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季節は夏から秋へ、とは言ってもまだまだ暑い日が続きます。
しかも急に冷え込んだりしますからね、体調にはどうかお気をつけてくださいね。

 

 
さて、それは近隣住民への避難命令が下ってから二日目の朝の事でございました。

 

 

「……」
「……」
「……」
「……」
「長門さん」
「……」
「な、長門さん?」
「……」
「……」
「……」
「あの……?」
「カレーにするべきか……、おでんにするべきか……」

 

その真剣な表情に私はどうすればいいのか迷った挙句、
「何も選択しないという事は一見するとそれは平和的解決の方法かもしれませんが、

 何も選択しないことで傷ついている人が居るとしたらどうでしょうか? 
 何も選択しないという事は、何も選択しないという事を選択したという事になります。
 つまりは、それは言い訳にしかすぎません。どちらが良いか。今、長門さんが決めるべきです」
などと、よくわからない事を口走ってしまいました。
しかし、長門さんはそれで全てを理解したかのように顔を上げ、
「……、おでん」
「かしこまりました」
晩御飯のメニューが決まったところで仕込みに入ります。
いやいや、それにしてもおでんでございますか。随分久しぶりでございますな。
こんにちは。私、喫茶店ドリームのマスターでございます。

  

  

  
◇ ◇ マスターと長門さん ◇ ◇ 

  

  

  

避難命令と言っても、一時的なもので一両日中には解除されるそうです。
なんでもこの近くで不発弾が発見されたらしく、今その解体作業を夜通し行っている最中だそうです。
朝刊の地方欄の片隅に記事が載った程度の小さい出来事ですが、近隣に住む住民にとっては大きな出来事です。
一時期辺りは騒然とした感がありましたが、しかし今はもうすっかり落ち着いております。
あとは作業が無事終わるように祈るばかりですな。

 

さて、どうして長門さんに私が晩御飯のメニューを聞いたのか。
もう大体お察しいただけたのではないでしょうか?

 

実は不発弾が発見されたのが長門さんの住むマンションのすぐ隣だったのです。
この辺り一体は再開発が続いておりますが。
その関係もあり、マンションの工事中に不発弾を掘り当てたという、まことに運が良いのか悪いのかわからない話でございますな。
昨日長門さんにその事を話しましたところ、いつもの抑揚の無い声で、
「問題ない、不発弾は爆発する可能性は──」
と仰っておりましたが嫁が、
「だめだめ、ちゃーんと解体されるまでウチに泊まってもらうからね。有希ちゃんは大事なウエイトレスさんなんだから」
と、半ば無理矢理この店舗兼自宅に泊まっていただいているという次第でございます。
そのいえばこの家に誰かが泊まられたのは、あの朝比奈さんの一件以来でございますな。

 

 

閑古鳥が鳴く。

 

 

「閑古鳥が鳴くとは店や劇場、映画館、などに人がおらず、

 寂れた様を例える言葉で「この店は今日も閑古鳥が鳴いてる」といった使い方をする。
 古語に呼子鳥・喚子鳥(よぶこどり)という季語がある。

 これは人を呼ぶような泣き声のする鳥という意味で主にカッコウなどを指す。
 カッコウの鳴き声が当時の人に物寂しいと感じさせたことから、

 喚子鳥が転じ、閑古鳥という言葉が生まれた。
 つまり、閑古鳥とはカッコウのことで、

 閑古鳥が鳴くは閑古鳥が鳴いているように寂しい状態を意味する」
「か、解説ありがとうございます」
うっかり磨いていたグラスを落としそうになったのは内緒でございます。
「開店休業とも言う、つまりこの状態は──」

 

 

カランコロン。

 

 

「──、いらっしゃい」

ととと、と。
メニューを両手に抱えて小走りに駆ける長門さん。
黒のワンピースがフワリと舞います。それがなんだかとても微笑ましい光景に映るのは、きっと私だけではないはずです。
休日のこの時間に訪れる常連さんとはすっかり打ち解けた様子で、最近は長門さん特製のコーヒーという裏メニューが密かな人気でございます。
本人はまだ実験段階という事で色々と試行錯誤されているという事なのですが、その刺激的な味を求める常連さんが後を絶たないとか。

結局、今日訪れたお客様は午前と午後に三人ずつ。
閑古鳥も鳴いて、まさに開店休業と言える状態でございました。
避難命令が出ていては仕方ないですね。この辺りはギリギリ範囲外なのですが、それでも客足は遠のきますか……。
まあ、非難命令が解除されれば客足も徐々に戻ってくることでしょう。

帳簿の記入が終わって、真新しいページに嫁の文字を見つけました。
ついこの間コロンビアへ買い付けに行っていた間、店を開けていたらしく。涼宮さんにも少しだけ店を手伝っていただいたそうです。
お礼を込めて昨日涼宮さんにはコーヒーを振舞いました。もちろん、仕入れてきた新しい豆でございます。
相変わらず豪快な飲みっぷりで、その豪快さにこちらとしても嬉しさを覚えました。
あそこまで豪快に飲まれると気持ちいいものでございます。

 

 
さて。

 

 
長門さんが私の店で働き始めて、もうかれこれ数ヶ月が経ちました。
最初はハムサンドとカツサンドの違いもわからないくらいでしたのに、最近ではオリジナルのコーヒーの開発に余念がないようで、あれこれと私にアドバイスを求めにきてくださいます。
長門さんなりに計算して温度調節をしたり、豆の挽き方を工夫したりなさっているようですが、いまのところなかなか上手くいかない様子でございました。
一度何やら難しい計算式が書かれたメモ書きを見せていただきました、長門さんなりの努力の跡がうかがえます。
きっと長門さんならそう遠くない未来に理想のコーヒーを淹れる事ができるのではないでしょうか。

 

 
「……」
いつも閉店後は私はコーヒーを振舞うのですが、
今日は長門さんがコーヒーを淹れてくださるという事で、私はカウンターテーブルに腰掛けてその匂いについつい転寝をしてしまいそうになります。

 

 
「……」
「長門さんがコーヒーを淹れる理由、お聞かせねがえますか?」
「わたし?」
「さようでございます」
「……、……。」
たっぷり時間を空けた後に、
「飲んで欲しい人が、居る」

 

 
「そういえば長門さんにコーヒーの淹れ方を教えて欲しいと言われた時、なんと答えましたかな?」
沸騰した水が注がれて、コーヒーに命が宿ります。
「コーヒーの声を聞く」

 

 
「そうでしたな、どうですか? 声は聞こえますか?」
「……、わからない。他の有機生命体とは違って、コーヒーそのものは声を発するものではないから」
「長門さんのコーヒー、最初と比べて格段に美味しいですよ」
「ありがとう」
「後は声を聞けたら、それに自分の想いやアイデアを注ぐだけです。コーヒーに注ぐのは何もお湯だけではないのですよ」

 

 
「コーヒーに想いを注ぐ……?」
長門さんはわからないという目線を私に寄越します。
その二つの大きな目から今にも「?」マークが飛び出してきそうで、少しだけ私は笑ってしまいました。
「いや、決していじわるしているつもりではなくてですね」
長門さんのコーヒーを一口。
「例えば、何でもいいのございます。飲んで欲しい人はどんな人で、その人にコーヒーを飲む事でどうなって欲しいのかを考えながら作るのです」
「……?」
もう一口。

 

 
「確かに、計算しつくされた温度で計算されつくした挽き方の豆、

 計算つくされた淹れ方をしたコーヒーを旨いと想う方もいるでしょう。
 そうして美味しいコーヒーができた、ではそれにプラスして、

 自分の心を注いでみてはどうでしょうか? 

 きっとそれは全く違ったものになるはずでございます
 ある意味でコーヒーは自分を写す鏡、なのかもしれませんな」
実はこれ、師匠の受け売りなのですがね。
最初は私にも全く理解できませんでした、何が心を注ぐだふざけるなってね。
でもね、そんな事を思っている間は決して旨いコーヒーなんて淹れる事はできないものでございます。
いつも完璧なわけではありませんが、いつも完璧を目指す事はそう難しい事ではありません。
ちょっとした心遣い、ちょっとした思いやり、ちょっとした気配りでいくらでも美味しいコーヒーを淹れる事ができる、こういう事でございます。
はは、少し説教くさくなってしまいましたなあ。失礼致しました。
「いい。勉強になった」

 

 
窓から月明かりが入り、コーヒーの上で月が踊っていました。
静かな夜。
そう、それはまるで。

 

 
◇◇

 

 
「あなたの淹れるコーヒーは不思議」

 

「私のコーヒーが?」

 

「暖かい。温度という意味ではなく、体の奥底から暖かくなれる」

 

「それはきっと、私がそう願っているからでございます」

 

「なにを?」

 

「叶った時にお教えします」

 

「……ずるい」

 

「そ、そんな上目遣いで聞かれてもだめでございます」

 

「……いじわる」

 

 

 

 

長門さんが、

人に、

なれますように。

 

 

 

 おわり。
 

 

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