キョンくーん、起きて!」
いつもの朝の風景だ。宝石よりも貴重な朝のまどろみの一時を、一秒でも長く楽しみたいという俺の体の欲求が、
自然に血圧を下げてしまう。そのままにしていると日が昇りきるまで泥の海の中を漂いそうな俺を、
遅刻したりしないように起こしに来てくれるのが我が最愛の妹なのだが……。
「キョン兄、うぇいく・あっぷ!」
「ぐはぁ!」
 妹の幼くて愛らしい妖精のような覚醒への誘導とは全く異質な、
小悪魔のように尖がった凶暴な肘打ちが、未だ目覚めきらぬ俺の鳩尾目掛けて急降下爆撃とばかりに炸裂した。
体がベッドから数十センチも跳ね上げられ、俺は土の中から強引に掘り出されてしまった大ミミズのようにベッドの上でのたうちまわる。
「お前ら、いい加減にせんかい!」
「きゃはははー」
「わーい、逃げろ逃げろー」
「ガホッ、ゴホっ!ったく、あのバカ弟が。もうちっと力の加減をしたらどうなんだ」
 と、そこで一昨日、力技で起こすのはいい加減やめろと苦言を呈したところ、昨日帰ってきた返答を思い出す。
そろりそろりと近づいてきたかと思うと、濡れタオルを何枚も顔面に覆い被せてきて、危うく窒息させられそうになったのだ。
まったく、一体何処からそんな下らない知識を手に入れてくるんだあのバカ弟は。
それに妹も妹だ。一緒になって、一まーい、二まーいと、可愛い声で死のカウントダウンを行なうんじゃありません!
 
「ふわぁぁぁ。うぃっす。今朝もご苦労さんね」
 半開きになったドアの向こうから、ズンダラとだらしなくパジャマを着崩し、
ライオンのタテガミのようにボサボサに髪を乱しまくった少女が、のっそり顔を出した。
こいつは俺と同じ仇名で呼ばれる双子の“姉”だ。
「ご苦労さんじゃねぇだろ。ったく、いつも俺がお前の目覚まし時計かよ」
「しょうがないでしょ。あんな手荒な起こし方なんて、女の私に向ってするわけないじゃないの」
「そうだったな。起こそうものなら半殺しにされちまうもんな」
「ちょっと、それどういうことよ?」
 どういう事も何も、ついこの間実演してくれたじゃねえか。
日曜日だからといって、目に余るほどグウタラ寝ていたお前を起こしに二人が向ったら、
妹はともかく弟の方は頭の形が変わるくらいにたんこぶを沢山こさえて俺の方に逃げ込んで来たんだぞ。
まるで子犬のようにキャンキャン泣きじゃくっていたのが、オレの見た幻だったとでも言うんじゃないだろうな?
自業自得とはいえ、忠実に職務を果たそうとした身内に対する返答にしては、あの仕打ちはあんまりだぞ。
「うっさいわね。か弱い乙女の寝起きに男がちょっかいなんか出すからよ」
 ともあれ、こうしてオレとアイツ、妹と弟が四人揃って洗面所で歯を磨くのが我が家の日常行事。
かなり窮屈になってしまうので俺は端の方に引っ込むが、鏡に四人揃って歯を磨く光景はオツなものだ。
そのあと朝食をキチンと採って、準備を終えて同時に通学するのも日常の光景だ。
 
『いってきまーす』
 
 気だるく家族に出発の挨拶をすると自転車を飛ばし学校へ向う。
校門を潜って駐輪場で停めるまでは全くの同時。そこからは靴箱までは一緒に向かい、自分たちのクラスの前で分かれる事になる。
「おはようキョン」
「よう、キョン」
 同じ学年の男女を問わない見知った顔から挨拶されるが、一緒に通学していると、一体どっちに向けられているのか訳が判らなくなる時がある。
とりあえず自分にとって馴染みのないヤツからの挨拶は向こうに対してだろうと目星はつくので問題はないのだが、やはりどうにも落ち着かない。
 ともあれ自分の教室に入ると、窓際の一番後ろの一つ手前の定位置に。
五月の終わりには珍しい、うららかな日差しに当てられながら、体力を温存するための省エネモードで一日の授業を受けて学生の本分をやり終える。
 そして本日最後のクラス行事であるホームルームが始まる。
その放課後には、お天道様から定められた大自然の法則を超越した、
我らが団長の定めた鋼鉄の掟に従い部室に向わねばならないから、この間に準備を終えてしまわねばならない。
何しろ授業が終わった途端に我らが団長殿は、こちらの帰宅の準備など一切考慮に入れずに襟そでをひっ掴んで、
リニアレールカタパルトで超音速にまで加速したデタラメな速度でアジトに連行してくれるのだからな。
 
 などと考えながらゴソゴソと帰り支度を終えて、ホームルームが終わったその時だった。
「さあ行くわよキョン。SOS団の神聖な活動はこれからよ。そして今日の今日こそ“連中”を打倒して、この宇宙から完膚なきまでに消滅させてやるんだから!」
 ハルヒの定めたアカシックレコードが俺の首をガッチリとロックしてしまった。
こうなってしまってはあらゆる抵抗は、シロナガスクジラに飲まれた微小微細なプランクトン同様に無意味というものだ。
俺は首の皮をくわえられた子猫のように無気力に大人しく、一切の抵抗をあきらめてされるがままに部室に連行されるのだった。
 このまま部室に可燃物ゴミのように乱雑に放りこまれるのかと思い、我が身の不遇に哀れみの言葉を送っていると、
突如、俺の体はハルヒの手から離れ、そのまま廊下をボウリングの玉のようにゴロゴロと転がされてしまう。
「ぎゃふん!」
 背中で誰かがぐちゃっとつぶされてしまった感触が伝わってくる。どうやら俺はピンにストライクしたのではないらしい。
「きゃぁぁ!だ、大丈夫でしゅかぁ?」
 ホワイトマシュマロのようにとろけるように甘い女性の声を聞いてオレはバッタのように起き上がった。
「大丈夫ですよ朝比奈さん。俺はご覧の通り大丈夫です」
「は、はい。でも……、でも……」
 朝比奈さんが心配してくれたのは俺だけではなかった。むしろその心配が向けられていたのは、
俺のクッション代わりにされて、全衝撃を無理やり吸収させられた存在の方だった。
 
「ふぎゅう~」
「いくるちゃん!いくるちゃん!しっかりして!」
「おい、いくる!しっかりしろ!」
「うううう……。キョンさん酷いじゃないですかぁ……」
 らんらんと愛くるしいガラス球のようなつぶらな瞳に水滴を浮かべている高校生、
というより場違いに迷い込んできた児童にしかみえないこの少年は朝比奈いくる。朝比奈さんの弟だ。
我が高の制服を着てまだ日が浅いとはいえ、傍から見ても中学生どころか小学生にしか見えないほどの幼い容姿。
こいつはランドセルを背負わせて、俺の妹たちと一緒に小学校の門を潜っても誰も怪しまないんじゃなかろうか?
ぐしぐしと泣き止まないそのあどけない顔を見ているとつくづく思ってしまう。
 しかしこの数週間でいい加減見慣れたとはいえ、コイツ、俺の弟の何倍も泣きやすいじゃないか。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍べとまでは言わないが、男だったらもうちっとばっかり我慢したらどうなんだ?
朝比奈さんがオロオロしながらハンカチを差し出して、頬をそっと拭ってあげて、
その上背中まで擦ってあげているのを見ていると、微笑ましいんだか何だか解らなくなってくるぞ。
 
 ともあれこちらは一段落したようなので、轟々とけたたましい声の響く部室の方を嫌々ながらも振り返ってみると、
俺が廊下を転がるハメになった原因を作った首魁たちが、周囲がドン引くほどの音量で激しく咆哮を戦わせていた。
「ちょっとアンタ、人の舎弟に何すんのよ!」
「強制的にかっ攫っておいて何言ってやがる。もうちっと本人の意思ってやつを確認したらどうだ?」
「だったらアンタが脇に抱えているのは何なのよ!?」
「おう、こいつは俺の“嫁”だ。夫が嫁を連れてきて何が悪い?」
 と、黄色いハチマキを頭に巻いた男は、あの傲岸不遜の権化であるハルヒに対して何ら物怖じせず、
それどころか同等以上の態度で、己の信念を決然と言い放っていた。
 
 こいつの名前は涼宮ハルヒコ。ハルヒの従兄弟だ。
その傍若無人、天衣無縫の俺様帝国皇帝ぶりは、ハルヒと互角に矛を交えられるほど。
そしてもう一つのSOS団の団長でもある。
 しかしその脇に抱えられている“嫁”と呼ばれた女に、また随分と見覚えがあるのは気のせいだろうか?
そうだな、気のせいだろう。先程しこたま打ち据えられてしまった頭が誤作動を起こして見せている幻覚に違いない。
そうとわかればあいつらの注意がこちらに来ないうちに退散するのが身の為だろう。
「さあ朝比奈さん、いくるも、今日の活動はここまでのようですから、今のうちに帰りましょう」
「鬼!悪魔!薄情者ぉ!逃げるなぁ!このか弱い乙女を見捨てて何処に行くぅ!」
 二人に優しく語りかけ、朝比奈姉弟をエスコートする俺の背中に、
咆哮を戦わせている大怪獣たちとは別の誰かが激しい罵声を浴びせているようだが、
これはきっと大怪獣の咆哮の音量のお陰で、耳の調子がおかしくなってしまって聞こえている幻聴の一種に違いないと、
この雑音について俺は一切気に留めない事にした。
 朝比奈さんが俺の袖を引いて、これで本当にいいのかと尋ねてくるが、構いませんよ、と紳士としてエスコートを続行する。
俺だけが毎朝、弟と妹の起床と称した急降下爆撃&雷撃の波状攻撃からの被害担当としての任務を務めているんだ。
たまにはそっちが被害担当を受け持つ事になったところでバチはあたるまいよ。
 
「こーらー!どーこーにーいーくー!?」
 直後、俺の喉笛に柔らかいが鋭い棍棒の一撃が叩き込まれた。
ハルヒほどの常軌を逸した力強さと日本刀のような鋭さは無いが、それでも強烈な事には違いは無い。
思わずぐえっと情けない声が喉から漏れる。
「ひ、ヒメぇ、お前なぁ!」
「やっほーキョンくん!おかえりしようったってそうはいかないぞぉ。私たちの活動はこれからなんだからね!」
 むせかえりながら吸い込んだ息に、朝比奈さんと同等の柔らかさに含まれた甘ったるい匂いが肺に飛び込んできた。
ラリアットを仕掛けてきたのは小泉一姫。読みが古泉と同じなので、俺たちはコイツを“ヒメ”と呼んでいる。
朝比奈さんとタメを張れるナイスバディに、ハチミツにメイプルシロップをぶちこんで、
歯が溶けそうになるほど煮詰めたような甘ったるい猫なで声。
可愛いものや気に入ったものには遠慮なく体を使ったスキンシップを仕掛ける女傑だ。
「逃亡は死刑って涼宮団長“たち”は言ってたじゃない?朝比奈先輩も、いくるちゃんも一緒に、エンジョイあーんどエキサイティング!」
 こうして俺たちは逃亡する事も許されないまま、大怪獣たちが死闘を繰り広げる地獄の番外地に再び連行されてしまった。
 
「やっほーハルヒコ!とりあえず三人確保してきたよぉ!」
「よっしゃあヒメぇ、よくやったぁ!」
「ちょ、ちょっとアンタ待ちなさいよ!三人ともみんな“うちの”団員じゃないの!」
「やっほーキョンちゃん!私のマイハニー!」
「こ、こらー!やめんかい!」
 屈強な野郎の脇に抱えられた無力でいたいけな少女に、妖豊な美少女が絡みつく構図というのは見ていて微笑ましいものがあると
うんうんと腕を組んで眺めていると、今度はオレの後頭部にハルヒの蹴りが飛んだ。
「アンタもボサっと見てない!自分の片割れが身を引き裂かれそうになっているんだから、双子だったら電光石火で助け出してこっちに避難させなさいよ!」
 いや、どっちに逃げても虎子無しの虎穴だからと、三十六計逃げるに如かずと口を開こうとしたその時、
カラカラと静かで軽く、それでいて重々しい音と共にドアが開いた。
「これ以上の騒ぎは近隣のサークルへの迷惑行為だ。各自とも速やかに互いの部室に入れ」
 水滴を散らすような透き通った美麗の長髪に、水晶のように煌く小さな長方形のグラスが並んだ眼鏡が麗しい。
クールビューティとは正にこの“美青年”の事を言うのだろう。
長門“勇希”先輩の国宝級の刀のように研ぎ澄まされた鋭利な一言で、今まで繰り広げられていた大怪獣たちの巻き起こす破壊と喧騒の雰囲気は、
遥かな因果地平の彼方に霧散し、廊下にいた全員が粛々と各々の部室に入ったのだった。
 
「おや、今日のメンバーは正規のようですね」
 こうやって毎回最後に、台風のような騒乱が収まってからノコノコと顔を出すのが古泉という男だ。まったく白々しい。
「遅かったわね古泉くん。そうなのよ。あと少しで連中の戦力をごっそり頂けるってとこだったのに……」
 口元をアヒルのようにしながら、ハルヒのヤツは天井を見上げながらブツブツと怨嗟の呪文を口にし続けていた。
「でも、あの長門さんのお兄さんってすごいですよね。たった一言であの場を抑えてしまえるなんて」
 そう言って長門の方を見る朝比奈さんだったが、長門は相変わらず本を読みふけったままピクリとも反応をしようとしない。
「そうなのよねぇ。有希のお兄さんがあっちにいるって言うのが正直厳しいのよ。何とかこっちに引き入れられないかしら」
「兄は自分の意志で向こうにいる。私もまた自分の意志でここにいる」
 小さな声でボソリと呟く長門の声。ハルヒもそれは重々承知しているようだったが、それでもやはり口惜しいらしい。
「そんなに向こうの人材が欲しいならトレードでもするか?」
「冗談!何でアタシがハルヒコなんかと交渉しなきゃなんないのよ!」 
 俺の投げやりな意見具申に、ハルヒはポン菓子のように感情を爆発させて答えてくれた。
「あくまでも全ての戦力は私の手の内に納まるべきものなのよ。例えそれがキョンみたいな戦力外寸前の数合わせだとしても、取引の材料にするのは論外よ」
 俺のような戦力外寸前のロートルとやらでも取引の材料に使ったりしないという我らが団長の意思には素直に感謝すべきなのだろうか?
どうにもオレの目には敵対勢力が欲しがっているものだったら、例えそれが自分にとって発行から一ヶ月以上経った、
新聞の折込チラシ以下の価値であっても渡したくないという嫌がらせの魂胆以外に思えないのだが。
 
「うーん、取引するんだったら対等にトレードなんかじゃなくて、あいつの弱みを握ってからそこを揺すってやるのが一番なんだけどなぁ。
でも弱みを握って揺するってアタシのキャラじゃないし」
 ウソ付け。お前コンピ研の連中から、朝比奈さんをハニートラップに使って、その眼前のPCを調達したのは何だと言うのだ。
大体、その件が原因でコンピ研が崩壊し、その隙を突いてお前の従兄弟がコンピ研の部室を乗っ取ってしまい、
敵対組織にこちら以上の設備を持った拠点を獲得されてしまうハメになったんだろうが。
その総括と反省はちゃんとできているんだろうな?
「有希のお兄さんにいくる君にキョンちゃんが来れば私のSOS団はより完璧になるっていうのに……」
 などと俺の懸念など意にも介さず、ハルヒはブツブツとより完璧なるSOS団の未来図を描いているようだった。
自分の手元にアイツはともかく、長門先輩や第二のマスコットとなるであろういくるが来れば、確かに現時点の我が校で揃う戦力としては最高だろう。
 しかしそこにヒメの名が出て来ないのは興味深いところだ。
まあハルヒにとってヒメはハルヒコ同様に近親憎悪で嫌っている相手だからだろうな。
ヒメはハルヒのように可愛らしいヤツには容赦なくベタベタするし、何より気に入った相手なら、男にもベタベタしてくる女だ。
主であるハルヒコはともかく長門先輩やいくる、果ては光栄な事に俺もその行為の対象に一人に加えてもらっているのだが、それはどんな魂胆からなんだろうか?
あれだけ美形な古泉に対して全くしようとしないのは何か訳でもあるのだろうか?
アイツに言わせればヒメはハルヒと古泉を刺激しているんだろうとか言っていたが、俺にはどうにもピンと来ねぇ。
 
 結局この日もハルヒには打倒ハルヒコの妙案は浮かばず仕舞いだったようで、あっちもそれは同様の様子。両団長は適当な時間に退出し解散となった。
 だが俺たちはこのまま解散、とはならない。二人が戻ってこないのを見計らって、この日はこっちの部室に集合になった。
あまり広いとはいえない部室に八人もの人数が納まると随分と窮屈になるのだが、とりあえず気軽に確保できる場所が他にないので仕方がない。
 あらためて朝比奈さんの煎れてくれる美味なお茶と、いくるが丹精籠めて作ってくれたお茶菓子、今日はクッキーが全員分に行き渡ったところで、
ダラダラとしたいつもの両SOS団横断の両涼宮対策会議が始まった。
 配置だが、オレとあいつの一般人代表と、長門兄妹の宇宙人、朝比奈姉弟の未来人、そして一樹とヒメの超能力者に分かれているはずだが、
今日もヒメは未来人の陣営にベッタリだ。一度たりとも超能力者たちが席を隣にしているのを見たことが無い。
 事実上、場を取り仕切っているのはオレとアイツの一般人代表組だ。
長門先輩は確かにキレ者だが、聞かれないと答えてくれない難儀な人だし、長門はそれ以上に口を開かない。
古泉は率先して場を仕切りたがらない男だし、ヒメは論外。朝比奈姉弟は……それ以前だ。
「ねえみんな。今日はもう一度、私たちの置かれている状況を再確認したいんだけどいい?」
 アイツがお茶菓子に出されたらくがんを手のひらでいじりながら切り出した。
こう切り出して異議が出た事は、実は一度も無い。しばらくの間は誰も口を開かず、まったりとした空気のまま無言のままだった。
 
 目を泳がせている俺が何を言いたいのか察したのだろう。長門が口を開いてくれた。
「この状況が異常な事態だとは、私たちの上層部は認識していない。なぜなら最初からこの状況で存在していると考えている」
 こういう席で長門が口火を切るのは珍しい。
ただでさえ口を開かないのに、会議の席でも兄の方が発言の機会が多いため、
長門の声を聞くのはかなりレアなことになってしまっているから、これも長門なりの自己主張だろうか。
「私たちもそうです。あの時、同時に涼宮さん“たち”に力が与えられ、我々も力を持つ事になり活動を開始したわけですが、この状況が異常だとは誰も認識していません」
 古泉はいつもののらりくらりした笑顔で皆に目を配りながら話しているが、決して視線をヒメにだけは向けようとしていない。
何もかも正反対のこの二人の対立は、互いに露骨に表に出さない分、ハルヒたちより根が深いといえるだろう。
「で、で、わ、私たちですが……、きゃふぅ!や、やめてくださーい!」
 朝比奈さんが勇気を出して発言しているところをヒメが子猫のようにじゃれ付いて妨害を始めた。
やれやれと頭を抱えてしまう俺だったが、そこでアイツはスっと立ち上がる。そして手にしていた特製の静粛ハリセンで、ヒメの後頭部をスパーンと一閃。
「あーん!キョンちゃんのいけずぅ」
「やかましい!朝比奈先輩が真剣に話をしているんだから、ヒメは邪魔しないでさっさと席に座んなさい!」
 男の俺にできない事を平然とやってのけるのが同じキョンでも女の強みだろう。そこには素直に感心する。
「と、とにかく、禁則事項で言えない事だらけですが、今のところイレギュラーはありません」
 姉の様子をみかねた弟が、たどたどしくはあったが健気に答えてくれた。
 ともあれ現状は、どの勢力、その上層部は現状が当然であると認識しているそうだ。
ただし、全員が個人的見解として、この状態が異常である可能性は否定できないと口を揃えてもいた。
 
 傾きかけた夕陽が照らす帰り道。自宅までの道を、俺とアイツは速度をあわせて走らせていた。
「とにかく、この状況が異常だというのを認識しているのはオレたちだけらしいな」
「そうね。これまでの改変とは次元が違うって事ね」
「だな。オレとお前が姉弟ってことになって、他にもかなりの数がごちゃごちゃに同居している。
時間の流れが変わったなんてレベルじゃないのは間違いない」
 そう、今更だがオレもアイツも“キョン”なのだ。平行世界の同一人物、ただし性別が異なる“キョン”。
 オレたちの世界は、中途半端に三月三十日の夜を持って一年の時を遡った入学式にまで遡って融合していたのだ。
そしてその事実を認識しているのも俺たち二人だけ。
余りにも不自然なく破綻なく融合してしまったため、だれも違和感を感じていないらしい。
あの統合思念体とやらさえも例外で無いというのが今回の事態の異常性を物語っている。
『ただいまー』
「キョン兄、キョン姉おかえりー!」
「キョンくん、キョンちゃんおかえりー!」
 いつものように力なく帰宅を告げると、ずいぶんと元気を持て余した弟と妹の返事がきた。
心なしか妹の声も元の世界より大きい気がしているのだが、同じことを弟に対してアイツも感じているらしい。
俺にとっては弟なんてウザいだけの存在で、今までも何度か頭に血が上って叩き出そうとしたが、その度にアイツに止められている。
 
 親父以外の一家揃って夕飯を済ませ、風呂に入る順番を待ちながらゲームに興じ、
親に止められると部屋に引き上げて宿題や明日の準備を行なうのが夜の過ごし方だ。
とはいえ元気を無尽蔵に有り余らせている弟たちが落ち着いて寝付いてくれるには十時以降を待たねばならないから、
元の世界だと比較的容易に確保していた自分の時間は確保が困難になっている。
 妹と弟が寝付くとようやく自分の時間だ。
しかしその時間はアイツと一緒に宿題ついでに、まだ終わっていない情報の交換を行なっている。
俺とアイツ、平行世界だけあって似たような状況に置かれ、起こった出来事は殆ど同じものだが、
やはり男女が逆転していると細部やタイミングは随分と違うらしく、聞いていて面白い。
 そのため麦茶を酌み交わしつつ一緒にちゃぶ台で向き合うのが夜遅くになることも多いのだが、
そんな俺たちを見てお袋は「姉弟じゃなくて夫婦みたい」などと冗談で口にする事もあった。
ご心配なく。オレたちは双子の姉と弟という表向きではありますが、その実、平行世界の同一人物なのですから。
世界が理不尽に滅亡の危機に瀕して関係を強要されでもしない限り、間違いなんて起こす事は有り得ませんからご心配なく。
 
 


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