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「酔い覚まし」より

 

 

 季節は早春。
 新学期を間近に控え、慌ただしく身辺の準備に追われるのも勿体無いような穏やかな晴天。
 暑くもなく、かといって肌寒い訳でもない過ごしやすいこの時期は、冬の寒さを耐え忍んできた物へのご褒美って奴なん
だろうか。そうでも考えないとあの厳しい冬を毎年迎えるの事に前向きになれそうにない。
 さて、偶然が三つ重なれば、どこかに必然が混じっていると考える。それが当然だと俺の尊敬する架空の人物は言った。
 ハルヒに会ってからの俺の状況で考えれば、どれが偶然でどれが必然だったのか……コンビニにある可燃物のゴミ箱に
無理やり押し込まれた中身並に分別不能なんだがね。
 しかし、今日の俺の状況については紛れも無い必然だと言い切ることができる。何故ならば、
「到着」
 ん、ああもう着いたのか。
 閑散としたバスの車内、タラップで俺を待つように止まっている長門を追いかけながら、何となく俺は気分がよかった。
 何故ならば、今日だけはいつもの様にハルヒ振り回される一日ではないからさ。
車の構造上これ以上は余地を取れない狭い階段を降りると、そこには見覚えのある建物が立っている。
 ここにくるのはSOS団発の市内探検以来だな。
 そしてメンバーもあの時と同じ、俺と長門はあの市立図書館にきているのだ。
 さて、何故ここにハルヒや朝比奈さんが居ないのかと言えば……そういえば何故なんだ?
 それは昨日の放課後の事だった。

 


 すまん、もう一回言ってくれ。
「団長の話はちゃんと聞きなさい。いい? あんたは明日、有希と図書館に行ってくるの。わかった?」
 そのセリフでいったい何を納得しろってんだ? 俺の怪訝な視線をハルヒは何故か不機嫌な顔で見下ろしている。
 ってゆうか、それは本来俺のするべき表情じゃないのかよ。
 いつもと同じ放課後の部室、いつものように誰に言われるでもなく集まったいつものメンバー。
 ちなみに鶴屋さんは不在だ。まあこれもいつも通りと言えなくもない。
 そして我等が団長様は、いつもの様に意味不明な事を言い出したわけだ。
 俺と長門で図書館に行く? 確かに明日は休日だし予定などない。だからといって何故お前に予定を決められなければなら
んのだ? ……なんて事を言って抵抗するのは無駄だってわかってるさ。疑問なのはメンバーだ。
 俺と長門、2人だけでか?
「そうよ」
 まるでスポーツのルールでも説明するかのように、至極当たり前だと言いたげな顔でハルヒは頷く。
 なんだよ、また何か企んでるってのか?
 これまでハルヒが何か言い出して、何も企んでなかった事など一度としてなかった訳だが。
 俺の顔を見下ろすハルヒは、それっきり何も言わずに俺の顔を見下ろしている。
 そんな状態の俺達を朝比奈さんはいつもよりは少し安心した様子で見守り、古泉はやはりにやけ顔で見ていて、長門は……。
 長門はいつもの様に読書の最中だった。
 お~い長門、ハルヒが今言ってるのは明日の予定らしいぞ? 俺とお前の。
 視線をハルヒに戻すと、不思議な事に返答の遅い俺に対してハルヒは怒っても暴れてもいなかった。
 ただ、不機嫌なだけ。いったいこれはなんなんだ? 
 いつもハルヒの思い付きに対して一般人としてつっこむ俺だが……そうだな、長門と図書館か。
 この間行った読み聞かせでもそうだったが、長門と二人で行動するのは別に嫌な事ではない。最近、ぐっと人間らしくなった
長門を見ているのは飽きないからな。 
 長門。
 俺の問いかけに寡黙な宇宙人が本から顔をあげる。
 その表情からは、少なくとも何の話なのか? といった疑問は感じられない。どうやら、一応話は聞いていたみたいだな。
 明日、俺とお前は図書館に行く事になったらしいが、お前はそれでいいのか?
 数秒の間を置いて首を僅かに縦に振るのを見て、俺はハルヒに向き直り。
 わかった。
 なんとなく、なるべく表情を変えないままで俺はそう答えた。
 ――その後、唐突に解散を言い渡してハルヒが部室を出て行き、俺はさっそく事の真相を知っていそうな自称超能力者を睨み
つけた。
 古泉、知っている事があったらこの場で素直に教えろ。
 俺の視線を嬉しそうに受けながら、
「実は明日、涼宮さんとデートなんです」
 そうかそうか、頑張れよ。
 いつもの笑顔に含ませるような余韻を加えている古泉だが、俺はそれを無視した。
 朝比奈さんは何か知っていませんか?
「えっと、あの。涼宮さんと古泉君がデートって本当なんですか?」
 そっちが気になるんですか……なんかもう色々とショックですよ。
「いえ、冗談です。少なくとも先ほどの涼宮さんの発言には、僕も言葉を無くしていましたよ」
 ほーそうかい、その変わらない笑顔も仕草も何もかもが怪しいぜ。
 じゃあ、2人とも明日の行動をハルヒに何か指示されてるってわけじゃないんですか?
「特に何も」
「僕もです」
 古泉の発言は信用するに値しない物だが、朝比奈さんは嘘をついたりしないだろう。いったい何がはじまるんだ?
 長門、お前は何か知ってるか?
 聞くだけ無駄な気もしたんだが、俺は会話に参加する事無く読書に戻っていた宇宙人へ声をかけてみた。
 自然と朝比奈さんと古泉の視線も集まる部室で、長門が口にした言葉は
「明日の休日。あなたと図書館に行きたいと、涼宮ハルヒに頼んだ」
 俺と朝比奈さんを絶句させたのはもちろん、あの古泉の笑顔すらかき消す事になったわけで……。

 


 なんで俺を誘ったんだ?
 俺に何をして欲しいんだ?
 バスはもう慣れたのか?
 っていうか。俺に予定を聞く前に、なんでハルヒに了解を得るんだ?
 数々の疑問が頭を過っているが、本棚の前で立ったまま読書をはじめた長門に俺は何一つ聞けないでいた。
 以前と同じようにシンプルな私服を着た長門は、いつもと変わらず読書に夢中になっている。
 俺はその様子を近くのテーブルに座って見ているんだが……さてどうしたもんかね。
 何のためにここにいるのか、いつまでここに居ればいいのかすらわからないのでは読書する気にもなれん。
 読みたい本があったわけでもないしな。
 長門の読んでいる本は……だめだタイトルすら俺には読めない。
 俺の視線に気づいた長門は数秒こちらへ視線を向けたが、何を言う訳でもなくまた読書へと戻ってしまった。
 ある意味、理不尽ともいえるこの状況なのだが……不思議な事に俺は悪くない気分だった。
 いつもと変わらないように見えて、長門は細かな所で変化してきている。例えば本を読んでいる最中に小さな
唇を少し尖らせたり、緊張する展開が続いていたのか知らないが小さくため息をついたり、たまに本を持つ手に
力が入っているとかそんな小さな事なんだけどな。
 バスに弱かったり、振袖で転んだり、オレオレ詐欺に引っ掛かったりと日を追うごとに人間味を増してきた
長門をのんびりと眺める一日、そんな休日があってもい……ん?
 俺達が居る場所は長門が読むような本があるだけあって、俺達以外に誰もいない。と思っていたのだが……。
 少し離れた本棚の間に、見覚えのある茶色で長い髪が見えている。
 どうやら本人はあれで隠れているつもりのようだ。
 俺はテーブルの下で回りから見えないように携帯を取り出すと、まずは電話帳で部室専用のメイドさんの
番号を呼び出した。
 そして僅かな時間だけコールして――みっみっみらくる! みっくるんるん! 
 静かな図書館に響き渡る着信音、それは俺が通話終了のボタンを押す事で瞬時に止まった。
 やっぱりか……。
 俺は苦笑いを浮かべながら、今度はメールを作っていく。あの人ならマナーモードに設定するまでに30秒……
いや、1分くらいだろうか?
 適当に時間を置いて、待っていた間に作り終えていたメールを送信する。
 宛先は――もちろん朝比奈さんだ。
『こんな所で会うなんて奇遇ですね』
 数分後、図書館に入る前にマナーモードにしてあった俺の携帯が振動をはじめる。
『そうですね。びっくりです』
 なるほど、なるほど。
 俺はいたずらっこを見つけた小学校の教師のような気分で、軽快に指を躍らせる。
『どうしてそんな所で隠れているんですか?』
 次の返信には3分ほどかかった。
『課題の資料を探しに来たんです』
 ほほう、上手く逃げましたね。
 隠れている理由に対して答えていない気もしますがまあいいです。
『大変ですね、お手伝いしましょうか?』
『ありがとう、でも1人で大丈夫ですから、私の事は気にしないでください』
 やれやれ。朝比奈さんが趣味で覗きなんてしないだろうし、ここに居るのは多分ハルヒか未来からの指示の
どちらかなんだろうな。ま、あまり追求しても可愛そうだ。
 俺は携帯をポケットにしまうと、読書を続けているであろう長門と目が合った……目が合った?
 本に熱中していると思っていた長門は、いつの間にか本を下ろして俺のほうを見ている。
「…………」
 も、もういいのか?
「いい」
 言いながら本棚へ読みかけの本を戻した長門は、椅子に座ったままの俺を残して歩き始める。
 違う本棚へ行くのか? と思って見守っていると、どうやらそうではないらしく真っ直ぐ出口へと向かってい
る様だ。急いで追いかける俺に気づいていてはいるんだろうが、長門は振り向く事無く歩みを止めようとしない。
 何かあったのか?
 図書館の出口付近でようやく追いついた俺は、いつもより冷たく感じる長門の背中にそう問いかけてみたが、
長門からの返事は無かった。ただ、図書館を出た所で振り向いて一言。
「また、明日」
 俺の胸辺りを見ながらそう言い残し、長門は静かな休日の街を一人で去って行った。
 さて、今日のこの意味不明な行動も何かの意味があったんだろうか? 俺は全く何もしていなかった様な気が
するんだがね。
 取り残された俺は小さくなっていく長門の背に向けて溜息をつき、バス停の時刻表を確認に向かった。

 


 さて、ここでいったん俺からの話は終わりになるらしい。
 ここからの話は俺ではなく……マジか、これ? あいつがどんな話をする事になるんだ?

 

 ――――

 

 やあ、どうも。古泉一樹です。
 どうやらここからは、鍵である「彼」に代わりまして僕の主観でお話をお伝えする様ですね。
 ですが、僕のお話でみなさんに楽しんで頂けるとは思えないのですが……ちょっと失礼します、電話が――
おや、涼宮さんからですか。
 はい古泉です。
「古泉君、明日は暇?」
 はい、特に予定はありません。
 仮にあったとしてもキャンセルします。当たり前ですが。
「よかった! じゃあ、明日駅前に9時に来て!」
 了解しました。
 どうやら、みなさんを退屈させるなんて事は心配しなくても良くなりそうですね。
「それと、この事はみんなには内緒、もちろんキョンにも! じゃあ明日ね」
 え? あ、あの涼宮さん? ……切れてる。
 物言わぬ携帯電話を見つめたまま、僕はしばらくの間立ちつくしていた。
 ――今だから言えますが、この時点では気付いていませんでした。本当です。
 彼に言った冗談だったはずの「明日は涼宮さんとデート」だというその言葉が、現実の物になってしまった事に気づい
たのは、ずっと後になってからの事でした。

 


『対象が現地に到着』
 翌朝、いつもの待ち合わせ場所に向かう為、電車に乗っていた僕の携帯に届いたメールに小さくない溜息をつく。
 森さん……涼宮さんが家を出た時点で教えてもらえないでしょうか。電車の中でこんなメールを見ても意味が無いで
しょう? とはいえ、そんな本音を返信するだけの度胸を僕は持ち合わせてはいません。
『了解、善処します』……と、この場合の善処とはどんな事なんでしょうね。
 涼宮さんになんて言って謝りましょうか。それとも、これは彼の様に食事を奢る事になるのか――そんな事を考える猶予も
無く、苦笑いを浮かべる僕を乗せて電車は緩やかにスピードを落とし駅の中へ滑り込んでいく。
「あ、古泉君早いじゃない」
 待ち合わせ時間の45分前、待ち合わせ場所に居た涼宮さんは妙にご機嫌で自分より後にきた僕に対して笑顔を向けて
いる……なるほど、今なら彼の気持ちがよくわかります。
 さて、彼女はいったい今何を考えているのか? これは楽しみでもあり、同時に心臓に悪くもある。
「じゃあさっそく移動するからついてきて。それと、もしみんなを見つけても話しかけちゃダメ。見つかったらあたし達は
デート中って事にしてね」
 え、え? すみません、いったい今から何をするつもりなんですか?
 現状を把握できない僕にそれ以上の説明をするつもりは無いらしく、涼宮さんは近くに止めていたらしいタクシーに乗り
込んで行く。
 僕にはついて行くしか選択肢はない。
 気づかれないように小さくため息をつきつつも……さて、自分では確かめる方法はありませんが、今の僕の表情は彼が
涼宮さんを見ている時と同じである様な気がするんですが――どうでしょう?

 


 結局、目的地を知らされないまま僕が連れてこられたのは――いったいこれにはどんな意味があるんでしょう――彼と
長門さんが今日訪れるはずの場所、市立図書館。
 僕と涼宮さんが到着した時がちょうど開館時間だったらしく、物静かな図書館の中には僕達以外に職員の姿しか見当たら
ない。
 エントランス、案内看板の前――
「……ん~、ねえ古泉君。有希が読みそうな本ってどの辺にあると思う?」
 長門さんですか。
「そう。あの子って難しい本ばっかり読んでるイメージがあるけど、図書館でもやっぱりそうなのかしら」
 そうですね。僕のイメージでは恋愛小説等も読んでいると思います。
 機関の情報を抜きにして、普通の北高生なら長門さんに対してこんなイメージを持つはず。
「有希が恋愛小説? それは……でも、古泉君がそう言うと、なんとなくそんな感じもしなくもないわね」
 僕の発言が意外だったらしく最初は驚いた顔、そこから思案する顔へところころと表情を変え、最後は目を閉じて腕を
組みしばらくそのままの姿勢で何かを考えた後、
「こっち!」
 涼宮さんは僕の腕を引っ張り、図書館の奥へと進み始めるのでした。

 


 図書館で時間を潰す方法――読書以外にどんな選択肢があったのか。
「古泉君伏せて!」
 声と同時に頭部にかかった重圧によって、適正距離を保っていたはずの蔵書と顔の距離が一瞬で零に等しくなる。
 突然の事に驚く僕の顔のすぐ隣には、涼宮さんの緊張した顔があり「いったい何があったんです?」と聞くのも躊躇われ
る空気に開きかけた口を閉じる。
 ……ソファーの上に不格好に寝ころんだ僕と涼宮さんの姿は余程滑稽なのでしょうね。
 館内を歩く人達から受ける奇異の視線は、正直冷や汗物です。
 しかしというか……涼宮さんの視線は背もたれの向こう側、確か洋書が並んでいるフロアーに釘づけになっていて、
当然の様に周囲からの視線は気にならないらしい。
 ――まあ、大体の想像はついていましたが。
 涼宮さんの視線の先、洋書の並ぶ本棚の前には彼と長門さんの姿が見えている。
 二人の様子を見守る涼宮さんの表情は……これはなんなのだろう。怒りとも寂しさとも違う……強いて言えば期待?
 この状況に彼女はいったい何を期待しているのか、それもまあ気になりますが。
 涼宮さん。
「しっ! 静かに」
 わかりました。ですがどうやら僕たちは目立っているようですし、移動した方がいいかと。
「え? あ」
 気づけば利用者だけでなく、図書館の職員まで遠巻きに僕達の様子を眺めている。
 このままではお二人に気づかれるのも時間の問題ですね。今更ながら自分と僕の状態に彼女を知ったようだ。
 これも偶然なのだろうか? 仰向けに倒れていた僕の視界には吹き抜けになった上階のフロアーが見えていて、それは
きっと涼宮さんの希望に応える事ができる場所に見える。
 そっと涼宮さんの肩を叩いて何も言わないままその空間を指差しすと、僕の意図した内容を理解したらしい涼宮さんは
口パクで「ナイスよ古泉君!」と叫んでいた。
 

 

 上階へと移動し、絶好の観察ポイントを確保した僕らの視界の先では地震速報の画面の様に殆ど動きのない二人の姿が見
えている。
「……おかしいわ、会話が無いじゃない」
 そうですね。
 なんとなく相槌は打ったものの、彼女のその言葉の意味を想像する事はできそうにない。
 不満げに頬を膨らませる彼女の期待する展開とはどんな状況なのだろう? まさか、長門さんと彼の間を取り持ってあげ
たいのだとか? ……まあ、ありえない話ではないんですが何かが違う気がする。 
 立ったまま黙々と読書を続ける長門さんと、椅子に座ってそれを見上げる彼。
 ここからでは表情を見る事はできないけれど、悪い雰囲気には見えない――おや、彼が何かに気づいた様な……。
 静かな館内に突然響き渡る音声、部室で何度か聞いた事のあったその曲は……
 みっみっみらくる! みっくるんるん!
「ばか! ああもう何やってんのよみくるちゃん?」
 思わず声を出して手すりから身を乗り出す涼宮さんが、下の階に落ちてしまわない様に駆け寄りながら――でもあの着信音
を朝比奈さんの携帯にむりやり設定したのは涼宮さんだった様な――言う必要のない言葉を胸にしまいこむ。
 それにしても、どうやら涼宮さんは朝比奈さんがここに居る事を知っていた様だ。というよりも、涼宮さんの命令で朝比奈
さんはここに来ていると考えた方が妥当か。
 ……これは、どうしてしまったんでしょうね。
 状況はさらに混迷さを増して来る中で、僕は自分の中にある一つの感情に気づいた。
 まるで予測のつかない行動と、ただ楽しむ事を追及する純粋な姿勢。今日までは客観的な目で見ていたはずの彼女への評価
に、文章にできない何かが書き加えられていくのを感じる。
 この感情は何なのだろう? そう考え始めた時、意識の中にノイズの様な感覚が走ると同時にポケットの中から携帯電話が
震える感触が伝わってきた。
 閉鎖空間が発生してしまったようです――どうやら、事態は彼女の望まない展開になってしまったらしい。
 彼女は階下の様子を一瞬でも見逃さない様にと食い入るように真剣に見ている、僕がこのまま何も言わずにこの場を離れても
大丈夫だろう。
『トイレに行っていたら、急なバイトの用事が入ってしまいました』
 ……こんなメールで彼女が納得してくれればいいんですが。
 早くも嘘の言い訳を考えている自分が今日は寂しくもあり――そうですね、もしも手早く閉鎖空間の対処が終わったなら
どこかで待ち合わせをしたい、なんて事は望みすぎでしょうか。
 機関の訓練で文字通り体に教え込まれた基本動作なら、その気になれば物音一つ立てずに移動する事など容易い事。
 そんな驕りがあったせいなのか……そもそも涼宮さんに一般常識を当てはめる事に無理があったのか、
「古泉君?」
 僕が彼女から離れようと足を一歩踏み出した動きに引っ張られるように、彼女の顔が振り向いていた。
 その顔は驚いているようで、
 急なバイトが、ちょっとトイレに、下から様子を見てきます……だめだ、急に動きを止めてしまった今ではどの言葉も不自然
に感じるだろう。準備していた言い訳は一つとして言葉にならず、ポケットの中では機関特製の携帯電話が無音で振動を繰り返
している。
 考えるまでもない。ここで彼女の機嫌を多少損ねる事になったとしても、世界崩壊の危機を防ぐ事よりも優先する事など存在
しない。
 それに、そもそも僕がこの場を離れる事で。彼女にそれ程ストレスがかかる事もないはずだ。
 僕は「彼」ではないのだから――
 何故だろう、当たり前に思っていたはずのその言葉を、今は納得する事ができない。
 いったい僕はどうしてしまったんだ? まさかこれも彼女の能力? 
 機関に入って初めて、振動を続ける携帯電話を無視し、僕は出口ではなく涼宮さんの方へと歩いて行き――手すりの前に立つ
彼女の隣に立った瞬間、携帯電話の震動が止まった。
 
 
 さて、これでようやく僕と涼宮さんの話は終わりです。
 この後に起きた事を簡単に言えば、急に歩き出した長門さんを追って彼も歩き出し、僕と涼宮さんも少し離れてそんな二人を
追いかけました。図書館の入口で別れた二人を見送った後、涼宮さんの指示で図書館の裏口から建物を出た所で僕の方から私用が
出来てしまったのでと解散を申し出た――まあ、そんな所ですね。
「今日は変な事につき合わせちゃってごめんね?」
 僕も楽しかったですよ。
 結局、ここに来た意味はわかりませんでしたけどね。
「あのさ、古泉君。本当はさっきバイトの連絡とかきてたんじゃない?」
 ……実は、はい。
 思わず浮かんでしまった表情を、誤魔化す事はできなさそうだ。
「ご、ごめんね?」
 いえ、今から行けば間に合いますから。それよりも、最後までお付き合いできなくてすみません。
「そんなの気にしないで? また今度デートすればいいじゃない。じゃあまたね!」
 笑顔で手を振る彼女の元からしばらく歩いた所で気づく……涼宮さん、また今度デートって言いませんでしたか?
 振り向いた先にはすでに涼宮さんの姿は無く、立ち尽くす僕だけが残さ「古泉、状況を報告しろ」
 声ではなく気配で誰なのかわかってしまう、間違えようも無いこれは森園生の気配。
 冷や汗を流す間すらない、本当の意味で機関の訓練を受けた彼女だけがもちえる無機質な空気。
 普段であれば、絶対的な信頼感を感じられるその存在が今は恐ろしい。
 死角にいつの間にか立っていた森さんの姿に、危害を加えられる事など無いと分かっているのに体は勝手に生命の覚悟を始める。
「どうした」
 無駄な言葉、無駄な表情、無駄な動作。その全てを否定している様な彼女の動作は、ある意味出会った当初の長門さんに近い気が
する。……いえ、長門さんは僕達との出会いから少しずつ変化してきていますが、森さんには言葉通りの意味で一切の変化がない。
 ほ、報告します。彼女の依頼により市立図書館にて
「違う、今日の行動は全て監視していた。聞きたい報告は一つだけ、何があった」
 痛いほど大きく心臓が跳ねる。
 彼女は聞きたいのだ、何故、召集に応じなかったのか? と。
 正直に言えば、自分の取った行動だというのにその理由は今だにわからないでいる。
 そんな言葉で納得してもらえる相手ならいいんですが。
 上手い言い訳――そもそも彼女にいい訳が通じた事などないのだけれど――を必死に考える僕の姿を、質問の意味がわからないと
取ったのだろう。森さんは感情の無い声で続けた。
「数分前、閉鎖空間が突然消滅した。内部には能力者が入ったばかりで、神人は討伐される前に自壊するのが目視で確認されている。
彼女の傍に一番近くに居たのはお前だ。何があった、答えろ」
 神人が消えた?
 そんな事はありえない、根拠などは無いが能力者としてそれは言いきれる事実のはず。
「……待機に戻れ」
 僕から有益な情報を得る事はできない、そう判断したのだろう。気づいた時にはすで森さんの姿は無く、ようやく僕は一人取り残さ
れる事ができました。

 


 ――――

 

 すみません、ちょっと心の整理をつけたいので語り手の交代をお願いできませんか?

 

 それはまあいいんだが……古泉、何があったんだ? 顔色が真っ青を通り越して真っ白だぞ。

 

 ――――

 


 長門と図書館へ出かけた翌日、俺の気持ちを代弁するように天気は不安定で、空を流れる雲は生き急ぐ様にアクセルを踏んでいる。
 やれやれ、これは雨でも降りそうだな。
 梅雨にはまだ早すぎるし、中途半端に降り続けられるくらいなら盛大に降ってくれればいいと思うのは俺だけだろうかね? そうす
れば雨があがれば過ごしやすい天気になると思うんだが。
「よ、キョン。なんだお前傘なんて持ってんのか? 今日は荒れた天気になるが雨は降らないって天気予報で言ってたじゃねー……あ? 
うぉわ! 降ってきやがった!」
 なんていうか、色々とお疲れさん。
 備えあれば憂いなし。
 鞄で頭をかばいながら坂道をかけのぼる谷口を生温かい目で見守りつつ、俺は手持ちの傘を開いて零れて来た大粒の雨から身を守った。
 ――天気が悪いせいで電気を付けた方がいいんじゃないかと思う程薄暗い教室、俺の後ろの席に座る約一名は無駄にご機嫌だった。
 本当に無駄だ。
「おはよう!」
 はい、おはようさん。
 今日は何を言い出すんだ? そう思って次の言葉を待つ俺だったが……っておい、それで終わりかよ? ハルヒはただ笑顔を隠しきれ
ないといった顔をしているだけで何も言ってこなかった。
 触らぬ神に祟りなし、触らなくても祟る神には処置なしってな。いつになくテンションの高いハルヒに突っ込みを入れないまま授業は
進み、結局一日中ハルヒはご機嫌だった。
 それはまあそれで異常事態だったんだが、今日はもう一つ異常事態が起きていたらしい。
 俺がその事に気づくのは、放課後になってからの事だ。
 

 

 「は~い」
 その甘い声に思わず頬を緩ませながら部室のドアを開けると、部室の中に居た朝比奈さんは――この世の終わりってのはこの事だろう
――俺の顔を見て急に笑顔を曇らせてしまった。
 あ、朝比奈さん? 
 戸惑う俺を残して、朝比奈さんはそそくさとポットの前へと逃げて行ってしまう……。
 な、何がいったい朝比奈さんの機嫌を損ねる原因になってしまったんだ? どうか問題点があったなら言って下さ「いつまでも入口で
立ってたら通行の邪魔よ。さっさと入りなさい」
 必死に自分の落ち度を探す俺の後頭部を、ハルヒの掌が思考ごと張り飛ばした。
 頭を抱えつつ部室の中を見回すと、いつもより落ち込んだ顔の朝比奈さんと人の頭をどついておいて鼻歌まじりのハルヒ。この二人し
か居なかった。
 あれ、長門も古泉もまだなのか。
「あの。古泉君はアルバイトがあるみたいでもう帰ってしまいました。長門さんは私が部室に来た時は居ませんでした」
 朝比奈さん、どうかそんな落ち込んだ顔で言わないでください。貴女の機嫌を損ねる原因が俺にあるのなら俺が出ていきますし、他に
原因があるのなら相談でもなんでもしてください。
「二人が居ないなんて珍しいわね」
 いつもより人口密度が薄い部室内で不思議な程上機嫌を保つハルヒと、ハルヒに笑顔の元を奪われてしまったかのように落ち込んだ
朝比奈さんの二人と過ごす放課後の活動は殆ど会話もないままに時間が過ぎていく。
 古泉、普段お前を毛嫌いして悪かった。だから帰ってきてくれ? 頼む!
 そんな俺の願いは天に届かず、結局長門も顔を出さないまま――ハルヒが勢いよく立ちあがった――今日の活動は終わったらしい。
「じゃ、今日はここまで。……キョン」
 なんだ。
 殆ど誰とも会話もない時間と、朝比奈さんの悲しげな視線を受け続けた俺の体力はすでに活動限界寸前だ。
「あ~えっと。……なんでもない! じゃあまたね!」
 照れ笑いににも似た笑顔を浮かべて、ハルヒは俺と朝比奈さんを残して部室を出て行った。
 あいつはいったいどうしちまったんだ? なんて気を使う余裕もない。
 じゃあ、俺も帰りますね。
 と言って立ち上がる俺を見ている朝比奈さんの視線は、悲しげなままで……本当に何かあったんだろうか?
 視線が合うたびにそっと俯く朝比奈さんを見るたびに、文字通り俺の心は振り回される訳で……すんません。
 口を開く事もなく俯いている朝比奈さんに小さく頭を下げ、俺も部室を後にした。
 落ち込んだ俺を迎えてくれるのは曇った空と降り続く弱い雨、不安定な大気は俺の期待には応えず持久戦をお望みらしいな。

 


 いくら部室専用のエンジェルとはいえ朝比奈さんだって人間だ、たまには情緒不安定になる事もあるんだろう。
 翌日、偶然出会った朝比奈さんは昨日の寂しげなお顔を思い出せない程にいつも通りで、俺は昨日の様子について聞くような事だけはしな
かった。
 触らぬ天使に涙なしって言うだろ?

 

 図書館 終わり


 「誓い」へ続く

 

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