗いテントに、今だけは感謝せざるを得ない。
「結構前から見てたんだけど大盛況じゃないかっ! もうかってるかい?」
 これはイベントの一環なので、無料提供なんですよ。
「え、そうなの? じゃーあたしもひとつもらっちゃおうかな?」
「はい、どうぞ」
 朝比奈さんから袋をひとつ受け取り
「ありがとね! じゃあさっそく。――ん、みくる~腕を上げたね?」
 クッキーを一つ頬張った鶴屋さんの顔が、驚きに染まる。
「え、あの」
「いや~、前にみくるからもらった手作りクッキーを食べた時は生死の境を彷徨ったけど、これは天国だねっ! この
上達速度はやっぱりあれなの? 恋なのかい?」
 ご機嫌な鶴屋さんとは対照的に、朝比奈さんの顔はどんどん暗くなっていき……
「えっと、これを作ったのは……キョン君です」
 消え入りそうな声で朝比奈さんは呟いた。
「え」
 時間が、止まったかと思われた。
 ……この時間を動かすのは俺しかないよな。おずおずと手を上げ、すんません、俺です。
 ――そして時は動きだす――
「あ、あははははー! ごっめんねー! ……な、泣かないでよみくる~?」
 鶴屋さんのフォローは間に合わなかったらしい。
「泣いてません!」
 涙目を隠そうともせず、気丈に朝比奈さんは上を向いていた。
 つ、鶴屋さん。色々紅茶があるんですが飲みますか?
「選べちゃうの? じゃー、ロイヤルミルクティーで!」
 俺が助け舟を出した事に気づいたらしい、なんとか話題を変えようと片手をあげて鶴屋さんはリクエストしてくれた。
 少し待って下さいね。
「えええ? 適当に言ったのにあるの? 本当に?」
 ありますよ。
 時間がかかるからメニューには載せてないんですけどね。
 はい、まだちょっと熱いので気を付けてください。
「……おっ……おおっこれは本格的なお味だねっ! さんきゅー! じゃ、まったね~」
 最後までハイテンションな鶴屋さんが去っていくのを手を振って見送った後、
「キョン君」
 はい。
「私がお嫁に行けるように、今度お料理を教えて貰えませんか?」
 朝比奈さんは、悲壮な顔でそう俺に聞いてきたのだった。
「あ、キョン君の「谷口です!」「国木田です」
 今回は文化祭の時みたいにタイミングが揃わなかったな。
 テントにやってきた見飽きたクラスメイト二人相手に、当然の事ながら接客スマイルなど不要だ。
 よう、暇人ども。時間があるならここの仕事を手伝っていかないか? 今ならなんと、天使様を眺める権利をくれて
やるぞ。
「魅力的な提案だがな~キョン、今回ばかりは辞退するぜ。なんせ今日はハロウィン! コスプレでテンションの高い
女子がいっぱいの会場でのんびりしてられるかよ!」
 へいへい、せいぜい無様な武勇伝を増やしてこい。
 イベントが終わってからみよきちに名前くらいは紹介してやろうと思ってたのに、運がなかったな。
「この後ちょっと用があるから僕もごめん、頑張ってね」
 あいよ。
 ――その後は見知った顔がやってくる事もなく時間は過ぎていき――
「最後の一個になっちゃいましたね」
 あれだけあったお菓子の山はすでになく、朝比奈さんの手に残った袋ひとつだけになっていた。
 本当にあっという間でしたね。あ、朝比奈さんは結局食べてないんじゃないですか? このお菓子。
「あ、そういえば完成品はまだ食べてなかったです」
 念の為に準備しておいた品切れの看板を表に置く、まさかこいつを使う事になるとはね。
 よかったら、朝比奈さんが食べてくださいよ。
「いいんですか?」
 これ以上ないくらいに構いません。
「じゃあ、遠慮なく。どんな味なのか楽しみ」
 朝比奈さんが、お菓子の包みを開こうとリボンに手をかけた時、
「キョン君!」
 俺と朝比奈さんの前に現れた、目の部分がくり貫かれたプラスチックのカボチャを被った子供。
 さて、俺にはそのあだ名をカボチャに呼ばれる覚えはないんだが。
「トリック・オ・アトリート!」
 妙な発音と短い手足で精一杯アピールしてくるそいつからカボチャを取り上げると、その下には見慣れた妹の顔があった
のでカボチャを戻した。あんまり変わらないなぁ。
 何しに来たんだ。
「だーかーら! トリックオ・アトリート!」
 さっきと微妙に違ってるぞ。……おまえ、あれだけつまみ食いしておいてまだ食うつもりか。
 お前と長門のつまみ食いさえ無ければまだまだ在庫があったってのに。
「だってー。美味しいんだもん」
 売り切れだ、見ろこの空箱を。
 不満げな声をあげるカボチャを軽く叩いて黙らせる。
 ん、意外にいい音がするな。下にある頭よりも中身が詰まってるんじゃないか?
 現実を見せ付けられても、カボチャはお菓子に未練があるようで立ち去ろうとしない。
 日本らしく、ここは念仏でも唱えて退散させてやろうかと考えていると、
「はい、これ」
 そっとしゃがんだ朝比奈さんが、カボチャにお菓子の袋を手渡した。
「みくるちゃん、これもらっていいの?」
「うん」
 朝比奈さんが頷くのを見て、
「ありがとー!」
 目的を達成したカボチャはまっすぐ会場出口へ向かって走っていった。
 おい待て! その格好で外に出るな! ……ったく。すみません、朝比奈さん。
「いえ、気にしないでください」
 優しく微笑む朝比奈さんは、今日もやはり天使様だった。
 
 
 配るお菓子がなくなった以上、俺達の仕事はこれで終わりって事だろう。
 身支度を整える前にちょっと休憩を、そう考えて俺と朝比奈さんがテントの奥で紅茶を飲んでいると。 
「お兄さ……ご、ごめんなさい! お邪魔でしたか?」
 テントの入口から、申し訳なさそうな顔のみよきちが顔を出していた。
 この10分の一でいいから、家の妹にも気遣いってものを持って欲しいもんだぜ。
 ちょうど休憩してた所なんだ、時間があるならみよきちも休んでいかないか?
 座ったまま手近な位置にあった椅子を勧めると、
「じゃあ、少しだけ」
 少し迷った後、みよきちはテントの奥へと入ってきた。
 何か飲むか? といっても紅茶しかないが。
「あ、はい! お願いします」
 おっし、ちょっと待ってろよ。
 2人を残して立ち上がり、テーブルに並んだ紅茶のパックの中からさてどれにしようかと考えていると背後から会話が
聞こえてきた。
「みよちゃんお疲れ様。お仕事はまだあるの?」
「いえ、企画と統制が私の担当だったのでイベントが始まってしまえば殆ど仕事はないんです。撤収の方も各テナント
と業者の方に一任してありますから、何も問題が起きなければ私の仕事は終わりです」
 そうなんだ~とあっさり相槌を打ってる朝比奈さんなのだが、みよきちが小学生だって事を果たして覚えていらっしゃ
るのだろうか?
「そういえば……」「……でも……」「せっかくだし……」「キョン君なら……」
 紅茶を淹れる作業の合間、途切れ途切れに聞こえる2人の会話が気になりつつも俺は手を動かす。
 鶴屋さんに好評だったロイヤルミルクティーにするか。ミルクを入れればすぐに飲める温度になるし、忙しいみよきち
にはちょうどいいだろう。
 紅茶の準備を終えて2人の元に戻ると、何故か俺を見て微笑んでいる朝比奈さんと、
「ト、トリック・オア・トリート」
 顔を赤く染めたみよきちがそう呟いた。
 ……ああ、なるほど。紅茶を飲むならお菓子も欲しいって事なんだろう。
 すまん、言ってなかったな。
「え?」
 実はお菓子は売り切れちまったんだ。
「た、確か900個作っていただいたんですよね?」
 ああ。
 みよきちの話では600人前後の来客があると聞いていたから、俺は念の為にお菓子を1000個準備した。多めに
準備して正解だったぜ、なんせ当日前に100個も減ってたんだからな。あの2人のせいで。
「あのお菓子が全部?」
 空になったお菓子入れを見ても、みよきちは信じられないといった顔をしている。
「凄いです」
 会場の大きさからすれば実際の来場者数は700人程なのだろう。という事は何度もお菓子を貰いに来た奴が、かなり
の人数居ることになる。
 作った側からすれば、素直に嬉しい結果だな。
 悪い、気がついた時は最後の1個で、それは妹が持っていってしまったんだ。お菓子はまた来年って事でいいか?
 またイベントに参加するかは別として、みよきち1人にお菓子を作るくらいなら約束できるぞ。
「……えっと」
 ん?
 しばらく迷った後、みよきちは意を決した様に口を開いた。
「お菓子がないなら、いたずらでお願いします」
 意外な提案が飛び出してきた。
 いたずらね、まあみよきちの事だ。妹やハルヒみたいに無茶な事はしないだろう。
 しょうがない、いいぜ。
「あの、目を閉じてじっとしててもらえますか?」
 言われるまま目を閉じると、椅子に座っている俺の両手に誰かの手が添えられる。
 顔に落書きでもされるだろうか? ……あれ、でもみよきちの両手は俺の手の上にあるんだよな。
 そんな事を考えていると、冷たく柔らかい何かがそっと重なった――俺の唇に。
 思わず目を開くと数センチ先にみよきちの顔があり、両手を押さえられたままの俺は抵抗する事もできず……というか
一切抵抗せずに俺はその行為を受け入れていた。
 数秒後――
「……いたずら、しちゃいました」
 名残惜しそうにそっと唇を離して、真っ赤な顔のみよきちはそう呟いた。
 いたずら、なんて便利な言葉なんだろうか。
 俺はその言葉に助けられ無言のままでいて、そんな俺をみよきちは恥ずかしそうで嬉しそうな顔で見つめ返している。
 そんな俺達を、朝比奈さんは両手で口を押さえたまま静かに見守っていた。
 今のは、その。なんて聞くに聞けない空気の中、
「ら、来年楽しみにしてますっ」
 裏返った声でそう言いきり、返事を聞かないままみよきちはテントを飛び出して行った……。
 みよきちの姿が見えなくなったところで、今更ながら俺の心臓が音を立てて動き出す。
 OK。
 まずは落ち着け、深呼吸だ。
 みよきちは、ああ見えて小学生である。
 そして今日はハロウィン、イベント会場は熱気に包まれていて気分が高揚してしまっても無理はない。
 さらにみよきちには、いたずらをしてもいいという絶大な免罪符があった。
 だからこその今のいたずらなんだろうな、うん。
 平常心を保つ為に急遽頭の中で始まった理論武装なのだが、唇にまだ残っている様に感じる冷たく柔らかい感触と、目に
焼きついたみよきちの切なげな顔の前にあっさりと敗北を続けている。
 結果、欠片も動悸は治まる気配を見せず、みよきちが去っていったテントの入口から目を逸らせないでいた俺に
「トリックオアトリート」
 後ろから聞こえてくる優しさの中に怪しさを秘めた声。
 振り向いた先には、熱に浮かされた様な目でみつめてくる朝比奈さんのお顔があった。
「わたしも、いたずらでいいですよね?」
 え? え?
 さっきから何が起きてるんだ? 宇宙人、未来人、超能力者的な何かの陰謀かこれは?
「みよちゃんがよくて、わたしはダメなんですか」
 向かいに座っていた朝比奈さんが、俺に逃げるチャンスを失わせるようにゆっくりと立ち上がる。
 え、あのそういう訳じゃなくてですね。朝比奈さんにそんな事をされたら、それはもういたずらというか俺にとっては
ご褒美というか「……キョン」
 再び、俺の背後から響く声。
 今度の声は、さっきと朝比奈さんのお声と比べて優しさ10割減の怪しさ5割り増し。
 ――ハロウィンの夜に相応しい、この世の者とは思えない魔性の声。
 その声の主の名を、震えながら朝比奈さんは口にした。
「す、す、す、涼宮さん」
 可能な限りゆっくりと振り向くと、そこには……
 黒のバニー服に身を包み、頭には無駄に本格的な山羊っぽい角飾り。
 端が擦り切れたように切り取られた真紅のマントを羽織り、俺を獲物として狙っているとしか思えない肉食獣の様な
滾った視線――
「Trick or treat」
 流暢な発音で脅しをかける小悪魔がそこにいた。
 とりあえず神に感謝しようじゃないか。
 小悪魔……いや、ハルヒの顔を見る限り、どうやらみよきちの熱いいたずらは見られずに済んだようだからな。
 だが、一つ確認しておきたい事がある。
 ハルヒ、どうしてお前がここに居るんだ。
 このイベントの事は秘密にしてたはずだぞ?
「有希が部室で何か美味しそうに食べてたから問い詰めたの、そしたらあんたがみくるちゃんをそそのかして何かやって
るっていうじゃない」
 ハルヒの後ろには、いつぞやの魔女ルックに身を包んだ長門の姿があった。
 長門! そこは黙っててくれよ? 口には出せないのでここは目で訴えかけてみよう。
「……」
 無言の長門は、視線の中で何かを――自業自得といった何か――流暢に伝えてきている気がしなくもない。
 おい、所でその手に山盛りになっている物はなんだ。
 ハルヒの腕に抱えられているたくさんの小さな袋は、さっきまで俺と朝比奈さんで配っていたお菓子に見えるんだが。
「戦利品よ。いたずらされたくなかったらよこせって言って片っぱしから奪い取ってきたわ。有希、ちょっと持ってて」
 ハロウィンの趣旨を根底から無視してくれてるな、ハロウィン無双かよ。
「さあ! いたずらされたくなかったらお菓子をよこしなさい!」
 自由になった腕でポーズを決めながら、ハルヒはじりじりと迫ってきた。
 長門に持たせてるのを食えよ、それだけ独り占めしておいてまだ欲しがるのか。
「当たり前じゃない。さあ、さっさと出しなさいよ。あるんでしょ?」 
 っていうかお前に渡されたお菓子、静かに長門が食ってるんだが……まあいい。
 見ろ、売り切れだ。
 空箱を見せられたハルヒは、嫌にゆっくりと頷いてみせる。
「あ、そう。……だったらいたずらするしかないわよね」
 まさかお前もキスとか言いだすんじゃ……ってちょっとまて、なんだその極太マジックは?! どっから持ってきた!
「あたし、一度でいいから人間の顔にマジックで猫ひげを書いてみたかったのよね」
 そうか、だったら自分の顔に気が済むまで書いてくるといい。洗面所は裏手だ。
 無駄な抵抗に終わるだろうが、この場から逃げるべく退路を探し始める。
「あんたの顔にするにきまってんじゃない。あ、こらまて! 逃げるな! バカキョン!」
 そこまで聞いて誰が待つか!
 間一髪ハルヒの魔の手をかわしてテントを飛び出した俺は、日常と非日常が混じり合う会場の中へと逃げ込んで行った。
 ……やれやれ、何かに似てると思えばこれか。
 ハルヒの浮かべる邪悪な微笑は、会場中央に置かれた巨大なジャック・オー・ランタンそのものだったよ。
 ――結論から言おう、猫ひげに猫口、ついでに首に直接首輪まで書かれるまでハルヒのいたずらは終わらなかった。
 どう考えたってお菓子と等価値のいたずらじゃないよな、これ。
 
 
 さて、ここまで読んでくれたあんたに一つ忠告だ。
 ハロウィンの夜は必ずお菓子を持ち歩け――じゃないとハルヒに捕まるぜ?
 
 
 トリック・オア・トリック ~終わり~


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