あいかわらず暑い。それもただ気温が高いだけでなく、湿度も高く蒸しているからたちが悪い。時期にして九月、季節は夏から秋に変わり始めているはずなんだが、近年の夏の張り切り方は少々異常だ。おかげで「秋らしい」気候を感じられるようになるのはまだまだ先になりそうだ。

 

九月といえば、夏休みも終わり、授業が再開して再び勉学に励まざるをえなくなる月だ。そして受験界においては「命」ともいわれるこの夏休みを終えた全国の受験生たちが、過去問を解くなどの本格的な受験勉強に本腰を入れ始める頃でもある。
夏はとりあえず知識を蓄え、秋から志望校にあわせた勉強をするのが基本だからな。
もちろんこれがすべての人にあった正しい受験勉強のやり方ってわけではないけどな。

 

 

さて、受験生が勉強をする、これはまったく不自然なことではない。しかしこの俺、実はまだ受験生ではないのである。極みを論ずれば学生の本分は勉強であることに違いいのだが、まだ別に頑張らなくてもいいだろう・・・というのが正直なところだ。まあ高校に入って勉強を頑張ったことなどあまりないが。ちなみにさっきの受験勉強云々の話は、学校で配られた受験に関する小冊子に書いてあったことだ。学校側の、そろそろ生徒達に受験を視野にいれてもらいたいという意図がひしひしと伝わってきたが、受験なんてまだまだ先のことさ。

 

だから、いつものように扉を雷のような音をたてて開いて部室に入ってきたハルヒが、こんなことを言い出したときには、さすがに勘弁してくれと思ってしまったわけだ。

 

 

「みんな!模試を受けるわよ!それもただの模試じゃないわ!全国模試よ!」

 

ただの模試がどのようなものかそもそも定義できないし、それが全国模試になったところでいまいち俺にとってはサプライズ要素にはならなかったのだが、模試という言葉はいただけない。「模試=テスト、テスト=悲惨」だからである。俺はそのときおそらく呆れ顔とも困り顔ともとれる顔をしていただろうが、ハルヒはそれを驚嘆の意の表れととらえたらしく、満足気に話を続ける。

 

「ほら見て。大手塾主催の全国模試よ」

 

ハルヒがさしだしたチラシには、どちらかといえば勉強に興味のない俺でも聞いたことのある塾の名前と、日程等の模試の詳細が書いてあった。朝比奈さんや古泉が内容を確かめようと覗き込む。長門は読書をやめない。俺はチラシをざっと見て、ハルヒに問うことにした。

 

 

「なんでまた急に模試なんだ」
「決まってるでしょ。わがSOS団の学力向上のためよ」

 

なんだと?模試ってのはテストだろ?自分の力を試すだけのもんじゃないのか?

 

「模試をうけることが学力向上に直結するとは思えないんだが」
「こーのアホキョン!いい?勉強ってのはね、めざすものがあったほうがやりやすいもんなの。ただやみくもに勉強するよりも何か目標があったほうが燃えるでしょ?」

 

いかなる状況においても俺が勉強に燃えるようになるとは思えんがな・・・。

 

「模試でいい点をとるために勉強するから学力があがるってか?それだけなら別にわざわざ金払って受けなくても・・・」
「だからあんたはアホキョンなのよ!あんたまさか模試をうけたら結果だけ見てポイするつもりなの?」

 

つもりどころか今までずっとそうだったよ。

 

「ハァ・・・。あのねー、模試っていうのは答えあわせはもちろんのこと、返ってきた結果を見て、自分の苦手なところがどこなのか、自分に足りないのはどこなのかを確認して今後の勉強に活かすために受けるものなの。あんた模試のこと全然わかってないわね」

 

さっきから言われたい放題だな。しかし事実をついているだけに反論できないのが苦しいところだ。

 

「朝比奈さんはもちろんのこと、僕たちも来年には受験生ですからね。今のうちから意識を高めておくのはとてもいいことだと思いますよ」

 

古泉がチラシから顔を上げて言う。まあお前は模試なんて余裕だろうからな。なんとでもいえるんだろう。

 

「そうですね・・・。私も最近模試を受け始めましたけど、やっぱり早いうちに体験しておくにこしたことはないと思います」

 

なんと!・・・朝比奈さん・・・あなたまで何を?・・・いや、朝比奈さんも受験生だ。模試をうけるなんていたって普通のことか・・・。

 

「じゃ、そういうことでみんなで申し込むわよ。もちろん一番出来が悪かった人は罰ゲームだからね!」

 

ん?最後によろしくない言葉が聞こえた気がする。

 

 

「一番出来が悪かった人は・・・スマン、なんだって?」
「だ~から罰ゲームよ罰ゲーム。そのほうが燃えるでしょ?」
「いやしかしだな・・・」

 

あまりにも見え透いた結果にめまいを覚えつつも、俺は必死でこの危機を回避する方法を模索する。

 

「・・・そうだ。朝比奈さんはどうなるんだ?違う学年なんだし同じ基準じゃ計れないないだろ?」

「関係ないわそんなこと。満点に対する得点率で競えばいい話でしょ?」

 

なにがいい話なのかはよくわからなかったが、どうやらもう何をいっても無駄なようだ。

 

 

その後、俺たちはチラシで模試の詳細を確認した。日程は一ヶ月ほど先で、申し込みの締め切りはあさってだそうだ。本当に急な話だな。試験範囲の指定は特になく、同じ日に三年生の模試もあるらしい。

 

俺たちと違って受験生である朝比奈さんを巻き込むのはそろそろやめさせようと思っていたが、模試の受験はためになることだろうし、ほかならぬ朝比奈さん本人が受けたいといっているのだからしかたない。ハルヒの提案というか命令により、俺たちは明日中に各自申し込みを済ませることになった。受験料はコンビニ振込みだそうだ。

 

その後はいつもの団活だった。長門が本を閉じ、俺たちは家路につく。団員と別れ、家に帰り着いた俺は、部屋で自分の置かれた状況を分析した。このままではまず間違いなく俺はビリだ。そして当然ハルヒの容赦ない罰ゲームを受けることになる。そもそもフェアじゃねーぜこの勝負は。なにせ周りにいる同学年は万能少女と完璧宇宙人、そして特進クラスの超能力者だ。同学年ではない朝比奈さんの成績は知らないが、俺より悪いということはないだろう。普通に考えて、周りのメンバーの実力が落ちるというのは期待できない。となれば・・・俺が伸びるしかないか・・・、とそこまで考えたところで、携帯が震えた。

・・・古泉か。とりあえず出ておいてやるか。

 

 

「どうも。こんばんは」
「なんだ。罰ゲームを受けずに済む方法なら喜んで聞くが」
「それはあなたしだいです」

 

そんなこと・・・か。いってくれる。俺にとっては死活問題なんだぞ。毎度の罰ゲームで俺の財布はやせ細ってるんだ。今回の罰ゲームが金がらみかはまだわからんが、これ以上財布にダイエットをさせたくはない。

 

「それよりもあなたが今回の涼宮さんの提案の意図を汲み取れていないのではないかと不安になりまして」
「ハルヒの意図・・・ね」

 

思えば自分のことで精一杯で、ハルヒの思うところなど気にしている余裕はなかった。

 

「ま、大方俺を困らせたいんだろ。長門やお前の頭がいいのはあいつも知ってる。罰ゲームに関してはありゃどう考えても出来レースだぜ」
「なるほど。電話をさしあげたのは間違いではなかったようです」

 

どういう意味だよ。それ以上深い意味があるってのか?

 

「・・・涼宮さんはあなたの学力を心配しているんですよ。このままだらだらと今の成績のまま三年生になれば、受験に苦労するに決まっているとね」

 

あいつが心配か・・・。いまひとつ想像できないな。

 

「それが本当だとしても大きなお世話だよ。俺はお前らと違って超人じゃないんだ。そんなにすぐにいい点数がとれるようになるわけないだろ」
「・・・今回の模試はあくまできっかけです。これを機にあなたが少しは勉強をするようになればいい、そう考えているのだと僕は思いますよ。まあ涼宮さんの考えに関してこれ以上僕からいうことはありません。一応いっておきますが、あなたがそれなりの成果を見せてくれないと我々も困ります。なぜかはわかりますね?」

 

ハルヒが閉鎖空間を発生させるってのか?自分で勝負を持ちかけておいて俺が負けたら閉鎖空間とはまったく勘弁して欲しいぜ。

 

 

「・・・とにかく時間はあと一ヶ月と少ししかありません。僕がお手伝いできればいいんですが、最近涼宮さんの精神が不安定でしてね。バイトが多いもので残念ながら時間がありません」
「誰もお前には頼んでない。それよりなぜあいつの精神は不安定なんだ?」
「まあ・・・至極単純なんですが、暑いからです」

 

・・・は?

 

「まったくもって簡単な理由です。温暖化で年々上昇する夏の気温に、涼宮さんは毎年辟易しています。特に今年は暑いですからね」

 

俺はあいつが暑さにイライラしていたところを何回か見かけたことを思い出した。
だがそんなことで・・・ある意味でわかってはいたがあいつもつくづく単純だな・・・。

 

「自然の営みはどうしようもありませんからね。ところで話は戻りますが、模試の件、よろしければ機関から家庭教師を派遣しますが?」
「お断わりだ」

 

俺は即座にそう答えた。機関の人間とのマンツーマン講義なんてスパルタしか想像できない。

 

「そうですか・・・。こちらも出来る限りあなたの意見は尊重しますが、
それではなんとかする当てはあるんですか?失礼ですが誰かの力を借りたほうが・・・」
「わかってるよ。俺だって自分の実力くらい理解してるさ」
「・・・ではお願いします。健闘を祈っていますよ」

 

携帯を机の上に置いた俺はベッドの上に寝転がり、どうしたもんかと思案した。

 

機関には頼りたくない。朝比奈さんは一応受験で忙しいだろうしなぁ。長門は・・・いや、そもそも一応SOS団のメンバーはライバルなんだ。そんな相手に教えを乞うというのは、かなりかっこ悪いことじゃないか?ここにきてうすっぺらいプライドが俺の前にたちはだかるとは思わなかったが、男として、敵に頭をたれるのはやはりはばかられる。

 

ならば・・・そうだ。こんなに身近に適任者がいるじゃないか。国木田に教えてもらおう。
あいつなら頭もいいし、確か塾にもかよってないから教える時間はあるはずだ。もっともあいつにも都合ってもんがあるからな。OKをもらえるかはわからないが、とりあえずあいつに聞いてみよう。

 

成功するかはわからないがとりあえず一つ策がうかんだことに俺は安堵し、その日はぐっすりと眠ることが出来た。翌日、俺の計画は予期していなかった形でいきなり狂うことになる。

 

 

朝、坂道をゆっくりと登る。まったくふざけた暑さだ。ハルヒがイライラするのもわかる気がするな。学校に着き、教室に入って席に座る。あとは国木田が来るのを待つだけ・・・のはずだった。しかし谷口の持ってきた情報が、少しばかり俺の興味を引く。

 

「今日、うちのクラスに転校生が来るらしいぜ」

 

転校生か・・・。夏休みがあけたばかりであることを考えれば不自然なタイミングではないな。もっとも不自然さがなかったところで我らが団長の目にとまらずに済むとは思えない。ご愁傷様だ。そんなことを考えているうちにチャイムが鳴り、俺は国木田に特別授業を頼む機を逸した。まあHR後に言えばいいさ。

 

「あー急なことだが、今日うちのクラスに転校生が来ることになった」

 

まだ情報を得ていなかったクラスの連中が、岡部の言葉を聞いて少しざわつく。
俺は前情報のおかげで大して驚かずにすんだが、次の岡部の言葉が俺を戦慄させた。

 

「まあでもな、実はお前らの中にも知ってる奴がいるはずなんだ。一年の頃、五組で委員長をやっていたからな」

 

 

言葉の意味を理解するのに三秒ほど時間を要した。得られた理解が、俺の背筋に寒いものを走らせる。青い髪を優雅になびかせて教室に入ってきたのは、俺の中で消えないトラウマとして残る女、朝倉涼子だった。

 

朝倉が発した儀礼的な挨拶など俺の耳には入ってなかった。ただ目は朝倉に釘付けになり、それ以外の視覚情報を受け付けない。HR終了のチャイムで我に返った俺は、席につこうとする朝倉を尻目に教室を飛び出した。いろいろ聞きたいことがある。あの灰色髪の宇宙人に。

 

教室で読書をしていた長門のもとにつかつかと歩み寄り、そのまま一緒に出て行った俺は、長門のクラスの連中の目にはさぞ奇妙な人間に映ったことだろう。もうすぐ授業が始まるというのに、俺は部室まで長門を連れていって状況説明を求めた。

 

 

結論からいうと、朝倉は長門のバックアップのためにまた再構成されたらしい。最近はハルヒの精神状態が不安定なので、観察する側にもそれなりのキャパシティが求められるということだが、・・・お前だけじゃだめなのか?

 

「現状では私だけでも問題はない。しかし最近見られるよう涼宮ハルヒの精神の不安定性が今後さらに進行すれば、
それだけ観察すべき事項も増える。再構成はすぐに通るものではない。だから先に申請しておいた」

 

いやしかし・・・たかが暑いってだけだろ?それによりによってあいつとは・・・。俺は一体どう接すればいいんだ?

 

「大丈夫、彼女は今情報制御能力を対象の観察に支障が出ない範囲で極端に制限されている。またあなたを襲うことはありえない」

 

そう願うよ。俺はまだまだ生きたいんでな。

 

長門は律儀にも今から一時間目にでるつもりらしく、スタスタと自分の教室に戻っていった。時間が中途半端だったので、俺はそのまま部室に残って一時間目はサボることにした。

 

 

一時間目の終了を告げるチャイムが鳴り、俺は教室に戻った。朝倉は休み時間をクラスのやつらの質問を受ける形で無難に過ごしているらしい。谷口や国木田も積極的に話しかけているようだ。コミュニケーション能力には事欠かないやつだからな。クラスにもすぐ溶け込むことだろう。

 

ハルヒは朝倉の取り巻きがある程度いなくなった放課後に行動を開始した。カナダはどうだったのか、なぜ突然いなくなったのか、など、すでにクラスの他の連中がさんざんしたであろう質問を朝倉に浴びせかける。それに嫌な顔一つせず答えるあたり、さすがは朝倉といったところか。俺は特に興味がなかったので、ハルヒをおいて先に部室に向かった。

 

団活はいつもどおりに進み、いつもどおりに終わった。ハルヒは転校生という属性だけで朝倉をSOS団に入れるつもりはないらしい。まあそれが普通か。もともと知ってるやつだったし、転校する前に仲がよかったわけでもないからな。

 

帰りの時間になり、俺は重大なことを忘れていたことに気づく。国木田への頼みだ。まあ別に急ぐことではないんだが、一応はやめに聞いておきたい。用があるから先に帰ってくれと他のメンバーにつげ、俺は一人、部室を出る。

 

 

なぜかはわからない。特に意味はなかったと思う。もしかしたら、まだ国木田が残っているとでも思っていたのかもしれない。時間的に考えてそんなことはないということくらわかったはずなんだが、なぜか俺は自分の教室に向かっていた。

 

夕日が窓から差し込んでいる。オレンジ色に照らされた教室の一席に、誰かが座っている。どうやら腕を枕に机に頭を預けているようだ。近づいてみて、その人物が朝倉だとわかったとき、俺は少し緊張した。なんせ殺されかけた経験のある奴だからな。朝倉は眠っているようだが、さすがに気が引き締まってしまう。たとえ、能力を抑えられているとしても。

 

それにしても相変わらず端正な顔立ちをしているな。おとなしくしていればかわいいって点ではある意味ハルヒと似ているかもしれん。と、そこまで考えたとき、俺の緊張が空気を張り詰めさせてしまったのだろうか、朝倉がゆっくりと目を開ける。

 

「ん・・・キョン・・・君・・・?」

 

ねむたそうに目をこすりつつも、俺のことはすぐに認識できたらしい。
ここで、俺は本来もっと早くに抱いてもおかしくはなかった疑問にたどり着く。

 

「・・・朝倉・・・お前・・・なんでこんなところで寝てるんだ?」

 

普通に考えて、放課後下校もせずに、生徒が誰もいなくなった教室で一人眠っているのは不自然だろう。しかしその答えはいたって単純なものだった。

 

「ちょっと疲れちゃって」
「疲れた?・・・あのあともクラスの連中とずっと喋ってたのか?」
「うん・・・みんなはもう帰っちゃったけどね」

 

しかしいくら質問攻めにあっていたとはいえ、クラスメートと話していただけでそこまで疲れるものだろうか?

 

「長門に聞いたよ。またバックアップだってな」

 

一応、朝倉に確認をとる。それ以外に仕事がないことを祈りつつ。俺を殺しかけた女だというのに、このときの朝倉は不思議と接しやすかった。

 

「そうね・・・でもバックアップだけなら再構成されるのは私でなくてもよかった。長門さんの申請があったときに私が自分の再構成を情報統合思念体に頼んだのは、あなたに・・・謝りたかったから」

 

再構成ってのは自分で申請できるもんなのか、と疑問には思ったが、そのあとの朝倉の表情が俺に考えることを忘れさせた。

 

 

朝倉は目に涙を浮かべ、何度も謝ってくれた。その言葉の中に、言い訳は一つもない。俺はただ、その姿が見るに耐えなくて、なんとか安心させてやりたくて、言葉を選ぶ。

 

「別に気にしちゃいないさ」

 

やっと出てきた言葉がこれだった。
朝倉はそれでも泣くのを、謝るのを、やめようとはしない。
気にしていないってのは厳密には嘘だ。さっきも俺は、警戒心を抱いて朝倉に接していた。そう、さっきまでは。しかし今の朝倉は儚くて、まるで、今にも壊れてしまいそうだった。俺は朝倉の肩に手を置き、声をかける。

 

「大丈夫だ。大丈夫だぞ」

 

何が大丈夫なのか俺もわからなかったが、真摯に声をかけてやること自体が効果的だったのか、朝倉は泣き止んでくれた。

 

「・・・うん、ごめんね・・・」

 

手段はどうあれ目標は達成できたらしい。それにしてもこれは俺の錯覚だろうか。どうも朝倉は本当に弱っているようである。

 

 

「お前どうしたんだ?病弱って設定はなかったはずだが」
「これは・・・罰・・・かな」

 

窓の外の夕焼けを見ながら、朝倉は答える。

 

「私には涼宮さんの『鍵』であるあなたを・・・その・・・殺しかけた過去があるでしょ?
だから情報統合思念体は私の能力を著しく制限してるの」
「そのことは長門に聞いたが・・・実生活に支障が出るほどのものなのか?」
「そうね・・・情報操作、情報制御の能力がなくても、誰かを手にかけることは出来る。
それは人間だってできることでしょう?だから、情報統合思念体はその可能性も排除しようとした。例えば私がナイフを持って、あなたに襲い掛かることもできないくらいに私の体を薄弱にすることでね」

 

・・・そんな事情があったのか。でも弱々しく微笑む朝倉を見ると、いまさらこいつにそんな考えがあるとは思えない。

・・・思いたくない。

 

「私の弱さは自分の責任。それでも涼宮さんの観察は出来るしね。それにさっそく情報を手に入れたわ。あなたたち、模試を受けるんですってね」
「あ、ああ・・・誰から聞いたんだ?」
「涼宮さんがさっき教えてくれたのよ。しかもカナダ帰りの実力を知りたいから私も受けたらどうかって。
それでほら、チラシまでもらっちゃった」

 

なんとも強引なやつである。それにこいつが受けてもあまり意味はないような気がするな。まあ模試のレベルを引き上げてくれるだろうから主催する側にとっては嬉しいかもしれんが。

 

「ねえ・・・私どうすればいいのかな」
「いきなりなんだ?」
「どうすればあなたに許してもらえるのかな?どうすれば償いになるのかな?わからないよ・・・わからない・・・」

 

朝倉は頭を抱えて再び涙ぐみ始めた。今までは落ち着いていたのにいきなりまた後悔の念にかられちまうとは・・・。まれに見る不安定さだ。お前、体だけじゃなく精神まで薄弱になっちまったのか?

 

 

「処理できない情報が私の中にたまってく・・・。これが・・・エラーなの・・・?・・・もういや!どうしたらいいの!?」

 

見たこともないほど弱りきった朝倉。そして・・・。

 

「・・・!キョン・・・君?」

 

そして気づけば、俺は朝倉を抱きしめていた。


自分でもなぜこのような行動に出たのかはわからない。知り合いとはいえ、転校してきた女子生徒に転校初日に抱きつくとは正気か俺?

 

「わ、悪い・・・」

 

俺は急いで朝倉を放した。

 

「・・・ふふ、随分積極的ね」

 

いつのまにか朝倉は笑みを浮かべていた。委員長だった頃を思い出させる微笑を。

 

「ふう・・・なんか・・・安心した」
「あ・・・、ああ・・・よかった。落ち着けよ。俺はお前をうらんでなんかいない」
「ありがとう・・・でも・・・私が何か償いをしたいというのは本当よ。
そうじゃないと・・・私に、あなたと面と向かって離す資格なんてないと思うから」

 

そこまで極端な考えをもたなくてもいいと、俺は思った。さっきまで俺を支配していた朝倉への恐怖心、警戒心は、沈みつつある夕日とともにゆるやかに消えていっていた。
そして時を同じくして、俺の頭に名案が思い浮かぶ。

 

「朝倉。俺はお前をうらんじゃいなしいし償ってほしいとも思ってないんだが・・・、
それでももし俺に何かをしてくれるなら・・・頼みたいことがあるんだ」
「ん、何?」

「俺に・・・勉強を教えてくれないか」

 

朝倉はきょとんとした目で俺を見る。 

 

「いいけど・・・どうしてかしら?ひょっとして模試対策?」
「まあな・・・実は・・・」

 

俺は今度の全国模試の結果如何で罰ゲームを食らってしまうことを朝倉に説明した。

 

「そう・・・。涼宮さんらしいわね」
「全く、細かいところでいちいち『らしさ』を発揮されてちゃこっちの身がもたねーよ。
ま、とにかくそういうことなんだ。どうだ?もちろん無理にとはいわないが・・・」

 

朝倉は少し考えこむように俺から視線をはずす。

 

「そうね。それで償いになるとは思わないけど、キョン君がそういうならいいわよ。
どうせなら、いい機会だし私も受けてみようかな」
「本当か?悪いな、助かるよ。だけどお前まで無理して受ける必要はないんだぞ?」
「ううん。私も一緒に受けるつもりになったほうが教えやすいと思うし、結果も一緒に見られるでしょ?」

 

もう朝倉に、さっきのような弱気な影は見られない。勉強を教えてもらえることよりも、朝倉が少し元気になってくれたことのほうが、俺には嬉しかった。

 

その日は朝倉を送って帰った。精神的には少し落ち着いたとはいえ、体が薄弱なのはやはり本当らしく、俺は朝倉の歩みに合わせるためにペースを落として歩いた。夕方になって気温は少々落ち、朝や昼の容赦ない日差しの下に比べれば幾分か過ごしやすくなったことを実感しながら、俺たちは今後のことを話し合った。

 

あいつの家は以前と変わらず長門と同じマンションで、やはり一人暮らしのようだ。マンションの下で「ここまででいいよ。ありがとう」と言った朝倉の声に弱々しい雰囲気が戻っていないことを確認した俺は、少し安堵しつつ、まだほのかに空をオレンジ色に照らしている夕日を見ながら帰路についた。

 

朝倉教授の特別講義はその翌日から始まった。他人に勉強を教えてもらっていることは、ハルヒには知られたくなかったため、学校で教えてもらうわけにはいかず、さらに部活を不自然に休むわけにもいかなかった。勉強したいからといって部活を休むことを許してくれるハルヒじゃないしな。

 

朝倉の提案で、俺は部活後に朝倉の部屋にお邪魔させてもらうことになった。もちろん最初はおどろいたさ。それは朝倉への恐怖心からではなく、純粋に一人暮らしの女性の部屋に日の暮れたあとお邪魔するのははばかられるという理由からだ。しかし朝倉はそれが一番いいという。学校では場所がないし、図書館では誰かに見られる恐れがある。まあこの部屋にいることは長門にはばれてそうだが、あいつならハルヒにこのことを教えるようなことはないだろう。

 

「ここは仮定法過去完了だから・・・」

 

朝倉の授業は文句のつけようのないものだった。「どうしてこうなるのか」という理由をわかりやすく示してくれるので、文系、理系科目にかかわらず理解が深まる。

 

そうして、試験当日までの一ヶ月と少しはあっという間に過ぎていった。

 

 

あいかわらず暑い。雲はあれど、太陽はそこそこに強い。迎えた模試の日は、いつぞやよりも湿度は下がったとはいえ、外を歩けば汗をかくのは免れない程度の暑さであり、家を出る前に見た天気予報の予想気温を見る限りでは、今が十月とは思えないほどだ。

 

模試では、受験本番の雰囲気を味わうことも重要なことだ。
本番で緊張しないためにも、広い会場に大勢の人が集まる独特の雰囲気を味わっておく必要がある。・・・ま、というのは朝倉の受け売りなんだがな。

 

SOS団の団員はこの日、いつもの駅前に集合することになっていた。模試の会場は、全国規模の物だからなのかは知らんが少々遠く、向かうには電車を利用する必要があったからだ。といっても二駅ほどだが。

 

そして俺は、せっかく朝倉との勉強で模試の結果での罰ゲームを食らわないで済むかもしれないというのに、遅刻でない遅刻によって別のペナルティを課されては敵わないと考え、今こうして、集合時間の一時間前に来ているわけだ。

 

ところが、いざ集合時間の二十分前くらいになってくると、ああ、なんということだろう、
明らかに雨を伴うだろうとわかる黒さを携えて、大きな雲が西の空から近づいてくるではないか。二分後には、あたりはまさにバケツをひっくり返したような大雨に見舞われた。

 

俺は急いで駅の中に移動した。天気予報はあてにならないと久々に実感したところで、携帯が震える。

 

「あ、キョン!模試の話は聞いた?」

 

相手はハルヒだった。通話ボタンを押したとたんに、雨がコンクリートをたたく音にも負けない大声で話し始める。

 

「なんのことだ?」
「今日の模試は中止だって。さっき電話して聞いたわ。今は雨だけだけど、もうすぐ雷もくるみたいだしね」

 

そんなばかな!なんのために早起きしてわざわざ集合時間の一時間前に来たと思ってるんだ・・・。しかし雨が降りはじめたとたんに中止とは、塾側もお早い決断をしたもんだな。

 

 

「天気がちょっとやばいから途中で駅に向かう途中に電話して聞いたんだけど、あんたはどうせまだ家でしょ?先に連絡しておこうと思って」

 

どうした。珍しく気が利くじゃないか。だが残念ながら今日に限って俺はすでに家にはいないわけだが。・・・まあいいさ。家にいることにしておこう。

 

「ああ、わざわざありがとな」
「あ・・・うん、こんなの団長として当然よ!他のメンバーにも私が連絡しておくから。じゃあね」

 

最後は少し小さな声だった。なんでだろうな。だが今はそんなことはどうでもいい。
見事に予報に欺かれた俺は、今、傘を持っていない。やっぱり人間が未来のことを知るなんて荷が重過ぎるな。いや、朝比奈さんならわかるのか?

 

そのあとすぐ、古泉から電話がかかってきた。なるほどな、そういうことだったのか。

 

この駅を行く人は、みな傘を忘れていないだろうか。くだらない考えが降っては消え、消えてはまた降る。なにせやることがないからな。こういうどしゃぶりは大抵長続きしないもんだが、少なくともあと二十分ほどは足止めか。下を向き、そんな悲観的な考えに浸っている俺の前で、誰かが足を止めた。

 

 

「おはよう」

 

俺は顔を上げる。青い髪は傘に隠れてしまうことはなく、雨の中でもその優雅さを失わないでいる。朝倉は傘を持ち、少しばかりの微笑をその顔に携えて、俺の前に立っていた。

 

「朝倉か」

 

そういえば朝倉も模試を受けるんだったな。

 

「今日は中止だってね。模試。まあこんな雨じゃしょうがないか」
「・・・ああ、さっきハルヒから聞いたよ。下手すりゃ電車も止まる雨だ」
「・・・傘、持ってこなかったの?」

 

いきなり痛いところをついてくる。

 

「天気予報にだまされてな。お前こそ、よく傘をもってこれたな」
「・・・大雨になるってことはね、わかってたの。私はインターフェースだから。
模試も中止になるんじゃないかなって思ってた」

 

ああそうか。そういや朝倉は普通の人間じゃなかったな。いやしかし・・・。

 

「じゃ、どうして駅まで来たんだ?」
「う~ん、なんとなくじゃだめかな?」

 

なんとなく、そんな理由でここまで?それでいいのかだめなのか、返事をする前に、強烈な光と、轟音があたりにはしる。

 

 

「あ、もう来ちゃったみたいね、雷」

 

俺でさえ少し驚いた雷の音にも、朝倉はまったく驚く様子はない。
感心はしたが、少し怖がってくれればそれはそれでかわいいんだがな。


そしてそれは、唐突な提案だった。

 

「ねえ、せっかく暇になったんだし、映画でも見に行かない?」

 

再び、光。

 

俺はまた、朝倉を見る。

 

 

その後の会話はよく覚えていない。少し、浮かれていたんだろうか。いずれにしろ、朝倉とどこかへ行こうなんて俺からはとても言い出せなかっただろう。例え心の奥で、どんなに望んでいたとしても。

 

傘を買うためによった売店、雨のおかげですいていた映画館、上映前にとった昼飯、そのあとによったショッピングモール、そして、今しがた終えた夕食。どれも、ただ幸せだったという以外の印象はない。朝倉はどう思っていたのだろう。飯のときも、買い物のときも、朝倉はただ、綺麗に笑っているだけだった。

 

 

帰り際の公園。予想に反して、雨はやまず、雷も鳴りやまない。もっとも雨はもう大分弱まった。雷も遠くで光り、時折ゴロゴロという音を響かせるだけである。しかしこんなに長く続くことがあるんだな。やはり未来のことはわからない。

 

俺は、息を切らさぬようゆっくり歩く朝倉に歩調を合わせる。気温は、雨のおかげで大分下がったように感じる。秋風が運ぶ、雨で冷えた空気が心地よい。模試を受けに来たことが遥か昔のように思える。あたりにはすでに夜の帳がおり、さす光は公園の街灯と、時折、雲に映る遠雷ばかり。

長く雨音を聞いて、少し情緒的になったのか、朝倉はふと、俺にこんなことを聞く。

 

「あなたは、雨が好き?」

 

 

しとしとと降る雨の中、朝倉は立ち止まって俺を見る。いつしか見せた、儚げな、思わず守ってあげたくなるような、そんな表情を浮かべて。

 

「・・・急に降られると少し困るな。でも・・・この音は、好きだ」
「それじゃあ雷は?」

 

おかしなことを聞くやつだな。

 

「まあ・・・好きではないな・・・。嫌いっていうよりも・・・そうだな、ただうるさいっていう感じだ」
「そう・・・」

 

いい終わって、俺は雷にそもそもあまり深い印象を持ったことがないことに気づく。雷が好きかなんて、聞かれたのは初めてだしな。

 

しばらく歩いて、朝倉が再び口を開く。

 

「私はね、雷が好きなんだ。なんでだと思う?」
「・・・わからないな」

 

朝倉はいたずらっぽく笑う。

 

「生まれるときはあっという間、そして死ぬときはもっとあっという間。私たちってそういうものなの。すべては思念体の意のまま。私が消えちゃうところ、見たことあるでしょ?」

 

忘れるはずもない。しかし、俺は言葉を返さない。

 

「雷ってさ、パッて光ってすぐ消えちゃうでしょ?そんな、一瞬の瞬きが好きなの。まるで、私たちみたいだから」


「だけど、雨は嫌い。傘をさしてると、前が見えないし、それに一瞬の美しさってものがないでしょ?」

 

俺は朝倉の話を聞いているのだろうか。その内容をはっきりと理解したわけでもないのに、そうかもな、と、俺はただ、相槌を打つ。

 

 

「でもね、今日からは好きになれるかも」

 

ここで朝倉は俺のほうを向いて微笑む。

 

「雨の降る今日が、楽しかったから」

 

青い髪が夜風になびく。朝倉は黙って、俺のほうを見続けている。

 

「・・・そうか。・・・それなら俺も、今日から雷を好きになれるかもしれないな」


お前が「今日」を楽しんでくれたから。楽しかったその日に、雷が鳴っていたから。

 

 

光、雨音、秋の風。

 

それは、雷の夜のこと。

 

 

 

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最終更新:2008年09月16日 00:47