僕は普通の子供とは違っていた。
勉強ができるとか運動ができるとか、そんなことでは無くって。
『灰色の世界に行ける』
担任の先生にそう話したときは笑われた。
嘘だ、の一点張り。
青色の巨人が暴れてると言った時は笑うのを通り越して本気で心配された。
どうしていいのかわからなかった。
周りの友達は普通に過ごしている。
僕は無意識に別世界にとばされる。
明らかに異常だった。
親にも話した。
あまりにも信用しないので毎日毎日訴えたら病院につれていかれた。
「特に心配はいらない」
その時医師が言った言葉を聞きながら、俯いている母親の姿が印象的だった。
数日後
家に黒塗りの車がやってきた。
…いや、正確には「僕を迎えに来た」らしい。
母親が
「よろしくお願いします」
等といいながらスーツ姿の二人組にお辞儀をしている。
流されるままに乗せられ、車は発進した。
運転席に1人、助手席に1人、後部座席に僕。
誰も何も話さない。
まるで話すのが禁じられたかのように。
一時間か二時間か、もしかしたら半日は経ったのかもしれない。
不思議と、怖くなかった。
変な力…力と言っていいのかはわからないが、この力を身につけたときはパニックになってしまった。
数日前、普通に遊んだだけなのに、普通に食事をしただけなのに、誰とも変わらない平凡な暮らしをしていただけなのに。
ベッドで寝ていたはずの僕は別世界で目を覚ました。
見知った場所がたくさんあった。
学校にも行った。
だけど誰もいなかった。
空は曇っていて、しかし濁ってはいなくて、冒頭の『灰色』という表現がピッタリのようなそんな空だった。
夢じゃないのはなんとなくわかっていた。
地面を踏む感覚も、息を吸う感覚も確かにある。
きっと頬をつねれば痛みもあっただろう。
そうしようとしなかったのはある「物」の出現が原因だ。
青色の巨人が突如として現れたのだ。
しかも1体だけではない、視界に入るだけでも3、4体はいた。
ここであえて「物」という表現をとったのには特に理由はない。確かにそれは動いていたし、感情を持つかのように暴れまわった。
自分の意志で動いているように見えなかった。
ただそれだけのことだった。
学校の校舎をゆうに超える巨体は、その長い腕を存分に振り回して建物を破壊し続けた。
僕は必死に逃げた。
いつかあの巨人が僕に襲いかかるんじゃないかと思って。
知っている道から知らない道へ、ひたすら走りつづけた。
次第に女の子の泣き声が聞こえてきた。
その声が聞こえている間、巨人たちはピクリとも動かなかった。
そして女の子が泣き止んだ瞬間、僕は家のベッドに横たわっていた。
その時の経験と比べたら、今回のことなどどうでもよかった。
というより、こんな力を持ったまま生きていたくは無かった。
なんとなく、もう普通の暮らしはできないだろうな、と思ったし。
これから行く先も想像できた。
何らかの施設に入れられて、そこで一生を過ごすのだろう。
「理由はわかる?」
突然、助手席に座る人が話しかけてきた。
…僕に言っているのだろうか?
「…連れて行かれる理由のこと?」
「連れて行かれる、か。まぁそうなるかな」
「…何となくわかるよ。僕が普通の人間とは違うからでしょう?」
「恨むかな?我々を」
「…どうして?」
「もしかしたらもう両親に会えないかもしれないぞ」
「………」
「普通の暮らしに戻れないかもしれない」
「…別に…いいよ」
「…そうか」
「おい、田丸、あまり喋るな」
「…すいません新川さん」
田丸と呼ばれた人は車が止まるまで口を開くことはなかった。
車から降りると大きな建物が目の前にあった。
東京のビル街とかそんな規模ではなく、ただただデカい。
唖然として見上げていると、早く来い、と声をかけられた。
車の中では気がつかなかったが、この新川という男は田丸と比べて年をとっているようだった。
正面の入り口から入り、入り組んだ建物の内部をどんどん進んでいく。
何をするところかさっぱりわからない。
前を歩く二人以外に人が誰も見当たらない。
階段を降りたり登ったり、闘技場のような所も通ったりした。
ひたすらに長い。
自分が何処にいるのかなどどうでもよくなるくらいに疲れ果てていた。
「一度確認しておく。君は、本当に別世界に行くことができるんだね?」
途中、田丸が訪ねてきた。
「…うん。青い巨人もでてきたんだ」
「我々は『神人』と呼んでいる」
「…神人?」
「まぁ名称は気にしなくて良い。これから君にはある試験を受けてもらう。1から話してあげたいが、我々には時間が無い」
20分くらい歩いただろうか。
大広間のような所を通った後、最深部と思われる所に辿り着いた。
薄暗い研究室のような所。
人1人分くらいの大きさのカプセルがいくつも並んでいた。
「そこに入るんだ」
新川がそう促す。
言われるがままに入った。
疑問とか、恐怖とか、そんなものは一切無かったと思う。
正直な話、あの別世界にさえ行かなくてもいいのなら何でもできる気がした。
青い巨人が怖いわけじゃない。
誰もいないのが怖いんじゃない。
毎回聞こえてくる女の子の泣き声が怖かった。
中に入ると、そのままカプセルの扉を閉められた。
…どれくらいの時間が経っただろうか。
無償におなかが空いてきた。
「…死ぬまでこうなのかな」
それでも良い気がしてきた。
カプセルの中は窮屈で、直立不動の状態のまま身動きがとれなかった。
少し背伸びをすれば外の様子が覗けたが、どんなに時間が経っても外は変化しなかった。
眠気に襲われて欠伸をしようとした
その時
カプセルがぐらりと揺れた。
初めは、空腹のせいで目眩がしたのだと思った。
もう一度揺れた。
次は、眠気で意識が朦朧としているのだと思った。
もう一度、もう一度、カプセルが揺れるにつれ、研究室全体が振動していることに気がついた。
「うわっ!」
次の瞬間、僕は床に放り出されていた。
目の前が真っ暗になった。
…水滴の落ちる音がする。
ここは…大広間?
確か研究室に来る前に通った…
ホールのような形の部屋は驚くほど広々としていて、外から漏れている太陽の光が神々しい雰囲気を醸し出していた。
ふと、水滴のする方を見てみると、一つのカプセルが置いてあった。
研究室にも置いてあった大きさの、しかし周りは透き通るような透明で囲まれた。
閉じ込める、というよりは観察するために作られたような。
そんな造りだった。
よく見ると、中に何か入っているようだった。
固体ではない何か。霧状の何か。
―…あなたはどうしてここにいるの?
「え?」
突然、声が聞こえてきた。
聞き覚えの無い声が。
―…ここはあなたの来るべきところでは無い。
『君は誰?』
そう言おうとした筈だった。
しかし声が出なかった。
カプセルの中の霧は液体に変わり、カプセルから漏れている。
その液体が徐々に自分の方に近付いてきたのだ。
―…早く戻るべき。あなたのいるべき所へ。
後ずさりする内に壁まで来てしまった。
一定のスピードで液体は近付いてくる。
―…早く。
そんなこと言ったってどうすればいいのかさっぱりわからない。
液体は自分の目の前で形を変えて女の子の形になった。
自分と同じくらいの背丈の、透明な液体の姿になった。
手を伸ばしてくる。
「や…やめ…」
そのまま女の子の形が崩れ落ちて…
…僕は目を覚ました。
今まで夢を見ていたらしい。
そうだ。夢だ。
「痛っ…」
どうやらカプセルから放り出された際に背中を打ち付けたらしい。
少し呼吸が不自由になり咳き込んだ。
今いる場所を確認してみる。
間違いなくカプセルに入れられた研究室。
何故揺れ出したのかは全く原因がわからない。
『これから君にはある試験を受けてもらう。』
…これがそうなのだろうか。
部屋を見渡すと3、40個ものカプセルがずらりと並んでいる。
よくよく見ると不気味な光景だ。
「…とりあえず、何をしたらいいんだろう?」
夢の中での声が引っかかる。
『…ここはあなたの来るべきところでは無い。』
知らないよそんなの。
抵抗しなかったとはいえ、勝手に連れてこられたんだから。
手足を確認する。
怪我は無い。
立ち上がって深呼吸してみる。
大丈夫。もう苦しくない。
閉じこめられたはずの空間の中で、僕は自由だ。
僕は無意識の内に、大広間へと歩みを進めた。
あの別世界に飛ばされないことを祈りながら。
つづく