はじめに

・文字サイズ小でうまく表示されると思います
・設定は消失の後くらい
・佐々木さんとか詳しく知らないので名前も出てきません
・異常に長文なので暇な人だけ読んで欲しいです
・投下時は涼宮ハルヒの告白というタイトルで投下しましたが、すでに使われていたので変えています

・誰時ってのは黄昏の旧漢字……らしいです 多分

では、のんびりとどうぞ




 学校行事に書き込まれていたテスト週間も無駄な努力と時間の経過によって無事終了し、晴れ晴れとした寂しさだけが残った週末。
 テスト期間にあった祝日をむりやり土日に繋げてできた取って作った様な連休に、テストの結果に期待しようも無い俺は心の安息を求めていた。
 この不自然な形の休日に教師といえども人間であり、生徒同様たまにはまともな休みが欲しかったなんていう裏事情には気づかない振りをするのが
日本人らしくて好ましいね。
 しかし、テストが帰ってきて偏差値などという価値基準が俺に付与されれば、日本経済の実質成長率の如く一向に上がる気配を見せない俺の成績に
母親は表情を暗くするのは想像に難しくない。
 でもまぁ、今は人事を尽くした者として大人しく天命を待てばいい。
 休むべく作られた休日ってのを謳歌してな。
 放課後の帰り道、ハルヒによって明日の休日初日から呼び出されているという事を踏まえても俺はずいぶんのんびりとしていた。
 それは長門の一件が解決したばかりだったという事もあるが、最近のハルヒはあまり無茶をしなくなっていたってのもある。
 ……そんな俺の考えは煮詰めた練乳並みに甘かった事を、俺は数日後に思い知る事になり今に至るというかなんと言うべきかね。
 ともかくだ、天命って奴は人事を尽くしたくらいじゃ変えられないらしいぞ。


涼宮ハルヒの誰時


「急に呼び出したりしてすみません」
 そう言って軽く頭を下げた古泉の顔には、驚いた事にいつもの営業スマイルがなかった。
 そもそも目的地があるのか無いのか、もしくは現在考え中なのかすらも定かではない黒塗りタクシーは俺と古泉を後部座席に乗せて軽快に夜の街を走っていく。
 この車に乗るのも古泉に呼び出されるのも久しぶりの事だ。
 最近はハルヒも落ち着いてきたと思ってたんだが、また何かあったのか?
 一応はそこそこに一般常識があるはずの古泉の事だ、俺を深夜に呼び出す理由なんてハルヒ絡み以外には想像つかない。
「当たらずも遠からずって所ですね……これからお話する事は確定した事実ではなく、あくまで仮定に過ぎないという前提で聞いてください」
 随分もったいぶるじゃないか。わかった、仮定の話だと思って聞くよ。それで?
「僕が以前お話しした、涼宮さんに望まれたがゆえに僕達の様な超能力者が生まれたという話は覚えていますか?」
 ああ。残念ながらなんとなくは覚えている。
 あの夢物語の事だよな、この間妹が見せにきた絵日記に似たような内容があって焦ったぞ。
「あれから我々も世界の破滅を防ぐ為にと色んな勢力と情報交換を繰り返してきました、その結果一つの結論に辿り付いたんです」
 結論ねぇ。聞こうじゃないか。
 俺のリアクションに期待でもしていたのだろうか?古泉は次の言葉をやけに芝居がかった感じで言い切った。
「あなたです」
 は?
「あなたが全ての始まりであり終わり。それが機関の暫定的な結論です」
 ……古泉。
「はい」
 そんな冗談を言う為に俺をわざわざこんな深夜に呼んだのか?
 俺はこれから、明日の休日にハルヒが無茶をするのに備えてぐっすりと寝ってやる所だったんだぞ。
「冗談です、と言いたい所ですが機関は本当にそう考えているんです。僕としてはまだ半信半疑といった所ですが、信頼すべき部分もあると」
 やれやれ、俺はただの一般人だって保障したのは確かお前じゃなかったか?
「あの時点では確かにそうでした、しかしその後の貴方の行動によって過去に新たな確定事項が出来た事により、事情は変わってしまったんです」
 何を馬鹿な……まて、過去が何だって?
「はい。貴方は朝比奈みくると過去へ行き、過去の涼宮さんと出会った……そうですね」
 あれ、お前にその事を言ったか?……まあいい、確かにそうだ。
「その出会いそのものは問題ではありません。問題なのは、あの時貴方が会った涼宮さんは、それより前の時間にはどこにも存在していないんです」
 古泉、日本語で頼む。
「僕も詳しい事はわかりませんが、推論で言えば貴方が過去へ行った事で涼宮さんは誕生した。つまり、涼宮さんは貴方が創り出したという事になりますね」
 営業スマイルを何処かに置き忘れたらしい古泉は、真面目な顔でそう言い切る。
 ……お前、正気か?
「僕はいつでも、そこそこに正気のつもりです」
 だったらよけいに性質が悪い。
 長門でもハルヒでもない俺が、人間なんて作れると思ってるのかよ。
「確かに最後の部分は僕の推測です。ですが、機関が接触している長門さんとは別の統合思念体の組織によって、涼宮さんがあの日校門の前で
貴方に出会うより前の時間に存在していない事は確認されているんです。さらに言えば、我々機関の人間がこの超常の力を手に入れたのも
貴方が涼宮さんと過去で出会った日と同じ日。今となっては確認する方法はありませんが、貴方が涼宮さんに北高であったあの日まで、
涼宮さんはどこにも存在していなかったのかもしれませんね」
 これ、笑う所か?そう思いたいのだが、残念ながら古泉の顔は至極真面目ときてやがった。
 わかったわかった、お前のその意味不明な話が全部正しいとするさ。それで、何故そんな話を俺にする?論理ゲームなら長門とやってろよ。
 お前は以前、ハルヒには何事も無い人生を送って欲しかったと言ったじゃないか。
 最近はあいつも大人しくなってきたのに、俺におかしなロジックを吹き込んでまでわざわざ不確定事項を探してどうするんだよ。
「……確かにそうですね、僕が話している事は自分でもとても危険な事だと思います。ですが、その先に待つもっと大きな危険を回避する為に
貴方にはどうしても話しておかなければならない。このまま、僕の話を最後まで聞いてもらえればその事についてもご理解頂けると思います」
 その先に待つ危険ねぇ……。
 俺は明日、ハルヒが何を言い出すか考えるだけで手いっぱいなんだがな。
「統合思念体によれば、数年後のこの世界に朝比奈みくるは居ません」
 ……それは……寂しいが仕方ないんじゃないのか?忘れがちだけどあの人は未来人なんだ。
 っていうかそれは秘密にしておいて欲しかった。
 でもまあ数年後って事は、高校に居る間は一緒に居られるって事か……そういえば朝比奈さんは俺達よりも先に卒業する事になるが、進学するんだろうか?
 俺のお気楽な考えをよそに、古泉は深刻そうな口調で続ける。
「それだけではありません、長門さんも僕も、涼宮さんも居ないんです」
 は?
 って、今日2回目か。
「SOS団のメンバーで最初に涼宮さんと出会ったのは貴方。SOS団が発足するきっかけになったのも貴方。数年後のこの世界に残っているのも貴方だけ。
 ここまでくれば疑う余地もなく全ての原因は貴方である。以上が機関の結論です」
 ちょっと待て、今話してる事は本当なのか?
「…………」
 古泉。
 俺の問いかけに、何故か古泉は苦しそうな顔で視線を外した。
「僕からこれ以上お話しても貴方は理解も納得できないと思います。ここから先は長門さんに聞いてみてください」
 長門?
 なんでここで長門の名前が出るんだ?
「我々の掴んだ情報通りならば、長門さんにも未来の自分と同期する事ができるはずです。それを使えば、何年先まで自分が存在しているかがわかるはず」
 ……そこまで知ってるのか。
 久しぶりに嫌な予感がする。何かが起こりそうだが、結局俺には何もできないで終わる事になりだというなんとも疲れる予感だ。
「混乱させてしまってすみません、僕も正直心の整理ができそうにありません。ですが、このまま何もしないで破滅の時を迎えるよりは、
とにかく行動したほうがいいと思ったんです」
 まるで朝倉みたいな事を言うんだな。
「え?」
 いや、こっちの話だ。気にするな。
 会話が途切れるのと同時、まるで事前に何度もリハーサルをしたかのようなタイミングでタクシーは長門のマンションの前に止まった。


 深夜のマンションの廊下は当然ながらまるで人の気配がしない。
 もしも巡回中の警備員に出くわして、何をしているのかと聞かれたらなんて答えればいいんだろうね?
 超能力者の予言による世界崩壊の危機を回避するための助言を宇宙人に聞きに来たんです。とでも言えばいいのか?
 まったく、間違いなく救急車を手配してもらえるだろうよ。
 以前長門から聞いた暗証番号を使ってマンションに入ることができた俺は、そのまままっすぐ長門の部屋へと向かった。
 冷たいインターホンを押すと、呼び出し音の後には無音の静寂が続く。
 その無音の中に長門の気配を感じて、俺はマイクに向かって話しかけてみた。
 俺だ、夜遅くにすまないがちょっと話をさせて欲しい。
 もしかして寝てるか?普通なら誰だって寝てる時間だしな。
 数秒後、インターホンには何の返事も無いままで部屋のロックは小さな音を立てて外れた。
 扉の向こうに居た長門は深夜だというのに何故か制服をきたままだった。……なんでだ?
 まあいい、深夜だし古泉ならともかく長門に迷惑をかけるのは気が引ける。
 部屋にあがらせてもらった俺はさっそく、さっき古泉から聞いたとんでも話をそのまま長門に伝えた。
 と、いう事なんだが……。古泉が疲れてるだけだよな?
 個人的には「妄想、精神的疲労による軽度の錯乱状態」って返答を期待したいんだがどうだろうか?
 しばらくの沈黙の後、
「……古泉一樹の所属する機関は、確かに私以外の統合思念体の端末ともコンタクトしている。統合思念体の中には未来の情報を伝える事で、
自立進化に関わる不利益を回避しようとする派閥が存在する」
 そんな事ができるっていうか、許されるのか?
 お前の上司ってのがそこまで無茶苦茶な連中だとは思ってなかったぞ。
「許されない。未来への干渉は、結果的に得られるはずだった自立進化の可能性を消失してしまう可能性がある」
 何にしろ自分中心って事か
「そう。本当に統合思念体が未来の情報を漏らしたとしたら、それは自にとっての危機的状況を回避する為に他ならない」
 ……統合思念体の危機?そうか、以前長門は。
「以前私がそうしたように、統合思念体の存在が何者かに消去されその状態が回復される事がない未来を見つけたのかもしれない」
 ……それってつまり、自分が消されそうになるならその歴史を改竄する事もありえるって事なんだろうか?
 それならあの時の長門も何かされてもおかしくなかったって事じゃ。
 あ、それとも結果的に自分が元通りになるってわかってたから何もしなかった……駄目だわからん。今はとにかく現状の事だけ考えよう。
 長門、古泉が言った未来との同期ってのをしてみてくれないか?
「……」
 肯定も否定でもない、無機質な視線が俺を見つめている。
 あいつは数年後の未来にお前も朝比奈さんも、古泉もハルヒも居ないって言った。つまり十年以上先の未来のお前と同期できたら、あいつの言ってた事は
全部思い過ごしって事だろ?
「……申請してみる」
 すっと長門の視線が天井の特に何もないはずの部分に固定され、俺はしゃみせんが時々そうしているのを思い出していた。
 あれって何を見てるんだ?もしかして、猫はみんな情報思念体とアクセスできる……なわけねーか。いや、どうだろう。
 数十秒程の沈黙の後。
「だめ」
 その返事は俺を安心させる物ではなかったが、とりあえず不安にさせるものでもなかった。
 しかし、問題はこの後に続く言葉だった。
「一年後の未来に同期すべき私は存在しない。更新できたのは、3日後の自分まで」
 古泉のとんでも話より、もっととんでもない話が俺を待っていたらしい。

「私の存在は3日後の21時57分に消失する。その時刻には、朝比奈みくる、古泉一樹、涼宮ハルヒの3人もこの世界に存在していない」
 3日後って……数年先じゃなくて今週のか?
「そう。貴方だけが残る」
 ……まてよ、そんな事になったら未来の朝比奈さんはどうなるんだ?3日後に今の朝比奈さんが消えてしまったら……あ、そうか。
 3日以内に未来に帰ってしまうだけって事だよな。
 朝比奈さんが生まれるのがもっと先の未来なら、数年後の世界に朝比奈さんが居なくても不思議じゃない。
「違う。朝比奈みくるの存在その物が消える」
 存在その物が消えるって……
「この時間軸に存在する朝比奈みくるも、異時間同位体の朝比奈みくるも確定した未来の存在ではない。このまま時間が続けば、存在する事になったはずの
暫定的な存在」
 待ってくれ、俺にはさっぱり理解できん。
 ……そうだ長門! お前は自分が消える直前までに起きる事をみんな知ってるんだな?
 俺の言葉に長門は頷く。
 ルール違反を指摘したばかりだとか言ってる場合じゃない、これが非常事態じゃないなら何が非常時だっていうんだ!
 だったらそれを教えてくれ!それさえ分かれば危機が回避できるから、未来の情報を流したりするんだろ?
「できない」
 できないって……。
「貴方が異時間の情報を古泉一樹から聞いた時点で、歴史に差異が生まれた。21:57に消失する未来も予測される未来で確率が高いと思われる一つであり
確定された物ではない。これから先に起きる出来事は、もう誰にもわからない」


 ……なんとなく、居るんじゃないかと思ってましたよ。
「キョン君」
 教えてください、知っている事を全部。
「はい、私に話せる全てをお話します。これが、キョン君と会う最後なんだから」
 長門のマンションの外で俺を待っていたのは、寂しそうな顔をした大人の朝比奈さんだった。
 何も言わない朝比奈さんについていくと、やがていつも俺達が集まる時に使っている駅前の小さな広場に辿り着く。
 駅前は深夜だという事を考えても不思議なくらい人影もなく、町は俺達以外に誰もいなくなってしまったのではないかと思う程に静まり返っていた。
「明日の朝、ここにみんなが揃って涼宮さんがSOS団の解散を宣言します」
 は?
 今日は何回驚かされればいいんだ?……そろそろ勘弁してくれ。
 朝比奈さん……それってマジなんですか。
 俺の言葉に、朝比奈さん(大)は何故か微笑む。
「はい、大マジです。そして、キョン君は涼宮さんに告白されて恋人になるの」
 は?
 思わずまた大きな声が出てしまった俺を見て、朝比奈さん(大)は嬉しそうに……って今なんて言いました?
「……ショックだったな。なんて、今更ですけど」
 や、やだなぁ。こんな時に冗談言わないで下さいよ。
 動揺する俺を前に、朝比奈さんは淡々と話し続けた。
「涼宮さんの告白のセリフもキョン君の答えも全部知ってます。知ってるのに、私は存在しなくなるなんて不思議な感じ」
 不思議な程、朝比奈さん(大)の言葉は落ち着いていて、それとは反対に俺は状況把握に必死だった。
 えっと、みんなが数年後に消えてしまうと思ったらそれは実は3日後で、それはよくわからない宇宙理論で回避できないらしくて、SOS団が明日解散して
 ハルヒが俺に告白する?
 どこから突っ込めばいいんですか、これ。
「そして3日後、2人は初めて結ばれて……みんな消えるの」
 追い打ちかけないでくださいよ! と叫びたかった。
 言葉ってのは凄いな、この時の俺はハルヒに襟首を引っ張られて机に頭を叩きつけられた時よりも動揺していた自信がある。
 何で、何でそんな事になるんですか?意味がわかりませんよ。
「それは……私には言えないの。ごめんなさい」
 自分が消えるかもしれなくても言えない事ってなんですか?なんて言える空気じゃない。
 寂しそうな声で謝る朝比奈さん(大)にそれ以上何を聞いていいのか、俺にはわからなかった。
 ――どちらからともなく木製のベンチに座った俺達は、暫くの間無言だった。
 でもまあ悪くない沈黙だったと思う。
 俺は少しでも頭の整理がしたかったし、朝比奈さん(大)も何か考えているようだった。
 ベンチの冷たい感触が無くなってきた頃、
「……キョン君、子供の頃の思いって純粋だと思わない?」
 急にどうしたんですか?
 優しい声で話す朝比奈さん(大)は星も見えない夜空を見上げたまま、話し続けていく。
「架空の存在ですら心から信じられる、子供ってそんな純粋な心を持ってる。キョン君も信じてたのよね?宇宙人に未来人、正義の味方に超能力者。
年を重ねて現実を知るにつれてそれを信じなくなってしまったけれど」
 ……あ、あれ?俺、そんな事話しましたっけ?やだなぁ、忘れてください。
 孤島で飲んだ時にもで言ったのか?喋った覚えはないんだけど。
「そんな存在居るわけがない……でも少しは居て欲しい。子供の頃の貴方では想像できなかった現実的な部分まで想像できるように成長した貴方は、
北高校に入学したあの日もそう願っていた。超常的な存在の近くで色んな出来事に巻き込まれながらも見守る、そんな一般市民になりたい、と」
 違う、そんな事まで俺が朝比奈さんに言うはずがない。俺だって今、言われるまで忘れてた事だ。
 なんで、それを……。
「キョン君、貴方は心から願ってしまった。そんな超常的な存在……もうわかっちゃったよね?涼宮さんみたいな人に出会いたいって。心当たりは
あったと思うの。神様みたいな力を持っている涼宮さんが、貴方の後ろの席に居たのは偶然?あの席順でなければ、キョン君はきっと涼宮さんに話し
かける事はなかった」
 それは、たまたま50音順で座ったからじゃ。
「たまたま同じ学校に進んで、たまたま同じクラスになって、たまたま50音順で後ろの席になった女の子がキョン君の望んでいた神様みたいな女の子。
しかもその子にたまたま選ばれた……これはもう偶然とは言えないですよね。どこかに必然が混じってるんです」
 ……もしかして、ハルヒが俺を前の席にしたって事じゃ?
「涼宮さんが探していたのは北高の制服を着ていたジョン・スミス。中学校の時に高校生のジョン・スミスを見て同じクラスになれると思うはずがないし、
万一矛盾を無視してそれを望んだとしても、その名前を本当に信じていたならスミスさんでは並びで言うと涼宮さんの後ろに居るはず。でも実際に
後ろの席に居たのは谷口君でした。そして貴方もずっと感じていた疑問、何故宇宙人でも未来人でも超能力者でもない普通の高校生のキョン君を
涼宮さんは選んだのか?さっき話した、たまたまの中にある必然……その答えは、貴方を選んだのが涼宮さんだったのではなく涼宮さんを選んだのが……」
 待ってください!
 思わず立ち上がった俺はとにかく何かを言おうとした、このまま説明を聞いていたら何かとんでもない事になってしまうんじゃないか?
 そんな不安が俺をとにかく焦らせていた。
 えっと、今この世界に居るもう1人の朝比奈さんは、未来人だって話を打ち明けてくれた時に数年前のある日よりも以前の時代に戻れなくなったって
言いました。そうなんですよね?
「はい、そうです」
 でしょう?って事はやっぱりハルヒが全ての原因なんじゃないですか?
「キョン君が私を背負って涼宮さんとグランドで出会ったあの日、あの日よりも過去に戻れないんです」
 黒塗りタクシーの中で聞かされた、あの時貴方が会った涼宮さんは、それより前の時間にはどこにも存在していないんですという古泉の言葉が思い出される。
 ……古泉が言っていたのは……じゃあ。
 俺の思考の中で纏まらなかった考えが、望まない形に固まっていくのが止められなかった。
「時間変動が観測されたあの日、涼宮さんがこの世に誕生した。まるで今の年代から逆算したかのような年齢で唐突に。そして関係する全ての人間の記憶に
彼女の存在が書き込まれた。そして涼宮さんによって未来人の存在が産まれた、……そう考えればあの日よりも前に戻れないのに説明がつくんです」
 それで理解できるのだろうか、朝比奈さん(大)は小さく息をついて口を閉じてしまった。
 すみません、さっぱりわからないんですが……。
 俺にわかるのは大量に浮かび上がった問題だけです。それも長門でも解けないであろう超難問がいくつもね。
 溜息といっしょに再びベンチに座る、しばらくは立ち上がれそうにない。
 じりじりとした感覚だけが続く無言の時間の中、俺は何を考えればいいのかわからず、朝比奈さん(大)は今何を考えているのだろうか?と考えてみた。
 これで会うのは最後だと言いきったのはこれがはじめてだけど、それは何故なのか?
 未来が変わってしまうのなら、何故朝比奈さんは今ここに居られるのか?
 ……どうすればいいか教えてくれないのは、もうどうしようもないって事なのか……。
 結局考えは形になる事はなく、いつしか悩んでうつむく俺を朝比奈さん(大)は優しく見つめていた。
「キョン君……もう、お別れの時間になってしまいました」
 静かに立ち上がった朝比奈さん(大)が言い出した時、俺はそれを引き留めても無駄なんだろうなという事はわかった。
 ベンチに座ったままの俺を見下ろす女神は、俺を沈黙させるなど容易いほどに綺麗で、今は大きなその眼に涙を浮かべている。
「この時代に来た私は幸せでした。色々恥ずかしい思いもしたけど、楽しい思い出もいっぱいできたもの。それに……」
 すっと近寄ってくる朝比奈さん(大)の体が俺に重なり、動けないままでいる俺を抱きしめた腕に力が込められる。
 その体は小さく震えていて、それに気づいても俺にはどうしていいかわからなかったのが悔しかった。
「もう1人の私は何も知らないまま消えてしまうけど……忘れないでね……私が居た事、過ごした思い出を」
 俺の耳が涙に震えるその言葉を捉えたのを最後に、ふっと俺の意識は途絶えた。
 ――居るわけないか。
 再び俺の意識が戻った時ベンチに寝ていたのは俺一人で、やはりというか朝比奈さん(大)の姿はどこにもなかった。
 俺の服にしみ込んだ水滴の跡だけが彼女の残した痕跡だ。
 ……ハルヒは俺の思い込みの産物で、実は俺が神様だって?冗談だよな。いくらなんでも。
 このままここに居ても風邪をひくだけだ。気だるい体を起こし、俺は日付が変わろうとしている静かな町を足早に歩いて行った。
 SOS団が解散?確かに明日は市内散策の日で、俺達はここに集合する事になってる。だからってハルヒがそんな事を言い出すなんてありえない。
 そうさ、あいつは未来永劫にSOS団は不滅だって言ったんだ。

 だから俺は、翌日駅前に集合した時にハルヒが珍しい事に遅刻してきた上にポニーテールだったのにも驚いたんだが。
 それより何より、全員が揃った所でいきなりハルヒがSOS団の解散を宣言した時は本当に時間が止まったと思った。
 むしろ、止まって欲しかったぜ。


 一日目


 ただでさえ大きな可愛い瞳をさらに見開いて固まっている朝比奈さん。
 多少やつれた顔で、それでも笑顔らしい表情を浮かべている古泉。
 こんな時でも無表情の長門。その無表情が今は何故か、悲しく感じる。
 俺は……俺はどんな顔をしてたんだろうな?自分ではわからないが、きっと間抜けな顔をしてたんだろうよ。
 誰も何も言えないでいる中、ハルヒが口を開く。
「急にこんな事を言ってごめん。SOS団はあたしが言い出した事なのに自分でも勝手だって思ってる」
 お前が勝手なのはいつもの事だが……。ハルヒ、お前本気なのか?
 思わず本音が混じっていた俺の言葉に怒りもせず、何故かハルヒは顔を暗くして視線を外す。
「うん」
 うんだと?俺の聞き間違いか?
 谷口、国木田。隠れてるなら今すぐプラカード片手に出てきてくれ。鶴谷さんでも部長氏でも誰でもいい!
 みんなで揃って俺を担いでるんだろ?そうでなきゃおかしいじゃないか?
 悪いことはみんな夢だなんて思うわけじゃないが、これはないだろ?
 俯いたハルヒの周りに立つ誰もが口を開けない中、再び沈黙を破ったのはハルヒだった。
「じゃあ、これで解散。みんな……今までありがとう」
 その言葉は、信じられない事に涙で掠れていたんだ。
 今でも信じられないぜ。


 やがて、小さく会釈して古泉が去り。
 不思議な事に、長門は顔を上げられないでいるハルヒの手を軽く握ってから去っていった。
 最後に残った朝比奈さんはハルヒ以上に涙目というか号泣で、俺とハルヒを交互に見ながら状況の説明を目で求めていた。
 かといって俺に言える事なんて何もないわけで、無言の時間を過ごしていると……。
「キョン」
 俺の名を呼ぶハルヒの声は、いつもの無意味なまでの力強さは無かったけれど、もう涙声ではなかった。
 ただ、ずっと俺とは視線を合わせないままで視線は下を向いたままだったが。
「あたしね、SOS団のみんなが好き。もう解散してしまったけど、きっと一生忘れない」
 ……俺もさ。
 これだけ楽しい時間を過ごした仲間を忘れるような奴が居たら、そいつは健忘症の末期症状か情報の改竄でも受けたに違いない。
 ただ、ここで終わりにするのは何故なんだよ?
 イベントが尽きたなんて言わせないぜ?なんとなくすっきりしないから、なんてふざけた理由でエンドレス夏休みをやったお前なんだからな。
「……宇宙人、未来人、超能力者。そんな普通じゃない何かと過ごせればきっと楽しいってずっと思ってた。ううん、今でもそれは楽しいんだろうって思ってる」
 お前には言えないが、経験者から言わせて貰えばそれは楽しいぞ。
 平凡な日常って奴が恋しくなるくらいにな。
「でもね、今はそれよりもっと楽しい事があるの」
 そう言ってから、ハルヒはようやく俺に視線を向けた。
 紅潮した頬と潤んだ視線に、俺は思わず息を飲む。
『そして、キョン君は涼宮さんに告白されて恋人になるの』
 大人の朝比奈さんの言葉が蘇り、俺の体に緊張が走った。
 まさか……本当にハルヒが?
 動揺する俺に落ち着く時間なんて与えてくれるはずもない、そんな所だけはいつものハルヒだったな。
 こんな状況で、そんな落ち着いた考えが浮かんだのは何故だろうね?
 突然顔を近づけてきたハルヒに唇を奪われた俺は、その柔らかな感触をじっと感じる事ができる程度の余裕があった。
 キスしたまま、まるで動こうとしないハルヒ。
 ここが日中の街中で人目が無ければ俺もしばらくこうしていた……ってここにはまだ朝比奈さんが!
 眼球の動きだけで視線を動かすと、俺達を見つめる天使は口元を両手で隠しながら涙眼のまま微笑を浮かべている。その表情に驚きが無い気がするんだが……。


 どれ程そうしていただろうか。
 ようやく唇を離したハルヒの第一声は。
「バカ」
 だった。
 なんていうか……お前らしいな。
「う、うるさい」
 ハルヒはいつものペースを取り戻した様な気もするが、その顔は真っ赤なままで見ているとこっちまで赤くなりそうだ。
 離れるまで気がつかなかったが、どうやらハルヒはキスしている間ずっと背伸びしていたらしい。
 今は恥ずかしそうに視線を泳がせているハルヒのポニーテールが、俺の目の前に見えている。
 えっと、今のは……つまり。
 なんて聞いたら怒りそうだが、聞くしかないよな?でもなんて言えばいいんだ?
「みんなと居る時も楽しいけど、あんたと2人で居る時の方が楽しいの。でもみんなが嫌いって事じゃなくて大好きなんだけど、あんたは……その、
 特別っていうか。2人でずっと一緒に居たいって思って……その。あ、あんたも何か言いなさいよ!」
 言ってるお前も恥ずかしいだろうが、聞いてる俺も恥ずかしいぞ。ついでに言えば朝比奈さんはもっとだろうさ。
 ハルヒ。
「な、何」
 俺の言葉に身を震わせるハルヒは、いつもと同じ強気な暴君の様に胸を張ってはいたが。その手は震えていて、俺を見返す瞳には脅えが浮かんでいた。
 未来の朝比奈さん、あなたが聞いたセリフってのは俺が今から言う言葉と同じですか?
 すっと今の朝比奈さんへ視線をずらすと、ハルヒの顔が一気にこわばる。
 俺の視線を受けた朝比奈さんは戸惑って何か言おうとしているが、俺はそれを片手で制した。
 さあ、ジョン・スミス?お姫様がお待ちだ。さっさと言っちまえ!
 ハルヒへと視線を戻した俺は口を開き……。


 何で俺なんだ?
 ハルヒと付き合いだした俺が最初に思ったのはそれだ。
 面白さって事なら我ながら特に特徴の無い俺を、魏の唯才令曹が如く人外の逸材を求めていたハルヒが必要とする要因なんて何一つないだろう。
 外見?自慢じゃないが、俺がモテるようなルックスじゃない事くらい自覚してるさ。
 じゃあ何だ?
 そんな質問をハルヒが嫌うって事だけは知っている俺は、1人になるたびに答えの出ない自問自答に耽っていた。
 まあ、あまりに自分を否定する材料しか出なくて途中で止めたけどな。
「お待たせ」
 トイレから戻ってきたハルヒが自然に腕を絡ませてくる。それを恥ずかしいとは思うのだが、ハルヒがやけに嬉しそうなんだから恥ずかしいくらいは
我慢するとしよう。
「あ、カラオケ!入ろう?」
 ああ。
 本日SOS団でする予定だった市内散策は、そのままデートに形を変えて実行されていた。
 もちろんここにいるのは俺とハルヒだけ。
 告白の場に居た朝比奈さんの姿はいつの間にか消えていて、俺は彼女が未来へ帰ってしまったのではと狼狽した。
 しかし、俺の携帯にいつの間にか届いていたメールを見てほっと胸を撫で下ろす事になる。
『実は、少し前から涼宮さんから好きな男の子が居るって相談されてたんです。涼宮さんの事を大事にしてあげてくださいね』
 返信はまだしていない。何て打てばいいのかわからないしな。
 かつてお前に、こんなおかしな事は止めて彼氏でも作って一緒にデートでもすればいいと言った事はあったが……まさか俺が彼氏になろうとはね。
 人生何が起きるかわからないよな、ただの高校生でしかない俺が時間旅行に閉鎖空間を経験するとか、今時小説にもならない設定だぜ。
 何より、お前と俺が付き合うなんてのは、これこそ事実は小説よりも奇なりって奴だろう。
 カラオケはまだ日中という事もあって大部屋も含め殆どの部屋は空いてはいたのだが、俺達は2人だったので受付から案内された部屋は3人も入れば
手狭に感じるような小部屋だった。
 店員の説明も終わり、扉が閉まって2人っきりになった途端。
「キョン」
 呼びかけに振り向いた俺の唇を、再びハルヒの柔らかなそれが塞いだ。
 今度は学習していた俺は、少し屈んでそれを受け止める事に成功する。
 姿勢が楽だったせいか、さっきよりも長めのキスを終えたハルヒはまた顔を紅潮させていた。
 沈黙に耐えられず、とりあえず座ろうとする俺の背後から問い詰めるような声がする。
「前に」
 ん?
「前に市内散策した時。有希と、その。何もなかった?みくるちゃんとも!……べ、別に何かあっても今は無いならいいんだけど……」
 ……ああ、あの図書館と公園に行った時か。何か懐かしい気がするな。
 恥ずかしそうに口を曲げるハルヒはいったいどんな想像をしてるんだ?俺がそんなにもてそうに見えるのかよ。
 まあ、あの2人に関して言えば恋愛以前の問題だったんだがな。
 あのなあ。あれはみんな出会ったばかりの頃だろうが、そんなすぐに人を好きになったりすると思うか?
「あたしは!」
 抗議するように声をあげてハルヒが詰め寄ってくると、座ったばかりのソファーの端に俺はおいやられた。
 体勢を崩した俺を押し倒すようにして、ハルヒが俺の胸の辺りを見下ろしている。
「あたしは……ずっと。自己紹介の時に振り向いたあんたを見てから、ずっと気になってて……好きだったんだもん」
 そこまで言い切った直後、ソファーに置かれたクッションが俺の顔目掛けて次々と飛んできた。
 俺も顔が真っ赤だったはずだからそれはありがたかったんだが……。今のは本気か?その割には俺に対して常に攻撃的だったと思うぞ。
 クッションの壁をようやく切り崩した時、ハルヒは何事も無かった様な顔でリモコン片手に曲を入れていた。
 まだ顔が真っ赤だったのは見逃しておこう。
 ハルヒ。
「ひゃっ?!」
 俺に呼びかけられてハルヒが変な声を出して振り向く。
 飲み物、何か飲むか?
 内線を持つ俺に向かって、またクッションが飛んできたのは言うまでもないだろうね。


 それから数時間の間、延々と2人カラオケが繰り広げられる事となった。
 ハルヒは文化祭の時同様に素人とは思えない歌唱力を発揮して、俺はもっぱらお笑い担当だったのは適材適所って奴だろうよ。
 異様なテンションの高さに飲酒を疑われるような2人だったのだが、俺は心のどこかでここに長門や古泉、朝比奈さんが居ない事に違和感を感じていた。
「キョン」
 ん?
 不思議なもんだ。
 俺がそうやってハルヒ以外の事を考えていると、必ずハルヒはそれを察知したかのようにキスをねだってきた。というか奪いに来る。
 短い時間のキスが終わると、決まってハルヒは寂しそうな顔をした。


 今思えば俺はなんであんなにのんびりとしていられたんだろうな。
 ハルヒが彼女になったのにって話じゃない、このままだともうすぐ4人が消えてしまう日が来るかもしれないって話さ。
 夢見たいな事が現実になっちまったせいか知らないが、ともかく俺はハルヒとの時間を過ごす事に文字通り夢中だったんだ。


 二日目


「ふ~ん……これがキョンの部屋なんだ」
 あれ、夏休みに来た事あったじゃないか。
「あの時はみんなも居たじゃない。今日は、なんだか違う部屋みたい」
 本来の主である俺よりもずいぶん軽いであろう体重を支えているベットは、それだけで他人の物みたいに見える。
 今日もハルヒはポニーテールだ。
 昨日も思ったが髪の長さが足りないせいでぴこぴこと跳ねるそれは、見ていて飽きることがない。
 きょろきょろと落ち着き無く部屋中を見回すハルヒは、それなりに緊張しているようだな。俺もだが。
 俺はそんなハルヒを椅子に座って眺めていた。
 昨日、ハルヒとこれでもかと言う程に遊び倒してから別れた後『明日はキョンの家に行っていい?』とメールが来てからの数時間、俺は自室の掃除に
大慌てだった。
 突然の行動に変な所でカンのいい妹は「キョン君!彼女?ねえ彼女が来るの?誰?有希ちゃん?」と騒ぎたて、それを聞きつけた母親も部屋を覗きに
来ようとするのを阻止しながら、何とか恥ずかしくない程度に掃除が終わったのは日付が変わった頃だった。
 やれやれ、今は寝不足が続いていいような平時じゃないと知ってるのは俺だけってのはいくらなんでも不公平じゃないか?
 あ、古泉と長門も知ってるんだったな。
 最後の最後まで抵抗を続けた妹は正午を過ぎた今もなお熟睡中で、母親は変な気を利かせてか外出中。
 物音一つしない俺の部屋の中で、それまでイージス艦よろしく何かを探していたハルヒの視線がようやく止まった。
「あ、それってアルバム?」
 そう言ってハルヒは本棚を指差してこっちを見てきた。緊張していた顔にようやく楽しそうな表情が浮かんでいる。
 俺が頷くと、ハルヒはそれを見てもいいと解釈したらしくさっそくアルバムを取り出して膝の上に広げた。
「ふ~ん……。知らない顔ばっかりね」
 学校が違うからな。
 ハルヒが見つけたアルバムは中学の卒業アルバムで、当然俺の写真なんてクラスの紹介以外には殆ど無い。
 行事で活動的に動くような生徒でもなかったし、部活動でも目立ってた事も無い。
 そんなのんびりとした生徒をわざわざ写そうとする奇特な教師が居るわけも無く、見つけられた俺の写真の全てが小さな集合写真だったのは当然だろう。
 どうやらハルヒはそれが不満なのか、小さな写真まで細かく調べていった。
 まあ、気が済むまで見てればいいと思っていたのだが。
「あ、あのさ。中学の時にキョンは誰かと付き合ったりしてなかったの?」
 アルバムに視線を落としたまま、ハルヒが呟く。
 思わず一人懐かしい顔が思い浮かんだ……が。
 してなかったぞ。
 嘘をつくまでもなくこれは事実だ。
「そっか」
 あっさりと告げた俺の言葉に満足したのだろうか、ハルヒはそれ以上追及する事無くアルバムを閉じて本棚の元の位置に戻した。
 そしてそのままの姿勢で固まっている。
「これってもしかして有希の本?」
 タイトルだけでよくわかったな。
 まあ内容も見た目も軽い本が並んだ棚の中で、その本だけが分厚くて目立つのはわかる。
 ハルヒの視線の先には、以前長門に借りたあの本があった。返さなくていいと言われて持ってはいるが、俺が何度も読むとは思えないし返した方が
いいんじゃないだろうか。
 借り物だけど読んでみるか?お前が気に入りそうな内容だったぞ。
「う、うん。また今度ね」
 ……さっきから、というよりもこの部屋に部屋に入ってから変だな、こいつ。それとも俺が変なのか?
「あのさ」
 ん?
「急に2人になると何か照れるよね」
 そうだな。
 平然としてるつもりだが、正直緊張しているぞ。
「でも、みんなが居る時はこんなにキョンと二人っきりで居られないし……。その、キョンは楽しい?……あたしと二人で居て」
 緊張した顔で見つめてくるハルヒは、なんというかここで間違いが起きても仕方ないような可愛さだった。
 椅子の背もたれに跨っておいてよかったぜ。すぐには馬鹿げた事をしないですむ。
 一緒に居たくなかったら、部屋に入れたりしないだろ?
「……そっか、うん」
 嬉しそうに俯くハルヒの仕草に、自然に手が伸びていた。
 これくらいならいいよな?そう自分に言い訳しながら、ハルヒのポニーテールをそっと撫でてみる。
「ぃひゃ?!な、なに?」


 今の俺とハルヒの間には閉鎖空間みたいな見えない壁がある気がする。
 それは今まで一緒に過ごしてきた友達という関係で、その一線を越えちまったら今までの様には接する事ができなくなる。そんな壁だ。
 自分からその壁を壊しにきたハルヒでさえ、今以上の関係になる事には躊躇いがあるのを感じる。
 ……そうだよな、みんなで過ごしてきた時間はそんな簡単に手放せるような物じゃないもんな。
 もしかしたら、俺達が恋人同士になってもSOS団を存続させる道はあるのかもしれないが、ハルヒは自分が一番望む事でなければ笑ったりしないだろう。
 それがわかっているから解散したんだもんな。
 でも今なら、まだ引き返せるかもしれない。
 恋人ではなくSOS団の仲間に。
 ハルヒは……いや、俺はいったいどちらの関係を望むんだろうか?
 とまあ俺達の関係もどうすればいいかわからないが、長門達が言うように本当に4人は消えてしまうかもしれないって問題のほうはさらに手詰まりに
なっている。
 いつもの様に誰かに相談する事もできない、かといって時間が進むのは止められない。
 ――答えの出ない疑問を抱えたまま、最後の日がやってきた。


三日目


四日目


 放課後の部室棟、誰も居ないであろう文芸部の部室の前で俺は立ち尽くしていた。
 ここはもう元文芸部ではない。
 廊下には文芸部と書かれたプレートがあるだけで、SOS団と書かれた紙はもうない。つまり本当に文芸部だって事だ。
 もしろ最初からそんな紙は無かった事になっているんだろうよ。
 触ってみてはいないが、プレートの上にセロテープが貼ってあった痕跡も無く、代わりにそれなりの年月で降り積もった埃が乗っているはずだ。
 現状は、俺が長門の力によってハルヒの居ない世界に迷い込んだあの時よりも状況は悪い。
 なんせ誰も居ないんだもんな。
 頼るべき相手どころか相談相手も居ない。……そして俺には特別な力なんて無いんだ。
 ドアノブに手をかけてみたが回す気になれず、俺は手を離してその場を後にした。


 家に帰る気にもなれず、教室に戻った俺は机にその身を委ねてこのまま机の一部になろうとしていた。
 俺の席は窓際の後ろから……一番目。
 後ろの席になるべき場所に机はなく、そこは空間が広がっているだけ。
 朝、教室に入った時にその状況を見ても俺は驚かなかった。
 こうなってるだろうって予想はできてたからな、変わりに朝倉が居ないってだけいいのかもしれん。
 ……いや、本当は朝倉でもいいから居て欲しかったな。
「お、まだいたのか」
 声に続いて聞こえてきた足音は二つ、多分谷口と国木田だろう。
 その音に振り向くだけの行為も面倒くさく、俺は夕焼けに染まろうとしている空を視線だけで見つめ続ける。
「なんだよキョン、世界の終わりみたいな顔して?」
 言いえて妙って奴だな。
「はぁ?」
 ある意味、主が居なくなったこの世界は終わってしまってるんだろう。
 みんな居なくなってしまった。寡黙な宇宙人も、天使の様な未来人も、ゲームの弱い超能力者も……そしてあいつも。
 1人残された俺にはのんびりとした平凡な日常が待っているはずだ、それは俺が望んだからなのか?望んでないとは言えないけどな。
「何意味不明な事言ってんだ?」
 ……谷口。
「あ?」
 俺が今から聞くことは無駄な事だ、自分でもそれは分かってる。
 どうにも力が入らない体をなんとか起こし、奇跡って奴がもう一度起きないか願ってみた。
 お前、涼宮ハルヒを知ってるか?
「すずみや……知らねぇな。どんな字を書くんだ?」
 国木田はどうだ?長門有希、朝比奈みくる、古泉一樹。聞いた事のある名前は無いか?
「ん~……聞き覚えのない名前だけど。新しい芸能人か何か?」
 そうだよな、初めから何も無かった事になってるんだもんな。
 ここは長門が作ったようなIFの世界でもハルヒが無意識に作ってた閉鎖空間でもない、ただの現実。それはわかってるんだ。
「休み明けからお前変だぞ?何があったかしらねえが元気出せって」
 ありがとよ。
 でもな、俺が何もする気にならないのは仕方ない事じゃないか?
 魔法以上の愉快が、限りなく降り注いでいた日常が終わってしまったんだ。何事も無い日常って奴に慣れようにも時間が要る。
 再び机との同化作業に戻った俺を残して、二人の足音は遠ざかっていった。


 時間の経過に合わせて空はその姿を変えていき、沈んでいく太陽が教室内を赤く染めていく……。
 圧力を感じるような光の中、俺はふと背後に気配を感じて振り向いてみた。
 しかしやはりそこにはハルヒの机はなく、不自然に広い空間が広がっているだけ。
 終わり……か。
 今日という一日が終わって過去になり、明日が来る。その繰り返しの中で古い記憶は薄れていき、いずれは消える。それは避けられない事なんだよな。
 そうやって理屈を並べて自分を理性的に納得させようとする感情と、それを否定する感情が心の中で戦っているのがわかる。
 否定するそれは、ただ単純にあの頃……つまりは数日前に戻りたいと叫んでいた。
 俺だってそうしたいさ、朝比奈さんや長門や古泉ともう一度会いたい。ハルヒとも……。
「見ないで」
 悲しそうなハルヒの顔が一瞬浮かんで、消える。
 あいつ、もう俺とは会いたくないと思ってるかもな。
 それまで低かったはずの体温が急に上がるのを感じる、心臓が勢いよく鼓動しだしてまるで今から全力で走り出そうとしているみたいだ。
 だらりと垂れ下がったままの腕に力が入り、掌もじっと汗ばんでくる。
 あいつが会いたくなくても、俺は会いたい。
 ……それだけでもいいよな?
 俺は殆ど体温と同じくらいまで温まっていた机から身を起こし、真っ赤に染まった教室を出て行った。
 まずはどこだ?いや、考えるまでも無い全部だ!
 俺の足は、昨日カマドウマ以下であると確定した俺の頭が動き出す前にすでに走り出していた。
 最初に向かったのは屋上の扉前、ハルヒに部活を作る手伝いをしろと脅された場所だ。
 夕方の校舎はすでに照明も落ちていて薄暗かったが、探す場所も無いほどにそこには何もない。
 ……次は、部室だな。
 俺は階段を登ってきた勢いそのままに階段を駆け下りていく。
 元文芸部であり元SOS団部室でもあった現文芸部の中には、やはり見覚えのある物は何もなかった。
 長門の時に一回経験してるからな、ここまでは予想範囲内さ。
 しかし、あの時と違うのは旧式のパソコンもすらもここには無いって事だ。
 正直失望もあった。だが、諦めるのはまだ早い。
 壁際に置かれた本棚に向かうと、さっそく端から順に調べていく。
 今回も栞があるとは限らない、小さなヒントも見逃さないように丁寧にページをめくっていく……。


 無いか。
 本棚の本を全部調べ終えた時、思わず独り言が出てしまった。
 薄暗かった部室は今は照明をつけているので明るいが、外はすでに日が落ちていてグランドにも人影は無い。
 探し物をしている間に用務員が一度部室を訪れたが、必死に調べ物をしている俺の姿を見て勉強の為とでも勘違いしたのかあっさりと引き上げてくれた。
 次はなんだ?
 あいつは俺に部活を作る規則を調べさせて、自分は部室とメンバーを準備したんだったな。その後どうなった?
 ……最初、ここに長門が居た。
 あいつがいつも居た窓際に、今はパイプ椅子は置かれていない。
 そして、朝比奈さんが拉致されてきた。
 ハルヒの興味が向くままに集められていった朝比奈さんの衣装がかかったハンガーは、その姿を消している。
 最後に、転校してきたばかりの古泉が連れてこられた。
 弱いくせに次々と持ち込んできたあいつのゲームは、部室のどこを探しても見つからない。
 SOS団に関わるものは何もかも無くなっている、そんなのはわかってるさ。
 とりあえず座ろうと思い、部屋の隅にあったパイプ椅子を広げて置いた時、俺の脳裏に僅かに熱をもった視線で見上げるあの宇宙人の顔が浮かんだ。


「なんだい君は。入部希望者かい?」
 無駄にエアコンが効いた部室に入ってきた俺を迎えてくれたのは、奇異の目で見上げる部長氏の顔。
 そしてモニターから視線を上げようともしない部員達だった。
 どうみても初対面って感じだな。俺達は面識すら無いって事になってるらしい。
 入部希望じゃないんですが、コンピ研に興味があって来たんです。
「はぁ?……もしかして、文化祭で我々のゲームをプレイしたのかい?」
 部長氏のその言葉に俺は思わず息を飲む。
 思い出されるのはSOS団に挑戦状を持ってきた部長氏、先手必勝と蹴り飛ばすハルヒ、宇宙空間を彷徨う朝比奈さん、のりのりな超能力者。
 ……そして僅かに目を輝かせた宇宙人。
 頼むぜ、何か手掛かりがあってくれよ?
 俺はなるべく専門家っぽい表情を浮かべて部長氏のパソコンを覗き込んだ。
 どこかで見たことがあるモニターだとは思ったが、これはハルヒが強奪した例の最新型パソコンじゃないか。
 あるべき場所にあると違うように見えるもんだな。
 不審げな視線を送ってくる部長氏を無視しながら、俺は言葉を選んで話し始めた。
 The Day Of SagittariusuⅢには、チートモードがある。
 俺の言い終えるのと同時、部室の中に響いていた無機質なタイプ音が瞬時に止まる。
「……な、何の事だい?」
 声は笑っていても、モニターに写ってる顔が笑ってないぜ?部長さん。
 索敵モード、オフ。
 続く俺の言葉で、部員の間に緊張が走るのがわかる。そして何より部長氏の顔は引き攣っていた。
 さらにワープ機能。
「ど、どうやって調べたんだ?配布版には編集機能は無いし、何よりロックしてあるプログラムを解析できるなんてただの高校生とは思えない……君、名前は?」
 急に熱意に満ちた目で見つめてくる部長氏に、俺は何て答えればいいのか?
 ここで答えるべき名前はこれしかないだろう、ある意味俺には魔法の言葉だ。
 ただの一般人でしかない俺に、ほんのちょっとの勇気をくれる名前。
 ……待ってろよ?ハルヒ。
 俺は久しぶりに胸を張って口を開いた。
 聞きたいのはハンドルネームですよね?俺はジョン・スミスです。


 それから俺は部長氏にSOS団の事を聞いた。まさか知って無いだろうと思ったのだが、
「ああ、知ってるよ。僕のお気に入りにいつのまにか登録してあったんだ。カウンターとTOPページがあるだけのHPで何なのかわからないんだけど、
何故か消去する気になれないんだ」
 一気に道が開けたのかと期待した俺だったが、残念ながら部長氏が知っているのはそのサイトだけで、長門や古泉、そしてあんな事があった朝比奈さんと
ハルヒの事も知らなかった。
 それにしてもあいつの痕跡が何故この世界に残れたのか?
 俺に正確な答えが出せるとは思えないが、あのサイトはハルヒが指示して、俺が作った物だ。
 つまりこのサイトは、シンボルマークを除けばパソコンに向かう俺の後ろでがなってた指示だけしかハルヒは関わっていない事になる。
 ここで正確な事がわかるはずもないが、とにかく俺はみんなとの繋がりを見つけた事に喜んでいた。
 部長氏のパソコンでさっそくそのサイトを見せてもらうと、そこにはあの長門改編による「ZOZ」団のロゴが現れる。
 カウンターは一万を超えたままだ、数日前に見たはずなのに懐かしさがこみ上げてくるのを止められないぜ。
 URLに数行足して、編集者モードに入りログインパスワードを入れる。
「これってあんたのサイトなのか?」
 パスワードは正確に認知され、画面は編集画面へと切り替わった。よかった、間違いなくこれは俺が作ったサイトらしい。
 まあそんなもんです。
「もしかして……他人のパソコンのお気に入りに自動登録させるウイルスか何かなのかい?凄い技術じゃないか!」
 変な方向へ勘違いしてくれている部長氏は無視したまま、俺はブラウザを閉じて、次の行動に移った。
 スタート、検索、対象はドライブ全部で形式はJPG・・
「ちょ、ちょっと待ってくれ?」
 ああ。そうか、高校生のパソコンに見られたらまずいものがないわけないよな。
 検索対象を変更、フォルダ名mikuruを検索。
 ……だめか。
 検索結果は0件が表示されている。
 朝比奈さんの存在が無かった事になってるのに、画像が残ってるわけないか。
「い、今のはなんだったんだい?もしかして君のプログラムの痕跡を探してみたとか?」
 適当な言い訳を考えるまでも無い、部長氏は勝手に勘違いを継続してくれているようだ。
 まあそんな所です。
 少なくともこれで、実は俺は精神障害者で今までの出来事は全て妄想に過ぎなかったなんて事はなかったわけだ。
 だからといって状況が好転しているって事でもないけどな。
 部長氏にパソコンを明け渡し、また来ますとだけ言い残して俺はコンピ研の部室を後にした。


 う~寒い。
 そう自然に口から出るほどに、いつの間にか外の気温は下がっていた。
 地球温暖化の影響って奴かは知らないが、日中と気温の差がありすぎるんだよな。
 防寒面でまるで役に立たない冬制服を恨みつつ足早に校門を出て、そのままいつもの下り坂を降りていく。
 すでに周りに生徒の姿はない、まあ街灯がついてるような時間だから当然といえば当然だ。
 寒さを振り払うように自然と速度を上げて歩いて行くと、次の目的地である女子校が見えてきた。
 自然に思い出されるのは髪の長いあの世界のハルヒと、思いっきり足を蹴られた時のあの痛みだな。
 ふと、女子高の前に誰かが立っているのが見える。
 それは腰辺りまで伸びた長い髪に、黄色いカチューシャをして……って。
 寒さに震えていた体がさらに温度を下げた気がしたのに、それは不快な寒さではなかったというかなんとも説明しようがないね。
 気のせいでなければ、その人影もどうやらこちらを見ているようだ。
 距離にして30メートル程度しか離れていないから、顔までは見えないだろうけど俺の姿は確認できていると思う。が、何のリアクションもない。
 気がつけば止まっていた足を何とか前に踏み出す。
 何故俺はびびってるんだ?
 あれがもし、「あの時のハルヒ」だとしても、俺が恐れなくちゃいけない理由なんて何もないはずだ。
 それに俺は女子高があの時みたいに共学に変わっていて、ハルヒが居る事を望んでいたはずだろ?
 だからこうしてここに居るのに、無駄に激しい胸の動悸は治まりそうにもない。
 そして残り10メートル程の距離まで来た、……すかさず漏れる溜息。
 おいおい、俺はどうあって欲しかったってんだよ。
 そこに居たのはハルヒでも、そしてあの時のハルヒでもない――ただの知らない女生徒だった。
 近づいてきた俺が自分を見ているのに気づいて、女生徒は小さく会釈しながら不審げな眼をしている。
 まあそうだろうな、通りすがりの男子高生が自分を見ていきなり溜息をついてんだから。
 俺も適当に会釈のような素振りをして、足早にその場を通り過ぎた。
 横目に見た女子高はどう見てもいつもと同じ校舎のまま、これまたよく見れば女生徒の制服もいつもの女子高の物のままだった。
 軽い失望と不思議な安堵感と共に次に俺が向かったのは……。


 手慣れた操作でタッチパネルを操作していくと、安っぽい電子音とともに自動扉は開いていく。
 覚えていた暗証番号が使える、って事は少しは期待できるかもしれないな。
 公園を出て例のマンションへとやって来た俺は、久しぶりに自信に満ちた顔でさっそく長門の部屋へと向かった。
 しかし現実って奴は厳しい。
 708号室の前に取り付けられたインターホンはいくら鳴らしてもなんの反応もなく、当然オートロックで守られた扉は固く閉ざされている。
 留守……って可能性もなくはないが、あいつが部室とマンション以外で行きそうな場所となると図書館くらいしか思いつかない。
 その図書館だってこんな時間じゃもう閉まってるよな。
 違う人が出てこなかっただけまだ救いはあるが、それだけで喜べるほどプラス思考にはなれそうにないぜ。
 他の三人の家なんて知らないし、覚えていた携帯番号も全員そろって使われていないのガイダンスが流れてくる。
 何をしていいのかわからない時間が、確実にやる気のゲージを削り取っていく。
 ……これからどうすればいいんだ?
 ドアに背を向けてもたれると、視界にはネオンに彩られた夜の街がどこまでも広がっている。
 長門の世界で時間制限をかけられてた時の方がまだよかったよな。
 あの時は制限があったからこそ可能性もあるんだって思えていたが、今回みたいに何のヒントも何の手がかりも……というよりも、
 可能性すら感じられない状況では期待し続ける事が難しい。
 見知らぬ上級生になっていた朝比奈さんも、転校して来なかった古泉も、文芸部で一人過ごしていた長門も居ない。
 そして、ハルヒも。
 もうあきらめろよ?
 そう、自分の中の理性が言っているのがわかる。徒労感が味方しているのか今度の理性はやけに強気だ。
 ただ、平凡な日常に戻るだけだろ?それに慣れるように努力した方が前向き。違うかい?
 ……そうかもな。
 今の言葉、本気で思ってるか?考えてもみろ、これから進路だテストだって忙しくなる。そうなった時に今までみたいな事をしてたら後で後悔するぜ?
そう考えたら、今の状況は悪くない。やっと周りの連中と同じに戻れただけじゃないか。俺の言葉に反論できるんならしてみろって。
 ……。
 何事もな、済んでしまったら寂しくなるんだよ。ゲームが終わってもアニメが終わっても恋愛が終わってもな。そうなった時に未練たらしく思い続ける
よりも、他にやるべき事を見つけて努力する事が人生において最も大切であってだな。
 黙れ。
 思わず声が出た自分に驚きながらも、俺は急いで左右を見回した。
 ……よかった、誰もいないか。
 末期症状だな。いくら突っ込む相手が居ないからって、自分で自分に突っ込んでどうするんだよ?
 突然、静かな廊下に携帯の着信音が鳴り響く。
 コンクリートの壁に反射されたそれが響き渡る中、俺は急いで携帯を取り出して相手も確認しないまま受話ボタンを押した。
「あ、キョン君?今日は遅いね!どうしたの?」
 甲高い妹の声を聞きながら小さくため息をつく、そういえば連絡してなかったな。
 悪い、今日は遅くなるから夕飯は要らないって伝えておいてくれ。
「おかーさーん。キョン君ごはんいらないってー…………うん…………お母さんが何時に帰ってくるのって?」
 わからん。
「わからんってー」
 妹がおそらく母親へ向かって叫んでいるのであろう無駄にでかい声を聞きながら、俺は通話終了のボタンを押した。
 そしてそのままマナーモードに設定して携帯をしまう。
 これからどうすりゃいいのかも、もうわかんねーよ。
 それからしばらくの間、無音で振動を続ける携帯を無視したままで俺は変わらない様で変わっていく夜の街並みを眺める事にした。
 ――どれくらいそうしていたんだろう。
 いつの間にか冷たかったはずのドアは俺の体温でそれなりの温度に上昇していて、代わりに夜の外気にさらされていた俺の体は冷え切っていた。
 うわ、もうこんな時間かよ?
 やれやれ……結局4日連続で日付を超えるまで起きてる事になるな。
 取り出した携帯の時間にため息をつきながら、俺はエレベーターへと向かって戻り始めた。
 安全の為か常時照明がついているエレベーターのフロアに辿り着くと、階数表示のパネルの数字がゆっくり増えて行くところだった。
 なんとなく下を押すのが躊躇われて待っていると、階数表示はそのまま数字を増やしていきやがて俺が居る階。つまりは7階にたどり着いて止まった。
エレベーターの扉が開くとそこには……。
「お久しぶり。……何よ、そんな不思議そうな顔をして」
 そいつは当たり前の様に俺の手を掴んでエレベーターへと招き入れると、そのまま5階のボタンを押した。
 7階に用があったんじゃないのか?
「久しぶりに帰ってきたクラスメイトに、そんな冷たい態度はないんじゃない?」
 そいつは無邪気な様で邪気たっぷりにしか見えない顔で俺の顔を見ながら笑っている。
 つい先日刺されたばかりの俺が間違えようもない――そいつはどうみても朝倉涼子だった。


 エレベーターの中には何故か大量の荷物が山積みに置かれていて、しかも朝倉はこの寒さの中でどうみても夏向きな半袖の服を着ている。
「何でこんな格好なのか気になる?」
 別に。
 お前が男装をしていようがメイド服を着ていようが知ったこっちゃねーよ。
「無理しないの。貴方の力になる為に戻ってきてあげたんだから」
 俺の力に?お前が?
 台詞が終わるのを待っていたかのようにエレベーターは下降を止め、扉が開いていく。
「荷物を運ぶの手伝ってもらえるかな?重くて大変だったの」
 嘘つけよ。どう考えても普通の女一人で運べるような荷物の量じゃないが、お前が普通じゃないって事ぐらい覚えてるぞ。
 と、言いたかったのだが。俺は素直に朝倉の部屋まで荷物を運んでやることにした。
 やっと見つけた手がかりだ、たとえ自分を2度も殺そうとした相手だからって嬉しくないわけじゃないしな。
 朝倉の部屋、505室の中は長門の部屋と同じ間取りなのだが壁紙もカーテンも無く長門の部屋以上に殺風景だった。
「一人暮らしの女の子の部屋に入れたからって、変な事考えちゃダメだからね?」
 馬鹿な事を。
 変な事ってなんだ、情報連結の解除か?
 俺の言葉に、朝倉は驚いたような嬉しそうな表情を浮かべた。
「ふ~ん……って事は君は全部覚えてるんだ。やっぱりね」
 エレベーターと部屋を十数回往復してやっと荷物を運び終えた俺がソファーに座っている回りを、朝倉は楽しそうに歩いては次々と荷物を開封していく。
 ふと目についた荷物のタグには、見慣れない英単語が並んでいた。
 まあ見慣れた英単語なんて無いんだが。
 朝倉、お前どこか外国へ行ってたのか?
「私がどこへ行ってたのかは知ってるでしょ?」
 紐で縛られた食器を運びながら朝倉は笑っている、俺が知っているだって?
 俺が知っているお前は長門に消滅させられて、建前上カナダへ行った事になり。その後、俺を殺そうとしてだな。
「今言ったじゃない」
 なんのことだ?
「私は建前上、カナダへ行ったのよね」
 そうだな。お前が消えちまった事を長門がそうやってごまかしてくれたんだろうよ。
「ヒント、涼宮さんが思った事はいったいどうなりますか?」
 何を突然……。
「いいから答えてよ」
 ハルヒが思った事はその通りになっちまう。これでいいか?
「正解!長門さんが私の情報連結を解除した事を涼宮さんは知らない。そして私はカナダへ行ったと聞いた……」
 思いつくまでに数秒かかった。
 ……まさか!
 驚く俺を見て、朝倉は嬉しそうに笑っている。
 ハルヒは朝倉が転校したと本気で思ってる、なんせ実際にここまできて探しまくったんだからな。
 だから本当は消えてしまった朝倉は、ハルヒの思い込みのせいで本当にカナダに行った事になったってのかよ?
「長門さんも私がカナダに再構築されてた事には気づかなかったみたいね。……でもそれって、気にしてなかったからチェックもしなかったって事だから
ちょっとショックだけど……そのおかげで助かったんだから、結果オーライって所かな」
 それで?何で帰ってきたんだ。3度目の正直で俺を殺したくてか?
 1度目はナイフが掠っただけ、2回目は奇跡的に致命傷にはならなかったがしっかり突き刺してくれた。次はなんだ?
「3度目?」
 覚えていないというよりも本当に知らないらしく、朝倉は不思議そうな顔で俺を見ている。
 ああ、あの時の事は知らないのか。気にするな。
「気になるから教えてよ?それに涼宮さんが居なくなった今、私は貴方に殺意なんて持ってないから安心して?」
 その言葉に俺は少なからず、いやかなり動揺した。
 何でハルヒが居ない事を知ってるんだ?いや、それよりハルヒが居ないのを知ってるならなんでここに来たんだよ?
「そんなに一度に質問しないで、それに私が先に質問してるの。質問に質問で返すなんていけないよ?まずはそうね……涼宮さんの居なくなった時の話がいいな」
 そう言って俺が座るビニールに包まれたままのソファーの向かいにあった、まだ封を開けていない段ボールの上に朝倉は座った。
 どうやら話を聞くまでは何も教えるつもりは無いらしい。
 終始嬉しそうな顔をしている朝倉相手に、俺はこれまでの事を話し始めた。
 俺は昨日の事は一生誰にも話せないだろうと思っていたが、本当はやっぱり誰かに聞いて欲しかったのかもしない。
 一度開いた口は止まらず、聞き役に徹している朝倉相手に俺はゆっくりと事の顛末を話していった……。


 3日目


「ねえキョン」
 なんだ?
「なんだかさ、休日の校舎って不思議な感じよね」
 そう聞いてくるハルヒは、極上のスマイルに少しの緊張をブレンドした顔で……惚気でしがないが、俺はそれを素直に可愛いと思った。
 もちろん今日もハルヒはポニーテール、三日連続だが一向に飽きる気がしないね。
 あの日。
 結局、一日俺の部屋で過ごした俺とハルヒなのだが。
 ハルヒのポニーテールを触っている時に妹が乱入してきてからは特に何事もなく、妹相手にハルヒが暴れまわって何故か料理大会にゲーム大会と続いて
いつの間にか日付が変わっていた……とまあそんな感じだった。
 つまりは、朝比奈さん(大人)が言うような展開も何一つ起こらなかった訳で、俺は密かに危険は回避できたと思っている。
 ハルヒと、その、なんだ。表現する事に制限がかかるような展開があってみんな消えるって奴の事だ。
 少なくとも、俺とハルヒの間にそんな出来事はなかった断言できるぞ。
「朝比奈みくるの異時間同位体が知っている知識は、これから起こるはずであった選択肢の一つ」
 ハルヒが帰った後、これでもう大丈夫なのか?と長門へ送ったメールの返事がこれだ。
 なんとも素敵にわかりにくいが、なんとなく意味は通じる気がする。
 でも、朝比奈さん(大人)が言う歴史通りにはならない可能性もあるんだよな?
 と聞いてみると。
「絶対の歴史はどこにも存在しない」
 という何とも頼りがいのある返答が返ってきた。
「何にやけてんの?」
 ん、いやなんでもない。
「変なキョン」
 にやにやしている俺に疑いの眼差しで見つめるハルヒだが、流石に今の俺の心境までは見通せないだろうよ。
 静かな部室棟を俺達二人は歩いて行く、目的はもちろんSOS団の部室だ。
 部室のドアの前で俺はふと足を止めた。
「何見てるの?」
 ん?ああ、これだ。
 俺が指さしたのは、文芸部の看板に張られたハルヒ直筆のSOS団と書かれた元A4紙だ。
「ああ、これね。ちゃんとした看板の方がいいのかな」
 隣に立ってハルヒも看板を見上げる。
 そうじゃなくて、俺はSOS団が解散したなら文芸部に部室を明け渡すべきじゃないかと思ったんだが……まあいいか。
 俺はお前が書いたこれも好きだけどな。
 そういって俺は部室の扉を開けたのだが、何故かハルヒに背中を叩かれた。
 何故だ?


 さて、どうして俺達がわざわざ休日の部室棟なんて所に居るのか?と思っている人も居るかもしれないな。
 それにはちゃんとした訳がある、つまりは俺とハルヒの関係は結果的に彼氏彼女、俗に言う恋人って状態になったわけだ。
 だが、さっきも言ったが朝比奈さん(大人)の予言には続きがある。
 あの時は思わず流してしまったのだが、予言によればハルヒの告白、付き合いだす、そして……なんというかまあ、二人ははじめて結ばれるとあのお方は
仰ったわけだ。
 この予言を回避する為に、俺はハルヒに明日は部室へ行こうと提案してみた。
 いくらなんでも学校でそんな展開にはならないだろうし、部室ならいくらでも遊びようがあるからな。
 それに、テスト明けの休日にわざわざ学校へ来るような向学心溢れる生徒は北校には一人も居ないだろう。
 休日の最終日に部室へ行こうと言った俺をハルヒは不思議がっていたが、説得するまでもなくあっさりと承諾した。


「はい」
 そう言って差し出されたお茶を手に取ると、
「み、みくるちゃんには敵わないと思うけど」
 と、ハルヒはあわてて付け加えた。
 まだ何も言ってないぞ、それにな。
「それに……なによ」
 美味しいぞ、これ。
「ばっ!……ありがとう」
 一瞬お盆を振り上げたハルヒは、そのまま後ろを向いてしまった。
 本来、礼を言うのは俺の方なんじゃないだろうか?とも思ったがハルヒは嬉しそうにお盆を片づけに行く。
 熱いお茶が心も体も温める感覚に酔いしれる、お茶はいいねえ。
 二人っきりの部室は妙に広く感じて、なんとなく俺は長門の世界に迷い込んだ時の事を思い出していた。
 静かな部室で、一人本を読んでいた眼鏡をかけた長門。
 そういえばあいつは向こうの世界では何か小説を書いてたんだっけ? 結局読めなかったな。
 鶴屋さんと仲良く、ごくごく普通の高校生活を送っていた朝比奈さん。
 ……残念だが、俺の事は間違いなく不審者という認識で終わっているだろう。
 不機嫌オーラ全開でぶつけようのない力を持て余してたハルヒと、そんなハルヒに好意を寄せる古泉。
 二人は俺が居なかったらどうなるんだろうか?実らぬ恋で終わる……いや、案外うまくいくのかもしれない。
 あいつらはみんな居なかった事になったんだろうか?
 それとも、俺にはわからないどこかでまだ続いているんだろうか?
 ――俺の居ないSOS団として。
「ね、ねえ」
 ん?
 いつもの団長席に座ったばかりのハルヒが、パソコンの隣からこちらをちらちら見ている。
「そっちに行ってもいい?」
 いいも何も朝比奈さんは今日は居ないし、お前の好きな所へ座ればいいだろ?
 と、思わず言いそうになったがここはそんな事を言うべきじゃないよな。
 俺が黙って隣にあるパイプ椅子を手前に引くのにあわせて、ハルヒ顔に笑顔が浮かんだ。

 少し赤面したハルヒが俺の隣に大人しく座っている。
 それはそれで可愛いと思うんだが、何も話しかけてこないハルヒ相手に俺はどうしていいのかわからなかった。
 誰に頼まれた訳でもないのに、不定期にとびっきりの面倒事を持ち込んできたハルヒが急に大人しくなってるんだ。無理もないだろ?
 だからといってこのまま病院の待合室のごとく並んで座っているのもなんなので、俺はなんとなくハルヒの手を握ってみると。
 倒れるパイプ椅子と脊髄反射的に立ち上がるハルヒ。
「なんで離すの?」
 お前は何を言ってるんだ?
 手を振り払って立ち上がったのはお前じゃないか。
 それに、お前が立とうとしてるのにそのまま掴んでたら倒れるだろ?
「ご、ごめん」
 そういって座りなおしたハルヒは、おずおずと手を伸ばしてきた。どうやら握ってもいいという事らしい。
 俺はそっとその手を掴んでみる。一瞬ハルヒの体がびくっとなったが、今度は逃げられなかった。
 軽く握っている俺の手にハルヒの指がゆっくりと触れてくる。
 うつむいているからよくわからないが、前髪の間から見えるその顔は真っ赤になっていた。
 キスは無理やり奪えても、ハルヒにとっては髪を触られたり手を握られるのは恥ずかしい物なのかもしれん。
 いつも俺を連れまわしてる時は、襟首だのネクタイだの好き勝手に掴んでたのに何で今日は恥ずかしそうなんだ?
「あれは!その、まだ団長と団員の関係だった時の事じゃない。今は違うから、これも違うの」
 そうなのか。
「そうなの」
 嬉しそうに言い切るハルヒを見ていると、俺も何故か嬉しかった。
 この感情を文字にするなら多分、好きって言葉がすんなりと当てはまるはずなんだが、それを言葉にするのは恥ずかしいというか躊躇われるのは何故だろうね?
 相手がその言葉を望んでいるだろうと思って、自分も伝えたいのに言葉にできない。そんなもどかしい感情を人は……
「何考えてるの?」
 いつの間にか多少顔色を平常に戻していたハルヒが俺の顔を見つめていた。
 ハルヒな目に俺の緊張した顔が写っている、おいおい俺はこれからどうするつもりなんだ?
 ハルヒ。
 俺の呼びかけをどう取ったのかわからないが、ハルヒは俺を見上げたまま目を閉じる。
 これはつまり、その……。
 昨日しておいて今日出来ないって事もないのだろうが、
「えええ!」
 突然の大声は俺達の背後、隣の部屋から聞こえてきた。


 それは残念ながらというか可憐な女子生徒といった声ではなく、男子生徒の狼狽したような声にしか聞こえない。
 続いて聞こえてくるドアを開ける音、それに続く小さな足音とあわただしい足音。
「ま、待ってくれ?君が居なくなるってどういう事なんだい?」
 入口のドアにある窓越しに見えた人影と、聞こえてくる声にも聞き覚えがある、あれはコンピ研の
「部長?」
 俺とハルヒの声が重なった。
 そっとドアを開けてみると、そこにはいかにもインドアそうな華奢な体つきの部長氏が、その体ですら隠せてしまうような小さな長門の肩を掴んでいた。
 そんなに力強く揺さぶっているんじゃないのだろうが、長門はまるでマネキンの様に前後に揺さぶられるがままになっている。
「詳しく説明してくれないか?もうここには来れないってどんな意味なんだい?いや、それはまあ君のレベルから見れば僕らと一緒にいる時間に意味なんて
微塵もないんだろうけど……ってそうじゃない、居なくなるってどういう事なんだい?」
 廊下に顔を出した俺と、困った様なそうでもないような顔で揺さぶられるままだった長門と視線が合う、
 その目には、ありえないはずだが驚きといった感じの感情が浮かんでいるような気がした。
「ちょっとあんた!有希に乱暴するなんて何考えてるのよ!」
 言葉と同じ速度ではないかと思う速さでハルヒが部室を飛び出していく。
 以前、部長氏に問答無用で飛び蹴りを入れたお前が言うのもどうかと思うが、言ってることは正論だな。
 でもお前が言うと不思議な気持ちになるのは何故だろう。
 見ているだけに耐えかねたのだろう、言葉だけでなくハルヒが部長氏に掴みかかっていく。当然肩などではなく、襟だ。しかも片手で持ち上げてやがる。
 それを乱暴と呼ぼう。
 酸欠で弁論する機会を酸素的に奪われている部長氏には悪いが、先に長門だな。
 まるで当事者ではないかのごとく平然とした顔で立つ長門に駆け寄った、急がないと部長氏が危ない。
 長門、お前居なくなるって本当か?それってどういう事なんだ?
 例の件はフラグ的に回避してる気がするから多分大丈夫だぞ? なんてハルヒの前では言えないが。
 そう聞かれた長門は、ただじっと俺の顔を見ていて……不思議なことにそのまま視線を下へと向けてしまった。
 俺にだけ聞こえる小さな声で長門は呟く。
「涼宮ハルヒは私にこの部室に居て欲しいと望んだ、だから私はここに居る。しかし同時に貴方と二人きりで居たいとも望んでいる。貴方達が部室に
近づいて来たのを感じてコンピ研の部室に隠れていた」
 なんだそりゃ?っていうか居なくなるって話と関係なくないか?
「原因は不明。ここ数日、涼宮ハルヒの力は徐々に弱まってきていた。でも今は、これまでで最も大きい力を感じる。恐らく、彼女が望む事は
殆ど全てが現実になってしまう位に」
 相変わらず長門の話は俺には理解できないのだが、俺を見つめる長門の眼からはある種の緊張のような物が感じられた。
「有希」
 いつの間にかハルヒは部長氏を開放して、俺と長門の顔を交互に見つめていた。
 その顔が怒っていたのならまだよかった。
 俺は思わず息を飲み、言葉を無くす。
 何故ならその時のハルヒの顔は、どう見ても不安そうだったのだ。


 俺達の間に訪れる沈黙、静かな廊下には足元で荒い息をする部長氏の声だけが響いていた。
 そんな中、遠くから誰かが階段を上ってくる足音が聞こえてくる。
「あ」
「これは」
 その足音と声は。
「みくるちゃん、古泉君」
 ハルヒ、これもお前が望んだからなのか?
 解散したはずのSOS団のメンバーが、召集された訳でもないのに何故か揃ってしまったわけだ。
 しかも人気のない、休日の部室棟に。
 古泉、お前どうしてここへ?
 俺の言葉に古泉は困った笑顔を浮かべる。
「どうして、と言われると困りますが。休日に他に行く当てがなかったもので」
 嘘だ、それは俺でも即座にわかるレベルの嘘だった。
 俺に視線を向ける古泉は、笑顔の中で必死に何かを訴えかけてきている。しかしそれが何を意味しているのかは俺にはわからない。
「みくるちゃんはどうしてここに?」
「え?あ、あの。お洋服を返す前にクリーニングに出そうかと思って……」
 朝比奈さんの言葉を聞いてハルヒは口を閉ざす、どうやら思い出してしまった様だ。
 俺達はもう、SOS団ではないという事に。
 誰も口を開けない中。
「……なんだか知らないけど部室に入ったら? ここじゃ寒いだろう」
 廊下に座ったままの部長氏が不思議そうな顔で提案してきた。


 長門さんの事を後で教えてくれないか?彼女には色々勉強させてもらったから、もしも何か事情があって転校するとかなら僕達も何かしたいんだ。
 そう俺に告げて部長氏はコンピ研に戻って行き、俺達は誰からともなく元SOS団の部室に入っていった。
 長門がいつもの様に本棚から本を取り窓際へ向かい、朝比奈さんも迷う事無くポットへと歩いて行く。
 俺は古泉の向かいに座って、ハルヒはいつもの団長席に座る。
 いつもと同じSOS団にしか見えない光景、ただ俺達の間に流れる空気はいつものそれとはまったく違う物になっていた。
「はい。どうぞ」
 もうSOS団はないのに、朝比奈さんはいつもの様にお茶を淹れてくれる。
 その心づかいが今は何よりありがたいです。
 お盆の上に並ぶ湯呑の数はいつもと同じ五人分、俺はさっきハルヒのお茶を飲んだばかりだったが小さく会釈して湯呑を受け取った。
 習慣というものなのだろうか、古泉は決着間際で終わっていたボードゲームを取り出そうとしていた。
 が、俺の視線を感じてその手を止める。
 お前がそんな余裕のない顔をするなんてな。
 一目でわかるほど、古泉の笑顔にいつもの余裕はなかった。
 ハルヒはと言えば誰に視線を向けるでもなく、なんとなくパソコンを立ち上げたり窓の外を見てみたりと落ち着きがない。
 誰も口を開かない中で、ハルヒのその行動はいつもとは違う意味で目立って見える。
 そんな中でも長門はいつも通り無音の読書を続けていて、その部分だけ切り取ってみればいつものSOS団だと言えなくもない。
 ……でも、SOS団が無かった時も長門は一人そうしていたんだろうな。
 文芸部の部室で、一人読書をしていた眼鏡をかけたあの世界の長門と同じ様に。
 古泉。
「え、あ。はい」
 そんなに動揺するな。話にくいだろ。
 何も予定がなくてここに来たんだろ?これからみんなでどこかに遊びに行くか?
 そうすれば朝比奈さん(大)の予言はまず間違いなく回避できるんだ。
 だが、俺の思考はどうやら古泉には伝わらなかったらしい。
「いいですね。と、言いたい所ですがお邪魔になってはいけませんし。どうぞ僕の事は気にしないでください」
 それは……無理だろう。
 自分でもどうすればいいのかわからないのか、古泉はあいかわらず視線で何かを訴えかけている。
 そうしている間も、朝比奈さんは黙々とハルヒに押し付けられた衣装をハンガーから外していき、袋の中へと詰め込んでいく。
 どの衣装にも思い入れがあるのだろうか、ハンガーから外すたびに朝比奈さんは服を広げて固まったまま無言で見つめている。
「キョン」
 ハルヒのたった一言の言葉に、部室の時間が止まった気がした。
 団長席に座ったハルヒは、俺に向かって色々と思いつめた顔を向けている。
 困ったような苦しいような、悲しいようなそんな顔で。
「……正直に言って? キョンは……」
 続く言葉を選んでいるのか、ハルヒの口は言葉を紡がないまま弱弱しく動く。
 古泉が何かを言おうとする気配を感じたが、俺はハルヒから視線が外せなかった。
 ……なんだ?顔が動かない?
 視線を外せないというのは比喩表現でもなんでもなく、俺の体は俺の意志に従って動くことを辞めてしまったかのようにピクリとも動かなくなっていた。
 何が起きてるんだ?
 突然の出来事に戸惑う余裕もない、表情すら変えられなくなった俺に向かってハルヒはようやく言葉を繋げる。
 一度、窓際で読書をしている長門に視線を向けてから、
「あたしと一緒にいるより。ゆ……みんなと一緒に居た方が楽しい?」
 まるでその言葉が合図だったかのように、俺の体は自由を取り戻す。
 が、今度はハルヒへの返答を迫られた状態でやはり俺はハルヒから視線を外せなかった。
 視線を向けないままだが、今古泉が俺に対して向けている視線ならすぐに意味が理解できる。
 涼宮さんを選んでください。だろ?
 よくみれば、いつのまにか読書を辞めていた長門も俺を見つめていた。
 その視線にはなんの感情もない様にしか見えないが、今は何かを訴えかけてきているように感じられる。
 朝比奈さんは俺の後ろに居たので顔色を確認する事はできないが、あわあわとしている雰囲気だけはなんとなく感じられた。
 数秒が数時間にも感じられる中、俺が口を開こうとすると。
「……みんな、何を隠してるの?」
 俺を見つめるハルヒの顔から、表情が消えていた。
『恐らく、彼女が望む事は殆ど現実になってしまう位に』
 長門の言葉が思い出された瞬間、俺は即座に後悔した。
 何故なら俺は連想してしまったのだ、もしここでハルヒに知られたら最も困る事は何か、を。
「嘘でしょ」
 目を見開いたハルヒが突然立ち上がり、古泉、朝比奈さん、長門へと視線を向けていく。
「キョン今のなんなの? え? ……嘘。古泉君、みくるちゃん嘘でしょ? ねえ。有希……有希? そんな、そんな事あるわけない。そんなの嫌!」
 ハルヒ!
 全員の視線が集まる中で、ハルヒは何かを否定するように首を振る。
「そんなの……居るはずないじゃない!」
 錯乱して叫ぶハルヒに俺が駆け寄ろうとした瞬間、俺は信じられない物を見てしまった。
 古泉が、朝比奈さんが、長門が。
 ハルヒの叫んだ言葉に合わせて、三人とも消えてしまったのだ。
 

 嫌な程の静寂が部室に戻る。
 嘘……だろ?
 それは僅か数秒の間の出来事だったのに、俺は何もできなかった。
 古泉が居たパイプ椅子は無人のままテーブルから少し離れた位置に置かれていて、窓際の長門の椅子には開いたままの本が置かれている。
 朝比奈さんがまとめていた服が入った袋は、支える人がいなくなった事で音をたててゆっくりと崩れ、中に入っていた服がいくつかはみ出して止まった。
 俺はハルヒに駆け寄ろうとしたままの姿勢で固まっている。
 何が起きたのかなんて考えたくない、考えなくてもわかってしまったがそれを認めたくない。
「なんなの……なんで?キョンやみんなの思ってる事が聞こえてきて、どうして?なんでみんな消えちゃったの?」
 震えるハルヒの声に、俺はなんて答えてやればいいのかわからなかった。
 どうすればいい? 何かあるはずだ! あれから三日もあったのに俺は何を考えてきたんだ?
 背中を伝う嫌な汗が止まらない。
 なんとか自分を奮い立たせて、俺は呆然として立ち尽くすハルヒに近寄る。
 ハルヒ。
「キョン、どうして?なんでみんな」
 脅えが浮かぶその目をじっと見つめる。
 ハルヒ、俺が今から言う言葉をそのまま言ってくれ。できれば心からそう思って言ってくれるといい。
「何それ、キョン。顔、怖いよ?ねえ」
 怯えるハルヒの肩に手をのせると、ハルヒの体は大げさな程に震えた。
 頼むぜハルヒ。もうこの状況を何とかできるやつはお前しか居ないんだ。
 小さく息をついて、俺は言葉を選ぶ。頼む、奇跡って奴があるなら今ここで起きてくれ!
 宇宙人、未来人、超能力者は私の所に来なさい。以上だ。
 何言ってるの? と言い返しそうな顔をしたハルヒだったが、俺の顔が本気なのを見てぽつぽつと呟いた。
「宇宙人、未来人、超能力者は私の所にきなさい……これでいいの?」
 疑いながらも素直に俺の言葉通りに呟くハルヒだったが、振り向いた俺の視界に入ったのは無人の部室だった。
 嘘だろ? なんでだ?
 今更だが俺の体も震えだす、それはみんなが居なくなってしまった事へのショックもある。
 だがそれ以上に、この事態を招いてしまったのはハルヒの力による物だという事を知られたくなかったからだったのだが……。
「キョン」
 最悪だ。
 再び俺が視線を戻した時、ハルヒは声を殺して泣いていた。
 最悪で大馬鹿野郎だ。
 俺に何か言おうと口を開くが、ハルヒは何も言えないまま両手で顔を覆ってしまう。
 最悪で大馬鹿野郎で救いようのないカマドウマ以下の糞野郎だ。
 涙が流れるのも気にせずに、ハルヒは部室が震えるほどの大声で叫んだ。
「宇宙人も未来人も超能力者も居る! 居るの! だからみんな帰ってきて? 有希! みくるちゃん……古泉君……お願い……お願いするから。キョン、
あたし願ってるの! 本当よ? ……なんでダメなの? みんな……みんな。キョン、全部私のせいなんだよね?」
 何故、ハルヒが願ってもみんなは元に戻れなかったのか? それは俺にはわからない。
 俺にわかるのは、ハルヒに最も教えてはいけない事。
 全ての原因は願望を実現するハルヒの力だという事を思い浮かべてしまった俺が、救いようのない馬鹿野郎だって事だけだ。
 ただ泣きじゃくるハルヒを見ていた俺は、この上最悪の言葉まで思い出してしまう。
 その言葉が思い出されるのを押しとどめようと思わず頭を振った瞬間。
「見ないで」
 ハルヒの声が聞こえたと思った時、そこにはもう、ハルヒは居なかった。
 机の上にはさっきまで確かにあった団長とかかれた三角錐もパソコンは無く、振り向けばそこに朝比奈さんの衣装もない。
 本棚を確認する頃には俺の心は既にあきらめていた、そして思い出されるあの言葉。
 ――俺だけが、残る。
 古泉の呼び出しからはじまった今回の出来事で、相談した全員が出したその答え。
 けだるい体を動かし、なんとか俺はパイプ椅子に体を預ける。
 人事も尽くさなかった俺には天命を待つ資格すらない。
 物音一つしない部室の中、俺だけが残ってしまった。


 その日どうやって家に帰ったのか、果たして夕食は食べたのか。どうやって登校してきたのかも覚えていない。
 ただ覚えているのは暗い自分の部屋で布団にもぐり――またハルヒにあの閉鎖空間へ呼び出さるのをじっと待っていた事だけだ。


「なるほどね」
 話が終わった所で、朝倉は気を使っているのかことさら明るくそう答えた。
 俺は長門がIFの世界に作り変えた事と、その世界を元に戻そうとした時に朝倉が俺を殺そうとした事も一緒に話したのだが朝倉はその話には
あまり興味が無いようだった。
 どうやら本当に知らないみたいだな、あの時の事は古泉も知らなかったし本当に別の世界の出来事なのかもしれない。
 今度はそっちの番だろ。
 俺の言葉に、朝倉は少し寂しそうな笑顔を浮かべる。
「そうね。でも最初に言っておくけど、私が全てを元に戻すことができる。なんて期待だけはしないでね?」
 恐らくそれは嘘ではないんだろう、その時何故だか知らないが俺はそう思った。
「あの日貴方を殺しそこねた私は、長門さんに情報連結を解除された。そして最初に言ったように涼宮さんの認識によってカナダに再構成されたの。
何の力もない、ただの女子高校生としてね。涼宮さんにとって、私は宇宙人じゃなかったんだから仕方なかった事だとは思うけど最初は大変だったわよ。
でもまあ、貴方の話によれば宇宙人だと認識されていたら私も消えてしまってたんだろうし、これも運命って感じかしら」
 軽く話す朝倉だが、俺にはそんな外国で一人取り残されても生存能力はない自信があるぞ。
 よく無事だったな。
「無事とは言えないわね、だってすぐに警察に捕まってパスポートも無い私は不法入国って事になってしばらく拘束されてたんだもん……
まあ、合法的に入国してないのは確かだから文句は言えないけどね。強制送還されるかな?って思ってたんだけど、初犯だし未成年だから
保釈金さえ払えばいいって言われてそれからは自由の身。現地の領事館でパスポートも作ったし、すぐに日本に戻って良かったんだけど
特に戻る理由がなかったからカナダでのんびりしてたわ」
 朝倉、お前英語が話せるのか?それとよくそんなにお金があったな。
「ああ、人間の通貨は涼宮さんを観察する上で一般生活を不自然なく過ごす為に必要だから、銀行のデータをいじってあらかじめ準備してあったの。
それに人間の使う言語なら一通り知ってるわよ、もちろん長門さんも私と同じ」
 俺には、長門が流暢に外国語を話す姿ってのはどうしても想像できない。
「それで、ここからが本題ね。涼宮さんの存在が消えた時、それを私も感じたの。どうしてわかったのかなんて言われても困るけど、
多分私が涼宮さんの創造物だからじゃないかな。あの時、涼宮さんは人外の存在を否定した。だから貴方はここに残っている事ができて、私も残れた。
そして再び出会った二人、これってアダムとイヴみたいじゃない?」
 大違いだ。
 そう言いながらも俺は落胆を隠せなかった。何故なら、だ。
 朝倉の話通りなら、この世界にはもう宇宙人、未来人、超能力者は存在しないって事になるんだろ?。
 みんなを取り戻す為に必要なのは正にそんな存在だったのに、その可能性すらも残ってないのかよ?……まったく、溜息しか出ないぜ。
 古泉、お前の理論は外れたな。
 最後まで俺が残れたから俺が特別なんじゃなくて、俺はただの人間だから取り残されちまっただけみたいだ。
「今日はもう遅いし、続きはまた明日学校で話しましょう。また同じクラスに編入できるかどうかわからないけど、仲良くして欲しいな。あ、結局荷物も
殆ど貴方一人に運んでもらっちゃったし、なんだったら今日は泊っていってもいいよ?」
 返事をする気にもなれない。
 俯いたままソファーに座っている俺の横に朝倉が近づいてくる、それを無視していると朝倉はそのまま俺の隣に座った。
 そのまま俺に体重を預けてくる朝倉の体温が、腕越しに伝わってくる。
「取り残された者同士仲良くするのっていけない?どうせなら、全てを知ってる人同士の方が長続きすると思うんだけどな。私と一緒に居れば、いつか涼宮さん
達を取り戻すチャンスが巡ってくるかもしれないし」
 そうだな、はいはい。
 ――付き合いきれん。ソファーから立ち上がろうとする俺を手を朝倉は掴んでくる、そして俺に寂しそうな視線を向けて来ていた。
 そこには夕陽の校舎の中で俺にナイフを向けてきた時に見せた機械的な笑顔も、早朝の校門前で俺にナイフを刺してくれたあの時の狂気の顔もなく、
ただ寂しいと伝えてくる同級生の顔がある。
「……ねえ、キョン君」
 朝倉は軽く俺の手を握っているだけで、振り払おうと思えばその手は簡単に振り払えてしまうだろう。
 考えてみればいくらお金があって知識があっても、今の朝倉はただの人間なんだ。
 それが外国で一人取り残されて、辛くないわけがないよな。
 誰にも連絡を取らず、日本に戻らなかったのも再び自分が消されてしまうかもしれないなら当然だ。
 朝倉の瞳が潤んできたのが見えた時、俺はその手を――

 

 

 乱暴に振り払った。

 そっと振り払った。

 


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