文字サイズ小でうまく表示されると思います



「それにしてもあの姉妹、朝比奈さんにそっくりでしたね」
 古泉がそう話し始めたのは、俺達が塔の階段を黙々と上るのに飽きてきた所だった。
「本当、3人並んでたら本気で誰が誰なのかわからなかったもの」
「私もびっくりでした~」
 他の世界にはそんなに戻ってみたいと思わないが、あの姉妹が居る白虎の世界にだけは定期的に通ってもいいな。
 週1くらいで。
 そういえば、シャルルさんの奥さん。つまりジャンヌさんとミレイユさんのお母さんは、やっぱり朝比奈さんにそっくりなんだろうか?
 2人ともシャルルさんとは似ていなかったから可能性は高いな。
 俺が朝比奈さんの後姿を見ながらそんな事を考えて居た時、先頭を歩いていたハルヒが急に階段で足を止めた。
 ハルヒの後ろを歩いていた朝比奈さんが背中にぶつかって止まるとハルヒは振り向き、
「貴女、本当にみくるちゃん?」
 朝比奈さんの両肩を押さえて、まじまじと顔を眺めはじめた。
「え? も、も、もちろんです」
 驚いた朝比奈さんは壊れたおもちゃのようにこくこくと肯くが、
「またこっそり入れ替わってたりしないわよね?」
 ハルヒの表情から疑いが取れない。
 いや、これは疑ってるんじゃなくていじりたいだけだな……。
 視線が朝比奈さんの脅えた顔から男性には見つめる事も許されない朝比奈さんの胸へと降りていき、
「本物のみくるちゃんには胸に七つの傷があるはずよ?」
「そんなのないです!」
 ハルヒは嬉しそうに朝比奈さんの服に手をかけだしやがった。
 古泉……はダメか、いつも通り傍観を決め込んでやがる。
 長門? 長門はそれ以前に興味がないようだ。
 目の前で閉まってしまった自動ドアがまた開くのを待つかのようにじっと階段で足を止めている。
 仕方なく残された唯一の常識人である俺はハルヒを止めるべく腕を掴み、
 それを言うなら星型のほくろだろ?
 不覚にも突っ込んでしまったわけだ。
 バッテリーが切れたMP3プレーヤーの様に前触れも無く、ハルヒの動きが停止する。
「……キョン、なんであんたがそんな事を知ってるの?」
 しまった!
 ハルヒの声は、冷静な振りをしているような、突っ込み所を見つけて嬉しいような、とにかくむかついているような、どんな罰を
言い渡そうか迷って楽しいようなどれにも当たらないようなそんな声だった。
「みくるちゃん、それって本当なのかな~?」
 笑顔で聞いているが、その背後には何色なのかよくわからないオーラが立ち上っているのが俺には見える。
「え、あああのその」
 今度は無言でハルヒの手が動き、胸元を隠すように閉じていた朝比奈さんの服を強引に開いた。
「ひっ」
 あっさりと力に負けて服のボタンが飛んでいく。
 ああ、どうでもいいがその服って俺のなんだけどな。
 直後に朝比奈さんの豊かな胸元に顔を突っ込んだハルヒが、すぐに顔を出して俺の襟を強引に掴み上げ
「いったい、いつ! どこで! 誰が! 何を! どうしたのか説明しなさい! 詳しく!」
 塔中に響きわたる大声でがなりはじめた……。
 ああ、ちなみに俺は完全に襟を閉められていて尚且つ宙吊りな為、喋るどころか肺は生命活動を活動するために必要不可欠な
酸素を求めて喘いでいる。
 酸素が得られないって事は声帯を震わせて声を出す事も出来ないわけで、このまま弁明もできないまま俺は死ぬんだろうか?
等と考えはじめるのも無理もない事なんだろう。
 古泉、朝比奈さんフォルダを頼む。誰にも見られないように処分してくれ。
「あ、あのあの」
 ただ事ではない雰囲気に朝比奈さんが止めようとしてくれているが、
「みくるちゃんは黙ってて。さあ! きりきり吐きなさぁい!」
 襟を掴んだまま俺を振り回すハルヒがそれを聞き入れる訳はなかった。
 ……そうだ、俺はまだ死ねない!
 ゲーセンから送られたはずの朝比奈さんコスプレ写真を見るまで、俺は死ねないんだ!
 喉を締め付けるハルヒの馬鹿力に文字通り必死の抵抗をしていると、
「おやおや、ずいぶん賑やかですね」
 のんきな声が階段の上から聞こえてきた。
 だ、誰だ?誰でもいい!助けてください!
「貴方は」
 そこに居たのは例の案内係さんだった。
 案内係さんの声にハルヒが力を緩める、そのまま階段に落下した俺は久しぶりに味わう酸素を心行くまで味わった。
 助かった……それにしてもあっさり手を離したな……。
 見上げてみると、ハルヒは何故か警戒した表情で案内係さんを見つめていた。
「みなさんの噂は聞いていますよ。玄武、青龍に続いて白虎の支配から世界を救ってくれたようですね、塔の住人としてお礼を
言わせてもらいます。ありがとうございました」
 深々と頭を下げる案内係さんだが、
「別にあんたの為にやった事じゃないからいいわ。それより支配ってなに?」
 ハルヒの返答は冷たかった。
「少々長い話になりますが、かまいませんか?」
「かまわない」
 案内係さんは俺達を階段の上へと促しながら、
「では、また歩きながらお話しましょう」
 と言って階段を上り始めた。
「既にご存知だと思いますが、この塔は色んな世界と繋がっています。塔の1階と通じている大陸世界、最初に私が皆さんと
お会いしたのはここでしたね。次は塔の5階と通じているのは海洋世界です。塔10階は空中世界と通じています、ちなみに
現在地は15階になります」
 いつの間にかそんなに高い所にきてたのか……。
「支配の話が全然出てこないんだけど」
 案内係さんは困った顔をしている。
「もう少しだけお待ちください。かつてこの塔はクリスタルを持たなくても誰もが自由に行き来する事ができました。ある日の事です、
それぞれの世界にある日突然強大な力を持つ四天王と呼ばれる存在が現れました」
「以前、貴方から聞いたお話にあった玄武、青龍、白虎、朱雀ですね」
 古泉の言葉に、案内係さんは肯く。
「その通りです。彼らが現れてしばらくすると、それまで自由だった塔の出入りが何故かできなくなりました。玄武は、人間の王が
持つ武具にクリスタルの秘密を隠して影から世界を支配していたようです。青龍はクリスタルを二つの玉に分け、一つは自分で持ち
海底で緩やかに力を蓄えていました。白虎は順調に支配を強めていき他の世界をも支配しようと画策していたようですが、
レジスタンスによってクリスタルを隠されてしまい……後は皆さんのほうがお詳しいでしょうね」
 ゲームがはじまってそろそろ2時間くらい過ぎた所だが、色んな事をやってきたもんだな……。
 塔は階段と通路の組み合わせでできているから足はそんなにきつくないが、この塔は何階まであるんだろう?
「朱雀は?」
 ハルヒが当たり前のように聞いてくる。
「そこまで知ってるなら朱雀の事も知ってるんでしょう?」
 案内係さんは嫌な顔一つせず、というか嬉しそうに教えてくれた。
「朱雀は四天王で一番強いその力と、何者にも傷つける事ができないという体を使って自分の世界を滅ぼそうとしているようです」
 自分の世界を滅ぼすんですか?
 俺は念の為聞き返してみた。
「そうです」
「そんな事をして何になるんでしょう……?」
 朝比奈さんの疑問はよくわかる、ここまでのボスとは正反対の行動だもんな。
「さあ、残念ながらそこまでは……。滅ぼした後の事を考えているのかどうかもわかりません」
 おいおい、そんな危ない奴なのかよ?
 そこまで言った所で案内係さんは足を止めた。
「おや、いつのまにか到着したようですね。お待たせしましたあの扉の先が都市世界へと通じています。気をつけてください、朱雀
にはどんな攻撃も通じません。逃げるのが一番です」
 案内されるまま扉の前まで来た俺達だが、先頭に立つハルヒは扉に手をかけようとしなかった。
「あんたの話が本当なら、クリスタルがないと出入りできないはずの世界の事をなんで貴方が知っているの?」
 問い詰めるようなハルヒの言葉にも、案内係さんの笑顔は崩れなかった。
「鋭いですね」
 武器こそ構えないものの、ハルヒは油断無く案内係さんを睨んでいる。
「……あんた何者?」
「私は貴方達の味方です、それは間違いありません。ファンと言ってもいいでしょう」
 案内係さんは都市世界への扉とは別の扉を指差した。そこには赤い紋章が描かれている。
「あの扉の先、この塔の最上階である23階には阿修羅と呼ばれるボスが居ます。四天王は彼によって生み出されました」
 長門の言ってる5番目の世界ってのはその事なんだろうか?
「そいつが全ての元凶って言いたいの?」
「そうです、私はかつて塔が自由に出入りできた頃からこの塔に住んでいるんです。今日までずっと、阿修羅を倒してくれる存在が
現れるのを信じて情報を集めてきました」
「そうだったんですか」
 古泉はこの説明で納得したらしく肯いているが、ハルヒの顔はまだ信用できないと言っていた。
「ですが朱雀を倒し、赤のクリスタルを手に入れなければあの扉の封印は解けず、阿修羅に挑む事もできません」
 ハルヒ、なんでお前がこの人をそこまで怪しむのか俺にはわからん。お前の好きそうな不思議な人じゃないか?
 そのまま案内係さんの言葉に何も答えないまま、ハルヒは都市世界への扉を開いた。


 ここは……。
「驚きましたね」
 俺達が扉を開くとそこは、厚い雲が空を覆い薄暗く、破壊尽くされたビルが立ち並ぶ荒野。
 それでも僅かに残ったアスファルトの残骸は、それがかつて都市の一部であった事を示している。
 あちこちに見える看板の文字や道路交通標識、そのどれもが俺達が日常で見てきた物と同じだ。ただ、その殆どが原型を止めて
おらず壊れていたり焼け焦げたり溶けてしまったりしている。
 古泉……ここって日本、だよな。
「後ろを見るとさらに驚きますよ」
 その言葉に後ろを振り返ると――嘘だろ?
 そこにあったのはいつもの石壁造りの塔の外壁ではなく、鉄筋で作られた電波塔。
 誰もが知っているであろう赤い建造物。
 東京タワーだった。
 俺は東京に住んでいるわけじゃないが、流石にこれは見間違えないだろう。
 中央部から上は灰色の厚い雲に覆われていて見ることは出来ず、何度となく高温にさらされたのか全体的に歪んでしまっている。
 もしかして……俺達は第2次世界大戦の時代にタイムスリップしてしまったとかなのか?
「キョ、キョン君?」
 あ! すみません!
 もしかしてハルヒの前で時間移動とかの話は厳禁でしたか?
「……あんた本当にバカね」
 あきれた顔でハルヒがわざとらしくため息をつく。
 何がだ。
 テストの点ではまるっきり勝てんが、常識なら負ける気がしないぞ。
 不戦勝でもいいくらいだ。
「東京タワーは戦後の建築物よ、だからここが日本だとしても戦後ね。タワーを作るときに戦車から金属を取ったりしてるの
有名でしょ?」
 そんな雑学を俺が知るわけないだろ。
「こんな風に町が溶けるなんて……もの凄い熱なんでしょうね」
「空襲があったといった感じにも見えませんし、想像もつきません。いったいこの都市に何が起きたんでしょうか」
 でもまあ地面があるだけいいさ、少なくともこの世界は溺れたり落下したりはなさそうだ。
 それにしても見える範囲には廃墟しかないな……。
 それぞれに周りに何か無いか見回していると、長門の視線が俺の顔に固定されているのに気づいた。
 長門、どうかしたのか?
「危険」
 珍しく長門が即答した。
 ……って事は本気でやばいって事か?
 何が危険なんだ?逃げた方がいいのか?
 俺の問いに答えるように長門は遠くの廃墟を指差す。
 つられてその方向を見ると、廃墟と雲の隙間に小さな赤い光が見えている。
「夕陽、でしょうか?」
「それにしては小さいし、形も丸くないわね」
 焚き火とか何かの合図とかだろうか?
 あれがどうかしたのか?
「朱雀」
 淡々と長門は呟いた。
 あまりに淡々としているのでそれが重要な事だと理解するのに時間がかかったくらいだ。
 朱雀ってあれか?
 さっきの話にあった、四天王で一番強いとか何者にも傷つける事のできない体を持ってるって奴だろ?
 赤い光は見る間に大きくなり、あっという間にそれが巨大な鳥の姿だという事がわかる。
 おいおい、あんなもん戦える相手じゃないぞ?
「す、涼宮さん塔の中に戻りませんか?」
 朝比奈さんのアイデアに賛成だ。少なくとも東京タワーに入ってしまえば朱雀も追ってこれないだろう、多分。
「だめよ!塔に戻ったら、あいつがタワーの前に居る限りこの世界に戻れなくなるじゃない!」
 朱雀もそこまで暇じゃないだろう。
 焼け死ぬよりはましだろうが!
 このままここに居るなんて言い出すなよ?
「こっちよ!」
 誰の声だ?
 その声は、東京タワーから少し離れた場所にある廃墟から聞こえてきた。
 遠くて顔はよくわからないが、廃墟の瓦礫の間にある地下鉄の階段から顔を出して手を振っている。
「朱雀が来る前に、早くこっちへ!」
 そう言って、階段を降りていってしまった。
「今の、罠だと思う?」
 わからん、でも行くしかないだろ。
 朱雀の姿はもう羽ばたく動きが見えるほどになっていた、迷っている余裕は無い。
「そうね。虎穴に入らずんば虎子を得ずって言うし……。みんな!あの階段へ走って!」
 虎子なんぞ手に入れても嬉しくも無い、ペットにでもするのか? ペットにするなら部屋で飼えよ? 間違っても玄関先につないだり
部室に連れてきたりするな。
 そんなどうでもいい事を考えながら俺は必死に走った。


 全力疾走の勢いのままに、薄暗い地下鉄の階段を駆け下りると、
「きゃー!」
 休む間もなく、今度は女の子の悲鳴が聞こえてきた。
 あ~も~ちょっとは休ませてくれよ!
「今の声、どっちから聞こえた?」
 地下鉄の構内に人気は無く、所々に残された照明が僅かに施設内を照らしていた。
 見える範囲に人影は無く、悲鳴が途絶えた今は俺達の荒い息の音だけが響いている。
「反響していたのでどちらとも言えません」
「た、多分こっちだったと思います」
 と言って朝比奈さんは通路の右側を指差したが、
 無言のまま長門は反対方向を指差していた。
「困りましたね」
 古泉はどちらか選ぶ気は無いようだ。
 どうする? 別れて行動したほうがいいのか?
「あ、あの。長門さんがそう言うんでしたら、私のは勘違いだと思います」
 自信なさげに朝比奈さんが指を下げるが……どうしよう?

rア 1 朝比奈さんの言う方へ行こう
   2 長門の言う方へ行こう

 なんて選択肢が出てきそうな場面だな。
 ん~……どっちに
「古泉君はみくるちゃんとそっちへ! 私と有希とキョンはこっちに!」
 考えるまでもなかった。


 薄暗い構内を走っていくと
「居た!」
 巨大な芋虫が糸を吐いて、壁に人の形をした繭を作成中だった。
 さっき悲鳴をあげた人はこの繭の中に居るのか?
「有希、戻って二人を呼んできて!」
 ハルヒの声にうなずき、走ってきた速度を緩めないままにUターンして長門は戻っていった。
 今の動きが物理的におかしいとかそんな突っ込みはおいといて、武器の無い俺は戦力外なんだから戻るなら俺だろ?
 とは一応、男として言いにくい。
 俺達を無視したまま、芋虫は繭の作成に余念がないようだ。
「芋虫か……私、芋虫にいい思い出ってないのよね」
 ……芋虫にいい思い出がある人なんて居ないだろ。
 そうか。
 他にコメントのしようもない。
「おやゆび姫に出てくる芋虫も、あんまり役に立たなかったじゃない」
 別に芋虫はおやゆび姫の為に生まれてきたんじゃないと思うぞ。
 そこで同意を求められても困る、それよりあの繭って中に人が閉じ込められてるんじゃないのか? 助けるなら早いほうが
いいんじゃないか?
 お前が助けないなら俺がやるから、剣を貸してくれ。
「あ、あれってやっぱり人が入ってるのね?そんな気はしてたのよ」
 剣を抜いてハルヒが繭に近寄ると、芋虫は威嚇するように体を起こして身構えてきた。
 芋虫は口から白い糸を垂らしながらこちらに迫ってくる。
 接近戦はしたくない相手だな……そう思って見ていた俺なのだが、芋虫は急に態勢を変えて俺に向かって勢いよく糸を吐き出し
やがった!
 ハルヒの方が前に立っていたので油断していた俺は、まともにその糸を浴びてしまった。
 とっさに目を閉じたものの俺はそのまま倒れてしまい、油火災用粉末消火器を振りかけられた炎のように、俺はそのまま
真っ白に覆われていく。
 糸は安物のガムテープ並の不快な粘着力があり、動けば動くほどに体の自由が奪われてしまった。
 仕様なのか呼吸はなんとかできている。餌を殺さないまま保存する為なんだろうか?
 ついに指一本動かせなくなり、雨のように降り続き少しずつ重みを増す糸の中に居ると、
「キョン聞こえるー?……芋虫は追い払ったからちょっと待ってなさい、あっちの繭から先に助けるから」
 ハルヒのそんな声が聞こえてきた。
 わかった、早く頼むぞ?
「意外に面倒ね……これ、ああもう!くっつくな!」
 おいおい……大丈夫か?
「キョン、あんた生きてるわよね?」
 生きてるよ、声は出せないけどな。
「まあ、あんたはしぶといから平気よね。飛行機から飛び降りても怪我しなかったんだから」
 それとこれとは違わないか?
「……ねえ、聞こえてるかわかんないけどさ」
 なんだよ、と言いたい所だが下手に喋ると口の中に糸が入りそうで試す気になれない。
「あの時、もしも捕まってたのがさ。みくるちゃんじゃなくて、あたしや有希だったら……あんたは飛行機から飛び降りたりしたのかな」
 ……どうだろうな、そうなってみなきゃわかんねえよ。
「なんか私、変な事言ってるわね」
 その後もハルヒは何か言っていた気がするんだが、繭の中は暖かく俺はいつの間にか眠ってしまっていた。
 意外に神経が太いんだな、俺。


 誰かが俺を優しく揺さぶっている。
 もしかして朝比奈さんですか?
 俺がそっとまぶたを開けると、
「お前か」
 残念ながらそこに居たのはにやけずらの古泉だった。
「ご無事で何よりです」
 期待していた分だけ失望は大きかった。朝比奈さんかと思ったら古泉ってパターンはそろそろ止めにして頂きたい。
 俺の体にはそこら中に糸の残骸がくっついていた、試しに引っ張ってみるとセーターにくっついたガムのように手ごわい。
 せめてと思い手のひらや顔についた糸を取ろうとしてみたが、時間の無駄みたいだな。
 そういえばここには古泉しか居ない。
 他のみんなはどうしたんだ?
「芋虫が援軍を呼んできたのでみんなで退治して、今はこの先の様子を見に行っています」
 壁にあった繭もすでに残骸になっている、どうやら助かったらしいな。
「あ、起きたのね」
 通路の先から全身糸だらけのハルヒが戻ってきた。
 なんだ、お前も繭にされちまったのか。
「違うわよバカ、あんたじゃあるまいし」
 じゃあなんで糸まみれなんだよ。
「涼宮さんは、キョン君を繭から助ける為に糸だらけになってしまったんですよ?」
 朝比奈さんの言葉に続いて何故かハルヒが、
「下っ端とはいえ団員のピンチなんだから団長として当然でしょ?」
 と慌てて叫んでいた。
 俺は何も言ってないぞ。
 それで、そっちの繭の人は助けられたのか?
「うん、戦闘に巻き込まれたら危ないから先に逃げてもらったわ。でね?その子がこの先の4番出口の先にある廃墟に町が
あるからそこに来てって言ってたのよ」
 そうか、じゃあとりあえずはそこに行ってみるしかないな。
「町って言うんだからシャワーとかあるわよね? あーもーこの糸を早くなんとかしないといらいらして仕方ないわ!」


 4番出口の階段を上ると、そこは東京タワーの周りと同じ廃墟だった。
 よく見ると、廃墟の一角に人が生活しているらしい光が見える。
「おそらく、朱雀から逃げた人達が集まって暮らしているんでしょうね」
 そんな感じだな。
 地下にあんな芋虫がいるんじゃ安心して寝てられないからな。
 寝ていてそのまま芋虫の餌にされたらたまったもんじゃない。
「朱雀に見つからない内に急ぎましょう」
 溶けた後冷えて固まり鋭利に尖ったアスファルトに気をつけながら、俺達は廃墟へと走っていった。
 ――廃墟の一角、アーケード街だったのであろう商店街には所々に露天があり賑わっている。
 露天に並んでいるのは武器やよくわからない薬、保存食等が殆どだ。
「避難所、というよりもこの環境に適応した町みたいですね」
 まるで近未来物の映画みたいだな。
「あ、あれってバイクじゃない?」
 ハルヒが見つけたのは、酒場らしき建物の前に置かれた流線型の大型バイクだった。
 何台かバイクが並んでいるのだが、ハルヒが目をつけたそのバイクは他のよりも一回り大きく値段も高そうに見える。
 モーターショーでも見たことがないようなデザインで、マフラーらしき物も見あたらなかった。
「確か昔の漫画かアニメ映画で、これによく似たバイクを見た事がある気がします」
 月から地球に降りるってあれか? 灰色の。
 なんかカップラーメンがどうとか。
「あ、それとは違ったような気が。僕が見たのは赤かった気がします」
 眺めて見ているだけの俺達を置いて、
「キーが付いてないわね」
 ハルヒは当たり前の様にバイクに跨ったり、計器をいじりだしたりしやがった。
 おいハルヒ勝手に触るな。見つかったら怒られるぞ?
 こんなでかいバイク倒したら一人じゃ起こせないだろ?
「ん~……でもこれいいなぁ……欲しい。中に持ち主が居るのかしら?」
 聞いてねえよ。


「こ~んにち~わ~!」
 ご機嫌でドアを開けたハルヒを迎えたのは割れんばかりの拍手な訳は無く、当然の如く奇異の視線だった。
 糸まみれの知らない女がいきなりご機嫌で酒場に乱入してきたんだ、いけない薬をやってると思われても無理は無い。
 ハルヒについて酒場に入った俺達を見て、怪しい連中というよりも理解できないといった感じの受けたようだ。
 酒場には大勢のライダースーツに身を包んだ男が休んでいる。
 意外にもアルコールの匂いはなく、保存食の様な物をみんなで食べている最中だったらしい。
「なんだあんた……」
 デジャブか?
 俺はこんな展開を以前何処かで……ああ、コンプ研からPCを強奪した時だ。
 一番入口に近い席に座っていた男が、そうしないといけないと思ったのだろうハルヒに話しかけてしまった。
 無視してるのが一番だったんだが……今更言っても遅いか。
「表のバイク、誰の?まさかあんたの?」
「何言ってんだお前」
 入口に居た人とは別の気が短そうな男が立ち上がって詰め寄ってくる、そいつはハルヒよりも頭二つ分は背が高いのだが、
ハルヒに怯む様子はない。
「かっこいいじゃないの、あれ。ちょうだい」
 当たり前のように手を出すと、
「ふざけんな!」
 と言ってその手をはたこうとしたのだが、ハルヒはすっと手を引っ込めてしまった。
 ごもっともです。
 男はハルヒに掴みかかろうと近寄ってくる、間違いなくどこまでも確実にこっちが悪いんだ常識がある奴が止めてやらないとな。
 俺がハルヒとその男の間に入った途端、
「やめとけ!」
 大きな声が俺達の動きを止めた。
 声の主はゆっくりと店の奥から現れた。
 でかい、身長は190cm程だろうか。
 無駄な筋肉が無いかのような均整の取れた体つき、浅黒く日焼けした顔に赤い鉢巻を締めたその男はハルヒを面白そうな顔で
見つめている。
「お前等の敵う相手じゃねえ!」
 回りの男達は大人しく引き下がっていく、この人はリーダーみたいなもんなんだろうか?
「あんた誰?」
「俺か? 俺はこいつらをまとめてるもんだ。総長って奴だな」
 総長は改めてハルヒを見て、
「で、お嬢ちゃんの名前は?」
 と、聞いてきた。
 あ~あ、聞いちまったよ……。関わり合いにならなければよかったのに。
「SOS団団長、涼宮ハルヒ」
 俺達には見慣れた姿。足を肩幅に開き、胸をそらして大声でハルヒは名乗りをあげた。
「ハルヒちゃんか……あんたそうとう腕が立つな。俺とタイマンの勝負だ!」
 は? あんたいきなり何を言い出すん
「あたしが勝ったら表のあのバイク、ちょうだい?」
 止める間もなく、あっさりハルヒは挑戦を受けやがった。
 お前等2人揃って何を言ってるんだ? タイマン? いつの時代の言葉だよ……。
 まあ、お前が負けるとは思ってないが危ないとか考えないのか?
「ああ、いいぜ。その代わり俺が勝ったらあんたにやってもらいたい事がある。事情があって今はどんな事かは話せないが……
それでもいいか?」
 いくらなんでも、何をやらされるかわからないなんて条件を飲める訳ないだろ?
「いいわよ、じゃあ始めましょう? 何で勝負する? 素手でも剣でも好きなの選んでいいわよ?」
 飲みやがった。
 古泉は驚いた表情のまま、長門は無表情なままで固まっている。
「す、涼宮さん?!」
 朝比奈さんが驚いてハルヒの前に出てきたが、
「いいのいいの、だいじょーぶだいじょーぶ」
 ハルヒは気にしていないようだった。
「男なら素手で勝負だ! と、いいたいがあんたは女だからな。あんたが得意な方を選んでいいぜ」
 これ以上話が進んだら本当にまずい、なんで止めるのはいつも俺の役目なんだよ!
 バカな事は止めろ!
「バカな事は止めて!」
 ……ん? 今、誰か俺と同じ事を言わなかったか?
 声が聞こえてきた酒場の奥を覗くと、何故か総長も同じように店の奥を睨んでいた。
「うるさい! お前は黙ってろ!」
「そうよ! バイクが手に入りそうなんだから黙ってて!」
 ああもう! いいかげんにしろお前ら!
「あれ、もしかして貴女さっきの芋虫の……」
 ハルヒが奥から出てきた女の子を見て声をあげる。
 Tシャツにジーンズというラフな服装で、頭をバスタオルで拭きながら出てきたのは、どうやら芋虫からハルヒが助けた女の子
だったみたいだな。
「なんだ……知り合いか?」
 総長も勢いを削がれてしまったようだ。
「あーこれって偶然って言うの? 兄さん、実は……」

「……というわけなのよ」
 ハルヒの説明はやはり言葉の割合が足りないようで、
「すまん、はっきり言おう。さっぱりわからん」
 総長は頭を押さえて困った顔をしていた。
 やっぱりそうだよなぁ……。
 俺達が偶然助けた女の子は総長の妹さんだったらしく、俺達は手のひらを返したかのように歓迎されていた。
 シャワーを借してもらい、食事まで出てきてハルヒはご機嫌だったのだが、
「なんで今のでわからないのよ!」
 途端に不機嫌になっていた。
「さやか、お前今のでわかったか?」
 ああ、そうそう。妹さんはさやかさんという。
 俺達よりもちょっと年下くらいの可愛い女の子だ。
 可愛らしーいポニーテールを揺らして、今は総長とお揃いのライダースーツに身を包んでいる。
「えっと……涼宮さん達は朱雀を倒して、クリスタルを手に入れる為にこの世界に来た……って事であってますか?」
 それだけわかってもらえれば十分ですよ。
「はい、その通りです」
 途中にあったむかついたボスとか、朝比奈さんのそっくりさんとか、変な謎解きとか、浮き島とか、俺が無茶をしたとか、その辺は
綺麗に忘れてもらっていいです。
「そ、そうか……ともかくだ、あんた達も朱雀と戦わなきゃならんのか」
 こちらに向かって飛んでくる巨大な火の鳥の姿を思い浮かべるが……無理だろ、あれは。
 今までの四天王みたいにただでかいだけじゃない、全身が炎に包まれているんだ。
 長門の盾でもあれは防げないだろう、盾が無事でも俺が焼け死ぬ自信がある。
「ですが、あんな火の鳥を相手に戦う方法なんてあるのでしょうか?」
 お前が閉鎖空間の中みたいに全力で戦えれば可能性はあるかもしれないがな。
 よっぽど凄い兵器とかでもないと……。
「朱雀には近づけないだけでなくどんな攻撃をも防ぐ強力なバリアがある、重火器くらいじゃなんともならねえ」
 総長はそう言いながらも諦めたような口調ではなかった。
「何か手はあるの?」
「はい。朱雀のバリアを中和してしまう装置を作ってるんです!」
 おお! なんだか凄そうだな!
「それって完成までどのくらいかかるの?」
「後2つ3つの部品で完成するんだが……」
 総長の顔が曇る。
「見つからないの?」
 視界の端で、長門が6つ目のサンドイッチに手を伸ばした。
「いや、アキバと呼ばれていたところにならあるだろう。だがここから遠いし探すのにも時間がかかる。何より外には朱雀がいて
危険だ」
「アキバね、わかったわ」
 お~い、危険だって言葉は聞こえてたか?
 アキバって秋葉原だよな、あそこにそんな物があるんだろうか……。
「俺達は朱雀から逃げている人を探して避難所まで誘導したり、郵便や救援物資を配りながら部品を探してたんだ」
 見た目は怖いがいい人達だったんだな。
「みなさんは公務員なんですか?」
 朝比奈さんの質問に総長さんは飲んでいたコーヒーを噴出す。
「まさか、見ての通りの不良健康優良な暴走族だよ」
 酒場の中に居るのは確かに総長の言う通り、悪そうで健康そうな連中だ。
 もしかして、朝比奈さんの時代では公務員は私服なんだろうか?
「朱雀が怖くて街のみんなは逃げ回ってて、最初はそんな連中を守るために朱雀を引き付けたりしてたんだ。その内に人数が
増えて出来る事も多くなってな。今じゃボランティアみたいな扱いさ」
「凄いじゃないですか!」
 感激して朝比奈さんが声をあげる。
 もし、俺達の現実世界がこんな状況になったら……。
 ハルヒならこの総長さんみたいな事を始めるだろうな。間違いなく。
「でもな、人が生きるには希望がいるんだ。朱雀っていう絶望がある限り普通の人間はなかなか立ち上がれない。そんな時、政府の
建物で対朱雀用の装置を見つけたんだ。未完成だったけどな」
「それが朱雀のバリアを中和するってやつね」
「はい、朱雀には通常の攻撃手段が効かない事もそこでわかりました」
 コーヒーのおかわりを配りながらさやかさんが付け足す。
 その表情には複雑な苦悩が浮かんでいた。
 普通の手段では朱雀を倒せない事がわかるまでに、どれだけの人が朱雀に挑んでいったんだろうな……。
「だから腕が立つ人が現れるのを待っていた。そういう事ですね」
「そうだ。だが遠出をすればどうしても朱雀に見つかる可能性が高い。秘密兵器の整備を出来るのは俺だけだし、かといってこの中
じゃもう俺くらいしか遠出はできなかったんだが……あんた達なら任せても大丈夫みたいだな」
 総長は懐から一本のキーを取り出した。
「それってもしかして!」
 総長が投げたキーをハルヒは空中で掴んだ。
「ああ、俺のバイクだ。好きに使ってくれ」
「いやったー!」
 そういえばハルヒ、お前バイクに乗れるのか?
「お仲間さんの分もバイクを準備しよう、何台要る?」
「キョン、あんた二輪の免許持ってる?」
 おいおい、俺がいつも何で移動してるか知ってるだろ?自転車か徒歩か謎の黒タクシーか公共交通機関だ。
 そんなもんねえよ。お前も無免だろうが。
「あたしはいいのよ、乗れるんだから」
 無茶な理屈だな。
「ギアのないモーター式の電動バイクだから操作は簡単だ。それに今は対向車も何も走ってないから自転車が乗れれば
運転できるさ。朱雀から逃げるにはバイクがなきゃ話にならねえ」
 結局、ハルヒは総長のバイクに乗り、後ろには朝比奈さんがタンデムで。
 後は古泉と俺が一台ずつバイクを借りる事になった。
 バイクは普通の2輪なのにバランサーとやらのおかげで倒れる事はないらしい。
 なるほど、これなら俺でもいけそうだな。
「有希はどっちのバイクの後ろに乗るの?」
 長門はじっと俺のほうを見ているが、そのまま何も言わなかった。
 これはどんな意思表示なんだろう? 俺のほうに乗りたいのかそれとも古泉の方に乗りたいと伝えたいのか……。
 なあ長門、どっちにしろ言葉にしようぜ?
 俺のバイクに乗るか?
 仕方なく俺が聞いてみると、長門は小さくうなずいた。
 もしも聞いたのが俺ではなく、古泉だったとしたらどんなリアクションがあったんだろう?
「東京タワーの北にある図書館なら、目的の部品がある場所がわかるはずです。図書館のサーバーならデータが残っている
はずなので、この紙に書いてあるロムを検索してください」
 さやかさんからメモを受け取ったハルヒは、さっそくそれを長門に渡した。
 やはりパソコン関係は苦手らしい。
「わかったわ、その後はどこにいけばいいの?」
「北東にあるアメ横でロムに合うICボードを探してくれ、商店街の外れにいかがわしい店がある。そこなら扱っているはずだ。
その二つが揃ったら一度ここに戻ってくれ。それまでには装置の調整を終わらせておく」
 ハルヒに挑戦的な笑みが浮かぶ。
「すぐに持ってきてあげるから急いでやりなさい? みんな! いくわよ!」
「了解です」
 へいへい。
 俺達がエンジンをかけるとバイクは浮力を得て、地面から30cm程浮き上がった。
 総長の話だとタイヤは急旋回や急制動の時意外は使わないらしい、しかしどんな原理で動いてるんだ? 前の世界のグライダー
といい、このバイクといい、現実の世界よりも科学力が進んでいるみたいだな。
「す、涼宮さん。安全運転でお願いします……」
 朝比奈さん、そこからは見えないでしょうがハルヒの今の目の輝きを見る限りそれは期待しないほうがいいと思いますよ。
「いっけー!」
 急加速で発進したハルヒを追いかけて、俺と古泉も酒場を後にした。
 ――ハルヒの後ろを走っていると時々水滴が飛んでくる事があるのだが、多分それは朝比奈さんの涙なのだろう。


 荒れ果てた荒野を3台のバイクが疾走する。
 俺達のバイクが立てる軽い電子音と風の音がするだけで、街は不気味なほど静まりかえっていた。
 ところで先頭を突っ走るハルヒは、目的地に向かっているのだろうか?
 海洋世界の時みたいに迷子にならなければいいが。
 どこまでも続く廃墟は、俺には全部同じに見える。今のところ、朱雀の姿は見えない。
 長門、聞こえるか?
 試しに小さな声で話しかけてみると、
「何?」
 すぐに返事が返ってきた。
 いや……そのなんだか、元気がないみたいだが。
 今度は返事が返ってこなかった。
 長門?
 不安になってミラーを傾けてみると、長門はいつもの無表情で俺の背中にもたれていた。
 もしかして体調が悪いのか?
 長門、きつかったら総長さんの所で休んでてもいいんだぞ?
 今なら戻るのにも時間がかからないし、部品探しにどれだけかかるかわからないからな。
 長門の返答を待っていると、俺の体を掴んでいる長門の手に少しだけ力がこもった。
 そのまま無言の時間が続く。
 ……ん~……なるほどな。
 大丈夫なんだな?
 ミラーの中で長門が小さくうなずく。
 本当にきつくなったらすぐに教えろよ?
 再び長門がうなずく。
 できれば口頭で教えてくれよ?
 三度長門がうなずいたのを見て、俺はため息をつきながらも自分の表情が和らぐのを感じた。
 多分、長門の体調はそんなに良くないんだろう。
 それなのについて来たがる理由に、俺は心当たりがある。


「東京タワーまで戻ってきましたね」
 地下鉄の構内を通っただけだったので俺にはわからなかったが、ハルヒの先導は正確だったようだ。
 前方に見える赤いタワーは、間違いなく東京タワーだろう。
「……居るわ、朱雀よ!」
 ハルヒの言葉に目を凝らすと、東京タワーの入口付近に赤い炎の塊のような物が見える。
 ……本当にタワーの前で居座ってやがったのか……。
 俺達が近づくのに気づいたのか、それは羽ばたいて灰色の大空に舞い上がった。
 ハルヒがスピードを落として3台のバイクが並走する。
 朝比奈さんはハルヒにしがみつき、泣きはらした顔は背中に押し付けられていた。
「ここで一旦別れましょう、探し物だから有希が適任よね。キョンは有希を連れてこのまま図書館へ。私と古泉君は朱雀を
引き付けるわよ!」
 図書館はタワーの北だったな、目立つ建物だろうからここまでくればなんとかなるだろう。
 わかった、そっちは大丈夫なのか?
「ご心配なく。総長さんの話によると朱雀は建物や地下には追ってこないそうです、危険だと感じたら地下鉄へ逃げることに
しましょう」
 そうか、それならなんとかなりそうだな。
「じゃあ行くわよ!」
 嬉しそうにハルヒがグリップを握りスピードを上げる。
「ひぃえええええええ!」
 朝比奈さんの悲鳴をBGMにして、ハルヒのバイクは朱雀の前を挑発するように横切り廃墟の隙間へと消えていった。
 さっそく朱雀がハルヒを追いかけるように飛び立っていく。
「では僕も向かいます。情報が手に入ったらここに戻ってきてください。ここに僕らが居なければ総長の街で落ち合いましょう」
 ああ、ハルヒにもそう伝えてくれ。
 風に負けないように大声で叫ぶ。
 ウインク一つ残して、古泉のバイクも朱雀の前方に回りこむように加速していった。


 ここか……。
 図書館は屋根が半分ほど崩れてしまっていたが、なんとか倒壊せずに残っていた。
 入口の扉は開いたままで、人の居る気配はない。
 朱雀が来た時の為にこのままバイクから降りずに図書館に入ろう。
 なだらかな車椅子用の通路を走り、そのままゆっくりと図書館の中へと進んでいった。
 建物にはもう電気が来ていないようだったが、屋根が崩れて機能していないおかげでそれなりに遠くまで見渡す事ができる。
 とは言っても本を調べるのなら何か明かりが欲しい所だな。
 バイクを止めて降りてみると、図書館には何も音を立てる物が無く俺達の動く音だけが静かに響いていた。
 長門、さっきの紙には何が書いてあったんだ?
「対朱雀対処装置のOSシステム制御用多層式ロムの形式番号」
 聞いた俺がバカだったよ。
 ……すまん、俺にはさっぱりなんだが……探せそうか?
 長門は一人図書館の受付へと歩いて行った。
 俺もそれについて行くと、長門は受付のPCや端末を操作して何やらやっている。
 しばらくスイッチやパネルを操作していたが、どうやら駄目らしい。
「非常電源も無反応。電源の確保が必要」
 電源か……発電機か何かあればいいのか?
 公共施設だし、非常用の発電機はあるかもしれない。
 小さくうなずいて、長門は
「電圧は問わない」
 とだけ付け加えた。


 長門には受付で待つように言い残し、俺は図書館の中を歩きはじめた。
 何か本でも読んでいてくれ。そう言った俺に、受付に座った長門は無表情なまま手を振って応えていた。
 授乳室、車椅子用のトイレ、視覚障害者用のブース等、流石東京の図書館だけあって色んな設備が揃っている。
 施設案内を見つけた俺はさっそく非常用設備について調べてみたが、残念ながらそれらしい物は無かった。
 おかしいな、ありそうなんだけど……。
 それっぽい場所を探していると、地震でもあったのかたまたま電気が切れた時に開いていたのかエレベーターが開いたまま
止まっていた。
 試しに中に入ってみると……お! これはもしかして?
 非常用のBOXがパネルの下に設置されていた!
 ロックを解除してさっそくBOXを開いてみると……。

 すまん長門、こんなもんしか見つからなかった。
 BOXの中にあったのは乾パンと非常用トイレ、ミネラルウォーターに非常用電灯だけだった。
 非常用電灯と言っても乾電池で動くラジオ付き懐中電灯に過ぎない、さすがにこれでは電源にはならないだろう……。
 ん? 退屈そうに椅子に座っている長門の視線は乾パンに釘付けになっているようだ。
 食べるか? 言っておくが殆ど味は無いぞ。
 乾パンを差し出して見ると、意外にも長門はそれを受け取りさっそく食べ始めた。
 念の為、乾パンを食べた事が無い人に説明しておこう。
 あれは本当に味が無い。
 以前、防災訓練で消費期限ぎりぎりの乾パンを食べさせられたがあれは酷かったぞ。果物味のジャムみたいなものが一緒に
入っていればそれなりに食べられるそうなのだが、ここの非常食にはそれは付いていなかった。
 しかし長門は一定の速度で、もそもそと乾パンを食べ続けていく。
 もしかして、乾パンも慣れたら美味しいってのは本当なのか?
 俺は一口食べてみて、すぐに後悔した。
 ……お腹空いてたのか?
 食べながらうなずく。
 水、要るか?
 食べながらうなずく。
 ミネラルウォーターをあけて渡してやると、一口飲んでテーブルに戻した。
 もそもそと乾パンを食べ続ける長門を見ていても、いいアイデアは浮かびそうにない。
 ん~……ハルヒ達も呼んで回りを廃墟を探すしかないか。
 ……まてよ。確かこのバイクは……。
 長門、総長はこのバイクをなんだって言ってた?
「ギアのないモーター式の電動バイク」
 やっぱりそうだ!
 じゃあ、これってバッテリー代わりにならないか?
 長門はしばらく硬直した後、小さくうなずいた。


 調べてみると、バイクのバッテリーは元々非常用電源として使えるようになっていた。
 家庭用の電源でも充電できるようになっていて、放電機能や今回のような非常電源としての使用も想定内らしい。
 いけそうか?
 無言のままタイピングを続ける長門が、モニターに視線を固定したままうなずく。
 ここでの出番が終わった俺は、そんな長門をバイクの上に座って眺めていた。
 今の長門の手伝いが出来る人間等、地上のどこを探しても見つからないだろう。
 人気が無く静かな建物に絶え間なく長門のタイピングの音と、バイクの静かなモーター音が響いている。
 黙っていれば眠気を誘うようなシチュエーションなのだが、俺は長門の行動について思考を巡らせて見た。
 ……でもまあ、言わなくてもいい事だよな……。
 辿り着いた結論を俺はそのまま心に留めておこうとしたのだが、何故か自然に口は開いていた。
 本当、何故なのかわからない。
 長門、これは独り言みたいなもんだから聞き流していいんだが……。
 俺の言葉に長門は手を休めないまま律儀にうなずいてみせる。
 以前、俺がハルヒと変な世界に閉じ込められただろ?
 今度は長門の反応がない。
 まあ聞き流してくれって言ったのは俺だ、続けよう。
 あの時、お前からヒントをもらったチャットでさ。お前、「また、図書館に」って打ったの覚えてるか?
 音声を編集したかのようにミスもなく連続していたタイプ音に、僅かな不協和音が混じる。
 それまでがあまりにも正確すぎたせいで、その音は俺にもはっきりと聞き取る事ができた。
 もしかして俺の推理は正解って事か?
 本当は今、結構きついんじゃないのか?
 今度はタイプ音に乱れも無く、無反応。
 雪山の時、情報連結がどうとかでお前きつそうにしてたもんな。
 今度も無反応。
 普段より食欲旺盛なのは、雪山の時みたいにならないようにエネルギーを確保してるのか?
 無反応。
 どうしても、俺と――
 唐突にタイプ音が止まる。
 俺と図書館に来たかったのか?
 そう聞くつもりだった。
 お前には何度となく助けてもらってるんだ、俺としては図書館なんていくらでも付き合ってやってもいい。
 しかしながら統合思念何とかの指示でもなければこいつは回りに干渉しようとしない、故にハルヒの監視を最優先してきた
万能元文芸部員の苦手な事は「頼みごと」である。
 それが俺の推論だ。
 時間を凍結させたり物理法則を無視できたりするのに、人に頼れない……まあ長門らしいといえば長門らしいな。
 俺の言葉は止まり、今はモーターの音だけが響く図書館の中で長門は静かに立ち上がった。
「目標物の座標位置を確認」
 俺を見ないまま長門が呟く、どうやらここでの用事は終わったようだな。
 バイクから電源コードを引き抜き、座席の下にあったスペースに収納する。
 案内所から戻ってきた長門に
 ありがとうな。
 と言ってみたが、長門は首を左右に振るだけだった。
 バイクに乗り、俺の後ろに乗り込む長門はいつもと同じように見える。
 言うべきだろうか?
 俺は長門に伝えるべきなのかどうかわからない言葉を抱えたまま、モーターの電源を入れた。
 静かにバイクは浮上し、地面に積もった埃を舞い上がらせる。
 俺はバイクを前進させながら、小さな声で呟いた。
 今日は探し物で図書館に来ただけだから、また、図書館に行こうな。
 背中に座る長門から返事はない。
 さっき調整したままなのでミラーは長門の顔を写しているはずだ。
 今、長門はどんな表情をしているのか?
 俺はそれが気にならないわけじゃなかったが、ミラーを見ない事にした。
 何故かって? そんなもん俺にもわからない。


「あ、遅かったわね」
 東京タワーに戻ってみると、そこにはハルヒのバイクが停まっていた。
 よほどハルヒの運転は荒かったのだろうな……。
 バイクは停まっているのに、朝比奈さんは必死にハルヒの背中の一部になろうと小さくなってくっついたままでいる。
 目は閉じたままで、俺達が戻って来た事にも気づいていないようだ。
 古泉は?
 いつものにやけ顔の姿が見えない。
「古泉君は朱雀を引き付けて逃走中よ。朱雀も私には追いつけないって気づいたみたいで古泉君ばっかり追いかけてるの」
 ……あいつの事だ、多分わざと速度を落として自分に注意を引き付けているんだろう。
 無茶をしてなければいいが。
「キョンが戻ったら先に行くから総長の街で落ち合おうって伝えてあるわ。そっちはどう?アキバはわかった?」
 ハルヒの問いに長門がうなずく。
「有希、なんだか機嫌がいいみたいね?」
 ありえない事を言うハルヒだが、俺は一応確認してみた。
 多少期待していたのだが、俺の後ろに座る対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースは、いつもの無表情を
継続しているようにしか見えない。
「さっきは調子が悪そうに見えたから心配してたのよ。これなら大丈夫そうね、案内して」
 ……ハルヒが長門の様子に気づいていたとは意外だな……。
 長門はゆっくりと腕を伸ばし、廃墟の一角を指し示す。
「現在地から東へ14ブロック、北へ15ブロック進んだ地点」
 すまん、どこまでが1ブロックなんだ? ……俺には廃墟が続いているようにしか見えないんだが……。
「何それ迷いそうね……キョン、有希に聞きながら先に行って。私は後ろをついていくから」
 ああ。
 ハンドルを切り、長門の指し示す方向へと前進を始める。
「ひっ」
 ハルヒのバイクが動き出したのを感じたのだろう、朝比奈さんが可愛い悲鳴を上げた。
 ……ゆっくり移動したほうがいいのだろうか、それとも早くこの悪夢を終わらせてあげるべきなのだろうか?
「ちょっと! そんな遅くなくてもついていけるわよ?」
 ほとんどぶつかる程真後ろにつけてハルヒが不満そうに言ってくる。
 朱雀がいつこっちに来るかもわからないから、仕方ないよな。
 俺は朝比奈さんへの罪悪感を拭えないまま、バイクを加速させて廃墟の中を走っていった。


 どうやら古泉はよほどうまく朱雀を引き付けてくれているらしいな。
 俺達が目的地に着いても、朱雀は俺達の前に現れないでいる。
 長門の見つけてくれた目的地はビルの1階にある小さな倉庫だった。この中に目的の部品があるらしい。
「みくるちゃん着いたわよ」
 震えながらしがみつく朝比奈さんを揺さぶるが、朝比奈さんはまだ目を閉じたままで震えている。
「ああもう、早く降りなさい!またウィリーするわよ!」
「嫌ですー!」
 泣きながら朝比奈さんがバイクから滑り降りた、というか落ちた。
 地面に降りても朝比奈さんはまだ泣いている。
 朝比奈さん、大丈夫ですか?
「キョン君……怖かったです……」
 今度は俺のズボンにしがみついて、朝比奈さんはひっくひっくと泣いている。
「大げさねぇ、別にそんな無茶な運転してないわよ?」
 地面と接地していない電動バイクでウィリーなんて十分に無茶だろ、タイヤはあるが普通は使わないって総長が言ってただろうが。
 ――倉庫には鍵がかかっていたが、シャッターの一部が壊れて大きく穴が開いていたので楽に侵入できた。
「それで? どの辺にあるの、その部品って」
 侵入は楽だったが、倉庫の中は中身が広げられたダンボールがそこら中に転がっていて酷い有様だ。
 食料目当てなのかどうかは知らないが、大勢の人がここで何かを探したらしい。
「30センチ四方のダンボール」
 長門の説明に該当するダンボールは
「……古泉君も呼んでくればよかったわ」
 壁際に山積みで放置されていた、人海戦術しかないらしい。
 黙々とダンボールを開けて、長門に見せて確認してもらう。
 そんな単純な作業に
「あー! もう! ……朱雀が来てないか確認してくる」
 ハルヒが耐えられるわけがないよな。やっぱり。
 すたすたと倉庫を出て行き、バイクに乗ったハルヒがシャッターの前を通り過ぎていく。
 俺が再びダンボールの開梱に戻ると、
「ついでにみんなにジュースとか探してきてあげるから!」
 一応罪悪感を感じていたのだろう。ハルヒのバイクが戻ってきて、それだけ言ってまた走り去っていった。
 やれやれ、まあここでぶつぶつ言いながら作業されるよりは数倍ましだな。
 朝比奈さんも休んでいてください。俺は図書館で何もしていませんから疲れていませんから。
 貴女は精神的に重症のようです。
「ありがとう。でもいいんです、何かしていると落ち着くの」
 青い顔に作り笑顔を浮かべてそうは言ってもですね? 貴女のその華奢な手は今も震えているんですよ。
 でもまあ無理に休ませる事もできないし、こうなったら俺がさっさと目的の部品を探し出して休憩時間を作るのが一番だな。長門に
見せて首を横に振られたダンボールをはずれの山に投げて、俺は次のダンボールの開梱に移った。
 幸いにも目的のアイテムは
「該当」
 長門の無感情な声が小さく響き、
「え? あ、これなんですか?」
 朝比奈さんが見事引き当てた。
 多分、開けたダンボールは全部で100個くらいだろう。まだダンボールの山の半分も開いていない。早めに見つかってよかったよ。
 中身は小さな機械の部品のようだった。それが何なのか俺にはさっぱりわからないが、厳重に梱包材に包まれている。
 まだハルヒは戻ってきていない、出来る事もないしちょっと休憩できそうだな。
「あの、キョン君。次の目的地へは私が後ろに乗ってもいいですか?」
 貴女に深刻そうな顔で見上げられながらお願いされて断われる男なんて、この次元に一人として居ませんよ。きっと。
 いいですよ。長門、ここからはハルヒの後ろでいいか?
 じっと俺を見ていた長門はいつものように頷いた。
 ただ、そのタイミングがいつもよりほんの少し遅かったような気がする。
 俺は別に長門の専門家じゃないが、こいつのリアクションに関しては第一人者だと自負しているつもりだ。
「長門さん、すみません」
 まあ、朝比奈さんが謝る事でもないと思うんですけどね。
「おまたせ~!」
 ハルヒの噂をすればハルヒが来る。
 そんな諺があったような、なかったような……。
 ともかく我等が暴君はコンビニの袋いっぱいのジュースとお菓子を抱えて戻ってきた。
 ハルヒ、目的の部品は見つかったぞ。
「え? あ、じゃあ次はなんだっけ?」
 あ、そういえば次はなんだったかな。
 俺とハルヒが記憶を探っていると、
「北東のアメヨコでICボード探しです」
 朝比奈さんが覚えていてくれた。
「そうそれ!古泉君待ってるだろうし休憩はお預けね。さっさとICボードを手に入れて総長の所に戻ってから休みましょう」
 そうだな。
 さっきから姿が見えないけど、いつ朱雀が来るかわからないから落ち着かない。
 俺の後ろに隠れるように立つ朝比奈さんが、小さな力でそっと服を引っ張っている。小さすぎて俺が気づいたのもたまたまって
くらいの力だ。
 ああ、俺から言えばいいんですね。
 ハルヒ。
 ハルヒはすでにバイクに戻ってジュースをバイクに押し込んでいる。
「ん? 何」
 朝比奈さんと長門が交代だ。
 お前の運転にはバイクも悲鳴を上げてるだろうが、それ以前に朝比奈さんが耐えられん。
「なんで?」
 う、何でって言われると困るが……。
 言い訳を考えている俺の顔をしばらく睨んでいたが、
「……まあいいわ」
 不思議な事にハルヒはあっさり承諾した。
 嵐の前の静けさと言うべきなのだろうか、ハルヒは妙に大人しかった。


「キョン君、ごめんなさい。自分で言わなきゃいけない事なのに」
 いえいえ、お安い御用ですよ。
 背中にたわわな柔らかい感触を受けながら、それを意識しないように俺は冷静な運転に努めた。ハルヒの暴走に涙していた
朝比奈さんに、俺が怖い思いをさせたら何のための交代かわからない。
「でも嬉しかったです。気づいてくれて」
 毎日美味しいお茶を入れてもらってるんです。これくらいの事でお礼を言われる立場じゃありませんよ。
 前方を走るハルヒは目的地へ最短距離で進むかのように悪路を無視して突き進んでいく、俺はなるべく平坦な道を選んで
追いかけていくがハルヒにはそんな意識は無いらしい。
 あれじゃあ朝比奈さんが悲鳴をあげるはずだよな……。
 ハルヒの後ろに見える長門は、無表情のまま前方を指差している。
 すみません、ちょっとだけ速度をあげていいですか?
「はい。大丈夫です」
 朝比奈さんが急いで俺にしがみついて、結果背中に感じる感触が強くなったのは不可抗力だ。
 嬉しいか嬉しくないかと聞かれれば聞くまでも無いと答えるが、速度を上げたいのには別の訳がある。
 ハルヒ!
 風に負けないように大声をあげると、ハルヒが少しだけ速度を落としてこちらに顔を向けた。
「何よ。早すぎるとでも言うの?」
 結論だけで言えば。
 そうだ!
「は~? 根性見せなさいよ!これでもあんたがついてこれるように我慢してるのよ?」
 当たり前だ。お前が本気を出したら朱雀でも追いつけないんだろ? 俺がついていける訳ないだろうが。
 それはわかってる、でも長門は本調子じゃないんだ。
 自分の名前が出て、長門が俺に視線を向けた。
 いつものように表情らしい表情は浮かんでいない。
「あ、そっか。ごめんね有希?大丈夫?」
 やれやれ。
 ハルヒの速度が多少落ちたのを感じて、俺も速度を落としてハルヒの後方に戻った。
「優しいんですね」
 後ろから朝比奈さんの声が聞こえる。
 朝比奈さん程じゃないですよ。
 貴女の優しさで何度となく癒されてきた俺が言うんだから間違いありません。
「そんな事、ないです」
 ハルヒが減速してくれたので速度はさっきよりも落ちたのだが、朝比奈さんは何故か強くしがみついたままだった。


 迷路のような廃墟の中をぐるぐると回り、複雑に入り組んだ地形を進んでいくと。
「あ、もしかしてあれ?」
 建物の影に隠れるように開けた空間に、小さな商店街が見えてきた。
 空からは見えないように巧妙な位置に店が立ち並び、人通りも総長の街よりもずっと多い。
 俺達はバイクを停めて、さっそく商店街へと入っていった。
「ねえ、ここってアメヨコ?」
 商店街の入口近くに居た男にハルヒが話しかけていく。
「そうさ、綺麗なお嬢ちゃん。軍の転売品でバルカン砲のいいのが入ってるよ、安くしとくからお一つどうだい?」
 商店街の入口に居た男は、当たり前のように重火器を見せながら笑っている。
 営業妨害をして悪いがやめてくれ、こいつなら買いかねないんだ。
「それもいいんだけど、ここにいかがわしい店があるって聞いたんだけど知らない?」
 ハルヒの言葉に店の男は目を丸くする。
「なんだ、お嬢ちゃんにはそんな趣味があるのかい。人は見かけによらないねぇ……。もしかして後ろに居るのはお仲間じゃなくて
お嬢ちゃんの奴隷だったりしてな」
 下衆な声で笑い出す男に、
「そんなとこよ」
 ハルヒはあっさり肯定した。
 ……誰がお前の奴隷だ、誰が。
 店の男の表情が固まる。
 ハルヒの言葉には冗談みたいな雰囲気が一切無かったからだろう。俺としてもお前の団員に対する認識については小一時間
問い詰めたい所だ。
 店員さんの視線が俺達を順番に通り過ぎていく、疲れた顔の俺、多少元気を取り戻した愛らしい朝比奈さん、人形と変わらない
レベルの無表情を誇る長門……。
「で、知ってるの?知らないの?」
「……え?ああ。そこの店の間の奥に通路がある。その先にそんな店はあるよ」
 男は呆然としたまま商店の一角を指差す。
「ありがと」
 そっけなく礼を言うハルヒに続いて無表情の長門、店員に困った笑顔で会釈して通り過ぎる朝比奈さん。そして諦め顔の俺が
通り過ぎてから。
「世も末だ……あんな若くて綺麗な娘さんが……そんな……」
 と男の絶望した声が聞こえてきた。
 わかるぜ。俺も朝比奈さんが奴隷にされてたりしたら、間違いなく革命を起こすだろうよ。


「いらっしゃ……」
 いかがわしい店は本当にいかがわしかった。
 ビルの壁に開いた穴に隠れるように作られ、入口らしい場所には布がかけられ、ここからでは中を覗く事は出来ない。
 壁に穴を開けて作られたカウンターだけが外に出ていた。
 半裸の女性のポスターがそこら中に張られていて、朝比奈さんの視線を気にして俺は必死に何も無い壁を凝視する。
「キョン君、ここって……えっと何を売ってるお店なんですか?」
 本当にわからないらしく、朝比奈さんは無邪気に聞いてくるのだが……すみません朝比奈さん、俺はその言葉に答える事は
自分のイメージを壊さない為に言えないんです。禁則事項なんです。
 さ、さぁ……俺にもわかりません。
 この辺りだけ妙な香水の匂いが漂っていて、人通りも殆どない。
 いかがわしい店の店員はカウンターの前に立つ俺達を見て固まっていた。
 来る場所を間違えていないか?
 その目は間違いなくそう言っている。
「ねえ、ここっていかがわしい店よね」
「あ、ああ」
 そう答えるしかないのだろう、店員はうなずく。
「有希、お願い」
 狭いカウンターの前に、ハルヒに代わって今度は長門が立った。
 店員の目は長門の顔から体へと進み、また顔に戻ってくる。
「なんのようなんだ? ……ま、まさかここで働きたいとかか?」
 店員の言葉にはある種の悲壮感が漂っている。意外に良心的な人らしい。
「違うわよ。有希、例の部品」
 ハルヒに言われて長門は倉庫で見つけた部品と、さやかさんに渡されたメモをテーブルに置いた。
 目のやり場に困るようなチラシの上に置かれたそれは、ケーキの上に直接乗せられた黒板消しのように異彩を放っている。
「対朱雀対処装置のOSシステム制御用多層式ロム、このロムを稼動できるボードの純正品。もしくはそれと同等の性能を持つ
製品を一つ」
 長門の言葉は俺には呪文にしか聞こえないが、店員には意味が通じたらしい。
「あんた、いったい……いや、言わないでくれ。俺は何も知らないし聞かなかった。ただこいつをテーブルの上に置いて、どこかに
無くしてしまった。それだけだ」
 店員はそれ以上係わり合いになりたくないのか、小さな機械をカウンターに置いて自分は店の中に入っていってしまった。
 いったい何を恐れているんだろう?
 長門はその部品を手に取りしばらく眺めていた。
「え、ちょっと料金は? ……有希、必要な部品ってそれでよかったの? 違ったら今の店員を引きずり出してくるけど」
 まて、お前は中に入るな。入るなら俺が入る。
 ハルヒの言葉に長門は部品を見たままうなずく、これでいいらしいな。
 とにかくこれで指定された部品は揃った、後は総長の所へ戻るだけだ。
 俺達が店から離れようとすると、カウンターの置くから声が聞こえてきた。
「これは独り言だ、だから返事はしないでくれ。朱雀を倒そうって考えてる連中が居るのは知ってる。俺もどちらかといえば
そう思ってるさ。でも、生き残った連中の中には、この混乱の中だからこそ美味しい思いをしている奴もいる。……俺の独り言は
それだけだ」
 その独り言を聞いてから街を出るまで、ハルヒはさっきのがどんな意味なのかを俺に聞いてきた。
 この時点ですでに不機嫌だったのは言うまでも無い。
 俺はなるべく推測が混じらないように気をつけてハルヒの質問に答えてやったのだが……。


「無事だったんですね! よかった……」
「お帰りをお待ちしていました」
 俺達が総長の街に戻ると、酒場の前にはさやかさんと古泉が待ち構えていた。
 バイクを停めてハルヒは長門から部品を受け取り、さやかさんの前に進み出る。
「ただいま、そっちの準備はどう?」
 その声は明らかに苛立っていた。
「あ、はい。酒場の裏のガレージで兄が……その、最後の調整をしています」
 驚いているさやかさんの言葉を最後まで聞かずに、
「ありがと、みんなは酒場で休んでて」
 ハルヒはガレージに向かって歩いて行った。
「何かあったんですか?」
 古泉もあっけにとられながら聞いてくる。
 あれだけあからさまに苛立っているハルヒは久しぶりだ。SOS団設立前以来じゃないか?
 ちょっとな。
 ……あいつが一番嫌う様な事がちょっとな……。
「お任せしてもよろしいですか?」
 何をだ、とは聞かねえよ。
 お前はともかく、朝比奈さんと長門には面倒をかけたくは無い。
 そっちは頼んだ。
 俺はうなずく古泉を残して、ガレージに向かった。


「ハルヒちゃん、あんたの気持ちはわかるよ」
「わかるならなんで戦わないのよ!」
 ……もう始まってたか……。
 俺がガレージの前に行くと、言い争う声が聞こえてきた。
 と言っても声を荒げているのはハルヒだけ、総長さんは落ち着いた声だった。
 シャッターをくぐると、松葉杖の延長線上のような形の白い機械を前にハルヒが総長さんを睨んでいた。
 これが噂の秘密兵器か。
 思っていたよりも小さいな、これならば一人で持てるんじゃないか?
「遅いじゃない!」
 俺への第一声はそれだった。
 お前の指示は「みんなは休んでて」じゃなかったのかよ。
「でもな、あんたが思うほど事は単純じゃないんだ」
「複雑にしてるのはあんたじゃないの?」
 いったい何の話をしてるんだ。
「キョン君だったか?あんたからも言ってやってくれ」
 総長さんまでその名で呼びますか。
「キョンあんたはどっちの味方なの?!言っておくけど、反逆罪は銃殺だからね!」
 なんとなく想像はついているんだが、
 その前に説明しろ。何を言い争ってるんだ?
 ――ハルヒの言い分としてはこうだ。
 朱雀のせいでみんな酷い思いをしているんだからみんなで協力して戦えばいいのに、なんでそれに反対するような悪人を
放置するのか?
 という事らしい。
 まあ、ハルヒらしい言い分だ。
 総長の意見はというと、
「でもな、ハルヒちゃんが言うその悪人のおかげで生きていられる人も少なくないんだ。俺達が運んでいる救援物資、あれも
そいつらから物々交換で手に入れている。もしもそいつらの機嫌を損ねたら飢え死にする人が出るのは間違いないんだよ」
「だったら!」
 我慢できずに出来たての秘密兵器に手を突く。
 どうやら簡単に壊れるような物ではないらしく、総長さんは落ち着いている。
「だったらそいつらをやっつけて、物資を奪えばいいじゃないの!」
 おいおい、何を言い出すかと思えば……。
 ハルヒ、総長さんの回りに居る人だけで全部やれってのはどう考えても無理だろ?
 だがハルヒはそれでも納得できないようだ。
 まあな、俺も今の話は納得したくねえよ。
 そんな火事場泥棒の顔色を伺わないと生活できないなんて、納得しろって方が無理だ。
 俺も、正義の味方が居ないってわかってても居て欲しいって思ってるタイプだからな。
「……どうやらキョン君もハルヒちゃん側の考えらしいな」
 俺とハルヒの顔を見て総長さんがため息をつく、その顔には何故か笑顔が浮かんでいた。
 その顔を見て俺達が何も言えないでいると、整備を再開しながら総長さんは話し始めた。
「俺には兄貴が居てな? 兄貴と俺はあんたが言うような事をやったんだよ、ずっと前にな。破壊された街から物資を集め、それを
法外な条件で売りつけて儲けてるやつらを相手に思いっきり暴れまわったさ。回りからは英雄呼ばわりされて、俺と兄貴は調子に
乗ってどんどん活動範囲を広げていった。自分達がやってる事が正義だって信じてな」
 そこまで言って、総長さんは秘密兵器の下にもぐりこんで顔が見えなくなった。
 そのまま下から声がする。
「そいつらは俺達と係わり合いにならない道を選んだ、買い手はいくらでもいるからな。結果、俺達の回りには食料が出回らなく
なって大勢の人が飢えに苦しんだ。みんなは俺達を責める側に回った、生きる為に。たとえ正しい事をしたとしても、それによって
苦しんでいる人から見れば俺達は悪人だったんだよ。そんな悪人は……さっきのあんたが言うように、だ」
「あ……」
 言葉もない。
 総長さんの言葉はハルヒにはかなりショックだったようだ、正直俺もきつい。
 正義が人を助けるとは限らないって事か……。
「悪党相手にならいくらでも戦うさ、でも飢えに苦しんでる人を相手には戦えない。仕方なく俺達は逃げ回ってた……そんな中、
兄貴は朱雀にやられちまったよ。残った俺達は、悪党ではなく朱雀を倒そうって決めた。後は前に話した通りさ。警察も軍隊も
倒せなかった朱雀を、暴れるしか能が無い暴走族の俺達が倒す……どうだ、かっこいいだろ?」


 俺達がガレージから酒場に戻ると、酒場の中は前と同じ平和な空気が流れていた。
 さやかさんは相変わらず笑顔でコーヒーを配り、暴走族の人たちは笑いながら美味くもない乾パンを食べている。外から戻って
きた人には笑顔で迎え、でかける人には無事帰れる事を願って送り出す。
 朱雀と出会ってしまえば生きて戻れる保障なんてないと承知の上で……。
 そんな毎日を、この人達はどれだけの間続けてきたんだろう?
「あ、お帰りなさい。兄さんの様子はどうでした?」
 さやかさんが戻ってきた俺とハルヒを見つけて近寄ってくる。
 その笑顔が今の俺には辛かった。
「さやかちゃん?」
「はい?」
 さやかさんの肩を掴んだハルヒの目には
「絶対……このあたしが絶対に朱雀を倒してあげるから!」
 強い決意が篭められていた。
 元々声が大きいハルヒが叫んだせいで、酒場の中は急に静まり返り何事かとこちらを見ている。
「涼宮さん」
 離れた場所で俺達の帰りを待っていたみんなが不安そうにこちらを見ている。
 心配しなくていい、大丈夫だ。
「おいおい、朱雀を倒すの俺だ。お、れ」
 いつのまにか後ろに来ていた総長が場の空気を見て明るく繋げる。
「総長!」
「兄さん!じゃあもしかして……」
 酒場の視線が総長へと集まる、それを眺めて総長は自信たっぷりに視線を受けながら
「ああ、完成だ。後は例のエネルギーを調達したら稼動できる。みんな待たせたな! いよいよ正念場だ!」
 高らかに宣言した。みんなの歓声で狭い酒場がいっぱいになる。
 この人は本当に人の上に立つのに向いている人だな。
 ついていこう、そう思わせる雰囲気を持っている。
「助けてもらっておいて悪いが、朱雀は譲らねぇぜ?」
 冗談っぽく言う総長に、
「じゃあ勝負よ。どっちが先に朱雀を倒すか!」
 ハルヒは食って掛かった。
 だから大声で勝負とか言い出すなよ。
 さっきとは違って、明るい雰囲気で視線がハルヒに集まる。
「よし、受けてたってやる。で、何をかける?」
「そうね……じゃあ」
 ゆっくりとハルヒの視線が酒場の中を回っていき……。
 借りている――ハルヒは貰ったつもりかもしれないが――総長のバイクを本当にくれとか言いそうだと思っていたが。
「さやかちゃん」
 俺の想像など練乳クラスに甘かった。
「へ?」
 突然自分の名前が出てきてさやかさんは目を白黒させているが、ハルヒはさやかさんを指差したまま微笑んでいる。
 予想外の展開に誰も口を挟めないようだ。
 おい、人の妹さんを賭けの対象にするな。
「いいじゃない可愛いんだから。私が勝ったらさやかちゃんをもらうわ。お持ち帰りで」
 確かにさやかちゃんは可愛い、ナイスポニーテールだ。だがそれとこれとは話が別だろ?
 まあ総長さんもこんな条件を飲むはずがないからいいが、
「じゃあ俺はあんただ」
 な?!
 総長さんは何故か余裕ありげに微笑んでいる。
「俺が朱雀を倒したらあんたはここに残れ。どうだ、受けるかこの勝負?」
 総長さん、あんたは常識人だと信じてたのに!
「兄さん馬鹿なことを言わないで?」
「俺は結構本気だぜ?」
 さやかさんには取り合わず、総長はじっとハルヒを見つめている。
 ハルヒ。
 受けるなよ?
 俺の視線を気にしながらも、ハルヒは総長から視線を逸らさない。
 古泉、以心伝心だったか? 今だけ俺にそれを使わせろ。そんな能力があるかなんて事はどうでもいい。
「いいわ」
 おい! ハル「このあたしが負けるはずないもの。その条件、受けてあげるわ!」
 俺の言葉を遮ってハルヒは続けた。
 さっきから何を言ってるんだお前は!
「よ~し決まりだ、みんな明日は原発に乗り込むぞ!」
 総長の声に答える暴走族の人達の声で、俺の苦情など掻き消されてしまった……。


 ドアをノックすると、
「はい」
 中からは可愛らしい朝比奈さんの声が返ってきた。
 俺です、中に居れてもらえますか?
 あの騒ぎの後、ハルヒは酒場の2階の部屋に早々と戻ってしまっていた。
 女性3人が居るはずのその部屋からは朝比奈さんの声以外、物音一つ聞こえない。
「えっと、今は誰も部屋に入れないでって言われてるんです……」
 そうですか……。
 今からでもいい、総長に勝負を断わってこい。そう言うつもりだったんだが。
「ごめんなさい」
 いえ、貴女が謝る事じゃないんです。悪いの間違いなくあの暴走女なんですから。
 仕方ない、俺は廊下を挟んだ反対側の部屋に戻った。
「その様子では涼宮さんとは」
 ドアの前にすら来なかったよ。
 古泉の顔にも困惑が浮かんでいる。
 俺もまさかあいつがあんな事を言い出すとは思ってもいなかったさ。
 ハルヒはこれはゲームだって思っているんじゃなかったのか?
「涼宮さんと一緒に行動するようになって、自分に少しは予想できない展開への耐性ができていると思っていましたが……甘かった
です」
 ああ、俺もだ。
 まさか自分が対象の賭けを受けるなんてな。
 それもコンピ研の時みたいに部活が変わるなんてレベルじゃない、ここに残る? 何を考えてるんだあいつは。
「もしも、ですが」
 ベットに座って床を眺めながら、古泉は呟く。
 俺の返事を待つ事無く続ける。
「総長が朱雀を倒し、涼宮さんが本当にここに残ると言い出したら。貴方はどうしますか?」
 いつもの笑顔も無く古泉が聞いてくる。
 ああ、俺もそれを考えていたんだ。
 でもいくら考えても答えは出ないでいる。
 お前はどうなんだ。
「僕は……どうするんでしょうね。僕の存在意義にもなりつつあるこの能力を考えると、ここに残ろうとするのか……それとも涼宮さん
の居ない現実に戻ろうとするのか……」
 俺の返事をそれ程期待していなかったのか、古泉はまた床へと視線を落として思考の中へと戻っていった。
 まあお前の場合、そんな問題もあるよな。
 でも俺の悩みはお前とは少し違う。
 いや、お前ももしかしたら同じ事をどこかで考えているかもしれないが……。
 ハルヒは、総長の事をどう思ってい「おっまたせー!」
 扉を蹴破ってハルヒが部屋に入ってきた時、俺は何か懐かしいものを感じていた。
 ……俺が真面目に何か考えるといつもこれだ……。
「はい、キョンはこれ」
 ご機嫌なハルヒからあっさりと手渡される重量物。
 ……ってお前これは銃だろ? しかも撃ったら肩が抜けそうなこの西部劇で出てきそうなデザインはまさか?
「44マグナム。肩が抜けないように両手で構えて、腰を落として撃ちなさい」
 銃を構える仕草でハルヒが腰を落として実演して見せる。
 お前どこからこんなもん持ってきた!
 俺の指摘を無視して、今度は弾が大量に装てんされたベルトが投げられる。
「酒場の倉庫よ、他にもい~っぱいあったから。あ、古泉君はこれ。もしも近接戦闘があったら困るから剣の一本くらい持っててね」
 古泉にはいびつな形の剣が一振り渡された。
「了解しました」
 何故か嬉しそうに古泉は剣を受け取り、さっそく抜いて重みを確かめるように型を決めている。
 へいへい、似合ってますよ。
「みくるちゃんにはバルカン砲よ! 何かに使えると思って買っておいてよかったわ~」
 何かって、何に使うつもりだったんだ。
「あははは……」
 凶悪な外見の重火器を持たされた朝比奈さんは、力なく笑っている。
 長門が重量をごまかしてるにしても、朝比奈さんにバルカン砲はないだろ……。その薬莢、どうみても直径2cmはあるぞ?
「みんな! よ~く聞いて。い~い? 戦争はずばり火力よ。一気に突撃! 僅かな反撃すら許さず粉砕! 玉砕! 大喝采!
これっきゃないわ!」
 玉砕したら駄目だろうが。
 おい、まさかこのまま朱雀を倒しに行くのか?
「まさか、秘密兵器のエネルギー確保が先よ。場所は地図を持ってきたし、説明書も有希が暗記したって言うから大丈夫!」
 ハルヒが指差す先には、ガレージにあった秘密兵器を持つ長門の姿があった。
 こいつ、本気だ。
「さあ、明日の朝に出発とか悠長な事を言ってる総長を出し抜いて一気に決着よ!」
 だったら静かに入ってこいよ、さっきから騒いでるお前の声で総長に気づかれるだろうが?
 なんて俺が言った所で聞くような奴じゃないよな……それで? どこに行くんだったっけ。
 長門、そのエネルギーがあるってのはどこなんだ?
「原発」
 ……え?
 俺に聞こえなかったと思ったのだろうか?
 さっきよりも少しはっきりと
「原発」
 そう長門は言い切った。
 ……原発に取りに行くエネルギーっていったら――まさか。

 深夜の廃墟を3台のバイクが走り抜けていく。
 暗い夜のほうが朱雀の姿が目立って安全な気がするが、廃墟の影のせいで死角が多くさっきから気が休まらないでいる。
 夜道を照らすフロントライトは最小まで絞ってはいるが、それでもこの暗闇では遠くからでも見つけられるに違いない。
 バイクにはハルヒが一人で、古泉の後ろには長門が、俺の後ろには朝比奈さんが乗っている。
「今回は本気で運転するからあたしは一人で乗るわ、みくるちゃんと有希は好きにしていいわよ」
 出掛けにハルヒがそう言ったからだ。
 それにしても原発か。
 俺はさっきまでここが未来の日本だって思ってたけど、流石にそれは無いみたいだな。
 いくら政治家が馬鹿な事をするにしても、東京に原発は作らないだろう。
「キョン君、聞こえますか?」
 背後から朝比奈さんの声がする。
 はい、聞こえてますよ。
 真面目な声だ、いったいなんだろう?
「えっと、最悪の事態が起きた時の為に伝えておきたいんです」
 なんですか? 急に。
 原因不明でゲームの世界に閉じ込められ、成り行きで原発に乗り込む事になった高校生。
 これ以上の最悪があるっていうんですか?
「この世界にはイレギュラーな要素はありますが、現実世界と繋がっています」
 ……え?
 すみません、意味がよくわからないんですが。
「えっと、この世界は間違いなく未来の日本です。私が住んでいた時代から見れば過去なんですけど、涼宮さんやキョン君達と
過ごしているあの時代から見たら未来なんです」
 それは、つまり……。
 ここは異世界じゃないって事ですか?
「はい。他の世界や塔は確かに異世界でしたけど、ここは違います」
 それは驚くべき所なんでしょうけど……。でも、原発が東京にあるなんてありえるのか?
 その、それってつまり……その。
 とりあえず原発の話は置いといて、だ。
 ぶっちゃけますとですね?俺みたいな一般人からすると、未来の世界も異世界もそんなに違わないんですが。
「ここで私がTPDDを使えば、恐らく元の時代に戻れます」
 本当ですか?!
「はい」
 なんてことだ、まさかここまで泣きっぱなしだった朝比奈さんがこんなタイミングで救世主になるとは……。
 妖精で天使で救世主! 朝比奈さん、貴女に対抗できる物なんてもうこの世にありませんよ! 貴女が神か!
「でも、これは最後の手段なんです。これを使ってしまえば涼宮さんに全てがばれてしまうかもしれませんから」
 う、それは確かに……。
 誤魔化すのは難しいでしょうね。
 もしここで俺達が過ごしていた時間まで遡ったとしてもだ、俺達は東京に戻る事になる。
 ゲームセンターで遊んでいたら、いつの間にか東京に居た。
 ……ここまでくると、言い訳しろって方が無理だろう。
 せっかく現実に戻れても、今度は古泉の言っていた「非現実が現実と入れ替わった世界」が訪れるかもしれないって事だよな……。
「ですから。みんなの身に危険が迫った時にだけ、私はTPDDを使おうと思います」
 俺は朝比奈さんに何て答えればいいのかわからなかった。
 SOS団の中に居て、俺だけが特別な力を持っていない。
 それは俺が一般人であるという証明で誇りでもあったんだが、今はそれが悔しかった。
「ごめんなさい。キョン君にこんな話を伝えても困らせるだけなのに……」
 朝比奈さん、そんな事ありませんよ?
 貴女が居るからこそ、俺はハルヒの暴走に耐えられているようなもんです。
 俺には出切る事がない、そう決め付けるのはまだ早い。
 きっと何かあるはずなんだ。


 長門を乗せた古泉のバイクが地下鉄に降りていく。
 その後ろに続いていくと、そこは廃線なのか作りかけなのかわからないが線路が所々かけた線路が続いていた。
 無言のまま走り続けていくと、やがて古泉のバイクが緩やかに速度を落とし止まった。
 線路の脇にある退避穴からさらに地下へと続く道が伸びている。
「ここなの?」
 ハルヒの問いに長門は静かにうなずく。再び古泉が先頭で、地下へと進んでいった。
 下水道という看板を途中で見かけた時から匂いを覚悟していたんだが、以外にも通路からは埃と淀んだ空気の匂いがするだけで
特に異臭はなかった。
 緊張のせいだろうか、さっきから誰も口を開かない。
 そんな中俺達の沈黙を破ったのは、
「……今の!」
 ハルヒがスピードを緩めずに声をあげる、俺にも聞こえた今のは
「銃声」
 長門が冷静に答えてくれた。
 さらに銃撃音、爆発音が通路の先から続く。かなり奥からその音は聞こえてくるようだ。
 俺達以外に、こんな場所に乗り込むなんて大馬鹿野郎の心当たりは一人しかいない。
「みんな、急いで!」
 その声には、先を越されるといった焦りはなかった。
 もしかしてハルヒは、抜け駆けをしようとしたのは勝負に勝つためじゃなくて……。
 ハルヒの声に答えるように、長門を乗せた古泉は狭い通路を限界まで飛ばして進んでいった。


「遅かったじゃないか。これが例の物だ」
 俺達はなんの障害も無く、原発の最深部まであっさり辿り着いた。
 それもそのはずだ、ここまでの通路を全部準備してくれていた人が居たんだからな。
「総長」
 血まみれで扉の前で壁にもたれてうずくまった総長は、最後に酒場で見せてくれた笑顔のままでタバコを口にくわえていた。
 足元には血で汚れた小さな機械が置かれていて、扉の向こうにはガラクタと化した兵器が転がっている。
 総長の体はタバコを持つ右手以外は無事な場所を探すほうが難しいくらい血まみれで、何故笑っていられるのか想像もつかない。
「あんた……ばっかじゃないの!」
 吐き捨てるように叫んでからハルヒはしゃがみこみ総長の襟を掴んだが、驚いた顔でその手をすぐに離す。
 ハルヒの手は、血に染まっていた。
「あ~……タバコ、さやかに辞めろって言われてたんだった。しまったな……」
 少し寂しそうに総長はタバコを大きく吸ってから、床にタバコを押し付けて火を消した。
「なんで? 私達なら無事にここまでこれたかもしれないじゃない! なんで一人で無茶したのよ!」
 ……ハルヒ、総長はお前と同じ事を考えてたんだろうよ?
 お前が総長達に危険な事をさせたくなくて抜け駆けを考えた様に、総長も俺達の事を思って……。
「賭け、負けちまったな」
 総長は右手だけで自分の頭に巻かれた鉢巻を外すと、そのままハルヒに差し出した。
「こいつをさやかに渡してくれ、それであいつはわかるはずだ。それと……もしもあんたも朱雀を倒せなかった時には、悪いが
本当にあいつを一緒に連れて行ってやってくれないか?」
 震える手で鉢巻を差し出したまま総長は笑っているが、ハルヒはそれを受け取らないまま総長の前に立っていた。
 しばらく無言の時間が流れてから、ハルヒはそっと鉢巻を手に取る。
「妹を……頼む」
 言葉が途切れるのと同時に総長の体が床に倒れる、俺の腕を痛いほどに掴んで朝比奈さんが声を殺して泣いていた。
 ……最後まで、かっこつけすぎだろ?
 協力して朱雀に勝って、みんな笑顔で別れる。そんな未来だってあっただろうに!
「有希……装置はこれで動くの?」
 掠れた声でハルヒが呟く。
 誰の方も向かずに、前方の壁を見つめたままで。
「……稼動確認、朱雀用バリア消去装置イレイサー99。完成」
 総長が手に入れてくれた部品を組み込み、長門が完成した秘密兵器を手に取り答えた。
「わかったわ」
 ハルヒは静かに自分の頭にあったリボンを取り動かなくなった総長の腕の上にそれを落とすと、総長の鉢巻を代わりに巻いた。
 鉢巻に染込んでいた総長の血が髪に滲み、額を伝ってハルヒの顔を流れていく。
 俺達の顔を見る事無く、ハルヒは通路を戻って行った。


 おい……まさか!
 俺達が原発から総長の街に戻ろうと廃墟を走っていると、前方から廃墟の向こうに赤い光と煙が見えてきた。
 嫌な予感がして胸が締め付けられるようで気持ちが悪い、何かの間違いだよな? 火事か何かだよな?
 夜が明けたら原発に行くからって、調子に乗った誰かが馬鹿をやってるだけなんだよな?
 俺は後ろに居る朝比奈さんに気を使う事も忘れて、急加速して街へと急ぐ。
 ハルヒと古泉も同じように加速していた。
 廃墟を超えた先に見えてきたのは、飛び去っていく朱雀の姿。
 そして、炎に包まれて崩れ落ちようとしている総長の酒場だった。
 古泉! 停めろ!
 俺は朝比奈さんに酒場が見えないように向きを変えてバイクを停めた。
 急いで飛び降りて朝比奈さんの手を取り、降りてもらう。
「キョン君?」
 何故ここで降ろされるのか朝比奈さんにはわからないみたいだ。
 それでいい、それでいいんだ!
 朝比奈さんは長門とここに居てください。
 俺の前を走っていた古泉が戻ってきた、どうやら俺が言いたいことはわかっているらしい。
 長門、ここで朝比奈さんと待っててくれ。俺は古泉の後ろに乗って様子を見てくる。俺のバイクを置いていくから何かあったら
これで逃げろ。
 俺の顔を見て長門はうなずく。
 長門はこの先に広がっているであろう物を見ても、顔色一つ変えないかもしれない。
 でも、俺は長門にそんな物を見て欲しくないんだ。
「すみません、涼宮さんは先に行ってしまいました、急ぎましょう」
 誰が止めたとしても、あいつは行っただろうさ。
 わかった。
 俺は古泉のバイクに飛び乗ると、バイクは燃え盛る酒場へ向かって一気に加速していった。


「……完成したのか? あれは……」
 酒場の周りには暴走族のみんなが倒れていた。
 俺と古泉で急いで確認したが、その殆どがすでに息絶えてしまっている。
 ただ一人の生き残っていたその男も虫の息だ。
「しっかりしなさい! イレイサー99は完成したわ、朱雀なんてあたしがすぐに片付けてくるから!」
 ハルヒが揺さぶりながら大声を出す。
 俺はそれを止める事もできずに、ハルヒを見守っていた。
「……そ、その鉢巻……」
 男がハルヒの頭に巻かれた鉢巻を見て目を見開く。
「さやかさんが……新宿のビルに……」
 それだけ言って、男は息絶えた。
 生き残っていた男以外は、銃や刃物かわからないが無残な程に痛めつけられていた。
 多分、俺達へのメッセンジャーとして一人だけ止めを刺さなかったんだろう。
 ハルヒ。
「何」
 倒れている人の中にさやかさんは居なかった。
 多分、俺達を罠にかけるために連れて行ったんだろう。
「……そう」
 酒場に居た人数からすると、半分くらいの人はここには居ない。
「……」
 泣くなハルヒ、まだ終わりじゃねぇ。
 仇を取るぞ。
 ハルヒは動かなくなった男を見つめながらうなずいた。


 ご丁寧な案内だな。
 俺達が長門の先導で新宿区へ向かっていると、廃墟の中に一つだけ煌々と照明が付けられたビルが見えてきた。
 これが罠でなくて何が罠なんだって感じだ。
 ビルの入口は開いたままだが、わざとらしく瓦礫が置かれているのでバイクのままでは侵入できそうにない。
 ここからは歩きか。
 俺が速度を緩めてバイクを停めようとすると、ハルヒはバイクに乗ったままでバルカン砲を入口に向かって構えた。
 ……今日ばかりは付き合ってやるよ。
 朝比奈さん、しばらくの間耳を塞いでいてください。
 後ろに座る朝比奈さんに言ってから、俺も荷物から朝比奈さんのバルカン砲を取り出し照準を入口付近に向ける。
 数秒後、激しい銃撃音が真夜中の廃墟に響き渡っていった。


 俺達がビルの中に入っても、銃弾の雨も爆発も起こらなかった。
 よくきたな! などという声が聞こえることも無く、誰かの視線すら感じない。
「下に来い。という事でしょうね」
 わざとらしく下りのエスカレーターにだけ電源が入っている。
 退路を断って、確実に仕留めたいって所だろうか?
 ハルヒがバイクのままエスカレーターに向かうのを見て、俺達もそれに続いた。
 そのまま待ち伏せを受ける事も無くビルから繋がった地下街まできてしまった。店はシャッターが閉まっていたり壊されていたり
するが、人の気配はしない。
 ここからどこへ行けって言うんだ?
「バイクを停めて!」
 言いながらハルヒが自分のバイクの電源を切る、俺と古泉も慌てて電源を切った。
 音を出す物が一つもなくなり、耳鳴りのような音が鳴り出す。
 いったいなにがあるんだ? と聞こうとする俺を腕で制して、ハルヒは顔を伏せて耳を澄ます。
 ……耳に流れるノイズ音。
 それに混ざるようなこの音は……。
「地下鉄の非常ベル!」
 ハルヒはバイクのキーを回してモーターを起動させると、その場で急旋回して走り出した。
 ベルの音を頼りに走り続けると地下街のさらに下、地下鉄の改札の先からベルの音は聞こえているようだった。
 バイクのまま改札を乗り越えていくと、地下鉄がホームに停まっているのが見えてくる。
 柱の一つに赤く点滅を繰り返す非常ベルを見つけた俺達は、とりあえず復旧ボタンを押した。
 大音量で流れていたベルが止まり、ホームは急な静けさに包まれる。
 ベルが止まるのを待っていたかのように、地下鉄の扉が一斉に開きだした。
 扉の向こうの車内には誰も乗っていない。
「乗れって事ね」


 俺達が車内に乗り込むと、自然にドアは閉まり地下鉄はゆっくりと走り始めた。
 さて、どこへ連れて行こうとしているのかね……。
 これからどうする?
 俺達を誘導している誰かは、相変わらず何も言ってこないでいる。
「先頭車両まで行ってみましょう、誰か運転席に居るかもしれないわ」
 それしかないな、無人かもしれないが進路が見えないのは不安だ。
 古泉がさっそく前の車両へと走り始める。
「急ぎましょう、もしもこの路線が途中で途絶えていたら大変な事になります。非常ブレーキを押さえておいたほうがいいでしょう」
 それは確かに笑えない、俺達は先頭車両へと急いだ。
 連結部の扉を何回開けただろうか、揺れる不安定な車内を走っていくとついに先頭車両へと辿り着いた。
「誰も居ないわね」
 運転席には朱雀どころか誰の姿も無かった。
 前方にはトンネルの闇が続いているだけで、他には何も見えない。
 運転席は手狭で、俺と古泉が入っただけで一杯になってしまった。
 非常ブレーキは……これか。
 非常用というだけあって、わかりやすい場所にそのボタンはあった。
 問題はこのボタンを押すべきか、押すならいつ押すのかって事だよな……。
「どこかに線路を照らす照明のボタンはありませんか?」
 コンソールの中にそれらしいものは……だめだ、わからん。
「適当に押してみればいいじゃない」
 焦れてきたのかハルヒが口を出してくる。
 あのなぁ……壊れたらどうするんだ?
「非常ブレーキはわかってるんでしょ?じゃあ他のボタンは押しても大丈夫よ。非常ブレーキを2つもつけたりしないだろうし、
押したら壊れるボタンなんて簡単に押せる場所にあるはずないわ」
 む、説得力があるな……。
「言われてみるとそうですね」
 古泉はさっそく適当にスイッチを入れていく、すると運転席が明るくなったり車内のエアコンが動き出したりしはじめた。
 俺もやってみるか。
 さっそく俺が手近な所にあった紐を引いてみると、プワーン! という警笛がトンネルの中を埋め尽くした。
「きゃあ!」
「バカキョン!」
 ん? 今、ハルヒの怒声に混じって聞こえたのは……。
「今のみくるちゃん?」
「ち、違います!」
 驚いた顔で朝比奈さんが首を振る、でも今のは確かに女の子の声だった。
 長門か?
「なわけないでしょう」
 即答でハルヒに否定された。
 一応長門の顔を見てみたが、さっきの悲鳴とその顔はどうしても結びつかなかった。
「僕の真上から今の声は聞こえましたよ」
 古泉は運転席の真上を見ながら指差す、ということは……。


 古泉の剣で電車の連結部のカバーを切り裂くと、車内に入り込む風はかなりのものだった。
 これは俺と古泉で行くしかないな……。
 朝比奈さんは運転席に居てください。いざと言う時には非常ブレーキをお願いします。
「はい」
 大人しく朝比奈さんはうなずく、さて残りの2人はどうしたもんだろうか……。
 俺の表情から何を言おうとしたのかわかったのだろう、
「あたしは行くわよ、このくらいは平気」
 言うと思ったよ。
 じゃあ俺と古泉が様子を見てくるから、それまで待ってろ。
「なんでよ!」
 危ないからだ。
 なんて言って聞く相手じゃないな……。
 車内に朱雀が隠れてたら、誰が朝比奈さんを守るんだ?
「有希が居るわ。有希、みくるちゃんを頼むわよ」
 イレイサー99を持った長門は、ハルヒを見てうなずいた。
 ……仕方ない、3人で行くか。
 一人ずつ順番に電車の上に上がり最後に武器を受け取って、俺達は声が聞こえた運転席の上を目指して進み始めた。
「気をつけてくださいね!」
 武器を手渡しながら心配そうに見上げていた朝比奈さんの笑顔が、俺を勇気付けたのは言うまでも無い。
 それにしても、外国映画のようにトンネルの中を走る電車の上を走るってのは人間には無理な話だな。
 風に飛ばされないように伏せながら、少しずつ進むのが精一杯だ。片手には武器を持っているのでさらに動きにくい。
 先頭に近づくと、車内から漏れた光で誰かがそこに座っているのが見えてくる。
「さやかさんですか!」
 トンネルを走る地下鉄に負けないように叫ぶと、
「キョンさんですか? さやかです!」
 すぐに返事は返ってきた。
 すぐにそこまで行きます!
 それから数分かけて、ようやく俺達はさやかさんの元まで辿り着いた。
 さやかさんを縛っていたロープを解く、見た感じ怪我はないようだが……。
 大丈夫ですか? 怪我はないですか?
「はい、私は大丈夫です」
 意外にも、さやかさんの声は元気そうだった。
 いくらなんでもおかしい。
 わざわざメッセンジャーを残し、ビルの地下まで誘導しておいてあっさり人質を返す……。
 いったい朱雀は何を考えているんだ?
「とりあえず下に降りましょう、ここは危ないですから」
「キョン前!」
 ハルヒの声に俺が急いで前を見ると、トンネルの出口なのだろう、小さな白い光が見えていてその光を遮るように赤い何かが
そこに居る。
 見覚えのある不自然な形に燃える炎。
 朱雀。
 待ち伏せしてやがったのか!
 トンネルの中じゃ逃げ場はないし、ここで非常ブレーキを押してもバイクまで走って戻っている時間なんてない。
「ここで戦うしかないわ!」
 ハルヒは中腰で嬉しそうにバルカン砲を構えるが、バリアはまだ無効化できていないんだ。
 長門! 聞こえるか?
 俺は下にいるはずの長門に向かって叫んだ。
 見えてるか? 前方に朱雀が居るんだ! 聞こえてたらイレイサー99を使ってくれ!
 果たして俺の声は届いたのだろうか?
 というか、イレイサー99ってのは射程距離はどのくらいあるんだろうか?
 俺が不安になり、もう一度叫ぼうか迷っていると、耳を劈くような轟音を立てて青白い光がトンネルを一瞬で埋めた。
 圧力を感じるほどに音と光が溢れて、耐えられず俺は目を閉じる。
 何秒ほどそうしていただろうか?
 急に風圧が弱まって、広い空間に出た気配がする。
 俺が恐る恐る目を開けると視界には廃墟の街が広がっていて、すでに電車は地下鉄のトンネルを抜けていた。
 いつの間にか昇っていた太陽によって、廃墟の町は朝焼けに照らされている。
 朱雀は……まさか撥ねてしまったのか?
 それならそれでもいいんだが。
 俺は火の鳥の姿を探して回りを見回したが、それらしい姿はどこにも見えない。
 崩れたビル、驚いた顔のさやかさん、壊れた橋、何故か仁王立ちで笑顔のハルヒ、溶けたアスファルト、俺と同じように回りを
見回している古泉、大きな鳥、灰色の空、どこまでも続く線路……。
 ――大きな鳥?
 もう一度見直してみると、ふらふらと飛んでいるのは炎こそ消えてしまったが灰色の空を旋回する朱雀の姿だった。
 小さな金属音を立てて、ハルヒの持つバルカン砲の安全装置が外れる。
「さやかちゃん。お兄さんの仇、とってあげるからね」
 ハルヒが空を舞う朱雀に照準を合わせる。
「え、仇って……あ」
 さやかさんは、ハルヒの額に巻かれた赤い鉢巻に気づいたようだ。
 そのまま何も言わずにじっとハルヒの顔を見ている。
 朱雀が方向を修正し、こちらにまっすぐ向かってくるのを見てからハルヒは引き金を引いた。耳を塞ぎたくなるような轟音、そして
バルカン砲から次々と雨のように銃弾が打ち出され、廃莢が電車の上を跳ね回る。武器でありバリアでもあった炎を失った朱雀は
鉄の塊に次々と打ち抜かれ、俺達に近づくことも出来ないまま落下していく。


 ――自らの世界を壊そうとした最強の四天王、朱雀の最後はそんなあっけないものだった。


 乾いた風が線路の上を吹き抜ける。
 レールの間を歩く足音は二つ、一つは俺でもう一つは
 なんでお前が来たんだ?
「別に。いいじゃない」
 ハルヒだった。
 あの後、電車を止めたものの塔まで戻る方法もなく、仕方なくバイクを取りに線路を戻っている所だ。
 ご都合主義って奴が使える漫画の中ならボスを倒した俺達はもう塔の前に居てもいいと思うんだが、現実って奴は意外と厳しい。
 だからといって全員で取りに戻っても仕方ないから、
「キョン、バイク取りに行ってきて」
 と、言われたのはいつもの事だったからまあいい。
 長門や朝比奈さんにこんな事は頼めないし、となれば俺と古泉しかいないだろう。2人で2台持ち帰れば、地下鉄まで2往復で済む。
 そう考えた俺は古泉に声をかけようと思ったのだが、
「私も行くから」
 意外にもハルヒはこの面倒な役割に立候補した。
 もしかして、さやかさんに色々聞かれるのが辛いからその場を離れたかったのだろうか?とも考えたが何か違う気がするんだよな。
 ハルヒはレールの上で器用にバランスを取りながら、俺の前をのんびりと歩いている。
 なんというか……都市世界に来てからのハルヒは大人しいな。
「ねえ」
 前を見たままハルヒが聞いてきた。
 ん。
「なんか……あんた都市世界に来てから変じゃない?」
 おいおい、変なのはお前だろ?と、言いたいが……俺も変なのか?
 そうか?
「そうよ」
 レールから降りて、足元の石を蹴りながらハルヒはつまらなそうにそう言った。
 どこが変なんだ?
 ここで会話が途切れるのもなんなので聞いてみたのだが、
「なんか……やっぱなんでもない」
 それっきり、ハルヒは地下鉄のトンネルに入るまで何も喋らなかった。


「真っ暗……」
 トンネルだからな、足元に気をつけろよ。
 地下鉄のトンネルに入ってからは俺が先に歩くことになった。
 入口付近は外からの明かりで多少明るかったが、すぐに真っ暗で自分の手元すら見えなくなる。
 足の裏に感じるレールの敷板の感覚だけが全てだ。
 光が無くなってすぐ、背中にハルヒの頭らしい物がぶつかってくる。
 足を踏んでしまわないようにペースを変えて歩いていたんだが、どうやらハルヒが躓いたらしいな。
「ちょっとキョン、なんであんたは普通に歩けるのよ!」
 ん? ああ、ちょっとしたコツがあるんだよ。
 夏休みのたびに田舎へ行っている俺だが、幼少期の頃にそこでみつけた廃線になったトンネルは格好の遊び場だった。
 真っ暗なトンネルの向こうには人気の無い林が広がっていて、まるで別の世界に来てしまったような気がした俺はそのトンネルを
自分だけの秘密の場所にした。
 そういえばもう何年も行ってないな……。
 来年はあの場所を妹にでも教えてやるとしよう、あれは子供だけの場所だ。
「どんなコツなの?」
 夏の匂いがする記憶の中から呼び戻される。
 ん~……でもこれは男にしか理解できない感覚な気もするんだよな。
 言語では概念を説明出来ない。
 長門風に言えばそんな感じだ。
「何よそれ」
 俺の背中にハルヒの手が当たる、手はそのまま横にずれて服の端を掴んで落ち着いたようだ。
 怖いなら手を握ってやろうか?
「バカ」
 まあ、そう答えるとは思ったさ。
 それに手を繋いで縦に並んで歩くのはかなり難しい。
 ハルヒ。
「何よ?」
 レールが左に少し曲がっていくから気をつけろ。
 転んだら怪我するぞ。俺は過去にした。
「え、嘘。あ、うんわかった」
 地下鉄のホームまで後どのくらいあるんだろうな。
 走るって訳にはいかないから、のんびり行くしかないが。
「ねえ、キョン」
 ん?
 暗闇の中では会話くらいしかする事がない。
「このゲームって後は、阿修羅ってラスボスを倒して終わりなのよね」
 そうらしいな。
 倒せればいいんだがな、倒せずに全滅して終わりじゃない事を祈ろう。
「そっか……長かった気もするけど、あっという間だった気もするわ」
 そうだな。
 都市世界は長かったが、それでもまだゲームを始めて5時間くらいしか経っていないはずだ。
「私ね? 自分が不思議な世界に憧れてると思ってた」
 そうだと思ってたよ。
 公言もしてたしな。
「でもね、このゲームの中でいっぱい冒険してるのに……なんか違うのよね」
 そうか? 
「うん。今までずっと求めてた物の一つはこんな世界、それは間違いないのよ。でも何かが違う……そんな感じ」
 楽しそうなのに、時々変にいらいらしてたのはそのせいか。
 これがゲームで、現実じゃないからじゃないか?
 お前にとっては、だが。
「そうなのかな……うん、そうかも」
 不思議な世界なんて実はこんな程度しか面白くないんだよ、そう言ってしまった方がよかったんだろうか?
 もしもその言葉をハルヒが納得してしまえば、元の世界に戻っても不思議を求めて暴走する事もなくなったのかもしれない。
 ハルヒが大人の階段を登るチャンス、だったのかもな。
 でも俺はこれがゲームだから、と誤魔化してしまった。
 俺はハルヒが今まで望んできた物を、こんな形で価値の無い物にしたくなかったんだ。
 ゲームには製作者が決めた結末があるけれど、現実には予測された結末なんて無い。
 だから面白い、そうだろ?
「あ、見えてきた!」
 実は目を閉じて歩いていた俺も目を開けてみると、遠くにホームの照明が見えていた。
 どのくらい歩いていたのか思い出せない、暗闇だと時間の感覚がなくなるってのは本当だな。
「キョン」
 ん?
「あんたはどうなの?」
 主語がないぞ。
 何がだ。
「あんたは楽しい? このゲーム」
 ……空中世界までは楽しかったさ。
 ……それなりにな。でも総長は助けたかったし酒場のみんなの事も悔いが残ってる……。
「そうね……ゲームだから、なんて割り切れなかったわ」
 そうだな。
 しかも朝比奈さんによればここは未来の世界、つまり俺達の世界はいつか本当に朱雀に襲われて壊滅するって事だ。
 それは何年先の事なのかわからない、俺が生きている間の事なのかどうかすらな。
 もしも、だ。
 俺達がこうしてSOS団として活動を続けている間に朱雀が現れたら、ハルヒはどうするだろうか?
 朱雀の名前も、東京が壊滅する事もゲームの出来事とはいえハルヒは知ってしまっている。
 そうなれば現実世界でも朱雀を倒しに……あ、行かないのか?
 もしも現実でも朱雀に挑んでいくのなら、俺達とどこかであってるだろうから、やはりこの世界は俺達が過ごしている時代よりも
ずっと先の事になるのか?
 駄目だ、混乱してきた。
 こんな面倒な事は後で古泉にでも押し付ければいいか。
「みんなきっと待ちくたびれてるわね、急ぎましょ」
 光に向かって走っていくハルヒを見て小さくため息をつき、俺も追いかけて走り始めた。


 俺達がバイクで電車まで戻ると、そこには暴走族の生き残りがすでに集まってきていた。
 さやかさんを中心に泣いたり笑ったりしている。あ、朝比奈さんも泣いてる。
「なんだ、バイク取りに行かなくてもよかったのね」
 まあ移動手段としてはな。
 でもお前のバイクは総長さんの遺品でもあるんだから意味はあったと思うぜ?
「あ、涼宮さん! これをどうぞ」
 さやかさんが赤く光る石を差し出してくる。
「これってクリスタル?」
 さっそく手にとって日にかざし、赤い光がハルヒの顔を照らしている。
「はい、朱雀のそばに落ちていたそうです」
 あぶないあぶない、朱雀を倒して完全に終わりだと思ってたよ。
 俺達はクリスタルを手に入れるために来たんだったな。
「ありがと、遠慮なく頂くわ……。代わりにはい、これ」
 ハルヒは総長さんが外した時と同じように片手で鉢巻を外し、さやかさんに手渡した。
 さやかさんは鉢巻を受け取り、懐かしそうな目でじっと見ている。
「で、どうする?」
 吹っ切れたように明るい声でハルヒが聞きはじめた。
「え?何がですか?」
 心当たりの無いさやかさんはおどおどしているが、
「私達と一緒に行く? それともここに残る?」
 ああ、その話か。
 総長さんは、朱雀を倒せなかったら一緒に連れて行ってやってくれって言ってたが……。
「……残ります」
 きっぱりと、さやかさんは言い切った。
「本当にいいの? まだまだこの世界は危険よ~?」
 さやかさんの顔を覗き込みながらハルヒは食い下がったが、さやかさんの表情に迷いは無かった。
「大丈夫! だって、私2代目総長だもん!! ね? みんな!」
 さやかさんの声に合わせて暴走族のメンバーが歓声を上げる。
 これならきっと大丈夫だな。
 諦めろ、ハルヒ。
 俺が言うまでも無く、雰囲気に呑まれたハルヒもさやかさんをお持ち帰りするのは諦めたらしい。


 これで集まったクリスタルは4つ。
 いよいよラスボスか……。
 阿修羅……いったいどんな奴なんだろう?

 

 世界の真ん中に立つ塔は
 楽園に通じているという

 遥かな楽園を夢見て
 多くの者達が
 この塔の秘密に挑んで行った
 だが、彼らの運命を
 知る者はない

 

 涼宮ハルヒの欲望Ⅳ ~終わり~

 涼宮ハルヒの欲望Ⅴ

 

 その他の作品

 


|