吹き抜ける風も寒くなってきた11月、俺は親の命を受けて映画の時に――勝手に――使ったあの神社へ向かって歩いていた。
素人目には過疎にしか見えないあの神社は、親曰く地元では地味に人気らしくこうして年の瀬まで一月以上前でもなければ絵馬を
描いてもらえないんだとさ。絵馬なんて物は別に妹の落書きを置いといたとしても差ほどご利益に差があるとは思えないが、
ここで無駄口でも叩こうものなら年末に向けた家の掃除に駆り出される事は目に見えている。
さて、無駄な事を考えているうちにようやく神社が坂の上の方に見えてきたようだ。
なんでこんな高い場所に神社なんて作ろうとおもったのかね? まったく。
道は舗装された歩道から石段へと変わり数分後、ようやく辿り着いた神社はやっぱり過疎だった。絵馬が人気なんてのは内の
親の妄想なのではなかろうか。もしくはそうあって欲しいという希望とかさ。
社務所の中からでてきた爺さんを見て、ますます俺の気分は落ち込んだ。
神社といえば若い巫女、なんてのは都市伝説だな。ああ、都市に行けばお金しだいで会えなくもないか。深いな。
宮司服に身を包んだ爺さんはしばらく俺の顔を無言のまま見つめていて、俺がもしかしてこの人は神社の関係者ではないのでは?
と疑いだした頃「30分後、またきなされ」と言い残して社務所の中へ入っていってしまった。
っておいマジですか? いくら昼間だからってこんな人気のない神社で一人、30分も何してろって言うんだよ。
溜息をつく声すらやたら大きく聞こえる、そんな静かな境内に小さな赤ん坊の様な声が聞こえてきたのはその時だった。
最近のテレビや新聞で親の育児放棄だ暴力だのと見聞きしていた俺は、いやな予感を感じつつも声の方へと走る。
おいおい、勘違いであってくれよ?
石段を2段飛ばしで駆け降りた先で俺が見た物は……まず、赤子ではなかった。
さらに人間でもなかった。
わかりやすく言えば猫だった、のだが。
長門。
「……」
何故か石段に座った長門と、その膝の上で丸まって眠る猫がそこに居た。
えっと、そのなんだ。
長門は振り向いたしせいで、無言のまま俺を見ている。
その猫、長門のか?
「違う」
そうか。
……まあ、ここは胸を撫で下ろす所だよな。少なくとも可哀想な赤ちゃんはここには居なかったんだし。
なんとなく長門の隣に座ると、長門の膝の上で眠っていた猫は目を覚ました。
ああ、今気づいた。長門の視線って猫みたいなんだ。
そんなどうでもいい事を考えていると、猫は小さくのびをして起き上がりそのまま俺の膝へと移動してきやがった。仕方なく
落ちないように足を閉じてやると、御苦労とでも言いたげな顔で猫は再び眠りにつく。
「……」
長門の小さな手が猫の背をゆっくりと撫でると、猫はごろごろと喉を鳴らし始める。
猫、好きなのか?
首肯。あ、そういえば撮影中のしゃみせんの餌はいつも長門がやっていたんだっけ。
飽きる事無く猫の背を撫でる長門、飽きる事なく撫でられるままになっている猫、そして……まあそうだな。
俺は俺でこんな状態がも悪くないなと思っていた。猫に視線を向ける長門の横顔をこんなに近くで見る機会ってのは、それ程
あるもんじゃない。
30分という待ち時間もこれで退屈せずにすむかな? と俺が思っていた時、猫が突然目を開けて上を向いた。
続いて長門も上を向く、思わず俺もつられて上を向いてしまうと――冷たい何かが顔に当たる。
冷たい小さな水の粒は、音もなく石段に降り注ぎ始めた。
階段を上り下りする時には一つコツがある、急がない事だ。
そのコツを無視して石段を最後まで駆け上がった俺は、息も絶え絶えだった。急に体を動かしたのもきつかったが、ついでに
今は荷物まであったからな。そう、俺の腕にはさっきの猫が抱かれたままでいる。
神社の屋根の下、濡れない場所に下してやると猫はまたその場に座ってゆっくりと目を閉じた。
どれだけ寝るのが好きなんだ? こいつは。
視界に入ってきた白い何かに振り向くと、音もなくついてきていた長門がハンカチを貸してくれるようだった。
すまん、ありがとう。
首を横に振る長門は、心配そうに猫の方をじっと見ている。
ああ、猫は濡れてないと思うぞ。
「そう」
それでも心配なのか、長門は猫から視線を外そうとしない。でもまあその気持ちは少しわかるぜ。
静かに雨が屋根を叩く音が響く中、まあ沈黙に耐えかねて俺はつい口を開いていた。
長門。今から話すのは俺の昔話なんだが、まあ退屈だったら適当に聞き流してくれ。
首肯。そうか、じゃあ語ろうか――
俺が子供の頃に飼っていた猫は何をされても平気みたいな頑丈な猫。名前はなんだったかな? まあいい、そいつはとにかく
元気な猫だったんだが、ある日秋雨に打たれて帰ってきた翌日、あっさりとこの世を去っちまいやがった。子供の頃はそれが
何故かわからなかったが、大人になってようやく猫は本当に寒さに弱いんだって気づいた時はショックだったよ。あれが秋雨で
なくて春雨だったらまだよかったんだろうけどな。
「春雨」
ん、そう。春雨なら暖かいから死なずに済んだんじゃないかって思ってな。
俺の言葉を聞いた長門は、鞄の中から折り畳み傘を取り出すとそれを差し、無言のまま神社から去って行った。
もしかして、変な話を聞かせちまったかな?
長門が去って猫と二人っきりになって数分後、ようやく社務所から爺さんが顔を出した。
やれやれ、これでやっと帰れるか。
俺は社務所の中で爺さんから紙袋に入った絵馬を受取り、料金を支払って社務所を後にした。
外は秋雨も上がり、冷たい空気が心地よく俺は深呼吸して伸びをする。
さて、帰ろうかな? そう呟いた俺の耳に聞こえてきたのは、何か固いものをカリカリと削るような音だった。思わず音が
聞こえた方に顔を向けると――長門?
神社の屋根の下、しゃがんだ長門が足もとに座る猫に何かをやっているようだったんだが、そのやっている餌ってのが
どう見てもキャットフードじゃない乾麺。
おい長門、何をやってるんだ?
駆け寄った俺の顔を見上げて長門は不思議そうな顔をする、そして手に持っていた袋を俺に見せてくれた。
そこには――春雨。そうか、確かに春雨だ。間違いない。
溜息をつき、これは猫が食べるものじゃないと俺が言おうとした時
「マロニー、帰ってきなさい」
社務所の爺さんの声が後ろから響き、途端に猫は爺さんの元へと走って行った。
俺と長門の視線を受けながら、社務所の中へ入っていく爺さんと……マロニー。
見れば長門の持つ春雨の袋は半分ほど無くなっていた。
猫って……春雨食べるのか?
額に手を置いて考え込む俺を、長門は不思議そうな顔でいつまでも見つめていた。
「秋雨」「春雨」 終わり