『台風一過のハレの日に』
○ プロローグ
『……地方は今夜半から暴風雨圏に……今後の台風の進路には十分ご注意……』
「ねぇ、台風くるとなんかわくわくしない?」
ラジオの天気予報を聞きながらニコニコしているハルヒの後ろ側では、さっきより少し強くなったような気がする風と雨が部室の壊れそうな窓を打っている。
「確かに、俺も好きだったな。テレビで台風の進路の予報円を見ながら、子供心になんとなくうれしかったもんだ」
「でしょ? でしょ?」
大きな瞳を細めて笑顔をさらに輝かせているハルヒを見ながら、高校生になってもこいつは山のような子供心を持っているんだな、と俺は少しあきれていた。
振り向くと古泉もニコニコしながら、
「涼宮さんのお気持ちには同感ですね」
なんて言ってやがるし。まぁ、いいさ、俺も今ちょっとした高揚感を感じていることには違いない。もちろん、子供の頃ほどでは無いけどね。
台風の接近に伴い学校周辺も風雨が激しくなってきた。ひょっとすると、そろそろ「帰宅せよ」という放送が流れるかもしれないような状況だ。それでも、SOS団のメンバーは律儀に部室に集合して、普段どおりの放課後を過ごしている。
机の上のPCを使えばネット経由で最新の台風情報も入手できるんだが、ハルヒはわざわざラジオを引っ張り出してきて楽しそうに聴いている。妙なところにこだわりがあるのは相変わらずだ。
「もうそろそろ帰ったほうが良くないでしょうか」
俺の隣の椅子に座って朝比奈さんは心配そうに外を見ている。SOS団専属のメイドさんは、すぐにでも帰れるようにということで今日は制服のままだった。
ハルヒはチラッと振り返って外の状況を確認すると、大きく頷きながら、
「もうちょっと待てば、帰り道で傘が裏返るぐらいの風になりそうね」
「ふえぇぇ~」
「おいおい、そうなる前に帰ろうぜ」
「暴風雨の中でテレビのリポータごっこでもしながら帰れば楽しいわよ」
「いい加減にしろって……」
「何よ、台風上陸って年に一回か二回しかないイベントじゃない、楽しまないと損よ」
うーむ、もうすでに帰りの坂道は急流すべり状態かもしれないのに、遊びながら帰れるか、やれやれだよ、まったく。
俺が二の句を継げないでいると、パタンと本を閉じる音がした。おっ、長門の帰宅命令が出たな、と思った瞬間、
『全校生徒にお知らせします、台風接近に伴い……』
と、マジで全校生徒に対する帰宅命令も出た。
「えー、帰るの? つまんなーい」
ハルヒはまだなんかブツブツ言っているが、それ以外のメンバはそそくさと帰り支度を始めた。しばらくアヒル口をしていたハルヒも仕方なく立ち上がると、ラジオを片付け始めた。
学校を出ると、まだ傘が裏返るほどではないが、それでも結構な風と雨だった。そろりそろりと坂道を下っていたが、それぞれの自宅方向に分かれる場所に達した時には、足元は結構びしょぬれになってしまった。きもちわりぃ~。
「じゃ、気をつけてねー」
そう言い残して、ハルヒはスキップでもするような勢いで帰っていった。
「涼宮さん……」
あっけに取られた朝比奈さんは、ハルヒの後姿を追いながら一言だけそうつぶやいた。
「あいつ、どこまで子供なんだよ……」
「涼宮さんらしいですね。でも風邪とかひかないでしょうか」
「ん、大丈夫でしょ、何とかは風邪ひかないらしいですから、ね」
朝比奈さんは傘の下で肩をすくめると、くすっと小さく笑って、
「じゃあ、わたしも帰りますね。さようならー」
といって、途中まで帰り道が一緒の古泉と傘を並べて去っていった。
残された俺と長門は並んで歩き始めた。この雨では俺の自転車は駐輪場に置いておくしかないので、しばらくは長門と帰る方向が一緒だ。
「天気、大丈夫かな?」
「小一時間もすれば、さらに雨、風が激しくなる。早く帰るほうがいい」
「そうか」
「そう」
ラジオで聞いた天気予報より長門の予報の方がはるかに精度はいいはずだ。もうすでに足元を気にする必要も無いぐらい膝からは下びっしょりなので、俺は少しばかり足を速めた。
少し向こうに長門のマンションが見えてきた。次の四つ角で長門は左に、俺は右に別れることになる。ここにきてまた雨脚も強くなってきたようだ。
少し下向き加減で歩いていたので気付かなかったが、その四つ角のところにピンクの傘を差した小さな影が立っていた。
おや、この雨の中に小学生でもいるのか? どうしたんだろう?
近づくとピンクの傘が少し上がり、ショートカットの髪と澄んだ黒い瞳の小柄な少女がこちらを見上げているのが見えた。
「お久しぶりです、有希さん、キョンくん」
「……!!」
驚いた俺と長門の視線の先でにっこり微笑みながら立っている長門そっくりの少女は、数ヶ月前、梅雨空とともに消えていった液状化分散集合生命体、簡単に言うと液体宇宙人の「こゆき」だった。
第一章に続きます