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 「結婚」より 

 

 イージス艦が潜水艦を目視距離まで見つけられなかった事件で、イージス艦の性能を疑うのは
間違っている。イージスシステムは対空におけるレーダー機能であって、海中までをも見通す力
はない。
 どこから仕入れてきた無駄知識何だかしらないが、先日谷口はそんな事を力説していた。
 が、そんな例や日本の防衛能力等どうでもいい程に俺は今驚いている。
 絶対的な信頼感を持つ存在が、こんな出来事で揺らぐはずがない。はずがないだろ?
 ――だが、どうみても俺の隣に座る長門は青白い顔をしていて、乗っているバスが揺れるたび
に緊張した表情になっている。
 大丈夫か? 降りた方がいいんじゃないのか? そんな俺の言葉をことごとく拒否し、降車釦
を押そうと伸ばした手は小さな白い手に掴まれて阻まれてしまう。
「大丈夫……」
 今のセリフだけでも大丈夫には聞こえないぞ?
 ――事の始まりは先日の事である。


「おいキョン、お客さんだぞ」
 昼休みの教室、暖かな日差しを受けて静かな眠りにつ「お~い起きろ~」
 ええい揺さぶるな。誰だ俺の貴重な睡眠時間を邪魔する奴は?
 はっきりしない視線に立っているのは……俺はまだ寝ぼけているのか?
 俺の目の前に居たのは不満げな谷口と、机の一部を見るような視線を送っているのは長門だった。
「ったく、世の中絶対間違ってるぜ。なんであいつにばっかり……」
 意味不明な愚痴を残して谷口は自分の席へと去っていき、残された長門は何も言わないまま俺に
何かを訴えている。多分。
 珍しいじゃないか、どうかしたのか?
 沈黙する長門から差し出される1枚のA4紙、そこにはワード慣れしていない人が作ったのであ
ろう改行にくせのある文章が記載さえている――何々? えー……定期絵本の読み……聞かせ?
 その後の長門の解説によれば、だ。
 去年までの文芸部、つまり長門が入部する前の文芸部では図書館で行われる幼児向けの絵本の読み
聞かせに参加していたらしい。なるほど「創造的かつ活力ある学校生活を送るに相応しいもの」と
まではいかないが真面目な活動内容じゃないか。
 それは中々好評だったらしく、今年も是非に……と学校に連絡が来たらしい。そして唯一の文芸部
員である長門に話が来た……とそんな所なんだな?
「そう」
 なるほどね、それにしても絵本の読み聞かせか。朝比奈さんが絵本を片手に子供たちに囲まれてい
る姿は何とも絵になるだろうな。
 ハルヒは話を聞かない子供と同レベルの喧嘩を始めそうで早くも気が重い。
 実施日は明日か、ずいぶん急な話……ん、まてよ。明日は確か――そうだ、ハルヒがみんなで鶴屋
さんの家に遊びに行くとか言ってた日じゃないか。


「キョン、私達はSOS団なのよ」
 そうだな。とりあえず俺の目の前にあるこの指をどけてくれ。
「だったらどっちが優先順位が高いかくらい小学生でもわかるじゃない。それとも何、団長である
あたしの命令よりこのA4紙一枚を優先するわけ?」
 とりあえず落ち着け。俺はただ状況を報告しただけだ。
 放課後の部室、予想通りの反応を示すハルヒに俺は予定通りの溜息をつく。
 そんな俺を優しい眼差し見守って下さる朝比奈さんと、いつもより何かしらの感情が入り混じって
いる様な気がする視線を送る長門。それと営業スマイルの古泉。最後に、さあ食べようと思って箸を
伸ばした肉を、直前で持ち去られた様な顔で俺を睨むハルヒが居る。
 こいつの事だ、一度決めた事を変更する訳がないよな。それはわかってたさ。でもまあ、長門が
わざわざ休み時間に俺を訪ねて来てくれたんだ、せめて代わりにハルヒに伝える事くらいはしてやり
たいだろ? それに意味は無いだろうけどな。
 だがしかし、俺が何を言うまでもなくハルヒの表情が勝手に怒りから笑顔に変わっていく。
「……そうね、でもまあ部室を使う以上は文芸部としての活動が0ってのも問題があるかもね」
 おい、何を思いついたんだ? そのまま言わずに心に閉まっておけ。
 小悪魔どころか大魔王の様な邪悪な笑みを浮かべるハルヒは、ふっふっふと小さく肩を揺らしながら
笑って俺を見ている。
 猫ってたまにこんな顔するよな、どうでもいいけど。
「キョン。じゃああんたは明日、別行動ね」
 は?
「だーかーら、別行動。その絵本の読み聞かせだっけ? そっちにはあんたが行ってきてよ」
 ……そうきやがったか。
 大魔王のくせに子供みたいな発想だな、まあ本当に大魔王的な発想をされるよりはよほどいいが。
 へいへい、わかったよ。
 どうせ文句を言っても無駄なんだ、大人しく同意しておいた方がいいだろ。
 そう考えてあっさりと承諾した俺なのだが、
「え?」
 俺の返事がそんなに予想外だったんだろうか、ハルヒは口を開けたまま俺を見て固まっている。
 更に
「私も行く」
 まるで美術室に置いていた石膏像が突然喋ったのかと思う程に俺は驚いた。いや驚くだろ?
 なんせその言葉は、窓際に座る長門から発せられたものだったのだ。
「そ、そう。……じゃあ有希、お願い」
 ケーキの箱を開けたら中身は空だった。そんな感じに脱力した声でハルヒは呟き、俺と長門での
図書館訪問はこうして現実の物となったのさ。


 ――そして翌日である今日、いつもの市民図書館ではなく町はずれにある小さな町民図書館に
向うバスの中で、俺は自分の中の認識を根底から覆される事態に遭遇している訳だ。
 もしかして何か宇宙的、あるいは未来的、さらには超能力的な何かのせいで体調が悪いのか?
と聞いた俺に、長門は首を横に振った。どうやら本当にバスが苦手なだけらしい。
 目的のバス停まで後……だめだ、30分はある。
 いよいよ前傾姿勢になりはじめた長門を目にして――許せ長門――俺は降車釦を押した。


 大丈夫か?
 頷く長門の目じりには涙の跡が見える。
 バスから降りた後、近くにあった公園に移動して十数分。その間の詳しい描写は省略する。
 その方がいいに違いない。 
「……」
 長門、そんな悲しそうな顔するな。誰だって……まあ、お前がこんな状態になったのは予想外に
も程があったが気にする事じゃないんだぞ? マジで。
 いつもより小さな首肯。
 やれやれ。
 ほら、これ。りんごジュースでよかったか? そうか、ちょっと休んでから行こう。
 そこのベンチに座るといい。
 制服だと締め付けがあるからきついぞ、ちょっとゆるめたらどうだ。
 ――俺に言われるままに行動する長門、これだけ素直なのも珍しいな。
 休日の公園は閑散としていて俺達以外には子供が数人走り回っているだけだった。
 長門の隣に座って例のA4紙を取りだして確認してみる。
 開始時間は……まだ1時間はあるな、早めに出てよかったぜ。それにバスのルートは目的地へ
行く間に大きく遠回りをしているらしく、地図を見る限りここからなら歩いても間に合いそうだ。
「もう、平気」
 そう呟く長門の顔は、まあさっきと比べればだいぶ良くなっているとは思うが……。
 長門、まだ時間はあるみたいだしもうちょっと休んでも大丈夫だぞ?
 すでに立ち上がっていた長門は俺の言葉にしばらく固まった後、再びベンチに座りなおした。
 柔らかな日差しの中、のんびりとした時間が過ぎていく。
 俺はそれを退屈な時間だと……まあ、普通なら思うんだろうけどな、今日はそうでもなかった。
 何故なら、いつもの様に本を読んでいるのではなく公園の中を見回している長門の視線を追って
みるのは意外にも楽しい。
 どうやら今はブランコを見てるようだ。お目が高いな、高校生になった今でも人の目が無ければ
つい乗ってしまう魅惑的な遊具だ。年齢に応じたトリックがあるのも高評価に繋がっている。やはり
宇宙人とはいえブランコには耐えがたい魅力を感じるのだろうかね? 
 次はジャングルジムらしい、危険だとか言いだした大人のせいで今では殆ど見かけなくなっち
まったな。寂しいぜ。
 続いて砂場、素手で掘り続けると皮膚が薄くなって危険なんだ。あれは。
 そして俺、ああ俺か。
 自分の視線を追われているのに気づいたのだろう、長門は俺の顔をじっと見ている。
 さて、俺はここでなんて言えばいいんだろうな?
 本気で迷っていた俺を見て、
「ありがとう。もう大丈夫」
 唇の端を僅かに持ち上げつつ、長門はそう呟いた。
 少しずつ、でも確かに長門は人間らしい仕草を身につけていっていると俺は思う。
 俺はその変化が嬉しくて、不思議そうな顔をしている長門の頭をくしゃくしゃと撫でてやった。


 地図を片手に歩く公園から町民図書館までの道のりで、俺と長門は色んな事を話した。
 といってもまあ、俺が話して長門が短く返事を返すか頷くだけの傍目に見れば一方的なコミュニ
ケーションだったんだけどな。
 今日読む本ってのは向こうで決められてるのか?
「図書館で選ぶ」
 ああ、選べるのか。ジャンルは絵本だけど長門はどんな本を読むのかもう決めてるのか?
「もしあれば、読みたい本がある」
 なんて本だ?
「……秘密」
 そうかい、じゃあ楽しみにしておこう。
「お勧めがある」
 俺にか?
「そう」
 なんてタイトルだ?
「ぐりとぐら」
 懐かしいな、俺も読んだ事があるぞ。
「貴方に似ている」
 俺に? 誰が。
「ぐり」
 ……俺にはぐりとぐらの違いは色しかないと思うんだが、違うのか?
「違う。貴方に似ているほうが、ぐり。似ていないのが、ぐら」
 そうか、わかった。次に読む時は注意して読んでみるよ。
「似ている」
 俺の顔を見て確信するように頷く長門、さて……これは喜ぶべき事なんだろうかね?
 そんなこんなでようやく俺と長門は町民図書館に到着した。入口には「絵本の読み聞かせ」と書かれ
折り紙の星で飾られた手作りの看板が置かれてあり、入口の脇には所狭しとベビーカーが並んでいる。
 それを乗り越えた先にの玄関には、子供用の小さな靴が敷き詰められていた。
 ……まあそれだけならいいだろう、うん。だが中から聞こえてくるこの聞き覚えのある声は……。


「うん! とこしょ……どっ! こいしょ……まだまだかぶはぬけません……さあみんな! あたしに
ちからをかしなさーい!」
 続いて建物に響き渡る甲高い子供の大合唱。
 うんとこしょ! どっこいしょ!
「だめだめー! そんなちっちゃなこえじゃかぶはぬけないの! さあもういっかい!」
 幼児室の中央で椅子の上に立ち、主に男の子の人気を独占して大声を張り上げているのは……言う
までもないよな、それはハルヒだったよ。
 ついでに鶴屋さんも子供に混じって大声を上げていたりする。
 うっわー違和感ないなあ。


「真っ暗の空、家の屋根にはねこ。屋根の上が明るくなってきて、お月さまの登場です。おつきさま 
こんばんは」
 部屋の片隅、大人しい女の子達に囲まれて絵本を読んでいる朝比奈さんのお姿も見える。


 ついでに古泉はといえば何故か保護者、まあわかりやすく言えば主婦の方々に囲まれて困り顔だ。
まあいい、あいつは放っておこう。


「よんでー、ねーねー! これよんでー」
 そんな光景に、思わず部屋の入口で立ちすくんでいた俺と長門の足元にいつの間にか子供たちが
絵本片手に群がっていた。
 色とりどりの絵本の中に、見覚えのある絵が見えている。
 お、それはぐりとぐらじゃないか。
 俺はさっそく絵本を受取ると空いている場所へと移動して座った、さっそく取り囲んでくる子供達は
期待した目で俺の言葉を待って……長門、お前も聞くのか?
 首肯。
 そうか、まあいい。いいかーはじめるぞー? 頷く子供たちが聞く体制に入ったのを見て、俺は
所々かじった跡のある絵本を開く。
 さて、俺がぐりに似てるってのは本当なのかね?
 ……森へ どんぐり拾いに出かけかけた 野ねずみの ぐりと ぐら――。 


「いっやー! 久しぶりに来たけどおっもしろいねー図書館!」
 そうですね、言えませんけど鶴屋さんが誰より楽しそうに見えましたよ。
「本当に楽しかったですー」
「みくるちゃんが一番真剣だったわよねー。子供達より」
 絵本の読み聞かせはその後予定時間を2度も延長し、大好評の中で幕を閉じた。
 まあそれはいいさ、でも何で……って聞くのは野暮ってもんか?
「さあ? どうでしょう」
 何事も無かった様に俺と古泉の少し前を歩くハルヒ達、時折見えるその横顔は絵本の続きを待って
いる子供達の様に楽しそうで俺の「何でお前らが図書館に居たんだよ」なんて言葉を封じ込めるには
十分だった。
「あ、あんたのその顔はなんでお前らが図書館に居たんだよって顔ね」
 振り向きざまにハルヒが俺の顔を睨む。
 ……それはどんな顔だ。
「こんな顔よ」
 ええい、人の顔を指差すな。子供達が見てるんだぞ!
「え、ああそうね」
 歩道には俺達と一緒に図書館を出た子供達が溢れかえっている、その内の何人かはハルヒに熱狂的
な視線を向けていて、どこまでもついてきてしまいそうな雰囲気すらしていた。
 おいハルヒ、そろそろこの子供達を何とかしないといけないと俺は思うんだが。
「そうね、あんた達そろそろ家に帰りなさい」
 途端にあがる不満の声、まあそうだよな子供に理屈なんて物は通じやしない。
「えっと、あの、その。あんまり遅くなるとお母さんが心配しちゃうから、ね?」
 と朝比奈さんが優しーく諭しても子供達に変化はない。俺なら即座に「はい!」と言いそう
なんだがな。
「いーい。大人しく家に帰って、お母さんとお父さんの言う事をちゃんと聞いたらまた絵本を読みに
来てあげる。今度は今日の絵本なんかよりももーっと面白い話を聞かせてあげるわよ?……それでも
帰らない?」
 もっと面白い話、それがなんなのか興味を引いたのだろう。一人、また一人と手を振りながら来た
道を戻りはじめる。
 やれやれ、どうやら今日は何事もなく終わってくれたようだな。
 ついてきていた子供の最後の一人が手を振り去っていく、その子に大きく手を振り返しながら
「気をつけて帰るのよー! そしていずれはSOS団に入るんだからねー!」
 ……それが狙いだったのかよ、ハルヒ。
「考えてみれば小さな頃から洗脳しておくのは確かに有意義な事ね、SOS団員としての英才教育を
あの年齢から始めればきっと優秀な団員に育つはずよ! そうよね古泉君」
「先見性のある素晴らしい発想かと」
 ハルヒはイエスマンとなった古泉相手に、不吉な未来予想図を嬉々として語っていた。
 ――ん? 誰かが俺の服を後ろから引っ張っている。
 振り向いてみると、そこに居たのは長門だった。
「ありがとう」
 えっと、何がだ?
「公園で」
 あ、ああ。あの事か。気にするんなって。誰だって体調が悪い事はあるんだ。
 とまあ思い出させない様に話をはぐらかす俺を、長門は静かに見守っている。
 それより長門、お前が秘密にしてた読みたい本って結局なんだったんだ?
「……秘密」
 その割には言いたそうにも見えるんだが……でもまあ、読む時になれば教えてくれるか。

 


 世の中は絵本の中の様には進まない、現実って奴はたまに目を背けたくなるほど厳しい事もある、

それは知ってるさ。
 それでも――もしも願い続ける事で願いが叶うなのなら、少しずつ表情豊かになってきた長門が本当に
笑顔で笑える日がくる事を俺は願っていよう。
 また、図書館に行こうな。
 俺の言葉に頷く長門は、夕日に照らされていたせいか素直に笑っている様に見えた。

 

 

 文芸部「酔い覚まし」 終わり

 

 図書館へ続く

 

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